Wake Up !

一人のヒーラーさんとの出会いから、私の世界が変わっていきました。

必要なものは頂ける

2013-09-07 23:06:31 | 日々のつぶやき

先日、逆流性食道炎と書いたことから、従妹のタカコちゃんが、それならば良い薬があるからとその薬を送ってくれた。ありがたいことである。

早速 昨晩飲んだところ効いたのか、今朝は機嫌よくおじやを積極的に父は食べた。

心臓が気になっていた父は今日、タカコちゃんのご主人が循環器の医者なので、診察を受けに出かけた。

今の病院ではレントゲンもエコーも心電図もないのか?全く検査しないので不安になっており、胸のつかえを訴えても、「リンパの癌だから。」との一言で片づけられている事にも私たちも不信感を持っていたが、どうもその病院は内科の看板がかかっているが、老年内科専門みたいであることにやっと気づいた。道理で、初めて父を連れて行った時、リハビリや点滴投与を受けるお年寄が多かった事を思い出した。

胃がんを調べたところ、転移するのはリンパ節、そして肝臓、最後に腹膜だというので、医者の説明はおかしい。

父が他の不具合を訴えても。「癌だから、仕方無い。」というだけであると言う。

「癌、癌、癌。」の言葉でますます落ち込むだけで、母が入浴させ体を洗うと、先日よりも一層痩せているので、内心もうダメかもと思ったという。

病院に着くと、外にタカコちゃんが出迎え、杖を忘れた父を支えて、診察室に連れて行ってくれ、父が望んだようにすべて検査してもらい、診察してもらったが、8年前のものと比べても、変わりなく心臓そのものは悪くないことを伝えられた。

そして、やさしく諭すように先生は

「この年では癌の治療は何もしないのがいいんですよ。進行は遅いですから、強い薬を使うほうが命を縮めます。寿命が先か?癌が先か?見たところ、そう進行してないと思いますから、それより食事をとってないから、体が弱ってます。胸の痛みもそれからです。タンパク質も取ってください。」

「大豆製品…。お豆腐、豆乳。」とタカコちゃんが付け加えた。

その後点滴をしてもらっている間、外に出て心配ないことを家に連絡した。

すっかり安心して上機嫌になった父は帰りにお昼時だったのでうどん屋さんに寄り、生卵を乗せただけのうどんに生醤油をかけたのを4分の3くらい食べた。最近では一番多い量だったのでほっとしたと同時に頭に重く乗っていたものが取れた。

その分おなかもぐっと減り、私は肉うどんにバラ寿司、夏野菜とエビのてんぷら、そのほか小鉢が一つ、杏仁豆腐のセットを注文すると、注文を聞いた男性が、瘦せっぽちの私の姿を見て

「結構ボリューム有りますよ。」と言われたが、

「大丈夫です。」と答え、本当に残さず、完食した。頭も軽くなると、食も進むものである。

父のほうも帰りに持ち帰り用の半生うどんを2箱買って出た。そういう気分になったのかと思うと嬉しい。

病は気からというが、気力がなければ、負けてしまう。安心できる医者の言葉は患者を救ってくれるので、医療に従事する立場の者の言動は中々気を使い大変だと思ったが、家族みんなで

「ありがたいね。」と、タカコちゃんご夫婦に感謝した。

昨日の月に一度の一条さんのおみくじは

「もえ出ずる若葉の色ぞ 美しき 花さき実のる末も見えつゝ」とあり、

「次第次第に運が開けて盛んになります。あまりに一足とびにとんで事をしようとするとあやまります。

時を見て心ながくのぞみを達しなさい。」

と書いてあり、末吉だったが、とても希望が持てた。

「余計なものはないけれど、必要なものは必要な時に頂ける。」

と、ノワタリは言われるが、そう私もその通りであると思っている。

 

 

 

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これも学び?

2013-09-03 23:40:36 | 日々のつぶやき

大雨の後、午後から風が強くなり、Tシャツ1枚では肌寒くなった。一気に秋の当来を思わせた。

先日亡くなった友人のことから、中学時代の友人からクラス会の幹事を頼まれたが、父が元気であれば、お役に立ちたいと思うが、今の状態では何とも言えない。来年還暦を迎えるとなると、ついこの間もゼミの仲間からも誘いがあったが、これは全員でも10人余りなので簡単に連絡がつくが、中学校となると誰がいたのかもよくわからないので、受けるかどうか迷っている。

父さえ、気丈なってくれればと思うとイラついてくる。

今朝も、父が

「左足が、冷たくてサロンパスでも張ったようだ。」と言って、嘆く。

しかし、以前から足湯器を買い、温めるようアドバイスをしても見向きもせず、おまけに風呂は嫌いだが、今日は風呂で足湯をしても冷たいと言う。

足裏だけでなく、ふくらはぎから下が冷たかった。マッサージをして足の指や足首を回す事を教えたが、足首はただ左右に揺れるだけで回ってはいなかった。

杖を突き、ただ運ぶだけでは足の機能も衰えたためだろうか?

また、ノワタリさんにご相談して、また、エネルギーを流してもらった人参とリンゴのジュースと焼いた一かけのにんにくを食べさせた。

これから毎日にんにくを食べる事と、食事は梅干と、昆布、カツ節を入れ柔らかくした玄米の粥にすることにした。その他アドバイスを頂いたが、健康お宅の私は足湯器のほか、リンパマッサージ用のブラシ、足つぼの踏板と何でもそろっているのでそれが役に立った。

そして、今回ノワタリさんの目の前に父の心臓が現れ、それにもエネルギーを入れたと言われたが、その時、私たちはをしていてお薬手帳と照らし合わせながら薬の分別をしていた。やはり3回とも飲む薬は心臓だった。食べない間に何もかもが衰弱したみたいであったが、「神様にも一度頂いた命」とノワタリさんが言われていたので、大丈夫であろうと思う。

目の前で衰弱いる父の姿を見て、改めて思った。

病院で亡くなった祖母や、10年近く脳卒中だった母方の祖母はずっと祖父がついていたが同居していたわけではないので、これ程大変さがわからなかた。

祖父は父と同年齢で亡くなったが、亡くなる1時間前までピンピンして歩いていたので、外出先から帰ると、家の中の様子が違うので驚いてしまった。几帳面な人だったが、交通事故から軽いボケが始まり夕飯前に飲酒をしてお風呂に入ったため、そこで意識を失い、病院に運んだがそのまま亡くなってしまった。

周囲の人は自分で湯かんまでしてと言ったが、本当に手のかからないあっけない最後だったので数か月心の準備が出来ていなかったので、両親ともに寂しさを感じていた。

母方の曽祖父は亡くなる1時間前に、自分で葬式の段取りを指図して亡くなった。

そんな風で二人とも高齢でも足腰も丈夫で元気だったのでが、対象的に、父は頭だけはしっかりしているが、パニクッて自ら病気になり、胃も腸も余り機能していないので、逆流性食道炎や下痢を起こし、体重は40キロあるなしまで減り、心臓まで弱ってしまったが、ここに来てやっと神仏に手を合わせ、一命を取り留めたことに気づかせて頂いき、感謝ができた。

これが、父の学びであり、しっかりと向き合う事が私の学びだという。そして家族の絆をしっかりと結ぶ意味合いがあるらしい。

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ひとだんらく

2013-09-02 22:38:13 | 日々のつぶやき

昨日の朝は地響きのような雷、まるで花火を頭上で打ち上げているみたいだったが、雨と同時に一変に秋がやって来た。夜は鈴虫の音が賑やかになった。

父は一旦母屋の自分の部屋に戻ったはずが、こちらの方が涼しいと言う事で、また帰ってきた。

父が食事を取るか取らないかで、私達は一喜一憂しており、このブログも病状日記同様になってしまった。また、少し食べていたのが、薬を飲むのでさえ、水が通らないと言う。

水さえ通らないのであれば、入院して管で栄養を取るしかない…。

このまま食べずにいると、衰弱して肺炎で起こす方が危ないので、その事を伝えるが入院は嫌だと言う。

母は父に、

「感謝が足りない。ご神前のある座敷に休んでも挨拶もしないし…。」とか、幾つか父に小言を言ったので、今回私の方に来てから、御灯明をあげご挨拶をし、夜具を自分で片付けだした。

心因性のものか本当に悪いのか?それとも薬が残っているのかよく分からないと思っていたら、横になっている父が時折ゲップをしているに気づいた。

「食べたいと思うだが、苦しくて食べれない…。」と言う。

この所、催し物があって忙しかったノワタリさんに状態を伝えると、

「みぞおちが苦しいですね…。胃の中のものが突き上げてくるような感じがしますね。で、手はみぞおちと右脇腹」と、言われる。

「逆流性食道炎を起こしてるんですね。じゃあ、みぞおちに手を当てて、アロエを飲ませます。」

「私も落ち着いたので、ご神前で流します。」と言って、切られた。

母は数日前から、胃に良いアロエをみじん切りにして父に飲ませようとしていたが、父は3度に一度しか受け付けないでいたが、ノワタリさんの言葉を伝えた。

それから、間無しにノワタリさんから電話があった。

「あなたが疲労回復に飲んでいる緑茶に梅干を入れたの、あれをお父さんに飲ませてあげて下さい。すっきりすると思います。作って飲み頃の温度になったら、連絡ください。エネルギーを流しますから、そちらはお不動さんに祈ってください。」と言われ、連絡を取り合いながら父と一緒にお不動さんに祈った後、一滴も残さないように父に飲ませた。

その後、父はスムージーを軽く1杯と、パン一切れを食べた後、またノワタリさんに連絡を取ると、

「していると、『一命は取り留めた。』と言う言葉が降りたんです。」と言われながら、電話の向こうで泣かれていた。ありがたいことである。

そのことばを両親に伝えると、大そう喜び、父の顔が明るくなり、昼食時には尚いっそう食べたがった。しかし、夜になると、一度に昼食を取った為、病院でもらった補助食品だけになった。

それでも、その補助食品でさえ、昨日までは嫌がっていたが、今夜は積極的に自分から飲んだので良かったと思っている。

夜、お不動さんのお水を下げていただく時、御真言の他「癌は小さくなりました」といつも言うのだが、「一命を取りとめさせていただき有難うございました。」と、父は御礼を申し上げていた。

心配している妹にもその事を伝えたが何はともあれ、みんな安堵した。

本当に感謝です。父と一緒に暮らせるのはどのくらいかは分からないけれど、出来るだけ穏やかに苦しまず居れたらと願うが、それが今の私のやるべき事だとノワタリさんにも言われた。

 

 

 

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