旅行前から、ちょっと長い期間、鬱気味だったかなぁ。
体力と気力を消耗する事が重なり過ぎた。
ので、10月初めの週末アルメニア行きからあまり時間経過してないけど、ブレイクが必要で
休暇を心待ちにしていたのだ。
ポンディチェリの海岸。ここにヒーリング施設があったが、興味を惹かれるプログラム無し。
で、結局、何もしなかった。
素晴らしい風景。
私は海の人ではないので、アンダマン海の荒波のザブーーーン、という音が怖いような気がした。
絶対、こういう場所には住めない。
わたすは、バオバブの木が茂るよーな場所が好きです。
ちょっと気分が低下気味だったので、今回は自然に癒された。
風をきってスクーターで移動するのは、とても気持ちが良かった。
しかーし。
至る所に落とし穴(涙)
スクーターの転倒以降、雨が降った事もあり、どこにも出かけずボーっとして蚊に食われていたのだ。
帰国便は早朝便だったため、夜が移動時間になって睡眠とれず。
打撲した右半身は、徐々に痛みが増していった。
幸いに、ボスが長期出張中のため、私は料理を作る必要が無い。
帰国早々、週末だったので、隠れ家で留守の間に見れなかったTV番組をストリームで鑑賞。
料理番組とX Factor(笑)大好きなのよ、これ。
寝返りもできないほど痛みが増加し、右足は足首から先が腫れていた。
まずいな、と思ったが、現在は建国記念日と何かの記念日で長い週末で、病院も閉まってる。
週明けまで待つしかない。
漠然とネットでTV番組を観てたら、それもほぼ終了し、相変わらず気分は低下したまま。
こりゃイカン、と思ってネットで元気になる映像を探したら、
ジョエル先生が!
ジョエル先生の本、そういえば買って読んだな。私はたくさんの蔵書をアルメニアで全部、
人に寄付したので、本は1冊も持ってない現在。
ジョエル先生はなかなか見た目も宜しく、なんといっても演説が上手。
思わず聞き入ってしまった。
ローマ法王に謁見したそうな。
ジョエル・オースチンはテキサスで大きな教会を主催してるらしいです。
全然年取ってないのに驚きました。
ザクっと選んだ説教は、Power Of I Am、みたいな感じ。
I AMで始まるアファメーションで、自分を変えていきましょう、って感じ。
聖書にも言葉はパワーであるぞ、って記載されてるし、なんてのを引用して説教していた。
この人、ホントに説教上手と思う。
パパパン、と膝を叩きながら聞いてるうちに、マインドを覆っていた暗雲が掻き消えたよ!
ジョエル先生、ありがとー。
言葉はチカラ。
あなたは、あなたが放った言葉の通りになる。
ので、I am で始まる言葉を使う時は注意しようね、と。
んー。よく聞く話。しかし、米国でも有数の大きな教会の宣教師であるジョエル先生は
始終ニコヤカで温和な笑顔を浮かべつつ、優しくかつ確信的に話すのだねえ。
なんか、あぁぁ、そうだった、という感じで一気に引き込まれてしまうのです。
例えばインド人の話好きwwwが持つような、強引さがなく、全く抵抗心を芽生えさせない。
油断してしまうwww感じ?
まあね。騙されてもいいの。それで気が済んだり、気分が浮き上がるなら。
真実を探してるのではなく、元気玉みたいのを探してるだけなんで。
気分が浮かびあがる方策を探してたので。
ジョエル先生は言っていた。まあ、伝道師?宣教師なので、Godが絶対的存在として話に
多く出てくるのは致し方ないけど、私は素直に、そーか、と思いますけど。
だいたい、概略はこんな感じ。
みなさん。
自分の話す言葉を見直してみましょう。
言葉はチカラ。言葉があなたの未来を創造します。
あなたは言葉を通して未来を選択し、決定ずけています。
私は弱い
私は年寄り
私は醜い
私は才能がない。。。ETC
という決定を自分に下してませんか?もしYESなら、変えましょう。
変える事は可能です。
また、
私はいたってフツーだ
私は特に秀でることもなく一般的な人間だ
という自分の定義ずけも間違っています。
思い出して下さい。
ニンゲンは何十億人いても、同じ人はひとりもいません。
みんな、特別なのですよ。
人は自分の発した言葉の通りになるのですよ。
私は年寄りだ、などと言うと
「しわ」が向こうからやってきます。
私は不幸だ、などと言えば
「不幸」が駆け寄ってきます。
私は~に続く言葉は強力です。
思い出して下さい。私達は神さまの創造されたマスターピースです。
その事実を無視して、「私は才能が無い」などと言葉を使うのは
未来の自分を呪っているのと同様です。
実際、私は才能がないのだ、と反論するかもしれません。
しかし、I Am ~の後に才能がない、と宣言するのは、現在を説明しているのではなく
未来を選択している行為なのですよ。
私は才能がない未来を選択します、と。
言葉は種、のようなものです。
撒いた通りのものが育ちます。ですから、毎日、時間を作ってI AM ~ポジティブな
言葉を使って自分を表現する習慣を作りましょう。
現実には多くの問題を抱えているかも知れません。
もう、問題はたくさんあるのだから、未来にまで持ち込む必要はないのです。
言葉を使って未来の自分を祝福しようではありませんか!
他の誰かがネガティブな言葉であなたを消沈させて、あなたは人生の行先まで変えて
しまうかもしれません。
が。
あなたの人生の行先を決めるのは、神だけです。
他人のネガティブな言動に反応し、自分で自分にネガティブな言葉を使わないように。
私はダメな人間だ、と言えば、その通りになるのですから。
神はすでに私たちを「許可」しています。だから、他人から「許可」を得る必要は
無いのです。
なーんて話。 日本語が下手で翻訳が下手なんで、妙に陳腐だけどさー。
マーフィ博士のアファメーションの話にも似た、というか同じ。
言葉の大切さは、自己啓発系では原点?
ついでに密教系でも大切にしてる模様。
言葉にパワーあり、は本当なんですね、きっと。
私は豊かだ
私は美しい
私は才能がある
私は柔軟性がある
なんて、現実と乖離してるで、と思うけど、未来の自分の説明、なら
ま、アリかと(笑)
確かに、時間は存在しないのだから、私は豊です、もあながちウソではないのかも。
落ち込んでいただけに、「現実」に取り込まれ過ぎていたと反省。
ジョエル先生の説教も、新しい事でも何でも無いのだし。
思いました。
こういうのも、メンテが必要。
一度本を読んで感動したくらいでは、血となり肉となったりしません。
私もすっかり、こういう事を忘れて、エゴにまみれてしまったのでした。
バカバカしい、と思いつつ、こういう軽いアファメーションで相当、気分が晴れたのでした。
そうだ、そうだ、そうだったけー、という感じ。
その後、勢いでオプラ先生とエックハルト師匠の対談をYoutubeで見る。
ああ、この本も凄く感動して読んで、人様にも押し付けたっけ。
オプラ先生との対談もYoutubeで全部見てるけど、
ぜーんぶ忘れた。
物語じゃないんで、記憶が薄れる。
感動した事しか記憶にない。健忘症か?
オプラ先生とエックハルト師匠は、のっけから、「Who AM I?」という
重い話題です。エックハルト師匠いわく、この質問の回答は、マインドでは回答不能、
ってな事を言っていた。
ううむ。
また、私は誰か?の問いの
「わたし」を私と認識する「もの」が必要になってしまうわけで。
エックハルト師匠は、思考ってのは習慣で中毒性のあるものである、なんて言ってた。
思考はもちろん有用でもあるけど、わたし、が思考してるか、つうとそうでもない。
思考から判断や疑惑や、さまざまな「いまにないもの」が派生して、人間はそういうものに
がんじがらめになっている、なんてことをおっしゃっていた。
Stillness。思考の鎮静化した状態?
が大切とな。
練習すれば、その状態に断片的になれるけど、できれば24時間をその状態で過ごせれば、と。
エックハルト師匠は、淡々と小難しい事を語っておられ、聞いてるオプラ先生が
結構、ポカンとしていたのが印象的。
そうそう。
南インドでゲストハウスのオーナーに良い事を聞いた。
私は知識を詰め込んでも実践しないと意味がないと思っていること。
でも、いきなり知識を日常生活に反映するって、どういう風にしたらいいのか分からないのだ、
と言ったら、オーナーいわく
マザー(コミュニティの創始者)は、手を動かすことだ、クリエイションだ、と言っていた。と。
手を動かす、かあ。そりゃあ、面白いな!じゃあ、料理ピッタリじゃん?と思ったりして。
結構長いこと、重たい気分だったけど、
スクーターで転倒したお陰で、帰国後の週末は安静に、でYoutube三昧。
お陰でジョエル先生、エックハルト師匠、そして大物のオプラ先生などの動画に再度、触れる
事ができた。
凄い采配だ。
私はジョエル先生も言ってたけど、「心のコンテナ」をゴミでいっぱいにしてた事に気が付き、
一気に全部廃棄処分したのです。
ココロのコンテナくらいは、暖かさのあるもので埋め尽くしたいものです。
ので、ひっさしsぶりに元気になったのでございます。