許す事。
私はそれほど他人を憎んだりしない。そして、それほど愛したりもしない(笑)
でも期待するよね。こんな日には優しく慰めて欲しいぞ、とか。日頃優しい人だったりすると、余計期待したりするもんですね。
人生のかなり早い時期(中学生とか)に、私は天啓のように私の人生の指標がやってきた。それは当然今でも鮮明に記憶しているし、それを超える「指標」にも出会えていない。
その一つに『他人に期待しない人生』というのがある。
にもかかわらず、私は他人に期待しては受け入れられず(思うように事が運ばず)、自分を否定されたような気分になって傷ついたり、をずっと繰り返してきた。
前パートナーは厳しい人だった。まあ、ああいう人も滅多にいないだろうが(笑) 彼のビジネス環境の激変で、4年ほど、私が家計を支えていた事があった。私は高収入アーキテクトをしていたので、そんなに生活レベルを落とさなくても生活可能であった。
が、私が仕事辞めたら生活維持できない、というプレッシャーは大変なものであった。今まで「生きるため、食べるために働く」という切羽詰まった状況に追い込まれた事は無かったのである。
そんな環境に限って、仕事先には問題が多かったりする。辞めたくなるような環境だったりする。私は日本企業で働いていたのだが、駐在員ステイタスでないと二級市民(笑)のような雰囲気があり、さらに英語が堪能だったり、国家資格を持っていたり、日本人村に出入りしていない、という非日常的な日本人、だったので、かなりあからさまに攻撃を受けた。
仕事を終えて家に帰る。EXパートナーは国連のコンサルに選抜されるほどの優秀なビジネスマンなので、私は良く仕事の話をした。そのプロジェクトにおける日本人の愚鈍さ(失礼!)、明らかなミステイク、ししかしそれを認めようとしない環境、そんな愚痴をこぼしていた。そして私が女性で現地採用という低い身分(笑)なため、なかなか意見が採用されない、日本人男性は女性が優れた意見を言うと、速攻否定する習性があり(人によりますが)、沈黙を保つのが吉、という私の意見を、EXパートナーは全く理解できなかった。
私は彼の意見を聞いて、会社でどう対処したら良いかアドバイスが欲しかったのでは無い。彼のアドバイスは日本人には不向きなのである。彼自身は日本人のビジネス仲間も多く、人気もある。それは彼が日本人でないがゆえの特権も多いのである。
私が彼に愚痴っていた理由は、問題の解決策が欲しかったのではなく、「よしよし、いい子、いい子。私の問題のために、君にこんな思いをさせて働かせて済まない。」そう言って欲しかっただけなんである(笑)
ビジネスで問題が起きても、彼自身にはパリッとしていて欲しかったら、無理して高級車を買い、彼のスーツも高級生地でオーダーでした。一方私は心労で白髪が一気に増加し、自分自身が着飾るなんて事は忘れていたので、老婆のようになっていました。
数年後に当時の写真を見て、私は仰天しました。「誰?この老婆!」(笑) 私だって。
そんな日々を送っていた私に、Exパートナーはハッキリ!と言った。「プロに徹しろ。その会社の問題は君自身に問題がある。リアクションを取るのでなく、プロアクティブになれ!ウン云々かんぬん、、、」延々と続く彼のアドバイス。私はただ、哀しかった。
彼のため、彼自身の問題を解決しよう、助けようとしてる私に、まだ「足りない!」と言うのか?と。どうして一言「ありがとう」が言えないのか、と。ある日、いい加減腹の立った私は、正直にその旨を彼に伝えた。 少しの沈黙の後、静かに彼は言い放った。
「Did I ask you?」
私はおそらくこの言葉を生涯忘れないだろう(笑) 確かに問題が発覚した際、日本に帰れ、と言われた。私はぼんやりと専業主婦をしていたのである(笑) そんな矢先に仕事の話が持ち上がり、就職したけど、その期間、彼は国外でネット環境も充実してない時代だったので、私の就職に関しては何のコメントも無かった。ので、確かに「頼まれてはいない。」(笑)
彼も仕事をしていたが、収入の全てが負債(しかもワナにはめらて、彼は無実な負債)に充当されていたので、自然と、二人の生活の全てを私が賄う形になっていたのである。
そんな状況は彼も良く承知のはず。そしてこの言葉。私は全身が硬直して石になったような気分であった(爆) 確かに、何も頼まれては、いない。
他人に期待しない人生。13歳くらいの年齢には似つかわない気がするけど、これはずっと私の中にコダマしていた言葉である。そして私の実人生は↑のように、「期待しまくり」であったので、何かと気分の落ち着く事が無かったのである。
私とEXパートナーはその後、不毛の日々を経て軟着陸に至る。私は数億円にのぼる負債を4年で返済した彼もたいしたもんだと思った。夢にまでみた、返済最後の月。しかし私の心は疲労困憊していて、完済の日がきても、何も思わなかったし、感慨も無かった。「二人で乗り切った」という感覚が皆無だったのである。
それから3年後。ある朝突然思い立ち、私は全て私が購入した家財道具満載の家から、「クリスタル」と本だけ持って家を出たのでありました(笑)
Exパートナーとの事はインパクト大ではあったが、恨んではいない。タフなレッスンだったなとは思うけど、彼を通して多くを学びました。与えられる事は最大限に与え、受取るものも、最大に受取ったのだなあ、と今では思っています。
彼自身よりも、私は「わたし自身」を許す事が大きな課題でした。Selfesteemが低かった私は「奉仕」する事、犠牲をする事、与える事で、リターンとして彼の愛情なんかを期待していたのだと思います。そんなのにビクともしなかったEX。たいしたもんです(笑)
学びが完結していない課題は、何度でも姿を変えてくる。
昨夜、Insight CDを聞きながら、多少の恐慌状態に陥っていた。「ゆるせなーーい!」と心が激しく叫ぶのである。理由は期待して、裏切られたから(笑) 些細な事で、相手は私を傷つけようという意図も全く無い、のであるが、「満たされなかったワタシの気持!」を、どうにかしないと、どうにもならない(笑)そんな気がして滅入っていたのである。
夕方、空腹が襲い、家に帰れば「昆布と高野豆腐の煮物」があるにもかかわらず、普段滅多に食べない「ダブルハンバーガー」なんか買っちゃったもんね(笑) それをワシワシと食べた後の罪悪感(笑) 気分が不安定だと、こうして罪悪感を感じるような行動に走ってしまうのですね!
朝になり、瞑想をしながらInsight CDを聞いていた。
頭の奥の方から「許すこと、許す事」 「私はゆるします。」 「私はゆるします。」というフレーズが聞こえてきた。
私の思うような行動を取らなかった、「新しい彼」をゆるします。
気分が重かったから、話してスッキリしたいと思った「人に期待したわたし」をゆるします。
ゆるします、ゆるします、ゆるします。
そんなことを呪文のように唱えていたら、なんか黒雲が晴れていく感じがした。些細な事で、「もう一生電話なんかしないし、会ってなんかあげないもんね!」とまで思っていた気分も柔らかくなってきた。明日の夜のデートは、楽しく過ごそう。。。とまで回復。
恨んでなくても、許せる事ってあるのだなあ、と思った。許す事って、そのままを受け入れる事なんだなあ、とやっと実感した朝。まだまだ始まったばかりの関係なのだから、多くを期待せずに、毎日発見する新しい彼をどんどん受け入れて、許して行こう、そう思ったのでした。
私はそれほど他人を憎んだりしない。そして、それほど愛したりもしない(笑)
でも期待するよね。こんな日には優しく慰めて欲しいぞ、とか。日頃優しい人だったりすると、余計期待したりするもんですね。
人生のかなり早い時期(中学生とか)に、私は天啓のように私の人生の指標がやってきた。それは当然今でも鮮明に記憶しているし、それを超える「指標」にも出会えていない。
その一つに『他人に期待しない人生』というのがある。
にもかかわらず、私は他人に期待しては受け入れられず(思うように事が運ばず)、自分を否定されたような気分になって傷ついたり、をずっと繰り返してきた。
前パートナーは厳しい人だった。まあ、ああいう人も滅多にいないだろうが(笑) 彼のビジネス環境の激変で、4年ほど、私が家計を支えていた事があった。私は高収入アーキテクトをしていたので、そんなに生活レベルを落とさなくても生活可能であった。
が、私が仕事辞めたら生活維持できない、というプレッシャーは大変なものであった。今まで「生きるため、食べるために働く」という切羽詰まった状況に追い込まれた事は無かったのである。
そんな環境に限って、仕事先には問題が多かったりする。辞めたくなるような環境だったりする。私は日本企業で働いていたのだが、駐在員ステイタスでないと二級市民(笑)のような雰囲気があり、さらに英語が堪能だったり、国家資格を持っていたり、日本人村に出入りしていない、という非日常的な日本人、だったので、かなりあからさまに攻撃を受けた。
仕事を終えて家に帰る。EXパートナーは国連のコンサルに選抜されるほどの優秀なビジネスマンなので、私は良く仕事の話をした。そのプロジェクトにおける日本人の愚鈍さ(失礼!)、明らかなミステイク、ししかしそれを認めようとしない環境、そんな愚痴をこぼしていた。そして私が女性で現地採用という低い身分(笑)なため、なかなか意見が採用されない、日本人男性は女性が優れた意見を言うと、速攻否定する習性があり(人によりますが)、沈黙を保つのが吉、という私の意見を、EXパートナーは全く理解できなかった。
私は彼の意見を聞いて、会社でどう対処したら良いかアドバイスが欲しかったのでは無い。彼のアドバイスは日本人には不向きなのである。彼自身は日本人のビジネス仲間も多く、人気もある。それは彼が日本人でないがゆえの特権も多いのである。
私が彼に愚痴っていた理由は、問題の解決策が欲しかったのではなく、「よしよし、いい子、いい子。私の問題のために、君にこんな思いをさせて働かせて済まない。」そう言って欲しかっただけなんである(笑)
ビジネスで問題が起きても、彼自身にはパリッとしていて欲しかったら、無理して高級車を買い、彼のスーツも高級生地でオーダーでした。一方私は心労で白髪が一気に増加し、自分自身が着飾るなんて事は忘れていたので、老婆のようになっていました。
数年後に当時の写真を見て、私は仰天しました。「誰?この老婆!」(笑) 私だって。
そんな日々を送っていた私に、Exパートナーはハッキリ!と言った。「プロに徹しろ。その会社の問題は君自身に問題がある。リアクションを取るのでなく、プロアクティブになれ!ウン云々かんぬん、、、」延々と続く彼のアドバイス。私はただ、哀しかった。
彼のため、彼自身の問題を解決しよう、助けようとしてる私に、まだ「足りない!」と言うのか?と。どうして一言「ありがとう」が言えないのか、と。ある日、いい加減腹の立った私は、正直にその旨を彼に伝えた。 少しの沈黙の後、静かに彼は言い放った。
「Did I ask you?」
私はおそらくこの言葉を生涯忘れないだろう(笑) 確かに問題が発覚した際、日本に帰れ、と言われた。私はぼんやりと専業主婦をしていたのである(笑) そんな矢先に仕事の話が持ち上がり、就職したけど、その期間、彼は国外でネット環境も充実してない時代だったので、私の就職に関しては何のコメントも無かった。ので、確かに「頼まれてはいない。」(笑)
彼も仕事をしていたが、収入の全てが負債(しかもワナにはめらて、彼は無実な負債)に充当されていたので、自然と、二人の生活の全てを私が賄う形になっていたのである。
そんな状況は彼も良く承知のはず。そしてこの言葉。私は全身が硬直して石になったような気分であった(爆) 確かに、何も頼まれては、いない。
他人に期待しない人生。13歳くらいの年齢には似つかわない気がするけど、これはずっと私の中にコダマしていた言葉である。そして私の実人生は↑のように、「期待しまくり」であったので、何かと気分の落ち着く事が無かったのである。
私とEXパートナーはその後、不毛の日々を経て軟着陸に至る。私は数億円にのぼる負債を4年で返済した彼もたいしたもんだと思った。夢にまでみた、返済最後の月。しかし私の心は疲労困憊していて、完済の日がきても、何も思わなかったし、感慨も無かった。「二人で乗り切った」という感覚が皆無だったのである。
それから3年後。ある朝突然思い立ち、私は全て私が購入した家財道具満載の家から、「クリスタル」と本だけ持って家を出たのでありました(笑)
Exパートナーとの事はインパクト大ではあったが、恨んではいない。タフなレッスンだったなとは思うけど、彼を通して多くを学びました。与えられる事は最大限に与え、受取るものも、最大に受取ったのだなあ、と今では思っています。
彼自身よりも、私は「わたし自身」を許す事が大きな課題でした。Selfesteemが低かった私は「奉仕」する事、犠牲をする事、与える事で、リターンとして彼の愛情なんかを期待していたのだと思います。そんなのにビクともしなかったEX。たいしたもんです(笑)
学びが完結していない課題は、何度でも姿を変えてくる。
昨夜、Insight CDを聞きながら、多少の恐慌状態に陥っていた。「ゆるせなーーい!」と心が激しく叫ぶのである。理由は期待して、裏切られたから(笑) 些細な事で、相手は私を傷つけようという意図も全く無い、のであるが、「満たされなかったワタシの気持!」を、どうにかしないと、どうにもならない(笑)そんな気がして滅入っていたのである。
夕方、空腹が襲い、家に帰れば「昆布と高野豆腐の煮物」があるにもかかわらず、普段滅多に食べない「ダブルハンバーガー」なんか買っちゃったもんね(笑) それをワシワシと食べた後の罪悪感(笑) 気分が不安定だと、こうして罪悪感を感じるような行動に走ってしまうのですね!
朝になり、瞑想をしながらInsight CDを聞いていた。
頭の奥の方から「許すこと、許す事」 「私はゆるします。」 「私はゆるします。」というフレーズが聞こえてきた。
私の思うような行動を取らなかった、「新しい彼」をゆるします。
気分が重かったから、話してスッキリしたいと思った「人に期待したわたし」をゆるします。
ゆるします、ゆるします、ゆるします。
そんなことを呪文のように唱えていたら、なんか黒雲が晴れていく感じがした。些細な事で、「もう一生電話なんかしないし、会ってなんかあげないもんね!」とまで思っていた気分も柔らかくなってきた。明日の夜のデートは、楽しく過ごそう。。。とまで回復。
恨んでなくても、許せる事ってあるのだなあ、と思った。許す事って、そのままを受け入れる事なんだなあ、とやっと実感した朝。まだまだ始まったばかりの関係なのだから、多くを期待せずに、毎日発見する新しい彼をどんどん受け入れて、許して行こう、そう思ったのでした。