秋が深まり、セーターを着用する季節になった。
長い事、季節感の無い国に住み、季節の変わり目の独特な感覚を忘れていたけど、DNAに刻まれているのか何か、頬を撫でる風や木漏れ陽の輝きに、ソレを見出すのである。季節の持つ香り、つうか何か。
つう事で、冬が始まったのである。 寝る際も、羽毛布団にもう一枚、羽毛布団を重ね、マフラー着用になった。寒い冬には、柔らかい毛糸のマフラー。これ、最高!
そろそろコロモ替えしないとなあ。そういえば、夏の間にたまたま水シャワーを使って、気持ちヨカッタので、ずっと継続している。今は気温14℃程度らしいが、まだイケる! 万が一、この国の冬を水シャワーで乗り切る事ができたなら、わたしゃ、覚醒してることでしょう!(爆)真冬はマイナス20℃程度まで下がるのだが、シャワーの水は天井に水槽(あくまで水槽で、タンクというシロモノではない)で貯めてあるシステムなので、凍らないのである。
数日前、イラン人青年が、「お母さんが訪問してくるので、休暇が欲しい」と言ってきた。この青年は、生真面目で砕けたような、ちゃらんぽらんしたところがない。仕事でも、一度注意すれば、必ず教えを守り、同じ事を2度注意されない。 毎日、私がガミガミ言っても、全く聞いてないキッチンのインド人と大違い(爆)
青年は、なんか苦悩が大きいのか何か、明るい表情をあまり見せない。以前、自分の母親は25%ロシア人の血を引いていて、とても冷たい、と言っていた。他のイラン人の母親みたいな大げさな愛情表現が無いのだそうだ。 子供の頃から、自分は母親から愛されていない、とずっと思っていた、と青年は静かに語っていた。
私はそんな青年に、母親は彼女なりの表現方法で、愛情を伝えていると思うよ。とかなんとかなだめたのであった。
息子と母親の関係というのは、娘と母親のソレとはまた違うように感じるのう。私の友人を見ても、息子は特別だったりするケースが多いし、男の友人を見れば、母親への思いが、女性とはまた違うような気がするもの。
誰かが言っていた。特にラテン系の国の母と息子の関係はヒジョーに強いと。 イタリア、スペイン、、なるほど。 インドもそうである。 一番美味しい食べ物は何か、という感じの質問には、「母の手料理!」と答える人の多いこと。
イラン青年には、お母さんが来たら、食堂に連れて来なさい。ご馳走してあげるよ!と言っていた。ので、青年、早速、お母さんを連れてきた。
小柄で、可愛い感じのお母さんであった。 英語教師をしているとかで、英語も問題なかった。普段無口な青年は、お母さんと一緒で、とても嬉しそうだった。私とお母さんが会話してるときも、じっとお母さんを見つめていた。
インド名物タンドーリチキンをご馳走したけど、支払います、と何度も言うお母さんに、「いえいえ、私は日本人ですから。日本流ではお金を頂きません。」とかテキトーな事を言った。最初から、安くしろだの、何かコンプリメントで出せ、と煩いインド人とは大違い!(笑)
お母さんには、「息子さんが働いてくれるのは、大変にありがたい事だと思っています。マジメで良く気がついて、とても熱心に働いてくれています。お客さんからの評判も大変に宜しいです。」
嬉しいそうに私の話を聞いていたお母さんが、「いろいろな事情で、こうして息子だけここに住んでいますが、私は一時も息子の事を考えない時はありません。離れて暮らしていても、心はいつも息子と一緒にいると思っています。息子は、まだまだ若くて知らない事も多いです。どうか、息子を本当の息子と思って、よろしくお願いします。」
真剣に話すお母さんを見つめながら、青年はジワジワしていた。
食堂の従業員もお母さんに紹介した。 出たがりのセイネンは、妙に遠慮しているかのようだった。セイネンもお母さんを思い出すのかいな。
セイネンのお母さんは、えらく若いらしい。16歳で長男を、18歳でセイネンを産んでいるそうだ。 セイネンがボロボロの携帯を使用していたので、私は誕生日に新しい携帯電話をプレゼントした。それを見て、ボロボロの古い携帯をインド人が捨てようとしたら、セイネンは興奮して、「捨てちゃだめ!インドを出る時にお母さんがくれた携帯なんだから!」と言って。
イラン青年のお母さんは、レイキとかヨガを実践していて、そういうの関心が高いそうだ。食堂に入ってきて、まず最初に、「とてもエネルギーが奇麗」と思ったそうだ。私は青年に「私が毎日、せっせと掃除してる意味わかった?」と笑うと、青年は「なるほどね!」と。
レイキもヨガも、私の中では既に過去のものになってしまったが(笑)まあ、そういう区分けをせずとも、生活がレイキの実践であり、ヨガなんだと思うんですよ、と言ったけど、お母さんにはちょっと通じなかったかな。ま、いいけど。
私は母親になりたいと思った事は一度も無い。いろんな理由で。で、全く後悔もしていない。今後も、誰かをアダプトしたりすることも無い。 母親になるのを選ばなかったのは、単なる個人の選択だと思っている。ケッコンしないのを選択するのと同じように。
そのせいか。私には母性が少ないような気がする。
待てよ? そもそも母性、ってなんざましょ? 受容性?無償の愛? 慈しみ、育てること? 母性とは、母親になったからって得るものでもないしなあ。 生まれた国を遥か離れて、山国で隠遁生活のマネゴトをしてる私が思うに、母性も父性も、それもまた、イリュージョンなのかも知れないのう~。
ところで、日本から、TV番組出演の依頼があった。もちろん、私自身はその番組、観たこと無いわけで。友達に、こんな話があったよ、とメールしたら、暇つぶしにいいんではないか、との回答があり、断らずに、とりあえず製作者とメール交換をしてたら、急にプッツリと返事が来なくなった。人間性でも疑われたか?(爆)私自身は、特にどうでもいいので、そのまま放置してある。 まあ、どうでもイイのですが。
そしたら今度、この国の料理番組から出演依頼があった。TV番組を制作してるというおじさんに、イタリア大使館のイベントで会ったのだが、忘れた頃にやって来たのである。
番組の製作者に、「この国の日本食屋は、日本人料理人もいないし、私たち日本人が日ごろ食してる日本食とは、非常に乖離したものでございます。日本食といえば、寿司、しか思い浮かばない人が多いと思いますが、日本では、毎日寿司など食しません。日本食が世界的にブームなのは、そのシンプルさ、美味しさ、そして健康志向という点かと思います。食材の持ち味を最大限に引き出すのが、日本食の特徴かと思います。私は寿司だけでなく、本来、日本食の持ち味である、そういった特性を紹介できれば、と思っているざます!」
とテキトーな事言ったんだよねえ(笑)いや、番組に出せ、ではなく、私の幻の新メニュ(笑)の話をして、日本食に関してそう言ったのである。敬愛するゴードン先生も、毎度言っているように、産地のもの(新鮮なもの)を使って、美味しい料理を提供したい、と。 だから、海の無いこの国で、敢て寿司は提供しないのだ、と。これは、マジでそう思ってるのだけど。
しかし、アレだ。
私はインド料理とか、日本食とかを取り扱おうとは全く思っていなかった。なんだ、かんだで、こうなっている。特に日本食は範疇外というか、実は良く知らなかったりする。じゃあ、どの料理が一番良く知ってるか、というと、特になかったりする(爆)
まあ、たいした事してないし、これからも多分、しないし、テキトーに面白ければいいのか、とヤケクソな昨今ではある。
長い事、季節感の無い国に住み、季節の変わり目の独特な感覚を忘れていたけど、DNAに刻まれているのか何か、頬を撫でる風や木漏れ陽の輝きに、ソレを見出すのである。季節の持つ香り、つうか何か。
つう事で、冬が始まったのである。 寝る際も、羽毛布団にもう一枚、羽毛布団を重ね、マフラー着用になった。寒い冬には、柔らかい毛糸のマフラー。これ、最高!
そろそろコロモ替えしないとなあ。そういえば、夏の間にたまたま水シャワーを使って、気持ちヨカッタので、ずっと継続している。今は気温14℃程度らしいが、まだイケる! 万が一、この国の冬を水シャワーで乗り切る事ができたなら、わたしゃ、覚醒してることでしょう!(爆)真冬はマイナス20℃程度まで下がるのだが、シャワーの水は天井に水槽(あくまで水槽で、タンクというシロモノではない)で貯めてあるシステムなので、凍らないのである。
数日前、イラン人青年が、「お母さんが訪問してくるので、休暇が欲しい」と言ってきた。この青年は、生真面目で砕けたような、ちゃらんぽらんしたところがない。仕事でも、一度注意すれば、必ず教えを守り、同じ事を2度注意されない。 毎日、私がガミガミ言っても、全く聞いてないキッチンのインド人と大違い(爆)
青年は、なんか苦悩が大きいのか何か、明るい表情をあまり見せない。以前、自分の母親は25%ロシア人の血を引いていて、とても冷たい、と言っていた。他のイラン人の母親みたいな大げさな愛情表現が無いのだそうだ。 子供の頃から、自分は母親から愛されていない、とずっと思っていた、と青年は静かに語っていた。
私はそんな青年に、母親は彼女なりの表現方法で、愛情を伝えていると思うよ。とかなんとかなだめたのであった。
息子と母親の関係というのは、娘と母親のソレとはまた違うように感じるのう。私の友人を見ても、息子は特別だったりするケースが多いし、男の友人を見れば、母親への思いが、女性とはまた違うような気がするもの。
誰かが言っていた。特にラテン系の国の母と息子の関係はヒジョーに強いと。 イタリア、スペイン、、なるほど。 インドもそうである。 一番美味しい食べ物は何か、という感じの質問には、「母の手料理!」と答える人の多いこと。
イラン青年には、お母さんが来たら、食堂に連れて来なさい。ご馳走してあげるよ!と言っていた。ので、青年、早速、お母さんを連れてきた。
小柄で、可愛い感じのお母さんであった。 英語教師をしているとかで、英語も問題なかった。普段無口な青年は、お母さんと一緒で、とても嬉しそうだった。私とお母さんが会話してるときも、じっとお母さんを見つめていた。
インド名物タンドーリチキンをご馳走したけど、支払います、と何度も言うお母さんに、「いえいえ、私は日本人ですから。日本流ではお金を頂きません。」とかテキトーな事を言った。最初から、安くしろだの、何かコンプリメントで出せ、と煩いインド人とは大違い!(笑)
お母さんには、「息子さんが働いてくれるのは、大変にありがたい事だと思っています。マジメで良く気がついて、とても熱心に働いてくれています。お客さんからの評判も大変に宜しいです。」
嬉しいそうに私の話を聞いていたお母さんが、「いろいろな事情で、こうして息子だけここに住んでいますが、私は一時も息子の事を考えない時はありません。離れて暮らしていても、心はいつも息子と一緒にいると思っています。息子は、まだまだ若くて知らない事も多いです。どうか、息子を本当の息子と思って、よろしくお願いします。」
真剣に話すお母さんを見つめながら、青年はジワジワしていた。
食堂の従業員もお母さんに紹介した。 出たがりのセイネンは、妙に遠慮しているかのようだった。セイネンもお母さんを思い出すのかいな。
セイネンのお母さんは、えらく若いらしい。16歳で長男を、18歳でセイネンを産んでいるそうだ。 セイネンがボロボロの携帯を使用していたので、私は誕生日に新しい携帯電話をプレゼントした。それを見て、ボロボロの古い携帯をインド人が捨てようとしたら、セイネンは興奮して、「捨てちゃだめ!インドを出る時にお母さんがくれた携帯なんだから!」と言って。
イラン青年のお母さんは、レイキとかヨガを実践していて、そういうの関心が高いそうだ。食堂に入ってきて、まず最初に、「とてもエネルギーが奇麗」と思ったそうだ。私は青年に「私が毎日、せっせと掃除してる意味わかった?」と笑うと、青年は「なるほどね!」と。
レイキもヨガも、私の中では既に過去のものになってしまったが(笑)まあ、そういう区分けをせずとも、生活がレイキの実践であり、ヨガなんだと思うんですよ、と言ったけど、お母さんにはちょっと通じなかったかな。ま、いいけど。
私は母親になりたいと思った事は一度も無い。いろんな理由で。で、全く後悔もしていない。今後も、誰かをアダプトしたりすることも無い。 母親になるのを選ばなかったのは、単なる個人の選択だと思っている。ケッコンしないのを選択するのと同じように。
そのせいか。私には母性が少ないような気がする。
待てよ? そもそも母性、ってなんざましょ? 受容性?無償の愛? 慈しみ、育てること? 母性とは、母親になったからって得るものでもないしなあ。 生まれた国を遥か離れて、山国で隠遁生活のマネゴトをしてる私が思うに、母性も父性も、それもまた、イリュージョンなのかも知れないのう~。
ところで、日本から、TV番組出演の依頼があった。もちろん、私自身はその番組、観たこと無いわけで。友達に、こんな話があったよ、とメールしたら、暇つぶしにいいんではないか、との回答があり、断らずに、とりあえず製作者とメール交換をしてたら、急にプッツリと返事が来なくなった。人間性でも疑われたか?(爆)私自身は、特にどうでもいいので、そのまま放置してある。 まあ、どうでもイイのですが。
そしたら今度、この国の料理番組から出演依頼があった。TV番組を制作してるというおじさんに、イタリア大使館のイベントで会ったのだが、忘れた頃にやって来たのである。
番組の製作者に、「この国の日本食屋は、日本人料理人もいないし、私たち日本人が日ごろ食してる日本食とは、非常に乖離したものでございます。日本食といえば、寿司、しか思い浮かばない人が多いと思いますが、日本では、毎日寿司など食しません。日本食が世界的にブームなのは、そのシンプルさ、美味しさ、そして健康志向という点かと思います。食材の持ち味を最大限に引き出すのが、日本食の特徴かと思います。私は寿司だけでなく、本来、日本食の持ち味である、そういった特性を紹介できれば、と思っているざます!」
とテキトーな事言ったんだよねえ(笑)いや、番組に出せ、ではなく、私の幻の新メニュ(笑)の話をして、日本食に関してそう言ったのである。敬愛するゴードン先生も、毎度言っているように、産地のもの(新鮮なもの)を使って、美味しい料理を提供したい、と。 だから、海の無いこの国で、敢て寿司は提供しないのだ、と。これは、マジでそう思ってるのだけど。
しかし、アレだ。
私はインド料理とか、日本食とかを取り扱おうとは全く思っていなかった。なんだ、かんだで、こうなっている。特に日本食は範疇外というか、実は良く知らなかったりする。じゃあ、どの料理が一番良く知ってるか、というと、特になかったりする(爆)
まあ、たいした事してないし、これからも多分、しないし、テキトーに面白ければいいのか、とヤケクソな昨今ではある。