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宇宙の秩序に調和しながらの煩悩達成日記

自己実現。そうです、願望実現を通して、自己をさらに深く知ってみようという実験の日記ざます!

空港にて

2013-11-25 05:10:09 | 瞑想にまつわる能書き
いつの間にか、ドバイ便が毎日就航し、発着時間も変更になっていた。
カナシイかな、朝、6時半の出発。 ちゅうことは、空港に4時半に到着しなくちゃだわ。
てことは、寝れないじゃないの!


昨夜の営業もタラタラとヒマだったが、なんとなく家に帰ってパッキンッグする時間とかが
無かったのである。
友人への土産、もこの季節、なんにも無いんだよなあ。
名物ドライフルーツ、ったってさ、ドバイにはイラン産のドライフルーツがいっぱいあって、
アルメニア産よか、ずっと美味しくて安い。
名物コニャックも全然美味しくないしなあ。

そう。
じゃがいもは、驚異的に美味しいのだ。
なので、私は市場でじゃがいもを購入。
食堂に戻ると、セイネンに「じゃがいもは買わなくても在庫あるけど?」と言われたので、
「土産じゃあ!」というとビックリしていた。
そうだよね、じゃがいもは、やっぱじゃがいもだもんね。


さっさと店仕舞いして家に戻って荷作り、と思ったら。
照明を消して、さー、帰ろうぜ!って矢先に、カップルの客人登場。
大変、腹が減っている、何か食わせてちょーだい!とか言われて。
連れの女性が、とてもきれいな人だったので、
「お連れ様の女性が大変美しいので、喜んでサービスさせていただきます。」とか何とか
お世辞を言って、消した照明を再度、点灯したのであった。

あああ。。。まさか追い返すわけにもいかないよねえ。
食べてすぐ帰るから、とか言う割には、ワインをボトルでオーダーいただきまして(涙)

結局、家に戻ったのは午前1時。
しょうがないのぅ~。


テキトーにパッキングを済ませると、あっという間に午前4時。
迎えの車が来て、じゃがいもしか入ってないスーツケースを引っ張って、空港へ。
1年ぶり、だねえ。
少しは都会化した空港への道程で、なんかいろいろ思ったのだ。


何度、この道を空港へ向かったかな。
大雪に見舞われたこともあったっけ。
最初に来たときは、盗難に遭って悲惨な目にあったよな。
さびれた空港周辺の景色に、とても不安になったよなあ、とか。



今、私はこのヘンテコな国に住んでいる。
友達はいないけど、それなりに愛すべき人に出会って、まがりなりにも食堂などを
経営している。
この国の国民はビンボーで、井の中の蛙だけど、あまりにも違いすぎるためか
私はいろいろ新しい体験をさせて貰っている。
有難いことだな、と思う。


飛行機に乗ったことがない、外国へ行ったことが無い、というエマ嬢に
「儲かったら、ご褒美でドバイに連れて行ってあげるよ~」とホラを吹いていたけど、
来年は、そういうのを目標にしようか、と思った。
つうか。
儲からないと、何も始まりまへんのぅ。


いろいろ考えたけど、やっぱり、春巻きの皮は市販品を使おう、っと。
今回のドバイのお買い物の目玉は、「春巻きの皮」
私の新メニュの目玉商品ね。
アルメニアのどこにも無い春巻き!

1年以上、春巻きの皮の事を考えてみたけど、やっぱ、市販品の方が美味しいのよ。
何から何まで手作りできんもんねえ。


私は午前5時過ぎの空港で、春巻きの皮の事を考えている。
ふと顔を上げたら、なんと向こうの方にビジネスパートナーが!!
(私は空港のウェイティングラウンジにいるのである)
ヤツもドバイへ行くのか。
でも、めんどくさいから知らん振り!



雨よ! Go Away!

2013-11-23 15:45:09 | 瞑想にまつわる能書き
1年ぶりの休暇。
まあ、暇だとはいえ、年中無休で働いてても、ブレイクが必要でございます。
ココには友人も全くいないので、せめて誕生日くらいは楽しい時間を過ごしたいという事で
ドバイへ休暇。

友人から、私の誕生日の日に、著名なマガジンの表彰式がある。あなたの席を強引に用意した
から、ナイスはドレスを用意してきてね、とメールがあった。

ナイスなドレス?
なんだっけ、それ???
今頃のドバイ、お出かけは何着てたかな。。。さっぱり記憶にないぞう。
もー、現地調達かな。
しかし、だ。 カクテルドレス系なんか購入しても、ここではサッパリ出番が無いのう。
とかなんとか考えている。案外、楽しいものである。ある種の刺激、かな?


私の留守中の食材購入で、朝から市場周りをしていた。
クリスマス・正月が国民最大の消費のイベントとあって、土曜の市場は大賑わい。
土曜日、つうのを忘れてたのを後悔したのである。

最後に回った食肉市場、というか道路一帯が肉屋街、なのだが、道端に転がってるした
動物のアタマ、血まみれでバケツにぶち込んである内臓、店先に吊るされた、皮をはいだ動物の骨髄から
したたる真っ赤な血液が路上に血だまりを作って、私はホラーな気分でその血だまりを
よけながら、暗澹たる気分で、馴染みの肉屋へ。

頭部を切断し、尻尾を切って皮を剥いで内臓を取り出したて、吊るした羊。
もう、羊が連想される感じで、とってもホラーな気分。
肉を食べなくなって久しいけど、こんな光景見てたら、ほんと、肉食する気しない、しない。

肉屋の兄ちゃんに、「その羊の腰についてる脂は必要ない。取れ! 私のレストランでは
脂部分は捨てちゃうの。ココでは売ってるでしょ?」といったけど、通じず(笑)
まあ、いいか。

ビニール袋から突き出た、2本の羊の足を見ないようしながら、にタクシーに戻る。
食堂に戻る道は渋滞していた。
雪が降りそうな暗い空。
はぁ~。


そんな気分で開いた友人のメール。
青空がドバイで待ってる!と思いきや、「例年になく雨が続いています。昨日、今日と大雨です。」
ええ?大雨ですと?? いやあーん! サンシャインが見たいのよぅ~。

ああ、神様!
私のドバイ滞在中、雨が降りませんように!!









おっしゃる通りです、Yehuda先生

2013-11-20 18:33:47 | 瞑想にまつわる能書き

いやあ、今日は寒いぞ。
じっとしてると、妙に寒いので動くことにした。
クリスマスの飾り付けなんかして、暖をとったのである(笑) 

毎日、「今日のひとこと」みたいのがメールで届く。めんどくさいので滅多にみない。
不思議なもので、たまに何気にメールを開いて見ると、まるで私への個人宛メッセージ
みたいな内容だったりして、なんか、目を覚ますような感覚に陥るのでございます。

で、今日はこんなのが届いた。


Where You're Meant To Be



Wednesday November 20, 2013


Just because you’re not where you want to be in your life, doesn’t mean you won’t be someday soon. It simply means you’re not ready yet.

The truth is, you are exactly where you’re meant to be at this very moment to learn the lessons that will take you there.




なるほどねー。確かにそうざますね。
人生にはReasonとSeasonがある、とチコ母に言われた事が、もんのすごく強烈に記憶に
残っているのだが、そうだ、よねえ。

あなたは、居るべき場所に居て、学ぶべきレッスンに取り組んでいる最中。
その学びが、あなたを行くべき場所(行きたい場所)に連れていくのだす。

という事をYahda先生はおっしゃっておりますのぅ。
確かに、そう思います、先生。
どう振り返っても、あの頃、私は何かに導かれるよーにして、ココに来ましたもの。
しかも、頼りにしていたディアスポラ友人と決裂しても、自分の計画を推進したもんねえ。


引越しは確かにメンドくさくて、しばらくしたくないけども。
私は確かにこの国でしか経験できないことを経験してるよなぁ。
そんな事(こういった経験)望んだっけ?と思わないでもないが(笑) まあ、人知の及ぶ範囲なんて
タカが知れておりますゆえ、私の気が付かないとこで、私自身が望んだものである、と
強引に納得するのである。



で、ココでの学びの課題だが、いったい、何よ?(爆)
思いつかないじゃないの。


人生は360℃だす、とメッセンジャーが語る

2013-11-18 19:07:29 | 瞑想にまつわる能書き
アーシュラマ。
ヒンドウ教では、人生を4つの時期に分類し、それぞれの目的
などを教える。 日本語では四住期、というのかな。


こんな感じ。


第一は学生期(がくしょうき)訓練と教育の期間、教育と激しい労働に積極的に参加する期間。
知識とヨーガ(身体と精神の鍛錬法)は常に重視され、その訓練を伴う教育は青年にとっては
最も大切な宗教的努めとみなされる。

第二は家住期(かじゅうき)
一家の主人として社会で積極的に活動する期間。
社会構造の全体に統一と結束をもたらし、社会生活の理想を懸命に実現しようとするこの段階において
ヒンドゥー教徒は結婚し活動的な生活をおくることになっている。
他の三つの段階はすべてこの期間に依存していることからも、ある意味では人生の四時期の中心であるとみなされる。
定められた行為を行え。行為は無にまさり、あなたの身体は無為によって維持することはできない。
人間は活動し、その義務を果たさなければならない。
しかもそれは無私のものでなければならず、ましてや報酬のためや天国へ入るためであってはならない。
しかしながら、この世俗的な家住期における成功だけでは十分であるとはみなされていない。

第三は林住期(りんじゅうき)
物質的世界での成功は確かに立派ではあるが、それだけで十分であるとはみなされず、
そこに解脱という思想が登場してくる。
解脱とは単なる否定の状態ではない。それは行為(業、カルマ)の絆すなわち再生から解放されて自由となり、
存在に満ちあふれた、完成の境地である。個人的自由を求めての世捨て(出家)であり、仏教の涅槃の観念と同様に、
輪廻再生の輪からの脱出である。

第四は遊行期(ゆぎょうき)
林住期において世俗的な結びつきをゆるめて、その後の遊行期において隠者としての生活を送るように定められている。
このように普通の生き方に比べ、理想的人間は、徐々に世俗の生活から隠退して、俗世における成功ではなく、
解脱に思いをいたすべきものとされている。
こうして出家遊行の生活は、理想的人間の生活の重要な一部分となる。


まあ、人によっては最初から遊行期の人もいるかもだし、第二期のまま人生を終える人だっているかもだ。
私は、第四期、といいたいところだが、日常生活を振り返ると、この4つの時期が生活の中に混在してるような気が
しないでもない。


私は人間関係を拡大しようとは、全く思っておらず、逆に縮小の方向に向かっている。
仕事柄、毎日人に会うし、常連さんとはそれなりに個人的な話をしたりもする。
が、私の中では、常連さんもあくまでお客さん。滅多なことでは、店の外で会わないし、店を閉めた後に
どっかへ繰り出すとかはほぼ無いに等しい。

家と食堂の往復のみが日常で、そこに市場への買出しが加わる程度。
人目を避けてるわけでもなく、人間関係を構築するのがメンドウなのと、無くても困らないのと、最早、そういう
要求も無い、必要性を感じないのである。

そんな私が、ある日、珍しく電気屋にいた。
たまたま電気屋のそばに用事があって出向き、冷凍庫の値段でも見ようと中に入ったのである。
冷凍庫売り場は奥まった場所にある。冷凍庫、つうても3台程度しか売ってないが。
私が冷凍庫のフタを開け閉めしていたら、遠くの電子レンジ売り場から、フィリピン人英語で大声で話す声が
聞こえてきた。
「日本製品がいい、って言って!」大声の主は、フィリピン人のおじさんみたいなおばさんwwwだった。
おばさんは、現地語を話せないので通訳付き。通訳に大声で要求を述べていたのである。
私はおそらくどっかの国の大使館職員の奥さんかと思った。 外資系の企業、及びその支店が存在しないので
外国人は、ほぼ、外交官か国連とかの国際公務員、なんである。


私は、その大声の持ち主の声をかけた。
「あのー!日本製品をご愛用いただき、ありがあとうございます!」


こんなことは、私にとっては、大変に珍しい行為である。なぜか、その日は声を掛けたくなったのだ。
聞けば、米国の外交官の奥さんだった。
私がインド食堂を経営してると話したら、早速、その夜、ご主人を連れて来店したのである。

その後、ちょくちょく来店してくれた。
ある日、奥さんが例の大声で、「ダンス教室を発見したわよー!あなたも来なさいっ!!ラテンダンスよ、
ラテン!」
その大声に圧倒されて、私は、行きます、明日、行きます、と同意したのである。


数年ぶりに鏡を見て音楽に合わせて、カラダを動かした。
予想はしていたが、その退化ぶりに唖然wwwww
そして、すっかり良くなったと思っていた左手の骨折。 両肩をグルグル回す準備体操で、肩が回せない
事に気が付いた。骨折の後遺症を発見したのである。
まあ、すっかり退化したというか何か。
でも。
数年ぶりに運動で汗を流す快感を味わったのである。

大声おばさんは、ダンス教室のあとに食堂でお茶して世間話をして帰るのだが。
大声で元気良く快活に話すおばさん。
1、2回の会合で、すでにおばさんの半生を知るまでになった私である。
とにかく元気。
なので、「お父さんは漁師でね、すっごくビンボーだったのー。兄弟が13人もいたのよー。」と
苦労話をしてくれるのだが、明るく元気良く語る彼女の苦労話は、なんか楽しい昔話みたいなのだwwwww


おばさんは、ご主人の転勤で世界を転々としていたので、米国に長く住んだことがないそうだ。
ので、米国に住むことに、あまり拘ってないし、執着も無いんだと。
老後はフィリピン半年、米国半年、という感じで暮らそうかと思っている、と語っていた。
おばさんは、結婚する前にフィリピンで事業をしていて、そこそこ成功したので自力で土地を
購入したという。
「あんた!フィリピンに来なさい! ビーチ沿いに土地があるから、そこにホテルでも建てるのよ!」

笑いながら話を聞いていたが、私自身、東南アジアでヤシの木の下で風に吹かれる自分が想像できないのだ。
観光で行くならいいけど、私はトロピカルな季候にそれほど惹かれないし、熱帯の粘っこい空気も
苦手だよ。
フィリピン。 ドバイに住むと、フィリピン人と接する機会が非常に多い。なんか、ニコニコしていて
お気楽な人々という印象。 実際、マネージャーとかダイレクターの地位にいるフィリピン人に会った
事がない。
私が働いていた事務所にも若い娘がいたが、なんかあると、良く泣いていたし、みえみえの嘘をよく
ついていたwwwww それでも、なぜか憎めない娘であった。


おばさんは、言う。
フィリピンのGDPの多くを、出稼ぎのフィリピン人が稼ぎ出しているの。だから出稼ぎの彼らは
私にとってはヒーローなの。彼らの海外からの送金で、国が在るのよ。
この国に35人のフィリピン人がいるわ。
正月にね、みんな休みになるから、私はこのわが国のヒーローを集めて宴会をしたいのよー。


食堂は正月3日まで休み。私は知人もいないし、何もしない。する事もない。
去年は風邪をひいて熱を出して寝ていた。
もちろん、おばさんに私はオファーした。

私の食堂を使っておくんなさいな。どの道、3日まで休みだし。

おばさんいわく、フィリピン人の多くは、日本食レストランや中華料理屋の料理人なので
食べ物は持ち寄りにするんだと。
場所だけ貸してくれれば良い、と。
私は喜んで協力を申し出たのである。

なんか知らないが、そんな流れになっていた。
私はけしてフィリピン好きでもない。むしろ避けたいかなwwwwwと思うほうなんである。
おばさんは相変わらず元気で、週に数回、一緒にダンス教室に通っているのである。


おばさんが、新しくこの国にやってきたという、某国大使夫人を連れてきた。
彼女もフィリピン人。大使夫人を長年やってるので、大声おばさんよか、洗練されている
感じである(笑)


大声おばさんが一番年上、そして大使夫人、少し離れて(笑)わたし。
なんか、おばさんが3人集まって、あーでもない、こーでもない、という四方山話は
大笑いが続いて、なかなか楽しかったのである。



で、何の因果か、話が宗教に向かい、二人のフィリピン人の話に引き込まれ、私は
アルメニアに来て、はじめて、こういう話をするんだけど、と前置きして、二人のおばさんに
語った。
人生の終盤に来て、もうお金も名誉もいい男も要らないのよ~。
人と比べることも、もういいのよ~。
何か人生で忘れたこと、し忘れた事はないか、と考えたのよ~。
で。
いつも自分の事ばかり考えてきたから、ヒトサマに与える事とか考えたことなかったのよ~。
ああ、与える事を実践してみよー、と思ってこの国を選んだのよ~。
で、考えたくないけど、「あれ?ちょっと来る場所を間違えた?」って思うことも多いのよ~。


まあ、この私の言葉の間に、二人のおばさんが、ああだ、こうだと言い、会話というか
雑談になっていたんだけど。
私はなぜか、こみあげるものがあって、二人のおばさんの手を握って涙を静かに流していたのである。

悲しいわけでもなく、
嬉しいわけでもなく、
良く分からないが、なんか涙が出てきたのである。

大使夫人が語る。
過去8ヶ月の間に、最愛の兄二人を続けて亡くしたそうだ。 仲が良い兄弟だったので、とてもショック
だったそうだ。
相当落ち込んだが、気がついた、という。 この苦悩こそが、Joyなんである、と。
あえて解説はしない。が、あなた、あなたは分かってるわね!

米国の国力低下の話や、新興国の発展の話をしていた際に、夫人が言った。
人生は、360℃なのよ。
ぐるりと回っているのよ。
何も持たずに生まれて、何も持たずに死んでいくのよ。
栄華を誇った国でも、必ず低下していくものよ。360度だからね。
自分を中心に、360度の風景が広がっているわね。
自分の正面のものしか眼中にないから、人は幸福だ、不幸だとバタバタするのよ。
でもね、360度なのよ。
ホントは立ち位置なんて変わってないのよ。見えるものが変わっただけなのよ。


最近になって祈る事をするようになったと私が告白した。
祈りたいわけではなく、祈りしか出来ないような窮地に追い込まれたから、だと。
で、本気で祈ったら、そんなシチュエーションになったら、自分の無力さ以外の何も
感じなかったが、それはそれで心地いいものである、と。
降参、である。
初めて降参、したら、その後、苦悩しなくなったと。 状況は何一つ変わっていないが、
たぶん、テキトーにどうにかなる、という自信が沸いたと。
それは私が作った「自信」ではなく、それは確かにそこにある「確信」なんである、と。


大使夫人は、大声おばさんが、何不自由ない暮らしに見えても、実は娘の事で心を痛めている
話に耳を傾けていた。
大声おばさんは、旦那はバカにするけど、私はね、悪霊がついてしまった、と思ってるの。
2年前、ブエノスアイレスに交換留学生で行って、意識を失って救急車で運ばれる事件があったの。
医療費に大金を使ったわよ?
でね、その後、娘は別人のように変ってしまったのよ。


大使夫人は、大声おばさんに静かに語った。


あなた、もっと静かになりなさいって。
静かにならないと、天使が来ないんだわよ。
そしてね、娘と、娘についた悪霊に祈るのよ。心から祈るの。憎んじゃだめよ。
聖水があるといいけど、ココにはないわね。


私は、まさかこの顔ぶれで、こんな話になるとは全く考えもしなかったけど。
夫人の言う「360度」に、深く納得したのである。








誰かが待ってるのでございましょうか?

2013-11-16 22:46:41 | 瞑想にまつわる能書き
はぁ~。

私の指導が甘いのかな、と思いつつ。
人にはそれぞれにキャパシティとか、モチベーションとかあるし。
限界、というのも確かに存在するのかも、だなあ。


ドバイで幅広く活用されてるクラシファイドのサイトに、求人広告を出してみた。
よそ様はどんなんかいな、と思ってサーチしてみたら、案外、給料が安い!wwwww
ので、どうにか良い人材が見つかるかも。


セイネンよ。
私はほんとーにガックリしたのだよ。
女が出来て、生活に潤いが出たのは、大変結構ではあるけども。
数分毎に携帯を覗き、携帯で話してる時間の方が多い、ってどういうこと?

よその国では仕事中に携帯電話禁止なんだろうけど。
私は最初からそこまで厳しくしなかったからなあ。
だいたいヒマだし(笑)


それでも、仕事をキッチリしてれば、私は目をつぶるけど。
ちょっと酷いよねえ、最近。
ヒマでオーダー少ないのに間違える。
英語が読めないのは知ってるけどさ。 もう2年経過してんだぜ。
毎日、同じもん作ってるんだぞ。

私がオーダー取った際は、キッチンでオーダーを大声で数回、読み返してる
だろうが。
それでも間違える。。。。
ああ。



どうなるかわからんけど、この求人広告に、私を待つ人が応募してくれる事を
神に祈るのであった。


水シャワー効果か? それとも単に暖冬なのか?

2013-11-16 12:48:20 | 瞑想にまつわる能書き
ぼちぼちと、気温が氷点下、である。
今年は、まだ、ダウンジャケットや手袋を出していない。
寝る際も、去年よか毛布一枚少ないし。(でも、マフラーは巻いて寝てるけど)
防寒ブーツも履いていないし。
去年は、たけのこ巻き、と言いたくなるほど厚着をしていたが。あれはマイナス20℃
の頃だったか?
未だに、3枚、ですよ? 半分、ですよ、去年の。しかも、長袖の防寒下着みたいのは
まだ着ていないし。


水シャワーは、絶好調で継続中(爆)
今思えば、気温が12℃くらいに下がった時に、ちょっと冷たいかも?と感じたかな?
昨晩も水シャワー。
今朝も水シャワー。
皮膚には思考は無いと思うのでwwww 寒さを分析しないので、「シャワーを浴びている」
という認識しかない。
そこに、冷たいとか暖かいとかの存在は最早、無い(笑)

そこには、シャワー、しか無い。


避けているわけでもなく、単なる嗜好で肉類は一切食していない。
魚も海が無いので、入手できないので食べていない。
加工食品も一切食べていない。
売ってないのと、カンタンなものしか食べないから。
飲酒も全くしていない。
「付き合い程度」という飲み方?も、付き合いが無いので無い(笑)
ワインのティスティングで舐める程度。


耐寒性がついたから、といってどうってことも無いがのう。
厚着しなくて済んで、ウレシイぞ!
周りの人も、私の薄着ぶりに、「来年の夏から、オイラも水シャワーしてみる!」と言ってるし。

掃除のおばちゃんの休みの日は、私が掃除のおばちゃんになるのだが。
洗い物をする際に、長袖だとメンドウなので、掃除のおばちゃんの日は、私は半袖なんですわ。


最近は、なぜかインド人のツアーオペレーターが日参してくる。
インド人の新しい観光先の開拓、だそうだ。
既にウズベキスタン、キルギスタン、なんとかスタンの中央アジアは開拓済みなんだと。
昨夜来たインド人のオペレーターは、なんとかスタンに年間18,000人の観光客を送り込んでいる、
と言っていた。
そりゃ、スゴイわ。

インド人いわく、なんとかスタンも開拓当初は、インド料理屋が1軒しかなかったが、インド人
観光客の増加で、現在は7軒になったとか。

いまんとこ、この国には私の食堂しかインド料理屋は無いのだ。
ので、どこに観光に行ってもインドカレーしか食べなインド人観光客は、この国に来れば、もれなく私の食堂に
来るですね。
インド人に、観光客をどんどん送り込むから、ハコ(店舗)を大きくしろ、とか言われたけど。
今の私には、そげな予算も気力も無い(爆)
店舗を大きくしたとたんに、税務署が莫大なワイロを要求してくるのがミエミエだもんね。


はて、私はインド料理屋をすべくココに来たんだったけか?(笑)
新メニュも出来てないけどさー(笑) このまま、インド料理屋でGo!なのかしら?
しかしアレだ。
私的には、この国の産業の振興をリードするのは、農業と観光、って思ってたので、
インド人観光客の増加は喜ばしい限りである。

が。
話を聞いて見ると、観光の主目的は、ナイトライフなんだと!
飲む、打つ、買う、ですね。
ええ、この国、全部揃っておりやす。カジノもあるしね。
なんだかなー、とは思うけど、ま、観光客が増加すれば、飲む、打つ、買う以外の
地場産業にもいい影響があると思うのでいい事である。

ちなみにインド人ツアーオペレーターは、激しく値切って来て、話をするのも
イヤになった私は、商売人の修行が、ぜんぜん、なってないんどす。





梅漬け作りに成功してた♪ 次は大根漬け!

2013-11-12 23:09:03 | 瞑想にまつわる能書き
昨年漬けたアプリコットの梅漬けIsh。私的には「梅漬け」

途中経過がイマイチだった。 
私はこの地で「紫色のバジル」をはじめて見た。 色は赤シソと同じ。
食べてみたけど。。。赤シソの味、忘れた(笑)ので、良くわからんかった。
バジル風の風味でもなく、アラブ圏で使われる、ソルマックというパウダーに似ていた。
つうか、ソルマックなんだろーな。 ソルマックは塩入りで、日本の「ゆかり」に非常に
似ている風味。 
そのソルマックをアラブ人は「ファト-シュ」という毎食必ず食べるサラダに振り掛ける。
振り掛ける、というか合えるのである。

この青いアプリコット(熟してない緑の実)で梅酒を作ったら、梅酒になったのであるwwww
しかも、美味しい。
同時に梅漬けも作ったけど、赤シソもなかったし、なんかイマイチの見た目で、すっかり
存在を忘れていた。


まあ、気合が充実していた頃(笑)チリペーストだの、いろんなものを自作していた。
で、そういう各種をすっかり忘れていたのだ。


先日、倉庫を片付けていたら、奥の奥から梅漬けビンが出てきた。
あー、そんなもんも作ったけな~、と手に取って埃を払ってみてみると、



う、梅漬け~!


なんと、ほったらかしてる間に梅漬けになっていたんである。
試食してみると、物凄く塩辛い。そうだ。カビ防止に塩を多めに入れて、予定では塩抜きして
夏に日干しして梅干しを作る予定だったんである。





アプリコットの実とは思えない出来栄え。
というか、梅漬け作ったことないんで(笑)良く分からんのですが。
自作の梅漬けは頂いて食した事があり、私は大好きなのだが、あれって赤シソの風味するもんね。


でもま、合格点かな。
赤シソがあれば、立派な梅漬けになりそうだのう。
赤シソ、赤シソ。。。。


そうだ! ロスの日本食スーパーでゲットした「赤シソのたね」があったっけ!
おし! 来年早々、赤シソを栽培してみよう。えーと、アプリコットが梅になる(笑)のは5月終わりなので
赤シソは2月頃に種まきすればいいのかな??







冬になり、市場はカラッポである(笑)
私が嬉々として早起きして出かけていた野菜市場も、既に半分以下の規模になっている。
販売しているのも根菜ばかりなり。

そこで、「大根みたいなもの」を見かけた。
たぶん、大根の親戚だろうか? でも首の部分が紫色なんだよね。
日本の大根は緑色だったような、首の部分。

これ、味は大根なので、たぶん、大根なんでしょうな。
短いので、カブの大きくなったやつ? 葉っぱは切り落として販売している。

ネットで「たくあん」の作り方を検索したら、「ぬか」が必要だとな。
もつろん、米を作ってない、あまり食べない国でヌカなどゲットできるわけがない。
ので、ぬか無しで作れる大根漬けレシピで、たくあんを作成する事にした。


キッチンは大根のにおいで、くさい!(笑) まあ、自然の香り、つうことで。
これが試作で、上手くいったら、大根漬け第二段、でございます。







間もなく気温はマイナス!

2013-11-12 19:42:28 | 瞑想にまつわる能書き
雨が続いている。
天気予報によると、数日内にマイナス気温になるらしい。
今は最低気温2度とか3度。
まあ、冬だし、ねえ。

私は水シャワーを続けているので、なんか寒さに強くなった、よーな気が
するなあ。
まあ、重ね着はしてるけど、去年の半分(3枚)で済んでるし。
今後、さらに寒くなっていくので、また6枚重ね着になるかもだが。

水シャワーのせいか何か、私はそんなに寒くないよ!と周りに水シャワーを
推奨している。
今からは無理なので、夏の暑いときから開始すると難なく水シャワーが継続できるよ、と。


なんだかんだで慌しい日が続いている。
そのほとんどが理不尽だったりするわけだが、まあ、ソレもまたヨシ、と思うわけで。

そろそろ都会の空気吸いにいかなきゃ、と思ったとたん、都会に住む友人から「久しぶり!」
というメールが来た。
そうだ都会に行って魚を食べて、豆腐を食べて、おしゃれな人ごみを観て、ショッピングモールの
新しいショップを観て、チコたんにたくさんキスしてもらおう。


さて、チケットでも予約するかいの。

ディワリの思い出 2013

2013-11-10 15:52:35 | 瞑想にまつわる能書き
なかなかに思い出深いDiwaliでは、あった。
ディワリ菓子の試作も思うように行かずに、まあ、30点が自己評価、かな。
でも、みんなスゴイ美味しいって言ってたけどね。


ハロウィンから2日しか経過していないで迎えたディワリ。
ポスターも自作。
めんどくさいので手書き。下書きなし。




私が一番気に入ったのは、このタンドール釜とカボチャ、ユーカリ、というディワリに何の
関係も無いデコ。
素敵!




去年と同様、階段のステップに花とろうそくを浮かべてみた。
夜は照明を消してキャンドルの明かりのみ、なんで、とてもキレイでした。




以前、働いていたマリア。オランダ人のお客さんにさらわれてしまいました(笑)
小柄なのは、インド好きのエマ嬢。彼女が着用しているサリーは、私が寄贈したものです。




写真でみるとパッとしない(笑)ディワリ特別メニュ。
ラムのカレー、ビーツとポテトのカレー、ターメリックライス。
これに前菜の盛り合わせと、スイーツのプレートがつくのである。





娘達の間に割り込むインド人。






ほんとは、ディワリはオイルランプなんだけど、無いのでキャンドルで代用。
特大タライに花を沢山浮かべて、キャンドルも浮かべた。
なかなかキレイでしt。




バラの花びらがとても安かった。が、スゴイ量だったので、そこら中に撒き散らしたのでした。





今年もありがとう、そしても来年もヨロシク。





とてもキレイだった!





今年も知人がインド舞踊を披露してくれた。
とても素敵だったわ~。









最後まで残ってくれたインド人のみなさん。
みんなで歌って踊りながら、楽しく夜が更けていった。
これが成功なのか、そうでないのか知らないが、私はこのインド人のみなさんと
ディワリを祝いながら、人生にしみじみと感じ入ったのである。
ありがたいものであるよの、と。

Happy Diwali








私に聞いても名案は無いと思うぞ・・・・恋愛相談

2013-11-09 12:14:41 | 瞑想にまつわる能書き
常連さんはインド人ビジネスマン。
セイネンと同郷、つうことで日々、ランチに来店し、毎日のように晩御飯は出前を
依頼してくれる。 上得意さん、である。


セイネンが恋愛モンダイで浮かれていた頃、常連さんは言った。
「あのよー、俺っちの里はよー、とってもコンサバで、サウジアラビアみたいな
とこでよー。セイネンもインドに居た頃は、デートどころか、実際の女性と会話を
交わしたこともマレははずなのよ。」

まあ、セイネンの経験不足はコンサバなバックグランドによる、と言いたかったのだろう。
常連さんとセイネンは、ヒンドウー教徒でカーストも同じ(クシャトリア)。
まあ、インド人のトラディショナルな価値観は、私も身を持って学んで来たwwwwので、
いまさら驚かないが。

常連さんいわく、結婚も親が決めた同じカーストの同じ部類(同カースト内でも細分化
されている)の人と結婚するのが今でも通例だそうだ。
仮に、外国人(カースト外と判断される)と結婚し、結婚式を開催したとしても
誰も参加しない、と。


常連さんの里では、結婚は人生の最大イベントで、3日間の祭りが続き、最低でも800人は
招待するそうだ。
仮に、常連さんの親友が外国人と結婚式を挙げたとしても、常連さんは参加しない、と
言っていた。
トラディションに反する行為をすれば、本人でなく家族、親戚一同が村八分にされる、
つう事を語っていた。

形式的にはカーストによる差別は禁止されているが、実情は現在も根強く慣習として
残っている、と言っていた。
まあ、地域や家族に拠るところ大、と思うけど。

インド人はよく、「結婚は家族のためであって、個人のチョイスではない」という。
自分の好みではなく、家族、親戚一同と馴染む相手、が結婚相手の条件なのだ。
しかも、書類選考の上、ホロスコープでマッチングを確認するのである。

インドの離婚率が低いのは、個人の好き嫌いで結婚していないのと、結婚相手も同じ
コミュニティから選別しているため、お互いの家族にマイナスになる事を出来ない、
という事情も大いにあると。そらー、そうでしょう。


交際した事の無い男女が、最初から「結婚相手」として会い、早ければ1ヶ月以内に
結婚してしまうのである。
結婚式は盛大で、3日も4日も続き、村中の人が招待され、新郎新婦は映画のヒーロー、
ヒロインのごとく、最大の注目を浴びるわけで。
男女というより、夫と妻、その後は母親、父親としての「役目」を全うするのが
インド式結婚、かな。
なんか、就職する感じ? 妻、嫁という職業に(笑)


常連さんも漏れなく家族の選んだ女性と結婚して、子供がふたり。
下の子供が幼児なために、妻と二人の子供はインドで暮らし、常連さんは単身赴任。
この国の前は、イランに駐在していたそうだが、さすがに家族をイランには住ます
わけにもいかず、イランでも単身赴任だったそうだ。


最近、なんか酒量が増えた常連さんに近況を聞くと
「1月に妻が来る」

ほほーー!
って事は、あのゴージャスなGFとの関係が暗礁に乗ってる、って事?と聞くと
「んだす。しかし何も打つ手が無く、毎晩、酒を飲むだけだす。酔っ払ってないと
やってらんないだす。仕事にも影響を及ぼし始めて。
どうしたらいいの?しくしくしく。」


常連さんには、GFがいる。
それは、とんでもない美人で、物凄く若くて上流階級の娘さんである。
最初に常連さんが携帯のGFの写真を見せてくれたときは、インド人特有のホラかと思った(爆)
実際に、GFがこの国にやってきて、来店した際に、もう、ビックリ仰天!
写真よりずっと可愛くて美人で背が高く、そしてなんといっても上品、なんであるね。

私は常連さんに、「なんでこげな上玉が、あなたのGFになったとですか?信じられまへんがな!」
と言ってしまったほどだ。
そのGFは、毎月、自費でビジネスクラスを予約して、常連さんに会いにくるのである。
恋愛、つうのはわかりませんのう~。


常連さんは、言っていた。
最初から、自分は結婚してること、どんな理由があっても離婚はしないということ。
つまりGFと結婚するという可能性はゼロに等しいこと。
結婚を望むなら、俺に接近しないように、と最初から釘を打っていたそうだが。

しかしながら、燃え上がった恋の炎は、そういった制約を無視して、どんどん燃え上がっていった模様。
その矢先に、どういういきさつか知らないが、常連さんの奥さんがやってくる事に。


常連さんは酒をあおりつつ、インド映画音楽の大ヒットラブソングのTeri Meri(You And Me)
を何度も何度も繰り返して聞きながら、
「俺はよー、彼女に言ったのさー。あなたには俺より何億倍もいい男がお似合いだから、って。
しくしくしく。


でもさー、彼女が言うのよ。「私は2番目の女でもいい。 あなたの家庭にモンダイを引き起こす気も
ぜんぜんないの。私は、時々でもいいから、あなたに会いたいの。」
な、せつないだろー。
しくしくしく。

そげな彼女を苦しめるわけには、いかん。よって、俺はもう彼女と終わったほうがいいのかな。
しくしくしく。

彼女も毎日電話してきて泣いてるの。
俺も泣いてるの。
しくしくしく。


おーい、おばちゃん(私の事。シツレイね!wwww)俺、どーしたらいいんだよう~。
しくしくしく。


え?
不倫は私は推奨しないんですけど?



「知らねーよー!」font>


と言いたいところを、少し我慢して、テキトーなアドバイスをしたのだった(笑)

奥さんがやってくるのは、1月。
ーその頃は、とっても寒い。奥さんは幼児を連れて外出できない。→ 生活が不便なのを強調

ー子供の学校モンダイ。上の子が学齢なので、やはりインド制度の学校に入れたほうがヨロシイ。 → 学校モンダイ
インターは1校しかなく、なぜか山奥に位置してるので、通学が大変。それに米国式カリキュラム。

ー奥さんも子供も友達が見つけ難い。 → 子供の社会性の発達のためには、友達が必要
言葉の壁があり、現地人と友達になるのは無理。この国の人は、外国人に対して、そんなにオープンではない。
奥さんの性質にもよるが、交流する人は、物凄く限られる。


で。
ドバイでもいっぱい見たけど、旦那さん単身赴任で、奥さんと子供はインド、って人、多いでしょう?
年に一度の休暇で帰国するだけで、案外、満足してる人多いじゃない?
あの線で、いけば?
GFはこれで懲りて、逃げ出すかも知んないけど、ま、そういう子ではなさそうだし。

あなたも、よーく分かってると思うけど、こういう恋愛関係は、そうそう転がってないわけで。
一生、忘れられない関係、ではないかと。だから。
無理に引き裂いたり、そういう事はしない方がいいんじゃないの?
与えられた関係、与えられたGFと思って、大切にするべし。
GFが撤退するまで、あなたが距離をおく必要なないと思うぞ。

つうか。
あの若いGFに、「捨てられた」と思わせたくないな、私は個人的にね。そういうのって、若い人には
今後の人生にすごく影響しちゃうもんね。
彼女を思うなら、「最初から事情を説明した。」とか逃げずにさ、彼女が一番傷つかない方法を
考えたらいいんでないかい?


と親切にアドバイスしたのに、常連さんは酔っ払って踊り出したのでございます。
しばらく踊ってたので、私は閉店の準備をしていた。

「おばちゃん、これからどっかに行こうよー!」
ええ?これから? 行かねーよー!!
「やだー。行こうよー。で、俺とGFのことに関して語ろうよ!」
やだー。語りたくねーよー。あたしゃ、家に帰るぞ。
「1時間でいいからさー。どっか行こうよー!」
あした、あした、明日にすんべよー。 今日はもう帰ろうよー!


ほんと、酔っ払の相手や、ヒトサマの恋愛話なんかに耳を貸すもんじゃござんせんね!









今さらオショー! 暇つぶしにラジニシとの対話

2013-11-08 18:28:43 | 瞑想にまつわる能書き
(バグワン・ラジニシ 「Joy」 角川書店 刊 より引用)

退屈は、人間の生活の中でもっとも重要なことだ。

ま、マジですか~? 私は「もっとも重要なコト」をゲットしたんですか。

退屈とは、マインドが覚醒にどんどん近くなり始めたときにだけ起こるもので、退屈は覚醒の対極に位置している。しかし、退屈はあなたが人生のむなしさに気づいたことを示しているだけでもある。人生は常に繰り返しであるからだ。退屈するということは、人生の無意味さや空しさについて、大いなる理解があなたの中に生じつつある最初の兆しでもある。


はぁ。マインドが覚醒にどんどん近くなったとな? うーん、私は逆に覚醒から遠のいていて、遠のき過ぎちゃて、どうでも良くなってしまった、というのが実情である。接近した、とか言われても、ねえ。。

>退屈は覚醒の対極に位置している。
 
ふむふむ。確かにそう思う。だから覚醒から遠のいたと自覚しているのだ。

>退屈はあなたが人生のむなしさに気づいたことを示しているだけでもある。人生は常に繰り返しであるからだ。

人生のムナシサ? いやあ、別にそうも思わないけども。ただ、人生は繰り返し、には同意するかな。

>大いなる理解があなたの中に生じつつある最初の兆しでもある。

最初の兆し、とな? (笑)でもさ、そんなものを最早、望んでもないのだが。望んでもいない理解、がやってくるのかねえ。

さて、あなたは退屈に対して2つのやり方で対応することができる。
   1つの方法は、ほとんどの人々に共通することで、そこから逃げること、避けることだ。真正面から見ず、それと向き合わない。それに背を向け続け、逃げる。あなたの興味を引き、心を占め、脅迫的に夢中になれるものに何とかして逃げ込む。そのようにしてそれはあなたを生の現実から遠くに引き離し、2度と退屈が湧き上がるのを許さない。



退屈だなぁ~、とは感じるけど、それで困ってるわけでもないのだ。  退屈を楽しんでもいないが。 逃げようとも全く思っていない。 退屈から遠ざかるために夢中になるコトを探した記憶も無いし、だいたい、夢中になったコトもあまりないぞ。
あ、そうか。ここで言う「退屈」は、私が感じる私の思う退屈とは、別な退屈なのか?(笑) いやいや、私が感知できない退屈は、退屈と定義できないのではないか? そもそも・・・・という思考のスパイラルに嵌ると本質から遠ざかるので、やめとこ、っと(笑)


それこそが、人々がアルコールや薬物を発明した理由だ。
それも退屈から逃れる1つの方法だ。しかしあなたは本当には逃れられず、ほんのしばらくの間それを避けることができるだけだ。あなたはセックスにも逃げ込むことができるし、大食いしたり、音楽に逃げたりすることもできる。つまりあなたが逃げ込めるものは無数にある。しかしそれでも、退屈は何度も何度も襲って来る。それは避けることができず、それは人間の成長の一部なので、それに直面しなければならない。



アルコール、ねえ。確かにハマッてたなあ。逃避のための飲酒?だったのかいなあ?私は単なるアル中の一環で、寝れないので飲酒が必要なのかと思っていたけど。 飲酒が必要だった当事も、なぜ飲酒するんだろうかと、しょっちゅう考えていた。酔っ払って熟睡するのが習慣になっていた、と理解していたけど。 飲酒は楽しいもんでもなかったし、退屈からの逃避のため、とは考えられないのう~。



もう1つの反応は、正面から取り組み、そのことについて瞑想し、それと一緒にいてそれになりきることだ。瞑想とは正確には何だろうか? 瞑想とは、退屈に正面から向かうことなのだ。瞑想者は何をしているのだろうか? 黙って座り、自分のヘソを見つめ、あるいは呼吸を観察する。彼はこういうことを楽しんでいると思うかね? 彼はまったく退屈しているのだ! 禅のマスターが手に棒を持って歩き回っているのは何のためかと言えば、こうした退屈した人々は居眠りしてしまうからだ。他の逃げ道は何もない。たった1つの逃げ道が残されているのみで、それで彼らは居眠りする。

>瞑想とは、退屈に正面から向かうことなのだ

え? そうだったんでっか?知りませんでしたの。 私は瞑想を試みたけど、出来なかった。トライした理由は、思考の向こう側、大いなる宇宙の意思みたいなもんに触れたかったんである。 今は、何もしなくてもソレは触れようと思えば、何時でも触れられ、感じるコトが可能であーる、と思うようになったので、瞑想する事もなくなったし、関心も薄れてしまった。

彼らは自分の意志で、禅の訓練と修業の一部になったゆえに彼らは逃げられない。
   しかしいつも1つの逃げ道がある。それが眠ることで、それによってあなたはすべてを忘れる。だから瞑想中には人は眠くなるのだ。瞑想の努力はこれですべてである。退屈しなさい、でもそこから逃げるな、ということだ。注意を怠るな、なぜなら眠ってしまえば逃げたことになるからだ。注意し続けよ! それを観察せよ、それを目撃せよ。もしそれがそこにあれば、それはそこにある。それをよく見なければいけない、その中心まで見るのだ。


確かに、瞑想中には眠くなるけど。そういう理由でしたか(笑)  しかし、アレだな。ラジニシらしい言い回しだな(笑) 

>その中心まで見るのだ。

たぶん、ココが大切なんだろうな。 

もし、あなたが逃げずに退屈を見つめ続ければ、爆発が起こる。
   ある日、退屈の中を深く見ていると、突然にあなたは自分自身の無の中を刺し貫く。退屈はただの覆いに過ぎず、入れ物の中にはあなたの大いなる無が詰まっている。もしあなたが退屈から逃げるならば、あなたは自分自身の無から逃げているのだ。もしあなたが退屈から逃げないならば、もしあなたが退屈とともに生き始めるならば・・・それこそが瞑想である。退屈を歓迎し、、自分から進んで退屈の中に入り、退屈がやってくるのを待つのではなく、退屈を探求するのだ。




>あなたが逃げずに退屈を見つめ続ければ、爆発が起こる。

ば、爆発、ですかー?(笑) 

>もしあなたが退屈から逃げるならば、あなたは自分自身の無から逃げているのだ。

なるほどねえ~。 自分自身の無からの逃避、ねえ。 逃避、ちゅうことは「自分自身の無」がコワイ、ちゅうことですか?オショー様??

>もしあなたが退屈とともに生き始めるならば・・・それこそが瞑想である。

はーい!退屈と共に生きてまーす!! というか、瞑想に関心が薄れたのは、暮らし=瞑想、と思ったからだ。 そうそう、暮らし=退屈、だから、私は退屈と共生している。つまり瞑想しながら生きている、生きることが瞑想、をめでたく実践中、という事か?きゃあ♪

>退屈を歓迎し、、自分から進んで退屈の中に入り、退屈がやってくるのを待つのではなく、退屈を探求するのだ。

歓迎、しちゃうんですか?(笑) 退屈を探求する、とな? 退屈してると、そもそもそういう活気も失せてるんですけど?(笑) 探求、ってどうやってするんですか。オショー先生?

   ヨガのポーズで何時間も座り、自分の呼吸だけを見つめていると、人はとても退屈する。そして瞑想の全体が退屈を助長するように作られている。禅寺では、あなたは毎日毎朝、同じ時間に起きなければならない。夏も冬も関係ない。あなたは朝早く、午前3時に起きる。あなたは風呂に入らなければならず、同じお茶を飲み、そしてあなたは座らなければならない。毎日決まりきった日程で、同じ動作が繰り返される。決まった時間に同じものを食べ、そしてまた瞑想をする。


禅寺の修行だけでなく、生きる事もそういう単調な繰り返し、とも言えますがな。 私は全く単調な日々を過ごしていて、何も考えなくなってしまいましたが(爆)



   同じ服装、同じ寺の同じ場所、そして同じマスターが毎日棒を持って歩き回る。
   毎晩、あなたはマスターとのセッションに行かなければならない。与えられる課題はとても退屈な問題で、それについて瞑想しなければならない。「片手でかしわ手を打つと、どんな音がする?」 それを考えるだけで、あなたは頭にくる! 片方の手でかしわ手を打つと、どんな音がする? それには答えなどないのだ。あなたはそれを知っているし、誰もがそれに答えはないと知っているのだ。それでもマスターは言い張る。「繰り返し続けなさい。それを考えながら瞑想しなさい」



>「片手でかしわ手を打つと、どんな音がする?」 

はーい!片手でかしわ手を打った音がしまーす! なんて考えながら瞑想しろ、ってか? ああ、これは日常の生活の中に大きな矛盾を抱えながら生きる人間をメタファーとして表現したんでしょうか?オショー先生?
こういう事考えてると、逆に退屈しないんじゃないのー?

退屈は作り出されなければいけないのだ。
   毎日、毎朝、毎晩同じことが繰り返される。2、3日するとあなたは完全に退屈している。しかし逃げようにも逃げる方法がない。あなたはテレビも映画も見られない。退屈をしのぐのを助けるものは何もない。あなたは退屈の中に何度も何度も投げ込まれる。




はあ。作り出す退屈、ですか。 私の退屈はwwww作り出した、というより、そうなった、という感じですが。 好んで作り出したものではないような気がするけどなあ。

>あなたは退屈の中に何度も何度も投げ込まれる。

オショー先生、これは一見して、「果てしない代わり映えの無い日常、」のそのさらに深い部分に潜んでいる何か、に気がつくための修行でございましょうか?

退屈に直面するには大きな勇気がいる。
   それはほとんど死ぬほどのものだ。実際のところ、それは死ぬよりもむつかしい。なぜならば死はあなたが無意識になるときにやってくるからだ。そしてあなたはあらゆる種類の退屈を引き起こす。何が起きるのか? これがあらゆる瞑想の秘密だ。もしあなたが観察し、観察し、観察し続けると、退屈はどんどん大きくなり、どんどん強烈になり、そしてピークに達する。何でも永久に続くものはない。そして車輪が向きを変えるときがやってくる。




>退屈に直面するには大きな勇気がいる。

は。 退屈するには勇気はちっとも必要ないと思いますが(笑)「退屈に直面する」には、勇気が必要、って事ですね。それは退屈、という事象に覆われた何かを見出してしまうから、つう事ですか?


>それは死ぬよりもむつかしい。

はあ。。


>これがあらゆる瞑想の秘密だ。

・・・・・


>もしあなたが観察し、観察し、観察し続けると、退屈はどんどん大きくなり、どんどん強烈になり、そしてピークに達する。

ピークに達する退屈、ですか? うーん。退屈とはなんというか山も谷も無い、ピークも底も無いもんかと思ってましたが、ピークがあるんですね?(笑)
退屈を観察する、なのね。なんか、オショー先生の言う「退屈」と、私が埋没してる退屈は異質もののような気がしてきた(笑) まだ観察してないけども、退屈を観察しても、たぶん、日常生活は続けるし、私の食堂も存在してると思う。 強烈な退屈、ですか?なんか、活気ゼロになって溶けてしまうようなニュアンスを感じますが。。。



>何でも永久に続くものはない。そして車輪が向きを変えるときがやってくる。

ああ、あの風水の陰陽マークみたいなアレですね。ふむふむ。 退屈もピークに達すると、退屈の対極にあるという覚醒になってしまう、つう事ですかね、オショー先生。

もしあなたが極限まで行くと、最高地点まで行くと、そのとき変化、変容、覚醒、悟り、それを何と呼んでも構わないが、それが起こる。ある日突然、退屈が余りにも大きくなる。あなたは息が詰まりそうになる。それによってあなたはほとんど死にそうになる。あなたの退屈は海に囲まれ、あなたはそれに圧倒される。そしてもう逃れるすべがないように思える。退屈の強烈さと大きさが頂点に達したとき、車輪が反転する。


むむむ。 究極まで退屈しないと反転しないとなっ??退屈の最高地点、ねぇ~。 
いかん、いかん、私は退屈だけど、退屈と同化してしまい、果てしない退屈の海にプカプカ浮かんでまして。この退屈が拡大したり、縮小したりする、つうのがイマイチ、消化できないぞぅ。

オショー先生、このリクツは退屈と自我か常に独立してないと成立しないですかね。 いったい、退屈がでかくなった、ピークに達した、と認識する自我、がないと。退屈にもまれる、翻弄される自我が必要だと、ワタクシは思うですが、どーでしょー?  

私の場合、自我も退屈もひとつになってしまったように思うのです。 じゃあ、なにが「退屈」を感じるんかい、って? 
そーだな、それも。やっぱ、私にも退屈に同化していない自我が、ちょびっと残ってるんだねえ!ほほう。



突然、退屈が消える。
   そしてそこには悟りと三昧(さんまい)が現れる。あなたは無の状態に入る。そのとき、もう退屈はどこにもない。あなたは生の究極の無を見たのだ。つまりあなたが消えたのだ。すると誰が退屈するのだろうか? 何に退屈するのだろうか? あなたはもう存在しない。あなたは消滅したのだ。



はははぁー、オショー先生! この退屈を放っておかず、どんどん拡大させる、するとピークに達した際に、反転が起きる、つうことですね。しかしながら、退屈の海で溺れる、つうのもなかなかに苦しそうではあありますなあ。

なになに、オショー先生、生の究極を見つける、つう事は退屈を感じていた主体、つまり自我が消えた状態、つう事ですかぁ。 ここでも、キーになるのはオショー先生が、いっつも言ってる「自我の消失」ですか。



あなたは尋ねる、「退屈とは一体何なのでしょうか?」
   これは偉大な霊的な現象だ。だから野生の牛は退屈しない。彼らは完全に幸せで楽しんでいる。人間だけが退屈する。それもとても才能があり、知的な人間だけが退屈する。愚かな人々は退屈しない。彼らは完全に幸せで、仕事をしたり、お金を稼いだり、貯金をすることに喜びを感じ、子どもを育てたり、再生産したり、食べたり、映画に行ったり、旅行に行ったり、レストランに行ったり、あれやこれやに参加して楽しんでいる。彼らは退屈なんかしていないし、楽しんでいるのだ! しかし彼らは最低のタイプだ。彼らは野生の牛の世界に属している。彼らはまだ人間ではないのだ。




>あなたは尋ねる、「退屈とは一体何なのでしょうか?」

Yes, Yes, Yes!  退屈の定義を教えてくだされ、オショー先生!

>人は退屈を感じ始めた時、初めて人間になる。

はぁ。。。。


   これは偉大な霊的な現象だ。だから野生の牛は退屈しない。

まあ、ねえ。 霊的な現象? (笑)マジでっか~? 退屈する、ってのーは高度な知的技術、つう事ですかいの? でも、アレだなあー。チコたんは退屈そうな表情をしてたぞ(爆)まあ、チコたんがあ退屈を認識しているかあ否かは、確認しようがないけんどもねぇ。。


人間だけが退屈する。


そうっすか、チコたんは退屈してないんですね。


それもとても才能があり、知的な人間だけが退屈する。

いやー、そういわれると照れちゃいますぅ、オショー先生!(爆)


愚かな人々は退屈しない。彼らは完全に幸せで、仕事をしたり、お金を稼いだり、貯金をすることに喜びを感じ、子どもを育てたり、再生産したり、食べたり、映画に行ったり、旅行に行ったり、レストランに行ったり、あれやこれやに参加して楽しんでいる。彼らは退屈なんかしていないし、楽しんでいるのだ! しかし彼らは最低のタイプだ。彼らは野生の牛の世界に属している。彼らはまだ人間ではないのだ。


ええ。。。オショー先生、そこまで言うですかあ? 



>しかし彼らは最低のタイプだ。彼らは野生の牛の世界に属している。彼らはまだ人間ではないのだ。

そうなんですかあ? 最低、って。。。。 牛の世界って。。。(笑) まだ人間じゃないんですかあ? なんか、退屈した程度で、ヒトサマを野生の牛、とは思いませんけどもね、私は。 退屈しない方が、人生楽で楽しそうに見えるし~。



 あなたにはわかるだろう。最高に頭の良い子どもがもっとも退屈した子どもになる。なぜならどんなものも彼の興味をそれほどながく引き付けることができないからだ。遅かれ早かれ、彼は現実に躓(つまず)き、「今度は何? 次は何? これはもう終わった。このおもちゃにはもう飽きた。それはもう見た。それはもう開けた。それはもう分析した。もう終わった、次は何?」と。彼が若者になる頃には、彼はすでに退屈している。


確かに、オショー先生、私は物心ついた頃から、退屈でした。夢中に何かをする事が、あまりなかったっす。 たぶん、夢中になったのは恋愛関連かな。自分の思うとおりに運ばないから(爆) 躍起になったのだ。



あなたにはわかるだろう。最高に頭の良い子どもがもっとも退屈した子どもになる。


頭が良かったかは別にして、退屈の原因は刺激が無かったから、と単純に思うけどもね。



なぜならどんなものも彼の興味をそれほどながく引き付けることができないからだ。

確かに、通知表に「飽きっぽい」と書かれていたような。 今でもそうですが、なんつうか、「策定された何か」「意図的な何か」がツマランのですわ。アマノジャク、だし。 自分も含めて、人間の行為が、とても限定されたエゴを満たすため、だったり、エゴの言い訳だったり、なんか稚拙なシナリヲが見えるような気になっちゃって、夢中とか無我になれないのでございます。
よって、殆ど人間関係の無い現在が、結構、心地よかったりするんでございます、オショー先生!



遅かれ早かれ、彼は現実に躓(つまず)き、「今度は何? 次は何? これはもう終わった。このおもちゃにはもう飽きた。それはもう見た。それはもう開けた。それはもう分析した。もう終わった、次は何?」と。



はいはい、たっくさんつまずきました! つまずく自分が情けなかったですけども。 私は自分が現実をコントロールしようと躍起になって、果てしないエゴとの戦いを展開していたように、今は思うけどな。次は何だ?とは考えなかった、つうか、そういう余裕は無かったのでございます。


   この社会は良くもなければ、悪くもない。
   あなたがインテリならば、世間は退屈だ。もしあなたが馬鹿であれば、あなたはそのまま続けられる。そうであれば、この社会はまさに遊園地だ。あなたは1つの興奮から次の興奮へと動き回るだろう。あなたはくだらないことに興味を持ち、それを繰り返し続け、しかもあなたはその繰り返しが自覚できるほど意識的でもない。自分が昨日もそれをし、今日もそれをやり、明日もまた同じことをすると思っていることが何であるかがわからないのだ。だからあなたは本当に頭が悪いに違いない。知性はどうやっても退屈を退けることができないのだ。それは不可能だ。そして知性とは、まさに物事をありのままに見ることを意味する。



 この社会は良くもなければ、悪くもない。


Yes, ⅠAgree.



   あなたがインテリならば、世間は退屈だ。もしあなたが馬鹿であれば、あなたはそのまま続けられる。


そうですかー。 私はこのまま、退屈のまま続きそうだなあ。 なぜなら、退屈だけど困ってないから。 
退屈をどうにかしたい、と思わないと変容は起きないのでしょうかね。ああ、馬鹿だから退屈を続けられる、ちゅう事か(笑) なーんだ。


   
もしあなたがピークに達すると、・・・折り返しがやって来る。必ずやってくる! 
   そして光とともに、歓喜がやってくる。あなたは喜びで一杯になる――あなたはいない、しかしまったく理由などないのに歓びでいっぱいだ。あなたの存在から、ただ喜びが湧き上がる。




オショー先生。 でもさ、喜びを感じる「わたし」だか何打かが存在するから、ヨロコビを認識できるわけではないのですか? この、「わたし」がいなくなって、ヨロコビを感じる、つうのがリクツで納得できませんですが。 何が言いたいか、つうとですね、ヨロコビを感じる主体も、退屈を感じる主体も同じではないか、と。



   普通の人は、何らかの理由と目的のためにさまざまなことを楽しむ。
   新たな女性と恋に落ちて、彼は有頂天に楽しい。しかし彼の喜びは瞬間的なものだ。また明日になれば、彼はもうこの女性には飽きてしまい、他の女性を探し始めるだろう。また彼は新しい車を買ったといって喜ぶ。しかし明日になれば彼は他の車に目移りし始めるだろう。そうしたことは次から次へと限りなく続く。そして、彼は物事の本質を決して見ないので、何度繰り返しても退屈に行き着くことに気がつかない。

   あとに残るものは、いつでも退屈である。
   だから人は退屈について瞑想しなければならない。あなたには退屈から逃れる道はない。それならば退屈の中に入っていきなさい。それがあなたをどこへ導いていくのかを見なさい。そして、あなたが退屈の中へ入り込み続けると、それがあなたを覚醒へと導いてゆく。




は。退屈の中に入っていく、ね。 ううむ。 退屈が導いてくれる、と。 それが覚醒への道、と。
そうか。私は覚醒に関して関心が薄れているので、なんか、退屈に取り組む気がしない、のか。
なんか、わかったような、ワカラナイようなキモチです、オショー先生!


はろ、はろ、ハロウィン! 手作りのデコレーション

2013-11-07 19:45:20 | 瞑想にまつわる能書き
ハロウィン。
インド人が、どうしてもやりたい、つうので。気が向かなかったが、いちおー、開催。
この街には、いわゆるパーティショップが無い。ビンボーで買えないのか?(笑)
ハロウィングッズ、ドバイではスーパーに山と積まれて売っていたのに。
しかも、セットで5ドル程度。

無いなら、自作。ですがな。
初めて作った「クモの巣」なかなかの出来栄え(笑)



ポスターも自作。
最初は自分で描こうと思って、下書きしてたけど、どうしてもボディが描けずに、断念。
しかし、手書きのポスターは、なかなかにいい感じに仕上がった。
PARTYの銀色の文字は、配管用の銀色のテープである。
モノが無い場合、アイデアで何とかしないと。ねえ。




青空市場で、一番大きいカボチャをゲットしたが、オレンジ色のカボチャは無かったので
仕方なく、こんなカボチャで代用。
インド人が彫ってくれました♪





クモの巣をあちこちに張り巡らしてみた。





コウモリを黒い画用紙で切り抜いて、あちこちに貼り付けて





その辺から、枯れ木を拾ってきて、壁にくくりつけ








最終的には、なんとかハロウィンらしくなった、のである。


私の手書きポスターは、それなりに反響があり、若い人がいっぱい入ってきた。





しかし、アレだ。
私の目指す、ちょっとクラッシーなレストランと、ハロウィンは相容れない感じがしたのう(笑)
しかも手作りだし。

まあ、従業員みんなでワイワイと飾りつけ作業をしたので、売上げはともかく(爆)
楽しいハロウィンでござんした。


インド音楽(Bollywood系)に関する考察

2013-11-06 18:16:17 | 瞑想にまつわる能書き
ハロウィン、ディワリとイベントが続いたが、テキトーに終了。
また、いっつもの日常に戻る。
気が付けば真冬になり(私的に、よ)、気温マイナスも目前。

しかし! 私の「水シャワー健康法」は、今も継続しており、気のせいか寒さに対して
去年ほど気にならない、ような気がしている。
水シャワーの後は、皮膚というかボディが水シャワーで失われた体温を取り戻そうと活性化するのか何か
とってもポカポカするですねえ。これがあ、程よく心地良いので、水の冷たさも感じない。


さて。
食堂には、インド人学生も良く来店する。タミル州の学生が多いが、時折、北インドの学生も来店する。
食堂にはそこそこ上等な音響システムが備わっているが、音楽ソフトが古い。最近のヒット曲が無い。
ので、学生はアイフォンで最新音楽を聴いたりしている。

タミルソングは全く食堂に置いていない。毎回、タミル学生に「タミル音楽かけて」と言われて、
「置いてないよ!」と答えていた。
ネットでカンタンにダウンロードできる、とは聞いていたが、めんどくさいのと、タミル音楽、って
言われてもなあ、で何もアクションを取らなかった。


少し前に、インド人ビジネスマンが来店した。彼は毎日のように顔を見せていた。
ダイヤモンド関連の仕事だそうだが、以前、Bollywoodの映画界で仕事をしていて、3Dの画像を作っていた
そうだ。
そのインド人に、ネットから音楽をダウンロードする方法を教わった。
なんだ、簡単じゃん?


お客さんに、長期休暇でこの国に滞在していたオランダ人がいた。
オランダ国籍ではあるが、スリナムオリジン。スリナムは昔、オランダの植民地であった。
オランダは昔、インドにも植民地を有していて、(ビハ-ル州あたり)インドから大量のインド人を
スリナムに連れて行ったんである。
ので、スリナムにはインド人が多く存在するのだ。
スリナム独立の際に、オランダに移住したインド系も多い。オランダでインド人風を多く見かけたが、
スリナム系の人が多かった。


そのオランダ国政インド系のお客さんは、ヒンディ後は少し話せる。
4歳でスリナムからオランダに家族で移民したそうで。
インド映画を観ながら育ったそうだ。
インド映画とインドポップスは切り離せない。
私はインド映画もインドポップスも個人的には全く興味が無いwwwwwが、これはカスタマーサービス(笑)
オランダ国籍インド人が、心酔するという「Kishor Kumar」というインドの伝説的な歌手の話を聞いた。


もちろん、私はそんな名前は聞いたことも無い。
が、インド人は誰でも知っていた。
私はそのオランダ国籍インド人のお客さんのために、Kishor Kumarの歌をネットで探したら。
ああるあるある~! 膨大な量!
何をダウンロードしたらいいやら。。。。


そこで考えた。 ダウンロード回数の多いものが、おそらく人気曲?ではないかと。
1曲ずつのダウンロードはメンドウなので、アルバムまるごとダウンロード。
Kishor Kumarメガ・ヒット、とか。


オランダ国籍インド人、このKishor Kumarを聴いて、物凄く感動してくれた。
私の手を握って、何度も何度も「サンキュー」と繰り返していた。
そうか、そんなものかいな。

ダウンロードを覚えたわたくし、早速、タミル音楽もダウンロード。
(あ、ちゃんとお金払ってますんで、知的財産所有権を侵害してませんです)

タミル学生は来ると、「タミル音楽あるよ!」
学生もとても喜んでいる。 そんなものかいな。


食堂に居る時間が長いので、同じ音楽だと、従業員が飽きる。
私は個人的にはオペラとかクラッシックとかが好きだが、まあ、食堂には合わないわな(笑)
ので、適当にEmile SandyとかAdelとかを聴いているが。
インド人が来たらインド音楽、ですな。


ハロウィンのイベントで、インド人から「パンジャブ音楽ないの?」と何度も聞かれた。
「無い!」
パンジャブ音楽って、あれ、バングラ?かいな?
バングラ、とはインドの典型的なリズム。踊るのにちょうどいいらしい。
食堂のインド人に「パンジャブ歌手の有名な人は誰?」と聞いても、二人とも「知らん」
そうか。ケララ州とジャイプール州の出身なんで、パンジャブは知らんのかいな。


パンジャブ音楽で検索すると、バングラが出てくる、出てくる。
これもネットで検索して、有名歌手、ヒットアルバムの名前を探し出し、ダウンロード。
先日、北インドの学生が来たので、パンジャブ音楽をかけたら、大層、喜んでおった。
曲に合わせて大声で歌ったりして。


インド人にとって、インド音楽つうのは、なかなかに深く浸透している模様である。
私はその後、ネットでBollywoodのヒット映画を探して、その映画音楽を探し出した。
まあ、タイトルはヒンディ語なんで意味はサッパリわからないが。
作曲家と歌手の名前が出てくる。
そうすると、自然と最近の人気歌手が分かってくる。
そうすると、今度は人気歌手の最近のアルバムを探し出す、という具合で
食堂のインド音楽のストックは、大変に増加したのである。


インドの2013年のヒット映画をもれなく網羅したりして(笑)
私は何をしてるんだか、だわ。

インド人は、映画音楽(歌謡曲、みたいな感じかな)と政治の話を何時間でも続ける。
映画は万人の共通の話題のようで。
必ず、あの映画がどうだった、この映画がどうだった、あの主題歌がスンバらしいとか、
そういう話題で盛り上がってるのだ。


なんか民族的に共有してる共通意識?みたいな感じね、映画。
最近ではBollywoodの俳優がHollywoodに進出したり、映画監督もGollywoodに進出したり
している。

最近では、そうでもなくなったらしいが、基本、インド映画にはラブシーンが無い。
昔はキスシーンもなかったのだ。
ので、戒律の厳しい中東では、「安全」に観れる娯楽として、インド映画が幅広く好まれて
いたらしい。

アルメニアでも、インド映画チャンネルがあって、なかなか人気らしく、一般の人でも
インド俳優の名前や映画を知ってたりする。


んとー。
私的には、インド映画って、最初の3分であらすじが分かっちゃうので、イマイチなのよね。
しかし、万人受けする単純なストーリーなため、ヒンディ語が理解できずとも
観始めれば亜、映画の内容が分かってしまうという分かり易さのため、観始めると
なぜか最後まで観てしまうのである。
映画の中で、ストーリーとは無関係に踊り出すのも、あれ?って思うけど、案外、見入ってしまうのだ。
しかも、アレだ。
女優は美人が多いが、男優は見た目が女優ほどカッコ良くないけど、映画を観てると
不思議にカッコ良く思えるので、ひょっとしたら演技力があるのかも知れないのう~。


お客さんが自慢していたが、昔、インド人の陸上単距離選手がオリンピックでメダルを取ったんだそうだ。
たぶん、50年くらい前の話?
それが今年映画化されて、人気を博しているらしい。
Bhanng Mikha Bhaanng、というタイトル。
私の想像だが、これは「走れ!ミカ!(人名、男)走れ!」というんではないかな。
これだけは観てもいいかなと思ってる。暇があれば、ね。


たくさんのインド歌謡曲を聴いたが、私はKK、という歌手が歌う、Asman Ke (空へ)という
歌が好きかな。内容は全然わかんないけども。
YoutubeでもKKの歌はいっぱい聴けるよって、お勧めします(笑)

パンジャブ音楽は、基本、バングラでビートが同じなので、何を聞いても同じに聞こえる。
バングラが流れてくると、肩の辺りが自然に動いてしまうような(笑)
インド人は肩でリズムを取って踊る人が多いが、このビートのせい、なんかいな。


最近のヒット映画の中では、Once Upon A Time In Munbaiの音楽が、一番ヨカッタっす。
今年のBollywood映画のBox OfficeはChaannai Expressつうのがダントツ一位ですが、
私はこっちの音楽のほうが断然好きだわ。