昨日ブログのなかで、私は何者にもならない、と書いたあと、布団に寝転がって、本を読んでいたら、次のような言葉にぶつかり、驚いてしまいました。
「私は一体、どうしたらいいのでしょう。私は自分の人生を持て余しているのです。私は何をしていいのか判らないし、一方でしたいことが無限にあるようにも思えるのです。そのために私は働いていても遊んでいても、不安に耐えられないのです。私は自分が何のために生きているのか判らないのです。私の神経は嵐の海のなかに揺られているようなのです。時々、壊れそうになったり、また静まったりして、しかし自分がどこに辿りつくのか判らないのです。」中村真一郎『雲の行き来』講談社学芸文庫、2005年
この小説は、1966年に書かれたものですが、2021年に生きる私の心のなかをそのまま言い当てたよう。時代を経ても、人間の抱える悩みなぞはそう変わらないのかもしれません。なんとも不思議なものですね。
「私は一体、どうしたらいいのでしょう。私は自分の人生を持て余しているのです。私は何をしていいのか判らないし、一方でしたいことが無限にあるようにも思えるのです。そのために私は働いていても遊んでいても、不安に耐えられないのです。私は自分が何のために生きているのか判らないのです。私の神経は嵐の海のなかに揺られているようなのです。時々、壊れそうになったり、また静まったりして、しかし自分がどこに辿りつくのか判らないのです。」中村真一郎『雲の行き来』講談社学芸文庫、2005年
この小説は、1966年に書かれたものですが、2021年に生きる私の心のなかをそのまま言い当てたよう。時代を経ても、人間の抱える悩みなぞはそう変わらないのかもしれません。なんとも不思議なものですね。
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