猫研究員の社会観察記

自民党中央政治大学院研究員である"猫研究員。"こと高峰康修とともに、日本国の舵取りについて考えましょう!

教育基本法改正と愛国心―愛国心にも増して「国家社会への責任感」の涵養が重要だ

2006-04-08 00:00:10 | 教育・教科書・学力
 教育基本法に愛国心を盛り込むべきか否か?基本的に、保守派と呼ばれる人々はこれに熱心であり、進歩派の人々は愛国心と聞いただけでアレルギーを起こしがちである。確かに、戦後の教育界が日教組を中心とする左翼陣営に牛耳られ、愛国心を阻害するような誤った教育が行われてきたことは事実であり、これを打破するべきだという問題意識は十分に理由のあることだ。また、民主主義国家にあっては、統治権の究極的な行使者である国民が、自らが属し統治するところの共同体である祖国を愛さないなどということはありうべからざることである。与党・自民公明両党の間の議論で「愛国心という時の『国』に統治機構を含めるべきでない」などという話が出てきているが、実にナンセンスな話である。民主主義国家では統治機構と国民は一体不可分のものであり、専制体制下における支配者と被支配者の関係とは全く異なるからである。
 しかし、私はかなり強硬な保守派に属すると自任しているのだが、教育基本法に「愛国心」という言葉を盛り込むことは、あえて語弊を恐れずに言えば、血道をあげるほどの大きな課題ではないと考えている。これは、決して愛国心を軽視すべきだという理由からではない。まず第一に、愛国心は極めて自然で素朴な心情であるからとりたてて阻害しない限りは自ずから育つものだからである。どうも、多くの人間にとって最も愛着の湧く社会構成単位は、まずは家族、次は国家であるようだ。学校や会社その他の組織に愛着を持つ人も当然多いだろうが、それらのために命懸けにまでなれるかというとかなり疑問である。
 日本人の愛国心が稀薄に見えるのは、幸いにしてたまたま戦後60年余り現在に至るまで平和を謳歌してきたために、決定的に愛国心を意識する場面に遭遇することがなかっただけの話である。せいぜい、オリンピックなどのスポーツの国際大会で日本人選手や日本チームが優秀な成績を収めれば素直に喜ぶといった程度であった。また、最近では、中国における日本大使館襲撃事件を目の当たりにして憤慨した日本国民はかなり多いに違いない。竹島を巡る韓国の態度にも不快感を覚えている国民はたくさんいる。感情であるところの愛国心は、それだけあれば、まずは十分なのである。それどころか、逆に、あれだけ長年にわたる日教組教育による阻害があっても愛国心は決して消えはしなかったことを証明している。ましてや、一旦緩急あれば、どういう心理状態になるかは容易に想像できると言うものである。
 ところで、いくら心情としての愛国心をさらに高揚させたからといって、社会の乱れが直ちに解消すると考えるのは早計である。そのためには、国家社会の構成員たる責任を自覚するという、心情的ではなく理性的なものが不可欠となってくる。現在の日本人に欠けているのはこの部分ではないだろうか。国家社会のために奉仕するという精神こそが重要なのである。これは、素朴な愛国心を前提としてその上に成り立つものであるが、必ずしも自然に湧いてくるという性格のものではない。それゆえ、こちらこそが今後の人格教育の羅針盤として教育基本法に盛り込むのにふさわしい内容である。ケネディは「国家が諸君のために何をしてくれるかではなく、諸君が国家のために何ができるか考えよ」と言ったが、まさにそれを少しずつでも認識していくことが、社会の乱れを正すことに直接に繋がりうることである。「愛国心」という言葉が魔法か何かのように捉えられ、そこで思考が停止してしまうことを危惧する。実際のところは、保守派の多くの論者は「愛国心」という言葉に、国家社会への責任を自覚するという意味も込めているのかもしれないが、それならばそれできちんと区別を付けるべきではないかと思う。
 そうは言っても、「愛国心」を盛り込む必要はないと主張して、左翼を利するのは極めて不本意なことである。また、それを入れることで愛国心という言葉へのアレルギーがなくなるならば、それはそれで必ずしも意味がないとはいえない。「愛国心」やそれに類する言葉を入れたからといって目を見張るような効果がないであろうことを大前提にした上で、消極的に賛成という立場をとることにしたい。以上の諸点を踏まえて、教育基本法第一条の改正私案を提示しておきたい。愛国心を涵養するというよりは、むしろ既に持っているものとみなした上で、国家社会に対する責任感の涵養に重点を置いた。「祖国を愛する」という表現は中川秀直自民党政調会長らの案を拝借した。私には語感が一番しっくり来ると感じられたからだ。なお、「勤労…を重んじ」という表現はいかにも社会主義的なので「勤勉の精神を重んじ」に改めた。また、真理と正義は「愛する」より「追求する」方がふさわしいだろうと考え、そのように書き換えてみた。

教育基本法 第一条(改正私案)
教育は、人格の完成をめざし、真理と正義を追求し、個人の価値をたっとび、国家及び社会の形成者としての、祖国を愛する心に立脚した責任を自覚し、勤勉の精神を重んじ、自主的精神に充ちた心身ともに健康な国民の育成を期して行わなければならない。



(現行)
教育は、人格の完成をめざし、平和的な国家及び社会の形成者として、真理と正義を愛し、個人の価値をたっとび、勤労と責任を重んじ、自主的精神に充ちた心身ともに健康な国民の育成を期して行わなければならない。



(参考記事)
<「愛国心」論議>教育基本法改正の与党検討会、結論出ず
 自民、公明両党が今国会での提出を目指す教育基本法改正の与党検討会(座長・大島理森元文相)は5日、最大の焦点である「愛国心」の表現をめぐって大詰めの協議をしたが、合意できなかった。両党の「愛国心論議」はすでに3年間を超えるが、保守色の強い表現だけに、同日も「愛」を入れるか入れないかなどで意見が割れ、12日に座長案を示した上で取りまとめることになった。
 公明党は当初から「『愛国心』は戦時中を想起させる」と反対。自民党からは「国」を「祖国」に言い換える案(中川秀直政調会長ら)や、「愛」を「慈しむ」に言い換える案(与謝野馨経済財政担当相)など、公明党に配慮する案が次々に出された。公明党も「『国』が統治機構を意味しないなら愛国心でも問題ない」(党幹部)などと歩み寄りを見せていた。
 ところが、自民党内の保守勢力に配慮する安倍晋三官房長官が「国を愛する心をしっかり書き込んでほしい」と注文をつけたことなどをきっかけに、公明党執行部は「愛国心」を容認しない方針で一致。対立の構図に逆戻りしてしまった。
 同日も公明党から「愛という言葉は無批判、自己犠牲を連想させる」「ナショナリズムは容認できない」などの意見が相次ぎ、自民党は「『愛』の表現は重い」と応酬。
 大島氏は座長案について記者団に「国が統治機構を含まないことを表現し、国際社会への尊重も考慮する」と述べた。今月中旬の合意を目指しているが、メドは立っていない。【田所柳子】
(毎日新聞) - 4月5日20時46分更新


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2 コメント

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Unknown (総理大人)
2006-04-09 01:19:07
人格と見識のある方が書くと、こうも見栄えがするものかっていう典型だ。

何か私自身の考えを整理してくださったというか、師匠の見識に便乗して、自分もこう思っていたんだって思うようにします。笑

「自民党の偉い人」に読んでもらいたいです。



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総理大人さまへ (猫研究員。=高峰康修)
2006-04-09 01:35:06
過分なるお褒めの言葉を頂戴してお恥ずかしい限りです。

そちらで意見交換しているうちに考えがうまくまとまったのでせっかくだから自分の所にも記録しておこうと考えたわけです。したがって、この記事の出自は貴ブログでして、感謝しています。



>自分もこう思っていたんだって思うようにします



実際、意見を交わしていて、考えていることはほぼ同じだと感じましたよ。
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