Wake Up !

一人のヒーラーさんとの出会いから、私の世界が変わっていきました。

首の痛み

2014-09-09 22:02:41 | 霊現象

昨晩は知り合いの家の屋上でお月見をした。

中秋の名月である。これまでの雨がうそのように晴れて、外は明るく、本当にお月さまにはまるでウサギが左側にいるような形で長い耳の形が見えた。

海岸近くにある家からは湾が一望でき、山影がくっきり浮き上がって向こう岸に新しく出来た施設の灯りが明るく、月の光を反射するという事はなかったが、泊まっているフェリーの灯りは対岸の建物のように見えた。

真夜中になっても寝付けず、目を開けると月の光が部屋の中まで差し込み、なお一層明るくなっていた。

さて本題、2年前の事 電話でノワタリさんと話していると、

「2年経ったら楽になるよ。」と言うメッセージを伝えられた。しかし、彼女はその事を覚えてはいなかった。

その2年が来月になる。

その10月は私の誕生月であり、60歳になる。

それまでに浄化されていないものをするものをすべて片づけると言われた。そのせいか、予想しなかった事が次々と現れてきた。

その一つとして、今月に入って、突然むち打ちのように吐き気と痛みでうつむくのと仰向けに寝て枕を当てることが数日できず、テーピングをしてもらって数日過ごした。そのうえ、母も夏の疲れか体調が悪いのでノワタリさんに連絡をとると、

「にこにこ笑った昔の坊主頭の目のくりくりした男の子が出てきました。」と言われる。私の兄水子さんだ。7,8年前にちゃんと水子供養しているので笑っているそうだが、3日間仏壇にお線香をあげて声をかけると良いと言われ、土曜日まで供養をした。母方の先祖事も含めて目鼻がついたので出て来たみたいである。

その後海辺でおたき上げをしてお清めした。

「海がすべて受け入れてくれるからね。早くしたほうがいいわ。」と言われていた。

首の痛みは前世のもので戦場で敗退した武将の頃、首を切られたのが出たと言う。

大祓の祝詞のごとく、海に投げ入れた菊の花も供えた菓子も短冊の灰も今回は祝詞をあげている間に姿を消した。

午後になり雷を伴った大雨になったが、その日から私の首の痛みは消え、後になって海の懐の大きさを深く感じた。

 


悪霊

2014-06-12 00:29:48 | 霊現象

ここに来て、先日神様の言葉通り、ノワタリさんにまた新しい依頼が飛び込んできた。

10日の朝、立像姿のの菩薩が現れて信長の焼き討ちで亡くなられた比叡山延暦寺の御魂を供養するように言われたと言う。

先の将門と同じく21日間祀って供養する事になった。

そして妹の家も慌ただしく、今度は嫁いだ姪に大変悪質な霊が憑き、少し天然の穏やかな性格なのに、ヒステリックになり、姪の主人が変容の仕方に驚き、ラインで連絡をもらった妹も初めは何のことやら理解しかねていた。

しかし、仕事を終え帰宅した姪の主人は姪の顔を見て寒気が走り、ゾッとする怖さを感じ、姪の描いたとても気持ちの悪い絵を写メで送って来たことから、(私は見ていないが真っ黒な顔の絵だと言う)妹もただならぬ事を感じ、またノワタリさんに連絡した。

「うわ~、とてもきつい悪霊が憑いています。気を抜くとこっちがやられるわ。」と言われたと言う。

遠隔で除霊して頂き事なきを得たが、憑いたままにしていると、人格を乗っ取られ本人の意思とは違った言動や行動を起こし、自分が亡くなるか、人を殺めるかと言う事態になりかねない。

後、セイジで浄化するように言われた。

姪は一人で在ったらまずかったけど、旦那が気づいてくれたので助かったとメールで送って来た。そしてこんなことを理解してくれる環境であったので良かった事を言っていた。

彼女も敏感体質で見えたり聞こえたりすることは多々あったが、今回のような怖い経験は初めてだった。

テレビで凶悪事件を起こした犯人の目を見た時、異常で憑依されているのを感じるが、私の学生時代の下宿でも同じような事があり、其処に住んだ途端、私の体力は著しく低下し、しょっちゅう風邪を引き、痩せていき、スーパーで買い物してもとても重くてタクシーを使う事もあった。

なんとも自分の心でありながら落ち着かず、今思えば入られた時、ひどく頭が痛く寝ようにも寝れないという事があった。

ある時、夜中の2時過ぎ目を閉じて横になっているのに廊下を歩いてくる影が見え、ドアがスーと開き、夜中に私の枕元にやってきて「ふ~。」と言う大きなため息をついて座った。

あれ?ドア鍵してなかったかな?

下の階の女の子かと思い声を掛けようとしたら、突然の金縛りで声が出ず、身動きできるまでほんのわずかの時間だがとても長く感じた。その後灯りのついている部屋に枕を持って走った。

中学生の頃からしょっちゅう金縛りにはあっていたがその日だけは怖さが違っていた。

私だけでなく、其処では誰も影響を受けていたと思うが、丁度上の階の男性が失恋から鬱になりその後自殺した。

私の場合、引っ越しした途端具合が悪くなったが、母に言っても「水が合わない。」で流されてしまったが、住んでいるうちに其処がとても嫌だと感じ、特に夜は暗く感じた。

もし、自分の気持ちと裏腹に言動や行動をして不快な思いをするようなことがあれば、こんなこともあると思って下さい。


黒い仏像

2014-06-05 22:27:17 | 霊現象

前回ノワタリさんが遠隔をされた事を書いたが、それは妹家族が連休にキャンプに出かけた事から起きた。

私も誘われたが体調が思わしくなかったので断ったが、今回は先ごろ入籍した姪夫婦も参加した。

その時、途中で南郷村にある百済の里により見学したと言う。10年余り前に私も行った記憶があるが、朱や緑の鮮やかな建物と銅鏡などが展示されていたと薄ら記憶がある。

そして連休も終わり、帰宅後姪の夫が毎夜中にうなされ出したと言う。

姪も私と同じ体質であり、こんな事は多々経験しているので、ノワタリさんにご相談した。

「黒い仏像が見えますが、どちらかへ行かれましたか?」と聞かれ、百済の里に在った仏像の事を話すと、

「ええ、それですね。開眼して欲しいそうですよ。それで付いて来たそうです。遠隔でいたしますね。」と言われ、すぐさま、遠隔で開眼されたそうである。それを境に偶然かもしれないが私の不眠も大分良くなった。

百済の里とは7世紀に百済が滅んだ時、逃れて来た人の集落だと言う。

しかし、遠隔でした物の当地に行き、お清めをしないといけないそうであるが、当の本人のお婿さんは全く信じない…。

姪が説得して渋々来ることになった。

「『今まで守っていた。』と言われてますけど、今の状態だから今回の事が起きたのでしょうね。どうも上の手が届かない所をするそうですよ。昨日も大きな仕事が入りましてね。靖国の一般の方々の御魂の浄化のお仕事が入りまして、それをしました。」と、言われた。

なぜ、今なのだろう?ノワタリさんも身内の方が戦死されているので靖国の敬神会の会員であるがこのお役目は初めてだと言われた。

そうしているうちに、妹の主人に偶然前立腺がんが見つかった。偶々、やって来られた方が前立腺がんの手術を無事に終えた事を話されたことから、自分にも思い当たる事から検診を受けたのでまだ初期であった。

そんな事で、彼女の家の大事と重なり、百済の里の大仏様のお清めに行くこととなった。

今回はノワタリさんは来られず、私達で行う事となったが、昨年の1月以来である。

 

 

 


神社の力

2014-04-12 22:02:43 | 霊現象

前回書いた一條神社の件で、私はとんだ勘違いをしていた。

お神酒を供えたことで、私はご祭神様からエネルギーを頂いた。背中が暖かいと言うのはその現れだった。

確かにご祭神様方は滅亡された城主でキビシイものもあっただろうが、お神酒で浄化された。

お神酒一合でこんなに楽になるとはお神酒の力とはなんと強力な事かと考えていると、今までお清めの度、お神酒、塩、お水と別段考えずに10年間3点セットのように持ち歩いてその力が分かっているはずなのに、今回改めて実感した。

神棚にお供えしているのは、その3点セット(とお米)である。

塩は海のエネルギー、お神酒はお米から出来るがお米からは大地のエネルギーを頂いている。そしてすべて太陽のエネルギーもだ。

昔の人は偉い、農村では春は、五穀豊穣を祈り、秋の収穫後に神様に豊作を感謝して祭りをしていた。漁村では海に感謝で祭をしていた。

しかし、子供の頃は季節ごとにいろんな行事があり、春は近くのお社で神主さんに祓って頂き、その後おこもりをしたが、いつの間にか場所は公園に移り、やがて神主さんの姿も消え、単なる花見と変わりそれも無くなった。

自然に感謝して神敬い、私の町でも地図を見ればこんな山奥にと思うところまで、神社がある。お寺の数の比ではない。点在する神社はネットワーク状に繋がり国の守りになっていただろうが、今はどうなっているのだろうと思う。

初めてノワタリさんと出会った善通寺でも駐車場の裏山にあった神社は負の者に入れ替わっていて呼ばれてそれを清め元に戻されたが、余りにも不思議であったので驚いた事があった。旅の途中でも、目的の神社でなく呼ばれて、数回同じように清めて、ノワタリさんが歌われ元に戻された事が数回あった。

 最近忙しかったので神様のご挨拶もパンパンと柏手を叩いて雑になっていたことを反省した。

そして、最近話題にしても寂しい事に父の言葉は聞けなくなってしまった。

亡くなってからのち、横の物を縦にもしなかったと思っていた父が、仕事に関しては毎日、天気からすべて毎日業務内容を細かにメモしているノートが引き出しに置いてあるのを母と見つけて驚いたと同時に感心した。

今回の体調の悪さも目立たぬところで支えてくれていた父の存在の大きさだったのだろうと思う。

最期に妹に残した言葉は、

「どちらにも付かない(意見の相違でもめた時)のはそれが平和だからだ。時々は思い出して話してくれ。」と言った言葉だった。

父らしく声を荒げて怒る事も手をあげる事も全くなかった穏やかな父だった。


一條神社

2014-04-12 17:23:12 | 霊現象

今回の事はノワタリさんにも何度か話していた。その度、

「単なる疲ればかりではないわね...  。でも、入って来ない…。}とおっしゃられていた。

しかし、前回upしたその朝、とても不思議な夢を見た。

薄暗くなりかけた夕方だった車を駐車場にいつもと違って後ろからバックして駐車して降りた処、車のタイヤが、バギーのように以上に大きく触るとツルツルでゴムまりのようにふわふわと柔かく、これじゃあこの車は使わない方がいいわねと思っているところで目が覚めた。

リアルにカラーではっきりと車が出てくる時は、何かある!

ノワタリさんに連絡を取り、

「中村まで行くんですけど、今朝おかしな夢を見たんです。」と、夢の話をした。

「いつももっと早いのに今日は違いますね。」

「ええ、体調が良くないのでゆっくりしてるんです。」いつもは6時過ぎには家を出るが、今回はたぶん8時を過ぎるだろう。

「よく中村って聞きますけど…。キビシイですね。」

「ええ、近くに一條神社があるんです。長宗我部に滅ぼされた関白の一条氏一族を祀った神社で館跡ですから戦跡ですからね…。」と、話していると、

「お神酒が出ました。撒いてお清めされるといいわ。」

「でも、神主さんがいつもいらっしゃるから、ちょっとまずいので…供えたのではいけませんかね。」

と言いう事で、お昼過ぎに拝殿の前にワンカップの地酒を買い、キャップを開け供えた。開けた途端、プ~ンとお神酒の良い香りが漂った。神主さん二人と、手水舎の横でサンドイッチを食べている男性が居たので、供えたのが正解だった。

その晩から、劇的に改善され、それまでの不眠に悩まされなくなった。

自分の中でも このままでは自律神経のバランスが崩れてしまいどうなることだろうと心配していた。

日を追うごとに、夜9時を過ぎるとそれまでの睡眠を取り戻すかのように目が開かなくなり、朝5時まで1度も目覚める事なくぐっすりと休みだした。

おかげで体も軽く、背中が重くてしんどかったのが、嘘のように軽く温かである。この爽快感は久しぶりである。

タイミングよく、「試してガッテン」で疲労と自立神経の乱れを放送し、朝のラジオの「健康ライフ」が疲労についての放送があり、食生活を見直すきっかけとなり大変役立った。

今思い出すと 先月中村へ行った翌日、それまで感じた事のなかった疲労を覚え、「年なのかな~」ぐらいで流していたが、いつまでたっても体は重く休日は横になったままだったが、やっと解放された。

もう霊障は無いだろうと思っていたのにとんだ落し穴があった。自分の体質が恨めしい。