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宇宙の秩序に調和しながらの煩悩達成日記

自己実現。そうです、願望実現を通して、自己をさらに深く知ってみようという実験の日記ざます!

さて、カトマンズに行くとするか!

2009-04-28 04:11:51 | 瞑想にまつわる能書き
6日間の短いカトマンズ行。何をするか全然決めていない。
友人からロンリープラネットを借りたので、機内で読もうかな。

事務所から家に戻ってパッキングでもしようとスーツケースを出したら、、、サムソナイトの暗証番号を忘れてた!がーーん。
実に3年ぶり?の国外脱出。陸路隣国には数回行ってるけど、飛行機に乗るのはスコットランド以来、である。
暗証番号、忘れちゃうよねえ。

かなりパニ食って、ネットで解決方法を検索するも名案見当たらず。
でも良く考えたら、サムソナイト、もう1個あったのよね。それを使えばいいだけじゃん。問題解決。

何もせず、ホテルの庭で読書でもいいし、瞑想センターが出来たみたいだから、そこへ行ってもいいかなあ。
今回は山登りはせず、ただ、だらーっとしたい。

前回出会った占い師(笑)が、まだ前同居人と出会う前だったのにもかかわらず、彼の出現を予言し、結ばれる事は無く、結婚する相手は、その次、って言ったんだよなあ(笑)当たってるけど、次?は誰よ?(笑)
まあ、占いだから。でも私は占い大好きなので、今回はたくさんの占い師に会おう、と思ってる。

アホですねえー。カトマンズくんだりまで行ってなにしてんだか(笑)

さて、シャワーでも浴びて、空港へ行きますか。

誰かが私を待ってるヨカン(爆)




Slumdog Millionaireを新月の日に観る。すんばらしい!

2009-04-25 14:43:12 | 瞑想にまつわる能書き
友人宅で、中国人DVD屋に邂逅。久しぶりにDVDをごそっと買い込みました。
んで、昨日、Revolutionary Road,ケイト・ウィンスレット、レオナルド・デカプリオ、あのタイタニックコンビの映画、でございます。ケイトはこれでアカデミーの主演女優賞を取ったのは、記憶に新しいっすね。

なるほど、ケイト、迫真の演技。でも映画ストーリーがねえ、陰気で(爆)ケイト演じる主人公エイプリルのエモーションがヘビーでねえ。もし、彼女が友達だったら、「ねえ、もっと気楽に生きようぜ」とアドバイスしたくなります(笑)
パリで再出発に人生の方向性を見出したかった妻エイプリル。
でも、全ては「いま、ここ」(笑)だからさー。。。観終わって、「うーん」と重たくなりました。

で、今朝は、アカデミー賞に輝いた、Slumdog Millionireを観たのですが。

すばらしい!!!

私の大好きなハッピーエンドだし、美形美男美女でもない役者達が、輝いて見える映画です。
ボンベイのスラムで生まれた人がミリオネラーになるファンタジーなんだけど、シナリオが凄く良く出来てるのよね。

ネタバレですが。
数年前に英国BBC放送で「天才クイズ」が大人気になって、それがインドにも飛び火したのですね。
まだ家にTVがあった頃、インドの天才クイズ、見てたもの(笑)

映画は、ひょんな事から主人公が天才クイズに参加しちゃうのだけど、全てのクイズの質問の答えを、主人公Jamalはスラムの乞食&マフィア生活で「知って」いたのよね、偶然に。

例えば、インチキツアーガイドでタージマハル辺りで米人旅行者を騙して、警察に殴る蹴るの暴行を受けていたら、騙された米人旅行者は、暴行を見るのに耐えられず、警察を押し止めるのよね、ヒューマン・ライト、人権だなんだとか言って(笑)それどころか、米人旅行者は100ドル札を数枚、あげるのよ。
Jamalは100ドル札なんか見たことないので、後にボンベイで再開した失明した昔馴染みにあげちゃうの。昔馴染みは、お金の匂いをかいで、「米ドルだね?
どんな絵がお札に描いてある?」と聞くの。
Jamalが説明すると、盲目の友人は「ベンジャミン・フランクリン。100ドル札だね。」

それがクイズの質問だったりして、Jamalは鮮やかにそのシーンを覚えてるのよね。

こんな具合で、Jamalは「全ての答えを知っている」のである。
私が好きにならないわけないでしょう、こういう映画(爆)

さらに、物語には子供の頃、孤児になった頃に仲良くしていた娘を探す、という展開もあって。
ありがちだけど、これがクイズや運命やJamalと別な道を選択した実兄とかに絡んで、素晴らしく感動的、なのである。

この映画がオスカー獲得した時のニュースを見ると、なんかパッとしない青年がタキシード着てオスカー授賞式にいるんで「へんなの」と思ったけど、演技はナチュラルで非常に役にはまってた。
多分、子供時代を演じたチビッコ俳優が抜群の出来(私の大好きな、ニューシネマ・パラダイスの子役みたいなのである。屈託なくて自然な演技)だったので、青年にそんな感情を投影したのかも。

映画評をネットで読んでみたら、ボンベイのスラム、にフォーカスが行ってるコメントが多かった。
そうか、あれはあれで衝撃的なんだろうなあ。
私は以前に世界第二位(一位はブラジルだそう)の規模を誇る?というボンベイのスラムを見て「生きるパワーがみなぎっている!」と感動したような人間なので、ああいうのに「カワイソウ」とはあまり思わない。

実際、スラムは子供が駆け回ったり、たくさんいた。子供が外で駆け回ってる風景って、もうあまり見ないような気がするし。

ボンベイは雑踏、でありとあらゆるものが行き来している巨大なカオスだなあ、と思った。
映画でもそうだったけど、現地の人はスラムの子供達を追い払う際に、棒で殴ったり、蹴飛ばしたり、モノ扱い、である。「そんなん、ヒドイワ!」なーんて思うのが普通?
でも、階級社会で、底辺の生きるか死ぬかのゲームに忙しい人々に、残念ながら「説明」や「説教」は効果ないんである。
クラス意識の無い、というか階級が(インドみたいな意味で)無い日本に生まれると、こういうのって体験しないとわからないかなあ。

人は、集団になると「違い」に注目して、そこに差別化を持ち込んで、優劣作って、社会を機能させてきたのかもだなあ。
私は違いは歴然としてあると思う。
だが、優劣は無いと思うんだがなあ。

昔、不幸であると自分を認定していた暗黒の時代、街をゆく低所得者層のカップルが、はにかみながら手をつないで歩く光景が、羨ましかったもんなー。
まあ、なぜに金持ちのカップルにソレを見出せなかったのかというと、ちっとも羨ましく見えなかったのである(爆)

富を手にすると、余計なものまでくっついてきて、なんとなく「今」にいない感じ?なのだろうか?
当時、私たちも含めて、富裕層(爆、自分で言ってる)の友人達を見回しても、あの低所得者層カップルのような「いま、この瞬間にシアワセ」というオーラを出してる人、いなかったもんね。

なんで低所得者層にソレを見出したかというと、私はマテリアル、豊かさ、階級(爆)の面で、はるかに彼等をしのぐものを「所有」している。
でも、あの妻であろう若い女性の嬉しそうな、ハピネス満杯、という状況は私には無かった。
だから。
私に無くて、私が渇望していたものを所有?していたその女性が、激しく印象に残ったのである。

あれから、10年経過したかな。

渇望も無くなり、外側に探していたものが、私自身に内在していたと認識が代わった。
それは圧倒的な感情を付随するものではなく、微細で静かな「やすらぎ」みたいなもの、である。

映画は、サバイバルに明け暮れるスラムの住民を通して、運命みたいなものを訓えてくれる。
誰が見ても元気がでる映画である。

ついでに、クイズ番組の司会役はアニル・カプルというボリウッドの有名俳優。
大昔、専業主婦してた頃、その頃から友達がいなかった私は、毎日TVを見て暮していた。夫は海外出張が多かった、のである。
買い物もメンくて出かけず、気がつけば3日間家の中から一歩も外へ出なかった。

あ、これって、ヒキコモリ?

そうか、私もヒッキー時代があったんだ。今始めて気がついた。
何もせず、TVばかり見ていたので、まるで自分が家具の一部のような気分だったなあ。何もする気が起きず、緩慢な自殺をしているみたいだった。

そうそう。アニル・カプール。彼はインド映画の「Love Story1948」という映画に主演していた。全編ヒンディー語ではあるが、インド映画は善悪が明瞭で、ストーリーも単純なので、言葉を超えて理解できるのである。
サントラはスラムドッグ・ミリオネラーのサントラも担当し、アカデミーを受賞した、アブドラ・ラフマン。
Love Story1948のサントラも凄く良くて、CD買ったほどだ。

インド映画をこよなく軽蔑していた前夫もラストシーンのインド国家が流れるシーンで涙していた。
恐るべしインド映画、人の心のツボを心得ている。

スラムドッグで警察官役の俳優は、ハリウッド映画にもよく登場している。アンジェリナ・ジョリーのマイティハート、にも出演していた。

という具合。気分転換に最高です。保証、します。


そして今日は新月。Pの誕生日でもある(爆)
結局、GFは来なかった模様である。まあ、どうでもいいんですが。
Pの趣味を無視して、「私が好きだから」の理由で、チェット・ベーカーのCDを既に渡してあったけど。

誕生日おめでとう、というメッセージを送ったら、「いつか一緒にチェット・ベーカーが聴けるといいね。」という返事が来た。
仕事が忙しくて、休日出勤中だそうだ。まあいいわい。

私は来週火曜日にカトマンズへ行く事に決定。
瞑想コースでも受けてみようかと思ってる。
今回は友人からロンリープラネットも借りたし、そこそこ前準備をしています。

素敵な旅になるヨカン!


オポノポノのワークショップが来る!で、私はカトマンズに行く!

2009-04-14 06:55:36 | 瞑想にまつわる能書き
久しぶりに、ヒマな週末が来た。で、私は最近出来た「紀伊国屋」に行っただよ。
2週間前?で、ブラブラしてたら、レン博士の本が目について買いました。まだ、読んでません。ゼロ・リミット、という題名。

そして、その翌日、友人からメールが。6月にレン博士のワークショップを開催したいって!

ええええ????

こんなことってアリですか?(笑)もちろん、是が非でも参加しますと返事しましたです。

私生活では、Pとの関係が終焉を迎えた(爆)かな。趣味の会に、急に私の前夫が登場したりして(爆)私は前夫とのソフトランディングに2年を費やした。お陰で、今でも「友達」というか戦友みたいな感じ。私は彼には何でも話せる。友達、だから。最も相手は話してこないけどね(笑)

Pは「友達」でいたいという。一生の友達、という表現をしていた。PのGFの突然の登場に、思い切り引いたというか、場外に逃亡した私(笑)に、Pは電話してきて、「僕を無視するの、やめろよ!」と激しく抗議してきた。友達じゃないか、と。
でもさー、友達ってさ、恋人よりハードル高いんだって(爆)前夫とP、比較できないもん(笑)いろんな意味で。

前夫は「友達」で関係を続けたいと思うだけのクオリティを擁している。が、Pにはそれは無い。前夫にないいろんなものをPは持っている。前夫はPに無い、いろんなものを持っている。
で、どっちが私にとって価値あるのもかって、前夫のソレ、である(爆)

私は4月末、カトマンズへ修行に行く(爆)Pは4月末の彼の誕生日に盛大なパーティを企画してるそうだが、私はその日、カトマンズで瞑想でもしているだろう。

そんな事もあって、一足早く、誕生日のプレゼントを渡した。ってのも、めったに行かないモールへ行って、買い物に興味なかったのでCD屋に寄ったら、チェット・ベイカーが珍しく売ってたから。ココは田舎で文化の底が無いのでジャズとか人気無いのだ。

Pはジャズに関心薄い。きっとチェット・ベイカーも知らないだろう。いいのだ別に。
いつか、Pにジャズに詳しい友達でもできて、「お!」なんて言われるかも知れない。
チェット・ベイカーを贈ってくれるような日本人女と知り合った僥倖を、その時に知るかも知れない(爆)と妄想して選んだのである。

6月のオポノポノのワークショップで、こんな私のエゴも浄化したいものである(爆)

何かを読んでいたら、「男女関係を成功させる秘訣は、まず、自分に自信を持つこと」とあった。まあ、大概そう書いてある。確かに私は自信が無いというか、自信を持つ事が自己中心で勝手な人間になってしまうことと勘違いしてて、長い事、自分の批判を繰り返してたんだよねえ。自信家になりませんように、って(笑)

そして、「自信がありますというアナタ、あなたは自分のような女性と結婚したいですか?」とあった。
私の咄嗟の答えは、「のおおおおおおおお!」(爆)

自分を愛して
自分を信じて
自分を受け止めて
自分をありのまま認めて

なーんてコトをさんざんやってきた(つもり)結果、これ?(爆)
自分で自分に驚きました。

自分を結婚相手として選択したくない理由(笑)は、「メンドクサイ事ばかり考えてて、重たいから。」(爆)
あのう、覚醒の道は趣味で、一番好きな事なんですけど?
なんという自己矛盾。

私の師匠にも聞いてみました。師匠、って男女関係のゲームの師匠(笑)ね。
答えは「のうーうぇい!」(有り得ない) 私より強烈な回答。
質問したのは夜だったが、翌朝、「あなたの質問、あんなホラーな事言うから、気分が悪くて朝ごはん食べれなかったわ!」と言って大爆笑。
自分みたいな人と結婚がホラーストーリー、ってのもまた凄い。

そして師匠も私も「こんな人(自分自身)と結婚なんて、とーんでもない!」と思いつつ、相手を探している(爆) 上手くいかないわけだ。

師匠もなんだかんだ言って、スイスイと男を一本釣りに成功しているけど(笑)根っこの部分で激しい自己否定があるため、関係が成長、継続しないのである。

師匠も私も「早くMr.Right出てこないかね?」と言ってはいたけど。
まずは、自分を本当に好きになるワークが必要、なのよね。
師匠も6月のワークショップ参加します(爆)

まずは、自分を好きになること。これ、ホント、難しいねえ(笑)
自分が楽しい事を自分に与えてあげなくては。まずはヨガに復帰して、カトマンズでリトリート、である。

覚醒の道は、ややこしい(爆)






楽しもう、っと。4月だし。

2009-04-02 15:25:03 | 瞑想にまつわる能書き
4月。なにやら新しいエネルギーに満ちている、気がするなあ。
私は今朝、爽やかな気分でPにメッセージを送ったぞ。
もちろん、返事はすぐ来たよ!今日はPとデート。てへ。

Pもいい、恋愛も大変結構な事である。良い暇つぶしである。
が、私は最近、もっと大切なものを見つけた、ような気がする。
見つけた、ってか、思い出した、が適切かな。
それは、私がずっとずっと気にしてた「課題」そのもの。
課題が見つかったら、それをワークすればいいだけ、なのだ。
課題が見つかるまでが、大変だったのだ。

かつて、Pに「あなたの夢はなあに?」と聞いたとき、思いもよらない
返事に驚いた。
「全ての人がハッピーになったらいいなあと思うんだよね。」

ええ?
私はそんな事は考えた事もなかったし、「全ての人が」という視点で
モノゴトを考えた事が無い。
私とか、彼女とかアナタとか、あのバカ野郎とか、常に個人対象で
あった。
もちろん友人や知り合いの幸福は願うよね。あたりまえに。
私はPの「全ての人が・・・・」にとてもインパクトを感じたのです。

全ての人。

カバラを初めとする多くのトラディションが語る事はそういう事だった
のかもだなあ。
「私」に囚われると、全体を見失うけど、私を通してしか、世界を
知覚できないのよね。ちょっとヤヤコシイ。
私=全ての人。
そういう考えって、新鮮。 しかし、私が世界を創造してるのなら、
私は誰でもなく、かつ、全ての人なのである。

だからPがいみじくも言った「全ての人がハッピーであるように。」は
究極の祈りであり、また、私自身の目指す?ものでもあったのだ。

私は聖人にでもなりたいのか何か(笑)でもさ、それが一番したい
事のような気がする。

私のこの世界の中で、それを実践していけばいい、それだけ。
簡単にまとめれば「楽しもう!」それだけである。
楽しみは、「楽しい」と思えば何でも楽しくなる。
大切な事って、いつでも簡潔なんであるね。

多分、全ての人はもうハッピーなんだと思う。私はそれを見つければ
良いだけなのかも知れない。

うーむ。分かったようなわかんないような。まい、いいか。
断言すれば良いのだ。

楽しもう、っと。

趣味の覚醒、暇つぶしの悟り、勘違いで三昧、でもハッピーならいいじゃん!

2009-04-01 20:53:50 | 瞑想にまつわる能書き
やっとヒマになって、大好きな能書きを考える日常、が戻ってきた!

私が認識するという事。

デキゴトに対して、ウレシイだとか、嫌だとか、困った、とか「反応」する。
反応のモトは過去の記憶だったり、自分の思い込みだったりする。

メールの返事が来ない ⇒ 相手にとって、私は大切な存在ではない ⇒ 無力感に襲われる
⇒ 自信を失う ⇒ 自分の存在の意味がネガティブになる

これを途中をはしょって、メールの返事が来ない ⇒ 自分の存在がネガティブになる
としてみる。
メールの返事と自分の存在価値には、なんの関連も無い。が、自分で勝手にそういう認識
を展開しているのである。

良く考えれば、私もあまりメールの返事をしないではないか(笑) 一度返事が来なかったら、私は永遠にメールを送らないし、忙しかったらHotmail見ない日が数日続くじゃないの。
相手だって「君は無価値である。」と言いたくて返事しないわけじゃない。他に理由があるはず。
その理由は、Non of my business、なので気にしなくていいのだ。

世の中は、こうして自分が「認識」し、それを認め、受け入れて、初めて成り立つ。
全てのものに「レベル」が貼ってある。目にする全てに、である。
目にして無いものにまでレべリングしてある。そういう風に、ヒトのマインドは機能するのだ。

長い事、「全てはいまここ、にある」が腑に落ちなかった。だって、無いじゃないか!(爆)

しかし、最近、「おや?」と思える発想の転換が起きた。
結局、マテリアルをゲットするのが目的では無く、所有する事で生まれるであろう「安心感」を求めているのだ。
ポルシェが欲しい、のはポルシェを手にした自分に「カッコイイ」「成功している」「セクシー」という認識をくっつけたいから、である。

その認識を、なんでくっつけたいか?それは「心地いいから」(笑)あたりまえでしょう。
ヒトは結局、「快」を選ぶようにプログラムされているのだから、不快、を選択しないのです。
結果、不快感を感じたとしたら、よくよく掘り下げてみると、実は「不快」を自分に与えて苦難をヨロコブ、という複雑な心理を発見するであろう。

私はこの安心感、やすらぎ、ってヤツを数年前に発見した(笑)つうか、私のこころの深い場所には、慈悲の泉、みたいのがあって、静かで、安心感に満ちていて、なんつうか原初の海、みたいな可能性と喜びと安心感に満たされていたのを「思い出した」のである。

とても意外、だった(笑) かつて不幸を選択していた頃、心の深い場所にあったのは、「落っこちたら戻れない底なし沼」(爆)だったのである。不幸な事件を引き寄せては、その底なし沼の淵に立って、飛び込もう、という衝動を味わっていた、のである。

こう説明すれば何でも無いが、今、良くぞ生還した(笑)つうか、よくも暗闇に飛び込まずに今日まで生存してきましたね、って位、私個人には、消耗が激しいデキゴトでした。
ブラックホールみたいに、何でも吸収してしまう暗闇、が心の中の大部分を占めていたので、人を愛するだとか、自分を愛するどころではなかったのです(笑)
逃げ出す、高い場所に登って、暗闇から離れる事に必死でした。

確かそれは1冊の本を読んで、あっけなく、ブラックホールが「慈悲のみずうみ」に変容した
のである(爆) 人のマインドセットなんて、その程度のもの、なんだろうと思う。

Pとの満足できない関係(爆)が、案外、私に覚醒の道を歩ませてくれたのである。
私はいろんな些細な事が気になっていたけど、同時に、「一体私のマインドはどう作用しているのだろう?」と観察もしていた、のである。
LOA、引き寄せの法則、ってーヤツの愛好者(爆)なワタクシ、その視点からも、自分の「煩悩達成道」を見学していた、のである。

で、見つけたよね。カバラなんかも織り込んでいたので(笑)エゴの作用、リアクション。
リアクションをしないように心がける。
メールが来ない ⇒ 落ち込む、といったリアクションをしない。しないって難しいけど(笑)練習を重ねていくうちに、「あ、これがリアクションだわ。」と認識すると、感情が伴わなくなり、やがて、リアクションで作用されなくなる、のである。

私はそういう練習を重ねつつ(笑)私自身に内在する「幸福」とか「やすらぎ」、いわゆる「慈悲のみずうみ」は、外側の世界のデキゴトに、一切左右されずに存在する、という事を確信するに至った、のである。

「幸福とは条件を満たす事ではなく、心の状態である」とは世界中の賢人、聖人が語っている。私もそう思う。
そして、人はもれなく、この「幸福」と呼ばれる状態がインストールされて誕生している。
もともとある、ものなんである。
だから、外的要素、条件を満たす必要なんか、全く無いのである。

イヤ、違う、私はどうしても幸福では無いし、こんなにヒドイ出来事に囲まれてるよ、って思う人もいるかも知れない。かつての私のように。
でもさ、それ、自分で選択してるんだよね。願いが叶った状態、なんですよね。

前述したように、自分で出来事に「不幸」「ひでえ話」「私は被害者」って認識を与えているだけ、なんである。
そして、この認識作業と、それをアクセプト(受容)するのは、「御本人様のみ」に可能なんである。

つまり、全部は自分で選択して、自分で認めた、という事なのです。

救いは、(爆) 自分で選択した事なので、自分自身で変更作業可能、という事です。
しかも、認識を変えるだけなので、いたって簡単。

いろんな「ヒラメキ」が降ってくる昨今、会社の駐車場で「は!」っとした(笑) 
重要なのは「確信」を持つ事、である。カバラの先生も言ってたけど、信じる、じゃあーダメなのよ(笑)
信じる、にはまだダウト(疑い)の余地がある、と。
なぜか?

ダウト、にエゴは住み着くから!

これはね、私的にすげえ発見だと思った(爆) エゴは「大丈夫かなあ」とかいう不安や疑惑が大好物で、そこに住み着いてでかく成長するんです(笑)
日本では「断言法」tかあるみたいですが、言い切ってしまう、という事は、そこにエゴがつけいる余地無い、という事なんでしょう。

思考系の人、つまりは考えてばかりいて、悩んだり迷ったり、はっきりしない人、私の事ですが(爆)そういう人は、エゴの餌食に成り易いのである。
「バカになりなさい。」ってそういう事なのよね。余計な事を考えて、ダウトを思考に持ち込むな、って事。

カバラでも言ってたよね、「確信」こそ愛をはぐくむ、って(笑) 確信、っていわゆる「無条件」に繋がるのであろう。
私は最近は、確信、を確認するように心がけています。なんかモヤモヤしていた考え過ぎの脳がクリアーになってきたかなあ(笑)

えっと、それから「全て在る」。
今ここには、何もありません。今ここ、は瞬間でしか認識できません。そして瞬間、は結局、つかみ所の無いものです。証明できません。
いまここ、が連続したと思われる「日常」は存在しており、私達はそこに存在している、よーな錯覚を持って生きている。

「今ここ」もたぶん、無いのでは、と私は思う。って事は、究極、私、も無いのである(爆)私も無いんだから、私が認識したと思ってるあなたもPも存在しないのである(爆)
全ては、「幻想」?(笑)

って、ここまで行くと、行き過ぎ(爆) この三次元の世界に住んでるのだから、三次元なりに楽しまなくちゃね。

私の目に映る全て、は私自身。私自身の反映に過ぎない。
私はもうヤな事は選択しないと決めた。
私の選択が、私を悩ませる事はもう発生しない。
ながーい目で観れば、全ては善き事のために起きており、人生は歓喜でいっぱい。
全ての存在に愛を見出し、全ての出来事に感謝。
生きていく、とはそういう事の繰り返しかもしれない。

3月。忙しかった。
嫌な事もイッパイあった。友人に「会社の日本人をブチ殺してやりたい!」(爆)というメッセージを送った。静かな印象の私(爆)がそんなメールを送ったもんだから、とても心配してくれた。
趣味の会では、みんなが心配してくれた。私は皆さんのそんな暖かい励ましを、
素直に有難く受け取った。
15年参加しているが、「ありがとう、みんな」と思ったのは、今回が初めてである。

ヤな事と、嬉しい事がセットで起きるねえ(笑) この相対の世界の向こう、私は
ずっとそこが気になって仕方無いんですけど(笑)

そういえば、今日はPとの仕切り直しのデートである。
うーん。
あの怒涛のパーティ週末でさんざん見せつけられてお腹イッパイってのもある。
そして、Pが絶賛していたGF、どんだけ素晴らしい女性かと恐々としてたら、「え?」
ってな印象(爆)

まあ、Pの意図にでも耳を傾けてあげて、その意図が何であれ、私を説得するなら
私は説得されるだろうし(笑)そうでなければ、そうでないだけだ。
何でアレ、モノゴトは完璧なので、安心してデートに臨むのである。

私はどうしたいか?
簡単簡単、「楽しければ何でもいいわ。」(笑)

付き合い始めて3ヶ月。方向性を決めるにはちょっと時期早尚、と思わないでも無い。
が、全ては完璧なこの宇宙、今がその時期って事よね。
モノゴトには流れみたいなものがある。感情が一番乱れたのは、あのキャンプ週末でPの肩で泣いた事かな。あれはあれで、かなり吹っ切れたのでヨカッタ。
これから、どんな流れになっていくのかな?
楽しみに見ていきたいものである。 ふふ。面白い展開になりそうです!(笑)