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宇宙の秩序に調和しながらの煩悩達成日記

自己実現。そうです、願望実現を通して、自己をさらに深く知ってみようという実験の日記ざます!

2016年、ありがとうござんす。

2016-12-31 07:35:59 | 瞑想にまつわる能書き
さて、早いもので本日、大晦日となりました。
ここんとこ、朝は霧が濃いのですが、大晦日の今日も濃い霧ではじまりました。




そして、本日、やっとこさ、足の固定を外すのでございます。
足の甲に、ちょびっとヒビが入ったために、この3週間、大変に不便な思いをしました。
そして、歩くこと、歩けること、がとてもありがたい事だと思うのであります。
失って、初めて知る大切さ、です。


久しぶりのインド朝ごはん、チコ母と。




明日から、仕事に復帰。
富豪様は、早速、ディナーパーティの予定を入れてくれて(泣)私は固定を外した後、
どれだけ自由度が戻るかわからないんだけどさー。



私は、私ごときが居るべきでない環境に居る。
これは、傲慢とか、そういうのではなく、「違い」というやつだ。差別ではない。
ある日、私が簡単な事を電話でキッチンに指示。
ランチにxxxカレーを作れ、という話ね。
その後、奥様から怒りの電話。キッチンのインド人、私が指示したのに、作らなかったんだわ。
このヤロー!と思って電話したら、
晩御飯に作れ、つうことかと思った、とな。

ううむ。このヤロー、頭を砕いたろか、という感じで私は憤ってたのだ。
そこへ友人登場。
彼女が言うには、


ほわいといーぐるさん、いいんだよー、それで。
あなたのとこの従業員は、馬鹿だから、その分、ピュアなのよー。
英語がわかんなかった、だけだろうし、
普段から何も考えてないんでしょ?インド人たち。
悪気は全然、ないんだからさー。
ちょーっと知恵がつくと、あの人たち、すぐ、その知恵を人を騙す方向に使うじゃない?
だから。
その知恵が無いほうがいいんだって。
馬鹿ですぐ忘れるから、同じ事を毎日チェックしなくちゃだけど、
騙されるような事はないじゃない。
いいんだよー。
テキトーに諦めなよー。



なーるほどねえ。
確かにその通りだわ。
知恵、つうもんがベーシックなものしか無いから、
かっこつけたり、
イキがったり、、、
そういうのは全くないな。

まあね、一方で思い込みが激しく、インド産のものが一番と思ってるもんな。
そりゃ、私がキッコーマンしか使用しないのと同じかな。


私はすっかり友人の話に同意し、
馬鹿だからしょうがない、でも、いいやつ。
そういう風に思う事にした。


クリスマス。
刺身が食べたいというので、刺身中心に出前。




全然期待してなかったけど、結構、美味しかった。
これで、約1万円。
レストランに行けば、軽くこの5倍は取られる(酒が高いし。)ので、みな、大満足。

こんなにキレイに食べました。




久しぶりの和食、でござんした。


という事で、私の2016年も終わる。
何もしてないようで、それなりにドラマがあり、退屈せずに過ごせました。
感謝で終える事ができそうです。


どちら様も、良いお年を!!



職場に復帰したら(来年)さらにマジメに取り組もう、っと。

2016-12-22 12:02:15 | 瞑想にまつわる能書き
しかし、なんですな。クリスマスも近いので、あっちこっちで最後のセールが盛んに開催中。
あー、行ってみたいけど、この足じゃあねえ。。。しくしく。

動ける自由を剥奪されると、気力にも多大に影響を及ぼして、何にもしなくなるもんですな。
私の場合、ひだり足が使用不可なので、松葉杖の補助があっても、片足ケンケン状態でずっと
立ってたり、⒑m以上歩くのはしんどいのです。階段は3段まで(笑)
とてもお買い物に行けるような状況では、ござんせん。


家の中で自由に動き回る事もできず、猫と犬のブラッシングだけが日課(笑)みんな、これが
好きで、何度でも「ねぇねぇ、ブラッシングして!」と、すり寄ってくるんですねえ。


トローン、と恍惚状態のちこたん。




毎日、私の隣の椅子に座って、私を見張っています。可愛い、チコたん。
目が合ったりすると、すかさず、「なでなでー、なでなでー」とせがむんですよ。





すると、猫のバンディットが、「にゃー、あたしのブラッシングはまだ?」とすり寄ってくる。





写真で見ると、バンディット人相悪いけど、ほんとは、かわいいのですが。
もう16歳になる、ババ猫でございます。
若い猫みたいに、高いところには、もう飛び乗れません。ソファやベッドの高さがやっと。
それも、うーん、うーんとしばらく気合を入れてから飛び乗ります。
若い時みたいな、ひょいっと、はもうできないババ猫です。


こんなヒマにしてると、脳死しちゃうわぁ、とか思うけど、何も思いつかない。
で、ネットで料理番組なんかぼーっと見ていたら。
英国の「プロ向けマスター・シェフ」という料理コンテスト番組。これ大好きで毎回見てます。
ちょうどフィナーレ近くで、40人近くの参加者から4人の最終候補が残り、この4人が30人程度の
英国を代表する有名シェフやレストラン・ビジネスの人をゲストに、4人がコース料理を担当する、って企画。
錚々たる顔ぶれ。いあや、凄いわ。

そこに、日本人が一人いた。私は毎回この番組見てるけど、日本人のゲストは初。
(毎回、内容は同じで、最後の決勝は有名シェフをゲストに料理を競いあうのです。)
どうも、ミシェラン☆を持つ、日本食屋のお方みたいでした。
ロンドンの懐石料理屋の大将でござんした。


で、そういうレベルの店の盛り付けやらメニュやらをネットで見てると。
なんか、クラクラしちゃうよねえ。
比較対象にならないんだけどねえ。
私の働くキッチンは、設備だけは超一流なんですがねえ(笑)
料理人の私がねえ、だらけてるかも知れないなぁ。なんて珍しく反省。

食べる人の嗜好、ってのもあるけど。
たくさんの選択の余地を与えるのが、私の仕事のひとつ、と思ってるのだ。
富豪一家は、特にグルメでもないのよねえ。


こんな料理がありますよ?
こんなサラダがありますよ?
こういうスープはお好きですか?
こんな低糖質のデザートはいかかですか?
自家製の雑穀パンでございますよ?


なんて事を、日々、すべきなのだ。


ぼーっと考えてた。
インド料理はインド人任せだけど、ひょっとして、私もいい線行けるかも知れない?
来年は、インド料理にもチャレンジしちゃおうかな?
うーん。早く復帰したいよう。。。


なぜか、クリスマスの飾りを蹴飛ばし、破壊し、その上に鎮座するバンディット。
しばらくこうして座っていた。
アンチ・クリスマス?








運命は彼女をどこに連れていくのか。

2016-12-21 09:25:34 | 瞑想にまつわる能書き
彼女は古い友人。
オーストリアの山の方の出身だそうだ。 日本のどっかの名門大学で博士号の勉強してたそうですが、教授と合わない ETCの問題があって、博士論文提出する前に、「結婚」という逃げ道をゲットし、日本脱出したそうっす。大昔の話ですが。
ブロンドで長身、ナイスバディのバービー人形みたいな彼女。非常に優秀でございます。私の数少ない友人。そして、知識豊富な人でございます。


その彼女はこの都市のバブルが頂点に達する前に、政府系の役所のトップだったコネと財力で、後に大化けする不動産をいくつか買い込んでいた。ラッキー、な人である。バブルの頂点と伴に彼女の購入した不動産は大化け。バブル崩壊後も、立地が非常に良かったため、値崩れするどころか、値上がりを続けているのである。
不動産は賃貸に回し、最高の人気の場所のため、テナントが切れる事もなく、高額で賃貸に出していたので、あっという間にローンを終えていた。確か、不動産収入が月に数百万あるはずである。

不動産収入が安定化するころ、彼女はオーストリアから痴呆の始まった母親を呼び寄せた。理由は温かい(つうか、暑い)気候と、通年プールで泳げるから、だそうで。その後、さらに物価の安い&介護の人を数人雇って24時間看護できるタイに越していった。
母親の痴呆は進み、彼女は不動産収入で暮らし、年に数回、彼女の大好きなバックパッカーに変身して世界の僻地を廻るのを趣味としていた。 私と年が変わらないのだが、よくもまあ、貧乏旅行なんかできるもんだ、と話を聞くたびに感心していた。

そんなミリオネラーな彼女は、大変、ケチである(爆)ので、ほぼお金を使わないバックパックが性に合ってるのだろう。細身の彼女は、食べる事にも全く関心が無く、旅先では宿(ホテルには泊まらない)の朝食を袋に入れて持ち歩き、それで1日間に合わせるような人だ。ケチ、つうかお金を使わないのである。

ミリオネラーになる前からケチだったので、お金持ちになった以降も、全く、変化はなかった。私も貧富の差で友人を選ばないし、他人がどんだけ財産があるか、なんて大した興味も無いので、友人関係も変わらず、であった。
彼女はチコ母の古い友人なため、私が彼女に会うのは、決まってチコ母宅であった。タイに越してからは、6か月毎、彼女が僻地に旅行に行く際に、ここを通過するので、そのたびに会っていた。私は彼女の冷静さと深い知識に触れるのが好きだったのである。

会うのは決まってチコ母宅。 私が料理してみんなで食卓を囲んでいたのであった。
彼女の母親は90才近くになり、痴呆も一層、進んでいると言っていた。母親は随分前から時間の概念が無く、彼女が旅行で留守にして1か月ぶりに母親に再開しても、1か月、という概念が無いそうだ。過去は全部忘れちゃうので、彼女がいつ旅に出たかもわかってないのだ。

ただ、これが母親の人生で一番聞きたかった言葉だったらしく、毎日毎日、何度もDo You Love Me? って聞いてくるんだそうだ。Oh, Yes!I Love You!!と答えると、母親は幼女のように喜び、それで1日中、ニコニコしてるんだそうだ。
彼女が育つ過程での母親は、教員をしていて、物凄く厳しかったそうだ。私は母親の痴呆が軽い頃、夕食を作ってご馳走したことがあるが、年老いても、とにかくキレイな人だった。
キレイでちやほやされていた母親は、なぜか堅物の男と結婚し、I Love You!!の言葉を聞けない生活だったそうだ。これは娘である友人の分析であるが。そのフラストレーションが、母親をとにかく厳しい母親にしてしまったのではないか、と言っていた。

幼少の頃から、「あれが食べたい!」とか「要求」する事はご法度。母親が作ったものを黙って残さず食べる、食べた後は団らんなんかせずに部屋に戻って勉強する、というのが日課だったそうです。そういうのが遠因で、食べる事に抵抗を持ってしまったのではないか、と友人は言っていた。
そんな母親は、全く笑顔を見せた事がなかったそうだ。厳しくて、いつも怖がっていたそうで。28才で日本に留学して屈折していた頃、古い友人の米国人に求婚された際、これで母親の呪縛と、嫌な日本から逃れられる!ってんで、速攻で結婚を承諾したのだそうだ。

そんな結婚は3年も続かなったそうだ。嘆く夫を尻目に、強引に離婚したそうです。ちなみに結婚相手の米国人は、長身で成功していて、大企業のキャリアの階段を順調に登りつつあり、優しくてダンスが上手で、誰もが夢見るアメリカ人の夫、そのもんだった、とチコ母が回顧していた。チコ母いわく、旦那だった人は、ほんとに性格も良い人で、友人から離婚が決まった、と告げられた時、「なんであんないい人を捨てるの?」とチコ母は泣いたそうです。


賢い友人は、自分の人生の「忘れ物」が母親との関係にある、と気が付き、全く良い思い出はなかったそうだが、それで人生を終えるのを拒否し、痴呆の始まった母親の看護を開始したのでる。記憶が薄れると共に、母親は毎日、幸せそうにニコニコしてるそうだ。そうはいっても90才近い母親は衰弱してきているので、ほぼ、寝たきりだそうで。


友人は母親を看取ったら、自分の人生を始めると言っていた。それは、僻地バックパックの旅、であった。
⒉年前は、食べる事に感心無いけど、これなら食べれる、つうんで、タイから「こぶみかんの葉」をいっぱい持ってきて食べていた。 ちょーっと、それって、青虫じゃないんだから、おかしいよー!って私は言ったけど。 友人は自分の拒食症に気が付いていたし、元気に走れる体力もあったので、気にもとめなかったそうだ。
6か月前、いつものようにチコ母宅で会う。食べる事が苦手な友人は、当然、痩せ気味。なぜか全身に昔のエイズ患者のような大きな斑点ができていた。友人いわく、ヘモグロビンが足りてないとかで、医者から肉食を勧められたと言っていた。彼女は長いこと菜食主義であった。


チコ母は、アユールベーダ医師を紹介したり、その医師に卵とトマトを禁止されたりしていた。体調は完全でなかったにせよ、彼女はウズベキスタンかどっかに3週間旅行に行き、とても感動した話をしてくれた。10月の初頭、だったような気がする。
私は⒑月の後半から、12月に足を骨折するまで、訳あってチコ母には会わなかった。友人とは普段は連絡を取らない。微妙な時差もあるので、スカイプもしなかった。

しばらくぶりに会うチコ母から聞かされた。チコ母は質問せずに黙って聞け、と言ってきた。自分も昨日知ったので、詳細は知らないから、と。




友人はステージ4の大腸がんである、と。

手術して腫瘍は取り除いた、と。現在、人口肛門になっている、と。12月のクリスマス前に、オーストリアに帰る。その際、ここに2泊すると。チコ母はKLにクリスマス休暇で出かけていないので、滞在中のケアをよろしく頼む、そういう事だった。

そういう事だったのか。

エイズ患者みたいじゃない、と笑ったあの斑点も、こぶみかんの葉っぱをかじっていたのも、僻地旅行中に全く食べ物を受け付けなかったのも、みんな、これが原因だったのである。



そんな友人がやってきた。予想したみたいに衰弱してはいなかったけど。さすがに手術後、4週間、元気はなかった。当然、いつものシャープさもなく、弱弱しく語ってくれた。



私はもっと生きたい、と涙を流す友人に、言葉が無かった。ステージ4が何を意味するのかは、彼女が一番良く知っているはずだ。



アフリカ大陸のバックパックが好きで、良く長期のアフリカ旅行に行っていた友人。最近は、旧ソ連領を中心に旅行していた。 インドは避けている、とずっと言っていた。理由は特に無い、と。



彼女の細くなった手をさすりながら、私は言った。



ねえ。これからたくさんの事が待ってると思うけど。いろんな処理をしなきゃならなくて大変かと思うけど。過ぎた事はいいの。今を考えようよ。

この病気もきっと、いい面があるはず。何かを教えてくれるはず。絶対、そうだよ。

新しいバーブラになるために。転換となるデキゴトなんだよ、きっと。

ねえ、覚えておいて。体調が良くなったら、一緒にインドに行こうよ。

インド、いいよ。私はインド旅行中、時折あなたの事を考えていた。インドは避けてる、って言ってた事を。

新しいバーブラは、封印していたインドに行くんだよ。

新しいバーブラは新しい事にチャレンジするんだよ、きっと。一緒に、インドへ行こう。

ねえ、これ、覚えておいてね。



12月なので、今年の統括!

2016-12-19 07:53:35 | 瞑想にまつわる能書き
師走です。そういえば。

私は⒑日ほど前、購買を終えてモール・オブ・エミレイツの駐車場で、ショッピングカートから
荷物を車に詰め込んでいたんだわ。
その際、大きな調理油を入れたスーパーのプラスチック袋が破れ、私の足の甲を直撃!!


うげげげげ!


とっても痛かった。少しばっかりぴょんぴょん飛び跳ねるほど痛かった。
少ししたら落ち着いたので、次の店に購入に行き、仕事場に戻ったのである。
右足の甲が痛いな、と思ってたけど、普通に荷物を運びこみ、歩行もできたのだ。


その後、デスクで事務の仕事をしていたら。
なんとなく、なんでもなかった左足の甲が痛み出したので、筋肉痛クリームを塗った。
その後。
あっという間に、痛みが激痛に走り、歩行が困難に。
キッチンでひーひー痛がる私に、インド人は、

そりは、食塩を入れた熱湯につかれば、明日は治る!

とか、自信満々に言うのだった。
ほんとかよ、おい。普通、冷やすんじゃないの、こういう場合。
しかし、私は動けないし、インド人は珍しくてきぱきとお湯を沸かし、食塩を入れて
私のところに持って来た。

うーん。全然効果なし。痛みが増したような気がするぞ。
これは、筋肉痛とか打撲ではない。骨。

ちょっと、我慢できないから医者に行く!という私にインド人は
あ、ディナー・サービスの後ね、うんうん、行った方がいい。とか言いやがって。
その日のメニュは、フレンチかなんかだったのだ。
No!そんなに待てない。今すぐ病院行くから。

インド人に何でもいいから晩御飯、インド料理作って(インド料理しかできないっす)と
指示し、英語が話せる他のインド人スタッフに一緒に病院に来るように頼んで、ドライバーに
病院行きを指示。
その頃は、とんでもない激痛になっていた。もう、歩けず、モップの柄を杖替わりにしないと
歩行できなかった。
救急の受付に到着すると、車椅子が利用可能。
ちょっとホっとした。


結局、足の甲の骨を骨折していた。
あっという間に石膏のようなもので固められた。
チコ母に連絡すると、お世話になってもOKと。
富豪の家はでかすぎ、階段多すぎで、松葉杖の私には生活が困難。
医者は3週間の治療休暇の認定書を発行すると。
ギブスが取れるのに3週間を要するのだ。

というわけで、すでに⒑日ほど、チコ母の家で松葉杖の私は猫と犬とに見張られながら(笑)
とても退屈してるんである。




松葉杖は、わきが痛くなり、片足歩行では⒑m以上移動したくないっす。
チコ母はKLにクリスマス休暇に出て、私は家で何もせずに日々、ぼーっとしている。
猫のバンディットが私にとてもなついていて、どこに行ってもついてくる。



夜は私のベッドでのどをゴロゴロしながら寝ています。猫はブラッシングが好き、というのを私が発見。
チコ母はペットの手入れに熱心でない。バンディットが抜け毛だらけなので、私は訪問すれば、必ずブラッシングを
していた。
バンディットはブラッシングが好きで、ゴロゴロと大きな音を立てながら喜んでいた。
最初の頃は、バンディットはまるでエクスタシーに悶えてるみたいに大喜びで、その姿をみんな大笑いしていた。

その後、私が行くとバンディットの方から、ブラッシングしてー、にゃごにゃごにゃーご、と寄ってくる。
私は人に厳しく、動物に甘い人なので、お願いされればいつでも喜んでブラッシングしちゃうのである。


今では、バンディットは私が移動すると、何気にくっついてくる。
チコ母が在宅中でも、私が宿泊すれば私のベッドにやってくるし、私が宿泊しない日々、バンディットは
日中、私の寝るベッドで寝てるそうで。
そういう話を聞くと、かわいーーー、って思うのです。


チコたんは、賢くて考える、という事をします。
事情あって、1か月以上チコ母宅を訪問しなかった私を、チコたんはことごとく無視してますた(笑)
チコたんが、私の部屋で寝るようになったのは、ここに滞在して1週間してから。
やっと許してもらえた私。。。
チコ母も1か月くらい留守にすると、ちこたんから無視される、と言ってました。



そんなチコたんも、今はずっと私のそば。
賢いチコたん、私が猫をブラッシングしてるを見てました。
で、きょう、チコたんが何か言いたげに私を見つめるのです。
エサ?と思ってフードをあげるも見向きもせず。
私をリビングに誘導するんです。松葉杖なのに。
で、ちこたん、ブラシを見て、私を見る、を繰り返します。
チコたん流のコミュニケーション。
ブラッシングしろ、つう事です。

はー、そうでっか。お安い御用!
ってんで、ちこたんにブラシを始めると、ちこたんは喜んで私にキスします。
うれしい、有難う!がチコたんの場合、キスなんですねえー。今日、やっと理解しました。


うーん。
今月いっぱい、私はこんな事をしてるんだろうか?
人生にはこういう時間も必要なのか?

ということで、統括無し、っす。





エア・インディアは凄い!

2016-12-17 07:48:47 | 瞑想にまつわる能書き
私の8泊のインドの旅は、こうして終了。
ちなみに、インドのナショナル・キャリアーであるエア・インディアを往復利用。
チェンナイに午前中到着したかったのだ。調べたらエア・インディアの便しかなかったのである。しかも、午前4時半着。しょうがないよね。夜中に到着よかまし。

門前町?の景色。のどかである。



エア・インディアはインド人の皆様には、大変、悪評である(笑)できれば利用したくない、と皆さん、おっしゃいます。理由は時間通りに来ないwww、サービスが横柄、とかが主でしたねえ。
行きは深夜便だったため、爆睡。往路で、エア・インディア名物の「インド的サービス」を目撃したよ。エア・インディアを利用した、というとインド人は言う
ああ、エア・インディア。エア・ホステスがベテラン、つうかおばちゃんだったしょ?エア・インディアは「おっかさん風サービス」が有名。ベテラン・エアホステス、またの名をおばちゃんエア・ホステスが、まるで母ちゃんのように小言を言いながらサービスするんだそうだ。

ほんとに美味しい南インド朝食定食!



これを食べるために、もう一回行ってもいい!




私の利用した便は、行きも出稼ぎインド人労働者で満杯。観光客風の乗客は私ひとり。戻りは、若干のビジネスマン風なインド人も交じっていたが、基本、一緒。行きは爆睡してたんで気がつかなかったが、なんとこのヒコーキ、座席の前にある免税お買い物のアレとか、機内誌とか、そういうものが一切無く、行きの私の座席は壊れていて、自動的に後ろに下がっちゃうような、そんな感じだった。
エア・インディアの機内販売って何売ってんのかな、と興味はあったけど、そういうわけでカタログ置いてなかったのである。私の利用した便は、エア・インディア的には「低所得者輸送用路線」なのだろう。だから、サービスとかそういう雰囲気が一切なかったんである。

ホテルの屋上。ここでヨガしても気持ちいいかも、と思っただけで実行せず。




機体もとってもボロかったな。 私はそんなに旅好きでもなく、利用した飛行機会社がどうの、こうのってどうでもいいんだけど、エア・インディアは別格(笑)私の隣のインド人労働者は、飲み物のサービスでジュースを頼んでいた。私の番がきて、私はビールをオーダー。インド人はその模様をじっと見ていて、ビールが無料、って事を理解したんだな。
で、通りかかったスチュワートを何度か呼び止めたが、無視されていたんだな。で、たまたま立ち止まったおばちゃんエア・ホステスにビールをオーダーしたんだわ、タミル語で。

夕暮れ。素敵な時間が素敵に過ぎていきます。



ちなみに、エア・ホステスを呼ぶボタンみたいなのは、だいたい壊れてます。つうか、わざとそうして、使用不能にしてるのかも(笑)
そして驚きのおばちゃんの態度!なんと、そこで説教が始まったんである。タミル語はわかんないけど、雰囲気でおばちゃんが説教してるのがわかる。で、結局、おばちゃんエア・ホステスはビールなんかサービスしなかったね!インド人労働者は反論もせず、しゅんとしていた。
日本の飛行機会社(全然使ってませんが)だったら、きれいなお姉さんが、ひざまずいて目線を下げて、お客が誰であれ、礼儀正しい笑顔を浮かべ、ビールでも何でも所望するものを丁寧にサービスするだろう。
しかし、エア・インディア。おばちゃんエア・ホステスは、前の座席に手をかけ、ちょっとふんぞり返り気味な姿勢で、説教していたねえ。


混沌とした南インドの地方都市。とっても情緒があったわあ。



これがインド人の言う、おっかさん的サービス、なんである。ある意味、すごい。
なんというか。階級社会が歴然として存在するインド。特におとなしめの南インドあたりは、この出稼ぎ若者のような大人しいヒツジタイプが多いのかも知れない。自ら支配される階級に落ち着いちゃうみたいな、そんな感じ。ある意味、分かりやすくていいのかな?(笑)

女性のみなさんは、もれなくサリー着用。




さて、何もしない旅は何もしないまま過ぎていった。最後の3日くらいは、足が筋肉痛で思うように動かなかったのと、ホテルの外に出ても蚊がいっぱいいて出られなかったのだ。今回は、多少アップグレードしようと思って、重たいラップトップを引きずらないで済むよう、タブレット、ってやつを購入。モバイルは画面が小さすぎて、使いたくないよねえ。このタブレットで次に訪問しようかと思うインドを検索したりして。
今回は南だったので、次回は北インド? 知り合ったおばさんは、ABU山、つうのが非常にいいとこだったよ、と言っていた。
今まで、たいしてインドに関心なかったけど、こうしてみると、ホテルは安いし、飛行機代も安いので、ちょっとしたブレイクにはもってこいかも。

この雑多さがいい。



ださ!




そういえば、ジャイプールという大層有名な観光都市に、アルメニアで一緒に働いていたインド人料理人が仕事をしてるそうだ。もう、一生会う事は無いと思ってたけど(笑)次回はジャイプールにでも行って、あの料理人に会ってスカウトしようか、とか思っている。

仕立て屋で’ドイツ人メッセンジャーに会う

2016-12-16 11:19:53 | 瞑想にまつわる能書き
安宿に1泊だけした際、インド系豪州人のおばさんと知り合いになる。
おばさんは、マレーシアオリジンで里帰りするたび、マレーシアからインド各地を
一人で旅してるそうで、アシュラム等に非常に詳しかった。

おばさんは、コットン生地を買い込み、安宿の近所の仕立て屋でシャツ等を仕立てるそうで、
ヒマな私についてこい、つうんで私はおばさんと一緒にテーラーへ出向いたのである。


私の宿泊したホテルの庭は、小汚い(笑)外界とは別世界



非常に手入れの行き届いた庭でござんした。





瞑想用の場所。 早朝にはヨガ教室開催。




素晴らしいエネルギーに満ちておりましt。



アルナチャラ山、すごーい。




おばさんが仕立て屋と交渉してる間、私はぼーっと辺りを見ていたら、すーっと一台のバイクが止まった。
運転してるのは白人。 妙に親し気な感じのおじさん。

やあ!あなたもこの素晴らしいテーラーに感動した一人かい? ワシの家のカーテンとか、全部彼が作って
くれたんだよー。今回は、この冬用の羽毛ベストが大きすぎるのでサイズを直してもらったんだ。

はぁ。あー、あのう、どれくらいココに住んでますの?ビザはどうしてますの?

と私は質問した。おじさんは、

いい質問だ。 僕はねドイツではそこそこ成功した宝石商だったんだ。あ、ワシはサニヤシンね。
2年くらいネパールに住んでたの。でも、なぜか知らないけど、物凄く鬱になっちゃってねえ。
そんで、このティルバナマライにやってきたんだ。
もう5年になるかな。 ここに来てからは、落ち込む事もなくなったよ。
この仕立て屋の発見なんかが、一大事件になるんだな、ここに住んでると。
あ、ビザはね、シャンティ・カフェの地下にクマールってのがいる。
彼が全部、合法的にアレンジしてくれるよ。
ここには250人くらいのガイジンが住んでるよ。ここに住むには、まず、自分が何を与えられるか、
地元のコミュニティに何を与えられるか、そういう事を考えた方がいいよ。
お、ベストが出来上がってるわ。さすが、上手だ。
んじゃね、グッド・ラック!

そういって、数分間の会話で、たぶん、私に必要な情報は、全部、このおじさんが話していったので
ある。


滞在中、唯一の非インド食。安宿の隣の食堂は西洋人向けメニュしかなかったのである。
残念!ミルクコーヒーが美味しかった。ミルクはしぼりたて。





仕立て屋の前の道路。



おばさんは仕立て屋との交渉を終えた。
今、ドイツ人との会話で、私が必要な情報は全部ゲットできちゃったんですよ、というと
おばさんは、まー、聖地だから。いろんな必要な事はサッとおきちゃうのね、と笑っていた。

おばさんと歩きながら何気に入った食堂風の場所。
もちろん、そこがシャンティ・カフェでございました。
なんか、笑ってしまいましたよ。




ラマナ・マハリシ大師のアシュラム

2016-12-15 10:13:57 | 瞑想にまつわる能書き
さて、ティルバーナマライ観光名所には有名なヒンドウ―寺院とラマナ・マハリシのアシュラムがある。
私の滞在したホテルは人気ホテルらしく(トリップアドバイザーでも堂々の第一位!)予約の際、1日だけ
満室なので、連続して予約できなかったんである。
まあ、行ってみりゃキャンセル出るとか、どうにかなるだろうとテキトーに考え、他を予約しなかったのだ。

結局、満室で空室が無いつうんで、1泊だけ他に宿泊することにした。
高級リゾートの1泊が7,000ルピー、1泊のゲストハウスは500ルピー! どうよ、この差!
500ルピーでも、個室にバストイレあるし、風通しは良いしで、悪くない。

このゲストハウス、レインボーゲストハウス、つう名だったのでゲイ専用かと思ったら(笑)
素朴なインド人家族経営。レインボーがゲイを意味するなんて、これっぽっちも知らなそうですた。



高級ホテルも快適で結構。私は大好きでございます。
安宿も、清潔であればOK。安宿の良さは、他の宿泊客がフレンドリーで、すぐ話し相手になる、とこだ。
高級ホテルの客は欧米人が多いせいもあって、せいぜい挨拶程度で会話する事なんてない。

この1泊だけの安宿宿泊で、私は一人旅のおばさんと知り合いになった。
おばさんはインド人風、つうかインド人だけど、マレーシア生まれで豪州に移民して40年、だそうで。
マレーシアのインド人はタミル人が多い。おばさんによると、大英帝国植民地時代、タミル人は肉体労働者
としてマレーシアに連れていかれ、北インド人は事務屋として連れていかれたんだそう。
おばさんは色も白くて北インドのオリジンだそう。


安宿は、眺めがよくで、なかなかでした。




マレーシアのインド系ならだれでもタミル語が話せます、とおばさんは言い切っていた。
後でチコ母に聞いたら、「それは環境によるでしょー。私の周りにインド系いなかったし、私はタミル語は
1から5までの数字しか知らないよ。」そうか、そういうもんね。

このおばさんは、豪州では高価で入手困難ということで、インド綿をいっぱい購入していた。で、テーラー
(仕立て屋)を見つけて、2日で縫い上げてもらうんだって。
テーラーも安宿から徒歩圏にあった。タミル語話せるおばさんは、全くもって困っていなかった。

おばさんの御主人は引退した医者。足腰が丈夫でないので、マレーシアに里帰りすると、御主人をおいて
おばさんがインド一人旅をしてるんだそう。
マレーシアからインド近いしね。
おばさんが過去訪問したいろんなアシュラムの感想なんかも聞いた。とても興味深かった。
おばさんは豪州パスポート持って、豪州住まいだけど、なんちゅうか、インド人なのである。
アシュラムの人たちや商売人たちは、おばさんをインド人として取り扱うのである。
おばさんはヒンディー語も話せるので、インド全域を網羅できるのである。


暇つぶしに、ネットで検索してインド占星術の占い師に会った。インドはホロスコープで結婚相手を
決めるので、占い師という職業は当たり前である。しかし、私の場合、英語話せる占い師でないと困るので
見つけた占い師は、ちょっと離れた場所にお住まいだった。


占い師の住む街。



占い師の家から眺めるアルナチャラ山



占い師は自宅の屋上で開業していた。引退した公務員だとか。



まあ、占いは目新しいものはなかったが、運勢UPのため、さらに南下し、ケララ州の堺にある寺院に行って
祈祷するといい、と言われたのだ。
ホテルに戻って調べると、その寺院はティルバーナマライから車で4時間。つうことは往復8時間。。。。
祈祷は日曜の午後4時開始だそうで。
金額よか、時間がねー。車で往復8時間って。。

そんな話をおばさんにした。
おばさんは、どこで祈祷しようが同じ。要は気持ちだよ。マハリシのアシュラムに寄付しても同じ。

そーかー。
インド人がそういうなら、そういうものなのかも。
んじゃ、寄付しちゃいましょう。


マハリシアシュラムの玄関の大木。




小奇麗なアシュラム。


瞑想ホールに座って瞑想しようと試みた。
が、普段から瞑想しないんで、急にニルバナに行けるはずもなく(笑)


ちょうど昼食時で、アシュラムの前庭で「お食事の施し」が展開されていた。これ、誰にでも施すので
ございます。



物乞い風の人、近所の人、いろんな人が行列してました。



食事は3種類のごはん(南インドの主食でござんす)に、野菜のカレー、パパッド(揚げせんべいみたいなもの)、
果物(この日はバナナ)にお菓子までついていた。フルコースでした。




聞けば、毎日、365日、400人分の食事を要しして施してるんだって。
私は大金を寄付したので(爆)このような施しのお役に立てたら嬉しいと思った。




見た事も無いような巨大なべ。



もちろん、配膳する人もボランティア。



並んでる人は普通の人々。乞食、ではありません(笑)



タッパー持ってくる常連もいた。




いやー、凄いなあ。




中東ではラマダンの期間限定で、モスクでイフタールという、日々の断食後の食事が無料配布されているが、
男性限定(たぶん、そうではないのだろうが、女性がいるのを見たことが無い)だし、このインドみたいな
「誰でもどうぞ!」感は全くないのだ。

マハリシのアシュラムも無料。3泊までらしいが、3食出るそうだ。私は事前に1泊申し込んでいたのだが、
テキトーに予約していたため、高級リゾートの満室の日とずれていた(笑)
アシュラムに出向いてキャンセル。
このアシュラムは、取り立ててプログラムもなく、お金儲け主義のにおいも全くしなかった。
本屋があったので、本を購入したが、驚くほど安かった。

マハリシ大師の軌跡を読むと、16才でティルバーナマライにやってきて、有名なヒンドゥー寺院で瞑想後、
アルチャナラ山の洞窟に籠っていたそうだ。
生涯お金を持つ事もなかったそうだ。
そして、世界から人が集まるようになっても、マハリシ大師は、一歩も街から出なかったそうだ。
なかなかに深い人である。



せかっく購入したマハリシ本。
ちょこっと開いてみて、すぐ断念(笑)

今はそういう気分じゃないみたいっす、大師様。





今を生きる、つうのは、こういう事ですかの。

2016-12-14 07:51:09 | 瞑想にまつわる能書き
今回の旅の最大で1個しかない目的は、アルチャナラ山のパワーに触れる、であった。




山というか、チェンナイ空港に降り立った瞬間、今までに感じた事のない「同一感」みたいのを感じて、既に心地良かったのである。 空港からホテルまでの4時間の道中、目にする光景は、なんとも懐かしい感じがした。もちろん、初めて目にする南インドの風景、である。


さて、山にでも登ろう。
アルチャナラ山は、ホテルの側。というか、このティルバナマライの街のどっからでも、そのありがたいお姿を眺める事ができるのだが。いったい、登山口はどこ?宿泊ホテルは、街の中心から離れていた&ホテルから幹線道路に出ると、そこは「サドウ・ストリート」で、ちょっと出かける気が起きない。
ネットで検索して、旅行者から絶賛されてる山登りガイドを発見。早速電話した。「あのー。明日の朝、アルチャナラ山に登りたいのですがー。」ガイドは、明日は自分は他の仕事が入ってるので、代わりのガイドをよこします。はい、午前4時にホテルにお迎えにあがります。ええ、モト(オートバイのこと)にてお迎えに上がります。料金は1,500ルピー。



私は日本人ですから、「山頂で朝陽を眺める」つうのが、DNAに深く刻まれておりまして(笑)
山登りする機会があれば、できれば、山頂から御来光を拝みたいのでございます。そういうわけで、ピックアップは午前4時。 登頂には2時間半、と言われたのでございます。 
午前4時。時間通りにホテルのゲートでピックアップを待つ。辺りは真っ暗。空には星がいーっぱい。ちょーっと寒いかな、という温度。まあ、登ってるうちに温かくなるでしょう。
お迎えが来た。バイクの後ろに乗るなんて、何十年ぶり。あまり好きではないぞ。ガイドの兄ちゃんは、ブンブン飛ばし、ヘルメットも装着しないので、私はちょっと恐怖を感じたのでした。
街の端っこみたいな住宅街を抜けて、そこから登山開始。真っ暗だったので、ガイドが渡してくれた携帯の明かりで足元を照らしながらの登山。ガイドは懐中電灯使用。山頂で御来光を眺めたい人は滅多にいないそうで、もちろん、登山客は私ひとり。



とにかく真っ暗で先は見えないので、足元を照らしながら、ただ足を進めていった。アルチャナラ山は岩石の山で木が生えていない。足元は岩なので、案外、登りやすかった。
私は海抜0mの場所に長く住んでるせいか、高低差がとても苦手である。ネパールのトレッキングでは、5分置きに休憩しないと、心臓が破裂しそうなほど、呼吸が早くなり、かつ、呼吸が間に合わない感覚に襲われたものである。あれは5年以上前のことで、当時、私はヨガを日課にしていて、ヒジョーに健康的で、体力にも自信があったのである。
今は、走るのさえ、やっと再開できた、というような老衰ぶり(笑)果たして、いくら低い山とは言え、この高低差、大丈夫かな?と多少の不安があったのである。



辺りは暗闇で先が見えない。足元だけを照らして、一歩一歩進むことしか考えない。先が見えないと、考えないもんであるね。どれくらい急なのか、も先が見えないので分からない。とにかく、足元しか見えないのである。
ガイドは、このアルチャナラ山は、シバ神そのもの、とか言っていた。あ、そう。
しかーし。確かに波動が違う。ぜーんぜん、違う。なんか妙な安心感のような、包まれてるような、護られてるような、そんな感じがしたのである。私以外の何かとてつもない大きなパワー。そういうのを感じたのである。でも全く、違和感が無く、私はその偉大なパワーの端っこで同化したような、そんな感覚を感じながら、一歩、一歩、先に進んでいったのである。



しばらくすると、急に視界が開ける。朝を待つ街並み。 インド人はプージャ(お祈り)にかまけて、他に何もしない、というエッセイを読んだが、ほんと、その通り。プージャ等は、非常に熱心である。ので、夜明け前、あちこちから賑やかにバジャン?だか何だか、歌のようなお祈りの声が、あちこちからこだましていた。ナマケモノと思われがちなインド人、結構、早起きしてお祈りにいそしんでいるのである。



真っ暗、なんです。



休憩して、そんな目覚める街並みを眺める。この街は、有名な寺院があるせいか、商店に酒も置いていないし、私の滞在するホテルにも無い。ガイドの若者は、父親は無く、妹と母と3人暮らし、と言っていた。街で見かける人の2割くらいは裸足だし、車だって無い。バイクが主要な足である。物価も安い、地元民の利用するであろう食堂は、バナナの葉っぱ、が出てくる。女性は100%サリー着用で、頭に物をのっけて運んだりしている。
私の経験した「近代化」を見るのは携帯電話くらいだ。そして、人々も家族を大切にし、毎日、お祈りを欠かさず、アルチャナラ山に見守られて暮らしている、そんな感じだった。



南インドの偉大さ(笑)は、何でも受け止めるキャパシティにあるような気がした。道路にはサドウが横たわり、野生の猿が寝てるサドウの上を走り周り、裸足の人が街道を急ぎ、その脇を3人乗りのバイクが疾走する。牛が大きな荷車を引いて、鈴の音を鳴らしながら道の中央を通り過ぎていく。何でもアリ、なのであるね。
山頂を目指しながら、ひたすらに一歩一歩を進める。ガイドが休憩を提案するが、私は立ち止まると寒くなるので、休まずに歩み続けるのを選んだ。先が見えないので、いったいどのくらいで山頂か、は全くわからなかった。


意外にも私の心臓はバクバクしなかった。あのネパールであんなにへばったのは?なんだったのだ?汗をかくわけでもなく、心臓がバクバクするわけもなく、ある意味、快適に山登りを続行していたのである。
これ、凄いかも知れない? 

そうこうしてるうちに、視界が明るくなってきた。その頃は、ほぼ9合目。山頂近く。見下ろせば、なんと急な斜面。私、こんな斜面をもくもくと登ってきたわけ?



雲海の向こうに、少しずつオレンジの色が増し、太陽が顔を出した。眼下には、ティルバナマライの街が一望。下から見ると、大変そうなのに、登ってみたら、楽勝!!という経験は、初めて、である。




足元以外の、「先」が見えない。
ので、あとどれくらいだとか、斜面が急だとか、そういう「今以外」に全く思考が分散しなかったのだ。見えないから、考えようがない。足元の岩だけ確認しながら足を進めるしかないのである。
これ、視界がはっきりしていたら、先が長いとか、斜面が急だとか、いろいろ情報が入ってきて、ああー、そんなに歩けないよう、という感じで疲労を呼び起こすのかも、と思ったねえ。



そうかー。これが今に生きる、つう事かー。



御来光。



とても美しかった。



ありがたいアルナチャラ山は、私にそういう事を教えてくれた。下山しながら、登った山を振り返るたび、こんな急な斜面を休憩もせずに歩いた自分が、奇跡の人に思えた(笑)



ちょっと振り返って、ひぇー!



ココをあっという間に登り切ったのよー。




ちなみに2時間半、と言われた登頂時間、私は90分でした。
そうそう。明け方で涼しい、という事もあったが、私は全く水を必要としなかった。水筒は持参していたけど。下り終えた頃、ガイドに水をあげたが、私は汗もかかなかったので、水を欲する事もなかった。




ただ、急斜面を降りてきたため、太ももにとっても負担がかかってるのは、下山しながら感じていた。




偉大なるラマナ・マハリシ大師が瞑想していた、という洞窟が山のふもとにある。登山の際は真っ暗だったので、下山の時に行きましょう、って事になっていたが、私は下山するやいなや、私のハートは、ホテルの美味しい朝ごはん!でいっぱいになり、マハリシ大師の瞑想洞窟、なんかパスしちゃった(笑) 今でもマハリシ大師の瞑想波動が残り、素晴らしいエネルギーに満ちてる洞窟だそうだが。結局、その後、私はその洞窟を訪れる事も無かった。

そして、下山してから帰国するまで、太ももの激しい筋肉痛!でヨガもできず、ホテルから外に全く出る事もなかったのでございます。

このために、まっすぐホテルに戻ってきた!
南インド朝ごはん!



おかわり!


南インドの朝ごはんで昇天!

2016-12-07 21:33:06 | 瞑想にまつわる能書き
今回の旅のハイライトは、なんといっても、「天国に行けちゃう美味しさのホテルの南インド朝食!」である。

ぜーんぜん期待していなかったけど、これがもう、びっくり仰天の美味しさ!ココナツチャツネが、信じられない美味しさであった。あと、セモリナを炊いた南インド代表的な朝食、ウプマ。んもー、声を出して「何これー?」と言ってしまった程の美味しさ。





昨日行った食堂は、トリップアドバイザーで堂々第二位の食堂なのだが、それを思い切り凌駕する美味しさ。南インド朝定食を食べるようになって、悠に20年は経過しているが、こんなに驚きの美味しさのココナツチャツネに出会った事は無い。

美味しさ、つうのは人それぞれですから、私基準の美味しさ、なんですけどね。トリップアドバイザーのレビューを良く読んでみると、確かにホテルの食事は評価が高かった。サービスも最高だった。環境も申し分なし。美味しい朝ごはんを、思い切りたくさん食べて、私の1日は、それで終わった気がした。もう、何もいりません(爆)というくらい、美味しかった。


手入れの行き届いた庭が、ホテルの売りのひとつ。



素晴らしかったっす。



その朝食と同じ場所でランチ、ディナーもあったのだが、私は大量の朝食を食べていたので、ランチは食べれず、ディナーの時間は既に飲酒してダラダラしていて、ディナーに関心なかったので、結局、朝食しかトライできなかった。でも、全く、後悔も無いのであった。
あの朝食を食べるためにだけ、チェンナイから4時間車を走らせて、もう一回行ってもいい、と思った。 イタリアで食したなんて事ないイタリアンに脳髄を揺さぶるような刺激を受けて以来の、食からのエクスタシー、でござんした。 まさか、南インド朝ごはんで昇天してしまうとは!(笑)


チャツネ、特にココナツチャツネは絶品!です。



毎朝、朝ごはんが、とーーーっても楽しみだった。アルチャナラ山に登山した際、行きは真っ暗だったので、往路でラマナ大師が瞑想していた洞窟(大変な名所)を見てみよう、とガイドと話していたが、山から下りてきて、私の心は朝ごはんでいっぱいで、ラマナ師の洞窟なんか、実は、どーでも良くって、パスしてしまいました(爆)結局、行ってないんですねえ。そのくらい、大好きになってしまった朝ごはん。ほんと、美味しかったわーー。

ホテルから眺めるアルナチャラ山。



街のどこからでも見える山です。





私は旅先を決めようと検索してた際、陰謀論でちょびっと有名な(笑)デビッド・アイクの書いたものを読んだのよね。それでアルチャナラ山を休暇先に決めたのだ。で、ついでにデビッドが「ホテルそのものがパワースポット」と書いていたホテルも探して予約し、彼が宿泊したという106号室を指定したんですな。




私はホテルの部屋より、ヨガ、瞑想用の場所の方がパワーがあったように思った。こういうのは、個人差ががあるし、説明も難しいし、私個人はそういうアンテナが発達してないと思ってるのだけど、そんな私でも 「あー。何か違うぞ。」というのは確かに感じた。その違いは説明不可能、だなあ。あれえ?なんか違う次元にいるのかな?という感じかな、あえて説明すれば。
土地のバイブレーション、つうのは確かに存在する。そして食べ物同様、好き嫌いも存在する。私は砂漠の土地は嫌いでは無い。が、特に好きだと思った事も無い。私にとってのインド人みたいwww嫌いでは無いけど、特に好きでも無い。
そう。嫌いでは無い、がとても大切なんですね。嫌いではないという時点で、もう、クラッシュするものが無いのである。自分と同一化したようなものだ。好き、というのは好きな要素があるから好きであって、その要素が消えれば、好き、も消えちゃう。でも、「嫌いでは無い」は、存在そのものを受け入れた、という事なんだと思う。
旅から中東に戻って、空港を出て砂漠の国の空気に触れて、「あ、全然違うわ。」と思った。全然、土地の波動は違うのである。




このホテルのパワーは、たぶん、アルチャナラ山から来ているのだろう。この山は凄い存在感があった。街のどこにいても、吹く風はアルチャナラ山から、だった。ヒンドゥー教徒は、山そのものがシヴァ神そのものなのだ、と言う。そういうのは、私はよくわかんないけどね。
確かに、パワースポットではある。これも、自分の持つ何かと共鳴するから、違いを感じるのかな。私はセドナでは、あまり何も感じなかったのよねえ。あんなに遠くまで行ったのに。


ヨガ道場?



最初の日の朝、早速、朝6時からのヨガに参加。3名だけのクラスだったけど、気持ち良かった。参加者のインド人のおじさんと雑談。
なぜ、ここに旅行に?という質問に、検索で調べていて興味を持ったからと答えると、インド人のおじさんは、後ろに聳えるアルナチャラ山を指さしながら、

それはね、アルナチャラに呼ばれたんだよ。ここは呼ばれた者しか来ないから。



ノー・プロブレム!!

2016-12-07 09:35:10 | 瞑想にまつわる能書き
私、南インド食事なら、毎日食えるかもだ。

友人から、ずっと以前に「既に日本人らしさは消え失せ、あーたはインド人になっている。」と言われて久しいこのワタクシ。ええ、和食など、とうの昔に諦め、無くても全く平気でございます。
仕事柄、時々、なんちゃって日本食を作ったりしてますが、余った日本食を食べる気もせず(まずいわけではないよwww。食指が動かないのです。)かといって廃棄しちゃうのは勿体ないので、他の従業員に差し上げております。


食べ物を仕事で作るようになってから、食べる事への興味が格段に減ったのだ。一方、「作る楽しみ」は拡大し続けている。自分で食べるために作るのではなく、他人を喜ばすために作るのが楽しいのである。
きっと、アルチャナラ山のラマナ大師あたりは「そりは、他人からの認証を求めている行為でござります。」なーんて言うかもだが(笑)

この「食事作りゲーム」の面白さは、「美味しい!」とジャッジする審査員はクライアントであってわたしではな、ってとこだ。
自分で思う美味しさと、人様が思うソレは微妙に違いますけん。食べる事は、個人的な嗜好が左右しますんで。ので、こんなもん作ったら美味しいって思うかな?と、日々、精進してるんでございます。
さて、そんな感じで食べる事への関心が、すんごく減少した私に、「南インドのベジタリアン食事」は、「うっまーーい!」という感動を、久々に与えてくれた。



ホテル到着の後、時間もあったので、市街地まで出かける事にした。街の中心は有名なヒンドゥー寺院。ホテルからオートリキシャに乗って寺院まで。しかし、私は寺院には全く興味がなく、寺院前にゴソッと店を出してる金物屋へ直行!
わー! 安っぽいもんがいっぱいあるー!






ペラペラのアルミ製の食器や鍋が主体。私は外出するプランはアルナチャラ山の山頂へ登る事以外、全然無かったので、ホテルの部屋での簡単な食事、と思って。ミューズリー持参してきあのよ(笑)
昔はインドの水事情も悪く、お腹を壊す人が多いので有名だったので、出発の免税店でミネラルウォーターをごっそり購入した私。


あんまり荷物も持たないので、スーツケースに余裕があった。で、ミューズリーやらビスケットやらをケースに入れて持参してきた。それと自分の誕生日を祝おうと、赤ワインを2本!とヨガマットも持参したのである。
機内持ち込みケースも空っぽだったけど、空港でウィスキーを2本買い、ミネラルウォーターを一杯買ったら、結構な重量に。機内に乗り込む前に手荷物の重量チェックがあって、私のケースは15キロあったので、超過料金を払え、とエアインディアの傲慢な係員に言われたので、あー、水なんで捨てますわ、とケースを開けた。


ところで私は空港でビールを2杯飲んで、出発を待ってたけど、深夜便だったんで、すっかりベンチで寝ていたのだね。はっと眼が覚めたら、ほとんどの乗客が搭乗済だったのだ。そんな押し詰まった時間に、のろのろとケースを開けた私。若い従業員が「水?」そう、水だよ、というと、「あー、水は持って行っていいから。」と言い出し、そのまま機内へ。
小汚いエアインディアで里帰り低所得労働者に交じった私は、座席についた途端、ぐっすり寝込んで、チェンナイに着陸するまで爆睡していたのである。



そうそう、寺院の周り。なんつうか、なんとも言えない風景。ちょっと別の世界みたいだ。ずっと昔にタイムスリップしたような、そんな感覚。事前に人気のレストランを何気にチェックしておいた。テキトーに寺院の近所を歩いてたら、ランキング上位のレストランがあった。迷わず入店。





わー。シンプル!寺院の近所のせいか何なのか、レストラン、というより食堂は全てベジタリアンでござんした。ちょっと清潔といえないこの環境で、普段から食しない肉食などめっそうもない!感じ。魚も、この辺は海から遠いし、冷蔵輸送技術があるようにも見えないのでパス。つうか、魚メニュがあるレストランなんてたぶん、無いんだと思う。
なかなかに美味しかったので満足。お値段も100ルピー。(60円)それなりに清潔ではあった。このあたりの街の「清潔さ」って、隅々までキレイに掃きこまれている、ということでございます。

これは私の大好物、ポンガルでございます。南インドおじや。毎日食えるライトさがいい。





私は荒物屋でプレッシャークッカーと壺を購入し、ドバイまで持ち帰り仕事で使おう、と思ったのであった。ちなみにプレッシャークッカーは、ドバイの⒑分の一価格。驚愕でござんした。購入した5リットルの圧力鍋は、600円くらい(爆)これが、私のインド人コックが好むシンプルなアルミ製。最近の機能が多少ついたやつは、インド人コックは取り扱いがわからないのであった(笑)



さて。
なかなかいい写真が取れなかったのだが。
私が一番印象に残ったインドは、その「混沌を飲み込む何か」が存在する、という事実。無法地帯(笑)かも知れない、ある意味。インド人の口癖に「ノー・プロブレム」つうのがあって、これを聞くたびに、非常に不愉快になるのだ(笑)だいたい、インド人がノー・プロブレム、つう状態は、既に問題が悪化していたり、私の意図に全く沿ってない場合が多いからだ。
「ちょっと、どーなってんのよ?注文通りになってないじゃないの?」と意気込んでたたみかけると、100%「ノー・プロブレム」という返答が返ってくる。
「おい!プロブレムがあるからコンプレしてんだ、ちゅうの!」なーんてインド人相手に怒鳴っても、何の解決にもならないのである。


アラブ人の「インシュ・アッラー(神のお導きがあれば)」とインド人の「ノー・プロブレム」日本人の「大変申し訳ございません。(だいたい、このフレーズから相手の懐柔戦術が始まるからだ。だいたい、申し訳無いって全然思ってないのが伝わってくるもんね。)が、聞くとイラっとする言葉である。



そんなノー・プロブレムの国は、ほんとにノー・プロブレムでござんしたwww まあ、ティルバナマライがヒンドゥーの聖地であるからなのかもだが(変な日本語...)サドウがいーっぱいいたのである。ネパールにもちょろっとは存在したが、サドウは、私の滞在した高級リゾートのそばの幹線道路わきに、いっぱい住んでいたのである。



サドウは、世捨て人なので、基本、托鉢の鉢とオレンジ色の布一枚しか持たないらしい。確かに、出で立ちはそんな感じ。物を持たないので、家に住んでいない。路上に住んでいるのだ。食事は日に1回、無料の施しがやってくるみたいだ。何してる風でもなく、たむろする大勢のサドウは、ちょっと接近したくない感じ。
私が徒歩でホテルから出なかった理由は、このサドウ・ストリートのため。ちょっと歩けないよ。サドウだらけの道。





幹線道路は結構広い。んで、この辺は貧乏なのか何か、あまり車が走ってない。庶民の足は徒歩かバイク。バイクがとても多かった。まだヘルメットなど着用してない。私がみた限り、この街の人の2割程度は、裸足、である。これには、さすがに驚きました。まあ、他の人も靴は履かず、「チャッパル」と呼ばれるゴム草履が一般的なので、裸足もゴム草履もインド的には大差ないのかもだ。




その結構広い幹線道路の脇にはサドウが住み着き、ゴロゴロ横たわっていたり、ぼーっと座り込んでいる。
その脇をぶっ飛ばして通り過ぎるバイクの群れ。
時折、のっしのっしと痩せた牛が道路を歩いている。
役用の牛の角は、なぜか青く塗られてるのがおおかった。
牛に荷車を引かせて運搬してるのも多かった。
そして、横たわるサドウの合間を、野生のおサルが走り周る。
乗用車はほとんど通らず、
時々見かける、長距離のトラックもすんごく古くて、なんかカラフルなペンキ装飾が施されてる。
西洋人のサドウもいた。「この人、ビザ、どうしてるんだろう?」なんて事を咄嗟に思う自分。どうしてもプラクティカルな発想が優先してしまうのう。
大木に囲まれ、とてもきれいな葉っぱのトンネルで囲まれた幹線道路。そこに、私は何でも飲み込むインドを見た気がした。



だいたい。
今時、幹線道路を牛が歩いてたり、
住所不定無職の人がいっぱいゴロゴロしていたり
そんな人に毎日、食事を提供する篤志家もちゃんといて、
裸足で普通に歩いてる人がいて
野猿がぴょんぴょん飛び跳ねてるとこなんて、
そうそう無いよ。
人里離れた場所ならともかく、これ、市内の話なんである。
いやー、すげーなー。。。
その懐の大きさ、というか、ほんとにノー・プロブレムなんだな、という現実に、思わず自分でも口走ってしまった。



ノー・プロブレム!

インド。これがはじまりなのかも。

2016-12-05 11:35:32 | 瞑想にまつわる能書き
おお、インド!遂に来てしまったぞ。

夢にも見ず、
さして関心も無く、
日常のインド(私の住むあたりは、インド人、インド文化で満載)で、既にお腹いっぱい(爆)な私が、休暇に選んだのはインド。どうしたのか、私?

何の因果か、インドに。季節的に寒いとこはイヤなので、南インド。西でも東でも寒くなければ、どこでも良かったのだが。
ネットで拾った情報で初めて知った「アルチャナラ山」。そして、ラマナ・マハリシ。ラマナ大師は思想家としては相当有名。私でも知ってるくらいだ。良く目にする写真がふんどし一丁のモノクロ写真。温厚な表情のお方である。大師は本を書いたりしていない。ラマナ師の本は、弟子が書いたものである。Who AM I? 私は誰か? という究極の質問で有名なお方。んで、大師の本はメンドくさく読んでません、すんまへん。

私はアルチャナラ山に「呼ばれて」この南インドの小さな都市に行くことを決めた。で、その小さな都市はラマナ大師が16歳以降住んだ場所であり、大師はこの小都市に来てから、一度もこの場所を離れた事がなかったそうだ。私にとってはアルチャナラ山がメインディッシュで、ラマナ大師は添え物(すんません)みたいな感じでござんした。

さて、初インド。悲しいほどオンボロのエア・インディア。というか、ドバイ―チェンナイ、なんて路線はインド人の出稼ぎ低所得者層が2年に一度の休暇で帰国するに使用する便、なので、食事もまずいし、乗客への配慮はゼロである。こんなのも最近珍しいと思う。

なにせ、飛行機の座席のポケットにある機内誌は無い!
免税店のパンフも無い!(誰も買わないのだろう)
飲み物サービスで、ビールを所望したインド人労働者に、おばさんスッチーが「ビールなんか飲むんでねえ!」と説教していた。

私の座席は。壊れており(笑)座ってると体重でシートが下がってしまう。離陸直前にキャビンアテンダントの兄ちゃんがやってきて、「マダム、シートを戻してください。」と言って去っていた。私はシート倒すボタンに触ってないよ。
んで、少しするとまた兄ちゃんがやってきて、同じ事を言うので、「ちょーっと。あんた。この座席壊れてるわよ。自然に下がっちゃうのよ。私のせいじゃないわよ。何度も同じ事を言わないでシートくらい直しなさいよ。」というと恐縮して去っていき、二度と戻ってこなかった。


早朝午前4時半、時刻通りにエアインディアはチェンナイに到着。到着ロビーは、たぶん、ドバイからの労働者専用でもあるのか、すっげえボロい場所であった。
イミグレーションの列に並んで周りを見渡すと、どうも外国人は私だけ(笑)あとは、ぜーんぶマドラス人(チェンナイの人、つうかインド人)私の番が来た。ゆるーい感じで働いてる入国審査の人は「あ、ガイジンはあっち!」と反対側を指さす。が、誰もいない。「担当者、誰か来るから。向こうに並んで。」と言われたので、外国人専用のカウンターへ。
そして、しばらく誰も来なくて(笑)やっと、制服らしいサリーを来たおばちゃんが登場。私はパスポートとEビザを差し出す。


と。
まるでマサラムービー(インド映画)のように、突然、一枚の紙を持ったおっさんが登場し、入国審査官サリーおばちゃんと会話が始まる。
私の入国審査はそっちのけ!!タミル語の会話なので良くわかんないが、おっさんが持って来た紙切れに書いてある事から推測するに、労働組合の選挙か何か、そういう感じだった。
二人の議論は白熱し、私は「あのー、入国審査、してくれませんか?」と言うチャンスも無かった。
しかし、こんだけお客、というか本来の仕事を無視して入国審査を待たせる神経、って有り得ないよな。アラブ人だって、5分以上は世間話してないぜ。いっつもインド人はテキトーだと私は書いてると思うが、ほんと、こういう感じでテキトーなんである。

やっとインド人同士の議論が終わり、サリーおばちゃんは私の入国審査業務に取り掛かる。バンっとスランプ押したあと「シッ!日本人じゃないの。ビザ、ビザ。」と独り言を言いながら別室に消えていった。
私は事前にしっかりとEビザを取得しており、犯罪歴も無く、入国審査でもめるような事は無い、ので、どうもおばちゃんが推すスタンプを間違えたとかそういう事らしい。
おばちゃんは、先ほどのインド人との議論で消耗して、本来の業務がテキトーになっていたのである。うーん。
しばらくしておばちゃんは、私のパスポートを持参して戻ってきた。何も言わずにパスポートを返してくれた。 やれやれ。



11月の初旬に、インドの首相が唐突に「善良なるインド国民のみなさん。あと4時間後から、全ての500ルピー(800円くらい)以上の高額紙幣の使用を禁止しますんで、よろしく!」と宣言したのである。
もちろん、実施されたのであるが、市場に流通してる高額紙幣(ってか、500ルピー以上は高額紙幣らすい。)が突然使用禁止、つうのは、甚大なショックを国民に与えたのは言うまでもない。いちおう、新紙幣も用意したとかなんとかで、銀行で両替に応じるが混雑が予想されるので、両替は一人2000ルピーまで。んで、今年の終わり、12月31日以降は、旧紙幣は使用不可になるんで、両替はその前にね!という、インド人相手にしては、随分短いタイムスパンでのチェンジ、である。

モディ首相曰く、横行する偽札や、ブラックマネーを駆逐するため、なんだそうだ。当然、インド人がいっぱいいるとは言え、インドではないこの国では、新紙幣も回っておらず、たくさんある両替所ではインドルピーの取り扱いが中止となっていた。
ネットで調べてみると、空港の両替も閉鎖中とかで、旅行者が一番困ってるそうな。そりゃ、そうだろう。あまりに突然、だもんね。
私は富豪様に、インドで使用できる紙幣を用意してくれるようにお願いした。さすが、富豪様。チェンナイの空港には、朝の5時だというのに、インドルピーをどっさり持って、私を待ってくれてる人がいた。富豪様、助かりました。有難うござんす。



初めて降り立ったインド!なんかねー、ウェルカム!というか、乾燥した雑多な空気に、妙ななつかしさを感じたのでした。
富豪様の手配で私を待ってた人には、免税店でドルで購入したインド人好物の「キットカットひと箱(ギフトとしてのキットカットは箱!ごと、がインド流。)を差し出した。彼はとても嬉しそうだった。やれやれ。
宿泊予定のホテルに空港までの送迎をお願いしたが、メールで返事が無かった。もしかして来てないか、とも思ったが、送迎が来ていた。

ちなみに乗り合いバスだと150ルピー(250円程度)、タクシーだと3,500ルピー(4,500円程度)で、バスで5時間、タクシーで3時間半。インドの乗り合いバスって、ちょっと私には無理そうなので、20倍近く高くてもタクシーにしたのだ。それに早朝早すぎて、バス乗り場も分からない状況なので、タクシーが得策かと。

初めて目にする南インドの光景は、インド映画でおなじみのアレ、である。埃っぽい道路に汚い店先、センスの全くないカラフルな看板、ぼろい自転車、バイク、うるさいクラクション、、、そういうインド的なものが満載した光景であった。
もっちろん、お約束の「牛」も空港そばのメインストリートをのっしのっしと優雅に歩いていた。すげー。 カトマンズならともなく、IT産業で世界を席巻してる南インドの首都、チェンナイですよ?


私を乗せた高級タクシー(笑)は、夜明け前のチェンナイ市内を疾走する。夜間のフライトで私は眠かったが、「目覚めるインド」の朝の風景が刺激的で、ずっと窓の外を見ていた。
きったないし、混沌そのものだが、なんか安心するものを感じた都市ではある。私は25年ぶりの日本があまりに清潔でキレイで人々が務めてポライトな態度をとっているように感じて、正直、息苦しかったのである。最初の3週間くらいは、ずっと「ゴミ探し」していたもんなあ。全然なかったけど。
アラブ世界で、ゴミを撒き散らすインド人に混ざって生活してるうち、日本の清潔さに違和感を感じる人間に私はなってしまった、のである。



アルナチャラ山のある小都市、ティルバーナマライまでチェンナイから車で4時間ほど。インドには高速道路が無い。が、道路はある(笑)その道路を車が高速で走ってるので、そういう意味では高速道路なのだが、南インド辺りでは、高速な道路は田んぼの中を横断しており、村人が牛を連れていたり、チャリンコに乗っていたりして、のんびりしている。
大きな大木が道端にあると、その木の下には、だいたい茶屋が設けられ、一休み場所になっていた。のどかな光景である。
インドにわくわくしてる自分にいささか驚いた。まさか、こんなに気分が良いとは!予想していなかったのである。
おそらく、日本に住んでいてインドに直行したら、ちょーっとイヤかも知れない。私だって、こういう光景に安心感を感じるまでに、相当な人生の時間を費やしてきたのだ(笑)



そんなに何回も行ってないけど、大都会ってどこに行っても、なんか予想がつくのである。東京もロンドンでも。なんか、そういうのには、もう感動があまりない。そういう大都会のどっかに座って、ずーっとただ景色の中に溶け込んでいたい、とは思わないのだ。
が。
今回の南インド、アルチャナラ山周りでは、ずーっと1日なか座ってぼーっとして、アルチャナラの山から吹いてくる風に吹かれているのも可能であるな、と実感したのである。

宿泊ホテルに到着し、ネットで自分の予約したホテルを調べて、改めて、ティルバーナマライ一の高級リゾートでることが判明した。わぉ