2度目の津和野は、前回見られなかったとても有意義な歴史を知りました。
まずは、今回は津和野の古い旅館に泊まりました。
外から見た旅館です。
こんな風情のあるフロント、否”帳場”です。
かれこれ100年近い歴史があるとか、、
こんな旅館には久しぶりに泊まりました。良いですね~古いものは独特の味があります
翌日は町のボランティアガイドさんを頼んであったのでひと味違う所へ案内して貰いました
そこは、”乙女峠 マリア聖堂”という所でした。
そこには悲しい、悲しい殉教の歴史があったのです。初めて知りました
明治元年、当時の政府はキリシタンを改宗させる為、日本各地に最も信仰の強い浦上のキリシタンを
送り込み、ここ津和野にも153人が送り込まれ、”光淋寺”というお寺に預けられたそうです。
そこでは5年間も厳しい改宗の為の酷い拷問が続けられたそうです。
その為、36人が拷問で死亡、拷問に耐えられず59人が改宗、そして68人が生き残ったそうです。
私がショックを受けたのはわずか5歳の子どもを檻に閉じ込め、お菓子で改宗を迫ったのに、その子は
「アリア様のお菓子が貰えるからこのお菓子はいらない!!」と断ったと、、、、
もうそれを聞いた時は、涙が出て来て、悲しくて、、、、
その後、明治6年、世界から非難を浴びた日本政府は、ようやく「キリシタン禁制」を解き信者達は浦上に帰れたそうです
でも帰っても今まで築いてきた財産、土地を全て奪われ、またそこからキリシタン達は苦難の人生を
強いられたんだそうです。
日本の近い歴史の中にこんな悲しい事があったのがショックで、しかも情緒たっぷりのこの津和野の
のどかで穏やかな地で起きた事が言葉に出来ない悲しかったです
ここはあの”森 鴎外“生誕の地ですが、作家であった彼はこの事実について何ひとつ書いてません。
当然知っていたであろうこの殉教の事実をどうして書かなかったのか、否書けなかったのかも、、、
彼はこの津和野藩で代々医者をしていた関係で藩に迷惑をかけると考えたのか!!
でも私は、作家の使命として是非この事実を書いて後世に残して欲しかったなと思いました
愉快な仲間との旅でしたが、こんな真面目な事を学び考えさせられたんですよ。
現地のガイドさんに案内して貰うのはとても良いな~と思いました
続きまーす。
ガイドさんと廻るのも楽しいですね。
お話は悲しい殉教の内容でしたが、そこに歴史あり。
教科書に無い、昔の話が聞けましたね。
続きも楽しみにしています。
100年・・・・凄いです
でも、津和野にこんな悲しい歴史があったなんて
自分の信じている物を拷問という形で変えさせる・・・・
もし私がその時代、そこにいたらと考えると?
その5歳の子供みたいに言えないかもしれません。
普段、旅行に行ってもマップルを片手にうろうろするだけですが、わんこさんみたいに現地の方からガイドをして貰うのもいいかもしれませんね。
お勉強になりました
続きも楽しみで~す
素敵なお宿。
私も最近はこういうのに憧れますね。
マリア聖堂も行ったような気がするけど
ガイドさんの説明があるのと、何もなくぶらぶらするのとは違いますね。
私は友人とレンタルサイクルで回りましたが、
もっぱら器ばかり見ていましたね。
100年ですか~
とても穏やかな感じに思ってた津和野に
キリスト教の哀しい物語があったんですね。。。
次回も楽しみにしていま~す!!
拝見しましたぁ~
明日までちょっと待って下さいませぇ~
えっと、虫とかお化けとかが恐い
しかも、悲しい歴史を聞いたら絶対眠れない
でも、続きを楽しみにしてます。
こんな悲しい歴史のある町なんですね。
旅館は100年の伝統があるのですね。
私も、ちょっと怖がりなので昔の人のいろいろな思いが詰まっているであろうと思うと・・・
新しい方が好きですね。
津和野の魅力は、たくさんあるのでしょうね。
とてもいい感じですね。
行ってみたいなぁ~好きですね。お宿.....
津和野にこんな悲しいお話があったとは....
考えさせられました。
初めて知りでした。
こんな穏やかな町にと、、
こういう事が学べるから旅は止められませんね。
こんな酷い殉教の歴史が明治の時代まで
続いてた事も初めて知りました。
そこにはシスターの方もおられて私が泣きながら
聞いていたら、
でもね、悪い事ばかりではないんですよ。
その拷問をした役人が自分の罪を悔いて
入信して、そのあとはずっと殉教した方々を
魂が癒される様に祈り続けたという話もあるんですよと。
人間の表と裏を見る思いでした。
時間もなかったので、通っただけという感じでしたが、今回はこんな宿に泊まれて、ゆっくり見られて良かったです。