阪神大震災15年 各地で追悼「語り継ごう」 2010年1月17日 共同
http://www.nikkei.co.jp/news/main/20100117STXKA000717012010.html
6434人が亡くなった阪神大震災は17日、発生から15年を迎えた。神戸市など兵庫県内各地で開かれた追悼行事では、参加者が犠牲者の鎮魂を祈り「体験や教訓を語り継ごう」との思いを新たにした。
被災地では高齢者支援や地域活性化など懸案が残り、震災が原因で身体障害者になった「震災障害者」の実態把握という新たな課題も浮上している。
犠牲者の名前が刻まれた「慰霊と復興のモニュメント」がある神戸市中心部の東遊園地では「1.17」の形に並べた竹灯籠に火をともし、発生時刻の午前5時46分に黙とうした。
引き続きあった神戸市主催の追悼行事で、祖母を亡くした遺族代表の下浦裕美さん(49)が「この日がくるたびに(当時を)鮮明に思い出し涙が出る」とした上で「風化することがないよう、子どもたちにずっと伝えたい」と記憶の継承を誓った。
矢田立郎市長はハイチの大地震にも触れながら「震災で得た経験をほかの被災地支援に役立てていくことがわたしたちの使命」と強調した。
忘れずに生きていきたい 震災発生から丸15年 2010年1月17日 神戸
http://www.kobe-np.co.jp/news/shakai/0002647146.shtml
6434人が亡くなった阪神・淡路大震災は17日、発生から丸15年を迎えた。神戸市をはじめ兵庫県内の被災地では、地震が起きた午前5時46分に合わせて追悼行事が営まれ、あらためて犠牲者の冥福を祈った。
神戸・三宮の東遊園地で開かれた「阪神淡路大震災1・17のつどい」には、昨年より約2500人多い約8千人が訪れた。約1万本の竹灯籠のろうそくに火がともされ、「1995 1・17」の文字が浮かび上がる中、地震発生時刻になると、参列者は静かに手を合わせ、犠牲者に黙とうをささげた。
続いて遊園地内の「慰霊と復興のモニュメント」前で追悼のつどいが行われ、神戸市灘区の自宅が全壊、近くに住む祖母=当時(85)=を亡くした同市北区の下浦裕美さん(49)が遺族を代表し「震災は多くの大切なものを奪ったが、人として大切なこともたくさん教えてくれた。そのことを忘れずに生きていきたい」と述べた。
また、神戸市の矢田立郎市長は15年を振り返り、「復興への道のりの中で、『命』『地域での助け合い』『日ごろの備え』の大切さを学んだ。この過程で生まれた絆を忘れず、安全・安心なまちづくりを目指していく」と誓った。
そうですか…。神戸のあの大地震からもう15年も経つんですね…。当時私は住吉大社に近いほとんど堺市寄りの大阪市南部に住んでいましたが、半分寝ぼけていたところに震度3クラスの比較的大きな揺れに襲われて慌ててNHK総合ニュースをつけたらとんでもないことになっていることを知りましたが、つい数日前にもハイチで大きな地震が発生したばかりだけに決して他人事には思えず、また私達人間の命の尊さというものを改めて実感させられると共に、私達1人1人が生かされているのだという思いを改めて強くしました。
http://www.nikkei.co.jp/news/main/20100117STXKA000717012010.html
6434人が亡くなった阪神大震災は17日、発生から15年を迎えた。神戸市など兵庫県内各地で開かれた追悼行事では、参加者が犠牲者の鎮魂を祈り「体験や教訓を語り継ごう」との思いを新たにした。
被災地では高齢者支援や地域活性化など懸案が残り、震災が原因で身体障害者になった「震災障害者」の実態把握という新たな課題も浮上している。
犠牲者の名前が刻まれた「慰霊と復興のモニュメント」がある神戸市中心部の東遊園地では「1.17」の形に並べた竹灯籠に火をともし、発生時刻の午前5時46分に黙とうした。
引き続きあった神戸市主催の追悼行事で、祖母を亡くした遺族代表の下浦裕美さん(49)が「この日がくるたびに(当時を)鮮明に思い出し涙が出る」とした上で「風化することがないよう、子どもたちにずっと伝えたい」と記憶の継承を誓った。
矢田立郎市長はハイチの大地震にも触れながら「震災で得た経験をほかの被災地支援に役立てていくことがわたしたちの使命」と強調した。
忘れずに生きていきたい 震災発生から丸15年 2010年1月17日 神戸
http://www.kobe-np.co.jp/news/shakai/0002647146.shtml
6434人が亡くなった阪神・淡路大震災は17日、発生から丸15年を迎えた。神戸市をはじめ兵庫県内の被災地では、地震が起きた午前5時46分に合わせて追悼行事が営まれ、あらためて犠牲者の冥福を祈った。
神戸・三宮の東遊園地で開かれた「阪神淡路大震災1・17のつどい」には、昨年より約2500人多い約8千人が訪れた。約1万本の竹灯籠のろうそくに火がともされ、「1995 1・17」の文字が浮かび上がる中、地震発生時刻になると、参列者は静かに手を合わせ、犠牲者に黙とうをささげた。
続いて遊園地内の「慰霊と復興のモニュメント」前で追悼のつどいが行われ、神戸市灘区の自宅が全壊、近くに住む祖母=当時(85)=を亡くした同市北区の下浦裕美さん(49)が遺族を代表し「震災は多くの大切なものを奪ったが、人として大切なこともたくさん教えてくれた。そのことを忘れずに生きていきたい」と述べた。
また、神戸市の矢田立郎市長は15年を振り返り、「復興への道のりの中で、『命』『地域での助け合い』『日ごろの備え』の大切さを学んだ。この過程で生まれた絆を忘れず、安全・安心なまちづくりを目指していく」と誓った。
そうですか…。神戸のあの大地震からもう15年も経つんですね…。当時私は住吉大社に近いほとんど堺市寄りの大阪市南部に住んでいましたが、半分寝ぼけていたところに震度3クラスの比較的大きな揺れに襲われて慌ててNHK総合ニュースをつけたらとんでもないことになっていることを知りましたが、つい数日前にもハイチで大きな地震が発生したばかりだけに決して他人事には思えず、また私達人間の命の尊さというものを改めて実感させられると共に、私達1人1人が生かされているのだという思いを改めて強くしました。