Wake Up !

一人のヒーラーさんとの出会いから、私の世界が変わっていきました。

守護霊様に叱咤される

2016-05-22 22:34:34 | 霊現象

 先週は 慣れないスマホとウィンドウズ10に振り回され、睡眠不足と爆睡を繰り返し、やっと使える事に安堵する間もなく、怒涛のように対応する事が仕事上出て来て、千恵さんも手術で入院中なので相談相手がない。

毎晩のようにユキちゃんに電話で愚痴ったり、慰め合ったりした。

しかし 最後はどちらかともなく

「あんた、死ないでよ。いなくなったら本音で話す相手がいなくなるから…。」

3年前に友人が亡くなっているので、いつどうなる事か分からないと思っている。

先祖事、土地の因縁、過敏な憑依体質とすべて片付いたところで、現世の始末という事か?

今年は春から、うちで 一番の売れ筋の一つだったものがモデルチェンジだとか、一般向きしない特殊な物なので、特注扱いになりその対応に追われていた。

4月に発注したにも係わらず、今になって生産未定の返事が来てしまった。

待って頂いているお得意様に何と説明をしてよいやら…と、気が重い。

次々となんでこんな目に合うのだ!!!

その晩はノワタリさんにも愚痴ってしまった。言ったところでどうなるものでもない。

その夜中、とても不思議な夢を見た。

不要になった物を捨てに行った後、背戸を通り表の通りに出た処、ポコッと直径2メートル位の大きな穴が開いていた。普通であれば、アスファルトの下は土であるが、結構深さはあるみたいできれいな透明の水が流れボラのような魚が沢山泳いでいた。じっと見ているとその穴の右の方に私を見ている男と目があった。前頭部を剃った月代の頭をしている中年男の顔だけがあったが鋭い目で私を見ていた。

やがてそれが消えたと思ったら、今度は首から上が無く血を流している白装束の着物を着た死体が流れて来た。それまで色が無かったのが、血だけが鮮やかに赤く驚き慌ててその場を離れると、海岸にいた。あたりは月明りに照らされた500坪以上あるような海岸沿いの更地があった。ここは以前なんだったかなと思いだしつつ、現在のではなく小学生の頃、角にあった古ぼけた板塀のすりガラスの窓のある家を思い出していたが、その後も夢は脈絡も無く続いた。

目が覚めても、あの月代の頭の男の顔がはっきり覚えていて、妙である。

ノワタリさんに話すと、

「う~ん、前世に近くにいた人かしら?…、あら、あなたの守護霊ですって。」と言う。

「えっ!守護霊様というと、ご先祖」

「あなたを心配して現れたそうよ。うん!!『しっかりしろ』叱咤してるわよ。」

と、言われた後

「見直しって今度は上が」と、言われる。

「ふ~ん、守護霊様か?あの頭だったら、戦国時代で首切られてる。古いわね。」道理で前世といい、守護霊といい、私は戦場で亡くなっている事が多い、それもいつも首をきられている。

そんな思いを察せず、お気楽に

「あなた好いじゃない。守護霊に会えたんだから…。めったにこんな事ないわよ。」と言われる。

でも、首のない死体まで見せられてしまい、何とも言えない。

一晩寝て、どう対応するかは大体決まっていたので、もうその時は愚痴る事は無かったが、今年ノワタリさんから「方向転換」という言葉を聞いていた。

十数年間のお付き合いがあるがその年の事を年明けに言われたのは初めてだったので、何か起きるのではとちょっと引っかかっていた。

地震も多く、何が起きても不思議ではないという気になっている。

 


置き土産

2016-01-24 22:51:00 | 霊現象

久しぶりの本格的な寒さの到来である。

南国ながら、道路も20㎝くらいの積雪。朝は薄らと5㎝ほどだったのが、一週間前と違い雪はシンシンと静かに降りつづけ、10時頃にはもう真っ白。

近所の子供たちは初めてらしく、はしゃいで雪だるまを作っていた。

天気予報を信じてどっさり食料を構え、おでんを作っていたのにみがらしが少なくなっていた。

丁度雪もやんでいたので、近くのスーパーまで5時前に出かけた。

外はユトリロの絵のように街は色を消し、グレーと白の2色に覆われていた。私も子供のように雪道を嬉しくなり、長靴を履いてサクサクと雪道を踏みしめて歩いた。通りのあちこちに雪だるまの姿を見かけた。

スーパーも早じまいで、人の姿もまばらでレジも1つしか動いていなかった。

外に出ると、又雪が降っていた。長靴に付いた雪は玄関マットで拭いて落としたが、夜になるとそのまま凍っていた。

雪はそのまま静かに降りつづけ、ベランダにも積もったが、明日雪かきをせねばと思うと気が重い。

さて本来の話に戻ります。

母の帯状疱疹は今年の異常な暖冬と、一か月足らずの間に10回も病院に通い医師の指導に従ったこともあり、正月の3が日を過ぎたころ劇的に回復した。何が幸するか分からない。

始めのえぐるような痛みから神経痛の鈍い痛みになっていたので、寒さが大敵という事で、母は毛糸の帽子に使い捨てカイロをくっつけて使用した事も良かったらしい。

しかし、私の年末年始は外出出来ない母の代わりに仕事が多く、おまけに私のだんどりと母の段取りが違うため次々と用を言いつけられ、イラつきストレスが溜まり氏神様にお参りしただけで、疲れがどっと出て部屋にこもっていた。

今年は年明け早々、伯母が亡くなり葬式と姪の出産があり3日の予定だったが4日の明け方3時にメールが来ておちおち眠れなかったのもあるが横になった途端久々に天井からバキッという大きなラップ音がした。伯母が別れに来たのかな?

そんな事もあり、母の代わりに4日5日は通夜と葬儀で九州へ行き、深夜に帰宅した。隣町に住む叔母と従妹が泊まって翌日の午後帰って行った。

その翌朝、母屋の茶の間へ行くと、右の歯茎が痛くなったので、歯を磨くと収まったが今度は座敷に入ると又歯茎が痛くなり、叔母だ!と確信したが、それだけだは無かった。

それまでおこたで風呂上がりに横になる事は無かったのに横になり、何度も起きようとするのにとても体が重く頭がユラユラして中々起き上がれなかった。その晩寝床に入ると、体は動かないのに頭から魂が抜け出て行くみたいに引っ張られ、「あ!、このまま逝ってしまう」と、思うような不思議な感覚に襲われた。日中は体が重く、3日間寝不足もあり、葬儀などという事もあったので、疲れが溜まったのだろうと思っていたが、なんかおかしい。

従妹に叔母さんの体調を聞くと、歯槽膿漏はあるけれど、別段悪くは無いと言われた。

そして幼馴染の家で一晩女4人集まり飲んだが、窓のない部屋で、窓が無いのも気になっていたが

ウトウトしていると、布団の右横で大きなラッパの音が二晩した事もあった。

ノワタリさんに連絡を取ると、入れ違いにあちらが親戚の葬儀で4日程手が放せなかった。

いつものごとく、塩、お神酒、水で頭から清めたがスッキリしないので、翌日温泉の塩サウナで念入りに頭からマッサージする事で大分楽になった。

落ち着いた処でやっとノワタリさんと連絡が付き上からの言葉で「置き土産」と言われた。

叔母か伯母かよくわからなかったが、数日前従妹から☎があり叔母の体調がとても悪かった事を聞いた。どうも私が楽になった頃、向こうも良くなったみたいだった。

あまり役にも立たない因果な体質である。

 

 

 

 


落し穴Ⅱ

2015-12-27 23:11:09 | 霊現象

 前回のブログは下書きのつもりがミスで公開してしまった。追記としてになるが

祓って頂いてもすぐに楽になると言う感覚は薄い。数時間経ちスッキリしたと感じるので、その後ノワタリさんに連絡とお礼を伝える事が多い。数日後ノワタリさんと話していると妹はその後の経過とお礼を言ってない事が分かった。

「山登りをするほど元気になられたのならいいわ…。」と、つぶやかれた。

しかし、幽霊さんなら祓って頂いてさよならできるが人の思いはそうは行かない。妹は仲の良い友人達なので、高校のクラスメイトと思いたくないらしかった。親しい身近な人間の方が妬みとか嫉みを強く感じるのであって、親しくなければそう感心がない。

私も以前とても身近な人に強烈な逆恨みをされた事があった。ノワタリさんにご祈祷をお頼みする事はよくあるが、たまに上の許しが出ない場合はして頂けない。その時もそうであった。

その人の持ち物に触れば手がしびれ、顔を見ればひどく黒ずんで見えた。ノワタリさんに相談していくつかの防御策を行っているうちに、時間は掛かったが相手の心がとらわれなくなって行き消えていった。

大体、なんで私だけ、私だけこんな思いをしないといけないの!と言う強い念から来ることが多い。

今回妹は 孫が生まれるだけでなく、近いうちに娘婿もやって来て家業を手伝う予定になっている。マスオさん状態ではあるがいづれは姓も次いでもらうようになるので、先の見通しが付きお家は安泰と浮かれていた。

母の手術の日までいて欲しかったのに、日延べするように頼んでも全くその気はなく「お大事に」の言葉も無く母が歯医者に出かけている間にさっさと帰ってしまったが、ノワタリさんの口を通じて

「煙たい、帰ろう。」の言葉を聞いた。

母も姪たちが幼児の頃に3度3か月から半年預かり子育てしたこともあったので、内心ひどく怒っていた。

「妹さんは上滑りになっていて危ない。私が怒っている事は上の怒りなの。あの凄まじい念を上のお力をお借りして祓ったのに後の報告も無いので 守りようがないわ。『私が一番先に』の言葉がそのあらわれです。速く姪御さん夫婦をそちらに帰るようにしたけど…後何もなければいいんですけど」といつになくキビシイ言葉を頂いた。

その後妹に伝え 電話連絡をしたが、本当の事を言うと伝えてから連絡なので手遅れである。

そんな事があってからの母の病気である。

以前は私も気丈な母とうまく行かず苦手であったがこの数年でそれは消え、もう昔の事はどうでも良くなった。そのことを今回妹が来た時に話したが、彼女はまだ根に持ち一度話したいと言っていた。

しかし、そんな事も含めて現在があるのではないかと思う。緩衝材の役目を果たしていた父も亡くなり「姉妹仲良く」の言葉はその後の事を心配していたのではと思う。

母と行き違いのあった妹はノワタリさんに☎をして相談したら、反対に今回の事を厳しくたしなめられ、詳しくは知らないが、先祖、土地と全ての因縁を解消したことで今がある事を諭され、感謝するように言われたらしい。

一時はどうしようかと思ったが、病院も次々と薬を替え、胃痛で弱ってはいるが 幸い母の頭の痛みは落ち着きつつある。多分回復するまでに2,3か月かかるであろうと思う。

妹も諭された事でそのうち昔にとらわれなくなるのではないかと思っている。


真夜中の電話

2015-11-29 22:58:23 | 霊現象

 真夜中の電話と言っても色っぽい話ではない。携帯をほとんどの人が持っている今時家族に隠れてこそこそと固定電話で 話す人もいないだろう。

今年の6月頃から、今まで私に対して起きていた霊現象はなぜか☎がキャッチするようになった。

突然☎がけたたましい音で鳴り出しとっても無言。しかし、置いた途端また、けたたましくなり続ける。おかしなことにダイヤルを押す時間差も無くなり出し、夕方から明け方まで鳴りっぱなしでそれは長い時は2,3日続く。

以前も、2,3回あった。後で気づいたのだが3つ古い霊を憑けていた友人に会おうとした時だった。

私の家の電話の外線は2本あり、代表としてメインのナンバーだけが電話帳に載っていて、知っている人しかこの番号にかけてくることは無く、メインの番号がふさがっている時にその番号がなるようになっている。

余りにもうるさいのでそうなったら、家中のケーブルを抜いて防いでいるが、休日に事務所の2つの☎のケーブルを抜かずにほっといたら、隣家から不審の思われてしまった。

突然鳴り出し、おかしなことに昼間は無く、夕方近くからその現象は起きている。それも週末の金曜から日曜にかけてが多い。

何度も起きると、特別驚く事も無くなり外線ボタンを押してどういう音が聞こえるかと聞く余裕も出来た。

「ザー」と言う音が続いた後切れてツーツーと鳴りだし、外線ボタンを切るとまたベルが鳴りだしたり、何も音がせずそのまま数分切れなかったり色々である。

しかし、9月頃明け方☎が鳴りだした。

高齢者の親類が多いので何かあったのかと思い受話器を取ると、

「おかけになった電話番号は現在使われていません…」との音声ガイダンスが流れ時計を見ると、4時18分だった。それからいつものごとく電話が鳴りだした。

NTTにといあわせると、外線2本ともに異常があれば故障だが、1本だけでは故障ではないと言われそのままにしている。

余りに何度も起きるので、慣れっこになってしまったが、

始めは分かず、戸惑い何度もノワタリさんにおたづねすると、

「寒気がしますね~。何かしら」と言われた。

そのうち自分で気づいた。その日であった人や起きた事を振り返ると人の私に対しての怒りや頼って来る人の思い。そのほかに本当にヤバいものだったり、警告やあの世の友人からの訴えとか様々で微妙に音の鳴り方が違った。友人の場合後日夢に出たので何を訴えたかったかは分かったが、人の思い程怖い物は無いが、電話のおかげで以前ほどしんどい思いをしなくなった。


懐かしい人

2015-11-11 17:43:34 | 霊現象

 昨年書き終えてから、以前のようにしょっちゅう憑けたり、受けたりしてノワタリさんにお世話をかけることは滅多に無く、その方ではまずまずの快適な日々を過ごしていた。

「夢であえたら」と昔今よりも高く美しい声で吉田美奈子が歌っていたが、いくらそう念じても実際夢で逢える事は無い。

この最近、10日程の間に学生時代の友人が2度出て来た。今まで、全く夢に現れた事は無かったのに、、、何かある。

一度目は何を話したか分からないが、二人で仲良く話しながら歩いていた。目覚めた時、とてもリアルで傍にいるような不思議な感覚だった。

二度目はまた、一緒に旅行したことも無いのに私達は出雲大社へ行くと言う夢で、全く道中も神社も出ない実際の出雲大社とは全く違う景色の処で水辺の草むらにただボーっと立っていた。風が吹き明るい景色ではなく、ちょっと寒々しい。少し先に同じような対岸の草むらが見える。後ろに黄土色の壁が朽ちかけ 中の竹の枝組が見えている古い日本家屋の一部が見えていたが、其処が宿らしく顔は見えないが、女将らしき人にどうやら帰りのJRのチケットを頼んでいたらしく渡された。

私の方が遠いのと途中の乗り換え時間が一緒の便だと長くなるとの理由で便で私の方が一便早いのに乗らなければならなくなっていた。一緒に帰りながらおしゃべりしたかったのにと思っていたが、仕方ない。でも、どういうルートなのだろうか福岡の方へ行くみたいだった。

その後なぜか、建物の中に靴のケースが3つほどあり、その中の一足の黒い靴をプレゼントされたらしくもう履いていた。せっかく持って来てもらったので靴屋さんに返す前にもう一足買う事にした。一つは黒の紐靴、もう一つは茶色の七センチヒールの踵のかっちりした古めかしい見覚えのある靴だったが、私はその茶色の靴を買った。実際、私はプレゼントされたり、したりすることは嫌いなので、花とか小さなぬいぐるみをもらった事はあるが、靴などもらったことは無い。

しかし、2万円払って5千円の釣りをもらうなんてなんとこざかしく生々しく、笑いそうである。

又、外の水辺の草むらで私は渋々別れを告げて立ち去ろうとするところで、目が覚めた。この夢も、カラーで草むらの緑と家の中の電球の色が強く残り、妙にリアルな感覚だった。

なんか変だな~ととても気になった。その数日前、右の額を思いっきり椅子の背もたれにぶつけ、たんこぶになった。またその翌日同じところを向きを変えた途端、壁の角にぶつけ、今度は2センチほどの傷になり、顔を洗う度しみて痛かった。

おまけに玄関のセンサーライトは誰もいないのに30分くらいの間に勝手に2度点いた。最近はこんな事なかったのに誰か来たかな?そういえば、朝でも小さなラップ音もする…。

そんな気がかりな事があり、ノワタリさんに連絡を取った。

「気にしすぎかしら~。今まで夢に見るって事もなかったのに…。でももしかして大きな地震が近くに起きるんじゃないかしらと思ってね。」

「う~ん、黒い影がみえるわね~。水辺っていうのもね~。」と、言いながら、半分靴の話などしてと笑っていたら、次の瞬間、

「覚悟、覚悟しろって」と上の言葉を伝えられた。

「お別れに来たのね。」

「なんで私の処に?」

「分かるから…」と言われたが、分かっていてもどうする事も出来ない。用心するよう伝える事も出来ない。伝えたとしても、引かれて拒絶されるだけである。以前「目に見えない事はわからない。」と言われている。

もどかしく複雑な思いである。

以前も仲の良かった友人が亡くなって四十九まで私の処にいたが、亡くなってはいなくても後ろはわかってるらしいが、外れてほしい。

それから2,3日後靴の事を思い出した。

すっかり忘れていたのに自転車に二人乗りしていて靴の踵を巻き込んでしまい、買ったばかりのおニューの靴の踵の皮に大きく傷が入った事があった。その時の靴とよく似ている事を、潜在意識には残っていることを改めて確認した。