この4月、桜の花が開き始めると頭に浮かぶ歌があります。
曹洞宗の禅僧で手毬歌などでで有名な”良寛さんの”辞世の歌といわれるものです。
この辞世の歌”散る桜 残る桜も 散る桜”。
ぱっと咲いてぱっと散る、短命の桜の花の中にも、人間一生の縮図。
良寛の辞世の歌とも言われながら、先の太平洋戦争時、我が身を捧げ特攻隊となって、
敵地へ帰らぬ出撃する神風特攻隊の友人機を、涙ながらにちぎれんばかりに腕を降り見送り、
また自分も出撃し、この世への別れの弔い歌に変えられていったのではないでしょうか。
本来、良寛さんは40歳も離れた弟子”貞心尼”さんへの恋心をこの歌に秘めたのではないでしょうか?
”来世で待っています、いずれあなたも我が許にと”
戦争で我が身を捨てる覚悟の兵隊さんと良寛さんの気持ちは同じではないと考えます。
良寛さんは臨終の歌に、いとしいお前が来るのを黄泉の国で待っていると。
兵隊さんはこのんで自ら命を絶った人達は誰もいません。
戦友に俺も後から行くからと、涙ながらに戦友に家族に詠ったのです。
今、時代は変れ、今回の大震災には江戸時代の禅僧の気持ちと戦争時の友を思う気持ちが重なります。
自粛自粛でも日本は落ち込みます、少しは明るい心を持つべきです。
明るく節約もして少しの不自由は我慢して、同じ日本国民として回復東日本のために頑張りたいですね。
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桜は、いろんな想いを託す花でもありますね。
後に創作されたもの、という説も有力ですが、
私にとっては、浅野長矩の辞世の句
「風さそふ 花よりもなほ 我はまた 春の名残を いかにとやせん」
を思い浮かべてながめることが多かったです。
ただ、やまちゃんのこの記事と、らいん屋親父さまの記事を拝見し、
お国のためと散った方々の魂も宿っているのだと思いをあらたにしました。
いずれにしろ、「いのち」を感じる花です。
桜って色々な思いの木なんかもしれんね~
自粛は国のプラスにならん・・・
今は特に経済を回さんかったら支援にも
繋がれへんよ。。。
特に購買、経済の自粛は絶対にあかんなぁ。
国が政府券を作って、国民全員に30万配ればいいのにな。
所得制限は必要やろけど。
特攻兵で英霊になった人も辛かったやろけど、終戦で英霊になれんかった特攻兵はもっと辛い戦後やったみたいですな。
戦後復興は経済発展で出来たんやから、購買・経済の自粛は絶対にしたらアカンですな。
見上げねば、なりません。
花筏になる日まで、
上を向いて
愛でてあげたいものです。
九州は桜・・満開です。
桜色に染まる木を亡くした被災地にも
桜前線は、登って行きますね。
春です。
・・はなこころ
いろいろな描写に使われます、辞世の句で言えば細川ガラシャの
“散りぬべき時知りてこそ世の中の花も花なれ人も人なれ”と花を詠っています、
花は人生の縮図なんですね。
こんな時ほど金を使わなきゃあいかん、初七日だけは自粛しても、
もう勇気ずけして日本が元気にならなきゃ東日本も立ち上がれないね、無い金も思い切って江戸っ子のように使え~~~
明日は明日の風が吹く~
東京大空襲でも世界の首都となった、
戦後も原子爆弾落とされてもメイドインジャパンになった、
神戸も阪神の大震災から甦った、中越も東北を応援するほどに復興した、
元気なら元に戻り復興する、
仕分け作業でかすかすになるまで息も付けない予算がどれだけ日本国を疲弊させているか、
これで判ったじゃろ、
八ン場ダムが出来ていれば発電機を設置するだけで50万kwくらいは都民は助かったで、
”よっしゃ!よっしゃ!”も片目つぶる潤滑油政治と思うな~ー
自然界は幸でも不幸でも決められた営みに素直に従い生きています、
起きてしまった大災害、立ち直るしかすべは無いのです、助けるしかすべは無いのです、
受け入れて心を強く立ち上がるしかないのです、
この災害で起きた作られた人災以外は、、、