関東地方が雪で大変でしたね。
これで雪がロマンチックで綺麗だけではないと言う事が充分お解り頂けたと思います。
雪国は普段から雪の備えや、準備をしてあるからある程度の雪位は大丈夫ですが、過去に豪雪と
呼ばれる災害が私の人生で2度ありました。38豪雪(さんぱち)と56豪雪(ごうろく)です。
昭和38年と56年です。38豪雪の事は以前書きましたが、今回は56豪雪について書きます。
昭和55年の年末から降り続き新年になっても降り続き福井市内は2メートル位、県でも特に雪深い所は5メートル近くに!!
当時私は保育園に勤めており、息子達は5歳半、2歳半でした。
お正月前後も降り止まず、正月用品も全て歩いて買い出ししました。
掃除どころでなく終日雪かきの日々でした。空からはボタボタと降りやまない雪、、、、恨めしかったわ~~
正月あけで仕事に、でも車で行ける状態ではなく当然歩いて行きましたが、、、
私のその当時の勤め先は家から歩ける距離でしたが、職員の中には遠くから来てる人も居てとても通える
状態でない人も居てその園で泊まり込んだ人もいました。
通常ではないので市から、自分の園に行けない職員は自宅近くの同じ公立の園に行き
そこで仕事する様にとなったんですよ 仕事と言っても殆ど雪かきですが、、、
給食の材料も灯油も大きい道路まで私達保育士がポリ缶を持って取りに行きました。
そんな状態でも子ども達は登園して来ますから(お休みの子も大ぜいですが)、大変でした。
その豪雪の中、我が家の双子が水ぼうそうにかかり、私と夫とひとりづつおんぶして
お医者さんに行きました。
ほんと大変な豪雪でした。目に入る全てが雪、雪、雪、、、、
とうとう自衛隊が出動して除雪に!!我が家のすぐそばの小学校の校庭にテントがたくさん並びました。
雪捨て場となった川や広場、公園は雪の大山でした。
保育園で雪かきしてたら園庭にあった松の木の先端が足元にありました。
中でも県庁のお堀が雪捨て場になり、その雪の大山が6月近くまであり、それを見に
観光客が見に来た程です。
でも私たちは一応公務員だったのでどんなに大雪でもその為に仕事を休む事は許されない事なので
毎日必死で、雪かきして雪と戦ってました。勿論保育という仕事も!!
今思い出しても大変だった事が次から次に思い出されます。とても書ききれません、、、、
でもまだ30代だったから元気で雪かきもし、病気にもならずに済みましたが、、、
今こんな豪雪になったらと思うと怖~~いです。
そしてたくさんの犠牲者も出ました。今回も死者がでたとか、、、、
心からお悔やみ申し上げます。
皆さんもどうぞお気を付てお過ごし下さいませ。