宇宙の秩序に調和しながらの煩悩達成日記

自己実現。そうです、願望実現を通して、自己をさらに深く知ってみようという実験の日記ざます!

自分を信じる。これだけで宇宙が変わる。ホントですよ?

2009-07-17 19:03:50 | 瞑想にまつわる能書き
来週の今頃、アイルランドのどこかでビールを飲んでいるはずだ。きっと楽しい旅になるだろう。懐かしい風景に出合うのかなあ。。

私は昨日、自分自身に「すげえ!」と思う出来事が起きて、なんかとても嬉しかった。自分の成長ぶり、変容ぶりに、目頭が熱くなった(笑)
自分が自分を認めずして、誰が自分を認めるというのか。認められたい、という欲望は、人間の基本的な欲望の一つであるからして、誰にでもある。私にだってある。

思い起こしてみよう。自分が認められない状況に陥ると、戦闘状態になりませんか?(笑)

なんだかんだと読んだり試したりしてるので、系統だてて何かを追及してるわけではないため、何がなんだか良く分からない状態になっているが、いまだかつてないハッピーな気分でいるのは確かだ。

今年になって数回、歓喜のうねり、みたいのを感じた。一人でいた事務所で、ロイヤルスイートの隣国で、そして運転してる最中に。
こういう経験は始めて。
「あー、幸せだわー。」とシミジミして数分から長くて10分。歓喜は永遠ではないですね(笑)でも、落ち着いた後でもとても清々しい気分になれる。

私が変わった?といいうか、私自身の私への接し方が変わった。愛する、って事はどう言うことなのか未だによくわかんないので(爆)、とりあえず、四六時中していた、「自己批判」をやめた。
これはとても簡単だった。「いーの、これで。てへへ!」って声に出して終わり。
夜の遅い時間にモノを食べるなんて「罪」だとばかりに思ってたけど、「いーの、いいの。気にしない」で食べちゃう。

自分を批判しなくなって、何が変わったろう。楽になったかな。うん、とても楽になった。電話したけりゃ、しちゃう。相手の反応もキニシナイ。自分がしたかったからした、だけ。
以前はガツガツ通ってたヨガも、友人からお誘いあったらそっちを優先する。ま、友人も滅多に誘って来ない人だから、それなりの理由もあるだろー、とか思いやったりして。

会社で嫌なこと(最近、頻発している。爆)があっても、すぐ、元の自分に戻っている。
今回、ちょっとした出来事が発生したのはこのため。

会社の人は「意図的」に私を攻撃している模様。メールの書き方、接し方でわかる。が私はキニシテナイ。ぜーんぜん(笑)とくに最近は、Pがとてもスイートなので、幸せ度も高まって(爆)会社の人の心模様なんか、まるで気にならないんである。

しかし。意図的に、はっきり言えば、悪意を持って攻撃してくる人は、私が落ち込んだり、しょげたりするのを見たくて、悪意を放っているのである。
当然、ですね。
でも、私はその悪意を受け取らない、悪意と同調しないので、会社の人が放った悪意はブーメランのように本人に戻り、激昂状態、と相成りました。

とにかく、私が嫌いでたまらない御様子で(爆)ニコニコしてる私に「反省しているように見えない。」とか言ってたなあ。そりゃそうだ、反省してないもん(爆)

会社の人は私がしょんぼりと謝るか、オドオドするのを予想していたんだね。でもさ、謝っても何も変わんないし、特にそいつに個人的に迷惑かけてるわけでもない。
まあ、坊主憎けりゃ袈裟まで憎い、の世界に会社の人は突入しているわけです。
私が相手しないので、ひとりで怒りのダンスを踊っていた模様。

そして昨日、帰り際に凄い感情的なメールが来た。
それには私も、「おお」と思って、相手がぺしゃんこになるような回答でもしてやるか、とか思ったのよね。そういうの得意だから(爆)
今まではそうしてきたし、それを機に冷戦が開始されてきたんだよね。というか私の中でその個人は死んじゃうわけ。

でも、今回、何かの力が働いた?うまく説明出来ないけど、いつもの私がしないような行為を、ニコニコしながらできた、のである。

「XXさん。凄い内容のメール、拝読しました。あのー、そんなに私が嫌いなんですかね?」(爆)
そう聞かれて「大嫌いです。」という奴はいない(笑)私もそれなりに理由を説明したりしてあげたが、会社の人の表情に「恥」が見えたよ。
これ、大昔、村上龍が良く小説に書いていたよね、そういえば。「恥の兆候」という書き方してたな。

私はあなた投げた憎しみを受け取りはしませんが、一体、何があなたをそんなにしてるんですか?

そんな感じかな。
会社の人が私を憎いのは、私が憎いからではなくて、会社の人が会社の人自身を不幸にしているのに他ならないから、である。そしてそういう事を人は誰でも深い所で気が付いている。

ある意味、予想もしない平和な会話ですらあった。その後、私はヨガ教室が控えていたので、速攻で家路についたが、とても嬉しかった。
自分がこういうことができた?(笑)というのが、凄くうれしかった。
なんだろう、たぶん、怒りや、憎しみなどの感情なしに対処できたのが、とても嬉しかったのだと思う。

自分を信じる。
自分を認める。
自分を愛する。

簡単なようで奥が深い。これさえできたら、後は成仏するしかない、ってくらいに。

自分にとってヤな事は起きない。
いいことしか起きない、って信じれば、そうなる。ほんとにそうなのだ。

私は何のきかっけか忘れたが、ごちゃごちゃ考えるのが面倒になって、えーい!めどうだ、もう全面的にPを信じる!と決定したのだ。
その後、どうだろう。
Pの態度がものすごく変化した。いい方にね。人生楽しむコツなんて、超簡単でした。自分を信じればOK。それだけ。

今日から3連休。楽しく過ごそう。


気分が変われば、世界が変わる!か、変わった!(爆)

2009-07-15 17:07:54 | 瞑想にまつわる能書き
休暇まで、あと10日余り。何もしていない、が、きっと素晴らしい休暇になるだろう。まあ、道案内人がいるので、何もする必要もないわけで。ただただ、アイルランドの空気に、風に、光に、触れてこよう、そう思っている。

中学生の頃に、何があったのか「気分が変われば世界が変わる」という標語?を
自分で作って、寄せ書きなんかには、必ずそう書いていた。
当時、私がよく寄せ書きに書いていたのは、

・気分が変われば、世界が変わる
・野の仏のように生きていけたら

の二つ。一体、何を考えていたのだろう?人生に苦悩でもしていた13歳だったのだ
ろうか?(爆)
読書家だったので、何か読んでた本から拾い出したのか、それとも自分オリジナル
なのか、もはや出所は分らない。が、不思議な事に、この2つの「標語」は、ずっと記憶に残って、現在に至るのである。そして、ホントにその通りだなあ、とシミジミ思うのだ。

具体例。
私の職場に気が合わないオヤジ1名。まあ、私と気が合う人の方が少ないんだけど(爆)オヤジは何かとネチネチ攻撃に出てくる。明らかな「気分を悪くさせよう」という意図も感じる。平たく言えば、オヤジは私を嫌ってるわけだ(爆)

以前の私だったら、「戦闘モード」で、オヤジと果てしないバトルを展開していたはずだ。私は潔いので、こういう戦闘にはストレート直球勝負で臨む。失うモノがない人(私)と、失えないオヤジでは、当然、私に分があったりする。ま、だいたい決戦前に、恐れをなして 、オヤジのような「失えないひと」は、敵前逃亡するけどね。

年を取ったのか何か、最近の私はこのオヤジの攻撃を「ひょい」とかわせるようになった。 カバラの言うところの「リアクションしない」である。
オヤジの悪意は私が受け取らないので、どっか、多分、オヤジ自身に戻っていった?ので はないだろか。
オヤジの悪意に満ちた言動、「ほほー。オヤジ、自分の与えたものが自分に還っていくよ!」ってな感じで、私は一切、反応しない。

悪意で顔がひきつってるオヤジに、フツーに笑顔で、「あー、そういえば、かくかくしかじか、で」と雑談も振るし、全く悪意に動じない、ができるようになった。

なんて気持ちいいんだろう(爆)

リアクション。これに縛られ、苦悩し、長いこともがいてきたのだ。止めればいいだけの事、だったんだよね。気分が変われば、世界が変わる。ホント、そのとーり。

Pに関しても、私は無関心ではないが(笑)メールの返事が来たの来ないのとか、以前は凄く気にしてたけど、なんか、もうどうでも良くなっている。
自分が楽しいのが先決、と思うようになった。

何があったか知らないが、Pがとてもスイートになって、熱心になった。まあ、結構な事である。
自分を好きになる。自分の世界が好きになる。自分を生きるのが好きになる。
そういう流れかなあ。

だから、私はいまんとこ、結構楽しく気楽に過ごしている。目の前を、かつての私だったら血圧を上昇させて問題視してきーーーー!っとなるような事象が流れていくよね。
でも、もうそんなのに注力しないの。
オヤジの悪意みたいに。ふーん、って感じで分析もしない、受け取りもしないで、流していけばそのうち、何事も無かったかのように静かになる。
問題を、問題と思うから問題で、問題でもなんでもない、と思えば何でも無いのよね(爆)

そうこうしてるうちに、問題が発生するのではなく、自分自身がデキゴトに「問題」というレッテルを張っている事に気がつくのだ。
レッテルを張らないと、あら不思議、問題でも何でもなく、デキゴトはするするとしぼんでいくのよね。

ハートがわくわくするような生き方をしましょう。

これも私には難しかった。わくわくするには、まず、思考を止めて、感じる必要がある。
思考が脳をコントロールしてると、「感じる」事が意外に難しい、気がする。
思考しながら感じる、って両立できないのかもー。
わくわくすることって、どう言う事?と「考え」てばかりいたので、私はあまりワクワクした事もない。
今もそんなにわくわくしないけど(笑)、考えるのをスローダウンできるようになった。「いいや、キニシナイ」で通り過ぎる。

自分が心地良いと思える選択、つまり、自分のハートがYES!という選択。
これって理屈でなく、フィーリング、感じること。今それを練習中である。
自分自身に「ねえ、それ、ホントにしたい?どう感じる?」と聞いたりしてみる。
ま、だいたいにおいて、自分の選択はOKだと思うえるので、実行した後もスッキリしている。

自分が選択したことにYES!と言ってる(笑)ので、ちょっと違うのかなあ。
ま、いまんとこはこれでいいや。

この前、Pのお買い物に付き合って、遅くなったのでピザのテイクアウトで晩御飯。23時30分にモノを食う事事態が私のライフスタイルには無い。
まして、ピザ?なんて、3年に1回くらいしか食べない。それも間違って(爆)
でも、食べないのもあれかと思って、2種類あったピザを1種類ずつ味見。
左のプレートはP。 そしてチリソース各種をザブザブとかけていた。。。

Pと私の食生活は天と地ほどの差があります。これ、どんな所で折り合いつけるの
だろうか?
肉食になる自分自身も想像できないし、野菜を食べるPも考えられない。。。笑



アイルランドへ過去世を訪ねる、もとい、パブ巡りの旅に出るぞ!

2009-07-11 22:14:25 | 瞑想にまつわる能書き
そうだ!2週間後に夏季休暇で、アイルランドに行くんだったっけ!チケットも準備済で、後は何もしていない。
正確にはネットで、ビザ取得の有無だけ確認した。もちろん、日本人は空港でゲットできるのでした。

私がスピリチュアル系のワークショップに半信半疑ながら(爆)通って頃、過去世に旅する、つう誘導催眠みたいのがあってですね、過去世、見てしまったんですよ!(笑)
あ、思い出した。有名なカタリナ・ラファイエットのクリスタルヒーリングの一環だったわ。

こういうのって、参加者もアレ(笑)なんで、後で皆で結果報告すると、過去世には古代エジプトの神官とか、アトランティス時代の指導者とか、ネイティブアメリカンの酋長やシャーマンとか、そういうのが多いんです。
なんか、「特別な階級」ね。
私はあまのじゃく(爆)なのか、はたまた、どっかのリーディングで「地球での転生が少ない。つまり、地球には後から参入したグループに入る」とか言われたけど、それが本当で、13世紀頃地球に来た、新人類(爆)なのかも知れない。

なんで13世紀か、つーと、結構退行催眠で過去世みたのですが(自分のですよ、当然)十字軍の一兵士で、コンスタンチノープルで一人になってしまう、という過去世より古いのを見た事が無いのです。
だから、13世紀以前の記録がないので。。。(爆)

ま、過去世は今のとこ、どーでもいいのですが、最初に見た私の過去世が、「産業革命直前のアイルランドの羊飼いの少年」(爆)であった。
アイルランドには行った事も無かったし、興味も全然無かった(笑)ため、非常にインパクトがあったのだ。

退行催眠で見た、羊飼いの少年が犬と一緒に草原を歩く後姿、今でも鮮明に記憶している。あれ、不思議なもので「あ、これ、私」と分かるし、場所だって「アイルランド」と瞬間に出てくるのだ。

その後、私の中でアイルランドは「一度行ってみなくちゃ」という場所に昇格していた。
でも、寒いのキライだから、夏しかいけないよね。アイルランド出身の友人が夏の休暇で帰国するたび誘われていたが、今年は「うん、行く!」と元気良く答えたのだ。
物価高いっていうし、友人にくっついていくお気楽ツアーにしてみました。

帰りにロンドンに2泊してカバラセンターに寄りたいと思ったけど、最近、カバラへの関心も薄れており、大英博物館でも見に行こうかな、と思っている。

夏の休暇は、M夫妻にくっついてアイルランド!というと、みんな一様に「あ、パブ巡りね!」というくらい、友人M夫妻は酒好きで、パブ巡りが趣味?なのだ。
観光名所はいつでも行けるから、今回は気合を入れてパブ巡り。美味しい地ビールを堪能しようと思ってます。楽しみ!


ヨガの変化と私の変容

2009-07-05 02:30:36 | 瞑想にまつわる能書き
今般、3年近くここの教室で教えていたアレックスが、結婚を機に、ドイツへ行く事になり、私のヨガ教室を去っていった。
3年近く、って事は、私はびくラムヨガを5年近く前に始めた?事になる。
ビクラムの前は、ハタヨガ教室に2年以上通っていたので、ヨガ歴7年?

極端な性格の私は、毎日レッスンに通い、熱心にヨガをしていた。しかし、7年経ってもヨガの基本というか、ヨガのトレードマークみたいな「ロータスポーズ」蓮の花のポーズが出来ないでいる。これも、凄いかもね!(爆)

アレックスの前にベン先生という素晴らしい体育会系の先生のレッスンに惚れ込んだ私は、非常に熱心に真剣に教室に通っていたので、ベン先生から寵愛を受けていた(爆)が、その後に来たアレックスが、ベン先生と180度趣きの違う、ゆるい、というか、やる気あるのか?(笑)という印象の教え方をするため、あと、私生活で前のBFと暮らし始めた事もあって、私は2年ほど教室に近寄らなかったのだ。

年に一度くらい教室に電話して聞けば、まだ、アレックスがいるという。ベン先生も1年で変わったし、ビザの関係もあって、1年以上いたイントラはいない。
なんでアレックスいつまでもいるんだ?と憤慨していた。

昨年の9月頃、2年ぶりにヨガに復帰して、カラダのなまりぶりに驚いたが、なんだかんだで続かなかった。
そして、この4月からまた開始したのである。

私くらい熱心にヨガを毎日してたら、かなり上達すると思うが、極端にカラダが硬いのか何か、私は進歩というものを殆ど感じなかった。
関節がとても固いのと、足の付け根から足がまっすぐで無いみたいで、爪先立ってのポーズはまず、できない。
こんなに進歩しないのも、ある意味凄い、と思いながら、レッスン終えた後の爽快感がやみつきになっていたので、ずっと続けてきた。

私が自分のヨガの変化に気がついたのは、4月に復帰してから。以前、体育会系の気合が入って、ピーンとした雰囲気の中でヨガってた頃は、私は周りの人の体臭や、呼吸の音とかが、物凄く気になって、イラついていたのだ(笑)
アレックスに馴染めなかったのも、気合の足りなさ?(笑)

4月に復帰してから、周囲の雑音や匂いに、まったく動じない自分に「あれ?」と思った。
相変わらずの、ぬるいアレックスの指導にも、何とも思わなかった。
そして、ビクラムは教室の前面が総鏡張りなのだが、かつては自分をみるのが結構苦痛(爆)だったのに、なぜか、楽しく自分を見れるようになった自分がいた。

以前は鏡で隣近所の人や、後ろの列の人まで観察していた(笑)が、今は、隣の人さえ視線に入らない。
自分だけ、しか見てないのである。

これ、凄い変化?

体調不調で、体重が減ったのも影響しているのかも知れないが、必死にベン先生のレッスンに通ってた頃は、変化が無かったのに、この4月から、それほど気合入ってないのに、あれれ?という感じで、微妙に成長している。

鏡に映る自分に「すごいよー!」なんて心で言いながらヨガってるため、私は時折微笑みながらヨガをしていたりする(爆)
以前は厳しい目線で自分を睨んでいた(爆)ため、自分自身を直視できなかったのだ。凄い変化?

先日、アレックスに呼び止められた。何かと思ったら、「バランスのポーズの時の君の表情が素晴らしい。なんつうか、花開く感じというか、生命力に溢れているというか、素晴らしいよ!何かあったの?」
「え?そーですか?」
「生徒にもね、君の表情を見るように言ってるんだ。何人もの人が素晴らしいって言ってるよ。他の生徒にも見習って欲しいんだ。」

えー? 見られてたの?全然気がつかなかった。

私のヨガが技術的に進歩したのは、頑張らなくなってから。真剣でなくなってから。ただ、楽しいな、ってシンプルに思えるようになってから、である。
楽しいから、自然に表情も緩む、わけで。

自分を大切にして、自分を愛することを学んでいこう、と思ってから、こんな感じで世界が変容している。

自分を愛する事以上に大切な事はありません、ってどっかに書いてあったが、その通りだなあ、と今の私は思っています。

ヨガ教室の最後は、正座して呼吸法。他のヨガと違って「オーム」なんて無し。
呼吸法を終えてから、合掌してしかばねのポーズ、で終了します。
私はこの合掌の際に、一緒にレッスンを受けた同胞に素晴らしい明日が訪れるように(殆ど夜のレッスンだから)と祈り、あと、簡単に「慈悲の瞑想」をしています。

生きとし生きるものが、幸せでありますように
生きとし生きるものの、苦しみや悩みが消えますように
生きとし生きるものの願いが、叶いますように
生きとし生きるものに、悟りの光が現れますように

常にこういう気持ちを忘れずに、人生を生きたいものです、はい。