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宇宙の秩序に調和しながらの煩悩達成日記

自己実現。そうです、願望実現を通して、自己をさらに深く知ってみようという実験の日記ざます!

人生の役割とその演技、それを観ると観客と台本

2007-04-01 20:24:50 | 宇宙の法則、秩序に関して思ったこと
思いつきで書き殴る文章、それを直感というのなら(爆)それはそれで良いが、直感の文章は、続きが書けない(笑)
なんか、書こうと思った事があったけど、忘れた(爆)
忘れる程度の事なので、きっと、たいした事は無いのだろう。

ああ、4月ですねぇ。早い早い!
時間が高速で過ぎていく感じ。
でも、よく考えれば、周りの環境も身近に居る人の顔ぶれも、自分自身の精神状態も、読む本もすっかり様変わりしているので、それなりに時間は流れているのだろう。
記憶が無いだけ(笑)なんろうな、きっと(笑)

昨日、映画を観た。
Stranger than Fiction。
久しぶりにヒット!の映画かも!!観てない人にはオススメです。

チョット日本語で検索してみたら、邦題は「主人公は僕だった。」5月公開だそう。
http://www.cinemacafe.net/movies/cgi/17956/
なかなか、面白い映画でした。そして豪華顔ぶれ。主人公は喜劇で有名な人だそう。
その他、ダスティン・ホフマン、エマ・とんぷそん、シャイク・ラティファ。演技派俳優勢ぞろい、って感じです。ほんと、ヨカッタ、ヨカッタ。

で、役割と演技。ってことは、台本もあるって事ですよね?
映画と一緒で、結末や筋書きがわかんない方が、面白い気がする(笑)でも、どんなにハマっても、所詮、映画、演劇、なので、その辺がミソかすら?

多分、役割も演技も台本も、監督やProducerの胸先三寸で、どうにも変更可能。
言って見れば、脚本、監督、演技、観客、ぜーんぶ自分がしてるようなもの。って考えると、なんか忙しいじゃないの?(笑)

どんなシナリオがいいかなあ?当然、ハッピーエンド!で王子様つき。私は姫?いやいや、それじゃーツマンナイから(笑)あっと驚くようなエピソードも散りばめたいなあ(笑)
と思えば、波乱万丈人生も、自分で選んでるのね?って納得(笑)

いろんな人がいて、彩りを加えてるので、どんな人がいても、基本OKですね。はい。



不調の波の後に、私の観たものは?

2006-09-18 17:20:00 | 宇宙の法則、秩序に関して思ったこと
絶不調の波は、いつしか引いていた。
いつまでも続くわけないとは思っても、不調の波の中にいて楽しくはなかった(笑)

絶不調が私の感情を乱していたのが原因なのか何か、私は珍しく「泣く」という行為に及んだのであった。
なぜ涙が出るのか全く理解できずに、でも、感情がその方向に向いてるらしく、後から後から涙が頬を伝うのであった。
私としては珍しい出来事であった。

直接の原因は、Exパートナーの娘に会った、事。12年ぶり、だそうだ。私は当然、一緒に暮らしてないし、休暇で2、3度遊びに来てたけど、娘は友達と来ていたし、私も働いていたしで、特別何かをしたという記憶も無いし、彼女に思い入れも無い。

なのに待ち合わせの高級ホテルのロビーに、父親(Exパートナー)と御主人を伴って現れた娘を目にした途端、涙腺のコントロールができなくなりそうだった。
慌てて、涙を押しとめたものの、「なんで泣けてくるの?」が不思議でしょうがなかった。

その後、お茶しながら世間話。ほっそりと180cmの長身の彼女は、美しく、米国留学中にミス・カレッジに選ばれたほどの美貌。そして、彼女が学んでいた分野で「最年少で博士号」を取得し、その後、ポストドクターは多分、その分野で世界一の大学で終えている。
とんでも無い学歴(笑)今は御主人の出身国の欧州で、これまた「ええ?」ってなポジションで働いてる。29歳。成功してるって言うのかな?
でも彼女からはガツガツしたものは一切感じない。
ノンビリと話す様子は、普通の奥さんって雰囲気。 

世間話を終えて、ホテルから家に向う。運転しながら、抑制していた涙が、あとからあとから溢れてきたのであった。
アタマの片隅では「なぜ???」がグルグル回っていた(笑) 家に戻り、昼間というのにビールを開けて、考えてみた。
コレダ!という明解な解答は見つからない、けど、なんとなく、思うコトがあった。

私はいわゆる、インナーチャイルドワークであまり効果か出ない人間である(爆)てか、子供の頃の出来事は、子供である自分の目を通じて消化してるので、激しい思い込みによって、随分左右されてるな、って思えるため、例えば、親に愛されなかった経験がトラウマになって・・・というのは、私は同意しない。
親は多分、愛していたけど、子供が理解できる方法でコミュニケーションできなかった、それだけの事ではないか、と思うのだ。
自分が親の年齢になれば、親だって完璧な人間ではないし、100%子供を理解してるわけでもないし、「親業」も見習い中なんである。そう思うと、思いやりに欠けた行為をした(笑)親も許せるし、幼いために理解できなかった自分も許せるのだ。

だから、私には癒す必要のあるインナーチャイルドが存在しないのだ(笑)
両親が既に他界し、なんとなく、完結してるような部分もあるからかもしれないけど。何度かワークショップでインナーチャイルドワークをしたけど、出てこなかった(爆)ちゅうか、今の自分に影響を持つような「未解決の感情」が、もはや、存在しなかったのである。

そんな私は、『インナーアダルト』(笑)を見つけたのだ。
Exとの不毛な関係が長かったため(爆)私はとてもSelfesteemをナイガシロにするような日々を送っていたのだ。

多分、娘が象徴するものは、あの日々であり、叶わなかった夢だったり、結局、徒労に終わった関係(爆)なのか?と思った。
私には、癒し切れていないインナーアダルトが住んでいた!!(爆)

今、EXに謝罪されても、ミリオンを貰っても、インナーアダルトは癒されないのだ(笑)
私は思った。
あの当時(数年前の事である)の私は、自分を全く、愛していなかったのである。周りの思うように行かない生活環境を自分のせいにして、いつも、足りない、欠けてる、デキソコナイ!と自分を罵倒していたのである。

娘、はダイレクトにあの頃の記憶を呼び覚まし、私は切なさのような気持ちを痛いほど味わった。それはExに、ではなく、あの頃の私に、である。

不調の波は、最終的に、不調の原因とも思われる「未解決の感情の源」に私を連れていってくれた。ありがたいことである(笑)私はいまさらのように、「インナーアダルト」の自分を励ましてあげようと思う。

そして、宇宙は上手くできていて、その同じ日に、素晴らしい夜を用意してくれた。
友人の両親が遊びに来ていて、一緒にディナーに行ったのだが、とても素敵な人達で、ただ、世間話をしただけなのに、とても癒されたのが分った。
人に癒される、ってなんか素敵だなと思った。
素直に生きてる人、ってそういうパワーを持ってるんだなぁと深く納得。

人生に必要なものなんて、そんなに多くなく、難しくも無いみたいだ。
素直に生きる、自分を愛する、信じる。
そんなとこかな。




鏡の法則

2006-07-26 19:40:32 | 宇宙の法則、秩序に関して思ったこと
鏡の前に立てば、その中に「いま」の自分が映る。らしい。
そして、自分が見る世界、自分を取り巻く環境、世界も鏡にオノレを写すが如く、らしい。
私の目に映る歓喜は、他の人の目には、地獄に映るかもしれないけど、私自身が「歓喜」と認識するなら、それで良いのだ。それは「歓喜」であるのだ。

私の目に映る世界が、私自身。
いろんな思いが混沌として、いろんな色が絡み合って、いろんな温度が溶け合って、私の世界が構築されている。
その全ての構成要因が私自身である事を忘れずにおこうと思う。
目の前で繰り広げられている闘争、抗争、たたかい。それも、私の一部なのであろう。

どんなものであろうと、愛から生まれたものは、やがて愛に還るだろう。その過程で、困惑や困難や悲しみや憎しみや絶望へと姿を変えたとしても、最後には愛そのものになる。
確信、した。

だから目の前にある風景を、事象を、人のココロを、多少不満だからといって、いじりまわす必要は全然、無いと思う。
ほっておけば、やがて愛へと還っていくのだ。
なんだか知らないけど、愛が愛へ還元するために、種々雑多の過程を通過しなければならないのが宇宙の法則のようだ。

全てを歓喜とともに、受け入れる。

そんな生き方を標榜したいものである。

第11番目の鍵効果を検証してみる?

2006-07-10 16:13:14 | 宇宙の法則、秩序に関して思ったこと
新しい表紙?というか、私は木漏れ日が好きなので、気に入ってます^^。
さて、WCもヨモヤの展開で幕を閉じました。私の大好きなトッティ王子は活躍せず、ジダンに至っては涙でピッチを去る、という思いがけないEndどした。

宇宙のシナリオって、ほんと、予想できません。ので、予想なんかしない方がいいのかもだなあ(笑)ANYAどんの言う「奇想天外な結果」ってヤツね。

余談だがファイナルはイタリア人と観戦していたので、トッティに関して聞いてみたら、イタリアのTVプレゼンテーターの美人が妻だそうだ。そすか(笑)
最後のPK、イタリアンは画面を見れないらしく、みんな顔を伏せていたのが印象的でした。何か気持ちわかるわぁあ。

◆第11番目の鍵の効用
これは本を読んで、そのガイドラインに従って「要請書」をインナーCEOに提出する、を実践してみて思った/感じたこと。
なんか「掃除魔法」に通じるかな?と思ったり。
「星の宅配便」って平坦な文章で、深い真理を語った素晴らしい本なのですが、11番目の鍵ほど具体的でない。
ので、この2冊をあわせて丁度いいかな?と私は思う。

掃除してると、だんだん捨てる事がヨロコビに変化してきて、「何か捨てるものはないか?」という視点で家の中を眺めるようになる。ちょっとゴチャゴチャした一画を発見すると、「掃除しちゃうもんね!」と嬉しくなってくる。

そして掃除が行き届き、引き出しの中まで、倉庫の奥までガラクタはなく、あたり一面ピカピカで汚れが無く「純粋性」に満ちた空間にいると、非常に満足する。
掃除をしようと思うきっかけが、「開運」を自分に引き寄せたいとかいう「エゴちっく」な動機であっても、掃除の実践と共に、そのエゴちっくな動機も浄化されてしまうのである。
やってみないとわかんないけど(体験!しないと)、浄化された空間で寛いでいると、とても満ち足りた気持ちになる。
「今」に非常に満足できるのである。
その瞬間、「あれが欲しい、こうなりたい」という願望は、脳裏に存在しないのである。そういうのが無くても「今、ここ」に満足できる。

私は「いまここ」にヨロコビを見つける、という事がとても難しかったのですが、掃除して浄化された空間で満ち足りた気分の自分を感じた時、「これか~」と思ったのである。簡単、なんだよね、案外。
一度体験、経験できれば、それを応用する事は、そんなに難しくない。

◆で、第11番目の鍵(笑)
これはCEOへの「要請書」なので、非常に筋の通った「要請」が必要になる。もちろん、本にアドバイスされてるように、「もし、CEO自身もっと良いアイデア、手法があればそれを採用して下さい。このアイデアに固執はしません。」と要請しながらも、要請を手放してるのだけど(笑)、要請書には条件も好きなだけつけられるし、(例えば家が欲しいなら、その様式とか具体的な事)、自分の欲しい、なりたい状況のピクチャーを細部まで詳細に決定できる。
そして、詳細まで決定できるからこそ、「矛盾」が発生しにくいのである。
私は要請書を作成している過程で、自分の深い所の要望、みたいなものがとても明確になったのである。そして要請書を送付した後、ものすごくスッキリした。叶っても叶わなくても、どうでもいいや、という解放された気分になれるのである。
要請書は、願望から解放されるツールに、私の場合はなったみたいです。


◆まとめ
掃除であれ、要請書であれ、クリスタルであれ、それは主たるものではなく、主体は「あくまでも自分」にある。 自分の中に無い思いや感情やチカラをクリスタルが与えてくれる事は無い。こういったRitualやツールは、自分の中にある「ソレ」を拡大したり活性化してくれるに過ぎない。
どんな素晴らしいツールでも「自分の中に無いもんを創りだせない」のでは?と私は思ったのであった。
人間がどんなに頑張っても「生命」を作り出せないように。いまんとこ、ミトコンドリア1個、人間は創りだせないもんね。生命、は神の領域なんかな、やっぱ。。。

ロルフィングと還暦パーティとボスの独り言

2006-06-21 18:05:19 | 宇宙の法則、秩序に関して思ったこと
昨日は何とも言えない特別な日であった。
私の中で、とても爽やかに「どーでもいいや。」と全てに対して思えるようになってから、モノゴトはイキイキと展開しているカンジ。
でも私はマジで「どうでもいい」心境なため、ちょっと以前の私ならアレコレ屁理屈をこねて、因果を分析したり、次に繋げたり、或は、さらなる飛躍に向けて施策の実施!(笑)なんて考えてガツガツしてただろうけど・・・・。

「どーでもいいや」が本心だったらしく、モノゴトが私の手を離れて勝手に動き出した(ように見える)今、別に何とも思わないのである。でも、折角だからブログに記録しておこうと思ったのよ(笑)

そうそう。執着を手放すと、モノゴトはIts-selfで自由に動き出しますよ!!んで、それが一番調和した展開なのかも知れない、と私は思っています。
でも手放す前に「執着しておく」事が肝要です(爆)執着が、ある意味、種撒き作業になるからです。

潜在意識の法則の基本形ですか。

①思う
 ↓
②忘れる
 ↓
③叶う

というサイクルが一般的みたいですが、この①から②への移行が、なかなか難しいですね。人は感情と共に生きてますから、意識で忘却をしようとも、ココロがじーっとしつこく記憶してたり、とかね(笑)
私は思い込みが激しい極端な性格なので、②の境地に静かに到達できた試しがありません(爆)
①の時点で、激しく妄想し、エネルギーを注ぎ込み、よって消耗してしまい、いつのまにか②の境地に達していた(爆)ケースが多いようです。

私のようなタイプはちょびっとでも「懐疑的」な部分があるとダメなんです。というか、良く言えば完璧主義なのかな?
なので、②の境地に達した時は、既に①の時代の思い入れなんて、キレイサッパリ消えています(爆)ので、③の時点で叶っても、「感動が無い」のであります。

要は、私の自己実現は①の段階で終焉を迎えるケースが多く、③まで達しても「達成感」が皆無なのである(爆)
うーむ、困った。話が続かないぞ(笑)

えっと。②の忘れる時期に、①で蒔いた種が発芽します。この時期に、種と畑の相性が悪ければ、発芽しません。
その相性が、いわゆる「その人が本心で望む事象」か否かなのである。ジュネさんなんかは、ココの発芽予定の種が見えるのかも知れません(^^)

例えば、顕在意識でお金に執着して、あれこれ試行錯誤していても、ココロの深い所では、必要最低限あればいい、と思ってると、その畑に蒔いた「金のなる木」の種は発芽しない、ちゅうことです。

私は毎回タイトルを思い付きで作ってから本文を思いつくまま作成してるのですが。。。ロルフィングに話題が行かないじゃん?(爆)

ロルフィング。こりゃ、凄い!

『ロルフィングとはアメリカの生化学者、 アイダ・ロルフ博士によって創始された、筋肉や骨を包んでいる組織(筋膜、靭帯など)を 本来の位置に戻し、健康を取り戻すというテクニックです。』

昨日、初体験しました。私は4年間、ほぼ毎日ヨガをしています。だからといって、別に軟体動物のように柔軟化というとそんな事はなく、むしろ、お地蔵様のようにカタイのが実情です。
でも、ロルファー(施術者)の人にあまり癖がないと誉められました(^^)癖は無いけど、関節が固くて、ヨガのポーズで全く出来ないポーズが多いです。
例えば、ヨガ的に正座って、正座の際に「くるぶし」をくっつけて、左右の足の裏が平行になるのが理想なのですが、私は両足で「ハ」の字を作ってしまいます。
自分の手で左右の足をくっつけても、体重をかけると、足の裏がハの字になってしまう・・涙。

ロルファーがあお向けに寝た私の背中を調節して、重力がまんべんなくカラダにかかるようにします。その後、最初に私の右手をロルフィング(マッサージに似たカンジ)していくのですが、なんとロルファーが私の右腕をマッサージするのに同調して、私の左の肩甲骨近辺が「ずずずん」「ずずずん」と反応して勝手に動いてるではアリマセンカ!!

途中、数回立ち上がって、前後左右から、私の立ち姿の「ゆがみ具合」をロルファーが確認して施術を続けていました。
私は事前にネットで情報収集してましたが、プラクティカルな事が多かったのですが、人体はボディ、マインド、スピリットで成り立っているので、このロルフィングは、肉体を通じて、マインド、スピリットのバランスを取っているのでは?と思ったのです。

施術中、なんか、感情のカタマリみたいなものの存在を感じました。それは私が隠しておいたもの、見たくなかったもの?そんな感じがしました。
でも、ボーっとした感じで、それほど明確には感じませんでした。

ランチタイムを利用してのロルフィングを終えて会社に戻る。私の住む場所では、物価高騰が爆発的な勢いで、家賃なんか2年前の2倍! ガソリンは30%値上、全ての物価がウナギ上り!という現状です。
私もなんだか風前のトモシビ?(爆)と思って、それを考えると、ドーンと暗い気分になったものですが、最近の「どうでもいいや」気分は、そのネガティブな危機感さえ、解放させてくれました。

とは言え、生活基盤でもあるので、第11番目の鍵、なんか参照して問題解決要請レターなんか出しましたけどね。


家主は契約更新の半年前(ココでは賃貸は1年契約)に、家賃値上の通知を送付してきた。予想はしていたもの、「ど、どうしよう?」と考えると対策も浮かばずに、クラクラした気分になったものである。なので、なるべく考えないようにしていた(笑)

今、振り返ってみるとこれも素晴らしいレッスンの一つでした。
「ど、どうしよう」の時点では、「自分を信頼する」という概念に欠けていたのです。その後、なんだカンダで解放したり、諦めたり(笑)試行錯誤して「どうしよう?」から「どうでもいいや。」に変化した時、私は私を信頼できた、のである。

自分を信頼してれば、「どうしよう?」なんて発想は沸かないんだわなー(笑)という事を学ばせて頂いたのでした。

私の会社との契約更新は5月。私とボスは世間話を殆どしないし、私生活に関しては一切関与しない(笑)そんなボスが、唐突に「15%でどう?」と主語も無しに突然話かけてきたのである。何の前触れも無く。
しかも私は友人にTELしようと、コッソリと会議室のドアを開け、携帯の番号を押そうと思ったら、ボスが入ってきて、やにわに「15%でいいかな?」

「ありがとうございます。」

私が答えたのは、それだけであった(爆)
意外、な展開であった。第11番目の鍵は、宝くじに当たるとか、転職するとか、富豪に見初められる(爆)とかの奇想天外ではなく、オーソドックスな方向を選択したみたいである(笑)
ま、どうでも良かったけど、でも、ひと安心、というところです。全然、期待していなかったので。

その夜、友人の還暦パーティがあったので、お気に入りのハイヒールを履いたら・・・。
足の重心が変化していて、一番履き易いお気に入りの靴が履けなくなっていた!!
これ、ロルフィング効果???
私の後にロルフィングを受けた友人は、立ち仕事の人で全然運動しないために随分歪んでいたらしく、あれこれ指摘されたと言っていた。
二人とも「ちょっとこれ、凄いんじゃなーい?」と興奮気味(笑)

ロルファーに聞いたら、アメリカのコロラド・ボルダ―に学校があって、5ヶ月通わないと資格取れないんだそうだ。
うーん。5ヶ月かあ。ビクラムのTTCも9週間だしなあ。
これは!!と思うものは、みんな西海岸に集中しているのね(涙)遠すぎ。。。。

でも、私はココで「ロルフィングの資格に挑戦」という思いをインプットするのだ。それが私にとって良い選択なら、そうなるでしょう(^^)

なかなか興味深い還暦パーティはまた後で。





神様は宝捜しがお好き?新しいものなんて無くって、全ては発見の旅?

2006-06-15 16:55:49 | 宇宙の法則、秩序に関して思ったこと
明日こそ!!スペースクリアリングを実践します(笑)
土曜日に知人宅で花を採取して、と順調に進んだのですが、どうも雑用が邪魔してスペースクリアリングまで進みませんでした(笑)
カレン本には昼間がベターとあるので、金曜日、また友人宅に花を摘みに入ってスペースクリアリング実施!です。

今、「仏陀再誕、大聖・ラーマクリシュナの生涯」という本を読んでいます。これは大昔、私が日本を出る時に何故か買った本で、ずっと読む気がせずに忘れられていた本なのです。本を開いても、なんか、続かなかった本。をやっと読める心境になりました。

まあ、聖人ラーマクリシュナの生涯をざっと書いてあるって感じですが、眉唾部分を際しいても(爆)なかなかヨロシイです。こういう聖人が次々に登場するインドって、やっぱ、インドだな~と思う次第で(笑)

さて、私が本を読んだヨガをしたり、しばし思索にふけったりしながら思う事だけど、「全くの新しい事実」なんて存在しないんじゃないか?と思うのである。

まずは意思あり、というか思いが沸く。思考ありきというか何か。そして行為に及び「実感」というFeelingが発生し、知識と結びついて、初めて「体験」となるのでは、と思うのだ。
知識がなければ体験、経験した事をプロセスできないのだ。プロセス、ちゅうか消化というか解析というか分析というか(笑)そして「Feel」感じる事無くしての体験も在り得ないのである。Feel、感じる事が必要でないなら、本を読んで疑似体験すれば良いのであって、わざわざ人間に生まれてくる必要も無いわけで。

えっと(笑)簡単にまとめてみよう。

●まず、思考する。願望の設定でもいいかな。



●その願望の実現に向けて「体験」が発生する。体験は感情と共に経験される。



●感情、感覚、ココロの動きみたいのが、知識として蓄積される。

って感じ?うーん、あまり良い説明ではないな(笑)
最近、なんとなく脳内で思考した事を「体験」する機会が増えたのです。
例えば、
・自分を愛するって、どういう事?
・ありのまま受け止めるって?
・全てをお任せする、って?
・静寂に身を置くって?
・リラックスしてココロの声を聞く?って?
・自分を信頼するって?
etc、、、、
これは全部新しい知識でもなくて、あちこちで言葉を替えて、言い回しを変えて、使い古されて「言葉」です。
あまりにアタリマエ過ぎて、それを「実感する」事を、私は忘れていました(笑)

そういうのが、徐々に経験として体験として受け止めれるようになって、なーんだ、何も新しい事でなく「既にここにあった」事じゃないか、と思ったのである。

家の大掃除をしてたら、いろんなものを発見した(笑) まるで、「全てはココに揃ってますよ!」というメッセージの如く。
私の目がかすんで、見えなかっただけ、なんである(笑)

まるで、宝探し?みたい。宝を隠したのは自分自身で、すっかりそれを忘れている(笑)
でも、宝は、確実に存在しているのだ。でなければゲームが成立しない(爆)

この宝捜し、「自分」という宝を探すのかなとも思う。んで、私以外の人は発見できないのがルール(笑)なので、慌てる必要は無いのだ。
時々、親切な人が登場して、私の代わりに宝を探してくれるのかな?(笑)なんて期待を持たせてくれるけど、No!!(爆)ルールは不変です。
誰かに探して貰おうという「依存症」を抱えた人は、「私には探す能力が欠けている」と思い込んでいるのだ。それは依存症、というビョ―キなのでいずれ治ります(爆)
私もかつて患ってました(爆)

すこしばかり、視野が広がったような気がしてる私は(笑)何だか新しい世界へ突入、というよりも、懐かしい場所へ戻っていく・・・そんな感覚です。

人生は何も無い荒野を裸足で血まみれになりながら進んでいく、のではなく、用意された道を楽しみながら、花など愛でて、鳥のさえずりに耳を貸し、すれ違う旅人、自分と同じように旅する人に、笑顔を投げかけ、退屈の寸前で「宝」を見つけて、しばし、もてあそぶ、、、そんな感じ?

ってか、これも、私が茨の道、と思えば眼前に茨の道が広がるだろうし、
気楽な一人旅、と思えばそういう道が広がるのだろう。

この先、また考えが変るかも知れない。けど、今は、「なーんだ、なんだ、こんなに単純?」と思ってる。ずっと、何か難しいものをヒネリ出さないとダメ?と思ってたので、なんたる開放感(笑)
だって、もう、あるんだもん、ここに!!





実況中継!スペースクリアリング大作戦!!その1

2006-06-04 16:08:22 | 宇宙の法則、秩序に関して思ったこと
随分前に入手して読んでなかった本。結構溜まっていますが(笑)、ある日、「ふと」手に取って読み始めると、止まらない、止まらない!(笑)
それは、既に一部ではバイブル化している、カレン・キングストンの「ガラクタを捨てれば未来が開ける」(http://d.hatena.ne.jp/asin/409418032X)であった。

ページをめくるたび、私がちっとばっかし齧った「風水」や「西洋魔術」「密教」「神道」の知識がクリックされ「そうそう、そーなんだよね!」と、うなずく事ばかりであった。この手の本は「実践してナンボ」の本である。読んで「そっかー」では片手落ち、と私は思う。

しかし、毎回ながら、「宇宙のタイミング」には脱帽するしかない感じ。私にとって「今」がスペースクリアリングして、自分の足元を確認し、さらなる変化、深化を受け入れる時期、なのである。何と言うか、「全てを捨てて、そして、何でも受け入れる」という心境なのである。

こういうのは「当たる」「当たらない」という普遍性は、多分、無い。カレン本を読んでスペースクリアリングをした人全てに、同じ結果が起こることは無いだろう。ただ、「信じる」人には、何かが起こる・・・そんな気がします。
私は本を読みながら、「これだ!」という疑いの無い確信が沸いてきた。
「これこそ、ずっとやりたかった事!それをこの本が、具体的に教えてくれた!」という気分さえ起きたのである(笑)

気の早い私は、スペースクリアリングの向こう、結果として私が招き入れる結果が、目に浮かび、ヨロコバシイ気持ちさえ起きてきた、のである(笑) 実行に移すしかない!
まず、手始めは掃除!掃除!掃除!

いつになく気合いの入った掃除を開始!何事にも極端な性格である私は、掃除道具に「歯ブラシ」「つまよう枝」を用いて「これでもか!」と磨きまくるのである。
手始めはキッチン。キャビネットから全て取り出して、掃除、掃除、掃除。キャビネットのドアというかデザインで溝(?)が彫ってあるが、そういうとこはつまよう枝と歯ブラシで溝にたまった汚れを排除。

そして靴箱にも取り掛かる。靴は履き心地の良くない靴って、結局、履かない。でも新品同様なのと、高かった(笑)という理由で捨てれずに現在に至る・・・というのを思い切って捨てる!でもやはり勿体無いので、知人の多い友人にあげて欲しい人にわけてくれるように頼んだのであった。

カレン本には、「ドアが全開できないのはアカン!」とありました。「いつか使うだろう」と思って溜め込んでいた買い物バッグがドアの裏側で開閉の邪魔をしておりました。思い切ってぜーんぶ捨てました!

そして、何がスゴイって日本食の在庫(笑)乾物屋が開店できるほどの、ワカメ、とろろ昆布、ひじき、に我ながら苦笑(笑)今までは鮮度順に保存していたが、今回は、アイテム別に分類し保存しました。

キッチンの引き出しも取り出して大掃除!こういうとこって、よく見ると、いろんなもんが混入しています(笑)私は家族から貰った「物凄く高い漢方薬」を結局飲まなかったし、そういうの無くても私は大丈夫!というサインとして思い切って捨てました!
スッキリ!!

BBQや屋外用にと取ってあった、デリバリーについてくるプラスチックの食器もドサっと捨てました。
スッキリ!!

洗ったお皿を置くカゴ?四角いのだけど、それの網目に詰まった汚れを歯ブラシでゴシゴシ!!
スッキリ!!

そしてほぼ台所がカタがついた頃、ワイン片手に掃除していたので、酔っ払ってしまい(爆)次は酔い覚ましにバルコニー掃除へと移動したのであった。バルコニーはベッドルームにあります。

何せ砂漠気候。バルコニーの床(大理石貼・ごく普通ですけど)にホコリがあっという間に溜まるのである。そして窓ガラス。隣のビルと隣接しているので、ベッドルームのカーテンを開けることはまず無い。この辺は気温が激しく上昇するため、一般の家でも窓ガラスには遮熱シールドが貼ってあります。
カーテンを開けないので気にならなかったので、なーんと私は越して来てから一度も窓掃除をした事が無かったのです!(爆)
そんな窓掃除もして、バルコニーはピッカピカに輝きました。

ああ、気持ちイイ!

そこで酔いが廻り、掃除不能になってしまいました(爆)休日の殆どを台所掃除&バルコニー磨きで終えてしまいました。
スペースクリアリングの前に「掃除!」を思い切りしよう、と思うのです。

というわけで、大掃除途中で家の中は騒然としています(笑)が、リビング、そしてベッドルームと空前の大掃除作戦を展開していく予定です。

カレン本には掃除をしながら、スペースクリアリングをしながら、「招きいれたいものを考えましょう」なんて書いてあった。ま、「祈り」みたいなもんかな?

そうそう、昨日少し時間があったので、リビングに手をつける。デスクの下に溜め込んでいた、「空き箱」を捨て、ネットから印刷して「後で読もう」と思っていたものをドドドーっと捨てる。

「後で」「いつか」は、ほぼ発生しないのである(笑)
EO関係のネット情報が結構あったけど、全部、捨てました。
残しておいたのは、クリシュナムルティー(笑)
そうだ、今日は本棚の整理して、ツマンナイ英語の本とか、人にあげよう。

この大掃除、まだまだ続きます。大掃除が終わったら、晴れてスペースクリアリングに入るので、もう、とっても楽しみ!!




夕焼け雲も祝福(笑)潜在意識の解読、を体験!

2006-04-18 13:16:31 | 宇宙の法則、秩序に関して思ったこと
2006年4月17日 現地時間午後5時30分。
あと30分で「潜在意識の解読」が開始予定。私から解読者の方へ電話するのです。
不思議な気分。
おなすちゃんのブログ等で取り上げらて反響が凄いらしいですが、私はダメモトで、正直言えば「興味半分」で応募したのでした。私が応募した時点で、解読者の方は、既に、無料解読は4月20日で終了とアナウンスされていたので、無理かな~という気持ちも随分ありました。スカイプ使用、という事で、私の住んでる場所は、例によって(笑)そういうのが国策で禁止されていて、存在しないので、どうかなーとも思っていた。つまり、諸般の事情で、あまり期待していなかった、のである。
なので、承諾を頂き、解読時間の明記されたメールを受信した時は、驚きました。もちろん、嬉しいヨロコビです。

そして、解読待ちの間に、自分の潜在意識なんだから、自分でも解読できるかも?なんて思いついて書いた記事が、前の記事。思いつきでタラタラ文章を作っていったら、思いもかけず、「私のミッション」が明らかになってしまいました。
ミッションと言っても、解脱、なんて、多分、意識してるか、してないかの違いで、誰でもそこへ向っていると思うので、「私は将来、死にます。」というくらいアタリマエな話なのだけど、私にとっては妙に「腑に落ちた」のである。
自分の周りに展開される事象に「なんでーーー??」と思うことは数知れず。カルマの法則を知っても、宇宙は劇的に美しい法則によって支えられていると知っても、それでも「なんで?」と思ってしまうのだ。リクツでは理解していても、感情がついて行かない事が多かった。その中途半端に吹きこぼれた感情を、私は理性でコントロールしていただけです。

前のブログの記事を書いてるうちに、「そうか、解脱が目的なのだ。」と認識した途端、世界の輝きが変った。なんて、単純な自分(爆)
始まったばかりのRelationshipも、解脱へのステップ、過程、プロセスの一環、etc、、と思ったら、執着する思いが消失したのである。嫌われたらイヤとか、もっと好かれたいとか、そんな事を思わなくなった。単に解脱のための経験の一環、に過ぎないのである。しかも、この解脱は「わたしの」解脱なんで、私が責任持って成し遂げるしかないのである。んで、「わたしのための解脱」なので、どうせならスムースな方がいいと思い、疑念が生じた時点で、正直に彼に聞く、私の思った事を彼に伝える、イワユル、コミュニケーションの多大な活性化に繋がったのである。私自身は、あまりOpenな性格では無いので、これは画期的な出来事、である。

結果、今の時点で、ですが、なーんか全然違う感じになっています。もちろん、いい方向で。先の事なんかどうなるかワカリマセンが、とりあえず、今、楽しいので、それを味わっておこうと思っています。

■さて、読解終了しました!その後に用事が詰まっていたので、速攻家に帰ってまた出かけて、ディナーなんか楽しんでたら、解読の事などすっかり忘れていました。それくらい、ナチュラル、な感じでした。
知らない人に電話して話す、というので少し緊張しましたが、解読者の方の博多弁・・・でも私には友人の熊本弁に似てると思ったですが・・・が、優しい感じで、電話からもその大きな波動で包まれるような安心感を感じました。
多分、潜在意識レベルでは何かを解読者の方と交換してると思うので、顕在意識で理解できなくても、いいやと思いました。解読者の方のトツトツとした、そして何か安定した力強さに裏打ちされてる感じの語り口を聞いて、そう思いました。そしたら、聞く事が無くなってしまい(笑)、でも何か聞かなくては、と思いQ&Aの形になって、私はおもいつくまま、質問していきました。

たくさんの有意義なお話を伺いました。印象に残っているのは、解読者の方の語っておられた「ネットワーク」という言葉。ネットワークの一部になる事により、自分はそのネットワークそのもの、になるのではと私は思います。1+1が100にもミリオンにもなり得る、それがネットワークの醍醐味と思います。解読者の方の「人と人を繋げたい」という言葉が、とても印象に残りました。

さて、私の個人リーディングは、特にエキサイティングな事も、センセーションな事も無く(笑)淡々としていたけど、深いなあと感心しました。私のキーワードは「コミュニケーション」。これを聞いて、ポポポポン!と膝を打ちたい気分になりました。
私はほって置いたら、コミュニケーションしないタイプの人間です(笑) メンドクサイのです(爆) でも、情報不足だとフラストレーション溜まるし、変った人に会うのが大好きで(笑)、やっぱり人間が一番面白いと思ってるので、市場に出て、どんどん人と会わなくちゃ、なーんて思いました。

また、思考のごった煮が好きな私は「コミュニケーションとは何ぞや?」という自分への質疑応答からスタートしました。コミュニケーション。いろいろあるけんね。会話だけでなく、文章も、表情も声のトーンもしぐさも、そしてマインドの動きだけでも、敏感な人には伝わるし、コミュニケーションの「カタチ」は無数では、と思います。
そして、コミュニケーションの向こうに何を見出したいのか?
と、考えると、「コミュニケーション」という一つの単語から、宇宙まで語れそうなほど、拡大していくのを感じます。

私は人生の具体的なミッションを持っていません。「解脱」は具体的というより、普遍的なもの、と思います。解脱は目標でなく、最終目的地。なので、ほっといても、いつか、辿り着けるとは思うので、意識的に到達する「目標」にはなりえない。ここで言う目標は、壱里塚みたいなもんかなー。長い目で見れば、短期目標。
解読者の方に「具体的目標は無い」と告げると、「コミュニケーションを向上させていくうちに、理解できる。」との事。なんだか、妙に納得しました。

前世に関しても質問してみました。「あまり無い」(爆)というお答え。これも納得。何の意味もなく、ある日瞑想をしていて(ワークショップで集団でしていた)、私はなんか宇宙の辺境から地球へやってきて、日が浅い魂だなーと感じたのである(笑) 辺境、なので、仲間もかなり少ない。まあ、これは自分自身の至らなさへの言い訳かも知れないが(笑)
かつて、激しく消耗した関係のEXパートナーとは、カルマの環が完結した、との事。なんか、ホッとしました(笑)

自分でも課題だなと感じていた、コミュニケーション。それを俎上に上げてもらったような、そんな感じでした。まず何から手をつけようかな?と思っていたら、昨晩、「彼」とチョットしたコンフリクトが発生。いつもなら感情のまま極端な行為に走る私であるが(笑)、コミュニケーションを学ぶ身、そこはキチンと説明を試みました。結果、意見の行き違いが、お互いを理解するのに役立った、という感じになりました。

それにしても、解読者の方には、何か惹きつけられるものを感じました。日本へ帰国の予定なんか全然無いのですが、案外、この方を訪ねて九州に向ったりするのかもー、と思いました。
素晴らしい体験、でございました。

全て終了したのは、現地時間午後6時半。用事が控えていたので、そそくさと家路に着きました。すると、西の空一杯に、大きなつばさ型の雲が夕焼けを反射して真っ青な空にオレンジ色に輝いていました。祝福ですか?(笑)全ては、上手く出来てるなー、と感心しきり、でした。

解脱! 潜在意識解読を前に。

2006-04-12 18:39:23 | 宇宙の法則、秩序に関して思ったこと
私の潜在意識を調査・分析し、人生のミッションを明確にする!! という大げさな(笑)プログラムに応募しました。これはおなすちゃんのブログで「おもしろそー。」と思って、思い付きで応募したら、ありがたいことにOKを頂いたのです。
私んとこは、モノポリープロバイダー兼国営電話局が、スカイプを禁止しているので(電話で儲けるため)、電話だけのインタビューになりそうですが。ところでスカイプって映像つきの電話?

それにしても楽しみ!(嬉々) おなすちゃんのブログ読まなかったらトライしてなかったと思う。おなすちゃんは、妙に説得力があって(笑)、紹介されたもの「むむ、試してみようかな?」と素直に思えるもの多いです。それが、おなすちゃんの人徳でしょう。おなすちゃん、いつもありがとうね!

さて、せかっくのイベントなので、自分で予想でもして楽しもうかと思います。私自身は占い大好きなんですが、これは占いと違って「解読」なわけですが(笑) 確実性を検証出来ないという共通点があるので、占いと性格が似てるかなーと思ったりして。占いは占いの内容でなくで、「占い師」に関心があるのです。彼等は能力として「どこか」にアクセスして情報を収集してきます。それは多分メッセージであったり、感触であったり、イメージであったり様々ではないかと思われます。
それを「占い師個人のフィルター」を通して、翻訳され、言葉となって伝わってくるのですね。

私個人意見で、腕の良い占い師はネガティブな事は言いません。良い事しか言わないのです(爆) なぜなら世の中に善悪も無いから。1枚のコインが「善」と「悪」、或は「幸」「不幸」から出来ているのです。裏、表ですね。結局、同じ事を現しているに過ぎません。

しかし、優秀な占い師はその未来を覗いて、見える現象・出来事を、クライアントにとって喜ばしい側面に合わせて伝えてくれるのです。ネガティブな面を伝えると、クライアントがそのネガティブさに集中する余り、必要以上にネガティブにエネルギーを与えてしまうから、です。 ある程度、修行が進んだクライアント(そんな人は占い師をしているか(爆)、あるいは近寄らないであろうが。)なら、ネガティブなコメントの裏のポジティブな側面を捕らえる事ができるけど、フツー、不幸な出来事(と思ってる事)言われると、動揺しちゃうよね!(笑)

宇宙の法則: 意識を向けたところに、エネルギーは流れていく。

んで、私はもうじき、「潜在意識の解読」をして頂く僥倖にあるのですが、一体、人に聞く前に、自分自身ではどう考えているか?を考察してみる事にしました。 答えは全て自分という個人に内在する、のですから!心眼を澄まして、「わたし」を見つめてみようではありませんか!

■潜在意識の傾向
オレンジ色のグラデーション。 感情の発露、が現在の課題。あなたの「感情」が他人の感情を誘発し、ひとりでは達成できないような事が達成できる。自分自身がまずOpenし、意識のベクトルを外に向ける事から始まります。怖れずにトライしましょう。

⇒ うーん。自分で思ってる課題そのもの。 苦手なんですね、「感情的」にストレートになるのが。これ幼少のしつけに起因しています。感情的になるのは「恥」に繋がると教育されたかなー。
でも。何も怖れる事なく、思ったまんまを味わう事から派生する何か、が多分あるのだろう。 愛情だって感情の一つ。 結局私は感情をコントロールできないので、感情的になるのがイヤなのかもねー。今度は感情にとことん溺れてみるのもいいかもなー。


■人生のミッション
うー。ただ存在する事。心眼で世界を見ることができるように。分離感を無くし、全てが自分、全てが一つを味わう事???光でも闇でもある自分自身を知る事?そして、瞬間を経験していく事?モノゴトは諸行無常、常に移り変り、留まる事を知らない。喜びも、悲しみも、いつまでも抱えて前に進む事は出来ない。味わって、楽しんで、忘れていく。忘れていくけど、魂には記録として残り、新しい「何か」の誕生に役立つのではないかと思うのだ。
んー。でもな、ミッションはもっとシンプルでわかりやすい事のような気もする(笑)


■まとめ
よくわかんないなー(爆) わかんないから楽しいのかなー。今読んでる「黎明」に影響され、頭が「黎明脳」になってるからなー。あの本はいわゆる「解脱」を目指す人へのアドバイスというか指標となる本のような気がする。

しかし私は解脱を目指しているのか?考えた事無いけど・・・・。

は! もしかしたら、自分の意識ではナナメに構えて、「解脱だの悟りだの、世間が騒ぐほどの事でもないどすえ。」とアマノジャクを気取ってる私だけど(笑) 「全ての魂は解脱へ向っている!」のかも知れない。
そうでなければ、いにしえの時代から、人はこんな事をつつきまわしていないはず!(爆) 解脱、悟り、クンダリーニの解放、三昧、光明、、、呼び方は何でもいいけど「そういう状態!」になるために、輪廻繰り返したり、地球に生まれてみたり、相対の世界、というゲームのルールを与えられたり・・・・・。 そうか、そうかも知れない!!
そして解脱に至るには、清く正しく美しい生き方などあまり意味も無く(爆)、退廃と絶望と無力の中に、高い空に舞い上がろうとするパワーが潜んでいたりする。たいしたゲームだああ!(笑)
お金儲けなんかにウツツを抜かしてると、ゲームのヒントを見失いますね(笑)←私の場合です。 あー、でもこれは個人差が著しいので、「コレが良い」という普遍的な指標は無いですね。
だから他者との比較はあまり意味ないなー。 お金もうけ、どんどんして下さい(爆)

そうか(笑) これからは素直に解脱を目指そう。それが魂の目指すものであるなら。人生のミッション⇒「解脱」(爆)
でも、だんだんそんな気がしてきた(笑) 毎日ヨガに飽きもせず通い、次の休暇はひそかにインドのアシュラムなんかどうかしら?(笑)なんて思っていたのだ。 私は「関心ないけんね!」風を装いながら、自分が興味を示すものは「解脱」関係?(爆) 解脱したいという欲求は自覚していないけど、瞑想、ヨガ、聖人の教え、宇宙の秩序・・・・関心があるのってこういいのばっか(笑)

そっか、そっか。
人はゴールに向う際に、「道具」を与えられてるんだわ、おそらく。それが音楽や芸術の人もいれば、スポーツの人もいる。ひーらーとか、ビジネスマンとか。
ははーん(笑) 私がどうも何かに「なる」事を必死に探していたけど見つからなかったのは(笑)、この道具が「職業」や「肩書き」だけと勘違いしてたんだなー。そうか、そういう事だったか!

私に与えられた道具、それは「解脱」(爆) この解脱地域を掘り返していけばいいんだわ!!

嗚呼!! やっと、見つけた!!!!(嬉々) 生きててヨカッタ!

ソウルメイトに出会った事もあったけな(爆)

2006-01-28 04:41:53 | 宇宙の法則、秩序に関して思ったこと
私のソウルメイト。実はもう出会ってます!今日は、この不思議な出会いを宇宙に手放す日です(爆)

私は3週間のイタリア旅行を終えて、日本に向かう大韓航空に乗っていた。(昔、南回りという格安路線があった頃の話。)
私は結婚が決まっていて、女友達と独身最後の旅行を楽しんで、最後に機内でただ酒をガンガン飲んでいたのであった。
南回りとは、成田-ソウル-バンコック-ジェッダ-バーレイン-チューリッヒ、というお金は無いけど、ヒマがある人向きのルートである(笑)
私はチューリッヒからヨーロッパ特急(EC、っていうの)に乗って、スイスの山超え、ゴッダルド峠を越えて、イタリアに入る、というのがお気に入りのルートなのでした。

バーレインで、その人は乗って来ました。彼の名はAとでもしておきましょう。飛行機はガラガラで、私と友人以外は乗ってないような状態(笑)Aさんは、ほぼ酔っ払い状態の私達に接近してきて「一緒に座っていいですか?」と言ってきた。
言っておくが、この当時の私の英語なんてヒドイもんでした(笑)コミュニケーションが取れる、というシロモノではなかったと思う。

Aさんはクウェートに住んでるビジネスマンで、商用でソウルに向かう途中だとの事。クウェートには大韓航空が行かないので、バーレインからとの事でした。
それから一緒に飲んだり、彼は手相が見れる人なので、それで盛り上がったりしていました。
私は婚約中だった事もあって、あまり何も感じずに住所交換しました。彼はニコニコとソウルで降りて行きました。
私は当時、国際電話もかけた事が無いような人だったので、交換した住所なんぞ、旅行の掃除の際に捨ててしまいました。

そして、数ヵ月後、私は無事に結婚(入籍)したのですが、私がデカイ家(といってもアパート)に住んでいたので、夫が荷物と一緒に転がり込んで来ました。
この夫も「条件」で選択したので、結婚生活が破綻するのには時間はかかりませんでした。そう言えば、条件の第一位が「次男だから」(爆)だったなー。結婚した友人が姑問題で苦労して、愚痴を聞かされていたため、そういう発想になったんだと思う。今時、「次男」なんか滅多に生息してないしねえ(笑)こりゃ、「ゲット!」と思って結婚しましたです、はい。

夫を起すときに「愛してる?」「愛してるよ。」が習慣になっていた(私がした)ので、夏の朝、いつもの同じ事をしたら、「愛してない。」「は?」「愛してないから、愛してる、なんて言えない。」と夫はマジ。
当時、愛なんかまったく信じていなかった私は、夫に「バカも休み休み言え。結婚して1年以上経って愛がどうだのこうだの。あなたの周りに結婚1年以上で、奥さんを愛してる、なんて人がいるなら、連れてきて見せろ!」と私は夫を恫喝したものです(爆)結婚なんて、そんなものだ、と(笑)しかし、夫は本気でした。
結局、始終彼の主張は「愛していないから。」でした。最初は「ふざけんじゃねえ!」と怒り心頭な私でした(笑)しかし、今になってみれば、非常に象徴的なコメントではあります。愛、に関して夫は問題提起してくれたんだなと。

しかしながら、当時は相当参っていました。離婚を切り出されてから3年くらい、引き止め大作戦を展開していましたが(笑)効果も無く、結局、夫は家を出て行きました。3年も一緒にいたの?とお思いでしょう。夫は海外出張が頻繁で、滅多に日本にいなかったのです。なので、何時の間にか3年も経ってのでした。

私は3年間、これでもか!という程献身的に尽くしていたのですが、なぜかというと、どうしても離婚は「許せなかった」のです。「バツイチ」になる事で、私の価値が下がる事を、大変恐れたのでした。

しかし、友人の「いいじゃん、もう。子供もいないんだし別れちゃいなよ。仕事もあるし生活に困らないんだからさー。」というアドバイスで、すーっと力が抜けたのでした。「もう、戦わなくていいんだ。」そんな気がして。

夫は「別れて友達になろう。」なんて調子のいい事を言ってましたが、私は「別れたら、それは死んだも同じ事。一生会わないよ。」とその提案を否定したのでした。

そして、捨てられる人間(笑)にもプライドがあります。夫が出て行く1時間でも、30分でも先に「私が出て行く!」と宣言していました。
そして、引越し屋に電話をして呼び出し音を聞いてたら、天の声。
「なんで私がこの大好きな家を出て行かないといけないの?何も悪い事してないのに、逃げ出す事ないじゃん?出て行きたいなら彼が出て行けばいいのよ。」と思ったのです。そのまま、電話を切りました。

確か、11月の寒い頃だったと思う。夫が出て行く日、さすがに見ているわけにはいかず、私は前日から女友達の家に避難していたのであった。その友人宅で「マーフィの黄金律」を読んでいたのである。
その本には。「欲しいモノをリストアップしましょう。できるだけ具体的に。」とありました。さて、私は「再婚相手の条件」なんてのをリストアップしていました。離婚と同時に再婚を考えていたのですねえ(笑)

それから友人の住む南の島に2週間ほど気分転換に遊びに行きました。行って帰って来て留守電(昔はメールが無かったのだ。)を聞いていた。確か英語のメッセージがあったが、その頃、間違い電話が英語でかかってきてたので、気にもしなかった。その後、知人からXXさんが留守電にメッセージ入れたそうだよ、とか聞いて、もう一回、留守電のメッセージを再生した。
そして、英語のメッセージは、私向けである事が判明したのである。

今、シンガポールに居る。あけましておめでとう。そんな内容であった。私はヒマだったのと好奇心で、メッセージの番号に電話をしてみたのである。

それは、Aさんでした。出会いから実に4年の月日が経過していた。その間、私は結婚し、離婚していた。普通の人は結婚を機に新居で生活をスタートさせるが、私はそんな事もしなかった。離婚の時も、普通は心機一転再生するため、引っ越すよね。でも私は引っ越さなかった。だからAさんの電話が私に繋がったのである。引っ越せば電話番号が変わってそれでオシマイ、って事になってたでしょう。

それに、このタイミング。私は愛される事はなかったが(爆)妻としては貞淑であったし、結婚してからは仕事上でも男性と二人きりになる事は極力避けるような人であったので、仮にAさんからTELがかかってきても、取り合わなかったと思う。
特に結婚生活の後半(というは殆ど・爆)が、気持取り戻し大作戦実施中だったので、それどころではなかったのである(笑)
Selfesteemの低かった私は、夫を失ったら、もう結婚してくれる人なんか出て来ないのでは?と恐れていたのである。

それから毎日AさんからTELがあり、何故か私の英語が通じ、彼の言ってる事も理解が出来て、大盛り上がりを見せていた。
あっという間に結婚の話も持ち上がったりしていた。南の島に住む友人に「再婚するかも知れない。」と手紙を書いたら、その返事に「覚えてますか?離婚の報告の手紙に、『私はすぐ再婚する!気がする。その人の足音が聞こえるような気がする。』って書いてあったよね。あれからすぐにこんな話になって、事実は小説より凄いね!」とあり、私はそんな手紙を書いた事さえ忘れていたのである。

4月、私はAさんに会いに週末を利用してシンガポールに向かう。そこで甘い週末を過ごし、その後、数回会っただけで、電話は毎日してたけど、結婚を決めてしまったのである。

その間、全ての出来事が信じられないくらいにスムースに進んでいった。出会う人も親切な人ばかりで、書類の準備、いろいろな事が、あれよ、あれよ、と進んでいった。私はそれを他人事のように見ていたのである。

いよいよ出国が近ずき、私は家の整理に忙しかった。その引越し準備の合間に、かつて私が書いた「理想の再婚相手の条件リスト」を発見したのである。自分ではそんな事はすっかり忘れていたのです。
25項目くらいあって、ずうずうしい事が一杯羅列してあったが、なんとA氏はほぼその条件を満たしておりました。唯一、満たしていなかったのは「ダイビングする人」くらい。
後は、背が高い、裕福、高学歴、家柄が良い、ETC、、ほぼ満たしていた。私はそのノートを手にとって、なんとも言えない満足感を味わっていた。

そのマーフィ本には、確かできるだけ具体的に「優しい」とかそういう曖昧な表現は止めましょう、と書いてあったような気がする。のと、離婚で学んでいなかった私は(爆)、相変わらず愛、なんてあまり信じていなかったし、重要でもなかったのであった。
そのリストには相手に求める「性格」に関する事は一切、書いてありませんでした。

良くも悪くも、あの願望リストって書いて「忘れたり」してると、ホントに叶っちゃうですね。


長くなったので続きはまた。









津留さんの金言に触発される水曜日-一句できた!

2006-01-18 20:06:25 | 宇宙の法則、秩序に関して思ったこと
津留晃一さんを知ったのは、実現くんを知るより前でしたが、既に他界されていました。
簡単に日本の本が買えない私は、ネット上に散らばる断片を片っ端から蒐集してました。それにしても、未だに輝きを失わないメッセージに感謝!ですねえ。

そして、実現くんの解説で一気に理解が深まった「クレンジング」の概念。これは誰にとっても、かけがえのない財産だと思います。



さて、津留晃一さんの「人間らしくていいじゃないですか。」からの引用です。

【津留さんへの質問】
教師をしています。いじめの問題などで、会議中に「こうしたらどうですか?」と考えを述べても、ほかの先生方に受け入れられません。そんなときは、私のほうから折れたほうがいいのでしょうか?

(回答)
■≪1≫それは私見ですね。「いじめをなくすには、こうしたほうがいい」というのは、あくまでのあなたの私見なのです。そして、あなたが意見を言えば、必ず相手も私見を言ってきます。それは、「対」になっているものですから。
「自」と「他」は同時に生まれます。自分が立てば、他も立つ…そこで意見の対立が生まれます。
 
■≪2≫対立した意見と、無理に折り合おうとする必要はありません。たいがいの場合、折り合おうとしたり、とぢらかの意見に統一しようとしたりして苦しみます。調和させようとか、調和が崩れるかも…というのは妄想です。調和することが必ずしも良いことであるとも言えないし、調和が崩れたら悪いともかぎらないのですから、それを恐れないことです。

■≪3≫どちらの意見も正しくて、どちらも正しくないのです。お互いに私見を述べあったその後のことは、自然の秩序に任せればいいのです。あなたが良いと思っていることを、思ったとおりにやること。それと同時にほかの先生方が「そうしたくてやっていること」も受け入れてあげてください。

自分が良いと思ったことをするのが「自己表現」であり、宇宙に対して自分が何者であるかの宣言でもあります。

これを「自分づくり」と言います。
  
======引用終わり=======

実現くんのブログでは、度々、津留さんの私生活が話題になっていました。私もコメントしたし、知った時は、正直、インパクトありました。
が、完璧な人は多分いない?だから地上で修行してるんではないかと思うのですが。
私生活が高貴でないからといって、津留さんのメッセージも同様に評価が下がるのかな?でも。証券会社でキャリアがあるからと言って、市場の諸々には詳しいかも知れないけど、株で勝負して全戦全勝できない事もあるし、医者も病気で死ぬし(笑)、津留さんも私生活が賑やかだった、という事かなと、私は思います。

そして、この文章に今日は唸りました!(笑)

⇒自と他は同時に生まれる。

うひょー!(笑)これは、相対の世界の宿命、二元論の根本!生まれる事は死を意味し、得る事は失う事でもあり、出会いは別れの始まり!(笑)確かにその通りですね。
これを自己啓発流に消化してみると、ポジティブ思考の土台はネガティブ思考?(笑)とか、成功しようと思えば失敗する?金儲けを仕組んだ途端に損をする? うわー、ネガティブの嵐じゃーん?どうしましょう?

何事にも、必ず解決策、対処法は存在します。自が生まれた途端に、他が生まれてる。それはどこから?当然、同じ場所から生まれています。思考であったり、感情であったり。
この相対の世界を飛び越える魔術(笑)を今、考えてるところなんですが・・・・。何かあるっけ?(笑) あった、あった!

ここでは分かりやすいように、「成功」を例に話を進めます。成功を願った途端、失敗も同時に生まれて、あなたに付きまといます。困りますね?(笑)かといって、成功を諦めたくはありません。さて、どうしましょう?そんな能書きは蹴散らして成功道をまっしぐら!進みますか?
私は、こうして成功を思った途端、失敗も誕生した、という事を知った(受け入れた)以上、成功に向けて突っ走る前に、対応策を一応考えておきたい派(笑)です。

さて、対応策ですが、それは、≪2≫を読めば分かります。簡単ですね?(笑)私も何回か読み直して、「うーーー!」と、その単純な理論にあっけに取られました。
「対立した意見と無理に折り合わない。」ここでは、同時に発生した「失敗と無理に折り合わない」となるのでしょうか?(笑)
つまり、相対の世界の宿命で、成功を祈った途端に発生してしまう失敗を、「気にしない」という事だと思うのです(爆)

気にしない。つまり、自分のエネルギーを注がないという事です。≪3≫にあるように、どちらも正しい、間違ってるという事は無いのです。なので、
・成功した⇒嬉しい、ハッピーだ!
・失敗した⇒落ち込む、暗くなる。
という、リアクションをしない事です。リアクション自体がエネルギーを注いでいるのを行動で現したものだから。
仮に失敗したとしても、その失敗が「成功のもと」になって、さらに大きな成功にチャレンジできる、というわけですから。
自分が思う成功も、宇宙が与えてくれる成功と比較したら、ケシ粒みたいなもん(笑)。そして、自分が思う失敗も、宇宙の視点で見れば、「大きな成功への一里塚」なわけです。
些細な結果でクヨクヨしてもいいいけど、時間とエネルギーが勿体ないですね(笑)。

実現くん語録に「ズルイやり方」というのがありました(笑)で、私もマネてみました。
何かというと、相対の世界のパラドックスに嵌らないように、「全ては善い事のために起きてるんだよ!」とまず設定する、という事です。
その上で、成功を思って、思ったと同時に失敗が誕生しても、その失敗も、「善い事のために起きている。」のだから、喜んで受け入れる。
うーん。なんというか、失敗や成功、生と死、そういうものが現象としてやって来ても、自分はその両極に揺れる現象界にいても、左右されない。中心を失わない・・・そういう事かなあ?

ある意味、強引でも「起きた事を全て『善き事のために起きたのだ!ありがたいのう!』と思ってしまう。」事を習慣にすれば、宇宙にコワイもの無しです(笑)イイ悪い、と判断するのも、「相対の考えに染まった自分の意識」なのだし。ココで一気に、「一元の宇宙」を自分に与えてしまう、というわけです。たとえ、「悲惨」と思いたくなるような出来事にも「善き事」と思った上で、リアクションをする。
そうする事で、多分、悲惨に見えた事件から、大輪の花が咲くはずです。

そして最後の一行。これに尽きますね!
自分が良いと思った(感じた)事をするのが、宇宙への宣言。この世に二人と存在しない「わたし」を見せてあげるのです!!
けして、人に良く思われたいとか、リターンを期待しての行動でなく、「単に、そうしたい!好きだから!」が動機である、という事です。

ここで、ふと思ったのですが、世の中で、いわゆる「悪人がのさばる」理由もこれでしょう。悪人はある意味「本気」なんだと思います(笑)
宇宙は善悪の判断でなく、「本気の声」を拾うみたいです。本気になるために、クレンジングや、いろいろな手法があるのかなーと思ったり。

津留さん。
クレンジング。執着を手放す、と言われると、「は?」と思うけど、クレンジング、と聞けば「そうか。」と思いますよね。クレンジング、クレンジング。何でもクレンジング。クレンジングできないもの、それが多分、自分の本質、なんだと思います。

さあ、株も下がって、買い時です!もっと下がるかも知れないけど、細かい事はわかんないので(笑)とりあえず下がったトコで買いましょう。もっと下がっても、また、上がるから大丈夫!(爆)なんて呑気な姿勢なんでしょう?

コアトランスフォーメーションが私にもたらした福音

2005-12-18 17:53:53 | 宇宙の法則、秩序に関して思ったこと
長い長い間、それは私が物心ついてから今年の3月に至る170年ほど(笑)の永きに渡って、私を支配していた「思想」であった。

それは私自身の心の奥に広がる無限の「闇」であった。この底なしの闇に、いつの日か飲み込まれてしまう、という恐怖がいつもどこかにあった。
私が退屈な人生を送っていたのも、この「闇」が原因。どうせ闇に飲み込まれてしまうなら、何もしない方が良い、何も愛さない方が良い、何も見ない方が良い、という極端な思想。
この闇に対しては、成すすべもなかったのである。そして、この「闇」を打破するモノ、人、思想に出会わなかったため、ずーっと闇と恐怖を抱えて生きていたのだ。

闇と恐怖は、私自身が創出した、私自身の限界、でもあった。

コアトランスフォーメーションは、その闇を見事に「安らぎ」に変えてくれたのである。闇は相変わらず、闇のまま、かも知れない。多分、私は心の底から光り輝くというタイプでは無い。そして周囲に光を放射する、という生き方を選ぶ事も無いと思う。闇、でもいいのだ。恥じる事も無いのだ。それが、「わたし」なのだ。

コアトラは、この「闇」から、「悪寒がするような恐怖」を取り除いてくれたのである。私は、自分自身を批判家で批評家で辛辣でイヤな人間だとずっと思ってきた。他人に対しても辛辣な私は、誰よりも自分自身に辛辣であった。
そんな性格で生きていると、楽しい出来事に出会わない(笑) というか、楽しめないのである。 ずっと気がつかずに、楽しめない人生を選択していたのだ。ああ、損した!(爆)

コアトラを実践し(って数回しかしていませんが)、内なる闇が「無限の安らぎ」「絶対の平穏」である事を「実感」(感じる事が大切です。)してから、大いに視点が変わった。視点が変化すると、それに伴って自分の世界も一変した。毎日目にしている同じ風景に、昨日とは違う「何か」を感じる、そんな感じ。

そして、苦手意識や、恐れから来る「相手から攻撃される前に相手を破壊する事によって自身を守る」というゲームをしなくなった。以前はこのゲームのお陰で、とってもクタビレテました(笑) キリが無いんだよね~。こういうの。

とはいえ、相変わらず「ヤな野郎」は私のナナメ前3mに鎮座し(笑)、彼は私を無視する事によって何がしか無言の圧力をかけている様子。以前は、こういうことに敏感に反応、つまり「共鳴」して、ビンビンと「悪い波動」を送りつけていましたが(爆)、コアトラ効果で、私にでさえ!(「さえ」と思う所が、相変わらずSelf-esteemが低い)心の底に「無限の安らぎ」があるんだから、この「ヤーな野郎」にもきっと「静かな安らぎのこころ」があるはず、と思えるのである。 多分、どんな人の心のにも「在る」のである。普遍、に。

コイツも、何がしかの修行の途中で、こういう「イヤーな役どころ」を引き受けて演じているのであろう、とそう思うのである。かといって、今後、仲良くなってメデタシ、メデタシという展開には至らないだろう。それに、そういうのが最善のEndとも思わない。そんなのはTV番組やありきたりの物語の結末で十分だ。人生は小説より異なり、なのだ。

私のスムースな生活の中の唯一、「トゲ」のような野郎(笑)だが、このトゲのお陰で、私はいろいろな事を発見したのである。この「冷たいシカト関係」が、感謝、に値する関係なのである。

以前からの流れで、相変わらず「無視」という関係が続いてもいる。が、その彼のリアクションに、私はもう、それを何とも思わないのである。なぜなら、感謝しているから。
狭い日本人社会で「あの人に会いましたよ。」とかヤな野郎の話が出ると、私はいつも彼を「誉めている」(笑) 相手の人は「は?」という表情をしているが(笑) それで、彼が他の日本人相手にどういう言動を取っているか、だいたい察しがつく、が、私は彼の「いいとこ」しか話題にしない。
ヤな野郎ではあるが、敵でも何でも無いので、ネガティブなコメントをする必要が全く無い、それだけの事ですが。

人は、誰でも、心の深いところ、コアになるところに「静かな安らぎのこころ」を持っているのだと思う。そして、そのまわりに、玉ねぎの皮のように、何重にもなった「性格」「性質」「リアクションの種類」が重なっているのだと思う。

その「玉ねぎの皮」は慈愛的な性質であったり、攻撃的な性質であったり、様々だと思う。誰でも、たくさんの皮を身にまとっていると思う。いいとか悪いとかでなく。生活上で感情を揺るがす出来事が起きるたびに、この「たまねぎの皮」が一枚、張り付くのではないかと思う。

それを「体験」「経験」と呼び、創造主が私達を通して見たかった、知りたかった世界なのかも知れない。あるいは創造主が作り上げた「法則」「公式」「秩序」の具体例を必要としているのかも知れない(笑)

私、という実験、観察される側は、なんとか「たまねぎの皮」を一枚一枚剥いで、コアに、真理に近ずこうとしているような気がしてならない。一見して、創造主と逆の方向に向かっているようであるが、多分、どっかで両者の「融合」が起きるのではないか、と思う。

この「融合」が今のところ、私にとっては最終目的地かも知れない。そこに達するための、「かくれんぼ」ゲームで創造主のメッセージを見つけたり、願望実現ゲームで意識の純粋化に励んだり、瞑想を通して、忘れ物のありかを思い出したり、そんな事を日々繰り返しているのかも知れない。

このゲーム、ヒントやTipsってのは存在するけど、絶対的なルールは無いという画期的なゲーム(笑)自分でルールを作って、それを壊して、また作っていく。その過程で、何かを「発見」するのだろう。

楽しいじゃん!私が何をしようが、「前人未到」なのだ!(笑)

なんて能書きを書いてるのは、再読していた安田本の「願望実現を繰り返しながら、報われていく」に感化され、「闇から光が生まれた」に感銘を受けた、からでした。恐るべし安田隆氏!深淵な内容を、平坦にサラっと書いてある・・・。タダモノではないですね!

そうそう。安田氏もかなりNLPに詳しいと見えて、参考文献にたくさん、それ系の本が羅列されていました。コアトラもNLP手法の発展系なので、NLPファンの私には、受け入れ易かったのかもしれません。



神は細部に宿り給うなり

2005-12-12 21:11:20 | 宇宙の法則、秩序に関して思ったこと
God is in the details.
19世紀初頭のドイツの建築家、ミース・ファンデルローエの有名な御言葉。建築設計の仕事をしていると、必ず出会う言葉、である。

私はそれを、大好きな中世イタリアの建築物に見出していた。まあ、度肝を抜かれたというか、何と言うか。人はこんな事もできる、可能性は無限と言う事を知ったのは、ローマのセイント・ピータース寺院、平たく言えば(笑)バチカンの大寺院の礼拝堂の大理石の柱を見て思った、のである。
15世紀のイタリア。電気も無い頃に、どうやってこんな大理石の塊を採掘して、ローマまで運び、こんな気の遠くなるような高さに積み上げる事が出来たのだろうか?と。クレーンや重機の整った現代であっても、壊れやすい大理石を積むのは、簡単な仕事ではないのだ。

この寺院を見るたびに、その時代の優れた技術と、それを欲しいままにコントロールしていたローマ法王の権力の絶大さ、を思うのであった。天才、の仕事は何世紀経っても、人の心をくすぎりますね。絵であったも音楽であっても文学であっても。

さて、願望実現と、この金言の関係性であるが、私という存在が「宇宙の一部」である限り、神の意志は細部にまで及んでいるのであるからして、至るところから、そのメッセージをゲット可能という事なんである。
それをロジックで現したのが、風水かな、と思ったりします。風水に関しては、そのうち、汎用的なレメディの使用方法とか、ベーシックになるコンセプトをまとめてみたいと思っています。

私は一昨日、面接に行きました。手ごたえ、があったといえばあった、無いといえば無い(笑)というと無責任な感想。
9月に面接した会社から内定を貰って、その後、ウヤムヤになった(爆)という経験もあるので、まー、様子をみましょう、って感じですかね。今朝、通勤の途中で面接やその会社の事を考えながら、ふと前の車のナンバープレートを見ると、「5151」来い来い!かあ!(爆)と単純に喜びました。
Let's See!!って感じかな。

この「細部に宿り給う神のメッセージ」をキャッチするためには、「静寂」が大切なのです。修練が進めば、都会の雑踏の中でも「静寂」の境地に入れるのでしょうが(笑)まずは、コツコツと段階を踏んでみるのも悪くありません。1日に3分、静寂を自分にプレゼントしてあげて、3回、おーきく、深呼吸をしましょう。
この三回の深呼吸とは、良く耳にしますが、シャリー・マクレーンの本に、「からだに、一つ、こころに一つ、魂に一つ、全部で3つの深呼吸は自分自身への贈りもの。」とありました。
妙に納得しました。

3、というのが、モノゴトの「態」を現すのですね。モノゴトの態は3つあるのですよ、三位一体とか。(違うか)
現在、過去、未来、とか、右、真中、中央、とか、天、地、人とか(違うか)、個体、液体、気体とか、心技体とか、ボディ、マインド、スピリットとかね。
三つの深呼吸は、この「3態」に対する感謝の気持ちみたいなもんですね。

この3態は、もともと一つなので、お互いに干渉し合し、影響し合っていると思います。例えば、「いま」を癒すと、苦しかった過去の思い出さえ、慈愛に満ちた過去の記憶に変わるように。
カラダに柔軟性をつけて、運動すると、スッキリした気分になるみたいに。
モノゴトの「態」を見つけたら、自分がタックルしやすい態を選択して、「快」のエネルギーを注入してみる。まあ、意識上の視点の移動だけで可能な場合も多い。

これは、いわゆる「運命改善」ではありません。私は基本的に、そういうのを「触らない派」(笑)です。気持の持ち方、取組む姿勢をちょっと変えるだけで、全く違う世界が見えてきます。ホント、まるでこの世は幻想みたいに(笑)
と、これじゃ、願望実現に結び付かないねえ(笑)

ところで、願望実現ってなんでしょう?お金をたくさんゲットして、なりたい状況を手に入れる事、幸福感を味わう事・・・。いろんな表現がありますが、共通してるのは「自分を好きになる事」かな?小金持ちになるのが、イコール幸福、というより、小金をゲットして満足する自分をもっと好きになれそうだ、、そんな感じかな。
自己啓発にしても、「さらに自分の可能性を拡大する」事につきると思います。そのために、成功やお金をゲットする「現象」を引き寄せたいというか(笑)

細部に宿る神の微細な声を、何となく聞き取れるようになったかな、と思うと同時に、人はどんどん「成功」していくのかも知れない。そして、そういう「現象」を身に付けた頃、その「現象」が自分を幸福にした、のでは無い事に気が付く。
多分、幸福はずっとそこにあったのだ。あなたに聞いて貰うのを待って、目に留めてもらうことを待って、ずっとそこにあったのでは、と思う。

そして成功した人は、「私は成功した」という実感も無いだろう。「成功」を周りの成功したい人に見せて、いかに周りより自分が特別か、なんて優越感に浸るなんてことすら思いもつかないだろう。ただ、人の笑顔が好き。求めている人に対して、与えるのが好き。与える事=受取る事、を深い所で知り、どんどん自分が無になっていく。
どんどん、神の領域、神の意識に同化していくのであろうと思う。

しかし、一足飛びに神様にはなれないので(爆)、私もこうして就職活動なんかしてるわけで(笑)このプロセスが大切なんでしょう、きっと。
来年、新しい仕事につきたい、というより、しばしブレイクを取って、どっかに旅行にでも行きたいと切に思う(笑)って願いがきっと叶うのでしょう。

メンドクサイ!(笑)と思っても、そういうわけで、私は富豪に自力でなる道、を選んだのである。(爆)

お馴染みのコトワザに宇宙からのメッセージ発見?!

2005-11-23 18:51:20 | 宇宙の法則、秩序に関して思ったこと
日本の諺は深く、かつ真理に満ちている。一体、誰が考案者なのだろうか?私は文章が下手で説明しようと焦り、意味無く長文になってしまうのだが(笑)諺は、簡潔明瞭!この潔さを学びたいもんである(笑)

願望実現、自己実現の醍醐味とは、自分の中に歓喜の瞬間を発見する事ではないか?夢を叶えたヨロコビ、人と分かち合う感動、生きている事への真摯なキモチ・・・。この壮大なヒトの人生という時間軸を中心に展開される人生ゲーム。ヒントは諺の中にもたくさん隠されている。今日は、ちょっとその辺を考察してみようと思う。自己実現に関連ありそうな諺を集めてみた。

【類は友を呼ぶ】
宇宙の法則そのまんま!同じ波動のものは同調し、共鳴するのが原理。これの類似に【朱に交われば紅くなる】がありますね。また、【君子、危うきに近寄らず】も同類かと思います。

【泣きっ面に蜂】
これも宇宙の法則の「同じ波動のものは引き寄せあう」という牽引の法則のことでは?と思います。【弱り目に祟り目】とかね。【踏んだり、蹴ったり】とか。でも御安心下さい。どの波動を選択するか?は私達の自由意志に任されておりやす!

【塞翁が馬】
言わずと知れた中国の故事。タオの世界観ですかね。良いも悪いも無い。良い事は悪しき事に転化する可能性を持ち、逆もしかり。【人事を尽くして天命を待つ】という姿勢が理想でしょうか?【雨降って地固まる】というのも、同じかな?

【急がば廻れ】
ピンチはチャンスって事ね!【失敗は成功の母】もあげておきましょう。視点を変えるだけで、世界が変わると言う事でしょうか。

【猫に小判】
モノゴトには、【適材適所】というものがあると。【馬の耳に念仏】もね!

【果報は寝て待て】【待てば回路の日和あり】
願望実現法にも繋がりますね。クレンジング、インプットしたら後は寝て待つような心の余裕が欲しいものですね。またモノゴトはどんどん変化、変容していく。何か不都合が起きた場合、ジタバタせずにじっと「待つ」事も積極的な解決策であると私は思う。
待つ、事は信頼してないとなかなか出来無いもんですしねえ(笑)

【棚からぼた餅】
そんなバカな?という降って湧いた幸運も、私的には自分自身で無意識に布石を打っていた、と思います。偶然は無い、ですから。

【タデ食う虫も好き好き】
人はそれぞれに嗜好がある。それを受け入れて見ると、世界が広がるのである。これ、ホント。私は背の高いヒトがずっと好きでした(笑)

【天は自ら助くる者を助く】
願いは天に届く、と言う事でしょうか?

【求めよ、さらば与えられん】
有名な聖書の言葉。つまり求めない事は与えられないつう事ですか。求めるという選択、求めるというパワーを行使しても良いんだよ、という風に解釈もできますね。

【餅は餅屋】
人それぞれ役割があると思います。同様に宇宙にも役割が(笑)願望実現ワールドに当てはめると、夢をお願いするのが私の役割なら、配達するのは宇宙の役割。
配達屋にあれこれケチつけずに、自分のオーダーを良く観察する事も大切です。

【金は天下の回り者】
昔は、金は天下の回し者(爆)と誤解していました。どうせ回って来るお金。イージーにたくさんくるように、玄関に続く道を掃除しておきましょう!!

【イワシの頭も信心から】
対象が何であれ、「思えば実現化する。」恐るべし想念パワー!(笑)人間には、そいういうパワーが基本装備で備わっているという事ですか。

【聞くのは一時の恥、聞かぬは一生の恥】
知る事。これがもたらすパワーも侮れない。聞く事、つまり問い。そうです、問わないと答えも来ないのです(笑)

いっぱいありますねえ(笑)
こんなコトワザが豊富にある日本人に生まれたというだけで、かなりラッキーなのかも知れません。コトワザを理解できるバックグラウンド、それがあるという事はありがたい事かも!