猫研究員の社会観察記

自民党中央政治大学院研究員である"猫研究員。"こと高峰康修とともに、日本国の舵取りについて考えましょう!

民主党憲法提言要旨について-安全保障関連

2005-11-01 15:56:24 | 憲法
 民主党は、憲法改正に向けた包括的な党見解となる「憲法提言」をまとめ、31日に公表した。これは、首相の権限強化、地方分権の強力な推進、憲法裁判所の設置、国民投票制度の検討など、内政面を中心に大胆なものとなっている。ただし、自民党草案と異なり条文化されたものではなく、抽象的で曖昧なものであることは否定できない。本エントリーでは安全保障関連についてコメントすることにする。民主党の提言については、下のほうに参照記事をまとめておいた。
 民主党案の最大の問題点は「国連中心主義」に陥っている点である。「国連憲章51条に定められた『制約された自衛権』」というが、国連の集団安全保障があまりうまく作動していないことをどう考えるのか。国際的な枠組みでの平和維持活動(いわゆる「国際貢献」)について、国連のお墨つきをもって参加するか否かの要件にするようだが、それは現実的な対応と言えるのか。米国などが主導する有志連合の形であってもわが国の安全をはじめとする重大な国益がかかっている場合は参加するのが妥当である。また、国連が主導する平和維持活動において海外での武力行使を認めるか否かについては「行使できると決めた内容ではない」(枝野・民主党憲法調査会会長)としており、これでは提言になっていない。何よりも根本的なな欠陥は「国連」を前面に持ち出してきている点である。国連はあくまでも国家による自由な「結社」であり、国家あっての国連でありその逆ではない。民主党の考え方は「国連ありき」であって、本末転倒である。そんなものは憲法に書くべきことではない。この一点をもって、民主党の安全保障観ひいては国家観に重大な疑問を抱かざるを得ない。
 また、集団的自衛権の取り扱いも不明である。枝野幸男会長は「集団的自衛権の行使を容認するとも、しないとも決めていない。自衛権を個別的と集団的とで区別することは間違っている」と述べるなど、党内で意見が集約できないことが露呈している。もっとも「自衛権を個別的と集団的とで区別することは間違っている」というのは正論であるが…。
 少々手厳しく批判したが、野党第一党が憲法改正案に関する提言を出したこと自体は歓迎したい。今後の議論にはずみがつくと思われるからだ。


【参照記事(抜粋)】
(朝日新聞)
「民主が憲法提言 集団的自衛権・海外武力行使は明示せず」

安全保障では、「制約された自衛権」や「国連の集団安全保障活動への参加」を盛り込んだが、集団的自衛権の行使や海外での武力行使を可能にするかどうかは明示せず、あいまいな内容にとどめた。
 提言は「統治機構」「人間の尊厳」「分権」「安全保障」の4部構成。
 「安全保障」分野では自衛権を「国連の集団安全保障活動が作動するまでの緊急避難的な活動に限定する」と定義した。この日の憲法調査会の総会で集団的自衛権の行使に反対意見が相次いだが、枝野会長は「容認するかしないかは今後の議論」とした。
 国連の集団安全保障活動は「国連の正統な意志決定に基づく」場合に限り、国連多国籍軍や国連平和維持活動などの武力行使を伴う活動への参加を「日本国が自主的に選択する」とした。総会では「武力行使を認める内容なのか」と質問が出たが、枝野会長は「行使できると決めた内容ではない」と説明した。
 民主党は、当面、憲法案の条文化はせず、年内をめどに提言に「総論」を加え、来年から各地でシンポジウムを開いて、国民から意見を聴く。

(毎日新聞)
民主:「憲法提言」を了承 「制約された自衛権」明記

安全保障分野では「制約された自衛権」との表現で自衛権を明記し、限定的ながら海外での武力行使も容認。
 自衛権行使については「国連の安全保障活動が動き出すまでの緊急避難的な活動」に限定し、海外の武力行使を容認した。このことについて枝野氏は「集団的自衛権行使を容認したものではない」と説明している。一方、国連平和維持活動(PKO)や多国籍軍など国連による集団安全保障活動への参加と、その範囲内での武力行使を認めたが、国連の意思決定に基づかない安全保障活動に参加しないことも明記し、抑制的な姿勢を強調した。自衛権行使の具体的な基準については、別途定める「安全保障基本法」に盛り込む。
 総会では「制約された自衛権」の表現をめぐり「あいまいで(自衛権行使の)歯止めがない」「海外での武力行使について自民党との違いがわからない」などの異論が出たが、最終的に原案通り了承された。

(読売新聞)
民主が「憲法提言」決定、自衛権・新権利など追加

焦点の9条改正では、憲法に「自衛権」を規定し、自衛隊の活動を憲法上はっきりと位置づける考えを打ち出した。
新たに明記する自衛権については、「国連憲章51条に記された『自衛権』は、国連の集団安全保障活動が作動するまでの間の、緊急避難的な活動に限定されている」として、「制約された自衛権」であることを明確にするとした。個別的自衛権と集団的自衛権の行使の区分けには言及しなかった。
 国連の集団安全保障活動の一環としての国連多国籍軍の活動や、国連平和維持活動(PKO)への参加も盛り込んだ。その活動の範囲内では「武力の行使」も含むとしたが、「武力の行使については抑制的姿勢の下に置かれるべきである」と明記した。

(産経新聞)
「憲法提言」民主、武力行使を容認 集団安保 範囲・態様 確定先送り

焦点の安全保障は「制約された自衛権を明確にする」と記すとともに、集団安全保障活動での「武力の行使」容認を打ち出した。しかし、行使容認に対し異論が噴出したため、行使の範囲や態様の確定は先送りした。
このうち安保については「憲法に何らかの形で国連が主導する集団安全保障活動への参加を位置付ける」と明記し、国連重視の姿勢を鮮明にした。
 さらに、国連多国籍軍の活動や国連平和維持活動への参加を可能とし、その活動に武力行使を含むことも盛り込んだ。しかし、党内の反発に配慮し、枝野氏は記者会見で「集団安全保障活動で武力行使をわが国が行うかは結論を出していない。今後詰めないといけない」と説明した。
 総会では「制約された自衛権の意味が分からない」などの意見も出たが、枝野氏は会見で「集団的自衛権の行使を容認するとも、しないとも決めていない。自衛権を個別的と集団的とで区別することは間違っている」と言葉を濁した。


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4 コメント

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Unknown (総理大人)
2005-11-05 17:12:35
「国連中心主義」

これ今、私にとってのテーマです。



国連なんか全然ダメ⇒不本意ながらも、国連しかない。⇒国連は各国利益、特にP5の国益交渉組織でしかない。⇒でも、全世界国際的に認知されている機関は国連しかなく、日本が独自に決めることなんてできないでアメリカ追従になるだけじゃないか。⇒日本は常任理事国にもなっていない、そして国際的な強調は国益の観点からも大切だ。⇒……



というループなので、いいとも悪いとも言えないのですよね。いや悪いことはわかっていて、国連なんかに頼るような形は嫌。だから、新憲法草案に対する記事アップはしていないんです。

アップするなら二年後ぐらいかな(笑)。

民主党には、早く条文つくれ、自民党との交渉のしにくさよりも、民主党内のゴタゴタよりも、国民への議論の題を提案しろって感じなんです。



1:国連のお墨付きの国際協調活動

2:日本の領土・国民の生命・財産に関わる、緊急性の逼迫した、軍事でしか解決しないできない場合の個別的自衛権

3:集団的自衛権

は分けて議論されるべきであると思っています。

1と3の区別がよくわからなくて、1と3の混在した議論がなされていると思います。

あと、個別と集団これは今まで分けて議論してきたのは自民党かなと思うんです。私は分けてくれないと、よくわからなくなってしまいました。

区別すべきでもないし、できるものではないというのは何となくわかります。でも、なんとなくしかわかってないんですよね。

私の政治知識というのは、テレビと新聞と国会審議と妄想とぐらいで、大学などで勉強したわけではないんですよ。

国際法なんて全然知らない!と胸を張れます。。。

でも最近かなり勉強したいと思うようになりました。

国会議員は素人にもわかるような形で、議論してほしいと思うんです。



あと、「法律で定める」というのがキャッチフレーズがごとく、自民の草案にはありました。憲法よりも法律の方が上なのかと、これが感想です。

自分で国民投票して決めさせてくれと思いました。

議員が法律を作る、議員は国民が選ぶ、でも選挙で議員がウソの公約を言ったら…、

次の選挙で負けさせればいいとかいうもんではないのだと思ったんです。

多少見るに汚い、説明調でも、憲法典に書き込んでほしいです。



今日で自分の関心のあるカテゴリはだいたい読めました。お勉強になりました。

人の文章を読むと、自分の考えと違うところで壁が出てくるんですよね。その壁が、役に立つので、人の文章を読むのは好きです。

でもブログは便所のアレが多かったので、なかなか人の文章読む気になれなかったんです。

だからこのブログにたどり着いてよかったと思っています。
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集団安全保障と集団的自衛権 (猫研究員(高峰康修))
2005-11-05 21:47:55
>総理大人さま

集団安全保障、集団的自衛権と並べられたら「え?何が違うの?」と思われるかもしれませんが、実は全然別物です。集団安全保障というのは、ある国々の集団の中では全ての加盟国はお互いに侵略をしないと約束し、それに反する行動をとった国を他国は制裁すると義務付けるものです。国連がまさにこれです。正確にはちょっと違うのですが、PKOなんかはこれのバリエーションと思ってください。集団的自衛権というのは、侵略を受けた国家が「助けてくれ」と言った場合に侵略された国家を助ける権利です。「助けてくれ」と言ったって本当に他国に助けてもらえるのか分からないので、あらかじめ「お互いにやられたら助け合いましょう」と普通は約束をしておく。これが同盟です。個別的自衛権と集団的自衛権は本質的には区別はありません。実は「自衛」は「正当防衛」と訳すのが正確で、刑法でいう「急迫不正の侵害に対して、自己又は他人の権利を守る行為」です。

「法律で定める」が多すぎるという批判ですが、憲法は「法律をどのように定めるべきか」の方向性を示す指針なので、細かい点を法律にゆだねてしまうのは間違いではないのです。特に安全保障関連は周りをとりまく国際環境が激変することがあり得るので、憲法であまり細かく決めてしまうと不都合が生じます。また「法律で定める」という文言には、「好き勝手にやってよいわけではなくて法律で定めて運用しなきゃいけないんだよ」という制約をはめる意味もあります。そういうわけで、決して憲法軽視というわけではございません。
返信する
Unknown (総理大人)
2005-11-06 21:31:54
わかりやすいご説明ありがとうございます。



国連と、集団的自衛権

これ、いざとなった時を考えるんです。

国連が機能しなかった場合、どうするのか。

イラクは「急迫不正の侵害に対して、自己又は他人の権利を守る行為」ではなかった。

イラク戦争初期は国連決議のない集団安全保障なんですよね?

日本が情報分野でアメリカ追従だったんだろうと思うんですよね。私も大量破壊兵器がないということがわかってればイラク戦争は支持しなかったと思うんです。



ブッシュの戦争終結宣言後に、安保理が治安維持かなんだかの決議をしましたよね、あの時点なら日本も参加すべきだろうと思うんです。

イラクは特殊な例かもしれませんが、そんな特殊なことが起きてしまったのです。

だから、日本独自の国益判断というのに懐疑的な部分はあります。



98年でしたか、どっかの国で内紛が起きたのだけれども、安保理で中国が拒否権を発動したんでしたか。(記憶曖昧)

それでNATOが動いたんですよね。

国連が万能ではないことの象徴だったというような話をどこかで聞きました。



そんなこんなで頭がループなんですよ。。

日本が常任理事国入りしてくれたら、何か考えが変わるかもしれません。



>憲法は「法律をどのように定めるべきか」の方向性を示す指針



それはわかるんですが、国民の感情も含めて書き込まんかい思うんです。

自民草案は9条3項は私が読めば、

「国際社会の平和と安全を確保するために国際的に協調して行われる活動」に参加するなんて当たり前で、なんの歯止めにもなってない。法律に任せすぎ。

枝野さんが言うくらいには書き込んでいいと思うのですが、国際機関=国連、そこでまた頭がループと。



中国とアジア共同体なんて馬鹿げてるし。もうちょっと議員たちの議論を見てみようと。



あと、過半数で発議というのはやめてほしいですね。

国政選挙を経て、ゆっくり合意形成されるような現行でいいと思います。



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総理大人さまへ (猫研究員(高峰康修))
2005-11-06 23:58:11
するどい!イラク戦争の性質はまさにそういうことです。だから「有志連合」という新しい言葉が当てられてるのです。アメリカは自衛権の発動要件を拡大した上で先制攻撃理論をとってますが、イラク戦争は必ずしもそれに基づいたわけではないですね。国際の平和と秩序を乱すものに対して、有志を募って制裁を加えることが許されるかどうかというのが論点となりました。現在は過渡期なので評価は定まっていないとしか言いようがないですが、もしこの手法が繰り返され定着すれば、それが明確に正当性を持つようになる。国際法というのは結構いい加減なところがあります。もっとも、有志連合と集団安全保障の性格は近くて、むしろ国連は有志連合の親玉なんじゃないかと思えてくるぐらいです。



>日本が情報分野でアメリカ追従だったんだろうと思う



その通りです。これは当面はどの国も追いつけないと思います。もちろん自分で情報を取る努力をせねばなりません。でもイラク戦争支持は変わらないでしょう。「査察に非協力であるから安保理決議1441などに違反する」というのが一応の開戦理由ですから。国益は日米同盟の強化でしょう。戦闘行為に参加したわけでもなく、言ってみれば「信頼の証」みたいなもんです。



98年の事例はコソボ紛争です。おっしゃるとおり安保理決議を得られなかったのでNATOの枠組みでセルビア空爆をやっちゃった。あれも、今から分類すれば有志連合といってよいと思います。



憲法に「国連」という言葉を書き込んではいけません。国連は集団安全保障の枠組みの一つに過ぎないので、主権国家の基本法である憲法に書き込むべき内容ではありません。それでそれにほぼ相当する表現が「国際的に協調して行われる活動」になるわけです。もちろん有志連合に参加することも可能だと解釈できますが、国連が万能ではないのだから有志連合も場合によっては認めるべきだと私は考えています。有志連合はみとめたくないという立場ならば「国際的に協調して行われる活動であって、既に確立されている国際的な枠組みに基づいてなされるもの」とでも表現することになるのでしょう。



憲法改正の発議に関しては、改正のハードルの高い硬性憲法を望むのであれば、細かく書いちゃいけません。「改正のハードルの高さ」「規定の詳細さ」「変化への柔軟な対応」の3つは全てを同時に満足することは出来ないですから。二つまでは同時に満たせるのですが…。
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