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アメフトを日本でもプロスポーツとして普及したいという思惑が働いているが、スポーツを広告塔にするためにチアリーダーとワンセットにするやり方は露骨すぎて日本では普及しない

2018年05月24日 | 学歴もスポーツも同じ

今回の記事は、「日大アメフト部タックル事件」が盛り上がっているため、アメフトについて書いていきたいと思います。

おそらく読者の方でアメフトをされていた方は少ないと思いますし、やっていた関係者も周囲には少ないのではないでしょうか?

私の大学時代では同級生にアメフト経験者は1割いればいいくらいでしたしアメフト部がある大学自体珍しかったです。

アメフトをしていた友人は真面目で、知的な人柄でしたが、今回のような勝敗がかかったり、大学のメンツがかかるとなると、このような非人道的な行為を監督の指示で平気で行ってしまうのかと思うと、アメフトがいかに有害であり悪なるスポーツに成り下がってしまったのかよく分かります。

スポーツはプロスポーツ化するとどうしてもそこに性的欲望や地位名誉がついてくるため、アマスポーツでもサルのような行為を平気でします。以下のリンクを参照ください。

( スポーツの嘘)稲村亜美さん、飢えた野球少年達に襲われる )

プロまであると、どうしてもそのスポーツで実績を残すことで、進学、就職が有利になることは間違いありませんし、それで得したり社会的地位までが得られてしまうのですからもはやスポーツの目的を超えて、人を狂わせてしまうものに成り下がってしまう、そのため今回のような事件が後を絶たないのかと考えられます。

アメフトを調査していたところ、アメフト自体は、米国では断トツでナンバーワンスポーツであり、日本でいう「野球、サッカー」の地位がアメフトであるということが分かりました。

当然、日本ではプロ野球選手やプロサッカー選手は、1年を通じて賞賛され、社会的地位も高く、政治的、経済的影響力も強いため、女優や有名人と結婚したり、広告塔として、政治家としても活躍する人が多いことが分かりました。

また、今回はアメフトの選手同士のトラブルでしたが、実はアメフトはチアリーダーがセットで存在し、そのチアリーダーとアメフト選手との不適切な関係があった事件もあります。

そして、アメフトを日本に持ち込んで、広告塔として、プロスポーツとして普及させようとしていた大物財界人の事実もわかりました。

アメフトはいかにも「バカ騒ぎ、どんちゃん騒ぎ感が強い」ため日本では受け入れられないのかと感じます。

結果として、今回のような事件が起きてしまいましたが、人間はアメフトならず、「この世で何かを使って得したい、成功したい」と思い、今回がたまたま「アメフト」であっただけだったのです。 

今回、殺人タックルした選手も「アメフトをやって、ここまで人生これた」と考え、「自分の将来のためにはチームに貢献しなくてはいけない」という利己的な考えをもとに、監督の指示のもとに実行したにすぎません。

それだけ、アメフト業界で戦績を残すことによる利権や自分が得することがあったのでしょうが、自分の地位や名誉、将来の仕事のことなどしか考えず、下手したら相手の人生が終わってしまうような行為を平然とさせてしまう、この「アメフト」という競技の悪魔性、恐ろしさを物語ってくれる良い事件だったのではないでしょうか?

それではまず、「アメリカンフットボールとは」についてそして、「日本とアメリカンフットボールの関係」について見ていきましょう。

・・・・・・・・・・(アメリカンフットボール(英語: American football)

フットボールの一種であり、楕円形のボールを用いて2つのチームで得点を競い合うスポーツ(球技)。略称はアメフトまたはアメフット。米式蹴球あるいは鎧球(がいきゅう)とも。

人気
全米一番人気スポーツ
アメリカの世論調査
順位
最も好きなスポーツ
1 アメリカンフットボール 37%
2 バスケットボール 11%
3 野球 9%
4 サッカー 7%
5 アイスホッケー 4%
出典:ギャラップ[4]
アメリカでは不動の一番人気スポーツである。歴史的に人気が高かった野球に取って代わり、アメリカの“国技”、“国民的娯楽”であるという意見が主流を占めるまでに至った[5][6]。

アメリカの大手世論調査会社ギャラップが2017年12月に調査した結果によると、「最も観戦するのが好きなスポーツ」では1位はアメリカンフットボール(37%)である[4]。2位にバスケットボール(11%)、3位に野球(9%)、4位にサッカー(7%)が続いた[4]。また、アメリカのワシントン・ポストが2017年に発表した人気スポーツの世論調査によると[7]、 「最も観戦するのが好きなスポーツ」では1位はアメリカンフットボール(37%)である。2位にバスケットボール(11%)、3位に野球(10%)、4位にサッカー(8%)が続いた。アメリカ大手世論調査会社ハリス・インタラクティブの2015年12月時点での調査[8]によると、最も好きなスポーツのトップはプロアメリカンフットボール(33%)であり、2位に野球(15%)、3位に大学アメリカンフットボール(10%)が続いた。プロと大学を合計した場合、アメリカンフットボールは43%であり、15%の野球に対して圧倒的な差をつける結果となった。この調査は1985年から開始されており、1985年時点ではプロアメリカンフットボール(24%)と野球(23%)は僅差であったが、それ以降その差は広がる傾向にある。

プロリーグであるNFL(ナショナルフットボールリーグ)は、北米4大プロスポーツリーグの中で最も人気のあるリーグであり、1試合の平均観客動員数が6万7000人を超えている。

経済的に世界最大のプロスポーツリーグでもあり、2014年シーズンの収益は120億ドルを記録した[9]。

NFL王座決定戦であるスーパーボウルは、アメリカ最大のスポーツイベントであり、全米テレビ番組史上視聴者数トップ10のほとんどを占めている。

レギュラーシーズンの視聴率も非常に高く、数多くの試合がワールドシリーズやNBAファイナルの視聴率を上回る。

2013年の全米視聴率ランキングにおいても、上位10番組の中でNFLが9つを占めた[注 3][10]。

また、同年のスポーツ番組の全米視聴者数トップ50の中でNFLの試合が46を占めた[11]。

大学リーグであるカレッジフットボールも非常に人気が高い。ESPNの調査によると、熱狂的なファンの数はメジャーリーグベースボールなどを上回り、NFLに次ぐ2位のスポーツリーグである[12]。特に大学生を中心とした若年層やハーバード大学など多くの名門大学も参加することから、高学歴層の関心が高い[8]。

シーズンの観客動員数は約5000万人であり[13]、ミシガン大学のスタジアムが200試合連続で10万人以上の観客動員数を記録するなど、多くの強豪チームが1試合平均8万人以上の観客動員数を誇る。

1月に行われるカレッジフットボールの全米王座決定戦も視聴率が非常に高く、ワールドシリーズやNBAファイナルの視聴率を上回る場合がほとんどであり、2013年はNFLを除いて全米で最も視聴者数の多いスポーツコンテンツであった[11]。

一方、アメリカンフットボールの競技人口は2006年の1010万人をピークに900万人(2011年)へと減少に転じており[14]、バスケットボール(2610万人)や野球(1230万人)よりも少ない[15]。ただし、男子高校生や男子大学生のカテゴリでは2010年時点で最も競技人口が多い[16][17]。

日本における事情
スーパーボウルをはじめとしたNFLの主要ゲームや、国内でも学生・社会人のチャンピオンシップ戦である甲子園ボウルやジャパンXボウル、日本一のチームを決定するライスボウルといったボウルゲームでは地上波やBSで中継がある。またその他のNFL、社会人のXリーグ、関西学生リーグ、高校選手権クリスマスボウルのCS中継、関西ローカルで学生・社会人の地上波TV中継も一部ある。国内試合は伝統的に関西地区での人気が高く、80年代の京都大学ギャングスターズの全国制覇以後は、秋期の関西地区の主要ゲームには万単位の観客が集まっている。

<中略>

ルールの整備
初期のアメリカンフットボールが形作られた。そして1885年9月3日には最初のプロフェッショナル・フットボールゲームがプレーされた。しかし、1888年にひざ下へのタックルが合法化されたことでフットボールは血みどろの闘争競技と化し、ついには初のゲーム中の死亡者を出すことになる[18]。

20世紀に入ると、このスポーツでの負傷や事故の多さ(死亡事故も含む)が社会的問題となった。時には「殺人ゲーム」と呼ばれるほど粗野で野蛮なゲームであったため、次第に世間からの非難の声が高まっていった[20]。1905年10月、この事態に時のセオドア・ルーズベルト大統領はホワイトハウスにエール大、ハーバード大、プリンストン大の各責任者を招集してフットボールの健全化を要求、この競技をもっと安全でクリーンなものにするか、さもなければ禁止するよう意見した[20]。事実、コロンビア大学は、もっと安全になるまで事態をうかがうということで10年間活動を中止、ノースウェスタン大学は1年間棄権、スタンフォード大学とカリフォルニア大学はラグビーに転向してしまった[20]。さらに悪いことに、

その年の暮れにシカゴ・トリビューン紙によってフットボールの試合で18人が死亡し、154人以上が重傷を負っていることが報道され、競技への非難は頂点に達した[20]。議会では廃止論が叫ばれ

コンタクトが少なく安全なサッカーに転向すべきだという意見が噴出した[20]。1906年1月21日、関係者たちはさっそくルールを改正すべく集まりを持った。

NFLの歩み

競技が普及するにつれて、各地のアスレチック・クラブでプレーする選手たちは次第に報酬をもらうようになって行った。1892年、エール大出身のウィリアム・ヘッフェルフィンガーが1試合500ドルの報酬で最初のプロ選手となり、1893年には年間契約のプロ選手が誕生している[21]。1895年に16歳のジョン・ブラリアーが1試合10ドルでプロに転向することを初めて公表[22]。1896年にはいくつかの試合をプロだけで構成されたチームで戦うクラブが現れ、1889年、ついにカージナルスがプロチームとして誕生した[

・・・・・・・・・・(転載ここまで)

アメフトはアメリカでは二人に1人は観戦しているスポーツなのですね。

日本と風土が違うのを感じます。

その盛り上がりについては以下の動画をご覧ください。

「HEAL THE WORLD」 Michael Jackson 和訳付き LIVE with Lyric

NFLスーパーボールハーフタイムショーには歴代のスターがパフォーマンスを披露しています。

1.レディー・ガガ
2.ビヨンセ&ブルーノ・マーズ&コールドプレイ
3.ケイティ・ペリー
4.レッド・ホット・チリペッパーズ
5.ジェニファー・ハドソン
6.デスティニーズ・チャイルド
7.ニッキー・ミナージュ&マドンナ&エムアイエー
8.ブラック・アイド・ピーズ
9.プリンス
10.ザ・ローリング・ストーンズ
11.ポール・マッカートニー
12.ジャネット・ジャクソン&ジャスティン・ティンバーレイク
13.グウェン・ステファニー&スティング
14.U2
15.スティーブン・タイラー&ブリトニー・スピアーズ
16.ジェームズ・ベルーシ&ジェームズ・ブラウン
17.ダイアナ・ロス
18.トニー・ベネット&パティ・ラベル
19.マイケル・ジャクソン

また、広告料もとてつもない金額になります。以下のリンクを参照ください。

スーパーボウルCM「30秒6億円」は安いと断言できる理由 | Forbes JAPAN 

30秒、6億円のCM広告料金ですよ!それくらい全米に大きな影響を及ぼすプロスポーツがアメフトだということを物語っています。

アメフトの歴史を見ると、「殺人スポーツ」と揶揄されていたり、1888年には膝下のタックルが認められ、死亡者が出ます。

さらにルールが改正されるまで「その年の暮れにシカゴ・トリビューン紙によってフットボールの試合で18人が死亡し、154人以上が重傷を負っていることが報道され、競技への非難は頂点に達した[20]。議会では廃止論が叫ばれた」とあるように、まさに殺人のための儀式のような競技であることが物語られています。

プロスポーツとしては

「1892年、エール大出身のウィリアム・ヘッフェルフィンガーが1試合500ドルの報酬で最初のプロ選手となり、1893年には年間契約のプロ選手が誕生している」

<ウィリアム・ヘッフェルフィンガー>

とあります。

エール大学といえば、アメリカを牛耳っている秘密結社フリーメーソンで「スカルアンドボーンズ」がある大学としても有名ですね。

・・・・・・・・(ブッシュとスカル&ボーンズ)

アメリカはフリーメイソンが作った国家のようなもので、そしてフリーメイソンの核がイルミナティだと考えられています。アメリカにはその他の秘密結社も幾つか存在しますが、その中にスカル&ボーンズというエール大学に存在する組織があります。1832年にエール大学内にて結成されて、その名簿は大学内で保管されていますが、1982年を機にその名簿を公開する事はなくなりました。スカル&ボーンズはパワーエリートの組織とも言われていますが、それを支配しているのもイルミナティだとも考えられています。つまりイルミナティは幾つもの秘密結社を動かしている影の支配集団である、という説です。

エール大学関係者と政治家が多いこのスカル&ボーンズのメンバーにはブッシュ親子、ジョン・ケリー(現・国務長官)、ジョン・ロックフェラー・プレンティス(ジョン・ロックフェラーの孫)らがいます。この4人はいずれもエール大学出身です。フリーメイソンほどの人数ではないですが、現代のアメリカを語る上では実に重要な秘密結社と言えましょう。ブッシュについてはメイソンではないと考えられていますが、スカル&ボーンズのメンバー、つまりボーンズマンなのです。イルミナティが幾つもの秘密結社を動かしている核であるという説を用いるなら、ブッシュもケリーもイルミナティです。

<日本のスカルアンドボーンズ>

<イルミナティとスカルアンドボーンズ>

・・・・・・・・・・(転載ここまで)

イルミナティはメディアをスポーツでも支配するために、アメフトに力を入れて、初のプロスポーツ選手を自分たちのお膝元のエール大学から輩出したのかもしれません。

こういった記事でわかるようにアメフトの起源はもともと球技の中でも相当残虐な部類に入り、かつ「フリーメーソンのイルミナティ」と深くかかわっており、メディアを独占するくらいの影響力のあるプロスポーツであるといえます。

では、日本とアメフトの関係を見ていきましょう。

日本との関係を見ていく上で重要になってくるのが、「日本アメリカンフットボール協会」です。

この団体にかかわっている人物を見ていくと、おおよそスポーツとは関係ない人たちばかりが浮上してきます。

では日本アメリカンフットボール協会なるものを見ていきましょう。

・・・・・・・・・(公益社団法人日本アメリカンフットボール協会(にほんアメリカンフットボールきょうかい、英: Japan American Football Association, 略称:JAFA)

日本国内におけるアメリカンフットボール競技を統括する団体である。

歴史[6]
1934年 - 東京学生連盟(現関東学生アメリカンフットボール連盟)発足(立教大、明治大、早稲田大)
1935年 - 慶応大、法政大が加盟
1937年 - 東京学生連盟が設立され、日本で最初の大学リーグ戦が行われた。
1938年 - 立教大、明治大、早稲田大、慶應大、法政大、関西大が日本米式蹴球協会を結成(初代会長:浅野良三)。第1回東西オールスターズ対抗試合が行われ2万5千人の観衆を集めた。
1942年 - 鎧球倶楽部連盟(関東・関西の社会人対象)が発足
1946年 - 関西米式蹴球連盟(同年、関西フットボール連盟に改称、現関西学生アメリカンフットボール連盟)設立
1947年 - 日本フットボール協会が再建(戦後初代理事長:服部慎吾)
1948年 - 第1回ライスボウル開催

・・・・・・・・・・(転載ここまで)

 関東学生アメリカンフットボール連盟の発足者は不明です。

ついで「1938年 - 立教大、明治大、早稲田大、慶應大、法政大、関西大が日本米式蹴球協会を結成(初代会長:浅野良三)」とあります。

実は、関西学生フットボール連盟では「1938年 日本米式蹴球協会設立(浅野良三会長、ポール・ラッシュ理事長)。」とあります。

調べてみると、ポール・ラッシュ理事長も悪の中心的な人物でした。

・・・・・・・・(ポール・ラッシュ(Paul Rusch 1897年11月25日 - 1979年12月12日)

アメリカ合衆国ケンタッキー州出身[1]の牧師。親日家として知られ、日本に多くの業績を残し記念も多く残っている。

生涯
インディアナ州フェアマウントで生まれ、ケンタッキー州ルイビルで育った[2]。1923年の関東大震災後の日本のキリスト教青年会拠点を立て直すために1925年に来日[1][2][3]。ルドルフ・トイスラーを助け、聖路加国際病院の建設資金の募金活動も行った[1]。また山間高冷地で米作に適さなかった清里高原(山梨県北杜市)での酪農、西洋野菜の栽培促進による開拓支援を行った[1]。また、立教大学の教授として経済学や英語の教育をおこなうとともに、アメリカンフットボールの日本での普及に尽力した(詳細は後述)

日本でのアメリカンフットボールの普及
立教大学在職中の1934年に東京学生アメリカンフットボール連盟を設立した[3]。

太平洋戦争中はアメリカンフットボールも敵性スポーツと判断されて中断されたが、戦後の再来日後、1948年に行われた第1回ライスボウルでは始球式のキックを行った[3]。

1961年には日本アメリカンフットボール協会から「日本フットボールの父」と称号をもらった[2]。この業績を記念して1984年からライスボウルの最優秀選手にはポールラッシュ杯が贈られるようになった[3]。

立教大学のチーム名“ラッシャーズ”はポール・ラッシュにちなんで名付けられた(立教大学の別名であるセント・ポールと合わせるとセント・ポール・ラッシャーズとなる)。

GHQでの活動
前記の通り、太平洋戦争後の1945年から1949年まで、GHQ・G2の民間情報局(CIS)に所属した。春名幹男の著書によれば、民間情報局で文書の編集課長をしていた[6]。G2に残された石井ファイル(731部隊隊長だった石井四郎元中将の取調及び免罪工作に関与する文書)には、ラッシュの名前が記された文書が多数残されている。そのことから、春名はラッシュが免罪工作に関わっていたと考えている[6]。このほか春名は、ラッシュが有末精三らを通じて、公職追放者の個人資料収集、戦犯訴追資料として原田熊雄日記(『西園寺公と政局』)の発掘と翻訳(里見弴や吉野源三郎が担当)、吉田茂・白洲次郎・松本重治・片山哲・森戸辰男・福島慎太郎らとの人脈形成などをおこなったとしている[6][7]。

ラッシュは外交官の沢田廉三・美喜夫妻が麹町に所有していた邸宅を接収し、ここをCISの拠点「CISハウス」として使用した[7]。CISハウスには戦犯訴追に関する個人情報が集められ、戦犯リストが作成された[7]。ラッシュには寺崎英成をはじめ政府関係者が接触し、「戦犯を作り出すより、頼まれてもみ消す方が多かった」とされる[8]。

また、1946年1月以降は「日本共産党に関する情報収集」に当たったとされる[8]。加藤哲郎によると、ラッシュは上司に当たるチャールズ・ウィロビーとともに、中国革命に好意を示すジャーナリストを告発する赤狩りの一環としてアグネス・スメドレーを標的としたゾルゲ事件の調査に携わった[9]。1947年8月にCISが作成した報告書について、加藤哲郎はラッシュが作成を指揮したのではないかと推定している[10]。さらに、1949年にはスメドレーに関する情報収集の一環として、戦前に上海でリヒャルト・ゾルゲと関わりのあった川合貞吉を情報源として尋問した[11]。このあとG2は川合に情報源としての報酬を与え、日本の警察とも連携して保護警備し、G2と日本警察は川合が個人的動機で共産党の内情と伊藤律を誣告した内容をも「活用」することとなった

・・・・・・・・・・(転載ここまで)

 ①ルドルフ・トイスラーを助け、聖路加国際病院の建設資金の募金活動も行った

②また、立教大学の教授として経済学や英語の教育をおこなうとともに、アメリカンフットボールの日本での普及に尽力した(詳細は後述)

③1961年には日本アメリカンフットボール協会から「日本フットボールの父」と称号をもらった

④ラッシュが有末精三らを通じて、公職追放者の個人資料収集、戦犯訴追資料として原田熊雄日記(『西園寺公と政局』)の発掘と翻訳(里見弴や吉野源三郎が担当)、吉田茂・白洲次郎・松本重治・片山哲・森戸辰男・福島慎太郎らとの人脈形成などをおこなったとしている[6][7]。

 ⑤ラッシュには寺崎英成をはじめ政府関係者が接触し、「戦犯を作り出すより、頼まれてもみ消す方が多かった」とされる[8]。

①ですが「ルドルフトイスラー」とは聖路加国際病院の創設者で初代院長の医師です。

<ルドルフトイスラー>

聖路加国際病院とルドルフトイスラー、そしてポールラッシュを調べると聖路加国際病院HPに、「ポールラッシュ祭」が毎年開催されていることが記述されていました。しかもその開催場所は「八ヶ岳」なのです。

・・・・・・・・(日米友好のシンボル、聖路加国際病院)

聖路加国際病院は、1902年、米国聖公会が日本に派遣した、25歳のジョージア州出身の宣教医師、ルドルフ・B・トイスラーにより設立されました。当時は質素な救貧院で、建物は築地の外国人居留地の端に建てられた小さな木造家屋を使用していました。設立当初から、公衆衛生の啓蒙活動、子どもの福祉や予防医療に力点をおき、同時に、東京に住む人たちに質の高い看護と医療を提供することを目指していました。

1923年の関東大震災で病院の建物は倒壊しました。すぐにアメリカで新病院建築の資金集めが始まったことから、トイスラー院長は迅速に病院を再建することができました。新病院の設計は、駐日米国大使公邸も設計した建築家、アントニン・レーモンドが手掛けました。1927年には聖路加女子専門学校が開設され、看護学校として日本で初めて最高教育機関として認可されました。

病院は第2次世界大戦中も開業し続けましたが、病院施設は戦後、米陸軍により11年間接収されました。このため占領下では、東京都から借り受けた施設で開業し、日本国民に医療を提供し続けました。

病院建設の資金調達でトイスラー院長を特に支援した人物が、アメリカ人宣教師ポール・ラッシュ博士です。ラッシュ博士は半世紀以上にわたり、山梨県で青少年教育と農業の発展に尽力しました。またアメリカンフットボールを日本に紹介したとも言われています。彼の功績をたたえるポール・ラッシュ祭が、毎年八ケ岳で開かれます

・・・・・・・・・・(転載ここまで)

日本で初めての看護師養成学校の最高機関になったのが聖路加国際病院だそうです。

そして、病院設立のために、お金を集めた のがポールラッシュで、ポールラッシュ祭りが毎年八ヶ岳で開催されています。

ポールラッシュで触れましたが、

「④ラッシュが有末精三らを通じて、公職追放者の個人資料収集、戦犯訴追資料として原田熊雄日記(『西園寺公と政局』)の発掘と翻訳(里見弴や吉野源三郎が担当)、吉田茂・白洲次郎・松本重治・片山哲・森戸辰男・福島慎太郎らとの人脈形成などをおこなったとしている。

 ⑤ラッシュには寺崎英成をはじめ政府関係者が接触し、「戦犯を作り出すより、頼まれてもみ消す方が多かった」とされる。」

とあるように吉田茂などの戦犯をもみ消す代わりに病院設立の資金調達をさせていたのだろうと考えられます。

となると、吉田茂を祖父に持つ、「麻生太郎」もアメフト、そして聖路加国際病院とかかわりある人物となりますね。

そして、毎年開かれるポールラッシュ祭が長野県八ヶ岳で開催されているということですが、八ヶ岳はイルミナティの重要拠点となっています。

・・・・・(縄文時代のメトロポリス(首都)であった八ヶ岳から始まる日本版キブツ 2017-04-16 18:05:34)

聖書の舞台であるイスラエル。

世界一自給自足のコミュニティ作りに長けているユダヤ人は、砂漠を緑地化させて農園作りから村づくりをはじめて、現在ではイスラエルの各地に300近くもの農村コミュニティ(キブツ)を生み出しています。

古代の日本。縄文時代の村もまた、村づくりの基礎は農業からはじまり、自分、家族、親戚、仲間が生きていける環境を生み出すことからコミュニティの一歩が始まっています。

現代のように交通の便が良いから、景観が良いから、お金になる仕事があるから、そんな理由で定住地を決めるのではなく、いかに食べるもの生み出せる環境があるのかが重要なポイントであり、気候、太陽との関係、水、土壌の豊かさ、それが村づくり以前の農地を決める大切な要素であったと思います。

水も確保でき、食べるものも生み出せる場所に居住エリアも作り、結果的に人が集って集合体の村となり、社会が生み出されていきました。

稲作をはじめ、農業は渡来人が日本に来た弥生時代からという教科書の教えもありましたが、ここ八ヶ岳では3000年から5000年前の縄文遺跡がたくさん発掘されており、その中には現代の農機具とはなんら変わりのない古代の石で作った農機具が発掘されています。

縄文人は、大麻をはじめ、雑穀など穀物類を主食して生活しており、農業をしていたということは、集落を作って定住していたことになります。

「縄文回帰」「日ユ同祖論」

そんなキーワードが浮かび上がってくる昨今、この縄文時代のメトロポリス(首都)であった八ヶ岳で再び新たな文明の始まり、日本版キブツの流れを生み出していきたいと思います。いよいよ始まった新たな国づくり。自給自足は、食べ物だけでなく、衣食住の全般をまかなえるように進めていき、そしてエネルギー自給も大きなテーマとして取り組んでいきたいと思っています。

・・・・・・・・・・(転載ここまで)

「縄文回帰?」何言ってるんでしょうか?イルミナティが拠点を長野に作りたいだけだと思うのですが、、、、。

しかし、やたらと金持ちが長野に別荘を建てたがるのは、八ヶ岳がかつて縄文時代あたりの中心地だったと考えられますね

八ヶ岳とイルミナティとの関係について詳しくは以下のリンクを参考にしてください。

八ヶ岳⇒ビル・ゲイツの別荘・・大成建設・・新海誠(ルシファー信仰)・・新津組・・ミサワホーム・・竹中平蔵・・トヨタ・・天皇家一族(トヨタと天皇家は親戚・詳しくは以下のリンクを参照

ポールラッシュ祭により、彼がイルミナティと何らかの関係者でることがわかりました。

そして、この初代院長のルドルフトイスラーも奥さんがメリー・ウッドワードで、メリーのいとこのイーディス・ボリング・ゴート・ウィルソンは米国大統領ウッドロウ・ウィルソン大統領夫人であるであるとwikiに記載がありました。

 <左:米国大統領ウッドロウ・ウィルソン、右:イーディス・ボリング・ゴート・ウィルソン大統領夫人>

ちなみにに「ウッドロウ・ウィルソン」もイルミナティのメンバーです。

その証拠は以下の文章を読めばわかります。

・・・・・・(本当に存在するのか?秘密結社「イルミナティ」にまつわる15の黒い噂)

 誰でも一度や二度はその名前を聞いたことはあるだろうが、この不可解な団体の真の姿を示す確かな証拠を提示できた人は誰もいない。

 だが、元アメリカ大統領のウッドロー・ウィルソンがイルミナティについて次のように語っている。

わたしが政界に入って以来、個人的にわたしを信用して相談してくる人たちがいた。中には商業や製造業分野の大物たちもいたが、彼らは誰かを、そして何かを恐れている。

彼らは秘密裡に巨大な権力が存在しており、それがあまりにも完璧に組織化され、とても用心深いため、その正体をつかむことができず、彼らの結束が固く、広く社会に浸透していることを知っているので、それを非難するときには、声をひそめたほうが安全だと考えている

 ウッドロー・ウィルソンの引用文にある「巨大な権力」こそが、イルミナティの存在を示すのかもしれない。

 我々はイルミナティのような秘密結社について懐疑的だ。だが断片的に流れる情報を得れば得るほど、その恐ろしさは増す。

・・・・・・・・・・(転載ここまで)

 ウッドロー・ウィルソンは「私はイルミナティなんて知らないが、得体の知れない巨大な組織だ」

と語っています。彼は知っていてイルミナティの誇大広告をしている広報担当なのではないでしょうか?

「米国大統領すら恐れる組織がある、それがイルミナティという秘密結社だ!」

と誇大広告を打っているのです。

ですから、 ウッドロー・ウィルソン、とルドルフトイスラーは、ポールラッシュはイルミナティのメンバーだと考えて間違いありません。

彼らが、聖路加国際病院とアメフトを日本に持ち込んだのです。

サタン崇拝しているイルミナティがアメフトを広告塔として、殺人スポーツとして日本に持ち込んだというわけです。

そんなわけで、今回のような日大タックル事件が起こる基礎が作られているわけですね。

続いて、アメフトの日本の歴史に戻りますと

「1938年 - 立教大、明治大、早稲田大、慶應大、法政大、関西大が日本米式蹴球協会を結成(初代会長:浅野良三)。第1回東西オールスターズ対抗試合が行われ2万5千人の観衆を集めた。」とあります。

ここで出てくる、日本米式蹴球協会の初代会長の浅野良三を調べると、「浅野財閥の浅野総一郎」なる人物の次男であることがわかりました

詳しく見ていきましょう。

・・・・・・(浅野総一郎)

浅野 総一郎(淺野總一郎 あさの そういちろう、1848年4月13日(嘉永元年3月10日)

- 1930年(昭和5年)11月9日)は日本の実業家。一代で浅野財閥を築いた。

1873年(明治6年)に石炭や薪炭を売り込む商いによりガス会社とつながりができ、石炭の廃物であるコークスの処分に困っていた横浜ガス局から、コークスやコールタールを安値で買い取り、セメント製造の燃料として用いる方法を開発。ただ同然のコークスを深川のセメント工場に納め、巨万の利益を得た[2]。セメントが建設資材の柱になることにいち早く着目、1884年(明治17年)には官営深川セメント製造所を好条件で払い下げられ、これが浅野セメント(後の日本セメント、現在の太平洋セメント)の基礎となる。この払い下げには取引で浅野の仕事ぶりを見込んだ渋沢栄一の後ろ盾があった。浅野は、王子抄紙部(後の王子製紙(初代))にコークスと物々交換で石炭を納入していたが、人足等と真っ黒になって働く浅野に驚嘆した抄紙部総理渋沢栄一は、浅野を私邸に招き絆を深めた。以来、浅野は渋沢の助言をもとに、水力発電所や鉄道建設など急増する需要を受けて、積極的な経営戦略を展開する。なお、浅野セメントの経営には、渋沢の代理として大川平三郎が加わった。また、横浜から深川までコークスを運搬するために運搬業も始め、それが東洋汽船へとつながっていった[2]。

一方で、1896年(明治29年)には欧米視察に赴き、イギリス、ドイツ、アメリカなどの港湾開発の発展ぶりを目の当たりにする。横浜港に戻るとその旧態依然とした港の様子に衝撃を受け、浅野は港湾を近代化し、工場を一体化した日本初の臨海工業地帯を東京市から横浜市にかけての海岸部に政府の支援を受けずに独力で建設することを計画する。

この大規模計画に神奈川県は当初、二の足を踏むが、浅野の計画の価値を認めた安田善次郎が支援に乗り出したことで動き出す。浅野が浅野セメントを合資会社にする際に安田が出資に協力して以来、安田は渋沢同様に浅野の理解者であった。また安田と浅野は同じ富山県の出身でもあり、安田の事業家精神に浅野は心酔していく。

埋め立て工事は、大正から昭和の初めにかけて約15年間に及ぶ年月をかけて完成、浅野は、浅野造船所(後の日本鋼管、現JFEエンジニアリング)など多数の会社を設立した。その後、第一次世界大戦の特需を受け、一代で浅野財閥を築いた。


功績
日本におけるセメント産業を軌道に乗せ、経営する浅野セメントを当時の最大手企業に育成した手腕から「セメント王」と呼ばれるとともに、1914年(大正3年)には鶴見埋築株式會社(現・東亜建設工業株式会社)を創立して鶴見で東京湾の埋め立てをはじめるなど、京浜工業地帯の形成に寄与した「日本の臨海工業地帯開発の父」でもある。

海運の岩崎弥太郎の牙城をくずすべく、共同運輸会社の設立に参加した。京浜工業地帯の埋立地に鶴見臨港鉄道(鶴見線の前身)を設立し、浅野駅にその名を残す。終点の扇町駅がある「扇町」の地名も、浅野家の家紋の扇に因むものである。また、小倉市(現:北九州市小倉北区)の埋め立て工事も行い浅野の地名が残る。群馬県渋川市に建設された水力発電所・佐久発電所に浅野の妻・佐久の名が残る。また、南武線、留萠鉄道、五日市線の運営にも携わっている。札幌のビール事業の払い下げを政府から受けた大倉喜八郎に渋沢栄一を加えサッポロビールを設立。

戸畑区の戸畑鋳物と共同で自動車開発を行い後の日産自動車の基礎を築いた。

磐城炭礦の再開発およびガラス会社を営む。石炭輸送のために渋沢栄一の尽力で常磐線の平駅・上野駅間を開通させた。東洋汽船社長時代、1921年息子の浅野良三が大正活映を創設、谷崎潤一郎を脚本部に迎えて映画を数本製作した。

興行成績が悪く松竹に売却したが、谷崎の映画活動として文学史に残る事業である。

宮内省にセメントを納め皇居建設の基礎となった。セメント会社で日本初の社内預金制度を採用している。


家族

1909年に東京三田に新築された自邸「紫雲閣」。戦災で焼失するまで、家族の住居のほか、外国賓客の迎賓館として使われた。
妻:サク(佐久) 父長平(婿養子、黒崎五郎兵衛嫡男)、母フサ(長右衛門長女)の三女。鈴木長右衛門(梅渓=狩野梅春貞信)は祖父。


長男:(二代目)浅野総一郎(前名 泰治郎) 元浅野物産会長。妻は板垣退助伯爵の四女 千代子。
次男:浅野良三 元萱場工業(現KYB)社長。妻は武田恭作(工学博士・元大日本鉱業社長)の娘 寿子。
三男:浅野八郎 元関東電工会長。妻は若尾璋八(元貴族院議員・東京電燈社長)の娘 富美。
四男:浅野四郎
五男:浅野末一
六男:浅野義夫 東京シヤリング会長。妻は近藤利兵衛(元近藤商事社長)の娘 久子。
長女:マツ 穂積八束妻。(法学博士・元学士院会員)
次女:マン 白石元治郎妻。
三女:コウ 初清水泰三妻、後鶴田勝三妻。(元関東電気興業社長)
庶子:ヤス 寺田(藤井)洪一妻、(元北越石油会社社長)寺田忠兵衛の夫婦養子。
四女:童女 
五女:タカ 鈴木恒吉養女、鈴木紋次郎妻。(元浅野同族取締役)
六女:初子

七女:慶子 馬杉秀妻。(帝都冷蔵社長)


孫:タカの長女純子は日本電気創業者の一人である岩垂邦彦の子息と結婚した。
孫:慶子の長女井上喜久子は、馬術選手としてオリンピックに3回出場した。
曾孫:浅野昌英はダイエー創業者中内功の長女綾と結婚した(その後離婚)。

・・・・・・・・・・(転載ここまで)

「海運の岩崎弥太郎の牙城をくずすべく、共同運輸会社の設立に参加した。」

「札幌のビール事業の払い下げを政府から受けた大倉喜八郎に渋沢栄一を加えサッポロビールを設立。」

とあることから、秦氏に対抗した人物である可能性が高く、出雲族かもしれませんね。

しかしながら浅野良三の妻は大日本鉱業社長の武田恭作の長女武田寿子と結婚しているのですが

武田恭作の二男:武田漸はというと、妻:岩崎喜代子(東京毛布取締役 岩崎康弥の二女)と結婚しているため

別に岩崎弥太郎と対抗していたというわけではありませんね!以下の家系図「武田家」を参照。

・・・・・・・・(武田家)

◆磯部恭作【武田恭作】1867年 誕生 大日本鉱業社長
 父:
 母:
 養父:
 養母:磯部トヨ
 妻:藤田イチ(藤田鹿太郎の長女)
   長男:武田健一
   二男:武田漸
   三男:武田新
   四男:武田克
   五男:
   六男:武田徹
   長女:武田寿子(浅野セメント専務 浅野良三の妻)
   二女:武田淑子(第一徴兵保険社長 太田新吉の妻)
   三女:武田昌子(★宮井準平の妻)
   四女:武田祐子(川崎芳太郎の妻)
   五女:武田隆子(勧業銀行 清水秀夫の妻)

◆武田健一 1900年 誕生 大日本鉱業監査役
 父:磯部恭作【武田恭作】
 母:藤田イチ(藤田鹿太郎の長女)
 妻:杉村あや子(★弁理士 杉村信近の長女)

◆武田漸 1904年 誕生 石油共販
 父:磯部恭作【武田恭作】
 母:藤田イチ(藤田鹿太郎の長女)
 妻:岩崎喜代子(東京毛布取締役 岩崎康弥の二女)

◆武田新 1906年 誕生 日立製作所  父:磯部恭作【武田恭作】
 母:藤田イチ(藤田鹿太郎の長女)
 妻:山口園子(★長岡銀行頭取 山口誠太郎の三女)

◆武田克 1909年 誕生 満州中央銀行
 父:磯部恭作【武田恭作】
 母:藤田イチ(藤田鹿太郎の長女)
 妻:原口峯子(★男爵 原口一郎の妹)

◆武田徹 1915年 誕生 鐘紡
 父:磯部恭作【武田恭作】
 母:藤田イチ(藤田鹿太郎の長女)

・・・・・・・・・・(転載ここまで)

「1921年息子の浅野良三が大正活映を創設、谷崎潤一郎を脚本部に迎えて映画を数本製作した。」とありますが、次男坊でボンボンがおだてられて映画会社を作ったり、はたまた日本米式蹴球協会」の設立について人肌脱いで初代会長に就任したというところでしょうか?

いずれにせよアメフト関係者から声がかかる段階でイルミナティ側の人物だといえそうです。

そして、浅野総一郎は

一方で、1896年(明治29年)には欧米視察に赴き、イギリス、ドイツ、アメリカなどの港湾開発の発展ぶりを目の当たりにする。横浜港に戻るとその旧態依然とした港の様子に衝撃を受け、浅野は港湾を近代化し、工場を一体化した日本初の臨海工業地帯を東京市から横浜市にかけての海岸部に政府の支援を受けずに独力で建設することを計画する。

この大規模計画に神奈川県は当初、二の足を踏むが、浅野の計画の価値を認めた安田善次郎が支援に乗り出したことで動き出す。浅野が浅野セメントを合資会社にする際に安田が出資に協力して以来、安田は渋沢同様に浅野の理解者であった。また安田と浅野は同じ富山県の出身でもあり、安田の事業家精神に浅野は心酔していく。

とあるように、欧米視察といいながら、欧米の金持ちや資産家、フリーメーソンと仲良くなり、ビジネスモデルを教えてもらって日本で仕掛けて大成功したのではないかと考えられます。

しかも、安田財閥の安田善次郎が出資して助けていますね。

美談が書かれていますが、金持ち同士ではなしあって、儲け話を画策しただけではないかと疑ってしまいます。

そして、やはり彼らは権力を維持し盤石とすべく、政略結婚ばかりしまくっている、哀れな人たちです。

そんな人たちが関わって設立されたアメフト団体なのです。

選手の方々を非難するつもりは毛頭ありませんが、ルーツを探ると最初から汚い人たちによって持ち込まれた競技だとお判りでしょうか?

アメフトとの、「チアリーダーについての記事投稿があります。

真実かどうかわかりませんが、以下のリンク先を参照してください。

「チアリーダー効果」で女性の前で男性がとる行動が変わることが明らかに
性的差別でリーグを告訴した元NFLチアリーダー、たった1ドルの示談を提案

アメフト、チアリーダーの扱いめぐり非難殺到 トップレス撮影も強要か 

プロチアリーダーを縛るセクハラまがい規則「ガムを噛むな」「胸が垂れていてはいけない」

そして京大アメフト部の逮捕事件です。

・・・・・・・・(京大アメフト部員の逮捕~ グレーな事件 ~)


京都大学の元アメリカンフットボール部員の4年生3人が、女子大生2人に集団で性的暴行を加えたとして逮捕された。3人は秋までアメリカンフットボール部に所属しており、引退したばかりだった。

警察の調べでは、昨年末、3人のうちの1人が、友人である女子大生1人にパーティーをしようと持ちかけ、自宅マンションに別の女子大生2人を連れてこさせた。3人対3人で鍋パーティーを始めたけど、女子大生の1人は用事があって途中で帰宅したので、残った19歳と20歳の女子大生2人と一緒に焼酎の一気飲みゲームなんかをして泥酔させて、集団で暴行したとのことだ。

大学生による集団暴行事件と言えば、真っ先に思い出すのがスーパーフリー事件だ。あの時は、ダンスイベントなどに参加した女性を泥酔させて集団暴行を繰り返したとしてリーダーの早稲田大生を始め学生ら14人が逮捕された。これをきっかけに集団強姦罪が新設されたほどインパクトの強い事件だった。ただし、あの事件は、スーパーフリーだなんていうパッパラパーなサークルが起こした事件であり、そんなバカなパーティーにノコノコと出かけていく女性の自業自得だという批判も沸き起こった。
(石材店)「それは幹事長の独り言であって、世論ではないですよ。あんまり書いてると女性の読者を失いますよ」

今回の事件は、スーパーフリーなんていう幼稚な低脳サークルと違って、超難関大学の超スーパースターチームの事件であるだけに衝撃は大きい。
京都大学のアメリカンフットボール部「ギャングスターズ」と言えば、関西学生リーグで強豪中の強豪である、というより、日本の大学アメリカンフットボール界の強豪中の強豪だ、て言うか、日本のアメリカンフットボール界の強豪中の強豪だ。国公立大で初のアメリカンフットボール部として1947年に創部され、1976年に関西学生リーグで初優勝した後、学生ナンバーワンを決める甲子園ボウルでは6度優勝し、さらに社会人リーグの優勝チームと日本一を争うライスボウルでも4度優勝している。何度も日本一になっているのだ。
法政大学や関西学院大学のような私立大学ならスポーツ選手を大量に入学させているので、日本一になったって不思議でも偉大でもないが、スポーツ入試なんか無い国立大学の、しかも超難関京都大学のチームが強いというのがすごい。僕が学生時代にも、たまーに僕の大学に練習試合に来ていたので見たことがあるが、軟弱な我が校のチームを蹴散らす圧倒的な強さにびっくりした記憶がある。
逮捕された3人のうち2人は、引退するまではこの京都大学アメリカンフットボール部のレギュラーであり、残りの1人は身体を故障したためマネジャーをしていた。しかし、正直な感想を述べさせてもらうと、なんともグレーな事件だと思う。捕まった3人は容疑を否認している。1人は「自分はやってない」としているので問題外として、残り2人は「合意の上だった」としている。警察は、あるいは裁判所は、これを否定するのだろうか?否定できるのだろうか?スーパーフリー事件の場合は、パーティーとして大勢を集め、かなり強引に酒を飲まして泥酔させ、別の場所に引きずり込んで大勢で暴行していたので、言い訳は通用しないが、今回は自宅での鍋パーティーだ。もともと友人だったというし、嫌いな人の自宅に嫌々で無理に鍋パーティーしにはいかないだろう?酒だって、無理に飲ませたと言ったって、口に瓶を突っ込んで流し込んだ訳ではないだろう?自分で飲んだんだろう?それで酔っぱらっていたからといって、「集団暴行された」なんて言えるのかなあ?人数だって2人対2人だよ。単なる若者のセックスじゃないのかなあ。

こんなんが犯罪になって全国的に報道されちゃうんなら、今、日本中で戦々恐々としている男が3千万人はいるぞ。若い頃には、誰だってこれくらいの乱交はするだろう?
(石材店)「それは幹事長くらいですよ」
(幹事長)「いやいや、僕は愛の無いセックスは嫌いだからしないけど、する人も3千万人はいるだろう?
       こんなんで逮捕されちゃうと、なんとなく気の毒だなあ」
(石材店)「そこまで書くと、決定的に女性の読者を失いますよ」

京都大学アメリカンフットボール部の監督によると「選手はシーズン中は酒は飲まない。3人はまじめな連中で、なぜこんな事件を起こしたのか分からない」と言っているが、引退して開放感があったのかなあ。3人は部を引退した後、他の部員らも加えてパーティーを数回実施したと供述しているらしいので、もし今回の事件が犯罪になるのなら、他の部員も含めて事件は広がる事になる。あら恐ろしや。

(2006.1.26)

・・・・・・・・・・(転載ここまで)

アメフトとチアリーダーをセットにしてる段階で性的な感じがプンプンします。

そしてやはり画像のように子供が応援に来ているのにお関わらず、サルのような、あほなことをやっていますね。

目を疑いたくなります。高校生ですよ、高校生。

残念ながら、アメフトは大衆を堕落させるための野蛮な競技であり、実際は広告のための御膳立てスポーツで、今回のような日大タックル事件は遅かれ早かれ表面化することであったのだといえそうです。



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