やまちゃんのおっさんぶろぐ

あくせくしなくなって来た団塊世代のおっさんの新米ブログVer.3

我がルーツ

2010年01月04日 11時12分51秒 | 我が家


平成22年(2010年)の新年にやまちゃん家のルーツをさかのぼって見ました。


ルーツと言えば大袈裟になるが、仏壇の位牌に書かれている年代を書き出して見ました。


不文字立上座 宝暦11年5月6日
文室知彩尼上座 明和6年2月5日
緎峯量竒上座 文化2年8月14日
連室廓城尼上座 文化10年3月26日
壽岳妙延尼上座 弘化5年7月13日
鐵岩明牛上座 慶応3年4月16日
孝室妙順尼上座 明治20年10月26日
俊道明秀庵主 大正5年7月6日
俊光妙秀尼庵主 大正11年12月22日
智岳見道上座 昭和5年10月16日
喚山利法菴主 昭和16年11月10日
秋山妙紅尼上座 昭和20年8月8日
寳山智法尼菴主 昭和20年8月23日
積峯純徳居士 昭和24年12月26日
実相仲道尼庵主 昭和38年2月7日
浄雲賢祥居士 平成9年8月22日
賢室静祥大姉 平成10年3月16日




やまちゃんの両親の名前までやまちゃん家の仏間の位牌には17人の名前が書かれています。


1人目はやまちゃん家創家の人でしょう、


1761年(宝暦年間)9代将軍徳川家重の時代に没してます。


2人目の人は文室と書かれていますので1人目の奥さんではないでしょうか、


1769年(明和年間)10代将軍徳川家治の時代1人目から7年後に没してます。


3人目は1805年(文化年間)11代将軍徳川家斉の時代に2人目から36年後に没しています。


4人目は1813年(文化年間)3人目から8年後、同じ徳川家斉の時代に没しています、


やはり室が書かれていますから奥さんだったのでしょう。


廓の城の尼と言う字が書かれていますので、廓の経営者か元おいらんだったかもしれません。


5人目は4人目から35年後、1848年(弘化年間)江戸幕府12代将軍徳川家慶の時代に没しています。


6人目は5人目から20年後、1868年(慶応年間)江戸幕府最後の将軍、15代将軍徳川慶喜の時代、


明治維新になる年に没しています。


明治以後、戸籍が編さんされ我が家に残っている書物には天保14年に生まれた人の名前が書かれています、


天保とは文化文政年間が終わり弘化年間の始まる前の年、1843年です。

                          



この人の戸籍にはその父親の名前が書かれていますが、細かな事は書かれていません、





ただ戸籍の中には”平民”と記されています、これでやまちゃんの家系は、


はサラブレットではなく普通の人の家系だという事が判りました。



戒名の中には峯という字や、岳、岩、山という文字が出てきます、


古い書類の中にも所有していたらしい山や原野の場所が多く記載されています。

             


これが現在やまちゃんの物であれば、今頃はリッチな生活をしていたでしょうね。



明治以後は手書きにせよ戸籍が保存されている為、しっかりと判りますが江戸の昔は?が多いですね。



古い過去帳を見れば代々の人の俗名がわかるでしょうが、昔の菩提寺は廃寺となり



現在の菩提寺には新しい人の過去帳しか存在しません。



これからどの位やまちゃん家が存続するか判りませんが江戸時代から書かれた、



位牌は両親の名前を書くスペースが無かった為、やまちゃんが新しい物を作りました、


これでやまちゃんの後の代は5代位は位牌の新築はしなくていいでしょう。







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