宇宙の秩序に調和しながらの煩悩達成日記

自己実現。そうです、願望実現を通して、自己をさらに深く知ってみようという実験の日記ざます!

おかあさん

2013-09-28 12:29:39 | 瞑想にまつわる能書き
秋が深まり、セーターを着用する季節になった。
長い事、季節感の無い国に住み、季節の変わり目の独特な感覚を忘れていたけど、DNAに刻まれているのか何か、頬を撫でる風や木漏れ陽の輝きに、ソレを見出すのである。季節の持つ香り、つうか何か。
つう事で、冬が始まったのである。 寝る際も、羽毛布団にもう一枚、羽毛布団を重ね、マフラー着用になった。寒い冬には、柔らかい毛糸のマフラー。これ、最高!
そろそろコロモ替えしないとなあ。そういえば、夏の間にたまたま水シャワーを使って、気持ちヨカッタので、ずっと継続している。今は気温14℃程度らしいが、まだイケる! 万が一、この国の冬を水シャワーで乗り切る事ができたなら、わたしゃ、覚醒してることでしょう!(爆)真冬はマイナス20℃程度まで下がるのだが、シャワーの水は天井に水槽(あくまで水槽で、タンクというシロモノではない)で貯めてあるシステムなので、凍らないのである。

数日前、イラン人青年が、「お母さんが訪問してくるので、休暇が欲しい」と言ってきた。この青年は、生真面目で砕けたような、ちゃらんぽらんしたところがない。仕事でも、一度注意すれば、必ず教えを守り、同じ事を2度注意されない。 毎日、私がガミガミ言っても、全く聞いてないキッチンのインド人と大違い(爆)
青年は、なんか苦悩が大きいのか何か、明るい表情をあまり見せない。以前、自分の母親は25%ロシア人の血を引いていて、とても冷たい、と言っていた。他のイラン人の母親みたいな大げさな愛情表現が無いのだそうだ。 子供の頃から、自分は母親から愛されていない、とずっと思っていた、と青年は静かに語っていた。

私はそんな青年に、母親は彼女なりの表現方法で、愛情を伝えていると思うよ。とかなんとかなだめたのであった。
息子と母親の関係というのは、娘と母親のソレとはまた違うように感じるのう。私の友人を見ても、息子は特別だったりするケースが多いし、男の友人を見れば、母親への思いが、女性とはまた違うような気がするもの。
誰かが言っていた。特にラテン系の国の母と息子の関係はヒジョーに強いと。 イタリア、スペイン、、なるほど。 インドもそうである。 一番美味しい食べ物は何か、という感じの質問には、「母の手料理!」と答える人の多いこと。

イラン青年には、お母さんが来たら、食堂に連れて来なさい。ご馳走してあげるよ!と言っていた。ので、青年、早速、お母さんを連れてきた。
小柄で、可愛い感じのお母さんであった。 英語教師をしているとかで、英語も問題なかった。普段無口な青年は、お母さんと一緒で、とても嬉しそうだった。私とお母さんが会話してるときも、じっとお母さんを見つめていた。

インド名物タンドーリチキンをご馳走したけど、支払います、と何度も言うお母さんに、「いえいえ、私は日本人ですから。日本流ではお金を頂きません。」とかテキトーな事を言った。最初から、安くしろだの、何かコンプリメントで出せ、と煩いインド人とは大違い!(笑)
お母さんには、「息子さんが働いてくれるのは、大変にありがたい事だと思っています。マジメで良く気がついて、とても熱心に働いてくれています。お客さんからの評判も大変に宜しいです。」
嬉しいそうに私の話を聞いていたお母さんが、「いろいろな事情で、こうして息子だけここに住んでいますが、私は一時も息子の事を考えない時はありません。離れて暮らしていても、心はいつも息子と一緒にいると思っています。息子は、まだまだ若くて知らない事も多いです。どうか、息子を本当の息子と思って、よろしくお願いします。」

真剣に話すお母さんを見つめながら、青年はジワジワしていた。
食堂の従業員もお母さんに紹介した。 出たがりのセイネンは、妙に遠慮しているかのようだった。セイネンもお母さんを思い出すのかいな。
セイネンのお母さんは、えらく若いらしい。16歳で長男を、18歳でセイネンを産んでいるそうだ。 セイネンがボロボロの携帯を使用していたので、私は誕生日に新しい携帯電話をプレゼントした。それを見て、ボロボロの古い携帯をインド人が捨てようとしたら、セイネンは興奮して、「捨てちゃだめ!インドを出る時にお母さんがくれた携帯なんだから!」と言って。

イラン青年のお母さんは、レイキとかヨガを実践していて、そういうの関心が高いそうだ。食堂に入ってきて、まず最初に、「とてもエネルギーが奇麗」と思ったそうだ。私は青年に「私が毎日、せっせと掃除してる意味わかった?」と笑うと、青年は「なるほどね!」と。
レイキもヨガも、私の中では既に過去のものになってしまったが(笑)まあ、そういう区分けをせずとも、生活がレイキの実践であり、ヨガなんだと思うんですよ、と言ったけど、お母さんにはちょっと通じなかったかな。ま、いいけど。

私は母親になりたいと思った事は一度も無い。いろんな理由で。で、全く後悔もしていない。今後も、誰かをアダプトしたりすることも無い。 母親になるのを選ばなかったのは、単なる個人の選択だと思っている。ケッコンしないのを選択するのと同じように。
 
そのせいか。私には母性が少ないような気がする。
待てよ? そもそも母性、ってなんざましょ? 受容性?無償の愛? 慈しみ、育てること? 母性とは、母親になったからって得るものでもないしなあ。 生まれた国を遥か離れて、山国で隠遁生活のマネゴトをしてる私が思うに、母性も父性も、それもまた、イリュージョンなのかも知れないのう~。

ところで、日本から、TV番組出演の依頼があった。もちろん、私自身はその番組、観たこと無いわけで。友達に、こんな話があったよ、とメールしたら、暇つぶしにいいんではないか、との回答があり、断らずに、とりあえず製作者とメール交換をしてたら、急にプッツリと返事が来なくなった。人間性でも疑われたか?(爆)私自身は、特にどうでもいいので、そのまま放置してある。 まあ、どうでもイイのですが。 
そしたら今度、この国の料理番組から出演依頼があった。TV番組を制作してるというおじさんに、イタリア大使館のイベントで会ったのだが、忘れた頃にやって来たのである。
番組の製作者に、「この国の日本食屋は、日本人料理人もいないし、私たち日本人が日ごろ食してる日本食とは、非常に乖離したものでございます。日本食といえば、寿司、しか思い浮かばない人が多いと思いますが、日本では、毎日寿司など食しません。日本食が世界的にブームなのは、そのシンプルさ、美味しさ、そして健康志向という点かと思います。食材の持ち味を最大限に引き出すのが、日本食の特徴かと思います。私は寿司だけでなく、本来、日本食の持ち味である、そういった特性を紹介できれば、と思っているざます!」
とテキトーな事言ったんだよねえ(笑)いや、番組に出せ、ではなく、私の幻の新メニュ(笑)の話をして、日本食に関してそう言ったのである。敬愛するゴードン先生も、毎度言っているように、産地のもの(新鮮なもの)を使って、美味しい料理を提供したい、と。 だから、海の無いこの国で、敢て寿司は提供しないのだ、と。これは、マジでそう思ってるのだけど。

しかし、アレだ。
私はインド料理とか、日本食とかを取り扱おうとは全く思っていなかった。なんだ、かんだで、こうなっている。特に日本食は範疇外というか、実は良く知らなかったりする。じゃあ、どの料理が一番良く知ってるか、というと、特になかったりする(爆)
まあ、たいした事してないし、これからも多分、しないし、テキトーに面白ければいいのか、とヤケクソな昨今ではある。

ケンイチ~! 堂々の優勝でござんす!

2013-09-19 14:09:56 | 瞑想にまつわる能書き
わーい!

毎週楽しみにして鑑賞していたTV番組、America Got Talentで、ケンイチが優勝したぞな!
パフォーマンスの緻密さ、正確さ、ストーリー性、ケンイチのシャープなダンス。まったくもって、個性的!素晴らしかったぞう。

ケンイチは流暢に英語を話せないのが幸いして(笑)淡々としていたのが、とてもヨカッタ!
決勝で、Mel Bという審査員(元スパイスガール)が、多少難癖をつけたけど、ケンイチは淡々と微笑みながら聞いていた。パフォーマンス前のプロモで、ケンイチは「審査員のコメントを聞くのが興味深い」ような事を言っていた。

私はこういったリアリティTV番組系が好きなんだけど。The Voiceつうのも面白かった。北米版と英国版、両方見たね。んで、特に米国版って、参加者が何かしらの不幸を前面に出して、「XXXだけど、私はそのためにガンバる!」とか、苦難を乗り越え、栄光に向かうワタクシ!! つうのを前面にこれでもか!って押し出しているのよね。
これが毎回なんで、ちょびっとウンザリ気味でござんす。
そういや、The Voice米国版にJudith Hillという母が日本人、父がアフリカ系アメリカ人の歌手が出場していた。この人、マイケル・ジャクソンの最後の歌のパートナーだった人。抜群の歌唱力でござんした。んでもって、不思議な雰囲気を醸し出しておりやした。

自己主張が激しい人々の中、一般人に訴える不幸話も無いケンイチ。新鮮でござんした。オリンピックとかの国際試合では、もちろん日本を応援するけど。 ケンイチは日本人というよりも、その圧倒的なパフォーマンスに感動したんである。
素晴らしいパフォーマンス!それの演技者が日本人だった、という事で。 38歳という年齢はパフォーマーとしてはどうなんだろうか?
ケンイチ、決勝のパフォーマンスの後、汗ひとつかかずにインタビューに淡々と答えていた。しかも、ジャンプスーツのような、暑苦しいいでたちで踊っていたんである。不思議な人だ。
インタビューでも多少語っていたが、今後、ディレクションつうか、演技指導?ダンス指導?に方向に進むのかな、ケンイチ。
いやあ、すんごい人がいたもんだ。 私はケンイチの優勝が、素直に嬉しい!!

ケンイチ! 来週の決勝、コーカサスの山奥から応援してまっせ!

2013-09-13 12:51:02 | 瞑想にまつわる能書き
果たして、娘は結局来なかった!!
意思の疎通が取れなかったので、何が原因か見当もつかない。身分証明の提出、がイヤだったんだろうなあ、という気はする。
イキナリやってきてみたら、ガイジンがいて、見知らぬ娘に「治療してあげる!」なんて言い出すので、困惑したのかも知れない。 娘との交渉(笑)を担当していた常連氏によれば、インド人の篤志家が治療をオファーしたのさえ、理解してないんじゃないか、と。
まあ、何にせよ、娘が来ないという結末になったけど、私は私自身も含めて、その場にいた人々の反応が興味深かった。なんか、ホッとしたような、寂しいような(笑)妙なキモチではある。

秋はさらに深まり、青空市場にはブドウがたくさん並んでいる。私は別にぶどう好きではないが、旬のものを食するのもいいかと思って、毎朝のスムージーは、ビーツ、ぶどう、プルーン、出回り始めたりんご、が主役。
まもなく、市場に「山の野生きのこ」が登場するのだが、とても楽しみにしている。

ネットのプロバイダーを変えたら、接続度というかシグナルがよく拾えるようになって、Youtubeが見れるようになった!
この国はネットって、USBみたいのをプロバイダーから買ってPCに挿入して使うです。ルーターも無いことはないが、とても高額なんである(取り付け費用が高い)。

秋はどんどん深まり、冬に向かいつつある。 今年の冬も雪が少ないといいのになあ。今から激寒の冬の事を考えると、気が重いったらありゃしない。 ので、なるべく考えないようにしよう。

今、毎週楽しみにしてる北米のTV番組、America Got Talentを見た。 素人(といっても、みんなスゴイ)がオーディションを通して勝ち抜いていく番組。リアリティ・ショーってやつ。
全米予選を勝ち抜いた 最終6組。 ジャグラー(マジシャン?)、歌手(ポップス、オペラ、カントリー、ETC)、体操みたいなパフォーマンス?、ヒップホップダンス? いろんな人が登場していた。
中国人が、背の高い一輪車に乗って、つま先と頭におわんを載せ、つま先のおわんを蹴り上げて、頭の上のおわんに見事命中、とかいう「いかにも中国的」なパフォーマーもいた。おばちゃんだった。 素朴なおばちゃんで好感が持てたけど、残らなかったのう。

そこに、ケンイチ、という日本人パフォーマーが登場した。 ロボットダンスなのか、ヒップホップなのか、なんというか全部混合したダンスで映像とも合体させて、とても新鮮であった。審査員からは、最初から「あなたが優秀するで!」と大絶賛されていたのだ。
ケンイチ、38歳だそうだ。 小柄で淡々としていて、不思議なプレセンス。おおげさなアメリカ人の中にいるせいか、淡々としたケンイチの放つパフォーマンスは、もう、次世代パフォーマンスなのか何なのか。

私はこういう素人参加番組好きだけど。 America Got Talentは英国版もあって、最近終了したばかり。 微妙に英国と米国で勝ち残る要素が違ってて、これもなかなか面白い。
セミファイナル以降は、視聴者の投票で勝敗が決まり、審査員が選択するのではないのだ。
ケンイチが英国版に参加したら、たぶん、勝ち残らなかったような気がする。 今年の英国Britain Got Talentの優勝者は、「人間影絵」のルーマニア・グループ。 予選から見てたけど、圧巻であった。下馬評とおり、このグループが優勝。 そのすんばらしいパフォーマンス、私はYoutubeで何回も見たもんねえ。

来週、ファイナルだそうだ。 ケンイチのパフォーマンスが楽しみでございます! 毎週、全然違うコンセプトで登場。素晴らしい!以外の表現がみつからないのである。

簡単と思えば簡単、困難と思っても簡単(笑)まずは実行すればイイのである。

2013-09-06 16:39:23 | 瞑想にまつわる能書き
9月2日の夜、掃除のおばちゃんに「明日、11時(開店時間)に娘が初出勤してきます。最初なので、教えてあげてください。娘はしばらく2時間しか働きません。その間、おばちゃんは、2時間遅れて(娘と交代)出勤ください。なお、給与は同じです。娘は障害があって会話ができませんから、そこんとこヨロシク。
と常連さんに通訳してもらった。

おばちゃんは、「障害のある人でも、大歓迎です。この職場は暖かくいい環境なので、新人もきっと気に入ると思う。言葉が話せないなら、私たちみんなで手話を学びましょう!」という大変に前向きの返答をいただいた。まあ、店主の私へのお世辞も相当盛り込んであったが(笑)

おばちゃんは、既に娘の存在をセイネンから聞いて知っていた。おばちゃんいわく、「セイネンは、ザラみたいな子なんだ。とても美人だ。可愛いんだ!」と相当盛り上がってると言っていた。 ザラとは似ていないがwww なんつうか、素朴系、純朴系というとこで似てるといえば似ている。セイネンは「女」ではなく、「少女」がお好みの模様。ま、どうでもよい。

昨夜、厨房でせっせとユニフォームのコック服をセイネンが洗濯していた。 普段は、掃除のおばちゃんが洗濯して干している(この国には、クリーニング屋も滅多にない。食堂からの徒歩圏内には無い)のだが、セイネンは翌日、娘が来るってんで、張り切って自分で洗濯してるんだ、とおばちゃんが笑いながら教えてくれた。



そして。
娘がやって来た。 掃除のおばちゃんに指導してもらう前に、多少なりともバックグラウンドを知る必要があるので、常連さんに通訳を依頼。私が常連さんに話して、それを常連さんがおばちゃんに伝え、おばちゃんが筆談、というややこしい形態となった。

娘は読み書きができるかと思いきや、常連さんいわく、簡単な単語しか知らず、例えば「治療」といった単語は理解していない、との事。そういうわけで、筆談によるコミュニケーションは、難航を極めたのである。

私といえば、「いつから障害を持ったのか。先天性なのか後天性なのか。」という質問をしたあと、おばちゃんと常連さんが、ああでもない、こうでもないと話してたが、当然、私は意味がわからないので、見学しててもつまんないので(笑)おばちゃんに替わって、朝の定番の掃除、を開始したのである。 暇だとはいえ、開店準備はしとかないとねえ。

黙々と掃除しながら、時折、常連さんに「新しい情報は入りましたか?」と聞く。難航を極めたインタビューでも、多少の情報はゲットしたそうで。
いわく


-障害の原因は、実父による暴力。実父はアル中である。
  (あれ?確か、他界してると言ったような???)
-姉妹が一人いるが、モスクワに住むおばさんと暮らしている。
-両親は、山のふもとの村に住んでいる。
-学校は6年生までしか行ってない。
  (6年生まで学校に行ってれば、読み書きはできるんではないかい???)
-パスポートは持ってるので、次回、身分証明としてコピーを持参する。
-父親の名前は知らない。
  (そんな事有り得ないだろー、とおばちゃん疑いを深める)
-手話も習ってないので、理解できない。
-次に仕事に来れるのは、日曜の午後2時から4時の間。
  (こういう細切れで働けるとこは無い。当食堂もしかり。んが、聞きたい事も残ってるし、再度来てもらうことにした。)


という感じ。 聴覚を失ったのが14歳なら、その後どうしていたのか、という質問には答えない。身元を割りたくないのか何か。個人情報に関することは、黙秘(爆)


娘へのインタビューの最中に、娘のファンになったプラカッシュ登場!(笑)彼はいっつもテンションが高いのである。
おばちゃんが、頼んでもいないのに、「TV番組で、困った人を助ける番組があるから、それに応募してみたら?」とか言い出した。常連さんの通訳で知ったのだが。 私とプラカッシュは「No! No,NoNo---! 見世物じゃないんだし。そげな事に協力する気はないよ!」とおばちゃんに質問を中止するように言う。


質問が、娘が同居してるという人に及ぶ。誰か第三者を探し出して、娘に替わってコミュニケーションしよう、という意図から。 
おばちゃんったら、娘に 「ところで、あなたは処女か?」と聞くではないか! 私は声を荒げて、
「そげな事、どーーーーだっていいし、私は全く関心ないし。聞かなくていいんだってば、そういう事!」
まったく、この国らしいというか何と言うか。 処女、ねええ(笑) 処女でケッコンして、一生幸福に暮らす、なんつうのはイリュージョンそのものなんだよ、おばちゃん!と説教しても意味もないので、しないけど。


プラカッシュは、処女かどうかの質問が出た際、「このおばちゃん、つまみ出せ!」と息巻いていた。プラカッシュは続けて、「とにかく、医者、医者! 医者に行ったかどうか聞いて!」
おばちゃんが、モゴモゴしてると、プラカッシュは、「金の事なら心配要らん! 俺が全部出す!」と。  
それを受けて、おばちゃんが、「私だって暮らしが大変なのに。。」としきりに言っていた、と常連氏。


ちょうどその際に、インド人の駐在員がランチを食べに来ていた。 「あ、雇うことにしたの? この前の言ったけどさー、医者に診せるなら、俺、費用持つからさ。そん時は教えてよ。」
それを常連氏に話すと、彼は顔を曇らせて言った。

「この国の人、みんな貧乏で大変だからさ。娘一人が援助受けるとなると、嫉妬とか波風立ちますよ~。あまり言わない方がいいんではないですか?どのみち、援助なんつっても、多少お金ある人の自己満足に過ぎないじゃないですか?」と。



私は答えた。
人生、全てが自己満足です。 それでも助けないより、助けたほうがマシです。 誰か一人が援助されるのを周囲の人が妬むとしたら、その妬みは、カルマの原理で、妬んだ人に戻っていきます。
どんなに苦しくても、ヒトサマの幸運を喜ぶ気持ちを持ってもらうたいと私は思うのです。


その後も、常連氏は続ける。 例えば、娘の同居人も障害があるって言うじゃないですか。そういうのって、同居人が嫉妬したりしたら、娘が暮らし難くなるじゃないですか、と。

私は、「んな事言ってたら、この国中の障害持つ人助けにゃいかんでないの。大体、公平さ、なんつうのは存在しないと私は思う。 世界は不公平に出来てる。言い方を変えれば、人ひとりが、違う色を持ってるでございます。個性、つうんですか。個人のカルマと申しましょうか。

貴殿は、この国の人のメンタリティを考慮せよ、というけど、結局、考慮したら、全員に援助するか、全く何もしないか、になっちゃうじゃん。公平、を掲げるならばね。
私はこの国の人でもないし、この国の人のメンタリティも理解してない。だから?メンタリティつうのも、究極、幻想なんであるよ。あなたがそう思うから、ソレが存在するように思うわけで。 私にはそういうメンタリティは存在しない。私には「無い」んです。この国のメンタリティ、ってやつが。 無知というなら、それも良し。


私は自分の信じる事を実行するのみ。従業員にしても、私なりに気は遣ってる(爆)けど、それが足りないと従業員が思うなら、しょーがないよね。 
おばちゃんにしても、生活苦しいかもだけど。 私も苦しいよ(爆)苦しさは比較できないけんどもね。 

おばちゃんは、ケッコンして孫もいて家もあって、とりあえず健康じゃん。でも、娘は、聞こえなくて、話せなくて、読み書きも満足に出来ないわけで。将来の見通しというか、人生の可能性が現状、とても狭いわけで。

後天性による聴力障害なら、手術で直る可能性もあるそうだから。
インドの篤志家のみなさんが(笑)聴力が取り戻せるならば、手術費用を負担しよう、と言ってくれてるのは、娘が可愛いつうのも、もちろん大きな要因だけど、娘の将来の選択肢が増えるならば、と言うことで協力したいんだと思う。 誰にも、ヒトサマの役に立ったら嬉しい、というDNAが埋め込まれてると私は思うのです。それが偽善でも自己満足でも何でも、娘が聴力を取り戻す事ができるなら、私はそれでイイと思う。


波風を立てないよう、という常連氏の意図もわかるが、私は波風が立ったほうがいいと思う。この国のシステムの犠牲とは言わないまでも、なんか変だしさ、この国(笑)
娘に関しては、ま、シンデレラストーリー、というか。 白馬に乗った王子様が街にやってきても、通常、妻に娶るのは一人なんだからさ。いいじゃん。選ばれなかった自分を嘆くより、選ばれた人の幸福を祈る人になれ!  なろうと思えばなれる。それが徳を積む、ってんじゃないっすか?(意味不明)


私と常連氏が「援助のあり方」に関し、論議を展開してる一方で、セイネンは浮かれまくり(爆)まあ、単純というか何と言うか。 
セイネンは調理場でおばちゃんたちと終日一緒なので、いろんな事を語ってらしい。 おばちゃんいわく、セイネンは「娘をインドに連れてってケッコンする!」としきりに口走ってるそうだ。

セイネンの口からは、ケッコンの言葉がしょっちゅう出てくる。これ、セイネン的には恋愛=ケッコン、なんであるね。セイネンの故郷、ラジャスタン州の田舎の方では、ケッコンが生涯最大のイベントなんだと。で、一説によると、セイネンは未来の新妻のために、「童貞」を保存している?んだそうだ。


え?
えええーーー??



って、彼、27歳じゃなかったっけ??? 有り得るんですか?そういうの。。。
世の中、イロイロである。今も当然ながら、若い頃の自分を考えてみても、「童貞」をプレゼントされたら・・・・考えられないが(爆)嬉しい贈り物ではない。 もしかしたら、修行に出すかも知れないなあ(爆)経験をたっくさん積んで来い、と。  あれはね、練習して上手になるんですよ? 何でも練習が大切っす。




夜に現れたプラカッシュ。 ネットで何か検索してたと思ったら、「これだ!」と言って、何かのNGOのページを読んでいた。「ああ、ここって、何時に電話してもOKらしいから、電話してみたら?」というと早速電話。

「やった!明日、娘の件で会ってくる。で、日曜には医者を連れてこれるかも!」と。
プラカッシュがNGOのホームページを読んで、「これは娘にピッタリだ!」と興奮してたら、エマ嬢が、「私の母親も聴力障害なの。」と言うと、プラカッシュ、「あ、それは別! 単に年なんでしょう。」と素っ気無い。 エマ嬢、「違う!25年前に手術して・・・」プラカッシュは話も聞かず、「それとこれとは別!」

私はエマに、「あのね。あなたが成功して、お母さんに手術でも何でもしてあげればいいの。あなたはきっと成功するから、大丈夫。」というと、気丈なエマの瞳に涙がたくさん浮かんでいた。

行きかう人々が織り成す曼荼羅

2013-09-04 11:56:42 | 瞑想にまつわる能書き
夏は終わり、私の越冬用の野菜の買出しも終盤である。
トマトがまだ安いので、30キロとか購入し、トマトピュレとケチャップを自家製で作っている。ガス代を考慮しても、自家製が安いのだ。

昨日も青空市場で物色していた。今回はたまねぎを購入予定であった。50キロの袋をゲット。かなり安くなった。 毎回購入するたまねぎやじゃがいもを、卸売り業者から直接購入して配達してもらう、つう事を当然考えたが、「仲介業者」の概念が無かった(笑)それに、デリバリーサービスの概念もあまりない。デリバリーしてくれるのは、飲料水とビールのみ。
ので、こうして市場へ足蹴く通う必要があるのであった。


*アリゾナに行ったときに、吊るし干ししてあった赤唐辛子が素晴らしかった!Youtubeでやり方を発見して、
私もチリを吊るしてみた。 きれーーい!!




当然、購入したものは重いので、私が自力で駐車場に待たせてあるタクシーまで運ぶのは困難。市場には、大量の野菜購入用に、「リヤカーとそれを押す人」がいる。もちろん、有料。
先日、リヤカーを探していたら、ハンデキャップのリヤカー押し人がいた。目は超より目、で接近したものしか見えないらしい。言葉は話せない模様。手足は重度の障害があるが、なんとかリヤカーは押せる模様。
市場で働いているので周りの人は知り合い、という感じ。 彼の押すリヤカー(とんでもないボロ)が、ガタガタの地面の穴に、よく落っこちて、動けなくなる。すると、どこからともなくオッサンが現れて、ワーワー言いながら、リヤカーのタイヤを穴から出すのであった。
周りの人たちは、リヤカーが穴に落ちればハンデキャップの人を助けてはいるが、とりたてて世話を焼いてる様子もなく、ハンデキャップの人は、そのままで、市場の風景に溶け込んでいる。


私はこうした情景に不慣れなため、ハンデキャップの人が荷物タクシーのトランクまで運んだ後の支払いを、通常の5倍も払ってしまった。といっても、たいした金額ではないけど。
ハンデキャップの人は、くしゃくしゃの顔をさらにくしゃくしゃにして喜んでいた。話せないせいか、不自由な手をブンブン振ってバイバイ、と言ってくれた。
私は深いため息をつきながら、タクシーの後部座席に座り、食堂の住所を告げる。

私が行く市場には、こういうリヤカー押しが必ずいる。私の購入するものは米だとか、食用オイルとか重たいものが多いので、必ずリヤカーを利用する。リヤカー押しの人は、とても年老いたおじいさんとか、ハンデキャップの人とかである。市場から駐車場なので、20m程度の距離ではある。たいした重労働ではない。同情するほどでもない。

が。
この国に住んで、この歪んだシステムの中では、いわゆる底辺の人は大げさでなく、死ぬしかない、感じなのである。どこからも救いの手もなく、救援もない。社会自体がビンボーなので(笑)みんな似たり寄ったりで大変なんだと思う。
欧米社会にあるような、富裕層が貧しい人に施す、という図式はここにない。 富裕層が無い、というわけではないが、極端に少ないし、施す対象が莫大過ぎて(国民のほとんど?)どうにもなんないのかもなぁ。

でもさ。そんな難しいことなど考えずに、目の前にいるこの人に、私は多少なりとも与えるものがあるのだから、与えればいいのではないか。そう思うことにしている。 リヤカー押しの人には、菓子パンをあげたり、いろいろ与えさせていただいているのであった。
善人になりたいシンドローム?(爆) まあ、なんでもいいやね。


9月2日、当地のアメリカン・ユニバーシティの始業式?のケータリング。
エマ嬢はサリーを来てご機嫌! となりはセイネン。






で。

9月3日、昨日、娘は来た!

どうも遠いところにある家をを売って、エレバン市街地に家を購入するそうだ。でも、両親はいないと。今は、空港近くの食堂の洗い場で働いてる友達のところに住んでいる、と。
午後3時までしか働けないのは、その友達の子供の世話をしてる(シッター)から、と。家を購入して友達の家から出たら、フルタイムで働ける、と。

娘はランチの時間に来た。まあ、いつも暇なんだけども。常連のインド人がいて、彼だけはランチを食べにしょっちゅうやってくる。そのインド人常連に娘の事を話すと、「ふーーん」
みんな可愛いって騒いでるよ、というと「別にそうでもないじゃん。」と言っていた。常連は同僚のインド人とランチを食べながら、カウンターに座っていた娘を見ていた。
私とエマ嬢、にぎやかなプラカッシュで娘を囲んで話をしていた。なぜか、私のビジネスパートナーも登場。 事情を話すと、「ふーん。ホントかね、その話。」と。 で、娘に積極的に話しかけてみたパートナーではあったが、彼のアルメニア語を、娘は読み取れなかった模様。
「まあ、あなたの好きにしたら。」とか彼は言っていた。

インド人の常連客は帰り際、娘のそばにやってきて「あのさ。俺の家はもう掃除のおばちゃん雇っちゃったし。仮に若い娘を掃除婦として雇い入れるて、何か近所の人に誤解されても困るし(彼は単身赴任)。でも何か金銭的な援助ならできるから、なんでも言ってけろ。」と言っていた。

娘は木曜に来ることになった。

娘が帰ってから、他の常連が来た。こんなことがあったんだよーと娘の話題で盛り上がる。
プラカッシュいわく「インド映画みたいだよね!娘は可愛くって純情でさ。で障害持ってて、それでもひまわりみたいに可憐でさ。親もいない、という不幸もあるのにね。」
プラカッシュは続ける。
「あのさー。金の事は心配要らないからさ。木曜、娘を医者に連れてこうぜ。で、精密検査をするの。もし、手術か何かで話せるようになる可能性があるなら、俺、インドに連れてって、手術受けさせるよ!ほんと、インド映画みたいだよなあ!」
木曜、エマ嬢はインド大使館でヒンディー語のレッスンがあり、娘が食堂に来る時間には来れない。そこで、もう一人の常連の人に「ね。あなた来て。娘と筆談の必要があるからさー。木曜、エマがいないし。お掃除のおばちゃんは読み書きできるけど、私とコミュニケーションできないもん。来て来て! お昼ごはんにカレーおごるからさ~。」

とりあえず、娘には開店時間に来てもらって、食堂の内外の掃除をしてもらおうと思う。で、掃除のおばちゃんは3時間遅く来てもらう。おばちゃんの日当は同じ。下げるわけにはいかないよねえ。。 
娘の日当分が、「余計な経費」になるけど、それくらいは営業で頑張って捻出できるかなあ。

娘が医者に診て貰うのをOKするかどうかわからないが、娘の障害が、手術で治るといいなあ、と単純に思う。