烏有亭日乗

烏の塒に帰るを眺めつつ気ままに綴る読書日記

東西/南北考

2006-03-17 22:16:08 | 本:社会

 『東西/南北考』(赤坂憲雄著、岩波新書)を読む。
 冒頭に箕という農耕器具の形態の違いから日本の文化圏の違いを示唆することから話は始まる。柳田國男が唱えた「一つの日本」という概念に対するアンチテーゼを著者は唱える。米作を中心とする文化に対し、餅を正月に飾らない習俗があることなどを例にあげ、米作中心の文化が必ずしも普遍的ではなかったとことを例証するとともに、柳田の民俗学的業績の裏には、「一つの日本」があるというイデオロギーが存在したということを著者は主張する。 
 実際には「いくつもの日本」があったが、「ひとつの日本」を見たいという欲望が明治以降の近代、国民国家を形成する過程で造られてきたという。肉食の禁忌、を汚穢とみなす文化は限定的なもので、埋葬の民俗学的研究からも死を不浄としてとらえるのも「日本」固有の価値観ではないことを論じている。
 この著書の中では「米/肉の対立はいつしか清浄/穢れの対立に置き換えられ、その結果として、牛馬の処理や肉食にかかわる人々や、狩猟をつねとする人々に向けての卑賤視が強まっていった」と記載され肉食がどのようにして不浄という観念と結びついていったかは必ずしも明らかにはされていない。動物のが不浄という観念と結びつくのはなぜだろうか。稲作を生業としていることと四足獣のは必ずしも相反する概念ではないと思うのだが、これがどうして相対する対立軸となったのか。強力な宗教的戒律が存在しなかった日本だけに不思議でならない。