
昨日の芭蕉の俳句「枯枝に烏のとまりたるや秋の暮」は少し?ですね。俳句の先生は多分添削をするでしょう(有名な句らしいので知らないことはないと思いますが)。

まず、季語が二つ(枯枝は冬、秋の暮は秋)。「季重ね」は感心しないと勉強しました。次に、5,7,5の7が10で

字余り。芭蕉の俳句はとうてい及ばないと思う句が多いのですが、これは? でもやっぱり及ばないですね。

「烏のとまりたるや」の語感が素晴らしい。調べてみると、「かれ朶(えだ)に烏のとまりけり秋の暮」の方が流布しているようです。

「これなら及ぶ」と思う……。芭蕉は千句ぐらい作っているとのこと、中にはハードルを下げて

「
いらっしゃい」と言っているのかもしれませんね。
話は変わりますが、俳句はほぼ無数に作られているのに、同じ句が、ない(多分)のは不思議です。もし、あったら、それは潜在的な記憶のなせるわざだと思いますよ。一茶は2万句も作っている。子規は24000句。高浜虚子は二十万。口から出る言葉がみんな俳句になってしまう。絶対駄句の方が多いですね。5,7,5は無限です。

春風や数打ちや当たる名句かな

「や」、「かな」は切れ字、一句に二つ以上使ってはいけません。
私の俳句修行は
ここ。