今日はルンルンで過ごした先週の日曜と打って変わり、とても重い日だった。
今朝防災訓練があった。参加しようと思っていたのに、直前に行く気が起こらず出かけなかった。
こんなに南海トラフの事を言う2年前に、参加したが、避難場所は家よりも海岸に近く、おまけに其処へ逃げる途中で古家の倒壊に巻き込まれそうなので家にいるほうが安全ではと思った。
今回、津波が起きれば、山の方に逃げないといけないが、ヨチヨチ歩きになっている父が危ない。台車に載せて麓まで押していかないといけないだろうと母と意見が一致した。
しかし、母は父に「あんたと一緒に心中するのは嫌よ。四股でも踏んで足腰を鍛えて。」と、叱咤している。
そんな事を話していて チエさんが、「山は無理だから、屋上に上がったらいいんじゃないの」と言う。
でも、津波が高ければ…とまた、ユキちゃんと話していて、
「ライフジャケットを用意したら。」との意見をもらい、そして半ば笑いながら「ゴムボートも用意したら万全よ。」と言うので準備する物は増えていく。
しかし、家にいる時に起きるとは限らない。そんな事を家でこの所話していた。
数年前、とてもリアルな地震が起きた時の夢を見た事があった。
何時も行くスーパーの前は1mくらいの大きな地割れが起き、建物は大きく傾いていた。其処から歩いていると友人のKに会い、なぜかその近くの鉄筋のむき出しになり荒れた建物の中に入りビールを飲んで別れた。(こんな時にそんな事をするのがやっぱり夢)その後、傾いたり、壊れて道に倒れているのを見ながら家に向かって歩いて行った。すると隣家の家は立っている物の屋根や窓が壊れてカーテンがヒラヒラと揺れていた。うちはどうなっているのだろうと思いながら曲がり角を曲がった途端、見ずに目が覚めた。
すると朝8時過ぎ、従姉妹から半泣きで叔父の容態が急変したとの連絡。
急いで父を連れて病院に駆けつけたが、肺炎を起こしていた。20日前に父からすれば、妹をそして今度は末弟をと言うことになる。
父は独り言のように「自分の撒いた種だ。不摂生だったからだ。」と、自分に言い聞かすように呟いていた。
もう叔父は薬で脳と内臓にのみ血液が流れるようにしているので、足はパンパンにむくみ冷たかったが、うつろに宙を見ている目からは涙がずっと流れているので意識があるのだろうかと、その状態では不思議だった。出かけに電話の対応をしていて遅れてきた母がやって来た。
叔父の血圧と脈はナースステーションに送られていて、その時は医者の処置のお陰で、持ち直した。
1時間余りいて朝食を取っていなかったので、先に帰宅した。
昼前に昼食を届け 父を連れ帰ったが、今まで子供も居らず、両親も年齢の割りにしっかりして自立おり 定年とかに関係ない環境なので余り自分の年齢と言うものを自覚する事が無かった。
が、しかし今年は友人の親や縁者の葬儀が続き、それまで避けてきた事を直面するようになってしまった。
夕方、また病院から帰宅した母が、涙を流しているのを不思議に思っていたので年配の看護婦に尋ねると、その人は叔父の腕をギュッとつまんで反応が無いのを確認して、
「意識はありませんね。」と言われたという、生理現象だったのだろうか?
叔父は尿が出にくいらしく、出れば持ち直すとも言われたと言う。
30年前に飼っていたネコのクロちゃんもたった半日のわずらいで同じような状態になり尿毒症を起こして亡くなった事を思い出す。
こんな事ばかりで親族と顔を合わすのも寂しい。
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