烏有亭日乗

烏の塒に帰るを眺めつつ気ままに綴る読書日記

モダニズムのニッポン

2006-07-15 15:13:50 | 本:社会

 『モダニズムのニッポン』(橋爪紳也著、角川選書)を読む。1920年代やっとラジオ放送が開始された頃、紙媒体の広告は現在よりもはるかに重みを持っていただろう。本書の中にある電化時代の到来を言祝ぐ広告やホテルなどの観光の宣伝広告を眺めると、当時の広告のメッセージは「実直」であり、広告をする側と広告をされる側の両者がともに同じ「未来」に向かって眼差しを向けていたことが感じられる。これはある意味幸福な時代であったのだろう。現代では広告の受け手は、素直に広告する側のメッセージを受け容れるような野暮なことはしない。必ずそのメタメッセージを読み取るように「できあがっている」。
 モダニズムの時代は、機能が優先される時代であり約束される新しい機能を素直に信じていた時代であった。そこでは「直線」、「流線型」が時代の先端であった。昭和五年には『直線時代』という雑誌が創刊されたという。
その主宰者の「時代の推移と直線生活」という文では



マルクスボーイならずとも、多少でも人間らしき感覚を有つ程の者は、最近に於ける生産力の目覚しき発展が、社会のあらゆる領域に、最もフレッシュな形態と、尖鋭な行動とをめまぐろ(ママ)しい程に要求し、振りまいて行くその旋風的光景を何うして見逃すことが出来やう。


と書かれている。余計な礼節や体裁は不要であり直截なこと、迅速で効率のよいことがすなわち善であるという精神が掲げられている。この頃から日本人はわき目も振らずに直線コースを走る(走らされる)ようになったのだろうか。1930年代には「流線型」が時代の最先端になり、蛔虫駆除までも「流線型に排出す」ると広告されていたということには苦笑してしまった。しかしそう声高に速さが宣伝されていたということからすると、当時は全体としてみればまだゆっくりとした時間の流れにあったのであろう。ちょうど現在が息をつく暇もないくらい忙しくしているからこそ、ゆとりやスローライフが叫ばれているように。


このほかに洗濯業が洋装の普及とともに近代化したことや石鹸も「清潔を善」とする公衆衛生的思想からさまざまな方法(石鹸彫刻展覧会など)で普及が図られたことが分かり興味深かった。また昭和初期に女性の洋装とともに「マネキンガール」(ファッションモデル)や「エアガール」(フライトアテンダント)などの職業が生まれたこと、女性の洋装化が風紀の紊乱とさる筋には認識されていたこと(「その内容は谷崎潤一郎氏が好んで書くところの作品に出る女以上のものばかりである。こうした男女の交渉は親にとって特に注意すべき大きな問題で、取調べ終了次第、事実を社会に発表して反省と注意を促す考えだ」)が紹介されている。女性に対する無意識の欲望の眼差しが時代の変化(この場合は洋装した女性の登場)を契機に投影された一例といえよう。