烏有亭日乗

烏の塒に帰るを眺めつつ気ままに綴る読書日記

妊娠小説

2008-02-17 23:50:03 | 本:文学

 『妊娠小説』(斉藤美奈子著、ちくま文庫)を読む。
 以前『謎解き村上春樹』を読んだ際に本書のことが触れてあり、読もうと思っていたのだが、彼女の他の作品から読み始めようやくこの本にたどり着いた。妊娠が描かれている小説(本の裏表紙に書いてあるように『舞姫』から『風の歌を聴け』まで)を片っ端からとりあげ、その構造を分析している。
 小説で取り上げられる妊娠は、「おめでた」でも「ご懐妊」でもなく、まさに「妊娠」として即物的に表現されているという指摘が鋭い感覚だと感じた。この事件としての妊娠の描写は、決まっており「受胎告知」を中心として構造化されていることが指摘される。このことから妊娠とは日常生活で繰りかえされる「神話」であることがわかるのである。
 著者によれば小説は、出会い→初性交→受胎告知→中絶→別れへと進み、盛り上がり度は当然受胎告知をピークとする。これと並行して登場する男女間の距離は、出会い→接近→性交の定着→受胎→亀裂の発生→離反→別れとなる。
 妊娠小説にはメンズ系とレディス系があるそうなのだが、前者の類型としては
・青年打撃譚:若い男が恋人の妊娠で打撃を受ける話
・浮気男疲労譚:中年(妻子持ち)の男が愛人の妊娠で疲れる話
・恋愛挫折譚:若い男が恋人の妊娠中絶(流産)で失望する話
・中絶疑惑譚:中高年の男が過去の妊娠中絶に疑惑を抱く話
があり、後者の類型としては
・おぼこ娘自立譚:女が妊娠中絶を契機に男を捨てる話
・母子家庭創生譚:男が消滅して女が出産を決意する話
・妊娠無常譚:女が妊娠中絶できずひどい目にあう話
・妊娠誤謬譚:妊娠がまちがいだったと知る話
これらの類型を出産抑止力と出産促進力の大小関係から分析しているところは大変面白い。
 そして最終章(「避妊をめぐる冒険」)では、そもそもどうして妊娠という事件が出来するに至ったのか、すなわちなぜ避妊をしなかったのかの原因にメスを入れている。ここはそれを言っちゃあという感じがなきにしもあらずだが、著者によると
・避妊が存在しない世界だった(異界型)
・避妊を実行しなかった(避妊非実行型)
・正しい避妊の知識を持っていなかった(知識不足型)
・正しく避妊を実行できなかった(運用失敗型)
に分類できる。そしてこうした不条理な妊娠小説の避妊感覚と結末について評してこうまとめる。

この結末には、現代の日本文学(とこの国の文化)の一端がはしなくも露呈しているようにも思われる。中絶は深遠だが、避妊は浮薄である。中絶には精緻な描写が求められるが、避妊の知識はガサツでよい。中絶はなにをおいても語らねばならぬが、避妊は語るに及ばぬ。そこにあるのは「避妊はダサいが、中絶はカッコイイ」という価値観で、だからこそ妊娠小説は書かれ、避妊は小説に出てこない。

中絶と避妊といういずれも妊娠→出産を回避する方法論に対する見方の無意識的先入観を指摘している。こうした無意識の態度というのは、妊娠に限らず非常におおくの二者択一の問題にからんでいるのではないかと思う。