今回の旅の最大で1個しかない目的は、アルチャナラ山のパワーに触れる、であった。

山というか、チェンナイ空港に降り立った瞬間、今までに感じた事のない「同一感」みたいのを感じて、既に心地良かったのである。 空港からホテルまでの4時間の道中、目にする光景は、なんとも懐かしい感じがした。もちろん、初めて目にする南インドの風景、である。
さて、山にでも登ろう。
アルチャナラ山は、ホテルの側。というか、このティルバナマライの街のどっからでも、そのありがたいお姿を眺める事ができるのだが。いったい、登山口はどこ?宿泊ホテルは、街の中心から離れていた&ホテルから幹線道路に出ると、そこは「サドウ・ストリート」で、ちょっと出かける気が起きない。
ネットで検索して、旅行者から絶賛されてる山登りガイドを発見。早速電話した。「あのー。明日の朝、アルチャナラ山に登りたいのですがー。」ガイドは、明日は自分は他の仕事が入ってるので、代わりのガイドをよこします。はい、午前4時にホテルにお迎えにあがります。ええ、モト(オートバイのこと)にてお迎えに上がります。料金は1,500ルピー。
私は日本人ですから、「山頂で朝陽を眺める」つうのが、DNAに深く刻まれておりまして(笑)
山登りする機会があれば、できれば、山頂から御来光を拝みたいのでございます。そういうわけで、ピックアップは午前4時。 登頂には2時間半、と言われたのでございます。
午前4時。時間通りにホテルのゲートでピックアップを待つ。辺りは真っ暗。空には星がいーっぱい。ちょーっと寒いかな、という温度。まあ、登ってるうちに温かくなるでしょう。
お迎えが来た。バイクの後ろに乗るなんて、何十年ぶり。あまり好きではないぞ。ガイドの兄ちゃんは、ブンブン飛ばし、ヘルメットも装着しないので、私はちょっと恐怖を感じたのでした。
街の端っこみたいな住宅街を抜けて、そこから登山開始。真っ暗だったので、ガイドが渡してくれた携帯の明かりで足元を照らしながらの登山。ガイドは懐中電灯使用。山頂で御来光を眺めたい人は滅多にいないそうで、もちろん、登山客は私ひとり。
とにかく真っ暗で先は見えないので、足元を照らしながら、ただ足を進めていった。アルチャナラ山は岩石の山で木が生えていない。足元は岩なので、案外、登りやすかった。
私は海抜0mの場所に長く住んでるせいか、高低差がとても苦手である。ネパールのトレッキングでは、5分置きに休憩しないと、心臓が破裂しそうなほど、呼吸が早くなり、かつ、呼吸が間に合わない感覚に襲われたものである。あれは5年以上前のことで、当時、私はヨガを日課にしていて、ヒジョーに健康的で、体力にも自信があったのである。
今は、走るのさえ、やっと再開できた、というような老衰ぶり(笑)果たして、いくら低い山とは言え、この高低差、大丈夫かな?と多少の不安があったのである。
辺りは暗闇で先が見えない。足元だけを照らして、一歩一歩進むことしか考えない。先が見えないと、考えないもんであるね。どれくらい急なのか、も先が見えないので分からない。とにかく、足元しか見えないのである。
ガイドは、このアルチャナラ山は、シバ神そのもの、とか言っていた。あ、そう。
しかーし。確かに波動が違う。ぜーんぜん、違う。なんか妙な安心感のような、包まれてるような、護られてるような、そんな感じがしたのである。私以外の何かとてつもない大きなパワー。そういうのを感じたのである。でも全く、違和感が無く、私はその偉大なパワーの端っこで同化したような、そんな感覚を感じながら、一歩、一歩、先に進んでいったのである。
しばらくすると、急に視界が開ける。朝を待つ街並み。 インド人はプージャ(お祈り)にかまけて、他に何もしない、というエッセイを読んだが、ほんと、その通り。プージャ等は、非常に熱心である。ので、夜明け前、あちこちから賑やかにバジャン?だか何だか、歌のようなお祈りの声が、あちこちからこだましていた。ナマケモノと思われがちなインド人、結構、早起きしてお祈りにいそしんでいるのである。

真っ暗、なんです。

休憩して、そんな目覚める街並みを眺める。この街は、有名な寺院があるせいか、商店に酒も置いていないし、私の滞在するホテルにも無い。ガイドの若者は、父親は無く、妹と母と3人暮らし、と言っていた。街で見かける人の2割くらいは裸足だし、車だって無い。バイクが主要な足である。物価も安い、地元民の利用するであろう食堂は、バナナの葉っぱ、が出てくる。女性は100%サリー着用で、頭に物をのっけて運んだりしている。
私の経験した「近代化」を見るのは携帯電話くらいだ。そして、人々も家族を大切にし、毎日、お祈りを欠かさず、アルチャナラ山に見守られて暮らしている、そんな感じだった。

南インドの偉大さ(笑)は、何でも受け止めるキャパシティにあるような気がした。道路にはサドウが横たわり、野生の猿が寝てるサドウの上を走り周り、裸足の人が街道を急ぎ、その脇を3人乗りのバイクが疾走する。牛が大きな荷車を引いて、鈴の音を鳴らしながら道の中央を通り過ぎていく。何でもアリ、なのであるね。
山頂を目指しながら、ひたすらに一歩一歩を進める。ガイドが休憩を提案するが、私は立ち止まると寒くなるので、休まずに歩み続けるのを選んだ。先が見えないので、いったいどのくらいで山頂か、は全くわからなかった。
意外にも私の心臓はバクバクしなかった。あのネパールであんなにへばったのは?なんだったのだ?汗をかくわけでもなく、心臓がバクバクするわけもなく、ある意味、快適に山登りを続行していたのである。
これ、凄いかも知れない?
そうこうしてるうちに、視界が明るくなってきた。その頃は、ほぼ9合目。山頂近く。見下ろせば、なんと急な斜面。私、こんな斜面をもくもくと登ってきたわけ?

雲海の向こうに、少しずつオレンジの色が増し、太陽が顔を出した。眼下には、ティルバナマライの街が一望。下から見ると、大変そうなのに、登ってみたら、楽勝!!という経験は、初めて、である。

足元以外の、「先」が見えない。
ので、あとどれくらいだとか、斜面が急だとか、そういう「今以外」に全く思考が分散しなかったのだ。見えないから、考えようがない。足元の岩だけ確認しながら足を進めるしかないのである。
これ、視界がはっきりしていたら、先が長いとか、斜面が急だとか、いろいろ情報が入ってきて、ああー、そんなに歩けないよう、という感じで疲労を呼び起こすのかも、と思ったねえ。

そうかー。これが今に生きる、つう事かー。

御来光。

とても美しかった。

ありがたいアルナチャラ山は、私にそういう事を教えてくれた。下山しながら、登った山を振り返るたび、こんな急な斜面を休憩もせずに歩いた自分が、奇跡の人に思えた(笑)

ちょっと振り返って、ひぇー!

ココをあっという間に登り切ったのよー。

ちなみに2時間半、と言われた登頂時間、私は90分でした。
そうそう。明け方で涼しい、という事もあったが、私は全く水を必要としなかった。水筒は持参していたけど。下り終えた頃、ガイドに水をあげたが、私は汗もかかなかったので、水を欲する事もなかった。

ただ、急斜面を降りてきたため、太ももにとっても負担がかかってるのは、下山しながら感じていた。

偉大なるラマナ・マハリシ大師が瞑想していた、という洞窟が山のふもとにある。登山の際は真っ暗だったので、下山の時に行きましょう、って事になっていたが、私は下山するやいなや、私のハートは、ホテルの美味しい朝ごはん!でいっぱいになり、マハリシ大師の瞑想洞窟、なんかパスしちゃった(笑) 今でもマハリシ大師の瞑想波動が残り、素晴らしいエネルギーに満ちてる洞窟だそうだが。結局、その後、私はその洞窟を訪れる事も無かった。
そして、下山してから帰国するまで、太ももの激しい筋肉痛!でヨガもできず、ホテルから外に全く出る事もなかったのでございます。
このために、まっすぐホテルに戻ってきた!
南インド朝ごはん!

おかわり!

山というか、チェンナイ空港に降り立った瞬間、今までに感じた事のない「同一感」みたいのを感じて、既に心地良かったのである。 空港からホテルまでの4時間の道中、目にする光景は、なんとも懐かしい感じがした。もちろん、初めて目にする南インドの風景、である。
さて、山にでも登ろう。
アルチャナラ山は、ホテルの側。というか、このティルバナマライの街のどっからでも、そのありがたいお姿を眺める事ができるのだが。いったい、登山口はどこ?宿泊ホテルは、街の中心から離れていた&ホテルから幹線道路に出ると、そこは「サドウ・ストリート」で、ちょっと出かける気が起きない。
ネットで検索して、旅行者から絶賛されてる山登りガイドを発見。早速電話した。「あのー。明日の朝、アルチャナラ山に登りたいのですがー。」ガイドは、明日は自分は他の仕事が入ってるので、代わりのガイドをよこします。はい、午前4時にホテルにお迎えにあがります。ええ、モト(オートバイのこと)にてお迎えに上がります。料金は1,500ルピー。
私は日本人ですから、「山頂で朝陽を眺める」つうのが、DNAに深く刻まれておりまして(笑)
山登りする機会があれば、できれば、山頂から御来光を拝みたいのでございます。そういうわけで、ピックアップは午前4時。 登頂には2時間半、と言われたのでございます。
午前4時。時間通りにホテルのゲートでピックアップを待つ。辺りは真っ暗。空には星がいーっぱい。ちょーっと寒いかな、という温度。まあ、登ってるうちに温かくなるでしょう。
お迎えが来た。バイクの後ろに乗るなんて、何十年ぶり。あまり好きではないぞ。ガイドの兄ちゃんは、ブンブン飛ばし、ヘルメットも装着しないので、私はちょっと恐怖を感じたのでした。
街の端っこみたいな住宅街を抜けて、そこから登山開始。真っ暗だったので、ガイドが渡してくれた携帯の明かりで足元を照らしながらの登山。ガイドは懐中電灯使用。山頂で御来光を眺めたい人は滅多にいないそうで、もちろん、登山客は私ひとり。
とにかく真っ暗で先は見えないので、足元を照らしながら、ただ足を進めていった。アルチャナラ山は岩石の山で木が生えていない。足元は岩なので、案外、登りやすかった。
私は海抜0mの場所に長く住んでるせいか、高低差がとても苦手である。ネパールのトレッキングでは、5分置きに休憩しないと、心臓が破裂しそうなほど、呼吸が早くなり、かつ、呼吸が間に合わない感覚に襲われたものである。あれは5年以上前のことで、当時、私はヨガを日課にしていて、ヒジョーに健康的で、体力にも自信があったのである。
今は、走るのさえ、やっと再開できた、というような老衰ぶり(笑)果たして、いくら低い山とは言え、この高低差、大丈夫かな?と多少の不安があったのである。
辺りは暗闇で先が見えない。足元だけを照らして、一歩一歩進むことしか考えない。先が見えないと、考えないもんであるね。どれくらい急なのか、も先が見えないので分からない。とにかく、足元しか見えないのである。
ガイドは、このアルチャナラ山は、シバ神そのもの、とか言っていた。あ、そう。
しかーし。確かに波動が違う。ぜーんぜん、違う。なんか妙な安心感のような、包まれてるような、護られてるような、そんな感じがしたのである。私以外の何かとてつもない大きなパワー。そういうのを感じたのである。でも全く、違和感が無く、私はその偉大なパワーの端っこで同化したような、そんな感覚を感じながら、一歩、一歩、先に進んでいったのである。
しばらくすると、急に視界が開ける。朝を待つ街並み。 インド人はプージャ(お祈り)にかまけて、他に何もしない、というエッセイを読んだが、ほんと、その通り。プージャ等は、非常に熱心である。ので、夜明け前、あちこちから賑やかにバジャン?だか何だか、歌のようなお祈りの声が、あちこちからこだましていた。ナマケモノと思われがちなインド人、結構、早起きしてお祈りにいそしんでいるのである。

真っ暗、なんです。

休憩して、そんな目覚める街並みを眺める。この街は、有名な寺院があるせいか、商店に酒も置いていないし、私の滞在するホテルにも無い。ガイドの若者は、父親は無く、妹と母と3人暮らし、と言っていた。街で見かける人の2割くらいは裸足だし、車だって無い。バイクが主要な足である。物価も安い、地元民の利用するであろう食堂は、バナナの葉っぱ、が出てくる。女性は100%サリー着用で、頭に物をのっけて運んだりしている。
私の経験した「近代化」を見るのは携帯電話くらいだ。そして、人々も家族を大切にし、毎日、お祈りを欠かさず、アルチャナラ山に見守られて暮らしている、そんな感じだった。

南インドの偉大さ(笑)は、何でも受け止めるキャパシティにあるような気がした。道路にはサドウが横たわり、野生の猿が寝てるサドウの上を走り周り、裸足の人が街道を急ぎ、その脇を3人乗りのバイクが疾走する。牛が大きな荷車を引いて、鈴の音を鳴らしながら道の中央を通り過ぎていく。何でもアリ、なのであるね。
山頂を目指しながら、ひたすらに一歩一歩を進める。ガイドが休憩を提案するが、私は立ち止まると寒くなるので、休まずに歩み続けるのを選んだ。先が見えないので、いったいどのくらいで山頂か、は全くわからなかった。
意外にも私の心臓はバクバクしなかった。あのネパールであんなにへばったのは?なんだったのだ?汗をかくわけでもなく、心臓がバクバクするわけもなく、ある意味、快適に山登りを続行していたのである。
これ、凄いかも知れない?
そうこうしてるうちに、視界が明るくなってきた。その頃は、ほぼ9合目。山頂近く。見下ろせば、なんと急な斜面。私、こんな斜面をもくもくと登ってきたわけ?

雲海の向こうに、少しずつオレンジの色が増し、太陽が顔を出した。眼下には、ティルバナマライの街が一望。下から見ると、大変そうなのに、登ってみたら、楽勝!!という経験は、初めて、である。

足元以外の、「先」が見えない。
ので、あとどれくらいだとか、斜面が急だとか、そういう「今以外」に全く思考が分散しなかったのだ。見えないから、考えようがない。足元の岩だけ確認しながら足を進めるしかないのである。
これ、視界がはっきりしていたら、先が長いとか、斜面が急だとか、いろいろ情報が入ってきて、ああー、そんなに歩けないよう、という感じで疲労を呼び起こすのかも、と思ったねえ。

そうかー。これが今に生きる、つう事かー。

御来光。

とても美しかった。

ありがたいアルナチャラ山は、私にそういう事を教えてくれた。下山しながら、登った山を振り返るたび、こんな急な斜面を休憩もせずに歩いた自分が、奇跡の人に思えた(笑)

ちょっと振り返って、ひぇー!

ココをあっという間に登り切ったのよー。

ちなみに2時間半、と言われた登頂時間、私は90分でした。
そうそう。明け方で涼しい、という事もあったが、私は全く水を必要としなかった。水筒は持参していたけど。下り終えた頃、ガイドに水をあげたが、私は汗もかかなかったので、水を欲する事もなかった。

ただ、急斜面を降りてきたため、太ももにとっても負担がかかってるのは、下山しながら感じていた。

偉大なるラマナ・マハリシ大師が瞑想していた、という洞窟が山のふもとにある。登山の際は真っ暗だったので、下山の時に行きましょう、って事になっていたが、私は下山するやいなや、私のハートは、ホテルの美味しい朝ごはん!でいっぱいになり、マハリシ大師の瞑想洞窟、なんかパスしちゃった(笑) 今でもマハリシ大師の瞑想波動が残り、素晴らしいエネルギーに満ちてる洞窟だそうだが。結局、その後、私はその洞窟を訪れる事も無かった。
そして、下山してから帰国するまで、太ももの激しい筋肉痛!でヨガもできず、ホテルから外に全く出る事もなかったのでございます。
このために、まっすぐホテルに戻ってきた!
南インド朝ごはん!

おかわり!
