毎朝、超初心者を交えて、チコ母の指導でヨガっている。
チコ母は、ヨガ暦は長いし、柔軟性も素晴らしいけど、教えた事は無い。
ので、レッスンもなんかストレッチみたいなもので、ヨガ、ではないような
気が、私はしている。
私は熱心にヨガ教室に通い、真剣に先生の話を聞いてヨガに励んでいたので、
生徒としては、プロ(笑)なんであるねえ。
チコ母、もともと柔軟性がある人だから、初心者の「できない!」という焦りの
ココロが、イマイチ、理解してない模様。
私は数年のブランクで、とんでもなく体が固くなり、しばらくぶりにヨガを再開
した日は、その後退ぶり?に驚愕したものである。
前屈のあるポーズは、全く、できなくなっていた。
私の友人は超初心者で、最初のレッスンの前に
「明日、スニーカーで行きますか?」と聞いていたwwwwww
「ヨガはね、裸足でやるんだよ。」と私。
私のヨガも後退しまくったけど、いいこともある。
どんな先生のレッスンでも「はー、素晴らしい。」と思えるようになった。
以前は先生のレベルに敏感で、つまり、レベルの高い先生でないと満足できなかった、のだ。
幸運にも、私は知識、技術、経験ともに素晴らしい先生に巡り合えたけど。
どんなレッスンでも、先生は言葉で説明する。その際に、かならず「息を吐いて、手を伸ばす」
という感じで、呼吸を指導する。
ヨガの体の動きは、呼吸と連動するのだ。
というか、呼吸をヨガの動きで表現している、と。そういう感じ。
私は日本人らしく、モノゴトを学ぶ際は、真面目である。テキトーになれない。
ので、呼吸もヨガも瞑想も、実践はイマイチですが(笑)理論は一生懸命学びました。
あまたのヨガ教室のレッスンで、先生の指導を真面目に実践していたものです。
私は、独学が無理なのです。教室に通わないと、家にいたら、「できない理由」が山の
ように浮かぶので、まず、独学ヨガとか無理。
そんな私は、初めて人に教えるチコ母に、ああでもない、こうでもないと、頼まれもしない
アドバイスをして、煙たがられている(笑)
が、呼吸は大事なんです!
チコ母、「超初心者の気持ち」が理解できないのか、何か、ヨガ指導中に、息を吸う、吐く、を
言わないのだ。
初心者は、言わないと分からないのだ。ヨガをスニーカー履いてやろう、なんていう初心者には
ゼッタイ、言わないといけません!
そこで、チコ母のエゴが言うのよ。
「初心者だから、徐々に慣れていくわ。後から指導するわ。」
だめーーー!
私は隣でヨガってるから良くわかるけど、友人、息が止まってるってば!「く、うううううーー」
って感じで。吐かなくちゃ、息を吐かなくちゃいかんのよ。ヨガの基本じゃないの!
と、たいがいの事には折れて、口論しない私でも、呼吸に関しては折れるわけには、いかんのです。
最初の今指導して、慣らしていかないと、呼吸のクセ、ヨガにおける呼吸の方法が、身につかない。
ちゃんとした呼吸無しのヨガ、はヨガではないのだ。
さきほど。
チコ母に、呼吸に関して演説した私(笑)
いわく、
ヴイッパサナ瞑想でも、ゴエンカ師匠はあ、「呼吸」に意識しろ、と教えています。
あなたも参加したからわかると思うけど、朝の4時半から、夜の9時まで、座って呼吸に意識を
集中したいたでしょ。
あれが、「いまここ」を感じる、たぶん、唯一なんだと思う。
凡人の私たちは、なかなか体感する事ができない。体感しないと行動できない、納得できないじゃない。
呼吸。
吸って
吐く。
この繰り返しが、唯一体感できる「いまここ」なんだと思う。
いま、吸って、吐いて、が繰り返されている。
「わたし」という主体は、自分の体を通して「呼吸」を感じる事が可能だから。
人間は生まれたときに、おぎゃー!と息を吐いて生命に息を吹き込みます。
そして、亡くなる際の最後の呼吸は、「吸う」だそうです。
宇宙はホログラム。私たちのする呼吸、最初の息、最後の息の間に、たくさんの呼吸、息をしています。
呼吸、とても大切。だから、ヨガのレッスンでは、必ず、息を吸う、吐くは、言葉で説明してください。
で、呼吸。呼吸のコントロールって、難しい。特に息を吐ききった後に、静かにコントロールしながら息を吸う、って
私には出来ない。呼吸が足りない!とカラダが反応して、息を吐ききって数秒、呼吸を止めた後なんか、びゅー!
っと一気に吸い込んでしまう。コントロールなんか出来ない。
息が足りない、が生死に直結するから、なかなかコントロールできないものなのです。呼吸、が「いまここ」の現れ、
という事は、呼吸、が世界、全てなのです。私たちの生が、オギャーという生誕の際の吐く息から始まり、
臨終の吸い込む息(息を引き取る、というしね)で終わる、という事がソレを如実に表現しています
。
ビッパサナ瞑想で、なぜ、毎日10時間以上も呼吸に集中する瞑想をするか、の答えがこれです。
呼吸が世界、宇宙なのでございます。まずは、呼吸を認識する、から始まります。チコ母よ、少し前に、
「次の瞑想の段階に行きたい」と言ってましたね。私は冗談で、「次の段階は、神との対話、だよ。」
と答えましたが(笑)
瞑想の次の段階は、呼吸をコントロールする、です。いや、一体化が先か。最初は呼吸を観察する瞑想をしました。
観察、ですから、観察する主体、「わたし」が存在しますね。この段階では、まだ、「わたし」が存在します。
次の段階は、宇宙との一体化、なのです。つまり、呼吸との一体化です。
この段階では、呼吸を観察する「わたし」が消滅します。なにせ、自分と思ってる自分が(笑)
呼吸と一体化しちゃうんですから。
そして、自分が呼吸と一体化する、自分が呼吸=宇宙となる、次元になれば、自分や他人といった分離は存在せず、
全てがひとつの世界、なのでございます。ニルバナの世界でございます。
そこには、カナシミも過去も生死もございませんよ。
この世に居ながら、あの世を体感する、がある意味、宇宙の理解への一歩でございます。
真冬の雪の中で、春に向けて準備を怠らない木の芽のように、上は下で、下は上なのでございます。
この世は分離してるよーに見えて、実は全てがひとつでございます。お釈迦さまが言いたかったことは、
「わたし」という認識が苦悩のタネだ、という事。お釈迦様は、一般人に分かりやすいように、
「人生は苦悩が満載」とおっしゃたのでございましょう。
そして、その苦悩から脱出する技術として、ビッパサナ瞑想を伝授したのでございます。
この瞑想を朝晩実践していけば、「いまここ」を体感でき、感情のように沸いては消えるものは、全て幻想で
あることに気がつくから、です。
人の本質は、なんかこう、清々しい朝露のようなものである、と思うのです。
それを覆ってしまうのが、「自我」というイリュージョンでございますね。
かくのごとく、呼吸はヒジョーに大切なツールでございます。なので、初心者には、ぜひとも、呼吸に注力するよう、
ご指導お願いします。
という内容の能書きを、チコたんの背中をナデナデしながら垂れた私。その後、チコ母はお昼寝に寝室に行き、
私はネットで暇つぶし。。。。 いつも見てる(読んでる)ブログに紹介されてたYoutubeを観た。
懐かしい人が出演していた。
大昔、スプーン曲げで一世を風靡した「清田くん」である。彼も52歳になるそうだ。
で、その清田君が、私がチコ母に垂れてた説教と同じ事をYoutubeで話してたんで、ビックリ!!!!
で、彼は「祈りが大切」ってな事を語っていました。私もそう思うし、祈りって超能力発揮の自然な形でもあるのだ。祈りは効果あります(笑) 特に自分のためでなく「ひと様の幸福を祈る」のは効果抜群でございます。
そういえば、最近、お祈りしてないな。今晩から開始しよ!と思ったのでございます。
しかし、なんというシンクロ。清田くん、ですか。。。
チコ母は、ヨガ暦は長いし、柔軟性も素晴らしいけど、教えた事は無い。
ので、レッスンもなんかストレッチみたいなもので、ヨガ、ではないような
気が、私はしている。
私は熱心にヨガ教室に通い、真剣に先生の話を聞いてヨガに励んでいたので、
生徒としては、プロ(笑)なんであるねえ。
チコ母、もともと柔軟性がある人だから、初心者の「できない!」という焦りの
ココロが、イマイチ、理解してない模様。
私は数年のブランクで、とんでもなく体が固くなり、しばらくぶりにヨガを再開
した日は、その後退ぶり?に驚愕したものである。
前屈のあるポーズは、全く、できなくなっていた。
私の友人は超初心者で、最初のレッスンの前に
「明日、スニーカーで行きますか?」と聞いていたwwwwww
「ヨガはね、裸足でやるんだよ。」と私。
私のヨガも後退しまくったけど、いいこともある。
どんな先生のレッスンでも「はー、素晴らしい。」と思えるようになった。
以前は先生のレベルに敏感で、つまり、レベルの高い先生でないと満足できなかった、のだ。
幸運にも、私は知識、技術、経験ともに素晴らしい先生に巡り合えたけど。
どんなレッスンでも、先生は言葉で説明する。その際に、かならず「息を吐いて、手を伸ばす」
という感じで、呼吸を指導する。
ヨガの体の動きは、呼吸と連動するのだ。
というか、呼吸をヨガの動きで表現している、と。そういう感じ。
私は日本人らしく、モノゴトを学ぶ際は、真面目である。テキトーになれない。
ので、呼吸もヨガも瞑想も、実践はイマイチですが(笑)理論は一生懸命学びました。
あまたのヨガ教室のレッスンで、先生の指導を真面目に実践していたものです。
私は、独学が無理なのです。教室に通わないと、家にいたら、「できない理由」が山の
ように浮かぶので、まず、独学ヨガとか無理。
そんな私は、初めて人に教えるチコ母に、ああでもない、こうでもないと、頼まれもしない
アドバイスをして、煙たがられている(笑)
が、呼吸は大事なんです!
チコ母、「超初心者の気持ち」が理解できないのか、何か、ヨガ指導中に、息を吸う、吐く、を
言わないのだ。
初心者は、言わないと分からないのだ。ヨガをスニーカー履いてやろう、なんていう初心者には
ゼッタイ、言わないといけません!
そこで、チコ母のエゴが言うのよ。
「初心者だから、徐々に慣れていくわ。後から指導するわ。」
だめーーー!
私は隣でヨガってるから良くわかるけど、友人、息が止まってるってば!「く、うううううーー」
って感じで。吐かなくちゃ、息を吐かなくちゃいかんのよ。ヨガの基本じゃないの!
と、たいがいの事には折れて、口論しない私でも、呼吸に関しては折れるわけには、いかんのです。
最初の今指導して、慣らしていかないと、呼吸のクセ、ヨガにおける呼吸の方法が、身につかない。
ちゃんとした呼吸無しのヨガ、はヨガではないのだ。
さきほど。
チコ母に、呼吸に関して演説した私(笑)
いわく、
ヴイッパサナ瞑想でも、ゴエンカ師匠はあ、「呼吸」に意識しろ、と教えています。
あなたも参加したからわかると思うけど、朝の4時半から、夜の9時まで、座って呼吸に意識を
集中したいたでしょ。
あれが、「いまここ」を感じる、たぶん、唯一なんだと思う。
凡人の私たちは、なかなか体感する事ができない。体感しないと行動できない、納得できないじゃない。
呼吸。
吸って
吐く。
この繰り返しが、唯一体感できる「いまここ」なんだと思う。
いま、吸って、吐いて、が繰り返されている。
「わたし」という主体は、自分の体を通して「呼吸」を感じる事が可能だから。
人間は生まれたときに、おぎゃー!と息を吐いて生命に息を吹き込みます。
そして、亡くなる際の最後の呼吸は、「吸う」だそうです。
宇宙はホログラム。私たちのする呼吸、最初の息、最後の息の間に、たくさんの呼吸、息をしています。
呼吸、とても大切。だから、ヨガのレッスンでは、必ず、息を吸う、吐くは、言葉で説明してください。
で、呼吸。呼吸のコントロールって、難しい。特に息を吐ききった後に、静かにコントロールしながら息を吸う、って
私には出来ない。呼吸が足りない!とカラダが反応して、息を吐ききって数秒、呼吸を止めた後なんか、びゅー!
っと一気に吸い込んでしまう。コントロールなんか出来ない。
息が足りない、が生死に直結するから、なかなかコントロールできないものなのです。呼吸、が「いまここ」の現れ、
という事は、呼吸、が世界、全てなのです。私たちの生が、オギャーという生誕の際の吐く息から始まり、
臨終の吸い込む息(息を引き取る、というしね)で終わる、という事がソレを如実に表現しています
。
ビッパサナ瞑想で、なぜ、毎日10時間以上も呼吸に集中する瞑想をするか、の答えがこれです。
呼吸が世界、宇宙なのでございます。まずは、呼吸を認識する、から始まります。チコ母よ、少し前に、
「次の瞑想の段階に行きたい」と言ってましたね。私は冗談で、「次の段階は、神との対話、だよ。」
と答えましたが(笑)
瞑想の次の段階は、呼吸をコントロールする、です。いや、一体化が先か。最初は呼吸を観察する瞑想をしました。
観察、ですから、観察する主体、「わたし」が存在しますね。この段階では、まだ、「わたし」が存在します。
次の段階は、宇宙との一体化、なのです。つまり、呼吸との一体化です。
この段階では、呼吸を観察する「わたし」が消滅します。なにせ、自分と思ってる自分が(笑)
呼吸と一体化しちゃうんですから。
そして、自分が呼吸と一体化する、自分が呼吸=宇宙となる、次元になれば、自分や他人といった分離は存在せず、
全てがひとつの世界、なのでございます。ニルバナの世界でございます。
そこには、カナシミも過去も生死もございませんよ。
この世に居ながら、あの世を体感する、がある意味、宇宙の理解への一歩でございます。
真冬の雪の中で、春に向けて準備を怠らない木の芽のように、上は下で、下は上なのでございます。
この世は分離してるよーに見えて、実は全てがひとつでございます。お釈迦さまが言いたかったことは、
「わたし」という認識が苦悩のタネだ、という事。お釈迦様は、一般人に分かりやすいように、
「人生は苦悩が満載」とおっしゃたのでございましょう。
そして、その苦悩から脱出する技術として、ビッパサナ瞑想を伝授したのでございます。
この瞑想を朝晩実践していけば、「いまここ」を体感でき、感情のように沸いては消えるものは、全て幻想で
あることに気がつくから、です。
人の本質は、なんかこう、清々しい朝露のようなものである、と思うのです。
それを覆ってしまうのが、「自我」というイリュージョンでございますね。
かくのごとく、呼吸はヒジョーに大切なツールでございます。なので、初心者には、ぜひとも、呼吸に注力するよう、
ご指導お願いします。
という内容の能書きを、チコたんの背中をナデナデしながら垂れた私。その後、チコ母はお昼寝に寝室に行き、
私はネットで暇つぶし。。。。 いつも見てる(読んでる)ブログに紹介されてたYoutubeを観た。
懐かしい人が出演していた。
大昔、スプーン曲げで一世を風靡した「清田くん」である。彼も52歳になるそうだ。
で、その清田君が、私がチコ母に垂れてた説教と同じ事をYoutubeで話してたんで、ビックリ!!!!
で、彼は「祈りが大切」ってな事を語っていました。私もそう思うし、祈りって超能力発揮の自然な形でもあるのだ。祈りは効果あります(笑) 特に自分のためでなく「ひと様の幸福を祈る」のは効果抜群でございます。
そういえば、最近、お祈りしてないな。今晩から開始しよ!と思ったのでございます。
しかし、なんというシンクロ。清田くん、ですか。。。