烏有亭日乗

烏の塒に帰るを眺めつつ気ままに綴る読書日記

日本の200年上巻

2007-03-16 23:06:45 | 本:歴史

 『日本の200年 上』(アンドルー・ゴードン著、森谷文昭訳、みすず書房刊)を読む。
 最近江戸末期から明治にかけての歴史についての本を読んでいたのと、かわうそ亭さんのブログで紹介してあったのを読んで食指が動き、読んでみた。そこでもすでに指摘されてあるように、この書の原題は「A Modern History of Japan」であり、「Modern Japanese History」ではない。ここで描かれる歴史は、「日本と呼ばれる場でたまたま展開した、特殊「近代的な」物語」なのである。歴史というものをどう認識するかということが冒頭で簡潔ながら要点をついて宣言されている。この部分を読んだとき、これはこの歴史の当事者である私たちが、「私の本を読んでどうあなたの国の歴史をとらえますか」と著者から問われているのだと感じた。
 私はたまたま日本という国に生まれて、近現代史の流れの下流を漂っている一人の人間なのだろうか。それとも日本という独特の歴史の流れに身を託している人間なのだろうか。前者であれば私の世界はこの地球上のほかの国々の人々と歴史を共有しているのであり、その流れの中であるときは近づき、あるときは離れながら大河を下っていることになる。後者であれば、私は他の国々の流れとは交わることもなく、しがたって共感なく傍観しながら小川を下っていることになる。歴史を読み解いていくときにどちらが実り多い姿勢であるかは明らかだろう。ただし同じ河を流れているとしてもヘーゲルが喝破したように世界精神のような同じところに流れ着くとは保証のかぎりではないのである。
 そんなことを感じさせてくれる歴史の本である。これは他国の人が書いてくれた日本史でなければなかなかこうした味わいはでないのかもしれない。各章の事件は私たちにおなじみのことだが、章末には著者の総括がこれまた端的に述べられており、この部分を読んでいくだけでも十分に面白い。
 試みに各章の終わりに書かれている文章を抜粋してみる。

序章 過去が遺したもの

本書の狙いは、この歴史における原因と結果を整理し、連続性と突然の変化の両方を見定め、日本人自身が自分たちの経験をどのように理解しているのかを理解することである。これらのテーマはいずれも、世界市民が共有する歴史の遺産の一部をなすものであり、人によって見方は分かれても、重要でありつづけているテーマである。

第一章 徳川政体

 徳川の秩序の柔軟性と、その秩序のおよんだ範囲は、限られたものだった。一八五○年代にその軍事力と経済力を日本国内にまで突きつけるにいたった西欧の国民国家と比較すると、徳川の政体は、不細工であり、構造的にもまとまりを欠いていた。(中略)十九世紀初頭の時点までに、この政体の基本的性格にかかわる、経済社会的およびイデオロギー的な面の大きなひずみは、徳川幕府の政治的・社会的支配を大幅に弱体化させてしまった。

第二章 社会的・経済的転換

 徳川時代をつうじて社会的な抗議が徐々にではあるが、確実に強まったが、それは昔からあった不平等一般への反応として強まったわけではなく、新しいタイプの不平等、つまり、市場経済がもたらした不平等への反応として強まったのである。支配者と富める者たちは、地位の高さのゆえに攻撃されたというよりも、むしろ高い地位にある者には当然慈善を施す義務があると了解されていたはずなのに、かれらがその義務を履行しなくなったがゆえに攻撃されたのだった。

第三章 徳川後期の知的状況

 十九世紀初頭の時点までの徳川時代の、多くの思想家たちや現状の批判者たちの著作を貫いていた一本の糸は、要するに、時代は混乱状態にある、という広範な意識だった。(中略)ものごとを正すとは、多くの場合、徳川時代初期の理想化された黄金時代に回帰することを意味した。(中略)一八五○年代にいたって、西洋が支配する世界秩序へと日本がむりやりに屈辱的なかたちで参加させられるようになり、劇的に新しいコンテキストがつくり出されると、行動を求めるこうした声は、多くの人々の不満および挫折した願望と混ざりあった。

第四章 討幕

 幕府の崩壊を嘆く者はほとんどいなかった。しかし、新秩序に賛同する者もほとんどいなかった。だれが新体制を率いるのか。新体制の構成はどうなるのか。一八六八年に明治という新しい年号が制定されたが、その時点では、これらの問いや他の多くの基本的な問いへの答えは、空から降ってきた御札といっしょになって、文字どおり宙を舞っているかのようにみえた。

第五章 武士たちの革命

 ヨーロッパを基準とする比較を避けることに加えて、明治革命が、世界中の近代革命と同様に、持続的な激動のプロセスだったことを認識することも肝心である。公立の学校、新しい税制、徴兵制度は、これらにしばしば反抗的に反応した国民にたいして、上から強引に押しつけられた。(中略)明治革命は多くの変化をもたらしたが、決着をつけた問題は、ごくわずかでしかなかった。

第六章 参加と異議申し立て

 あきらかに、憲法の起草者たちは、憲法が国民を封じこめる機能を果たすことを期待していた。しかし、明治憲法が民権を制限したことだけを強調しすぎると、憲法がそののちの変革をもたらす源泉としてもった歴史的な意義を見落とすことになる。否定できない事実は、憲法に規定された、公選による、そして助言の権限をもつにとどまらない国会というものが、いまや存在するようにいたったという点である。(中略)元老たちが憲法を制定することを決定したさい、かれらはそのような政治的統一体としての国民(ボディ・ポリティック)が形成途上にあり、政治秩序について独自の構想を練りあげつつあったことを、痛切に感じていたのである。

第七章 社会、経済、文化の変容

当時の非西欧世界の多くは、拡大の一途をたどっていた欧米諸国の覇権にたいする経済的、政治的従属を、ますます強く強いられていたのである。欧米の「先進」諸国のなかには、独裁的という点では新生の明治体制に劣らない国もいくつかあった。しかし、あらゆる近代革命に共通していえることだが、明治時代に起きたかずかずの変化は、進歩と痛みが複雑に混ざりあった遺産を残した。

第八章 帝国と国内秩序

それらの(国粋主義的・愛国主義的な団体)組織や団体は、日本らしさについて正統な見方・考えかたというものを打ち出し、広めた。すなわち若者は大人に忠誠を尽くし、女性は男性に、小作人は地主に、労働者は雇用主や資本家に、兵士と臣民は天皇と国家に忠誠を尽くす、という入れ子状に順次組み合わさった、一連の忠誠心の組合せシステムこそが日本らしさの本質だ、ととらえるものである。人々には身動きする余地は残されていたし、ときにはこの忠誠システムに刃向かうことさえも不可能ではなかった。しかし、日本帝国の政治秩序は、強力な規制力もそなえていた。

第九章 経済と社会

社会的・文化的な衝突のいくつかは、古い共同体が失われることへの不安と、古い共同体を救いたいという願いとを反映していた。農民と労働者は、富と力をもっている人々にたいし、従来どおりに温情的な保護をあたえつづけるようにと迫った。しかし農民と労働者は、すでに恩恵を「権利」として要求しはじめていたのだ。かれらは、新しい、近代的な政治と文化の言葉を使うようになった。そして、古い伝統を維持することから、新しい伝統を定義することへと、主張の力点を移しつつあった。

第十章 戦間期の民主主義と帝国

一九二○年代の終わりから三○年代のはじめにかけて、帝国民主主義秩序が国の内外で攻撃にさらされると、日本の指導者たちは、民主主義よりも天皇と帝国を優先したのである。折から経済不況と国際緊張が深まるなかで、指導者たちは、強調的な帝国主義よりも排他的な帝国を選び、議会制民主主義の道を捨てて、権威主義的政治体制を強化したのである。