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宇宙の秩序に調和しながらの煩悩達成日記

自己実現。そうです、願望実現を通して、自己をさらに深く知ってみようという実験の日記ざます!

夏至! いま、ここ → 呼吸 → 世界

2015-06-21 14:58:27 | 瞑想にまつわる能書き
毎朝、超初心者を交えて、チコ母の指導でヨガっている。
チコ母は、ヨガ暦は長いし、柔軟性も素晴らしいけど、教えた事は無い。
ので、レッスンもなんかストレッチみたいなもので、ヨガ、ではないような
気が、私はしている。

私は熱心にヨガ教室に通い、真剣に先生の話を聞いてヨガに励んでいたので、
生徒としては、プロ(笑)なんであるねえ。
チコ母、もともと柔軟性がある人だから、初心者の「できない!」という焦りの
ココロが、イマイチ、理解してない模様。
私は数年のブランクで、とんでもなく体が固くなり、しばらくぶりにヨガを再開
した日は、その後退ぶり?に驚愕したものである。
前屈のあるポーズは、全く、できなくなっていた。

私の友人は超初心者で、最初のレッスンの前に
「明日、スニーカーで行きますか?」と聞いていたwwwwww
「ヨガはね、裸足でやるんだよ。」と私。


私のヨガも後退しまくったけど、いいこともある。
どんな先生のレッスンでも「はー、素晴らしい。」と思えるようになった。
以前は先生のレベルに敏感で、つまり、レベルの高い先生でないと満足できなかった、のだ。
幸運にも、私は知識、技術、経験ともに素晴らしい先生に巡り合えたけど。

どんなレッスンでも、先生は言葉で説明する。その際に、かならず「息を吐いて、手を伸ばす」
という感じで、呼吸を指導する。
ヨガの体の動きは、呼吸と連動するのだ。
というか、呼吸をヨガの動きで表現している、と。そういう感じ。
私は日本人らしく、モノゴトを学ぶ際は、真面目である。テキトーになれない。
ので、呼吸もヨガも瞑想も、実践はイマイチですが(笑)理論は一生懸命学びました。

あまたのヨガ教室のレッスンで、先生の指導を真面目に実践していたものです。
私は、独学が無理なのです。教室に通わないと、家にいたら、「できない理由」が山の
ように浮かぶので、まず、独学ヨガとか無理。


そんな私は、初めて人に教えるチコ母に、ああでもない、こうでもないと、頼まれもしない
アドバイスをして、煙たがられている(笑)
が、呼吸は大事なんです!
チコ母、「超初心者の気持ち」が理解できないのか、何か、ヨガ指導中に、息を吸う、吐く、を
言わないのだ。
初心者は、言わないと分からないのだ。ヨガをスニーカー履いてやろう、なんていう初心者には
ゼッタイ、言わないといけません!

そこで、チコ母のエゴが言うのよ。
「初心者だから、徐々に慣れていくわ。後から指導するわ。」
だめーーー!
私は隣でヨガってるから良くわかるけど、友人、息が止まってるってば!「く、うううううーー」
って感じで。吐かなくちゃ、息を吐かなくちゃいかんのよ。ヨガの基本じゃないの!
と、たいがいの事には折れて、口論しない私でも、呼吸に関しては折れるわけには、いかんのです。

最初の今指導して、慣らしていかないと、呼吸のクセ、ヨガにおける呼吸の方法が、身につかない。
ちゃんとした呼吸無しのヨガ、はヨガではないのだ。


さきほど。
チコ母に、呼吸に関して演説した私(笑)
いわく、

ヴイッパサナ瞑想でも、ゴエンカ師匠はあ、「呼吸」に意識しろ、と教えています。
あなたも参加したからわかると思うけど、朝の4時半から、夜の9時まで、座って呼吸に意識を
集中したいたでしょ。
あれが、「いまここ」を感じる、たぶん、唯一なんだと思う。
凡人の私たちは、なかなか体感する事ができない。体感しないと行動できない、納得できないじゃない。

呼吸。
吸って
吐く。

この繰り返しが、唯一体感できる「いまここ」なんだと思う。
いま、吸って、吐いて、が繰り返されている。
「わたし」という主体は、自分の体を通して「呼吸」を感じる事が可能だから。


人間は生まれたときに、おぎゃー!と息を吐いて生命に息を吹き込みます。
そして、亡くなる際の最後の呼吸は、「吸う」だそうです。

宇宙はホログラム。私たちのする呼吸、最初の息、最後の息の間に、たくさんの呼吸、息をしています。
呼吸、とても大切。だから、ヨガのレッスンでは、必ず、息を吸う、吐くは、言葉で説明してください。

で、呼吸。呼吸のコントロールって、難しい。特に息を吐ききった後に、静かにコントロールしながら息を吸う、って
私には出来ない。呼吸が足りない!とカラダが反応して、息を吐ききって数秒、呼吸を止めた後なんか、びゅー!
っと一気に吸い込んでしまう。コントロールなんか出来ない。

息が足りない、が生死に直結するから、なかなかコントロールできないものなのです。呼吸、が「いまここ」の現れ、
という事は、呼吸、が世界、全てなのです。私たちの生が、オギャーという生誕の際の吐く息から始まり、
臨終の吸い込む息(息を引き取る、というしね)で終わる、という事がソレを如実に表現しています

ビッパサナ瞑想で、なぜ、毎日10時間以上も呼吸に集中する瞑想をするか、の答えがこれです。
呼吸が世界、宇宙なのでございます。まずは、呼吸を認識する、から始まります。チコ母よ、少し前に、
「次の瞑想の段階に行きたい」と言ってましたね。私は冗談で、「次の段階は、神との対話、だよ。」
と答えましたが(笑)

瞑想の次の段階は、呼吸をコントロールする、です。いや、一体化が先か。最初は呼吸を観察する瞑想をしました。
観察、ですから、観察する主体、「わたし」が存在しますね。この段階では、まだ、「わたし」が存在します。
次の段階は、宇宙との一体化、なのです。つまり、呼吸との一体化です。
この段階では、呼吸を観察する「わたし」が消滅します。なにせ、自分と思ってる自分が(笑)
呼吸と一体化しちゃうんですから。

そして、自分が呼吸と一体化する、自分が呼吸=宇宙となる、次元になれば、自分や他人といった分離は存在せず、
全てがひとつの世界、なのでございます。ニルバナの世界でございます。
そこには、カナシミも過去も生死もございませんよ。

この世に居ながら、あの世を体感する、がある意味、宇宙の理解への一歩でございます。
真冬の雪の中で、春に向けて準備を怠らない木の芽のように、上は下で、下は上なのでございます。

この世は分離してるよーに見えて、実は全てがひとつでございます。お釈迦さまが言いたかったことは、
「わたし」という認識が苦悩のタネだ、という事。お釈迦様は、一般人に分かりやすいように、
「人生は苦悩が満載」とおっしゃたのでございましょう。 
そして、その苦悩から脱出する技術として、ビッパサナ瞑想を伝授したのでございます。

この瞑想を朝晩実践していけば、「いまここ」を体感でき、感情のように沸いては消えるものは、全て幻想で
あることに気がつくから、です。
人の本質は、なんかこう、清々しい朝露のようなものである、と思うのです。
それを覆ってしまうのが、「自我」というイリュージョンでございますね。

かくのごとく、呼吸はヒジョーに大切なツールでございます。なので、初心者には、ぜひとも、呼吸に注力するよう、
ご指導お願いします。



という内容の能書きを、チコたんの背中をナデナデしながら垂れた私。その後、チコ母はお昼寝に寝室に行き、
私はネットで暇つぶし。。。。 いつも見てる(読んでる)ブログに紹介されてたYoutubeを観た。
懐かしい人が出演していた。
大昔、スプーン曲げで一世を風靡した「清田くん」である。彼も52歳になるそうだ。
で、その清田君が、私がチコ母に垂れてた説教と同じ事をYoutubeで話してたんで、ビックリ!!!!

で、彼は「祈りが大切」ってな事を語っていました。私もそう思うし、祈りって超能力発揮の自然な形でもあるのだ。祈りは効果あります(笑) 特に自分のためでなく「ひと様の幸福を祈る」のは効果抜群でございます。
そういえば、最近、お祈りしてないな。今晩から開始しよ!と思ったのでございます。


しかし、なんというシンクロ。清田くん、ですか。。。

変化、を受け入れる。自分の世界が拡大する。

2015-06-15 09:58:18 | 瞑想にまつわる能書き
雑談していたら、友人がチコ母からヨガを習いたいと言ってきた。
チコ母、69歳にして後姿は40代、前から見ても50代。ヨガの柔軟性は、恐るべし。



チコ母、ずっとドバイのタンゴ界をリードしてきたが、もう、後輩に任せるとかで、
毎年開催していたタンゴ・ドバイ、ガラディナー、も今年を最後に運営から手を引くと。
17年前に3人で始めた、タンゴドバイ、も、今では300人を超えるゲストが5つ星ホテル
でのガラ・ディナーに参加するほどに成長した。
私もタンゴドバイの早世期には顔を出していたが、踊りに関しては、私は「踊るDNA」
を所有しておらず、踊る楽しさより、ステップがきちんと踏めないストレスが増大して
踊るのをやめてしまった。


私は一時期、ヨガにはまっていて、それなりに柔軟性もあったし、先生に恵まれて
楽しい時間を過ごしていた。 チコ母は、当時、宅ヨガで自分で独習していたため、
ヨガにのめりこんでいた私には、チコ母からは、学ぶものは特になかった(笑)のである。


ドバイでチコ母宅で居候して、結構、ヒマな時間が多かったので、チコ母のヨガ教室に
同行したりした。
予想はしていたが、カラダのなまり具合は、尋常ではなかった。
アルメニアに行った3年前以前にヨガをやめていたので、たぶん、5年近く何もしていない。
アタマは絶頂期だった頃の記憶を持っているので、何もできなくなった自分に驚愕。
あれもできない
これもできない
できない
できない

である。

チコ母のヨガ教室のインストラクターにしても、絶頂期の私だったら、ものすごく憤慨
しちゃうようなレベル。
でも、今の私は腹周りにしっかり脂肪を溜め込みwwww 曲がるも何もあったもんじゃない、
状態。
イントラの質をアレコレ考える余裕も無い(笑)
私の生徒としてのレベルも各段に低下していたため、どんなイントラでも有難くヨガらせて
いただきました。


自分のふがいなさ、が、どんなレベルのイントラでも尊敬できる要員になった。
レベルが下がると、こういうオマケがあるのか、と思った。
ヨガ初心者になってしまった私は、教室の外の騒音、イントラのインド訛りの英語のわかり
難さ、も何もかも受け入れることができた。
自分のポーズに必死で、そういった余計な事を考える余裕なんか全く無くなっていたのだ。


チコ母は、インドにヨガ合宿に行ったり、毎日、ヨガ教室に通ったりと、ずっと訓練を
継続していた。
以前、学ぶことなど何もない(爆)と思ったチコ母のヨガも、初心者に戻った私には斬新、
であったのだ。
私がチコ母のヨガ教室に同行すると、2000円程度の料金を徴収される。 チコ母は年間会員
なので、何度行ってもいいのだが。
私は無職で毎回、2000円支払う余裕も無いので、毎回、チコ母が払ってくれた。

しかし。
こういうの、って、ヤなんだよねー。


ので、家でのヨガを提案。
チコ母がリードして、私が生徒。
これが案外、気持ちいいのだ。

最初に友人の「ヨガを習いたい」をチコ母に伝えた際は、あっさり、No!だったけど。
私とのセッションを重ねていくうち、チコ母は自信をつけたのか何か、私の友人の
申し出に快くOKしてくれた。
お金に余裕のあるチコ母なので、友人のレッスンは無料でいい、と言っていたが、私の
友人は日本人なので「無料?それは困ります!!」というので、格安を設定。


今日で3回目の友人のヨガレッスン。私も参加してるけど。
チコ母は、教える楽しさを、ヨガレッスンに、再度、見出した感じ。
来週から始まるラマダン。 チコ母は、「ラマダン中は、特別。毎日レッスンに来なさい!」
友人は
「はい!来ます!」


この友人は2ヶ月前に、長年勤務した会社を退職して、転職したばかり。
マルガリータは、ドミニカ共和国への引越しを決めて。
レバニーズの飲食業界友人は、飲食業から手を引いて、全く違う職種に転職。
チコ母は、都市開発のあおりをうけて、強制引っ越し。
わたしは、料理人としてのキャリアがはじまる。。。


という感じで、周りは変化の波が押し寄せてきている。
人は変化を好まない。
安泰な環境でRelaxしていたいのだ。エゴは変化を嫌うのだ。
でも。
全てが変化していく。
モノは全て誕生した途端に、終焉する運命を併せ持つのだ。
変わらないものは、無い。
全てが
変わって行く。

ゴエンカ師匠も言っていた。
変化していくのが、人生である、と。
だから執着するな、と。
執着するから、変化によって失われるものに執着が沸くのだ、と。

人間関係も
ポジションも
チカラ関係も
生体的コンディション(若いとか、エイジングとか)も
嗜好も
感情も

全部、変わっていくのだ。


どうせ変わっちゃうなら、不要、という選択は賢い選択でない。
誕生と共に死が同胞されてるなら、生きるのやめちゃう?
そういうわけにもいかんでしょう。

変わっていくのは宿命だけど。
変化するソレを味わい尽くせばいいのだ。
味わい尽くすぞ、という意識を持った「主体」が、たぶん、変わらない何か、
なんである。

変わっていくものの対岸にある
変わらないもの。
それを認識することが、生きる上での大切なことのひとつ、である。

と、私は断言しちゃうよ。




13歳、猫のバンディット。人間年齢70歳?

2015-06-11 06:50:45 | 瞑想にまつわる能書き
最近、猫のバンディットを抱えて寝ている。なかなか気持ちがいい。
この猫は、よくしゃべる猫で、うぎゃ、みゃ、ぷが、といろいろ猫語を話す。
ベッドに連れ込んで、ブランケットの下に押し込むと、最初は抵抗して、
うぎゃー、ふんがー、と怒りを現しているがwwww 背中をナデナデすると、
んみゃ、うみゃ、とノドをゴロゴロ鳴らしてご満悦。





バンディット。私はバン、と呼んでいる。
「バーン!」と呼ぶと、
「みゃ」と必ず返事する猫。


チコたんや、デブ犬ペニーたんは、それぞれ7歳、8歳なので、バンがチコ母宅の
親分、だったんである。
ベッドの上に、2匹の犬がくつろいでいる。
そこの、「よっこらしょっと」バンが飛び乗ってくる。
平安を犯された犬は、ワンワン!と抗議するが、バンはなにくわぬ顔で
私の枕元までゆっくりと歩き、ぱた、っと横たわる。
そんな光景に、バンディット親分、の威光をみた、のであったが。


かわいいー、チコたん。




デジカメは嫌いで、レンズを向けると顔をそむけられたが、携帯はOKなチコたん。




最近、私がバンのブラッシングなんかしてると、チコたんやペニーが嫉妬して、
バンに飛び掛るフリをするようになった。
バンが家の中を歩いていても、飛び掛ったりする。
以前には見られない光景である。


動物の世界は、強弱がはっきりしている。
高齢化して、パワーのなくなったバンを犬たちは、良く知っている。
ので、結構、アタックするようになったのだ。
といっても、長く共飼いしてるので、傷つけるようなことはしないが。
上下関係が入れ替わったことは、確か。

以前は、そ知らぬふりして犬の威嚇を無視してたバンが、今は
にゃい、 といって立ち止まってしまう。或いは、引き返して逃げる。


私は何でも観察する人なので、飼い主のチコ母が気がつかない動物の変化を
すぐに察知する。
バンの変化は、妙に大声を出して、ふぃんがー、ふがあー、と鳴く事が増えたこと。
顔の痙攣が始まったこと。
高いところへのジャンプに、かなり戸惑うようになっていること。
カリカリを食べて、すぐ吐き出すことが増えたこと、など。


ネットで調べたら、バンのいずれのしぐさも

高齢化によるもの
痴呆症の一種

なんだって(泣)

人間の年齢だと90歳?くらいのバン。
衰えが隠せなくなったのか。
最近、陰が薄い。
そのバンを犬たちが、やたらと威嚇する。


バンが子猫の頃、チコ母の家の大木に登って下りられずに鳴いていた夜。
酒盛りをしていた私とチコ母が、はしごをかけて、レスキューしたバン。
それから、勝手にチコ母宅に居ついて13年。

そんなバンにも、お迎えがくるのか、と思うと。
なんか、悲しいなあ。
居候の私は、毎日、バンのブラッシングしてて、最近は、夏に向けて毛が抜けて
そのせいで痩せてみえるのか、と思ってたけど。
老衰で痩せてきたのかも。

バンはにゃー。ニャーと擦り寄ってくる。こういうしぐさはあまりしないバン。
私にはココロを解放してくれてるのかな、と思ったりして。

今月末、チコ母は引越しする。
ドバイの一等地の高級住宅街の邸宅に住んでいるが、工事の始まった「ドバイ大運河」
の関係で、立ち退き、なんである。
ここ数週間、ずっと家探しをしてきた。いくつかの候補ができた。
週末には、チコ母も決めるといっていた。


犬たちもバンも、平屋にしか住んだことなくて、2階建てだと階段の上り下りが
つらいと思う。特にチコたんは、足が短い(笑)ので、階段なんか上り下りできないわ!
というと、チコ母に
「あーた。私より動物優先なの?」と言われたが。
そうなんです。動物優先っす(笑)


この引越し、新しい家は、どのみち、動物たちにはストレスになる。
私は、なんか静かになってきたバンが心配なのです。


カラダと脳の関係

2015-06-06 07:50:44 | 瞑想にまつわる能書き
瞑想合宿で、ゴエンカ師匠が
「ココロの動きが肉体に現れる」ということを盛んに語っていた。
頭脳とカラダは、たぶん、繋がっている。

アルメニアでチェスの世界チャンピオンに会ったとき、彼が言っていた。
チェスの(世界チャンピオンのレベル)世界は、ものすごく頭脳を使うので、対戦中に
ラリったような状態になることが、たびたびあるのだそうだ。
試合?が無くても、毎日、6、7時間の「チェスの練習」を欠かさないのだと。
練習用にチェス選手?を2人雇っていると要っていた。


そして、使いすぎた脳をリラックスさせるのは、運動なのだ、と。
ので、運動も毎日、きっちり2時間はするのだそうだ。
彼の場合は、ボクシングとダンスだそうだ。


瞑想合宿で、「カラダが固い」という思い込みに疑いを持ってみたら、案外、カラダは
柔軟性を持ったようだし。今ももちろん固いけど、柔軟性を秘めている固さ(笑)なのだ、と
非常にポジティブに考えるようになったのだ。

柔軟性に関しては、長年ヨガったりしてきて実践してきたけど。
瞑想合宿で、情報遮断のため、あまり脳が無駄に働かなくなったころ、カラダの発するサイン、
みたいなもんを感じたよーな気がした。

ヨガにはまってたころ、指先からつま先までピーンと意識を張り詰めて、筋肉をひっぱっていた。
毎日ヨガってたので、それはそれで柔軟性はつく。
が、瞑想合宿で、脳の雑音(エゴの活動)が低下すると、カラダが勝手にあるべき状態に落ち着く、
ということを感じたのだ。
カラダに任せる、という感じ。

前屈をしても、前屈してることを忘れる、というか。頭の重さで、自然にカラダが前屈している。
以前は、ヒザを伸ばして、腰を伸ばして、アゴをひいて、とか、細かい支持を出していたのだ。
脳内活動が低下したら、そういう指示も出す必要を感じず、ただ前屈していた。
それが、結構、前屈できていたのだ。
なんだこりゃ、と思ったねえ。

この「脳を休ませる」というか、エゴに支配権を渡さない。雑音に耳を貸さない。
ゴエンカ師匠は、そういう一連を「リアクション」という単語を使っていた。
リアクションをしない。

あれこれ細かい指示をカラダに出してリアクションとしての前屈と、
前屈するぞ、と決めた前屈。
なんか、似てるようで違うのだ。意味不明。


古いことをずっと手放せないでいる場合、まあ、思いが残ってるとか、傷が癒えないとか、
いろいろ表現は違うけど、結局のところ
「思い込み」という幻想に対してのリアクションだから、いつまでも成仏できないのだ。
瞑想合宿で、しみじみと思った。
人生は、たぶん、相当の部分が「幻想」エゴの産物である。
真理はシンプル。生きる、とは呼吸してる「いま」なのだ。いいも悪いもない。


イベントを終えて、パニック状態から解放されたチコ母。動きすぎで右足のヒザが痛い、と。
ネットで調べてあげてたのだが、対処法として、ヒザを大切にし、ふくらはぎや、ふとももの
筋肉を鍛えることで、弱ったヒザを保護できる、つうような事が書いてあった。
なんか。
リレー競争で、ひとり怪我欠場したので、他のメンバーがちぃっと長い距離を走ってカバーして
あげる、そんなイメージ。

そんな事を考えていた。

↓Burj Al Arabの日没。



人間の体の何億もある細胞。全部、それなりに必要で意味があって存在している。
人間の存在もおなじ。
今の私には分からないけど、多分、意味があって必要なのだ。どんな人でも。
どんな人が欠けても、宇宙は存在できないのだ。

人生も同じ。
どんな理不尽であろうと。それは意味があって理由があるのだ。
そして、それだけなのだ(笑) リアクションはしなくていいのだ。

ホテルの内部。
相変わらず、豪華。




昔は、多少、気を使っていたが、最近の私は、こういった高級な場所に場違いな格好で
出かけてしまう。
サンダルにユニクロの7分パンツ、よれよれ(笑)にちょっと穴が空いたけど、柔らかくて
気心地の良い、ふるーいTシャツ、とか。
ちょっとチコ母と、そこらへんに用事で出たので、家の中をうろついてた部屋着。
高級な場所に行くために家を出たわけでなく、家を出てからチコ母が、「Burj Al Arabに用事があった。」
とか言い出して、急に行くことになったのだが。



顔はスッピン。どう見ても、発展途上国からの使用人風(爆)
これが、慣れると、そんなに気にならない。

こうして、ホンモノのおばちゃん、になっていくのだ。



私の挑戦。わだすは料理人になる。てへ

2015-06-04 01:45:36 | 瞑想にまつわる能書き
というわけで、めでたく、仕事をゲットいたしました。
相当、時間かかったけど、滅多にない仕事をゲットできたので、
待った甲斐があったというものだ。


まあ、なんというか、大富豪のお抱え料理人、が仕事なのだけど。
この大富豪、ネットで調べたら、ほんとに大富豪で、2014年の個人資産が

4000億円


だそうだ。
私は面接の話が来て、大富豪の経営する会社の本社に面接に行って、パキスタン人の
受付に、ニコヤカに(普段は、もちろんそんなことはしない)誰が面接に来たか、と
探りを入れて、ネパール人、インド人、フィリピン人、と聞いたとき、
ああ、こりゃ、私に決定だわwwwwwwと、不遜にも思ったのだ。

なぜなら。
募集は、女性限定、だったから。
ということは、おそらく、イスラム教の家族で、若い娘さんがいる。ので、男性はご法度。
だから、女性限定、なのだ。
そして、日本でもそうだと思うけど、ここ、ドバイでは特に、商業施設(ホテルとか)の
キッチンは、男性主流、なのだ。
時折、女性シェフもいる。
そういう人は、ミシェラン・スターのレストラン経験あり、という人物で西洋人。
プライベート・シェフなんかには、ならない。
ネパール人、インド人、フィリピン人で、ホテルのキッチンで料理人として働く人のレベルは、
たいしたことはない。

私はシェフとして働いたことはないけど、イタリアで、フランスで、英国で、そして勿論、
日本で、おそらく、最高級のレストランに、とりあえす行っている。
ドバイでも名だたる高級レストランは制覇している。
しかし、ホテルのキッチンで働いてる発展途上国の人は、そういった経験に欠けている。
しかも、数が少ない。

よって、誰よりアップマーケットの経験があるのは、私、なのだ。
レシピを見れば、たいがいの料理は作れる。それは、食べた経験があるから。
発展途上国出身の人には、これがないのだ。
ホテルのキッチンの給料は安いので、外食なんかしないのだ。
しかも、私には教養と世界に名だたる企業で働いた経験がある(爆)
発展途上国出身の人には、逆立ちしてもない、ものである。


最終面接、は3回目。
その前の2回で作った、おいしいものをセレクトされた。
その中に

千切りサラダ

が、あった。
大根、人参、きゅうりを千切りにして、中華ドレッシングをかけたもの。
こんなのは、私の中では料理のカテゴリー以前。
誰って作れると思っていた。

こんな感じ。会社のキッチンにて。奥に私が全部調理して運んだクーラーBOXがみえる。



これが大ヒット。
大富豪はこの皿をキープし、ずっと食べていた。
私としては、魚のカレーとかを評価して欲しかったけど。
ドレッシングも、醤油、酢、ごま油、砂糖、ショウガ、ニンニク
を適当に混ぜたもの。



私は料理のみけかに、とてもこだわってまして。

美しい皿。
それを目指してます。


私は料理人として働いた経験、無し。
でも、私の料理が一番、おいしかったみいだ。

自分ではわからないけど。


友人一同が、私の料理がおいしい、つうんで、きっとおいしんでしょう。
昨夜も、チコ母が少数の知人を招いて、週末の飲み会を開催し、私は
料理を担当した。
この最後の料理実技では、「値段にこだわらず、良い材料を使え。」との事なので
普段ならぜっい購入しないような、高級食材をボンボン買い物カートに放り込んだ。
その食材がまだ余ってまして。
そして、「海苔巻き」も練習しとこうと思って

-ユーリンチー(鳥のから揚げに中華ダレをかけた、あれ)
-キッシュ
-のりまき

というメニュを作ったのです。
キッシュがなかなかに傑作で。友人が絶賛していたなあ。
友人いわく、「料理の腕があがったわよ!」との事だが。
自分では前から変わってない気がする。
海苔巻きは、確かに向上したけど。


正直、詳しい内容がまだわからないので、不安でもある。
社宅みたいのは、富豪の豪邸の中、だというし。
住み込み、みたいなもんである。
なので、私は奴隷になるような、そんな気がしちゃってねえ(笑)

私はシェフになる予定はなかったんだけど、なんだか良く分かりませんが
シェフになってしまうのでした。
ちなみに、この仕事のビザは、「総料理長」(笑)で発行されるそうだ。

料理を個人向けに作る分には、まあ、なんとかOKなんだけど。
環境がなあ。。。。どうなんだろう。
ま、台所にこもって、黙々と仕事にはげもう。