先月末に高校時代の友達から急に電話が来た。
その友達とは年始状のやり取りくらいしかなく もう卒業以来1、2回会ったかな?の程度である。
それが「9日10日と山形に帰るから会ってくれない? ホテルも取るから」とのこと。
私は「それなら私の家に泊まって」と頼んだ。
その時は久しぶりに会ったので昔話に花を咲かせた。
悩んでいる様子は微塵も感じられなかった。
彼女が東京に帰ってから又電話が来た。
話の内容は深刻で
「先月初め、何となく首の辺りが太って来たので 近くのクリニックに行ったら橋本病と言われ専門の医院を紹介された。
そこの医院で簡単な手術が必要と言われ精密検査をしたところ不整脈が見つかった。
だから大学病院を紹介された。
大学病院に行ったら紹介状には悪性リンパ腫の疑いと書かれていたのを知った。
彼女はビックリはしたが通院で検査検査を繰り返し入院が8月16日と決まるまでは仕事も続けたらしい。
14日午後8時ころ着信があったけど花火大会会場にいて気が付かなかった。
夜中こちらから電話をしてみたら以外と落ち着いて「入院支度も出来たし会社にも連絡したし」と言ってた。
15日午前10時ころ又電話が鳴った。
「わたし明日入院しないことにしたの。
今まで蓄えたお金をお葬式代として少し残し あとは恵まれない子供たちに寄付して来たの。
この携帯も午後には解約するから」と。
私は「病院内でも携帯大丈夫じゃないの?」と言っても「要らないの」とだけ言って切れた。
それでも私は彼女が自殺を考えていたなんて思いもしなかった。
16日 真夜中0:53 携帯が鳴ったみたい。
お盆ですっかり疲れていた私は眠くて眠くて充電していた携帯には手が伸びませんでした。
朝起きてから留守電を聞いたけど
公衆電話から「〇〇です。◎△$♪×¥●&%#◎△$♪×¥●&%#?!」
何と言ってるの? 飲めないお酒でも飲んだのかしら?・・・くらいに思ってた。
16日午前9時ころ又公衆電話から電話をよこした。
「昨夜、自殺しようと都内をグルグル回ったけど やはり出来なかった。今朝になり落ち着いて考えて今から入院することにしたの」
彼女は大学を卒業後 そのまま東京に就職した。ご両親も亡くなり実家には弟夫婦がいても病上がりに休ませては貰えない。かと言って東京のアパートで一人では食事の買い出しも出来ない。退院後どうしたらよいか迷っていたのが私にはよく分かった。
私も何かお手伝いしてあげたいけどどうすれば良いのか皆目見当がつかない。
その友達とは年始状のやり取りくらいしかなく もう卒業以来1、2回会ったかな?の程度である。
それが「9日10日と山形に帰るから会ってくれない? ホテルも取るから」とのこと。
私は「それなら私の家に泊まって」と頼んだ。
その時は久しぶりに会ったので昔話に花を咲かせた。
悩んでいる様子は微塵も感じられなかった。
彼女が東京に帰ってから又電話が来た。
話の内容は深刻で
「先月初め、何となく首の辺りが太って来たので 近くのクリニックに行ったら橋本病と言われ専門の医院を紹介された。
そこの医院で簡単な手術が必要と言われ精密検査をしたところ不整脈が見つかった。
だから大学病院を紹介された。
大学病院に行ったら紹介状には悪性リンパ腫の疑いと書かれていたのを知った。
彼女はビックリはしたが通院で検査検査を繰り返し入院が8月16日と決まるまでは仕事も続けたらしい。
14日午後8時ころ着信があったけど花火大会会場にいて気が付かなかった。
夜中こちらから電話をしてみたら以外と落ち着いて「入院支度も出来たし会社にも連絡したし」と言ってた。
15日午前10時ころ又電話が鳴った。
「わたし明日入院しないことにしたの。
今まで蓄えたお金をお葬式代として少し残し あとは恵まれない子供たちに寄付して来たの。
この携帯も午後には解約するから」と。
私は「病院内でも携帯大丈夫じゃないの?」と言っても「要らないの」とだけ言って切れた。
それでも私は彼女が自殺を考えていたなんて思いもしなかった。
16日 真夜中0:53 携帯が鳴ったみたい。
お盆ですっかり疲れていた私は眠くて眠くて充電していた携帯には手が伸びませんでした。
朝起きてから留守電を聞いたけど
公衆電話から「〇〇です。◎△$♪×¥●&%#◎△$♪×¥●&%#?!」
何と言ってるの? 飲めないお酒でも飲んだのかしら?・・・くらいに思ってた。
16日午前9時ころ又公衆電話から電話をよこした。
「昨夜、自殺しようと都内をグルグル回ったけど やはり出来なかった。今朝になり落ち着いて考えて今から入院することにしたの」
彼女は大学を卒業後 そのまま東京に就職した。ご両親も亡くなり実家には弟夫婦がいても病上がりに休ませては貰えない。かと言って東京のアパートで一人では食事の買い出しも出来ない。退院後どうしたらよいか迷っていたのが私にはよく分かった。
私も何かお手伝いしてあげたいけどどうすれば良いのか皆目見当がつかない。
深刻な病気に動転して自殺をしようとして、その告白をあなたにされたようですね。
ケイタイを解約されていては連絡のしようもありませんが、とりあえず住所が分かればお手紙でも出すよりしかたないですよね。
また電話があったら、相手の話を聞いてやることくらいでしょうか。」
俺は「舌癌」だったが、正直な話、多くの人は「ガン」と宣告されると、かなりのショックを受けるのが当たり前。
そう、がんの宣告を受けただけで落ち込んでしまい、自殺を考える人も多いだろう。
最近は「ガンは治る病」ということもあるが、それは初期にガンが見つかった場合の話で、俺の場合は、その境界線のあたりだったらしい。
幸い、術後5年と10か月経つが、今でも心の片隅に「再発」に対する不安はあるからね。
が、俺は比較的能天気な男なのでこの程度で済むが、これは例外的なことだと思う。
ちなみに、ガン患者に「頑張れ」は「禁句」だと思った方が良いかも。
俺自身がガンになったのでよくわかるが、ガンになった方も大変だが、周りの人もどう対応してよいかで悩むんだよ。
下手な励ましは「逆効果」になることもあるので、その点にはご注意を。
電話があったら聞いてあげるしかないですよね。
東京の会社や友達には本当の病名は言えなかったそうです。
私は治ると信じてますが それよりも大金を寄付してしまい今後の医療費や生活費はどうするのかが心配です。
癌のことは癌に罹った人でないと分からない悩みかもしれません。
「頑張れ」じゃなく何と言ってあげたらいいのですか?
「私は何でも協力するからね」くらいしか言えませんでした。
言葉の他に 何をお手伝いしてあげればいいのかしら?
最近は芸能人がガンを公表するケースが目立つが、公表しない人も多いらしいよ。
「ガンです」と言われたとたんに落ち込んでしまう人も多いらしいが、俺は例外的だったらしい。
頑張れ以外に言う言葉。
これが非常に難しいんだよ。
正直、俺だって何て言ってほしいのか思い浮かばないのだから。
実際の話、俺が入院中に、医者や看護師から「頑張れ」という言葉は一度も聞いていないからね。
普通に接するのが一番かも。
愚痴や弱音を吐きに電話してくるかもしれないので、その時は普通に聞いてあげるとよいかも。
愚痴や弱音。
誰にでもいえるものではないからね。
まだ検査中で治療方針が決まらないそうです。
公衆電話からなので 今の状況と川崎のおばちゃん(彼女のお母さんの妹さん)が親代わりになって先生からお話しを聞いて貰ったことだけを一方的に話して電話は切れました。
大学病院って検査、検査なんですね。
悪性リンパ腫は普通のガンとはかなりタイプが違うので、どうしても検査が多くなるらしい。
俺が舌癌になった時もかなり検査があったが、それ以上だろうね。
悪性リンパ腫は手術がほとんどできず、治療方針を決めるのもかなり大変らしい。
10年位前だったと思うが、ボウリング仲間が悪性リンパ腫になり、検査漬けの挙句に亡くなっている。
正直なところ、回復はかなり難しいかも。
誰かに一方的に話をすることで一時的に気分が晴れえることもある。
今はさくらこちゃんにそれを求めているのかも。
大変だとは思うが、話だけでも聞いてあげれば。
1ヶ月くらいで退院できるそうです。
「今日は胸が痛くて目が覚めた。」
「今日は全然眠れなかった」などと言ってます。
心配です。
その後は4週間お休みをして、また4週間服用を続ける。
「4週間飲んで4週間休む」が1セットで、3セット目の終わりごろに食欲不振がひどくなり、服用をやめたがね。
担当医によると、「舌癌に効果があるかどうかまだ不明なので、無理に飲まない方がよいかも」とのことだったが、悪性リンパ腫ではそうもゆかないだろう。
なので、隊員は一時的かも。
それにしても、さくら子ちゃんは大変な問題を抱えてしまったね。
俺は癌サバイバーなのでよくわかるが、患者本人も大変ではあるが、それを支える周囲の人も大変なんだよ。
多くの人が「どう接すればよいのか」で悩むのだよ。
とにかく、一方的に何か話してくると思うので、聞き役に徹することだろうね。
俺はそれほどでもなかったが、「愚痴や泣き言」を聞いてもらうだけでも気持ちが落ち着くからね。
あの時 会わなかったら・・・・
あの時 電話が無かったら・・・・
そう、知らなかったのに・・・・
知ってしまってからは 今後も関わっていかないと。。。。