つげ義春のアンソロジー「つげ義春コレクション」全九冊(現在七冊刊行)が発売されている。年代別ではなくて、描かれている世界を中心として編集しているように思える。
つげ作品は旅もの、夢もの、私生活から材を取ったもの(私生活そのものではない)に大まかに分けられると思う。この巻には旅ものはない。
「ねじ式」とゲンセンカン主人は三つの分類が混じり合っているように思われる。「ねじ式」は週刊誌転載(サンデー毎日? )されて評判になったと記憶している。次作が期待されたが、「ゲンセンカン主人」は「ねじ式」ほど評価されなかった。読み返してみると、「ねじ式」と勝るとも劣らない傑作である。
つげ義春には絵という強い武器がある。絵とストーリーはどちらが主で従という関係ではなく、一体となりつげ義春の世界を現出している。それは説明が不可能な世界である。読者は感覚として不安や安堵感や共感を感じるのである。
巻頭を飾っているのは代表作品「ねじ式」である。茶の間で読みにくいほど第一巻はかなりエロい。
収録作品と発売年を並べてみた。
ねじ式(68年) ゲンセンカン主人(68年) 夢の散歩(72年) アルバイト(77年) 雨の中の慾情(81年) 作者らしい説明がつく。夜が掴む(76年) コマツ岬の生活(78年) 外のふくらみ(79年) 必殺するめ固め(79年) ヨシボーの犯罪(79年) 窓の手(80年) 夏の思いで(72年) 懐かしい人(73年) 事件(74年) 退屈な部屋(75年) 日の戯れ(80年)
ゲンセンカン主人と同列だと思っていた70年「やなぎ屋主人」が別の巻になっている。つげ義春がどちらも自信作だから、振り分けたとも思えるが、彼の中では全く違う作品という事も考えられる。つげ義春がこのアンソロジーに深く関わっているのは確かだ。
つげ作品は旅もの、夢もの、私生活から材を取ったもの(私生活そのものではない)に大まかに分けられると思う。この巻には旅ものはない。
「ねじ式」とゲンセンカン主人は三つの分類が混じり合っているように思われる。「ねじ式」は週刊誌転載(サンデー毎日? )されて評判になったと記憶している。次作が期待されたが、「ゲンセンカン主人」は「ねじ式」ほど評価されなかった。読み返してみると、「ねじ式」と勝るとも劣らない傑作である。
つげ義春には絵という強い武器がある。絵とストーリーはどちらが主で従という関係ではなく、一体となりつげ義春の世界を現出している。それは説明が不可能な世界である。読者は感覚として不安や安堵感や共感を感じるのである。
巻頭を飾っているのは代表作品「ねじ式」である。茶の間で読みにくいほど第一巻はかなりエロい。
収録作品と発売年を並べてみた。
ねじ式(68年) ゲンセンカン主人(68年) 夢の散歩(72年) アルバイト(77年) 雨の中の慾情(81年) 作者らしい説明がつく。夜が掴む(76年) コマツ岬の生活(78年) 外のふくらみ(79年) 必殺するめ固め(79年) ヨシボーの犯罪(79年) 窓の手(80年) 夏の思いで(72年) 懐かしい人(73年) 事件(74年) 退屈な部屋(75年) 日の戯れ(80年)
ゲンセンカン主人と同列だと思っていた70年「やなぎ屋主人」が別の巻になっている。つげ義春がどちらも自信作だから、振り分けたとも思えるが、彼の中では全く違う作品という事も考えられる。つげ義春がこのアンソロジーに深く関わっているのは確かだ。