創作日記&作品集

作品集は左のブックマークから入って下さい。日記には小説、俳句、映画、舞台、読書、など…。そして、枕草子。

「わたしなりの枕草子」#292

2012-01-21 07:36:22 | 読書
【本文】
二百五十一段
よろづの事よりも情けあるこそ
よろづの事よりも情けあるこそ、男はさらなり、女もめでたくおぼゆれ。なげの言葉なれど、せちに心に深く入らねど、いとほしき事をば「いとほし」とも、あはれなるをば「げにいかに思ふらむ」など言ひけるを、伝へて聞きたるは、さし向ひていふよりもうれし。いかでこの人に「思ひ知りけり」とも見えにしがな、と常にこそおぼゆれ。
かならず思ふべき人、とふべき人はさるべきことなれば、取り分かれしもせず。さもあるまじき人の、さしいらへをも後ろやすくしたるは、うれしきわざなり。いとやすきことなれど、さらにえあらぬことぞかし。
おほかた心よき人の、まことにかどなからぬは、男も女もありがたきことなめり。また、さる人も多かるべし。

【読書ノート】
なげ=なんでもない。せち=深く心に感じる。いとほし=気の毒。あはれ=かわいそうな。この人=「いとほし」「あはれ」と言ってくれた人。「思ひ知りけり」=あなたの気持ちを知りました。見えにしがな=(「思ひ知りけり」と)見られたい。取り分かれしもせず=格別のことはない。さしいらへ=(ちょっとした)受け答え。後ろやすく=安心できるように。かどなからぬ=才能がなくはない。

「わたしなりの枕草子」#291

2012-01-20 09:16:45 | 読書
【本文】
二百五十段
男こそ、なほいとありがたく
男こそ、なほいと在り難く怪しき心地したるものはあれ。いと清げなる人を棄てて、にくげなる人を持たるもあやしかし。おほやけ所に入り立ちする男、家の子などは、あるがなかによからむをこそは、選りて思ひ給はめ。およぶまじからむ際をだに、めでたしと思はむを、死ぬばかりも思ひかかれかし。人のむすめ、まだ見ぬ人などをも、よしと聞くをこそは、いかでとも思ふなれ。かつ女の目にもわろしと思ふを思ふは、いかなることにかあらむ。

 かたちいとよく、心もをかしき人の、手もよう書き、歌もあはれに詠みて、うらみおこせなどするを、(=男は)返事(かへりごと)はさかしらにうちするものから、寄りつかず、らうたげにうち嘆きてゐたる(=女)を、見捨てて行きなどするは、あさましう、おほやけ腹立ちて、見証(けんそ)の心地(=第三者から見ても)も心憂く見ゆべけれど、身の上にては、つゆ心苦しさを思ひ知らぬよ。

【読書ノート】
ありがたく=奇妙な。怪しき=理解できない。おほやけ所=宮中。まだ見ぬ人=宮使いしている才能のある未婚の娘。通説の「会ったこともない」を間違いとする。→萩谷朴校注。二,三他の口語訳を参照しましたが、全部後者ですね。うらみおこせ=恨んで手紙をよこす。さかしら=体裁良く返事だけは。行き=(他の女のもとに)。おほやけ腹=むかっ腹。見証(けんそ)の心地=はた目。身の上にては、つゆ心苦しさ=(当人の問題となると)身の上にては、つゆ(女の)心苦しさ。女は男を。男は女を。分からないのは今も昔もですね。理屈では分からない。清少納言は意外と良識派ですね。

「わたしなりの枕草子」#290

2012-01-19 08:35:37 | 読書
【本文】
二百四十九段
世の中になほいと心うきものは
世の中になほいと心憂きものは、人ににくまれむことこそあるべけれ。たれてふ物狂ひか、われ人にさ思はれむとは思はむ。されど、自然に宮仕へ所にも、親・同胞(はらから)の中にても、思はるる思はれぬがあるぞいとわびしきや。
よき人の御ことはさらなり。下衆などのほども、親などのかなしうする子は、目たて耳たてられて、いたはしうこそおぼゆれ。見るかひあるはことわり、いかが思はざらむとおぼゆ。ことなることなきはまた、これをかなしと思ふらむは、親なればぞかしとあはれなり。
親にも、君にも、すべてうち語らふ人にも、人に思はれむばかりめでたきことはあらじ。

【読書ノート】
さらなり=もちろん。目たて耳たてられて=目を引き注意を集め。いたはし=大切にしたい。「苦労だ」、「可哀相だ」、の他に「大事なものとして重んじたいの」意味があります。平安時代は言葉が少なかったのかなあ。

「わたしなりの枕草子」#287

2012-01-18 08:45:33 | 読書
【本文】
二百四十六段
せめておそろしきもの
せめておそろしきもの 夜鳴る神。近き隣に、盗人の入(い)りたる。わが住む所に来たるは、ものもおぼえねば何とも知らず。
近き火、またおそろし。

【読書ノート】
せめておそろしきもの=「せめて」は非常に意味ですが、萩谷朴校注では「怖くてたまらないもの」と口語訳しています。文学的なセンスを感じます。ものもおぼえねば=どうしてよいか分からない。何とも知らず=何とも感じない。怖いと思わない。

「わたしなりの枕草子」#288

2012-01-17 08:22:10 | 読書
【本文】
二百四十七段
たのもしきもの
たのもしきもの 心地あしきころ、伴僧あまたして修法(ずほふ)したる。心地などのむつかしきころ、まことまことしき思人(おもひびと)の言ひなぐさめたる。

【読書ノート】
たのもしきもの=頼もしいもの。心地あしき=病気。むつかしき=不快である。思人=心配してくれる人。恋人とするのは間違い。恋人は「想ふ人」→萩谷朴校注。

「わたしなりの枕草子」#287

2012-01-16 07:25:54 | 読書
【本文】
二百四十六段
せめておそろしきもの
せめておそろしきもの 夜鳴る神。近き隣に、盗人の入(い)りたる。わが住む所に来たるは、ものもおぼえねば何とも知らず。
近き火、またおそろし。

【読書ノート】
せめておそろしきもの=「せめて」は非常に意味ですが、萩谷朴校注では「怖くてたまらないもの」と口語訳しています。文学的なセンスを感じます。ものもおぼえねば=どうしてよいか分からない。何とも知らず=何とも感じない。怖いと思わない。

「わたしなりの枕草子」#286

2012-01-15 07:40:29 | 読書
【本文】
二百四十五段
いみじうきたなきもの
いみじうきたなきもの なめくぢ。えせ板敷の帚(ははき=ほうき)の末。殿上の合子(がふし=朱塗りの椀)。

【読書ノート】
きたなきもの=不潔なもの。なめくぢ=今のナメクジよりも広く、げじげじなども言ったようです。えせ=質が劣っている。殿上の合子=使い古して汚いものであったらしい。

「わたしなりの枕草子」#285

2012-01-14 08:01:56 | 読書
【本文】
二百四十四段
文ことばなめき人こそ
文のことばなめき人こそいとにくけれ。世をなのめに書き流したることばのにくきこそ。
さるまじき人のもとに、あまりかしこまりたるも、げにわろきことなり。されど、我が得たらむはことわり、人のもとなるさへにくくこそあれ。
おほかたさし向かひても、なめきは、などかく言ふらむとかたはらいたし。まいて、よき人などをさ申す者はいみじうねたうさへあり。田舎びたる者などの、さあるは、をこにていとよし。
男主(をとこしゆう)などなめく言ふ、いとわるし。我が使ふ者などの、「何とおはする」「のたまふ」など言ふ、いとにくし。ここもとに「侍り」などいふ文字をあらせばやと聞くこそ多かれ。さも言ひつべき者には、「人間の愛敬な、などかう、このことばはなめき」と言へば、聞く人も言はるる人も笑ふ。かうおぼゆればにや、「あまり見そす」など言ふも、人わろきなるべし。
殿上人、宰相などを、ただ名のる名を、いささかつつましげならず言ふは、いとかたはなるを、清うさ言はず、女房の局なる人をさへ、「あの御もと」「君」など言へば、めづらかにうれしと思ひて、ほむることぞいみじき。
殿上人・君達、御前よりほかにては官(つかさ)をのみ言ふ。また、御前にてはおのがどちものを言ふとも、聞こしめすには、などてか「まろが」などは言はむ。さ言はむにかしこく、言はざらむにわろかるべきことかは。

【読書ノート】
言葉づかいを細かく論じています。なめき人=無礼な人。なのめに=いいかげんに。我が得たらむは=自分が受け取ったのは。おほかた=大体。よき人などをさ申す=よき人のことをいいかげんに言う。をこ=滑稽。男主=旦那様。我が使ふ者=私の使用人が。「おはす」、「のたまふ」は敬語「おわします」「仰せになる。「侍り」=謙譲。「ございます」。人間の愛敬な=突然人間という言葉が出てきてびっくりします。人の住む世界。人当たりに可愛げない。→萩谷朴校注。人わろきなるべし=みっともないからでしょう。敬語と謙譲語の使い分けを言っています。昔から乱れていたのか……。かうおぼゆればにや=このように細かく言うからだろうか。
ただ名のる名=本名。いささかつつましげならず=何の遠慮もなく。かたは=片端。見苦しい。ぶざま。清うさ言はず=はっきり(本名)を呼ばず。女房の局なる人=局で使われている女。ここは「誰が」「誰に」かさっぱり分かれませんね。諸注を参考にしても分かりません。
おのがどち=仲間どうし。聞こしめす=主君がお聞きになる。かしこく=畏く。畏れ多い。日本語の使い方は難しいですね。敬語、謙譲語、丁寧語。「まろ」はくだけた言葉。前にありました。

「枕の草子」をここまで読んできて

2012-01-13 14:52:55 | 読書

「枕の草子」をここまで読んできて、古典を読む場合、段落を間違わないことが大切だと思うようになりました。話が続いていると勘違いしてとんでもない間違いをすることがあります。主語がないのが間違いに拍車をかけます。今は、四冊の校注を参考とし、納得できない時は、辞書に当たっています。間違いは減ったと思いますが、今までの分はごめんなさい。ただ、校注は著書によってずいぶん異なります。これも発見の一つです。
ブログが終了すれば全面的に改訂して「枕の草子・読み語り」・電子本としたいと思っています。古典は電子本にとても向いていると思います。

ロング・グッドバイ レイモンド・チャンドラー 村上春樹訳

2012-01-13 14:50:32 | 読書
レイモンド・チャンドラーの本は初めてである。途中まで読んで長い間ほってあった。その理由は「細かい描写」についていけなかったからです。読む本がなくて、たまたま取り上げたら、はまってしまった。それから頁を繰るのももどかしく読み続けた。「細かい描写」も面白い。翻訳でこれほど面白い本は初めてだった。探偵小説というより文学作品として面白かった。村上春樹氏の解説も秀逸である。「僕は翻訳というものは家屋に例えるなら、二十五年でそろそろ補修に入り、五十年で大きく改築する。あるいは新築する」と述べている。古典の口語訳もそうであると思います。言葉は生き物だから。