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中国語学習者、聡子のブログ

これって中国語でどう言うの?様々な中国語表現を紹介します。読者の皆さんと一緒に勉強しましょう。

【対訳】《雲郷話食》を読む: 臘八粥的情趣(臘八粥の情緒)[後編]

2011年02月01日 | 中国グルメ(美食)
 前回に続き、“臘八粥”についてです。前回は、臘八の行事の歴史を紐解き、清朝の富察敦崇氏《燕京歳時記》の内容の紹介までしました。今回は、それを受けて、《燕京歳時記》の説明を掘り下げていきます。

■ 富察敦崇這段文字介紹臘八粥十分詳尽。第一是米、豆、果料極為斉全,白糖、紅糖如算一様,則共十六様之多,即生料八種,都是“八”,符合臘八“八宝”之数。因為這様的粥,臘八日叫:“臘八粥”,平時則叫“八宝粥”,所以配料都有八様之多。第二是経夜経営,天明即熟,這不禁喚起許多人童年的記憶,是十分美妙的。作母親的催孩子早点睡,説道:“快睡吧,明儿早点起来喝臘八粥;太陽一出,再喝,要紅眼睛 …… 快睡吧,宝貝!”

・生料 sheng1liao4 未加工の原料。原材料

 富察敦崇のこの文章は臘八粥をたいへん詳しく紹介している。第一に米、豆、果実はいろいろな種類が揃っていなければならず、白砂糖と黒砂糖を同じものとすれば、全部で十六種類にもなる。煮る材料が八種類で、“八”であるので、臘八“八宝”の数に合っている。このような粥は、臘八の日は“臘八粥”と呼ぶが、日常は“八宝粥”と呼ぶので、入れる材料は八種類もあるのである。第二に夜通し準備をし、夜明けには煮えていることで、これは多くの人の子供時代の記憶を呼び起こすことを禁じ得ず、たいへん麗しい。母親が子供に早く寝るよう促し、こう言う。「早く寝なさい、明日の朝は起きたら臘八粥を飲むのよ。お日さまが昇ってから飲んだら、眼が赤くなってしまうわよ……早く寝なさい、おりこうさん。」

■ 這様,便帯着甜蜜而温暖的憧憬入夢了,一大早,起来,吃這碗一年一度的香甜而美妙別致的臘八粥,這種生活的情趣,不是也像西方儿童在睡夢中等待聖誕礼物那様美好嗎?

・憧憬 chong1jing3 憧憬。あこがれ

 このように、甘く温かい憧憬を抱いて眠りにつき、翌朝早く起きて、この、年に一度の甘く麗しいことこの上ない臘八粥を食べるという、こういう生活の情緒は、西洋の子供達が眠りの中でサンタのプレゼントを待つあの幸福と同じではないか。

■ 第三是分饋親友,不得過午,這也是極有情趣的礼物。北京過去有一種緑盆,是一種上了緑琉璃瓦釉子的瓦盆。有的人家,用這種盆,盛上紅艶艶的粥,上面用雪花綿白糖洒成“寿”字、“喜”字、“福”字等等,再洒上一点青絲、紅絲。如此,亮晶晶的緑釉器皿、紅艶艶的粥、雪白的糖、鮮艶的青絲、紅絲,相映成趣,送到親友家中,真是絶妙的藝術品,充満了歓楽的藝術生活情趣,却毫無庸俗、雕琢的富貴気息,這才是真正的色、香、味、形、器兼備,又加豊富情趣的精美食品。

・亮晶晶 liang4jing1jing1 ぴかぴか光る
・雕琢 diao1zhuo2 (玉を)彫り刻む

 第三に、親戚や友人に贈り、昼を過ぎてはならない、ということで、これもたいへん情緒のある贈り物である。北京では昔、一種の緑色の鉢があり、緑の瑠璃瓦の釉薬をかけた焼き物の鉢であった。家によっては、こうした鉢に、赤く艶やかな粥を入れ、その上に綿あめを散らして“寿”、“喜”、“福”の字を描き、さらに青や赤の糸状の飴を散らした。このようにして、ぴかぴか光る緑釉の器、赤く艶やかな粥、真っ白な砂糖、鮮やかな青や赤の飴が、互いに引き立てあい、親戚や友人宅に贈り届けると、本当に絶妙な芸術品で、楽しい芸術生活の情緒が満ちあふれ、少しも俗っぽいところがなく、彫り刻まれた富貴の息吹により、これこそ本当に色、香、形、器を兼ね備えているだけでなく、それに豊な情緒が加わった精緻な食品である。

■ 不過富察敦崇所説臘八粥中不宜用蓮子、扁豆、薏米、桂元等,用則傷味的説法,据我所知,其説似不尽然。桂元肉一般是不放的,放了稍有苦味。蓮子、薏米仁一般都是放的,有的還放芡実(即鶏頭米),這在《天咫偶聞》、《民社北平指南》等書均有記載。都足以証明《燕京歳時記》之説,并不尽然。

・芡実 qian4shi2 オニバスの実。江南地方では、“鶏頭米”と言う。

 しかし、富察敦崇の言う、臘八粥の中にはハスの実、インゲン、ハト麦、龍眼などを入れるのはよくなく、入れると風味を損なうという説については、私の知っているところでは、必ずしもそうではない。龍眼は一般には入れない。入れると少し苦みが出る。ハスの実、ハト麦は入れることが多く、更にオニバスの実(鶏頭米)を入れる場合もある。これは《天咫偶聞》、《民社北平指南》などの書に書かれている。こうしたことから、《燕京歳時記》の説明は必ずしも正しくないことが証明できるだろう。

■ 在清代皇宮中仍然継承了明代的伝統,十分重視煮臘八粥的。道光帝愛新覚羅旻寧有一首《臘八粥詩》,收在《養正書屋全集》中,詩是七古,并不好,但作為史料,亦可見旧時風俗和宮廷生活之一斑,現引在下面:

     一陽初復中大呂,谷粟為粥和豆煮;
     応節献佛矢心虔,默祝金光済衆普。
     盈几馨香細細浮,堆盤果蔬紛紛聚;
     共嘗佳品達妙門,妙門色相伝蓮炬。
     童稚飽腹慶升平,還向街頭撃臘鼓。

・七古 qi1gu3 七言古体詩
・一斑 yi1ban1 一端。全体の一部分
・一陽復始 天地の陰陽の二気が、毎年冬至になると、陰が尽き陽が再び生じることから、春が再びやってくることを表す
・大呂 da4lv3 夏暦の十二月の別称
・妙門 miao4men2 仏教や道教で、細かな教理を悟るこつ。或いは仏門のこと。
・蓮炬 lian2ju4 蓮の花の形のロウソク
・升平 sheng1ping2 天下太平
・臘鼓 la4gu3 旧暦の12月に太鼓を打ち鳴らし、春の訪れを促す、昔の風習。

 清代の宮中では明代の伝統が継承され、臘八粥を煮ることが重視された。道光帝愛新覚羅旻寧は《臘八粥詩》を作ったが、これは《養正書屋全集》に収められている。詩は七言古体詩で、出来はあまり良くないが、歴史資料であり、昔の風俗や宮廷生活の一端を垣間見ることができる。以下に引用すると:      

      陰が尽き再び陽が生じてまた十二月がやって来た。米や粟を粥にし、豆といっしょに煮る。
     節句に合わせて仏にお供えをし、心から敬虔を誓い、陽の光が民衆を救済してくれるのを祈る。
     良い香りがあたりに漂い、お盆一杯の果物や野菜が次々と集まって来る。
     共にこの佳品を味わい、悟りの境地に到ろう。仏門では眼で見える姿形は蓮の花の形のロウソクに伝わるという。
     子供達はもうお腹一杯になり、天下太平を喜び、また街に向けては迎春の太鼓が打ち鳴らされている。

■ 従詩中可以看出,重点是説臘八粥是佛教的食品,是清素的。但流伝至民間,在一般家庭中,已失去它佛教的意義,成為一種歳時節令,富有生活情趣的精美節日食品了。但在宮廷中,它的宗教意義還是很重的,而且還有政治意義。《京都風俗志》説:“黄衣寺僧,亦多作粥。”清代后来定制,臘八粥是帰雍和宮的喇嘛熬的,就是黄衣寺僧。《光緒順天府志》記云:

     臘八粥,一名八宝粥,毎歳臘月八日,雍和宮熬粥,定制,派大臣監視,蓋供上膳焉。其粥用粳米雑果品和糖而熬。民間毎家煮之,或相饋遺。

 詩から分かるのは、その重点は、臘八粥は仏教の食品だということで、精進ものである。しかし民間に伝わり、一般の家庭の中では、仏教の意義は失われ、一種の季節の風物詩になり、生活情緒に満ちた美しい節句の食品になった。しかし宮廷では、その宗教的意義はまだ重く、また政治的な意義もあった。《京都風俗志》に言う:「黄衣の寺僧は、多くは粥を作る。」清代には後に、臘八粥は雍和宮のラマ僧が作るものと定められた。つまり黄衣の寺僧である。《光緒順天府志》の記載に言う:      

     臘八粥は、一名を八宝粥と言い、毎年12月8日、雍和宮で粥が作られ、そのように定められ、大臣が遣わされ監視する。蓋し皇帝の御膳に上るのであろう。その粥はうるち米と様々な果実と砂糖で作られる。民間でも家々で粥が煮られ、また贈り物にされる。

■ 《燕京歳時記》也記云:
     雍和宮喇嘛,于初八日夜内,熬粥供佛。特派大臣監視,以昭誠敬。其粥鍋之大,可容数石米。

・石 dan4 容積の単位、石(こく)1石=100升。/但し、昔の俸禄高を示す時の発音はshi2である。たとえば“二千石”などと言う場合。

 《燕京歳時記》の記載でもこう言っている:     
     雍和宮のラマ僧は、八日の夜に、粥を作りお供えをする。特に大臣が派遣されて監視し、それによって皇帝への忠誠と敬意を明らかにする。その粥を作る鍋の大きさといったら、一度に数石の米が入るほどである。

■ 従這両則記載中,可以看出,清代宮廷対于臘八粥多麼重視,還要派大臣監視熬粥,現在想起来,似乎是很滑稽的事情了。但要想到当年那許多喇嘛,準備果料,囲着那可容数石米的大銅鍋,在油灯盞的照耀下,忙乱着熬粥,穿貂褂、帯朝珠、大紅頂子、海龍暖帽的大臣隆重地旁辺監視焼粥,這種朦朧的歴史画面,不是具有十分神秘感的嗎?現在感到很難想像的東西,在当年都是生生的事実,而且是持続了上百年的事実,于今則頗為渺茫了。現在雍和宮又重修開放了,如果那口大鍋還在,熬一鍋臘八粥,給中外游客当点心吃,不也是很有趣味的、很名貴的一種甜点嗎?

・則 ze2 [量詞]条文を数える
・渺茫 miao3mang2 渺茫(びょうぼう)としている。ぼんやりしてはっきりしない

 この二つの記載の中で、分かることは、清代の宮廷が臘八粥をたいへん重視していたことで、大臣まで派遣して粥を作るのを監視させたというのは、今想像してみると、いささか滑稽なことである。しかし当時はたくさんのラマ僧がいて、果実や材料を準備し、何石もの米が入る大きな銅鍋を囲んで、燈明の明かりの下、忙しく粥を煮、テンの前掛け、珠のネックレス、赤い帽子飾り、ラッコの防寒帽を身に付けた大臣が厳かに傍らで粥を炊くのを監視しているという、朦朧とした歴史の一場面は、たいへん神秘的な感じがしないだろうか。現在では想像し難いことが、当時は紛れもない事実で、しかも百年以上も続いた事実であるなんて、今となってはぼんやりして理解できない。現在、雍和宮は修復されて一般公開されているので、もしあの大鍋がまだ残っているなら、臘八粥を作って、国の内外からの旅行客に振舞ったら、たいへんおもしろいし、名物になるのではないだろうか。

■ 一粥之微,几百年中,由宮廷到民間,由宗教寺廟到普通世俗人家,都那麼認真,那麼重視,熬得那様精美,那様富有情趣,記載在那麼多的文献中,這正是我国悠久的歴史文化精髓的一点一滴啊!這還不値得加以称道、介紹和宣揚嗎?

 一杯の粥の機微が、数百年を経て、宮廷から民間へ、仏教寺院から一般家庭に伝わり、こんなにも真剣に、こんなにも重んじられ、作られた粥は精緻で、情緒に富み、あんなにもたくさんの文献に記載された。これは正に我が国の悠久の歴史文化の神髄の一点一滴ではないだろうか。これでもなお賞賛し、紹介し、宣伝するに値しないと言えますか?


【出典】雲郷《雲郷話食》河北教育出版社 2004年11月

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【対訳】《雲郷話食》を読む: 臘八粥的情趣(臘八粥の情緒)[前篇]

2011年01月30日 | 中国グルメ(美食)

 もう春節を迎えますので、いささか時期を逸してしまいましたが、農暦の12月8日を“臘八”と言い、この日に特別に作られる粥のことを“臘八粥”と言います。旧暦の年末年始の重要行事である“臘八”を取り上げたいと思います。12月8日はお釈迦様が悟りを開いた日であり、またそのきっかけが、村娘スジャータが捧げたミルク粥で、それによりお釈迦様が気力を回復し、悟りを得ることができたわけですが、中国の風習も仏教起源です。

■ 飲饌的事,各種食品,不只是要味道好,色彩好,而且還要情調好。没有好的情調,再好的酒、菜,吃起来也乏味。所以説,在“色、香、味、形、器”之外,還応該加一個“情”字,就是要有情趣、有情調,説得再広汎一些吧,就是要有生活的趣味,不管是広筵盛饌、珍惜雑陳也好;或是豆腐青菜、村酒濁醪也好,只要尽歓、尽興,情趣盎然,便津津有味,是一種生活的享受。反之,再好的盛饌佳肴,也是食而不吃其味了。

・情調 qing2diao4 ムード。情緒。気分
・乏味 fa2wei4 味気ない
・筵 yan2 宴席。酒席(“筵”の本来の意味は竹のむしろ。昔はむしろに座ったことから座席を“筵”と言ったが、今はもっぱら酒席の意味で用いられる)
・盛饌 sheng4zhuan4 盛大なもてなし。(“饌”zhuan4はごちそうの意味)
・濁醪 zhuo2lao2 にごり酒
・盎然 ang4ran2 満ちあふれるさま
・雑陳 za2chen2 取り混ぜて並べる
・津津有味 jin1jin1you3wei4 たいへんうまそうである。興味津津。

  飲食について言えば、各種の食品は、味がよく、見た目がきれいでなければならないだけでなく、ムードが良くなければならない。良いムードがなければ、良い酒、料理も、食べても味気が無い。だから、「色、香、味、形、器」の他、もう一文字、“情”を加えなければならない。つまり情趣がなければならず、ムードがなければならない。もう少し範囲を広げて言えば、生活の興趣があれば、大宴会のもてなし料理や、珍しいものを取り混ぜて並べたものでも良いし、豆腐と青菜の炒め物や、地酒やどぶろくでも良い。歓待を尽くし、興趣を尽くし、情趣が満ちあふれてさえいれば、たいへん旨そうで、これは生活の中の楽しみである。そうでなければ、どんなに素晴らしいごちそうでも、食べてもその本来の味を味わうことはできない。

■ 労働人民,一年辛苦,歳尾年頭,是最有空閑,講究一点吃喝的時候,這期間,毎一様東西,都充満了生活的情趣,也反映了我国悠久的歴史文化的燦爛光輝。

・燦爛 can4lan4 光輝く

 労働人民は、一年間懸命に働き、年末と年初は、最も閑で、食べ物と飲み物に工夫を凝らす時期で、この期間は、全てのものが、生活の情趣に満ちあふれていて、我が国の悠久の歴史文化のきらびやかな輝きを反映している。

■ 就拿“臘八粥”来説吧,読過《紅楼夢》的人,馬上会想起《情切切良宵花解語,意綿綿静日玉生香》的故事。宝玉編造瞎話,説什麼“林子洞”中“耗子精”要熬ao2臘八粥等等,什麼“惟有山下廟里果米最多”,“米豆成倉,果品却只有五様:一是紅棗,二是栗子,三是落花生,四是菱角,五是香芋。”説的極為風趣,這雖説是曹雪芹的生花筆墨,但生活的根据却是真実而又古老的。注意這几点:一是“廟里”,就是説和尚廟里更重視熬ao2臘八粥;二是“米豆”,就是説臘八粥,既要有米,又要有豆;三是“果品却只有五様”,就是説臘八粥,果品不只用五様,還要多。“却只有”,説其少,不足也。

・情切切良宵花解語,意綿綿静日玉生香 :
   情は切々として良宵、花は語を解し、
   意は綿々として静日、玉は香を生ず。 
              《紅楼夢》第19回より。
・熬 ao2 (穀類を水に入れて)長時間煮る。/通常は、“熬ao2粥”で、「かゆを作る」の意味に使う。
・果品 guo3pin3 果物とドライフルーツの総称
・生花筆墨 sheng1hua1bi3mo4 =生花之筆墨[成語]すぐれた文章を書く才能。([語源]李白が少年の時、筆の穂から花が咲きだした夢をみて、それから文才が急に上がったという伝説から)

  “臘八粥”について言えば、《紅楼夢》を読んだことのある人なら、すぐに《情切切良宵花解語,意綿綿静日玉生香》の物語を思いつくだろう。宝玉はでたらめな話を作り出し、“林子洞”というところの「ねずみの精」が臘八粥を作らないといけなくなり、「山の麓のお寺に米や果実がたくさんあります」だとか、「米や豆は倉になるほどたくさんあるが、果実は五種類しかありません。一つ目は乾しなつめ、二つ目は栗、三つ目はピーナツ、四つ目は菱の実、五つ目は里芋です」と、言い方にたいへんユーモアがあり、これは曹雪芹の文才の為せる技ではあるが、生活に根ざしていることは事実であり、しかも古いものである。いくつかの点に注意しなければならない。一つ目は「寺の中に」で、つまりお寺で臘八粥を作ることが重要な行事となっていた。二つ目は「米と豆」で、つまり臘八粥には米も豆も入れたのである。三つ目は「果実は五種類しかありません」で、つまり臘八粥には果実は五種類だけではなく、もっと多くのものが要るのである。“却只有”とはその少なさを言っており、足りないのである。

■ 臘八粥是很古老的一種節令食品,在宋人筆記《夢粱録》《武林旧事》中均有記載。最早是来源于佛教伝統的。《永楽大典》中摘抄元人《析津志》云:

     是月八日,禅家謂之臘八日,煮紅糟粥以供佛飯僧,都中官員士庶,作朱砂粥,伝聞禁中亦如故事。

・節令 jie2ling4 節季。季節。
・摘抄 zhai1chao1 (本から)写し取る。抜粋する
・飯僧 fan4seng1 僧侶に食べ物を布施する

 臘八粥はたいへん古い季節の食品である。宋の人が筆記した《夢粱録》《武林旧事》には何れもその記載がある。最も古いものは仏教の伝統を起源としている。《永楽大典》の中に元代の人の書いた《析津志》の次の文が抜粋されている:     

     今月の八日は、禅宗で言う臘八日(12月8日)であり、赤いごった煮の粥を煮て仏様にお供えし僧侶に布施する。都中の役人や士族、一般庶民までが辰砂色の粥を作る。伝え聞くところでは禁中にも同様のしきたりがあるそうだ。

■ 這説明元代就以臘月初八為臘八,在這一天煮臘八粥供佛飯僧了。但是宋代吃臘八粥的日期与后来則稍有不同。《日下旧聞》引元人孫国敕《燕都遊覧志》云:

     十二月八日,賜百官粥,以米果雑成之。品多者為勝,此蓋循宋時故事。然宋時臘八,乃十月八日。

・蓋 gai4 [書面語]おおかた、思うに。(前文を受けて)それは~だからである
・故事 gu4shi4 古いしきたり、習慣。(「お話」の場合は“故事 gu4shi”と後ろが軽声で発音する)

 このことは元代には12月8日を“臘八”と言い、この日に臘八粥を煮て仏様にお供えし僧侶に布施していたことを説明している。しかし宋代に臘八粥を食べた日は、その後の時代と多少異なる。《日下旧聞》は元の孫国敕《燕都遊覧志》を引用し、こう言っている:      

     十二月八日は、百官が粥を賜り、それには米や果実が入っていた。中に入っているものの品種が多い方が良いとされ、これはおそらく宋の時のしきたりを起源としているのだろう。然るに宋の時の臘八は十月八日であった。

■ 這是宋時臘八与后来的臘八在日期上小有差異。至于説到熬ao2粥的材料,“果品只有五様”,蓋言其少。那麼多少才“不少”,才比較符合標準呢?世俗習慣,喜歓湊数,“八”才够gou4上標準数,臘八麼,没有“八様”,哪能够gou4得上臘八的標準呢?如果十二様,那就更好,可以上譜了。劉若愚《酌中志》云:

     初八日吃臘八粥,先期数日,将紅棗槌破,泡湯,至初八早,加粳米,白米,核桃仁,菱米,煮粥,供佛聖前,戸牖you3園樹井灶之上,各分部之。挙家皆吃,或亦互相饋送,夸精美也。

・湊数 cou4shu4 数を揃える、合わせる
・譜 pu3 系譜、類別、系統に従って、表または箇条書きで編纂された本。[例]年譜、家譜、食譜など
・粳米 jing1mi3 うるち米(モチ米のような粘り気を持たない普通の米)
・牖 you3 [書面語]窓
・饋 kui4 物を贈る

  これは宋の臘八とその後の臘八が時期の上で多少差があるということである。粥を作る時の材料に至っては、「果実は五種類だけ」というのは、蓋しその少なさを言っている。それならいくつなら「少なくなく」、基準に合うのだろうか。世俗習慣では、数を合わせることが喜ばれるので、“八”になってようやく基準の数に達する。臘八なのに、「八種類」無くて、どうして臘八の基準に達することができるだろうか。もし十二種類あればもっと良く、本に載せることもできる。劉若愚は《酌中志》でこう言っている:     

     八日に臘八粥を食べるには、事前に日数を数えておき、干したなつめを槌で叩いてつぶし、熱湯をかけ、八日の朝、うるち米、白米、くるみの実、菱の実を加えて、粥を煮、仏様の前にお供えし、門や窓、庭木、井戸、かまどの上にも、分けてお供えする。家中で食べ、或いは互いに贈り合い、その出来栄えを褒めるのである。

■ 這是明代吃臘八粥的情况。在清人著作中,関于臘八粥的記載就更多了。富察敦崇氏《燕京歳時記》云:

     臘八粥者,用黄米、白米、江米(即粳米)、小米、菱角米、栗子、紅江豆、去皮棗泥等,合水煮熟。外用染紅桃仁、杏仁、瓜子、花生、榛穰、松子,及白糖、紅糖、瑣瑣葡萄,以作点染。切不可用蓮子、扁豆、薏米、桂元,用則傷味。毎至臘七日,則剥果滌器,経夜経営,至天明時,則粥熟矣。除祀先、供佛外,分饋親友,不得過午。

・黄米 huang2mi3 きび
・榛穰 zhen1rang2 ハシバミの実。ヘーゼルナッツのようなもの
・瑣 suo3 些細な
・点染 dian3ran3 絵に点景を添えたり彩ったりする。飾りつける
・薏米 yi4mi3 ハト麦の実
・桂元 gui4yuan2 龍眼の実。

 これは明代の臘八粥を食べる情景である。清の著作の中では、臘八粥に関する記載がもっと多くなる。富察敦崇氏《燕京歳時記》ではこう言っている:     

     臘八粥は、きび、白米、江米(うるち米)、粟、菱の実、栗、小豆、皮を取ったなつめの果肉などを用い、水にいれてよく煮る。外側は赤く染めた桃仁(桃のさね)、杏仁(あんずのさね)、かぼちゃの種、ピーナツ、ハシバミの実、松の実、及び白砂糖、黒砂糖、少しの乾し葡萄で飾りつけをする。ハスの実、インゲン、ハト麦、龍眼を入れてはならない。入れると風味を損なう。毎年12月7日には、果実の皮を剥き食器を洗い、夜通し準備をし、夜が明けると粥は煮えている。祖先を祀り、仏様にお供えをする他、親戚や友人に贈り、お昼を過ぎてしまってはならない。

-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*

  今回はこれまでとします。続きは次回をお楽しみに。


【出典】雲郷《雲郷話食》河北教育出版社 2004年11月

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【対訳】《雲郷話食》を読む: [火考]kao3白薯(焼き芋)

2011年01月28日 | 中国グルメ(美食)


 “烤kao3白薯”というのは北京の言い方ですが、皆の大好きな焼き芋。特に北京の焼き芋は、身が濃い黄色をしており、味が濃厚です。昔(20年くらい前)は、大きいのが一つ8毛くらいでしたが、今はいくらくらいするのでしょう?

■ 白薯,是最普通的東西,上海人叫山芋,浙江人叫番薯,山西人叫紅薯,潮州人叫番茨,有的地方還叫紅苕、地瓜,名字雖然多種多様,而東西却是一種。我懐念北京的白薯,尤其是北京的烤kao3白薯。

 さつまいも(“白薯”)はごく普通のもので、上海人は“山芋”と呼び、浙江人は“番薯”と呼び、山西人は“紅薯”と呼び、潮州人は“番茨”と呼ぶ。ある地方ではまた“紅苕”、“地瓜”と呼び、名前は多種多様であるが、ものは一つである。私は北京のさつまいもを懐かしく思う。とりわけ北京の焼き芋である。

■ “烤kao3白薯,真熱乎!”
 “栗子味儿的烤kao3白薯――”
 這熟稔的市声,縦使遠隔北京千里,也会時時在我耳辺回響。

・熟稔 shu2ren4 非常によく知っている

 「焼き芋、熱々だよ!」
「栗の味の焼き芋――」
 こうしたよく耳にしたもの売りの声は、北京から千里の彼方に居ても、時々私の耳元で響き渡る。

■ 那時売烤kao3白薯的人真多,街頭巷尾几乎到処可見。一只破缸,或一只破汽油筒,都可用来泥出一個烤白薯的炉子。火不要太旺,但時間要長,用的煤核儿不能太多。在炉膛的腰部,是一圈鉄絲網,生白薯分両層放在這圈網上烘烤kao3。炉面蓋一塊大鉄板,可以随開随合。一把長火鉗,打開炉蓋斜伸進去可以夾住烤kao3着的白薯,随時翻弄。夾出来用手掐一掐,如果軟了,便是烤kao3透了,就拍拍灰擺在炉盤上出售,不然便再放回去継続烘烤kao3。我常常想起那些整斉地堆放在炉盤辺上的白薯,像山郷人家用卵石堆的坎坷的短墻一様,那毎一小塊“卵石”,剥去它那灰黄的外衣,里面却充満了熱,充満了甜香,給人以甜蜜的温飽,正像烘烤kao3它的那位漢子一様的朴実 …… 单只這一点還不値得人回味嗎?

・街頭巷尾 jie1tou2xiang4wei3 [成語]街のあちこち。大通りや横丁。
・泥 ni4 (土や漆喰で壁などを)塗る
・火鉗 huo3qian2 =火剪 火挟み。火箸。
・翻弄 fan1nong4 ひっくり返す
・掐 qia1 (指先で)摘む。つねる
・透 tou4 十分である(動詞の補語として、動作が十分徹底していることを表す)
・卵石 luan3shi2 玉石
・坎坷 kan3ke3 (道などが)でこぼこである

 当時は焼き芋を売る人が本当に多く、街のあちこちで見ることができた。壊れた甕が一つ、或いは壊れたドラム缶が一つあれば、それを使って粘土を塗って焼き芋の竈(かまど)にすることができた。火力はあまり強くてはだめだが、焼く時間は長くなければならず、使う石炭の量はあまり多くてはいけない。竈の胴の腰のあたりは金網になっていて、生の芋は二層に分けてこの網の上で炙り焼きにする。竈の面は大きな鉄板で蓋をされていて、自由に開け閉めすることができる。長い火箸を、竈の蓋を開けて斜めに差し入れ、焼いている芋を挟んで、自由にひっくり返すことができる。挟んで取り出したのを指でつまんでみて柔らかければ、もう十分焼けているので、灰を落とすと竈の上の盆に並べて売る。そうでなければまた竈の中に戻して続けて焼く。私はこれを見るといつも思うのだが、きれいに竈の上の盆に並べられた芋は、山里の人が玉石を積んで作ったでこぼこの垣根のようで、その小さな「玉石」ひとつひとつが、外側の黄色っぽい灰色の上着をはぎ取ると、中は熱々で、甘く芳しく、食べる人に甘い満足感を与え、これを焼いた男のように飾り気がない……たった一個の焼き芋がこんなにも味わい深いのだ。

■ 北京的白薯烤kao3透了,剥去皮呈現出的肉是深黄的,作南瓜色,又甜又香,又糯又膩,入口即化,比起上海一帯的那種栗子山芋,是絶然不同的。幽燕苦寒,冬天早晨冷起来十分凛冽。記得上小学時,半路上花五大枚(五個当二十銅板)買一個烤kao3白薯,熱乎乎地捧着当手炉,一直到了教室以后,才慢慢地吃,又取暖,又果腹,其妙無窮,実是貧苦孩子的恩物啊!

・幽燕 幽(幽州)、燕(燕国)とも、北京付近の古名。
・凛冽 lin3lie4 身を切られるように寒い
・半路 ban4lu4 途中・銅板 tong2ban3 銅貨
・果腹 guo3fu4 満腹する

 北京のさつまいもが焼けたら、皮を剥いて現れる果肉は濃い黄色で、かぼちゃのような色をしている。甘く芳しく、もちもちしてねばねばし、口に入れるとすぐ溶けてしまう。上海一帯のいわゆる“栗子山芋”と比べると、はっきり別のものである。北京一帯は寒さが厳しく、冬の早朝の寒さは身を切られるようである。今でも憶えているが、小学校時代、通学の途中で大枚5枚(銅銭20個に相当)を払って焼き芋を一個買い、熱々を両手で捧げ持って手あぶりの代わりにし、まっすぐ教室まで持って行ってから、ゆっくりと食べた。暖を取れた上に、満腹になり、その効果はすばらしく、実に貧しい子供への神様の贈り物であった。

■ 《燕京歳時記》云:
 白菽(即薯)貧富皆嗜,不假扶持,用火煨熟,自然甘美,較之山薬、芋頭尤足済世,可方為朴実有用之材。

  《燕京歳時記》に言う:
 白菽(すなわち、さつまいも)は富賤にかかわらず皆が好み、何の助けも借りずに、弱火でじっくり加熱すれば、自然に甘くなり、山芋や里芋に比べ、更に世の中を救うものであり、質素で有用な食材である。

■ 《燕京歳時記》是名書,富察敦崇写的是好文章,一経品題,白薯亦身価十倍了。

・品題 pin3ti2 人物や作品の品定めをする

  《燕京歳時記》は名著で、富察敦崇が書いたのは良い文章で、一度高い評価を得るや、さつまいももその値段が十倍になった。

■ 烤kao3白薯之外,還有煮白薯,売者推一個独輪車,上有一個小炉子,架一口“四応”鍋,煮一鍋像蘿蔔般粗的紅皮麦茬的小白薯,買時小販信手従中撈一塊出来,在板上切切砕,放在一個粗碗中,再従鍋中盛一小勺粘乎乎的甜汁澆在上面,価銭比烤kao3的便宜,吃起来比烤的還好吃。

・麦茬 mai4cha2 麦の刈り株のことだが、ここでは麦の裏作にさつまいもを植えること。

 焼き芋の他、煮芋もあり、売り子は一輪車を押してくる。その上には小さなコンロがあり、「万能」鍋が取り付けてあり、大根のように太い赤い皮の、麦の裏作で植えたさつまいもを煮る。買う時には、売り子は手当たり次第に中からひと固まりをすくい上げ、まな板の上で細かく切ると、粗末なお碗に入れ、鍋から小さじに一杯、ねっとりした甘い汁をすくって上からふりかける。値段は焼き芋より安く、食べてみると焼き芋より美味しい。

■ 近人沈太《春明采風志》記云:
 白薯与山薬同類,山東人呼為紅山薬,都人冬令,多担鍋売此者,至鍋底帯汁者味佳。近又烤熟売者亦佳。

 近世の人、沈太の《春明采風志》の記述に言う:
 さつまいもと山芋は同類であり、山東人は“紅山薬”と呼ぶ。都では冬の間、鍋を担いでこれ売る者が多く、鍋に汁を入れて売っている方が味が良い。最近は焼き芋のよく焼けたのを売る者もあり、これも美味しい。

■ 据沈太記載,似乎早年間只有売煮白薯的,烤kao3白薯還是后来興起的,因手辺無文献,未及詳考。北京最講究吃麦茬白薯,就是夏天割完麦子,在麦子地里種的白薯,這様的白薯長的不大,但甜、香、膩三者俱備,有特殊風味。至于為什麼会如此,那是農藝学家研究的問題,我就無従回答了。

・無従 wu2cong2 ~する方法がない。~しようがない

 沈太の記述によれば、当初は煮芋だけが売られていて、焼き芋は後に始められたようだが、手元に文献が無いので、細かい考察はできない。北京で最もよく言われる麦の裏作のさつまいもというのは、夏に麦を刈り取った後、麦畑に植えたさつまいものことで、こうしたさつまいもは、あまり大きくならないが、甘さ、香り、ねっとり感の三つを備え、特別な風味がある。どうしてそうなるかは、農業技術の学者の研究の問題なので、私は答えようがない。

■ 値得欣喜的是,近年京滬両地,又有売烤kao3白薯的了。而煮白薯鍋底帯汁者却仍没有売的,対此只能不断地思念着了。

 喜ばしいことに、近年は北京と上海の両方で、また焼き芋売りが現れた。しかし煮芋の鍋に汁を入れたものはまだ売られていない。これは引き続き懐かしく思い続けるしかない。


【出典】雲郷《雲郷話食》河北教育出版社 2004年11月


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【対訳】《雲郷話食》を読む: 蘿蔔 (だいこん)

2011年01月23日 | 中国グルメ(美食)


 中国では、立春の日に生の大根を食べる習慣があります。それを“咬春”、春を咬む、と言います。寒く厳しい冬が終わり、新春の恵みを舌で味わう、“咬春”とはたいへん洒落た表現だと思います。

■ 在北京寒冷的冬夜里,在深深的胡同中,遠遠地飄過来“蘿蔔賽梨啊 ―― 辣了換 ―― ”的市声,清脆而悠揚地劃破夜空,伝人一所所的四合院中,直到炉辺,打断好友的夜談,打断学子的夜読,也驚醒旅人的沉思…… 買個蘿蔔去,摸黒出去,開開小院門,喊住売蘿蔔的。那穿着布棉襖、戴着氈帽的朴実的漢子,把肩上的背箱卸下,把手提的小煤油灯放在背箱的板上,掀起箱蓋下的棉簾子,拿出一个緑皮的蘿蔔,左手托着,右手拿起一把小刀,用拇指貼牢,嗖sou1嗖sou1嗖sou1几下子,便把蘿蔔皮切成一个蓮花瓣形。然后再把中間的蘿蔔心垂直,横竪切上几刀,這様中間蘿蔔心変成碧緑、透明的立柱,連皮在一起,就像一朶神話中的玻璃翠玉的花朶子。拿回来,坐在炉子辺,対着紅紅的炉火,一面剥着蘿蔔,放在嘴中慢慢咀嚼,一面閑談。那蘿蔔又涼、又脆、又甜、又微微帯点辣味那滋味不是我的禿筆所能形容的。

・飄 piao1 ただよう。(においや音が)伝わってくる
・市声 shi4sheng1 もの売りの声
・氈帽 zhan1mao4 フェルトの帽子
・嗖 sou1 [擬声語]素早く通り過ぎる時に生じる音。
・横竪 heng2shu4 楯横に入り混じる
・碧緑 bi4lv4 碧玉
・立柱 li4zhu4 円柱
・禿筆 tu1bi3 ちびた筆。悪筆、悪文のたとえ。[例]這種情景,我的禿筆実在難以描写(このような情景は、私のまずい筆ではとても書き表せない)

 北京の寒い冬の夜、奥深い胡同の中で、遠くから「梨より美味しい大根だよ――辛かったら取り換えるよ――」というもの売りの声が聞こえてくる。澄んだ抑揚のある声が夜空をつんざき、四合院の中を一ヶ所一ヶ所伝わって行き、ストーブのあたりに伝わり、親友との語らいを遮り、学生の勉強を遮り、旅人を物思いから我に返らせる……。大根を買って来ようと、手探りで家の門を開け、大根売りを呼びとめる。綿入れの上着を着て、フェルト帽子を被った質素ななりの男は、肩に担いだ背箱を下ろし、手に提げた石油ランプを背箱の上に置き、箱の蓋の下の綿の覆いをめくり上げ、緑の皮の大根を一本取り出す。左の手のひらの上にそれを載せ、右手で小刀を持ち、親指でしっかり支え、シュッ、シュッ、シュッ、と何回か手を動かすと、大根の皮は蓮の花びらの形に切り取られる。その後、真中あたりで中心に垂直に、縦横に何回か刀を入れると、大根の中心部は碧玉のようになり、透明な円柱は、皮と共に、神話の中のガラスや翡翠でできた花のようになる。持って帰り、ストーブの傍で、赤々としたストーブの炎に対坐し、大根の皮を剥き、口の中に入れてゆっくりと咬みながら、おしゃべりをする。この大根は冷たく、サクサクと歯ざわりが良く、甘く、またちょっと辛味があり、その滋味は私のまずい筆では形容できるものではない。

■ 《光緒順天府志》記云:
  水蘿蔔,圓大如葖tu1,皮肉皆緑,近尾則白。亦有皮紅心白,或皮紫者,只可生食。極甘脆,土人呼為“水蘿蔔”,今京師以西直門外海淀出者優美。

・葖 tu1 “蓇葖”gu1tu1(袋果、つぼみ)という語に用いる

 清の《光緒順天府志》の記載に言う:
 “水蘿蔔”は丸く蕾のようで、皮と果肉は何れも緑で、尖端近くが白い。また皮が赤く中が白いものや、皮が紫色のものがあり、生食に適する。極めて甘く歯ざわりが良く、土地の者は“水蘿蔔”と呼び、現在は北京の西直門外の、海淀(北京市内の西北部。北京大学や清華大学があるあたり)で産するものが優良である。

■ 吃這種蘿蔔,不但滋味好,情調好,不能提精神、解気悶。因為北京冬季天寒,家家戸戸関門取暖。房中只有三様東西:火炕、煤球炉子、火盆。房中門窓,糊得很厳密。住在里面固然温暖,但却十分干燥,煤気味很重,人并不舒服,這時若吃個又涼、又脆、又爽口的蘿蔔,精神便可為之一振。因之,蘿蔔便成為北京冬日囲炉夜話的清供了。

・情調 qing2diao4 気分
・清供 qing1gong4 “供”は供え物の意味から転じ、愛玩品の意味で用いられる。“清供”は昔の文人の間で、書斎での生活に彩りを与える調度品や文房四宝のことを言った。

 こうした大根を食べると、美味しいだけでなく、気持ちもよくなり、気が高ぶらず、イライラを解消することができる。北京の冬は寒く、どの家も閉め切って暖を取る。家の中には三つのものがあるだけである:オンドル、豆炭ストーブ、そして火鉢である。家の入口も窓もぴったり閉め切られている。中に居ると温かいが、たいへん乾燥し、石炭の臭いも甚だしいので、快適ではない。こんな時、冷たく、サクサクとした、さわやかな大根を食べれば、気分がすっきりする。だから、大根は北京の冬にストーブを囲んで夜の語らいをする時の友となった。

■ 康熙時高士奇《城北集灯市竹枝詞》云:
  百物争鮮上市夸,灯筵已放牡丹花,咬春蘿蔔同梨脆,処処辛盤食韭芽。

・灯市 deng1shi4 農暦の正月十五日の元宵節に、夜、飾り提灯を飾る習慣があり、その際、謎々や詩を書いた紙がつり下げられた。
・竹枝詞 zhu2zhi1ci2 七言絶句に似た漢詩の形体で、土地の風俗、人情が詠まれた。
・咬春 yao3chun1 立春の日に大根を食べる習慣をいう。
・辛盤 xin1pan2 昔、農暦の正月一日に、ネギ、ニラなどの五種類の辛味のある野菜を皿に並べて皆で食べ、新しい年の到来を祝ったもの。

 清・康煕帝の時、高士奇は《城北集灯市竹枝詞》でこう言っている:
 様々なものが新鮮さを競い、市場で売り出されている。提灯で明るく照らされた宴席にはもう牡丹の花が置かれ、出された大根は梨のように歯ざわりが良い。各テーブルに置かれた皿からは韮や葱が食べられている。

■ 詩后注云:“立春后竟食生蘿蔔,名曰‘咬春’,半夜中,街市猶有売者,高呼曰:‘賽過脆梨。’”

 詩の後の注に言う:「立春の後、生の大根を食べることを、“咬春”という。夜ふけになっても、街にはなお物売りがいて、大きな声で「梨より歯ざわりが良く美味しいよ」と呼ばわっている。」

■ “蘿蔔賽梨啊 ―― 辣了換!”
  這種市声従清初就有,可見這已是二三百年的古老市声了。不過高士奇着重説的是立春,立春俗名打春,或在正月,或在腊月,按節気推算,在旧暦上日期并不固定,而売蘿蔔則一交厳冬就有,足足可売一冬天。旧時北京冬夜中,有四種市声均可入詩,作為歌風的好題材,一是売硬面餑餑bo1bo的,二是売蘿蔔的,三是売“半空儿”的,四是売煤油的。

・硬面餑餑 ying4mian4bo1bo “硬面”は固くこねた小麦粉。“餑餑”は小麦粉を使った焼き菓子、クッキー。
・半空儿 ban4kong1r “半空”とは半分が空のこと。“半空儿”とは、殻より身がずっと小さいピーナッツのことで、その方が香ばしく美味しいと好まれた。

 「梨より美味しい大根だよ――辛かったら取り換えるよ!」
 こういうもの売りの声は清の初めからあったので、既に二三百年経った古いものであることが分かる。しかし高士奇が殊更に言ったのは“立春”である。立春は俗に“打春”と呼ばれ、或いは正月、或いは12月で、節季から計算され、旧暦では日にちは変化する。また、大根は冬の寒さが厳しくなると現れ、冬中出回る。昔の北京の冬の夜は、四つのもの売りの声が詩に取り上げられ、歌の雰囲気を作る良い題材であった。その一つは“硬面餑餑bo1bo”(クッキー)売り。二つ目は大根売り。三つ目はピーナツ売り。四つ目は灯油売りであった。

■ “半空儿 多給!”
  其声穿破夜空,飄揚在長長的胡同中,也是囲炉時最愛聴到的市声。“走,買半空儿去!”“半空”者,份量軽而干癟bie3的炒落花生也,吃起来,比顆粒飽満的要香得多呢!

・干癟 gan1bie3 干からびる。

 「半空儿(ピーナツ)、おまけしとくよ!」
 その声は夜空をつんざき、長い長い胡同を伝わり、ストーブを囲んでいる時も最も好きなもの売りの声であった。「さあ、半空儿(ピーナツ)を買いに行こう!」 “半空”というのは、分量が少なく、干からびたピーナツを炒ったものである。食べてみると、粒が大きく殻にいっぱい詰まっているものよりずっと香ばしい!


【出典】雲郷《雲郷話食》河北教育出版社 2004年11月


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【対訳】雲郷の食べ物話《雲郷話食》を読む: 凍柿子

2011年01月22日 | 中国グルメ(美食)

 


 今回は、北京独特の冬の食べ物として、“凍柿子”、凍り柿を取り上げたいと思います。柿にこういう食べ方があったことを、今回この文を読んで初めて知りました。けれども、今は、まさかこの話のように窓の外に柿を出しておいて凍らすようなことは、北京の街の中では見られないでしょう。

■ 在北方籍的詞曲作家中,顧季(名随)先生很著名的,如果健在,已近百歳,可惜早已去世了。他曾経是我的老師,我聴過他両三門課。顧先生講話極為風趣,嫻于辞令,他愛聴戯,也愛談戯,講課時常愛用戯来打比喩,常説:“我就愛聴余叔岩的戯,又沙唖,又流利,聴了真痛快,像六月里吃氷鎮沙瓤ran2大西瓜,又像数九天吃冰凍柿子一様,真痛快呀 ―― 啊!”説完了最后還作個表情,“啊”一声,引得同学們哈哈大笑。想起来,這已経是四十多年前的事了。顧季夫子作古也多年了,但這旧事却還歴歴如昨。沙瓤ran2大西瓜南北各地都有,并不算稀奇,而這三九天的凍柿子,却実在令人懐想。

・詞曲 ci2qu3 詞と曲の総称。戯曲。
・風趣 feng1qu4 ユーモア。諧謔味。
・嫻 xian2 熟練している。巧みである。/嫻于辞令:応対が上手である
・沙唖 sha1ya3 声がかれる。しわがれる
・沙瓤 sha1ran2 (西瓜などの)さくさくとして歯切れのよい果肉
・作古 zuo4gu3 亡くなる。逝去する
・歴歴如昨 li4li4ru2zuo2 まだ昨日のことのようにありありと眼に浮かぶ
・三九天 真冬の最も寒い時。/冬至から数えて最初の9日間を“一九”、次の9日間を“二九”、その次の9日間を“三九”といい、この27日間をまとめて“三九”と言うこともある。

 中国北方出身の戯曲作家の中で、顧季(名随)先生はたいへん有名で、もし健在であれば、既に百歳近くになるが、残念なことにとっくに亡くなられた。先生は嘗て私の師であったことがあり、私は先生の授業を二、三科目聞いたことがある。顧先生の話はたいへんユーモアがあり、話が巧みであった。芝居が好きで、芝居のことを話すのが好きで、講義の時はいつも芝居のことを譬えにするのが好きで、いつもこう言っていた。「私は余叔岩の芝居が好きで、寂びがあるし、流れが良く、聞いていて気持ちが良く、ちょうど六月に冷たく冷やしたサクサクとした西瓜を食べるようだ。また九日数えて凍らした柿を食べるように、本当に気持が良い ―― ああ!」こう言うと、最後にまたうっとりしてみせたので、「ああ!」と一声あげると、クラスの皆は大声をたてて笑った。思い返してみると、これはもう四十年余り前のことだ。顧季夫人が亡くなってからも何年も経つが、まだ昨日のことのようにありありと眼に浮かぶ。サクサクとした西瓜は全国どこにでもあり、珍しくないが、この真冬の凍らせた柿は、本当に懐かしく思い出される。

■ 北京是一个出産柿子的地方,西北山一帯,漫山遍野到処都是柿子樹。

 北京は柿の産地の一つで、西北の山地一帯は、そこら中が柿の木だらけである。

■ 《光緒順天府志》記云:柿子赤果実,大者霜后熟,形圓微扁,中有拗,形如蓋,可去皮晒干為餅。出精液,白如霜,名柿霜,味甘,食之能消痰。

・拗 ao4 なめらかでない。くびれる
・柿霜 干し柿の表面に吹く白い粉。漢方薬として、喉の痛みや咳に用いる。

  《光緒順天府志》の記載に言う:柿は赤い色の果実で、大きなものは霜が降りてから熟れ、形は丸く多少扁平で、真ん中がくびれていて、形は蓋のようで、皮を剥いて乾せば干し柿になる。精を出せば、霜の如く白くなる。名を柿霜といい、味甘く、これを食べれば痰を消すことができる。

■ 柿子的種類很多,如硬柿、蓋柿、火柿、青柿、方柿等等,全国各地都有出産,其中北京出産的最多的是蓋柿,就是所説的中有拗,形如蓋的,其次出産一些小火柿,俗名牛眼睛柿。北京西山一帯出産柿子的山村,也晒柿餅,但数量不多,因離城近,大都運到城里来売了。柿餅是河南、陝西一帯的特産,柿霜糖是柿子的精華,晒柿餅時的重要副産品,性極涼,是治小孩口瘡、咽喉炎等症的特効薬。吃也很好吃,又甜又涼,入口即化,也是河南的名産。而這種最普通的東西,現在不知怎麼也少見了。

・柿餅 干し柿
・口瘡 kou3chuang1 口内炎
・柿霜糖 “柿霜”と同じ意。上記説明参照

 柿は種類がたいへん多く、硬柿、蓋柿、火柿、青柿、方柿などがあり、全国各地で取れるが、そのうち北京で生産の最も多いのが“蓋柿”で、字の如く真ん中がくびれて、形が蓋のようである。その次に生産が多いのが小ぶりな火柿で、俗名を“牛眼睛柿”(牛の眼の形の柿)という。北京の西山一帯で柿を生産する山村では、干し柿も作るが、数量は多くない。なぜなら都市に近いので、大部分は町に持って行って売ってしまうからである。干し柿は河南、陝西一帯の特産で、“柿霜糖”は柿の精華で、干し柿を晒す時の重要な副産物である。その性質は極めて“涼”(漢方で言う“熱”の反対)であり、子供の口内炎、喉の炎症などの特効薬である。食べてもたいへん美味しく、甘くかつ冷たく、口に入れると融け、河南の名産である。このような極めて普通のものが、今はどうした訳かあまり見かけなくなってしまった。

■ 在北京吃柿子,最好是冬季数九天吃凍柿子。北京冬天室中生火炉,天气越冷,炉子弄得越旺,也越干燥,人們反而想吃一点水分多的,涼陰陰的東西。人們把買来的柿子,放在室外窓台上凍,等到凍得像个氷坨子的時候,就可吃了。飯后大家囲炉聊天時,把這凍柿子拿来,洗干浄,放在一盆冷水中消一消,等到全部変軟便可吃了。這時柿子的内部組織,経過一凍一融,已経全部変成流体,用嘴向柿子皮上軽軽一吸,便可把氷涼的柿子乳汁吸到口中,那真是又涼又甜,遠勝過吃雪糕,難怪北京売柿子的都呟喝: “喝了蜜的,大柿子!” 喝了蜜 ―― 該是多麼甜呢?

・坨子 tuo2zi 塊になったもの
・呟喝 yao1he 大声で叫ぶ。物売りが呼び売りする時に用いる。

 北京で柿を食べるなら、一番良いのは冬に九日待って凍らせた柿を食べるべきである。北京では冬、部屋の中でストーブを焚く。天気が寒くなるにつれ、ストーブの火は益々盛んに燃やされ、中は益々乾燥するので、人々は却って水分の多い、ひんやりしたものが食べたくなる。人々は買ってきた柿を、室外の窓の台の上に置いて凍らせ、それが凍って氷の塊のようになったら、食べごろである。食後、皆がストーブを囲んでおしゃべりをしている時、この凍らせた柿を持ってきて、きれいに洗い、冷たい水を入れた鉢の中に入れて融かしてやる。完全に柔らかくなったら食べごろである。この時、柿の内部組織は、一度凍らせてから融かされたので、もう全体が流体に変わってしまい、口で柿の皮の上から軽く吸えば、冷たい柿の汁を口に吸い込むことができる。それは本当に冷たくて甘くて、アイスクリームよりずっと美味しい。道理で北京の柿売りは、こう呼びよせるはずだ。「飲んだら甘い、大きな柿だよ!」飲んだら甘い ―― どれだけ甘くないといけないのだろう?

【出典】雲郷《雲郷話食》河北教育出版社 2004年11月

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