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~ Me Hana O Ka La I Ka Pu'uwai ~

会社を辞めるということ(1)

2015-07-08 | 仕事
22年勤めた会社を辞めました。

正確には今月末までの在籍。
今は有給休暇中です。


私はシンクタンク会社にアルバイトとして働いていました。
夫の扶養の範囲の収入で、基本週5日、新宿まで通っていました。(年末には出勤調整もしています)

シンクタンク会社の仕事の内容は、クライアントから依頼をされたある事案を調査し、研究し、分析してクライアントに報告をするというもの。
職場には「研究員」と呼ばれる社員と「研究助手」とされる女子社員&アルバイトがいます。

私は2人の社員とチームを組んで、その助手的分野を一手に引き受けていました。


これまでにもこのブログで何度か、仕事のヒマさを書きました。

大きな仕事(依頼)が入れば忙しく、そのプロジェクトが終わるまでは毎日がとても充実します。
けれど、レポートを仕上げてしまうとパタッと暇になり、正直出社するのがイヤになるほどヒマな日もありました。
(そんな時は休んだりもしていました)

いや、こんな風になったのはここ2年ぐらいかな?
かつてはルーティンワークに加え、どんどん仕事の依頼が舞い込み、本当に忙しく、そして楽しかった。

運がいいことに会社の風土として、たとえアルバイトといえども社員に渡す最後のデータまでの一手を、私のやりたい手順で、私の工夫のままにやらせてくれるようなところがあり、言われたままに動くのではなく創意工夫できる良さがあったの。
それは22年かけて私が培ってきた実績のようなものだったかもしれないけれどね。


思い返せば22年の間にたくさんの仕事をしました。
最初はほんの腰掛けのつもりで、ビールを辞めて少しのんびりしてからお世話になった会社。
子供ができたら辞めるんだろうと漠然と思っていたけれど、人生とは計画通りに事が進まぬもので、気がついたらの22年でした。

働くということは時に大変でもあり、でも自分を表現するための重要なファクターだったの。
働かない自分は考えられない。
それは金銭面においても、17歳から誰にもお小遣いをもらわずに暮らしてきた自分には、自分の収入があるということは(金額の多少は関係なく)基本中の基本だったと思います。



「ヒマだなぁ」
「今日は会社で何をしようかなー」

今までそんな状況が情けなく、意地もあるから友達には口にしなかったけど、そんな風に思いながら小田急線に揺られた日もありました。
家でできる軽作業をわざわざ会社に持参して、こっそり時間をつぶしたことも。
いっそミシンを持参して縫い物がしたい、編み棒を持参して編み物がしたい…それは無理なんだけどね(笑)

仕事がないというのは、私に限られたことではなく、ここ数年会社全体がそうでした。

私の会社には営業部門がなく、自分で仕事をとってくるという社員がいないの。
それはすべて社長一人の仕事。
社長の持つ太いパイプで、ある一社(不動産会社最大手)からの仕事を専属でこなす会社だったのね。

ところが先方も代替わりが進み、社長の太い神通力が効かなくなってきた。
「○○社長(うちの社長)、ピントがずれてるよなぁー」
なんていう若手社員が先方に出てくるようになったの。

加えて、「この分析なら我が社は●●万円でやります!」というライバル会社の出現もあり、私が途中まで準備した仕事が突然他社に寝返ったなんてことも出てきました。

世の中は不景気なんだから当たり前だよね。
同じ仕事を安くやってくれる会社があればいくらパイプがあろうとなかろうと、水は低い方へ流れるのです。

去年の暮れには、会社の3つの柱のひとつであった大きな契約(部門)がなくなり、年間数億という収入が途絶えました。
その憂き目を見たのは仲良しだったみっちゃん。

みっちゃんは去年の年末で会社を辞めています。


そして、先月末(0626)。
私の上司Yさんに呼ばれ、「明日からの僕たち3人の仕事が全くないんだ。社長はMarchさんに会社を辞めてもらえ、と言っている」

さっきまでとなりのグループの仕事を手伝い、次の仕事の指示かなぁと気楽に膝を突き合わせた自分が馬鹿のよう。
私が会社を辞める?
辞めてもらえ?

仕事がないのは私のせいじゃない。
社長のせいでしょう?
今まで3人でチームワーク良くやってきたじゃないか。
なぜ私が割を食わないといけないの?

その提案には到底納得できず、私は「はい」という言葉は最後まで言いませんでした。
「お話だけはうかがっておきます」と。

これまで、表面上仕事がヒマでも本当になくなったことはなく、同じフロア内でなんとなく調整しながらみんなで食いつないできたの。
けれど、明日からの社員2人の仕事が本当にないんだって。


帰りの小田急線は心臓がドキドキしてとても苦しかった。
どういうことだろう?
どういうことなの?
私を切るなんて会社は何を考えているの?


私には少し前まで別の上司がいた。
このブログにもたびたび登場したジェントル上司Mさん。
私は彼を尊敬し、彼は私をとても買ってくれていました。

彼が異動をすれば私もついていき、そうしてこれまでやってきていたの。

けれど2年前、Mさんが6階から4階の室長になった際、私は彼の誘いを断ったんだ。
「このまま6階であなたの仕事を補佐します。4階には私の座る席がなく、毎日PCを持ってジプシーになるのはいやです」と。

【その時の記事】

そうして見た目は6階の社員2人とチームを組んで、新しい環境が始まりました。


今回、私を切ると社長が決めた時、Mさんが
「彼女を切ってはダメです!彼女のスキル(と言ってもあの会社における だよ)を簡単には手放しちゃだめです」
と社長に抵抗してくれました。
スキルや経験などは関係なく、何としてもアルバイトの削減1をしないと気が済まない社長は
「だったら彼女を4階に移して4階のアルバイトを1人切れ!」と。

Mさんは「俺が今頑張ってるからまだ短気を起こすな。どうにかするから」と言ってくれ、回りの社員も「彼に任せておけば大丈夫だよ」と言ってくれました。
その心境は私のチームの2人も同じで、上司のYさんも私が辞めることには強く反対だけれども、自分に仕事がないことには社長に強く言うことができず、新人のHさんも
「Marchさんがいないといざ仕事が来た時に困ります!」と言ってくれていたの。

私の気持ちも上がったり下がったり、安心していていいのか不安なままなのか…
実に苦しいものでした。

また、同じフロアで働いていた女子社員Sさんは、私を4階に移して4階の人を1人切れ!などという人事上の裏話が私の耳に入ったことをひどく立腹してくれて、
「そんなことはMarchさんが知らなくていいことじゃない?たまたま4階に欠員が出たから運良く移れた~♪でいいものをそんなことをあなたに言うなんて!」
とYさんの対応を怒っていました。

確かにそうなの。

誰かを切って私が残る…
知らなければそれだけのことでも、知ってしまった以上『誰かの不幸の上に私の幸せが成り立っている』なんてことは私には耐え難いことなんだよ。


うちの会社には、40代のアルバイトの男の子がたくさんいて、時々「彼らはこの先結婚ができるのかしら?」と私が心配になるような所得で働いているの。
それでもニートで親のすねをかじっていない分だけ、私は彼らを尊敬しているよ。
でもこれが今の日本の縮図かと、悲しくなるのも事実。
そんな彼らの誰かを切って私が残るなんて…

私はどうしたらいいんだろう?




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