のんきいきいき So(走) Happy! -櫻庭健一の日記-

いつも笑顔と感謝を忘れずに
甘っちょろいと言われても希望を捨てず生きる
過去の少しの試練はそれで乗り越えたのだから

パリで同時多発テロ。対抗は当然でも「殺」が基本の彼らの発想に毒されてはならない。

2015年11月14日 13時19分55秒 | Weblog
>私、夢見生のHP本舗“裕遊字的(ゆうゆうじてき)(http://ikiru.jp/)”内、今日の字遊航海(http://ikiru.jp/?p=4480
#パリ同時多発テロ:オランド大統領が非常事態宣言(毎日jpより)

無差別テロ。
絶対に許されることではない。
テロを物事の解決手段にする。
浅はかなことだ。

そして一方。
テロという理不尽な暴力に対抗するのもまた暴力になるという矛盾。
相反するものを皆殺しにする。
そういうテロリストを皆殺しにする。
「皆殺しにする」が正義になる。
それもまた悲しい現実。

テロを認めるわけにはいかない。
テロリストは許せない。
それは正しいことだけれど。
テロリストの駆逐に躍起になるうちに。
こちらの目も血走ってくる。

テロそのものもテロリストたちの罪。
それは限りない憎しみと暴力の連鎖を生む。
その罪も大きい。

平和的になどとのんきなことを言っていられない。
もはや、話し合いで解決する問題ではない。
テロリストは容赦なく撃て。
現場ではそれくらいの意思がないと、テロを防ぐことはできない。
間違いのない現実。

殺すことを躊躇したら殺される。
まさに戦場の理屈。
それが一般の生活も浸食しようとしている。

テロリストを殺すことをためらったら、テロでもっとたくさんの死者が出る。
卑怯なヤツらは一般人、民間人を盾にすることもある。
一般人、民間人の犠牲はテロそのものによる以外でも発生してくる。

世界中に無数に散らばるテロ集団を根絶やしにするのは非常に困難。
現実的に考えて不可能と言ってもいいだろう。
根絶やしが困難ならばね。
負けずに困難に思える「彼らを変えてやる」というオプションも「現実的手段」として用意しておいたほうがいい。

テロリストが愚かなら、結果テロリストと同じ発想「敵は殺せ、とにかく殺せ!」にこちらまで浸食されるのも愚かとは言えないだろうか。
話し合いでは解決しない。
それが事実なら。
殺し合いだけでは解決しない。
もまた事実でしょう。

かつて日本には仇討ちという復讐の大義があった。
それは「殺されたら殺す」という大義、正義だった。
今それが「殺される前に殺す」という正義になろうとしている。
「目には目を、歯には歯を」
は復讐を認める言葉でもあり同時に
「目をやられたら(殺さずに)目をやり返すまでにしなさい」
という過度の復讐を戒める言葉でもあったはずだ。

テロリストに対抗する。
それが本来の発想であったはずなのに
殺される前に殺す。
その戦場の発想を日常に持ち込もうとするテロリスト。
憎むべきテロリストのその発想にこちらが影響され毒されてしまう。
悲しいじゃありませんか。
悔しいじゃありませんか。

殺されても殺さない。
そんな仏の境地に私は達せそうにない。
ならばどこかでね。
殺されたくないなら殺さない。
その発想に転換しないと。
殺されたら殺す。
それがいつの間にか
殺される前に殺す。
になってしまって。
永遠に殺しの連鎖が止まらなくなってしまう。

テロを受けて悲しみに暮れる。
対抗、そして復讐に燃えようとする人たちがいる。
そんな今だからあえて言いたいのです。
こちらの本来のペースも決して忘れることなく頭のどこかに置いておきましょうよ。
テロリストに影響されない、対抗するためにも。
もう一度言いたいのです。

殺されたくないなら殺さない。

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