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宇宙の秩序に調和しながらの煩悩達成日記

自己実現。そうです、願望実現を通して、自己をさらに深く知ってみようという実験の日記ざます!

赤い花

2005-12-24 19:36:55 | 星からのメッセージ
メリークリスマス!

今年最後の書き込みになると思います。最後を飾るに相応しいヘビーな話題をば、一つ(爆)

というか、数年経ってこの出来事がやっと「腑に」落ちました。
私には既にこの過去に対する感情ってのも存在せず、微笑みながら「そんなこともあった。そういう全てが今の私に繋がっている。ありがたい事です。」と回顧できるようになりました。時間かかったけど。(笑)

それは数年前。前パートナーと閑静な高級住宅地で不毛の生活を展開していた頃。時は2月頃だったと記憶している。夕暮れの時間が早かったのを覚えている。

私の住む場所は、宗教的制約が非常に多い事は何度も書いてますね(笑)なので、サイキック関係は全部「ハラーム!」。
しかしながら、当然、人間ですからみんなそういうのに興味があって、表面的には禁止されてる一方で、ブラックマジック大人気!らしいです。主に、ナイジェリア、エチオピアとかのアフリカ人が活躍している模様。あまりに怪しすぎて、私は近寄った試しがありませんが。

話が最初から脱線しました(笑)

さて、母が数年前に亡くなりました。脳溢血の発作で、突然の死。私は日本から母の亡くなったという連絡を受けましたが、葬儀の参加を一瞬、躊躇しました。

母は、亡くなる2年程前に、軽い脳梗塞の発作を起して、左半身に軽い麻痺が残っていました。その最初の発作の時に、私の実兄は「どうして、ひと思いに死ななかった?」と口走ったそうですが、私はその兄の心情が理解できます。兄もまた、ある意味、犠牲者だったのです。

この兄の言葉に、私達家族の過酷なレッスンが集約されています。

結局、私は葬儀に参加のために帰国する事になり、バンコク経由で帰国の途に付きました。バンコク乗り換えの飛行機は、日本人の観光客中心に満席でした。
する事もなく漫然とビールを飲んでると飛行機は成田空港に到着しました。安全ベルト装着サインが消えると、搭乗者はいっせいに立ち上がり、コンパートメントの手荷物を取り出し、われ先へと脱出路に並び始めました。 

私はじっと座席に座ったまま、久しぶりに見る日本の山々や、成田近郊の田んぼ風景を見ながら、「マミー、帰って来たよ。あなたのお葬式のために。」と呟くと、あとからあとから涙が溢れて止まりませんでした。そして、そんな自分を予想していませんでした。葬儀は淡々と終了し、私はトンボ帰りで日本を後にしました。

母の死去も私の日常生活には、具体的な影響を及ぼす事もなく、いつもの生活に戻って、相変わらずの毎日を過ごしていました。
私はとある筋から「英国人霊媒師が街に来た!」という情報をゲットし、早速、予約しました。

彼女は「サイキック・サリー」と呼ばれ、ソコソコ有名だそうだ。
彼女は50代で、チャネリング能力が少女時代からあったそうだ。サリーは、「私はアンテナみたいなものです。私の周波数に合った「霊」がコンタクトしてきたり、周波数に合った世界が見えるのです。放送局みたいなもんと思って下さい。」
と説明して、アッサリとチャネリングが開始された。

私は懸案事項の、当時のパートナーとの不毛の関係を話すと、「あなたは、どうしても見つからないジグゾーパズルの最後のピースを探してるみたい。でも、それはもう見つからないわよ。パズルを箱に戻して棚に戻しましょう。」と言われた。
なるほど。上手い事言うな。と感心していました。

すると、サリーが突然、「あ、あなたのお母さんが出てきたわ!」と。お母さん、亡くなっているのね?と。

私は「は?」と何も言えずにいると、サリーは、それが本当に私の母だと証明するために、父の名前を母に聞くと言います。そして、奇妙な発音ですが、まさしく、私の父の名前をサリーは口に出しました。私は驚いて、「はあ?」なまま。

サリーはさらに、チャネリングを続けます。そして、「変ねえ。あなたのお母さん、檻のような中にいるわ。。」と。私は愕然としました。

それは私達家族の不幸の原因(と昔はみんな思っていたであろう)であった、母の精神の病を象徴するものなのです。幼い私の最初の母の記憶は、病院に入院する母を見舞って、入院先の病院を父と訪れた光景なのですが、昔の事ですから、発作を起して暴れるような患者は「檻」に収容していたのでしょう。
母は檻の中のベッドに静かに横になっていました。

今思えば、姑(私の祖母)の強烈な個性に、お嬢様育ちの母はついていけなかったのだろうと思う。が、そんな理解を示す事が可能になったのは大人になってからで、子供の頃は、ヨソのお母さんと違う母を、激しく嫌い、呪い、罵声を浴びせたものです。
おっとりとした性格の母は、いつも黙って何も言わなかった。無言の反抗なのか、母は殆ど実家に帰って、子供の世話は祖母が一手に引き受けていた。
賢くてしゃっきりした明治生まれの祖母を、私達きょうだいは溺愛し、尊敬し、母に代わって女神のように思っていた。

母が実家に戻ってしばらくすると、「世間体が悪い」と言って、父が母を実家から連れ戻していた。ずっと実家にいればいいのに、と私は思っていたものだ。

私の父は自営業だったため、金銭的には非常に豊かに育った。が、しかし、母の愛情(自分が思ったような愛情)で満たされる事がサッパリ無かった私は、愛に対する飢餓感、不信感を大きくはぐくみ、お金に対する嫌悪感も同様に甚大であった。
実家の富を象徴する大きな屋敷も、私にとっては中はカラッポで、何の意味も持たない、というより、不幸の象徴ですら、あった。

「お金なんかいくらあったって、全然幸福じゃないじゃない。同級生のXXXちゃんは貧乏だけど、いいお母さんに恵まれて幸せそうでいいな!」といつも思っていた。この頃から、お金に対する嫌悪感が生まれていたのですねえーーー。
やっと最近クレンジングできるようになりました。

自分で言うのもなんだが、子供の頃は神童でもあったが(爆)、そんなもん、当たり前過ぎて、全然嬉しくなかったものです。
私は経済的豊かさより、学習能力の高さより、「優しいお母さん」に激しく渇望していたのです。(今思えば、で当時は諦めていた。) 人は無いものねだり、の典型を見るようである。
与えられたものに、喜びなんかサッパリ感じる事ができませんでした。

そんな、他人には決して言えない私の「悲しい思い出」をサリーにイキナリ言われて、私はただただ唖然としていた。
そして、サリーは言う。「あなたのお母さんは、あなに贈りものだと言って、大きな赤い花を、一輪、手にしているわ。」 私は頭がボーっとなっていた。

「お母さんが、「私の死因に関しては深く考えなくていい」と言ってるわ。」と。サリーは無言の私を気ずかいながら、さらにチャネリングを続けていく。

「お母さんは、「あんな環境だったから、愛を分かち合う事ができずに、済まなかった。来世でまた、親子でも姉妹でも何でもいいから再会して、今度は、愛を分かち合おうね。」と言っている、」と。

その言葉を聞きながら、私は涙が止まらなかった。

「これからの人生も、どこかで見守っているわ。先の事は大丈夫よ。心配しないで。」母はそんな事も言っていた。サリーが涙でくしゃくしゃの私に気を使って、何か言ってくれた。
その後、また母と交信しようと試みたが、「ああ、あなたのお母さん、もういないわ。」

私は突然の母の出現に、聞きたい事とか、そういう事は何も考えられない状態であった。

サリーは「こんな感動的なセッションは滅多に無いわ。もうこれで十分ね。」と言ってチャネリングを終えた。

私はその場所で、しばらく呆然としながら、息を整え、家に帰る事にした。その場所は家から徒歩の場所であった。夕暮れが早い時期、だったと記憶している。家に帰ると、辺りは夕暮れで、静かに薄暗くなり始めていた。

私は呆然としながら家に戻り、門を開け、玄関に向かった。そして、「ふ」と気になって庭に出てみた。庭にはたくさんの赤いハイビスカスが咲き乱れていたから、である。
しかし、ハイビスカスは太陽が沈むと花を閉じるので、その時間は既に花が閉じていた。

それでも、まっすぐに庭を横切ってハイビスカスの植え込みの前に立ってみると、ひとつだけ、ポツンと花を閉じていないハイビスカスが、私に向かって大輪の赤い花を広げていた。私の帰りを待ってたかのように。。。

私は全身の力が抜けるのを感じた。何も考えられなかった。涙さえ出なかった。その場に、ヘナヘナと座り込んで、頭を抱えていた。その後、私は激しいエネルギーの消耗を感じ、ベッドで横になっていた。頭の中では、いろんな事が整理つかないまま、とっ散らかっていた。


その後、いろいろ学ぶ事も多く、「人は繋がっている。」事や、目に見えないけど、確実に存在する世界があることを知るようになる。母とチャネリングで出会ったのはこの一度だけ、であるが、それで十分であるなあ、と思っている。母の後を追うように、2年後父も他界した。

家族というのは、何であれ多大な影響を受けるものであるな、と感じずにはいられない。私の根深かった心の暗闇も、この幼少時代に味わった「絶望」が生み出したものであろう。一般的な幸、不幸なんて無い。幸福の指標なんてものは無い。ひょっとしたら幸福なんて無いのかも知れない。幸福が無いって事は、不幸も存在しない、という事である。
あるのは、・・・・・あなたは、何だと思いますか?

私は不良になっても、人の道を踏み外してもおかしくない環境で育ちながらも、「カワイソウな環境だったから、ああなった。」とだけは言われたくなくて、ずっと頑張ってきた。相当な努力をして来た。
諦めた事がらも沢山あった。

しかし、それがシーソーの左端の末端に寄った結果、だとすると、今、私は右側に大きく振れていくしかないのである。自然の摂理である。
絶望の反対側、私は長きに渡って絶望側を追求していたので(爆)、もう、末端まで来たら、絶望の反対側に行くしかないのである。どんな未来が待ってるか、楽しみである(笑)

このような事をこういうところに書けるようになっただけでも、大きな変化。自分自身の事を随分客観視できるようになった。

昨日も、悩める主婦の友人と遅くまで語り合っていたが、「私は私の住む環境が何であっても、私自身は環境によって変化しないことを確信したよ。ハスの花は泥水から生育して、美しい花を咲かせるけど、人はその美しさ楽しむことができるでしょう?何処から生えてきたにせよ。」そんな説教をしていた(笑)

彼女には彼女のレッスンがあり、試行錯誤、紆余屈折しながらも「生きよう」としている。私は何も出来無いし、彼女のレッスンの邪魔をする気は無いけど、彼女の話を聞きながら、私の思った事をストレートに話している。
愛の気持を基本にしていれば、一瞬はムッとしても、やがて愛の気持は伝わるように出来ている。何年、何十年かかっても。

それは私の母が差し出した、赤い一輪の花、のようでもある。

皆さま、御精読ありがとうございました&良いお年を!!

人の記憶と感情に関する能書き(笑)

2005-12-20 16:55:42 | 願望達成に関する考察
過去。
誰でも年齢分の時間を生きている。生きていれば、いろいろな出来事と遭遇し、泣いたり笑ったり怒ったり、思う存分感情を消費して(笑)現在に至るわけである。

そして過去の出来事が「経験」「体験」として学習材料になり、その後の「判断材料」になったり、価値基準となったりする。
して、体験が人をつくる、といわれる所以である。

私は体験や経験を否定するものではない。が、未消化の過去に、あまりにも振り回されやしないか?と自分や周りを眺めて思うのです。先日も、フィルムフェスティバルがあって、何本もの映画を観たけれど、同じ事を思いました。

トルコのドキュメンタリー、The Play、は素晴らしい作品でした。山あいの村に住むおばちゃん達が、村祭りで「お芝居」をするというストーリーなのです。
まずは、有志を集めて、各人から「人生のストーリー」を聴取して、各々のストーリーを一つにまとめて、芝居のストーリーを作っていくのです。小さな山あいの村で、おばちゃんたちは、畑を開墾し、家を作り、家畜の世話をして、それはそれは良く働きます。一方で男性は、昼間から酒をあおって、グータラしています。

皆さんイスラム教徒なわけですが、女性は家の中で軟禁状態(笑)のこの辺とは違って、女性がバリバリ働いてるので、所変われば同じ宗教でも全然違うのだなあと思いました。

さて、みんながそれぞれの「苦悩のストーリー」を告白するのですが、何せ小さな村。ストーリーはみんな、どこかで酷似しています。まずは、親の理解が無く、学校へ行かせて貰えなかった、意にそぐわず、無理矢理結婚させられた、理不尽な姑にひどい目に遭わされた(笑)、旦那は酒ばかり飲んで何も手伝ってくれない、、ETC。
日焼けして、くわえタバコで、男顔負けに逞しく働いてるおばちゃん一人一人が、自分のストーリーをポツポツと語りながら、同時にはらはら、と涙を流すのです。過去を語りながら、そのカナシミやせつなさが蘇るのか、涙が次々と溢れるのでした。

私はどこかで、この光景と似た様な経験をした。
別居した友人が別居する寸前、25年の結婚生活の中から「成仏していない思い」を良く語っていた。「17年前、こういうことがあって・・・・」「15年前、休暇に出たら夫は。。」「20年前、会社を起した頃、夫は。。」と、それはそれは克明に過去の出来事を語っては、怒りとカナシミを新たにしていた。
ご主人は、「全く昔の話ばかりして・・・」と言っていた。

別の友人も、二人目以降が生まれ、育児に超多忙にも係らず「旦那が手伝ってくれなかった!」という思いが、未だに感情を激しく揺さぶる様子で、なんかの拍子に「そう言えば旦那は・・・」と思い出してしまうと、一気に「怒りモード」に入ってしまう。今でも。

大昔、例えば小学生の頃、誰かに言われた言葉が、どんなに自分を傷つけたか、とか克明に記憶していて、思い出すたびに「感情が伴う」種類の過去は誰にでもあるはずである。

そして、何とネガティブな「記憶」の多い事(笑) つまり、怒りやカナシミは「浄化しない」感情なのかもしれない。
逆に「幸福な記憶」が、いつまでも誰かを幸福にする、という事も無いみたいだ。

幸福な記憶は何度も思い出したりしない。幸福が幸福でなくなった時に思い出したりするのだ。例えば愛犬が居た暮らしを、愛犬が死んでから「失ったもの」として、幸福な記憶を「カナシミ」で思い出すのである(笑) 人間はフクザツですねえ。

という事は、カナシミや怒りは記憶と共に蘇るが、幸福感は思い出してもそれほど感情を伴わない。うーん。逆だったら良かったのにねえ(笑)

他の人はどうだか知らないが、私の場合、数少ない「幸福な記憶」「成功した瞬間の思い出」を思い出しても、「しあわせだ~!」という感情に包まれ、しばし、喜びに浸る、って事は無い(笑)「ああ、そういうこともあったっけねえ。」という感じで、既に浄化されているのである。

なので、思い出すのはカナシミばかりで、ロクな人生じゃないな?と思っていたが、違うのである。これは「感情」 のメカニズム(笑)を探ってみたら、ナルホドというヘリクツを発見して(笑)我ながら「腑に落ちた」のである。

さて、感情のメカニズム。
それは多分、幸福感を味わう事で、そのモノゴトは完了してしまう、カルマの環を閉じてしまうのだと思う。幸福感、は結果、結末である。達成感なのである。アガリである。そして、感情はそこで「成仏」してしまうので、その先は無い、のである。それが、人間の本質は愛である、と言われる所以である。唐突ですが(笑)

しかし、カナシミやネガティブな感情は、「発端」であり、幸福感のように、結果ではない。だから、成仏する事も無く、何年経っても、「感情」を伴って蘇るのである。言い方を帰れば、成仏するまでは、何でもやってくる、という事である。

過ぎ去った出来事に振り回されても、エネルギーのムダ使い、ですからさっさと過去は忘れて「いま」と、未来に生きましょう。なんて言ってもムダだ(笑)やはり、感情は「成仏」させないいと、幾度でも蘇り、我々に余計なエネルギーを浪費させるのだ。

成仏、に至る道は「幸福感」でしか有り得ないのでは?というのが私が感じる事。過去のカナシミや怒りを「喜び」に変化できれば、そこでカナシミの感情はめでたく「成仏」するのである。

ここでまた、「今に生きる」重要性が登場する。
私は幾多の紆余屈折、人生の火傷に食中毒(爆)を通り超えて、やっと自分が好きになる事が出来た。ありのままの自分を受け入れる事に成功した(笑) と同時に、過去のカナシミや怒りも「成仏」してしまったのである。
なので、インナーチャイルドワークでは、あまり効果を得られないのである(笑)

今を癒すと、過去も未来も癒される、とはこの事である。
インナーチャイルドのいじけた自分、不貞腐れた子供の自分が出てきても、それが、今の私の感情を刺激する事はもうない。
ぷりぷりしてる自分を見たとしても「おー!いいんだよ、それで。そのお陰で今の私は自分が好きになれたよ、ありがとう」と思えるから。

私はソレナリの苦労やカナシミにも出会ってきた。それが今の、ちょっとヘンテコな私を形成しているのだ(笑) そして私はこのヘンテコな自分をイトオシク思っている。
長いことないがしろにしていた分、これからは、たくさん大切にしてあげようとも思っている。だから、自分を批判したりしない。何をしても、どんな結果でも「OK!良くやったよ!」と思っている。
何しても、とは言っても、当然、私が人の道を大きく外れるような事はするわけが無いので(笑) 少しは外れるけど(爆)

しかし。意識の持ち方一つで、カナシミも喜びに変わるとは(笑) この宇宙、「絶対」というものは無いのかも知れないですねえ。何でもどうにでもなる(笑)絶対的なカナシミも、絶対的な幸福も無い。

それは多分、元々は「何も無かった」(爆)から。なので感情の帰結先は、変幻自由、なのである。

感情を伴う記憶、をずっと持ちつづけたければ、それもヨシ。それに振り回されるのはもうイヤだ!と思う場合は、「今」と「今の自分」に注力すると、自ずと過去が変わる、過去への気持が変わるみたいです。

さて、トルコ作品のおばちゃんたち。劇場から、衣装まで全部手作りでした。
ドカンドカンと劇場も逞しく自分達で作っていました。
毎日、野良仕事が終わった後、嬉々としてリハーサルをして、意見のすれ違いで喧嘩したりしながらも、仲間意識と団結が強くなり、ほとんどの人が、「何故か、旦那が親切で理解ある人になった。」(笑)と。妻が何かに熱中していると、案外夫というものは嬉しいものなのかも知れないですね。

最後の舞台挨拶では、どのおばちゃんもキラキラ輝いていました。
おばちゃん達は、この芝居を作る、という大事件をきっかけに、カナシミの過去が、一気に幸せのモト、に変わったかなあと思った。

感情のメカニズムと自己実現の関係性(笑)これは一種、クレンジングかなと思う。実現くんの言っていた「カレー鍋で味噌汁」では、味噌汁のおいしさを十分に堪能出来無い。だから私はクリーンな鍋で味噌汁を作りたい(笑)
私はまず、「私」という鍋をクリーンにして、そこでいろいろと料理してみたいな、と思うんである。

コアトランスフォーメーションが私にもたらした福音

2005-12-18 17:53:53 | 宇宙の法則、秩序に関して思ったこと
長い長い間、それは私が物心ついてから今年の3月に至る170年ほど(笑)の永きに渡って、私を支配していた「思想」であった。

それは私自身の心の奥に広がる無限の「闇」であった。この底なしの闇に、いつの日か飲み込まれてしまう、という恐怖がいつもどこかにあった。
私が退屈な人生を送っていたのも、この「闇」が原因。どうせ闇に飲み込まれてしまうなら、何もしない方が良い、何も愛さない方が良い、何も見ない方が良い、という極端な思想。
この闇に対しては、成すすべもなかったのである。そして、この「闇」を打破するモノ、人、思想に出会わなかったため、ずーっと闇と恐怖を抱えて生きていたのだ。

闇と恐怖は、私自身が創出した、私自身の限界、でもあった。

コアトランスフォーメーションは、その闇を見事に「安らぎ」に変えてくれたのである。闇は相変わらず、闇のまま、かも知れない。多分、私は心の底から光り輝くというタイプでは無い。そして周囲に光を放射する、という生き方を選ぶ事も無いと思う。闇、でもいいのだ。恥じる事も無いのだ。それが、「わたし」なのだ。

コアトラは、この「闇」から、「悪寒がするような恐怖」を取り除いてくれたのである。私は、自分自身を批判家で批評家で辛辣でイヤな人間だとずっと思ってきた。他人に対しても辛辣な私は、誰よりも自分自身に辛辣であった。
そんな性格で生きていると、楽しい出来事に出会わない(笑) というか、楽しめないのである。 ずっと気がつかずに、楽しめない人生を選択していたのだ。ああ、損した!(爆)

コアトラを実践し(って数回しかしていませんが)、内なる闇が「無限の安らぎ」「絶対の平穏」である事を「実感」(感じる事が大切です。)してから、大いに視点が変わった。視点が変化すると、それに伴って自分の世界も一変した。毎日目にしている同じ風景に、昨日とは違う「何か」を感じる、そんな感じ。

そして、苦手意識や、恐れから来る「相手から攻撃される前に相手を破壊する事によって自身を守る」というゲームをしなくなった。以前はこのゲームのお陰で、とってもクタビレテました(笑) キリが無いんだよね~。こういうの。

とはいえ、相変わらず「ヤな野郎」は私のナナメ前3mに鎮座し(笑)、彼は私を無視する事によって何がしか無言の圧力をかけている様子。以前は、こういうことに敏感に反応、つまり「共鳴」して、ビンビンと「悪い波動」を送りつけていましたが(爆)、コアトラ効果で、私にでさえ!(「さえ」と思う所が、相変わらずSelf-esteemが低い)心の底に「無限の安らぎ」があるんだから、この「ヤーな野郎」にもきっと「静かな安らぎのこころ」があるはず、と思えるのである。 多分、どんな人の心のにも「在る」のである。普遍、に。

コイツも、何がしかの修行の途中で、こういう「イヤーな役どころ」を引き受けて演じているのであろう、とそう思うのである。かといって、今後、仲良くなってメデタシ、メデタシという展開には至らないだろう。それに、そういうのが最善のEndとも思わない。そんなのはTV番組やありきたりの物語の結末で十分だ。人生は小説より異なり、なのだ。

私のスムースな生活の中の唯一、「トゲ」のような野郎(笑)だが、このトゲのお陰で、私はいろいろな事を発見したのである。この「冷たいシカト関係」が、感謝、に値する関係なのである。

以前からの流れで、相変わらず「無視」という関係が続いてもいる。が、その彼のリアクションに、私はもう、それを何とも思わないのである。なぜなら、感謝しているから。
狭い日本人社会で「あの人に会いましたよ。」とかヤな野郎の話が出ると、私はいつも彼を「誉めている」(笑) 相手の人は「は?」という表情をしているが(笑) それで、彼が他の日本人相手にどういう言動を取っているか、だいたい察しがつく、が、私は彼の「いいとこ」しか話題にしない。
ヤな野郎ではあるが、敵でも何でも無いので、ネガティブなコメントをする必要が全く無い、それだけの事ですが。

人は、誰でも、心の深いところ、コアになるところに「静かな安らぎのこころ」を持っているのだと思う。そして、そのまわりに、玉ねぎの皮のように、何重にもなった「性格」「性質」「リアクションの種類」が重なっているのだと思う。

その「玉ねぎの皮」は慈愛的な性質であったり、攻撃的な性質であったり、様々だと思う。誰でも、たくさんの皮を身にまとっていると思う。いいとか悪いとかでなく。生活上で感情を揺るがす出来事が起きるたびに、この「たまねぎの皮」が一枚、張り付くのではないかと思う。

それを「体験」「経験」と呼び、創造主が私達を通して見たかった、知りたかった世界なのかも知れない。あるいは創造主が作り上げた「法則」「公式」「秩序」の具体例を必要としているのかも知れない(笑)

私、という実験、観察される側は、なんとか「たまねぎの皮」を一枚一枚剥いで、コアに、真理に近ずこうとしているような気がしてならない。一見して、創造主と逆の方向に向かっているようであるが、多分、どっかで両者の「融合」が起きるのではないか、と思う。

この「融合」が今のところ、私にとっては最終目的地かも知れない。そこに達するための、「かくれんぼ」ゲームで創造主のメッセージを見つけたり、願望実現ゲームで意識の純粋化に励んだり、瞑想を通して、忘れ物のありかを思い出したり、そんな事を日々繰り返しているのかも知れない。

このゲーム、ヒントやTipsってのは存在するけど、絶対的なルールは無いという画期的なゲーム(笑)自分でルールを作って、それを壊して、また作っていく。その過程で、何かを「発見」するのだろう。

楽しいじゃん!私が何をしようが、「前人未到」なのだ!(笑)

なんて能書きを書いてるのは、再読していた安田本の「願望実現を繰り返しながら、報われていく」に感化され、「闇から光が生まれた」に感銘を受けた、からでした。恐るべし安田隆氏!深淵な内容を、平坦にサラっと書いてある・・・。タダモノではないですね!

そうそう。安田氏もかなりNLPに詳しいと見えて、参考文献にたくさん、それ系の本が羅列されていました。コアトラもNLP手法の発展系なので、NLPファンの私には、受け入れ易かったのかもしれません。



ゴシップ、ゴシップ、ゴシップ!!

2005-12-14 21:54:42 | 私の野望、願望、祈りの成長具合記録
ここで、話題閑話。

本日の新聞と街の話題から。
独身の友人と良く言うのだが、この地は「ゲイ、既婚者、そして女たらし!」(爆)男は殆どがこのカテゴリーに属し、ちゃんとした出会いが無い!と、いつも愚痴り合っているのだ(笑)

◆UKでは16人に一人がゲイ!
この12月から「同じ性別」間でも、Taxに関する事、年金受給に関して等が、男女間の婚姻によるものと同等の扱いを受ける事が可能になったそうだ。つまり、ゲイ同士の結婚が認められた、という事です。
これが世の流れなんでしょうかね。

一方で、先日の新聞に「首都アブダビで開催されたゲイの結婚式に警察が乗り込んで、結婚するゲイカップルを逮捕、投獄。」と出ていました。イスラムでは、同性愛は重罪なんであります。

酒場での例によっていい加減な話ですが、アラブ人友人いわく、「ゲイ同士が肉体関係を結んでるその場を取り押さえられた場合、下になってた男だけが罪になる。」(爆)そうです。細かい説明は省きます(爆)

イスラムの場合、宗教に起因している禁忌(ハラーム)なので、今後、イスラムがゲイを認可するという事は、有り得ません。禁止するにはそれなりの理由、バックグラウンドもあって、アラブの地はゲイの宝庫(爆)釘を刺しておかないと、歯止めが効かなくなると、預言者は思ったのかな?(笑)

なにしろ、この辺では、幼少の頃より、キッパリと男女が別になり、知り合いになったり、よもや結婚してない男女がどっかに遊びに行く、ってのは有り得ないので、男はいつも男同士でつるんでいる。
つまり、毎日の生活に登場する女性は、母親、姉妹だけ、ですから。

いつも、いつも男同士でいると、つい、その道に走ってしまうのでしょうか?(笑) 
という、昔からゲイな風土なため、預言者ムハマンドは、あえて「ゲイはダメ!」と明記したのでしょうか?

モノゴトの視点が違うと、こんなにも違ってしまう。片や、公に認められたゲイの結婚も、ある国では、「死ぬまで石を投げられる刑」に該当してしまうのである。絶対的なモノサシは、無いって事よね。

◆ブラッド・ピットはゲイだよ! Byこの前会ったイギリス人
◆アンジェリア・ジョリーはバイセクシュアル!と日系人の恋人、ジェニー・清水が大告白!
東アフリカの旧英国領、ケニア、タンザニア、ルワンダ、ザンビア、南アETC。あの辺は元植民地なので、今でも英国人達がビジネスで甘い汁を吸っている(笑)、いや、影響力を残している。そんな国に出張に行って来たという、イギリス人が語っていた。ブラピはゲイ!(笑)地元の英国人社会で仕入れてきたウワサ話。
そしたら、今日の新聞にブラピの前の来恋人の暴露話が!(笑)
そうか、そういう事であったか!(笑)

つい最近、「ゲイの成功物語。美しさだけでない栄光」を目の当たりにしたので、間も無く、アップします。
これはストレートなサクセスストーリーなのです。乞う御期待!!



神は細部に宿り給うなり

2005-12-12 21:11:20 | 宇宙の法則、秩序に関して思ったこと
God is in the details.
19世紀初頭のドイツの建築家、ミース・ファンデルローエの有名な御言葉。建築設計の仕事をしていると、必ず出会う言葉、である。

私はそれを、大好きな中世イタリアの建築物に見出していた。まあ、度肝を抜かれたというか、何と言うか。人はこんな事もできる、可能性は無限と言う事を知ったのは、ローマのセイント・ピータース寺院、平たく言えば(笑)バチカンの大寺院の礼拝堂の大理石の柱を見て思った、のである。
15世紀のイタリア。電気も無い頃に、どうやってこんな大理石の塊を採掘して、ローマまで運び、こんな気の遠くなるような高さに積み上げる事が出来たのだろうか?と。クレーンや重機の整った現代であっても、壊れやすい大理石を積むのは、簡単な仕事ではないのだ。

この寺院を見るたびに、その時代の優れた技術と、それを欲しいままにコントロールしていたローマ法王の権力の絶大さ、を思うのであった。天才、の仕事は何世紀経っても、人の心をくすぎりますね。絵であったも音楽であっても文学であっても。

さて、願望実現と、この金言の関係性であるが、私という存在が「宇宙の一部」である限り、神の意志は細部にまで及んでいるのであるからして、至るところから、そのメッセージをゲット可能という事なんである。
それをロジックで現したのが、風水かな、と思ったりします。風水に関しては、そのうち、汎用的なレメディの使用方法とか、ベーシックになるコンセプトをまとめてみたいと思っています。

私は一昨日、面接に行きました。手ごたえ、があったといえばあった、無いといえば無い(笑)というと無責任な感想。
9月に面接した会社から内定を貰って、その後、ウヤムヤになった(爆)という経験もあるので、まー、様子をみましょう、って感じですかね。今朝、通勤の途中で面接やその会社の事を考えながら、ふと前の車のナンバープレートを見ると、「5151」来い来い!かあ!(爆)と単純に喜びました。
Let's See!!って感じかな。

この「細部に宿り給う神のメッセージ」をキャッチするためには、「静寂」が大切なのです。修練が進めば、都会の雑踏の中でも「静寂」の境地に入れるのでしょうが(笑)まずは、コツコツと段階を踏んでみるのも悪くありません。1日に3分、静寂を自分にプレゼントしてあげて、3回、おーきく、深呼吸をしましょう。
この三回の深呼吸とは、良く耳にしますが、シャリー・マクレーンの本に、「からだに、一つ、こころに一つ、魂に一つ、全部で3つの深呼吸は自分自身への贈りもの。」とありました。
妙に納得しました。

3、というのが、モノゴトの「態」を現すのですね。モノゴトの態は3つあるのですよ、三位一体とか。(違うか)
現在、過去、未来、とか、右、真中、中央、とか、天、地、人とか(違うか)、個体、液体、気体とか、心技体とか、ボディ、マインド、スピリットとかね。
三つの深呼吸は、この「3態」に対する感謝の気持ちみたいなもんですね。

この3態は、もともと一つなので、お互いに干渉し合し、影響し合っていると思います。例えば、「いま」を癒すと、苦しかった過去の思い出さえ、慈愛に満ちた過去の記憶に変わるように。
カラダに柔軟性をつけて、運動すると、スッキリした気分になるみたいに。
モノゴトの「態」を見つけたら、自分がタックルしやすい態を選択して、「快」のエネルギーを注入してみる。まあ、意識上の視点の移動だけで可能な場合も多い。

これは、いわゆる「運命改善」ではありません。私は基本的に、そういうのを「触らない派」(笑)です。気持の持ち方、取組む姿勢をちょっと変えるだけで、全く違う世界が見えてきます。ホント、まるでこの世は幻想みたいに(笑)
と、これじゃ、願望実現に結び付かないねえ(笑)

ところで、願望実現ってなんでしょう?お金をたくさんゲットして、なりたい状況を手に入れる事、幸福感を味わう事・・・。いろんな表現がありますが、共通してるのは「自分を好きになる事」かな?小金持ちになるのが、イコール幸福、というより、小金をゲットして満足する自分をもっと好きになれそうだ、、そんな感じかな。
自己啓発にしても、「さらに自分の可能性を拡大する」事につきると思います。そのために、成功やお金をゲットする「現象」を引き寄せたいというか(笑)

細部に宿る神の微細な声を、何となく聞き取れるようになったかな、と思うと同時に、人はどんどん「成功」していくのかも知れない。そして、そういう「現象」を身に付けた頃、その「現象」が自分を幸福にした、のでは無い事に気が付く。
多分、幸福はずっとそこにあったのだ。あなたに聞いて貰うのを待って、目に留めてもらうことを待って、ずっとそこにあったのでは、と思う。

そして成功した人は、「私は成功した」という実感も無いだろう。「成功」を周りの成功したい人に見せて、いかに周りより自分が特別か、なんて優越感に浸るなんてことすら思いもつかないだろう。ただ、人の笑顔が好き。求めている人に対して、与えるのが好き。与える事=受取る事、を深い所で知り、どんどん自分が無になっていく。
どんどん、神の領域、神の意識に同化していくのであろうと思う。

しかし、一足飛びに神様にはなれないので(爆)、私もこうして就職活動なんかしてるわけで(笑)このプロセスが大切なんでしょう、きっと。
来年、新しい仕事につきたい、というより、しばしブレイクを取って、どっかに旅行にでも行きたいと切に思う(笑)って願いがきっと叶うのでしょう。

メンドクサイ!(笑)と思っても、そういうわけで、私は富豪に自力でなる道、を選んだのである。(爆)

人は繋がっているから、ありがとう!

2005-12-07 19:10:36 | 瞑想にまつわる能書き
「ありがとう」にまつわる私のお話。

私の父が他界してはや、2年。私が父の死に関して、ほとんど悲しみを持たない理由を開示しようかと思います。

母が脳梗塞であっけなく他界して1年も満たないある日、父が進行性の食道癌で手術を受ける、という知らせがきました。母の死後、父は大きな屋敷に一人暮らしでした。私はかなりショックでした。手術の前に帰国しようかとも思いましたが、生死にかかわる手術ではないという事で、帰国しませんでした。今思えば、病床の父と現実に直面するのが怖くて帰国しなかったのかも知れません。

手術の日は満月でした。
私は満月を見つめながら、必死に手術の成功を祈りました。何時間も満月を見つめながら、ある瞬間、「祈りが通じた」と直感的に理解しました。翌日、手術は無事に終了したという連絡が入りました。そして術後の経過も順調でした。私はその頃、ネットで知った「21日間願い事をノートに書き綴るアファメーション」というのを実行していました。父の回復を祈りながら。そして数ヵ月後には見舞いに帰国したりもしました。案外元気そうで安心したりしました。

しかし、なかなか退院して自宅療養の許可は下りませんでした。一人暮らし、というのも多分に理由にあったかも知れません。当然、私は日本に帰国して看病、も一瞬考えましたが、自分の生活を「犠牲」にして、と思ってしうまうなら、帰国しない方がいいと判断しました。

その頃、ネットで検索中に「ありがとうおじさん」のHPを発見。滋賀の山奥で「ありがとうございます」と、ひたすら祈るおじさんの講話集がHPにどっさり載っていて、私はせっせと印刷して読み耽っていました。

ありがとう、という単純な言葉には、深い深い意味が隠されておりました。なかなかに味わい深い発見でした。
その情報によると、「ありがとうございます」を何万回か唱えると、ある時点で「歓喜」に触れるとありました。当時、私は散歩しながら唱えていたのですが、ある日、今まで人生で係った人を思い出しながら、全員に「ありがとうございます」を言ってたら、私にしては珍しく(爆)、涙が止まりませんでした。

おじさんは書籍も出版していて(おじさんの著作ではありませんが、話をまとめたもの)、当時、私の父が入院していたので、なんとかこの本をゲットして、病床の父に読んで貰いたいと思っていました。しかし、書籍が一見、怪し気なのと、私の家族はあまりそういう系統を好まないような気がして、断念したのでした。

父の容態はそれほど悪くはなかったと思いますが、これといって回復もしない状態でした。それでも私は娘として、自己啓発愛好家として、父の健康回復を祈っていました。数ヶ月に1度は見舞いに帰国したりもしていました。

そしてある日。私はいつものように、私の「聖なるビーチ」でリトリートをしていました。そこは、私が宇宙と一体化できて、宇宙からの答えが「風」になって帰ってくるビーチなのです。近所にあるのです。波の静かなペルシャ湾のビーチ。
深夜に、早朝に、夕暮れ時に、、何度も何度も訪れた聖なるビーチ。人前では滅多に泣いたりしない私が、ただ、静かにたたずみ、涙を安心して流せる場所。ここに来るたびに、自分自身に戻れる場所。それが私の聖なるビーチ、なのです。

そのリトリート中に、いくら娘でも父の本心は知る事ができないのでは? 健康回復と言えば正しい祈りに思うけど、父は本当に回復したいのか?父の回復を祈る、は耳障りは良いが、これは父の人生への「勝手な介入」であり、父の「自由意志」行使の妨げになるのでは?と思ったのです。
そして、健康回復の変わりに、「父の人生を祝福します。」という言葉が浮かび、それを唱えるようになったのでした。

不思議なもので、健康回復の祈りは「必死」になってしまい、余裕で気軽に祈れなかったのです。が、父の人生を祝福します、は健康回復の祈りに比較して、実に私の心に馴染み、自然な感じがしたのでした。
病床の父の人生を祝福するとき、私は微笑みがこぼれ、何ともいえない安心感に包まれました。これが父の望んでいた事ではないか、とも思いました。

その1ヵ月後。ある日、私は原因不明のひどい憂鬱な気分に取り付かれました。当時、ちょっとした恋愛のゴタゴタがあったので、それが原因かと思ってました。が、それにしても、気分があまりにも優れず、たまたま師匠がフランスから来ていたので、セッション受けてみましたが、それでも回復しませんでした。滅多にそんな事は起きないのですが。結局、アロマセラピーで回復しました。ほんの数時間の出来事でしたが、アロマで回復できたのは、今思えば、「理屈」でなく、感覚に訴える「香り」が私を助けてくれたのかも知れません。

その翌朝、早朝に電話。そんな時間に普通、電話はかかってこないので、すぐ予想がつきました。やはり、父の死の知らせでした。

11月の晴れた日、自宅へ向かう成田空港からの電車の窓から、日本の秋が私を歓迎してくれました。美しい色をした柿の実が真っ青な空に映えていました。民家の庭先には丹精した菊の花が咲き乱れていました。私はその素晴らしい秋晴れが、父の心境を物語っているなあ、と実感しました。

父の顔はまるで、笑っているかのように安らかでした。家族によると、亡くなったばかりの時は、もっと安らかだったよ、との事でした。
私はその父の亡骸の表情を見て、父の旅立ちを、心から祝福する事ができました。

父は入院先の病院で深夜に息を引取ったそうです。
大きな病院でしたので、看護婦さんも沢山いました。看護学校を出たばかりのKさんという新人看護士さん。入院生活の長かった父は、点滴注射の上手な看護士さんは誰だとか、アイツはいつまで経ってもヘタクソでダメだとか良く言っていました。若いKさんは、色付きのマスカラなんかして、立派にそこら辺オネエチャン!という感じでした。口の悪い父の野次にも、いつもニコニコと聞いていました。

父が他界する前の最後の夏に、どうしても実家に帰りたいというので連れ帰った事があります。2泊3日でしたが、既に、自力で水分も食料も摂取できなくなっていた父は、大量の液体点滴食料と水を病院から貰って、Kさんの丸文字とカラーペンを駆使した、かわいらしい「点滴の仕方と注意」というA3の紙を持って、実家に戻りました。
そのKさん自筆の注意書きからは、とても暖かいものを感じました。いい子だなあ、と思いました。

Kさんが夜勤の日、巡回で父の病室に入ると、すでにかなり意識の衰弱していた父から、「どうもありがとう。」と言われたそうです。いつもヘタくそだの文句ばかり言われてたKさんは驚いたそうです。何か言おうとしたけど、父は寝ている風だったので何も言わなかったそうです。
予想外の言葉を聞いたKさんは、その夜、たまたま夜勤が一緒だった先輩看護士さんいその話をしていたそうです。

「ありがとう。」それが、父の最後の言葉になりました。

私はその話を聞いて、ありがとうおじさんの本を送らなくても、ちゃんと、気持が通じていたのかなあ、と思いました。

出棺、火葬と葬儀が進行して行くたび、私の家族は泣き崩れていましたが、私は穏やかな気持で葬儀を眺めていました。悲しみという気持は起きませんでした。不思議と平和な気持でいました。人間は魂で繋がっている、そう思えるからです。肉体の命は終わったけど、永遠の何か・・・・それを確信した気がしました。

11月にしては異例の暖かさ、とニュースで言っていた葬儀の日。私は寒いの苦手だから、「サンキュー、ダディ!」と思いました。
そんな素晴らしい日本晴れの青い空を見上げながら、私はこんな父と出会えて幸せだよ!と思いました。

『棚からボタ餅』を考察する?

2005-12-03 16:59:40 | 願望達成に関する考察
『棚からぼた餅』という故事の所以は良く知らないが、このコトワザを「願望実現」という視点から分析してみよう、と思います。

まず、「そんな美味い話は起きないよ。」と思う人には「棚ボタ」現象は起きず、「そういのもアリか?」と受け入れる人には、「棚ボタ」現象が頻発し、人生に彩りを添えてくれるでしょう。

おしまい(爆)

うむ。結論はそうかも知れないが、もう少し引っ張らないとね(笑)今ひとつ掘り下げて考察を加えてみようかと思う。あくまで、私の思いつき(笑)自説でございます。

まず、は
◆棚、とは何だ?

⇒そこら変にある棚、いわゆる家具の一部の棚ではない事は確かだ(笑)なぜなら、家具だったら、自分で欲しい時に手に取れるから、である。思いもよらない時、場所に「ボタ餅」が落ちてくる、という事であるからして、「棚」は天井よりも高い場所に位置している。そして自分から見えない、棚があるのが気が付かないような創りになっているのでは?と思う。
そうです。棚、は雲の上、天!なのであーる(笑)

◆ぼた餅

⇒ボタ餅とは日本でも地方によって体裁や仕様が違うかも知れない。私は関東の出だが、ぼた餅のご飯は、もち米+普通米、だったような気がする(笑)うるち米だったか?フツーのご飯でなかった事は確かだ。あまり記憶に無いのは、私はあんこ系とか甘いものが幼少の頃より苦手であったのだ。そう。生まれながらに「酒豪」であったのだ(爆)

話が逸れました。

で、ぼた餅の成分は「アズキのあんこ」+「炊いた米(普通米でももち米でも)。普通はオニギリみたいに握ったご飯の周りを、あんこが取り巻いている、というのはどこの地方でも共通であろう。
最近はモノが溢れているので、昔みたいに「ハレ」と「ケ」を使い分けて、対極の世界を自ら活性化する、という「伝統」が消えていますが、日本は最近まで資源の無い貧しい国だったので(笑)「甘いもの」は「ハレ」の食べ物であったのだ。

相変わらず、私も能書きを垂れていますが(爆)、よーするに、「ぼた餅」というのは、「めでたい!」食べ物で、「喜」を表現する食べ物であった。私の幼少の頃、ま、明治時代の少し後(爆)ですが、祖母がそういう「こよみ」を仕切っていたので、季節毎の「伝統行事」は、かなりマメに執り行っていたと思います。

私は特に甘いもの好きでもないけど、「ぼた餅」は、何かのめでたいフェスティバルで登場したので、「喜を象徴する食べ物」なんである。オオゲサに言えば「歓喜の象徴」ですね。

さて、ぼた餅の定義はこんな所ですが、棚から落ちてくるぼた餅ってば何?歓喜、なんだろうけど、自分を知らないと、自分宛の歓喜入りぼた餅が落ちてきても、通り過ぎてしまったりする。

また、ぼた餅の「あんこ部分」が「苦悩」で出来ている場合もある(爆)ので、人はそれを避けようとしてしまいがちだが、これこそ、最大の歓喜をもたらすぼた餅、なんである。この部分、アインシュタインの名言「神はサイコロ遊びをしない。」を思い起こしますね!(笑)

さて、つべこべ書いてみましたが(笑)「棚ボタ」には、こんなに深淵な宇宙からのメッセージが埋め込まれていた、というわけです(笑)
棚ボタを私的に理解すると、「歓喜は天から降ってくる。」と言う事になりますが、別に解釈すれば、歓喜は自分で創り上げるものではなく、上(天)の采配で与えられるものである、という事ですか。
短絡的に考えると、「運命は決まっている。」に繋がるかもと思いました。

運命は決まっている。だから、ぼた餅が投下されるタイミングは私の関与できる部分ではない、という事ではない。これも自説ですが、「私の運命、人生」は私と「天」との共同作業に他ならないから。「わたし」という人間の体を持ち、時間と空間に制限のある三次元に「存在」する事の意味を考えれば、「わたし」には私への100%の責任がるし、自由意志が与えられていると思うのだ。
が。
天は我なり、我は天なり、なので(笑)、「わたし」の行動、思念が天の采配、ぼた餅落下タイミングの大きな指針となる事も確か、である。

そこで、良く言われる「自分を愛しなさい」「今、ここに生きなさい」という念仏(爆)が活きてくるのである。なぜかといえば、ソレが「私にしか出来無いこと」だから。私以外のナニビトも、それを変わってする事は出来無いのである。
私は私である。そして私という存在は宇宙で無二の存在なのである。「わたし」の中に対極の世界は拡がっているのだ(笑)
これが「わたし」がする事だと思う。

天の仕事は、様子を見ながら(笑)ひょいっとボタ餅を落下させる事だと思う。で、天の采配はアメリカの軍隊でないので、誤爆はしません(爆)ピンポイントで最高のタイミングにボタ餅を落下させています。

という事で、棚ボタ、は「レイジーなやつ」の行動を揶揄した表現ではなく、宇宙の法則、秩序をシンプルにまとめたメッセージなんざますね(笑)
理屈がわかったら、今度は受け取り方法なんかのレクチャーが欲しいですね。
それは、「棚ボタ普及愛好会」のAnya名誉会長に御登場願いたいですね!(爆)