『<民主>と<愛国>』(小熊英二著、新曜社刊)を読む。
1945年から70年代初頭までの戦後思想を年代順に追いながら、戦後の日本思想を検証していく著書である。索引まで入れると966頁という大著であるだけに読み応えは十分。戦争を全く知らない世代の自分としては初めて知ることが多く勉強になった。
本書では、対象となる戦後を敗戦から五十五年体制が成立し、翌年「もはや戦後ではない」といわれる時期前を「第一の戦後」とし、それ以後を「第二の戦後」としている。「第一の戦後」においては、日本はまだ貧しく、アジアの後進国であり、社会秩序はまだ不安定であった。その後日本は飛躍的な経済復興を成し遂げ、社会も安定化した。著者は、この時代の変化に注意を喚起し、「民主主義」、「平等」、「愛国」といった言葉が表面的には同じでも、語られる内実が異なっていると指摘する。このことは当時の背景がよくわかるようにさまざまな時代の証言が引用してあり、説得力を感じた。
また本書を読んでよくわかったのが、戦後知識人が終戦当時どの世代であったのか、どこでどのような戦争体験をもったのかがその思想を理解する上で重要であることだ。戦後思想が、一般的にみてその年長世代への批判を内に秘めていたということだ。敗戦時に二十歳前後以下だった世代にとっては、”戦争が通常の状態”となっており、一部の人にとっては敗戦は解放ではなく価値観の崩壊として受け止められていた。それよりも年長だった人々は戦時中に戦争を批判することができなかったという深い精神的傷を負っていた。丸山眞男は年長の”オールド・リベラリスト”を批判し、吉本隆明などの「戦中派」は、丸山たちの世代を批判し、江藤淳や石原慎太郎は戦争体験に固執する「戦中派」を批判していたという構図である。これは年少の世代になればなるほど戦争に対する加害者意識ではなく被害者意識の方が優勢になっているという傾向と関係しているようだ。この複雑な加害者意識と被害者意識のアマルガムが外に向かうとき、極端な体制批判や反米行動、転向者批判などさまざまな標的に向かっていった。一口に戦争体験としてまとめられるが、世代を初めとして、出身階層や居住地域、軍隊経験や空襲体験の有無によって非常に多彩であることがよくわかる。
憲法についても制定当時は保守派は絶賛し、左派は改憲を主張していた当時の状況や六十年安保闘争において国民が岸政権と対峙した状況の記述は非常に興味深かった。護憲と改憲についても法理的なことは別にして、こうした戦後の社会・経済情勢の推移も含めてみると、著者が述べているように速やかに改憲する必要もないのかもしれない。本書でも引用されているが鶴見俊輔のいうように「平和憲法という嘘」を「嘘から誠を出したい」として支持していくのも一つの方向であろう。
戦後のさまざまな思想を辿ってみて感じたことは、一つには不思議なことそして不幸なことに戦争をまったく知らない世代にその思想が移植されていないのではないかということだ。戦争を経験した世代間どうしで論争しながら、その経験からでた思想が知らない世代へ伝達され育まれていないと感じられる。そして第二にこれらの戦後責任の問題が国内に閉じた議論であったように思われる。戦争で被害にあったアジアの人々に対する視点が抜け落ちていたのではないか、そう思わざるを得ない。