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遊一改め入船亭扇蔵、出演情報。 

2015年3月、扇蔵を襲名しました。タイトルは、今も仮です…。

ミスったぁ・遅れ

2006年11月19日 | 日記
18日。 高知龍馬空港10:45発の飛行機が、整備点検ミスで1時間遅れ。 帰京するだけなので良かったけど、仕事なら大変です。 

この旅は天候に恵まれました。 1日目の与論島で、ちょっと降られただけ。 壱岐に渡るカーフェリーも、遅れはありませんでした。 前日か前々日は、天候不良で欠航したそうですから、運も良かったですね。


東京は寒い! 帰宅してから、師匠宅へご挨拶。 ずいぶんと久しぶりな気がする。 戻って、とにかく眠いので寝ました。 


で、お腹が空いたので、渋谷の桂花ラーメンへ。 店から出てきたカップルが、いきなり抱き合って、チューしてました(5秒以上)。 濃厚なとんこつ味のキスでしょう。

そんな光景もビックリですが、太肉麺が950円に値上がりしてて、2度ビックリ。 

でも、今月初めて、酒を抜くことが出来ましたよ。


※画像は、昼の瀬戸内海です。

終電逃し

2006年10月28日 | 日記
26日。 暖かい一日、掃除と洗濯。 午後、踊りの稽古へ行き、先日の踊りの講評をいただく(概ね好評)。 良かった良かった。

その後、協会事務所で、早朝寄席のチラシ作り。 終わって、下北沢のバーへ、ご来場のお礼を。 当然のごとく終電を逃す。



27日。 朝、師匠宅へ。 掃除を済ませ、着物を呉服屋へ。 汗になった着物のお手入れです。 

もう何年も、何回も行ってるんですが、ある店員だけがずっと私を前座扱い。 タメ口はもちろん、言葉の端々に小馬鹿にしている態度が見え隠れします。 

「大変な世界だねぇ?」 …まぁ、確かに大変ですよ。

「いつ高座に上がれるの?」 …ずいぶん前から上がってますけど。

「今日はバイク?」 …いつも車だよ、てゆーか着物と羽織で14枚、バイクで運べねぇよ。 

ってなこと、言いたくても言えません。


その後、黒門亭の設営のため、協会事務所へ行く。 早朝寄席の顔付けの作成から発送まで。 ヘトヘトになり、新宿へ。 アルタ裏で、先日6時半まで一緒だった兄さんとパッタリ。 

11日の学校寄席で世話になった同級生と、反省会と称して一杯。 高校1年生の初めて寄席、その感想文を拝見する。 こちらは、大好評でした。 気分も良く、酒も進む。

終電で下北、いつものバーへ。 また、午前様。

嵐、祈ってます…

2006年10月07日 | 日記
6日。 昨日からの雨が、さらにヒドくなる。 秋の嵐。

11日から船に乗るんですが、嵐が来ないことを祈ります。 揺れる船での落語は、演者もお客さんも大変ですから。 

北海道から東北、屋久島から長崎へ。 どんな旅になることやら。


ハイカイおじさん

2006年10月03日 | 日記
2日。 朝から、打ち合わせやら、諸連絡やら。 午後、雨も上がったので、人形町界隈を徘徊する。 散策ではなく、目的のある徘徊。 ※画像は、“人形町末広跡地”の碑。

夕方、踊りの稽古へ。 相変わらずの身体のカタさ。 22日の会、「奴さん」を踊ることになりそうですが…。 

稽古の後、飲みに行く。 ようやく柔らかくなるが、首から上のみ。 師匠、いつもスイマセンm(__)m

俳句や連句をなさってるご住職と、久しぶりにご一緒させていただく。 マクラの知恵を授かりました。 素晴らしき哉、俳諧の和尚。


一昨日、同い年の兄さんに、「俺たち、フツーにおじさんの歳だよな?」と言われました。 そうなんですよね、同級生の子供は中学生だし、芥川龍之介なら死んでる歳だし。 今晩、飲んでいた根岸には、子規庵。 子規も死んでる年齢。

今後、「おにいさん」と呼ばれた時は、本人確認と報恩感謝を心がけるつもりです。




9・11 多発出ろ

2006年09月12日 | 日記
5年前の9月11日、台風の影響で朝から大雨でした。 師匠宅で掃除をしていても、雨も風も激しくなる一方。 おかみさんが、「これじゃあ、寄席は休みじゃない?」。 事実、一軒の寄席を除き、みな昼席はお休みしました。 なぜなら、関東地方を直撃した台風が、正午前に東京に上陸したからです。 

私は、大師匠・扇橋がトリを務める、国立演芸場の前座でした。 おかみさんに促され、演芸場に電話すると、「やります」という返事。 雨はますます強くなる。 ゴミの袋を貰い、着物の入ったカバンを包む。 「何があるかわからないから、早く出かけなさい」、ドシャ降りの中を出発。 駅まで約5分なのですが、2分も歩かないうちに、ヒザ下がグッショリ。 途中、自分のアパートに寄り、ズボン・靴下・靴を交換。 もう一度、寄席に電話をしてみるが、やはり答えは同じ。

ずぶ濡れになり、これも天災と諦めつつ、国立演芸場に到着。 すると、高座の方が何やら騒々しい。 舞台の天井にあるダクトから、雨が吹き込んでいて、必死の作業をしている。 高座一面には、ブルーシートが張られて、悲惨な状態。 後から楽屋入りしたタテ前座も、「今日は出来ないかもな」。 と言ってるうちに、補修も終わり、「前座さん、開場の準備を!」いう声がかけられる。

メクリを揃え、着物に着替え、そろそろ一番太鼓を入れようかという時、2回目の突入(風雨が)。 再度、天井からの雨漏り、またもブルーシート。

楽屋入りした二つ目の兄さん(現在は真打)も、「今日は中止だな」と。 お囃子の師匠も、我々前座も、みなそう思ってました。


12:45、国立演芸場の昼席で、前座が高座に上がる時間です。 その時、驚きの言葉が、私たちの耳に入りました。 「前座さん、時間だから上がって下さい!」。

「えっ? 誰が? どこに?」、思う間もなく、「ロビーに、お客様がいらっしゃるから」「早くロビーに出て!」という言葉。 事情が判れば、我々もすぐに動きます。 大太鼓・シメ太鼓・座布団をロビーへ運ぶ。 

ロビーには、約10名のお客さま。 その前で、一番太鼓と二番太鼓をいれる。 お囃子の師匠にも、ロビーへ来てもらう。 

「初日だから、兄さんが上がるんでしょ?」と、私。 「お前が出ろ!!」と、タテ前座。 タテの指示は絶対です…。

ロビーに響く出囃子に乗り、ふだんお客様が腰を下ろしてる椅子(あのオレンジ色の)の上に座る。 至近距離のお客様に緊張しつつ、「寿限無」をやりました。 その間に、舞台の方も何とかなったらしく、ロビー後方からOKサインが出ました。 あんなに高座の脇を人が行き来する(早足なのが、緊急さを物語る)ことは珍しい。 また、お客様がどんどん増えるのにも、驚かされました。 

ロビーのお客様を客席に誘導し、二つ目からは通常通りの公演に。 台風も通過し、天候も回復。 トリが上がる時には、開演前のドタバタが嘘のようでした。 無事に初日の幕が閉じました。


その晩は、酒好きのタテ前座の兄さんと、打ち上げ。 すっかりご馳走になり、酩酊して帰宅する。 テレビをつけて、真っ先に目に入ったのが、ビルに突っ込む飛行機の映像。 映画かと思ったが、そうじゃあない。 アメリカの同時多発テロ、そのニュースです。

5年前の国立演芸場・初日の出来事、同時多発テロとともに忘れられません。


※翌日、タテの兄さをが高座に上がり、「手紙無筆」をやりました。 兄貴が「えーーーーーっ」とやり、弟分が「えーが長いねぇ。飛行機が墜落してるんじゃ…」と。 客席が完全に引いたのは、当然です。

さらば、ラバウルよ

2006年09月05日 | 日記
4日。 未明、フジテレビのドキュメンタリー番組は、陸軍大将・今村均を取り上げてました。 19年前、角田房子の『責任 ラバウルの将軍今村均』を読んで以来、気になる大人物。 テレビ番組では、初めて観ました。 上に立つ者の責任の取り方、身の処し方。 改めて考えさせられる。


起床し、テレビのニュースは、堀江被告の初公判。 また、組織のトップの責任について考えさせられる。 両者は、まるで正反対ですね。


鈴本夜席、今日も出番でした。 無責任男の後輩(文京区の学校)なりに、高座も終演後も、責任は果たしました…。


6年前に亡くなった祖父、唯一口ずさんだ歌が「ラバウル小唄」でした。


即日、筋肉痛

2006年08月26日 | 日記
25日。 午前中は打ち合わせ、午後は踊りの稽古へ。 昨日の引越し作業ほどではないが、また汗にまみれる。 昨日は上半身、今日は下半身を使いました。 腕は上がらない(二重の意味で)し、腰は落ちない…。 日頃の運動不足を痛感する。


明日(26日)は午後から三ノ輪、夕方は高田馬場です。 高田馬場駅から徒歩3分、さかえ通りの焼鳥屋「ちゃぼ」、毎月やってる“ちゃぼ寄席”、18時開演です。 あさって27日は東戸塚西武で、13時からと15時からです。 


いつまでも、休んでちゃあいけません。 来月28日の会、チラシも出来ましたし。


来し方行く末

2006年08月25日 | 日記
24日。 二つ目の兄さんの引越しの手伝いへ。 行きの電車で、ブログ更新。 先程、引越し&その祝宴が終了しました。 また、電車で更新中。


入門以来6年半、変わらず住んでいるアパート。 そろそろ、私も…。 考えています! でも、どうなることやら(-_-;)

秘すれば花

2006年08月22日 | 日記
某日深夜。 帰宅の足を失い、約20分の道のりを歩く。 途中、某ラーメン屋に寄り道して、注文(生ビールを含む)を済ます。 と、私と同じ匂いの人間が店に入ってきた。 ウチの近所に住む、二つ目の某兄さんだ!

結局、すっかりご馳走になってしまいました。 いつも、ありがとうございますm(__)m 


某日夕刻。 都内某所の飲食店でやっている、とある二つ目の落語会。 私が顔付けと連絡係をやっています。 出番は無いが、今後の打ち合わせのため、顔を出す。 今回で11回目、9月以降も続くことになり、安堵する。


明日の晩は、二つ目のある後輩と飲む予定。 あさっては、ある兄さんの引っ越しの手伝いだ。


人名・地名・店名を伏せるだけで、話にリアリティが無くなるもんですね。 でも、これこそが、仕事の無い二つ目のリアルな姿でもある訳です(T_T)


日露・両国

2006年08月21日 | 日記
20日。 用足しを終え、テレビをつけると、甲子園の決勝は中盤戦。 早実対駒大苫小牧の戦いは、白熱し緊迫した展開! 

高校球児が自分より年下になってから、こんなに熱心に観たのは久しぶりかも。 高校野球も高校サッカーも、18歳を過ぎると興味が薄らぎました。 ラグビーは大学までで、大相撲は30までかな。 やってる人間が年下だと、何故か熱くなれなくなってました。 プロレスでも、若手への思い入れが少なくなりましたし。

ちなみに格闘技で言うと、私と全く同じ日に生まれた人がいます。 バルセロナ五輪で小川直也を破り、柔道金メダルを獲得、後に総合格闘技へも参戦した、ハハレイシビリ・ダビド。 1971年2月28日生まれの同級生。 柳家小権太兄さんと生年月日が同じなのが、プライド王者のエメリヤーエンコ・ヒョードルです。 1976年9月28日生まれ、来月で30歳。 日本の二人とロシアの二人、えらい違いです。


甲子園、13回終了時点で、出かける時間に。 つい先日、テレビ付き携帯から機種変更したことを後悔する。 結局、引き分け→再試合だとか。


夕方。 両国にて、昔からお世話になってる先輩方と暑気払い。 九月場所で、また会う約束をしてお開き。 こちらは、水入り無しの6時間、楽しかったです! ご馳走さまでしたm(__)m


※次回の「入船さん、こんにちは 柳家さん、こんばんは」は、小権太兄さんの30回目のバースデーなんですよ。


敗戦の町

2006年08月16日 | 日記
15日。 騎西の実家で朝を迎えました。 母の実家がある桶川へ行く。 6年前に亡くなった祖父に線香を上げ、祖母と一緒に昼食をとる。 元気で何よりです。 
その後、父方の祖父母宅(尚武館道場)へ戻る。 叔母も来ていて、しばし談笑。 


その後、久しぶりに行田へ“フライ”を食べに行く。 忍城近くの「かねつき堂」で、フライ(卵入り)とゼリーフライを食べる。 あと、焼きそばも…。 “フライ”は、具の無いおこのみ焼みたいなもので、揚げ物のフライとは無関係です。 “ゼリーフライ”はおからのコロッケの衣ナシ。 何だか分からない食べ物ですが、埼玉北部の人間には愛されてます。 相変わらず、画像に押さえるのを忘れ、夢中になって食べまくる。 満足。

フライの語源は、諸説あります。 行田は足袋の産地なので「布来」説と、縁起を担いだ「富来」説が有力のようです。

埼玉県の「埼玉」は、行田市にある埼玉(“さきたま”と発音)という地名から来てます。 さきたま古墳群が、有名ですね。 実家から車で15分くらいなので、夏場は肝試しに遊びに行ったものです。 すいませんでしたm(__)m

テレビ埼玉のCMでお馴染み「風が語りかけます…。ウマい、ウマ過ぎる!! 十万石まんじゅう」、こちらは、行田・忍十万石に由来してます。 豊臣秀吉の命を受け、その忍城を落とすべく派遣されたのが、あの石田三成。 水攻めをするために築いた「石田堤」が、今も戦国時代の名残りをとどめています。

わが故郷・騎西町の私市(きさい)城は、上杉謙信に落とされました。 

昭和20年8月15日、日本の敗戦を伝える玉音放送の後、騎西町で戦争による死者が出ました。 14日の夜が、熊谷の空襲。 熊谷に向かうB29が、騎西へも爆弾を落としていきました。 その不発弾に触れた子供が、亡くなったそうです。



停電大食

2006年08月15日 | 日記
14日。 今朝は、ゆっくり寝ようと思ってましたが…。 明け方の暑さで入れたエアコンが、いきなり切れる。 電話の電源が落ちる音もする。 テレビもつかない。 起き上がって、ブレーカーを確認するも異常なし。 ご近所さんの話し声を聞き、一帯が停電してることを把握しました。 7:59に停電、8:26に復旧しました。 その間、携帯で埼玉の友人に連絡し、東京大停電を知った次第。 結局、実家の家族からの連絡は無し。 またか。

単なる停電なので、“冷蔵庫のアイスをどのタイミングで食べるか”くらいしか悩みませんでした。 でも、これが地震などの災害や、空襲だの爆撃による停電だったらと思うと…。 全く備えがないことに気付き、あせりました。 せめてラジオくらいは、常備したいもんです。 情報が無いというのは、かなり恐ろしい。


協会事務所で作業を終え、久しぶりに故郷へ帰る。 同級生5人と、久しぶりの邂逅。 って、そんな大したものではなく、フツーに居酒屋、そしてスナック。 誰も飲酒運転せずに移動したのが、唯一の成長かも。 結婚、再婚、そして子供の誕生、うれしい話の中、同級生の訃報も耳にした。 いくら何でも、早いでしょ(T_T)


「早食いは、肥満のもと」 先日、そんな新聞記事を目にしました。 前座以来、早食いを身につけた私、飲み方は変わってないけど、食べ方に(腹にも)批判が集まる。 自分でも言うのもなんですが、以前は飲むと食べない人間でした。 それなのに、この頃は。
今夜も、実家前ではなく、最寄り(でも、徒歩5分)のコンビニ前で下車。 まるごとソーセージ(通称、まるソー)を購入、そして即食い(もちろん、軽くレンジでチンの後)。 

現在、反省中です。

残暑お見舞い申し上げます

2006年08月10日 | 日記
午前中は、関係各所へ諸連絡。 下北沢で、昼食と買い物。 「下北サンデーズ」のロケをやってる訳もなく、上戸彩に遇えるはずも無い。 

その後、師匠宅から末広亭の楽屋へ。 師匠へ届けもの&カバンの回収。 再度、師匠宅へ。 あまりの暑さに、バスで戻る。

夏の暑さで有名な、埼玉の熊谷。 私、そこで、測量業務に従事してた時期がありました(埼玉国体のメイン会場の測量もやったよ!)。 測量、冬もキツいけど、夏は大変でした。 道路の測量なら、アスファルトの上は当たり前。 朝から、炎天下走り回って、真っ黒に日焼けしてたもんです。 今は、朝起きない、表に出ない(いろんな意味で)、顔色は悪し。

先日、一門のあるおかみさんに、「遊一くん、夏は海行くの?」と聞かれましたが…。 海どころか、プールすら行ってませんよ、噺家になってから。 「噺家って、一番海が似合わないね」ですって。 その通りです。


そんな暑い夏を乗り切る、江戸時代の粋な遊びを紹介する番組。 明日11日の19:30から、NHK「江戸の頭脳に挑戦! 粋な遊びのテーマパーク」。 冒頭のシーン、太鼓を叩く遊一の姿が見られます。 たぶん。

ホエールよりオリエンタル

2006年08月09日 | 日記
午後、踊りの稽古へ。 「七福神」は、むつかしいけど楽しい。 その後、上野で打ち合わせ。 今日は、飲みません。

渋谷で用足し。 宮益坂の先に人だかりが…。 オリエンタルラジオが、ロケをしている。 1年目で売れた、吉本の若手お笑いコンビだ。 女の子に、キャーキャー言われている。 

ちょっと待ってよ。 おととい、マルイシティの前に斎藤明夫が佇んでた時は、全く気付かないくせに。 あんなに大きいんだから、わかるでしょ!? 俺だけです、熱い視線を送ってたのは。 

“大洋”の斎藤明夫だって、1年目から活躍して、たしか新人王も取ったハズ。 現役を退くと、こうなるんですかねぇ。

まぁ、私の場合、現役でもキャーキャー言われたこと無いですけど(-_-;)


長崎は、今日。

2006年08月09日 | 日記
8日。 有楽町朝日ホールで、『朗読劇 この子たちの夏』を観る。 朝日名人会の前座だったので、朝日ホールへは何度も行ってましたが、客席は初めて。 広島と長崎の原爆で被害を受けた方の手記、それを女優さんが朗読します。 あまりに悲惨で残酷な現実に、すすり泣く人が多数いました。 

  目玉飛びでて盲となりし学童は かさなり死にぬ橋のたもとに

  服焼けて裸身となりし女学生 ただれた両手で恥部をかくせり

合間に、短歌や俳句の朗読もありました。 その朗読をなさってた女優の方と、終演後に一杯…。 もちろん、一杯では済むわけもなく。 いろんな話を伺いました。 

清く別れたものの、気が済まず(飲み足りず)、もう一軒。 馴染みのお店で、癒されました。 


※平和の象徴と呼ばれる鳩、意外にもかなり凶暴らしいですね。 メスをめぐるオス同士の闘い、とどめを刺してもなお、攻撃をやめないんだとか…。 自ら“ハト派”などと言う人には、気をつけたいものです。