学芸員のちょっと?した日記

美術館学芸員の本当に他愛もない日記・・・だったのですが、今は自分の趣味をなんでも書いています

歌川国芳《近江の国の勇婦お兼》

2009-08-23 21:58:30 | その他
江戸時代末期の浮世絵師に歌川国芳(1797~1861)が居ます。型やぶりな表現方法を得意としていますが、そのなかでも私が好きな《近江の国の勇婦お兼》について、ご紹介しましょう。

画像をご覧の通り、遊女お兼が馬の差縄を足で踏みつけています。馬は後ろ足を高く上げて荒れ狂っていますが、それでも動じないお兼。ピーンと細く張った差縄に緊張感が感じられますね。

さて、この浮世絵を語るときによく言われるのが馬の描き方。西欧の銅板画に影響を受けているとされます。浮世絵に銅板画の影響、と聞くと少し奇妙かもしれません。実はみなさまご存知の通り、江戸時代の日本は鎖国をしていました。ただ鎖国はしていたんですけれども、1720年に蘭学が解禁になるんですね。そこでオランダのものが入ってくる。銅板画もそのときに入ってきたものでしょう。国芳だけでなく、葛飾北斎にも銅板画の影響があると指摘されています。

銅板画の影響を受けた馬。具体的にどこがそうなんでしょう?リアルな馬の陰影、流れるように細い毛並み、躍動感あふれる馬の構図…色まで指摘できるかは難しいのですが、石像のように固そうな馬の地肌ですね。刀も鉄砲も効かないような…。

では比較となりますが、これまでの例えば絵巻や合戦図屏風に出てくる馬と比較すると、むろん筆と版の違いこそあれど、日本の馬は柔らかくて、かわいらしく(埴輪の馬もそうですね)、何より怖さをあまり感じさせないのです。

国芳は従来描かれてきた馬ではなく、こうしたリアルな銅板画の馬を取り入れることで、より主題に適した獰猛な馬を描こうとした。そして、この世のものとは思えない獰猛な馬ですら、足で押さえつけてしまうほどのお兼の勇敢さ、力強さが強調されて見るものに伝わってくる、そんな効果を狙ったのでしょう。

国芳の版画を見ていると、発想の豊かさに驚かされます。今後も、このブログで国芳の魅力を伝えていきたいと思います。

●《近江の国の勇婦お兼》 歌川国芳 1830~1944年頃 錦絵 

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