Wake Up !

一人のヒーラーさんとの出会いから、私の世界が変わっていきました。

突然の訃報

2013-05-16 17:05:45 | 霊現象

終わりにしたはずだったのに…お笑いくださいませ。

違うサイトで違うタイトルで書こうか、引っ越そうかとおもっていた。

が、しかし書き終わった翌日から、想像もしなかった事が起きた。ノワタリさんとお逢いしてから10年になるが、その間で体力的にも精神的にも一番の辛くキツイ日々が続く事になってしまった。

3月10日その日も知り合いのお母さんのお葬式に参列した。その方はもう90歳半ばであったので天寿を全うされたと思うが、その夜もまた、8時半頃、玄関のライトが誰もいないのに点いた。

いや~、何で???、葬式に行ったから?...と、ちょっと不安になりお風呂に入り清めた。

それまで私は断酒をしていたのだが、その夜から、チェーンスモーカーならず、一缶で済まず、チェーンドリンクというか、3缶くらい続けて飲んでいた。

チエさんに「飲みすぎだよね~、もう飲まないって決めてたんだけどね。1缶じゃすまないんだよね。」と言うと、

「ちょっと多いね~。」と、言われ、なんか変だな~と思っていた。

その3日後、昼食を取っていると携帯が鳴る。キューピーの3分間クッキングのテーマでおなじみの明るく軽快なおもちゃの兵隊(女友達のグループの音)の音楽がタッタタァ~と明るく勇ましく鳴り、何時も元気な友人の声ではなく、対照的に重く沈んだ声で

「連絡が遅くなってごめんね~、妹が亡くなったのよ...」と嗚咽をこらえがら話され、後ろで突然の事で親族が集まり人の声が聞こえていた。

「ウソ、ウソウソよ、何で!」と、私が大声でわめいているので、母が「誰、誰なん」と、後ろで聞こうとした。

母に伝えると「え!かわいそうになんで?事故なの?」と聞いてきた。

彼女は 友人の中でも長い生きするだろうと思っていたので全く想像もつかなかった。

とりあえず、通夜と葬儀の日時と場所を聞き、午後の仕事を段取りよく済ませて部活が中高と一緒だったチエさんと一緒に夕方大雨の中急いで車を走らせた。

彼女は体格も良く、小学校も皆勤賞で、ずっと運動部に所属して元気なイメージがあったが、年末に何時ものごとく賑やかにワイワイと姉さんと言いながらやって来た時の事を思い出した。

「あんたは痩せてるからいいよ。」

「朝食を果物とヨーグルトに変えたら、自然に元に戻ったわ。」と答えると、

「私、太って健康診断にも引っかかったわ。高血圧、高脂血症、高コレストロール、糖尿...。とうとう血圧計買って毎日計ってるわ。」と、ぼやいていた。

「糖尿は気をつけんと、余病を起こすけんね。」

「もう少しで定年やしね~、どうしょうかしら...」

「うちに来たらいいわ、どうせ私も一人やけんね。」と言うと、母も「そうよ、来たらええよ。」と、一緒に言った。

今、思うとあの頃も何らかの自覚症状があり先の不安を抱えてたのではと思う。

彼女もずっと一人、もうご両親も亡くなられ、お兄さんも10年前に亡くなられてているので帰省したら実家には行かずとも、うちに来ていた。

同世代の友人達が子育てに忙しい間、私達は家庭と言う物が無いので良く遊んでいたが、彼女のお母さんが亡くなられてからは余り帰省する事も無く、私もこの10年ノワタリさんの御供に忙しくかってのように私から出かけていくということも無くなっていた。

お姉さんからお聞きすると、2月に脳梗塞を起こし、1週間入院したがその時動脈瘤が見つかったが糖尿があるため、手術が出来ず、退院すると家に一人いるのも辛くすぐに出社したと言う。

今年は寒暖の差の大きいのでそんな体には負担が大きかったのだろう、日曜の夜帰宅してからお風呂で亡くなり、翌日出社してこないし、携帯にも連絡がつかないので市内に住まわれいる姪御さんが様子を見に行って見つけたと聞いた。

 3月に入り、この街で絵の展覧会があるのでやってくるはずなのに...、と、ちょっと気になっていた。2月に大三島へ行った道中で彼女の事よく話したが、そういうことだったのかな?と思う。

後日、お姉さんから彼女の病状の事を聞いたが、豪快な彼女らしく医者に

「もっと痩せてください。」と注意されると、

「あら、私170あるからこのくらいあってもいいんです。」

「水分を沢山取ってください。」

「それなら大丈夫、ビール飲みまくってます。」

「いや、それは利尿剤にしかなりませんから、水をその倍以上飲んでください。血圧も毎日計ってください。」

「毎晩風呂上りに計ってますが、正常値ですよ。」

「。。。。。。」

まるで漫才のようでおかしいが悲しい。2月に入院した時にはあちこちに痺れがでて口も半分歯医者で治療し麻酔が残ったような感覚になっていたと言う。さぞ不安で心細く辛い思いをしたのではと思う。

彼女の通夜もは大変な人で、現役でお稽古事で長らく役員をしたり、神輿を担いでいたので地元の友人たちが段取りをされていた。

余りにも若く、突然だったので彼女を偲びすすり泣く声があちこちから聞こえた。

祭壇の彼女はにっこり微笑んでいて良い写真を選ばれていたが、あまりにも盛大で 私の知っている彼女と余りにも違いなぜか違和感を感じてしまいよけに寂しく、人が余りにも多かったので、同級生達の顔を見つけることが出来なかった。

地元の葬儀は気をつけてみるが連絡をもらうまで私も気づかなかったので仕方ないかと思った。

通夜はチエさんと一緒だったが、二人とも帰り道、おなかはすいているのに夕飯は食が進まず、帰宅すると、どっと疲れがでたが、私の中の良い友人たちに連絡を取ると、以外にも私以外、余り接点はなかった。

翌日午前中の葬儀だったので斎場へ行くと、通夜にもまして多くの人で盛大で立派な葬儀で、会社関係、お稽古事の人たちと神輿の会の人たちに賑やかに送られて行った。

これが彼女の生きてきた実績で多くの人に慕われ愛されたんだと思いつつ、短くとも彼女は精一杯生きたんだと思うように言い聞かせた。

後でお姉さん達と話していると、「私達の知ってる姿とギャップが大きくて」と私と同じだったので安堵した。

帰宅後、どうしようもなく落ち込んでしまい、ノワタリさんに連絡を取ると、

「えらく重いですね。」と、言われる。ワケを話し、遠隔をしてもらった。

「あなた、真っ暗な所にポツンといますね。こんな事初めてよね~。」と言われる。

「彼女がそうやってお稽古事を40年近くやって実績を付け、しっかり地元の神輿の会に入り活動したと言うのに、引き換えて私は霊現象に追いまくられて...何をしてきたんでしょう。」と、話すと、

「あなた、ちゃんとやってきたじゃないですか、彼女は今あなたの所に来てますよ。あなたに憧れていたと彼女は言ってますよ。」

「え!ウソでしょ。何処があこがれられるような生活じゃないですよ。それに来てるといっても、一番中が良いのはもう私ではないはずよ、向こうのお友達だと思うけど。」

「でも、彼女は言ってますよ。」と言われるが、気分はめちゃめちゃ落ち込み滅入っていた。それは彼女が来ているかららしかった。

読者の方は良くお分かりだと思うが、人の目が気になる過疎で厳しいど田舎で細々と商いをして判断を誤れば、すぐに業績に跳ね返るのに、あこがれられる要素は無いと思っていた。

妹やチエさんと話していると、両親が健在で家賃も要らず ずっと家にいる生活は端から見ればうらやましくみえるのかもしれない、それなりの苦労もあるのだが...。

そうするうちに度々センサーライトは点き、もう驚く事もなく午後8時の定期便と気に鳴らなくなったが、気が重くどこか調子が良くない。

ノワタリさんに連絡を取ると、

「『居心地がいい。』彼女はと言ってます。」と言われる。確かにみんなで彼女の思い出話をよくしているからな~と思う。

「別に居てもいいけど、じゃ~、あの晩からビールを飲んでたのは彼女ね。」

「そうです。あなたを通して彼女も飲んでたんです。」と、言われる。

「別に居たければ、居てもいいけど」

「でも、このまま49日まで居続けると、あなたの体が心配だわ。」と言われ、センサーライトの下と、玄関の外側にも盛り塩を置いた。

しかし、少なかったらしく 翌朝塩入れを玄関の土間に落としてしまい、入れたばかりの塩を全部振りまいてしまったのでそれを集めてライトの下に大きな盛塩を作った。

母が見てワケを話すと、

「あの子ならいいわよ居ても、彼女スキよ。」と同じような事をいう...が、彼女がこれで帰ったのではなかった。

彼女は自分の存在を知らすかのように、ユキちゃんや妹と電話で話すと、受話器を取ると同時に他の外線のベルがプルルルと鳴り、一旦おいてその方を取ると、誰も出ない。そして、話が終わりかけ、

「じゃぁ~、またね。」と言い始めると、また鳴るがまた、誰も出てこない。

そんな事が続いていたが、「居てもいいわよ」とのんきな事を言えなくなる事態になっていった。

 

 

 

 


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