これまで、日本外交には世界に通用するような理念らしい理念がなかったといって過言ではない。「平和主義」が理念といえばそうなのだろうが、あんな一国平和主義はとてもじゃないが説得力のあるものではない。また、国連中心主義などというのも、主義という名前こそついているが理念ではない。日米同盟重視とかアジア重視とか言う時と同じ次元の政策論である。世界の潮流に当たり、なおかつ最も正当性を持つ理念といえば、何といっても「自由と人権の尊重」であろう。我が国は、世界でも最もこれらの価値の恩恵を享有してきた国の一つである。したがって、この理念を高く掲げることは不思議なことではないし、当然のことである。にも拘らず、そのようにはしてこなかった。
以上のような、これまでの日本の生き方を大きく転換する一大事件が、14日に予定されている東アジアサミットでの小泉首相の基調演説である。その中では、「自由、民主主義、人権など普遍的価値の尊重」という理念を高らかに謳う予定である。これは、画期的なことといってよい。また「WTOなどのグローバルなルールの遵守」も強調する予定である。これは、言い換えれば「国際的な法の支配を確立せよ」ということであり、立派な理念である。
東アジア共同体なるものがありうるとすれば、こういった理念の共有なくしては考えられない。それで「これは東アジアで主導権を争う中国をけん制する狙いもある。」などという論評が出てくるのだが、そんな次元の話だけではなくて、我が国が自由・民主主義国家として世界の最先端に立ってそれを広める立場に立ちつつあるということが歴史的意義を持つのである。「アメリカのお先棒を担いでいる」といった浅薄な批判もある。それは、日本が独力で近代化を成し遂げ、その中で議会制民主主義と自由と権利の拡大を自らの手で(占領政策で加速されたにせよ)達成してきた歴史を忘却している者の発想である。しかも、普段は「人権、人権」と唱えている進歩派に限ってそのように言う。実に滑稽なことではないか。国際社会に向かって宣言する自由や人権とは、要するに圧制や独裁を認めないということである。なぜ、それを広めることが必要かといえば自由・民主・人権の価値を守るためには、対極の概念である独裁や圧政に基づく国家の存在は、守るべき価値への脅威となるからである。また、世界の人類が普遍的な正義(=法)の前に等しくあるべきだということ、すなわち法の支配と法のもとの平等の原理から、他国の圧制や独裁も看過できないということが導かれる。もちろん、外交は理念だけで行われるものではなく、力の原則に従うものであるが、理念が不要であるというのも極論であるし、理念が力を補強するという側面も無視できない。冷戦で自由主義陣営が勝利したのも畢竟はそういうことである。
そういうわけで、今回予定されている、小泉首相の演説内容は極めて大きな意義をもっており、今後この方針に従って日本国の外交が遂行されていくならば、国際社会において、それこそ「名誉ある地位を占める」ことになろう。小泉外交の方向性は高く評価されなければならない。
(参考記事)
[自由・人権の尊重、透明性確保を=「東アジア共同体」へ中国けん制-小泉首相演説]
小泉純一郎首相は5日、マレーシアで14日に初めて開催される東アジア首脳会議(サミット)で行う基調演説の骨格を固めた。「東アジア共同体」構想の実現に向け、(1)自由、民主主義、人権など普遍的価値の尊重(2)世界貿易機関(WTO)などのグローバルなルール順守(3)地域の開放性・透明性の確保-を基本理念として確認するよう提唱するのが柱。日本政府は共同宣言にこれらの基本理念を盛り込むよう議長国のマレーシアに求める方針だ。
首相は、自由と民主主義の先進国として、こうした普遍的価値を「アジア地域共通の課題」(外務省幹部)と位置付け、各国に実現を働き掛ける。これは東アジアで主導権を争う中国をけん制する狙いもある。ただ、民主化などを求める日本の主張に中国が難色を示す可能性は高く、共同宣言でどこまで触れるか不透明だ。
(時事通信) - 12月5日17時1分更新
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以上のような、これまでの日本の生き方を大きく転換する一大事件が、14日に予定されている東アジアサミットでの小泉首相の基調演説である。その中では、「自由、民主主義、人権など普遍的価値の尊重」という理念を高らかに謳う予定である。これは、画期的なことといってよい。また「WTOなどのグローバルなルールの遵守」も強調する予定である。これは、言い換えれば「国際的な法の支配を確立せよ」ということであり、立派な理念である。
東アジア共同体なるものがありうるとすれば、こういった理念の共有なくしては考えられない。それで「これは東アジアで主導権を争う中国をけん制する狙いもある。」などという論評が出てくるのだが、そんな次元の話だけではなくて、我が国が自由・民主主義国家として世界の最先端に立ってそれを広める立場に立ちつつあるということが歴史的意義を持つのである。「アメリカのお先棒を担いでいる」といった浅薄な批判もある。それは、日本が独力で近代化を成し遂げ、その中で議会制民主主義と自由と権利の拡大を自らの手で(占領政策で加速されたにせよ)達成してきた歴史を忘却している者の発想である。しかも、普段は「人権、人権」と唱えている進歩派に限ってそのように言う。実に滑稽なことではないか。国際社会に向かって宣言する自由や人権とは、要するに圧制や独裁を認めないということである。なぜ、それを広めることが必要かといえば自由・民主・人権の価値を守るためには、対極の概念である独裁や圧政に基づく国家の存在は、守るべき価値への脅威となるからである。また、世界の人類が普遍的な正義(=法)の前に等しくあるべきだということ、すなわち法の支配と法のもとの平等の原理から、他国の圧制や独裁も看過できないということが導かれる。もちろん、外交は理念だけで行われるものではなく、力の原則に従うものであるが、理念が不要であるというのも極論であるし、理念が力を補強するという側面も無視できない。冷戦で自由主義陣営が勝利したのも畢竟はそういうことである。
そういうわけで、今回予定されている、小泉首相の演説内容は極めて大きな意義をもっており、今後この方針に従って日本国の外交が遂行されていくならば、国際社会において、それこそ「名誉ある地位を占める」ことになろう。小泉外交の方向性は高く評価されなければならない。
(参考記事)
[自由・人権の尊重、透明性確保を=「東アジア共同体」へ中国けん制-小泉首相演説]
小泉純一郎首相は5日、マレーシアで14日に初めて開催される東アジア首脳会議(サミット)で行う基調演説の骨格を固めた。「東アジア共同体」構想の実現に向け、(1)自由、民主主義、人権など普遍的価値の尊重(2)世界貿易機関(WTO)などのグローバルなルール順守(3)地域の開放性・透明性の確保-を基本理念として確認するよう提唱するのが柱。日本政府は共同宣言にこれらの基本理念を盛り込むよう議長国のマレーシアに求める方針だ。
首相は、自由と民主主義の先進国として、こうした普遍的価値を「アジア地域共通の課題」(外務省幹部)と位置付け、各国に実現を働き掛ける。これは東アジアで主導権を争う中国をけん制する狙いもある。ただ、民主化などを求める日本の主張に中国が難色を示す可能性は高く、共同宣言でどこまで触れるか不透明だ。
(時事通信) - 12月5日17時1分更新
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いえいえ、気になさらずに。ここはリンク・引用フリーですよ。ものを書いて公開する以上引用されて批評(お褒めの言葉もご批判も)されるのも当然だと思ってますので。全文コピーして自分のものであるかのように発表したりというのは困りますが…。
紹介してくださって光栄に思っていますのでご安心ください。
>SAKAKIさま
はじめまして。拙ブログへのご訪問及びコメント、ありがとうございます。
マスコミは、とにかく批判のための批判ばかりで、どういう価値のおかげでそんな好き放題ができるのかすっかり忘れてしまっています。戦後の民主主義の至らない点が凝縮されている感じです。
「アジア(というか世界)でごちゃごちゃ言っているのは2カ国だけ」というのは、麻生外務大臣がまさにそう言っておられました。日本は、極東だけに拘泥するのはどう考えてもおかしな話で、もっと世界に大きく目を開くべきなんですよ。その先鞭を付ければ小泉首相は間違いなく歴史に名が残ります。
はじめましておじゃまします。
>「自由、民主主義、人権など普遍的価値の尊重」という理念を高らかに謳う
ほんとうに画期的な出来事と思います。でもマスコミでの評価はアラ探しに尽きているようで本当に残念です。自由で平和だから今の日本の国富と繁栄があるのです。日本経済を復活の軌道に乗せた首相に外交での日本復活も期待したいです。
アジア(というか世界)でごちゃごちゃ言っているのは2カ国だけす。東欧から中東まで日本企業の投資を待っています。引き合いも多いようですが、人口が減って人が足りません(笑)
日本は劇的に変化しています。5年前と今ではまったく別の国ですね。
別に大した内容が加わったわけでもないのですが、直リン宜しくお願いいたします。(事後承諾かい!)
>東アジア共同体などという馬鹿を言ってしまったのでその軌道修正をしていると善意に解釈出来なくもないが。
まさに、そうでなくてはなりません。
民主主義国家による環太平洋集団防衛機構を目指すべきです。「理念を宣言して終わり」なんてことでは困ります。
その自由とか人権が守られているのは日米同盟という力の下支えがあってこその話であって、それを忘れた議論(いや寝言か?)は駄々っ子の論理に過ぎません。
戦後の国体のようなものといっても過言ではないですしね。批判する人間も豊かな日本というそのフレームワークの中で過ごしてきたという点を顧みるべきですよね。
仰るとおり人権屋の独りよがりな正義感も旗から見ていると痛々しい限りです。勝手に善玉、悪玉を仕立て上げて「イエーイ、シュワッチ!」と叫んでいる幼稚園児とその単細胞ぶりは大差ないですよ。
李登輝・前総統とマハティール氏の違いは、tsubamerailstarさまの言葉で言えば「脱亜」しているか否かなんじゃないかと思います。マハティール氏は所詮は大アジア主義の強権政治家なんでしょう。
民主主義を極東地域に広めるコア・ステーションという日本の姿が明確になったことはまさにそのとおりですよね!
もう、ホント米国が絡むと「追従だ」とか「ポチだ」というのはやめてもらえないかなと思います。言う分には構わないのですが、「水と空気はただ」じゃないですが、こいつらが検討外れに言いたい放題言える日本の立脚点というのを改めて顧みたらどうかと思うのですが。(汗)
何と申しますか、李登輝さんみたいに退任後もギリギリのところで切った張ったやっている人間とマハティール氏との違いをちょっと感じてしまいましたね。(汗)