Wake Up !

一人のヒーラーさんとの出会いから、私の世界が変わっていきました。

地元の神社 Ⅱ

2012-01-31 02:22:43 | 日々のつぶやき

先日、従姉妹のタカコちゃんが近くにお稲荷さんが無いかで尋ねてきた。ノワタリさんに行くように言われたそうである。

神社庁のホームページを教え、気になったので自分でも調べるととても近くに伏見稲荷さんがあるのが分かった。タカコちゃんの知り合いと御参りに行き、遠隔でノワタリさんがお清めされるそうである。

その時、数年前から気になっていた神社を調べると3つお社があり、其処の御祭神様に国常立命様が祀られているのに気づいた。そのホームページの地図の記載の仕方が悪く、一度友人とその周辺をいくら探しても見つからず、それは子供の頃2度ほど登ったミカン山の頂上近くのお社である事に気づいた。

しかし、ミカンの実っている頃に行けばミカン泥棒と間違えられそうになるとか、気候が良くなった頃にはが出そうだとかとか言って、先送りにしていた。

であまりにも身近に国常立命様が祀られているのでその事をノワタリさんに伝えると、「私、行きます。白装束で、4月です。」と唐突に言われたので、驚いたがお会いできると思うととても嬉しい。

昨年から、足止めになっていたので以外だった。早速、25日に旅割でのチケットを取った。

私もその山の頂上に登ったのは小学生の頃で45年も経っているので、大分今と変わっているだろうと思う。その頂上近くの薄暗い林の中にお社を見た記憶があるくらいだ。

その頃は道と言っても徒歩でやっと人一人通れるくらいの険しい獣道だった。お弁当を持って5,6人で行ったが道は覚えていない。ただ、風が強いのとずっと遠くまで一望できてとても気持ち良かった事しか記憶に無い。

今は小型のならば行ける道も出来ているが、それまでに下調べしないとと思う。生活道路では無いので地図を見ると、迷路のように途中で行き止まりになっている道がいくつもある…少し不安だ。

その後、1度だけ中学生の頃大干ばつでその神社で雨乞いをしたと言う話をミカン農家のクラスメイトから聞いた事があったが、その後は存在さえも忘れていた。

今回その神社の名前も初めて知った。

その神社の話を両親にすると、90歳近い父が、「戦前は7月の御祭りの時は下からも大勢の白装束の人達が登っている姿が見えていたけど、戦後はもうそういう事は全くなくなったな~。」と寂しそうに言った。

私もそういう話を初めて聞いた。

神社や先祖を祀り、敬っていた生活は戦後軽んじられて廃れていったと言うより、分断されてしまっている様に思った。

私の町でも神主さんの常駐されている神社は少なく、兼業や無人が多い。

あまりも無関心で、御神木の落ち葉が邪魔だと言って切ってしまったり、拝殿は潰れたままやその柱の跡としかないとかいう神社ばかりで数年前、ノワタリさんと回った時愕然としたと同時に恥かしかった。  その場所で 普通に生活ができる事の感謝する人がなくなってしまった。  

だから、町が衰退していくのだとポツと言われた。町外れの小さな集落ではその土地の氏神様を無人の神社でも大切にされているが、中心部ではもうそんな所はない。

今では神棚も分家だからと言って仏壇も無い家が多い。あっても閉めきったままの家も少なくない。この最近、ノワタリさんに依頼者達もそういう人が多く、守りが無かった。

それと同時に人々のモラルが低下して行った。

2,3日前、友達に数年前衣類を処分してしまい、流行のチュニックやAラインが嫌いだったのであまり買わなかったが今年やっと自分の好みの物を見つけたからまとめ買いをした話をしていると、

「何処でかったの?地元?デパート?ネット?」と聞かれ、「ネットでは質感が分からないから買わないわ。でも、パンプスが見つからなくてね。今度あそこのお店へ行ってみるつもり。」と言うと、

「あのね~、私の職場の人達ね、ネットで10足くらい頼んでひどい場合1足も『合わない』と言って返したりするのよ。」と言った。

確かにサイズが分からないので3サイズ頼んで合わない2足を返すという事を聞いた事があるが、あまりにもひどい。そんな事をしていると子供も平気でするだろう、先が嘆かわしい。

政治家もボロなら、人心も荒れているとしか思えない。

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする