宇宙の秩序に調和しながらの煩悩達成日記

自己実現。そうです、願望実現を通して、自己をさらに深く知ってみようという実験の日記ざます!

空港にて

2014-11-25 11:34:49 | 瞑想にまつわる能書き
さて、今日から誕生日を祝うドバイである。
まさか、こんなこと(食堂を辞める)とは思いもよらなかった8月に、チケットを予約。
いつも使ってるFlyDubaiより、Airarabiaの方が、便宜性が高い。
FlyDubaiは最高40キロまでしかチェックイン荷物を持ち込めず、40キロ以上は、正規超過料金を
支払うことになり、私は過去に、何百ドルも超過料金を支払ってきた。

しかし。AirArabiaは、事前に超過荷物の購買が可能。安い。
チケットを昨日www良くみたら、私は60キロの超過荷物を購買していた。
食堂で使うものを買おう、って思ってたんだなあ。


8月。
予約した時点で、いつものドバイ行きは5泊程度だったのに、今回、2週間を予約していた。
こんなことになるとは、まったく予想外だったけど、ココロのどっかで、知ってたの?wwww

宿泊先は二転三転して、マルガリタ宅に落ち着く。
チコ母は、ゲストがいっぱいで、場所がないと、早い時期から言っていた。
以前に仲良くしていたドバイ富豪が、「いつでも連絡しなさい。私が宿泊先を手配するから。」
と言っていたのだけど、彼はこの時期、シンガポールからのクルーズ旅行に出かけるとかで
不在。
日本人の知人も休暇で不在。
で、マルガリータに。

マルガリータは、カラカス(ベネズエラ)出身。父親が長い闘病生活の果て、9月に他界。
そして、10日くらい前にお姉さんが他界。
丁度、彼女の誕生日だったのでFBにメッセージを書こうとして、お姉さんの他界を知った。
相次ぐ肉親の他界に、相当落ち込んでるだろうから、私の宿泊はキャンセルかな、と思ったら。



「とにかく、誰かと一緒にいたい。あなたが来てくれるのは、天の助けと思う。」と。


マルガリータが、ワインを買って来い、というので、私は地元の安いワインを3本購入。
スーツケースはカラッポなので、もっと持っていこうと、昨日、さらに2本追加。
確か、30キロまでOkだったよね?と思ったのである。

5本のワインをスーツケースに詰めて空港へ。
チェックインカウンターで、「あなたの荷物は25キロまで。5キロオーバーです。
超過料金を払え。」とかいわれて。
あれ?30キロって書いてなかったっけ?と予約コピーを渡す。
担当者は、どっかへ聞きにいった。

あたりを見回すと。

クリスチーナ!

インド人旅行会社で、ガイドとして働いてる彼女が、客の見送りで空港にいた。
担当者が戻ってきて、やっぱり20キロだと。
私は、んじゃ、5キロ減らしてくると、スーツケースを回収。
ケースから2本のワインを取り出し、クリスチーナに渡す。
2週間後に戻ってくるから。取りに行くね、と。


私のスーツケースは、ワイン2本取り出しても22キロだった。
でも、カウンターの人は、ま、いいでしょう、と。


というわけで、奇跡のように知り合いにあって。無事ワイン2本は捨てずにすんだ。

家を出るとき、パソコンをパソコンキャリーに入れようと、電源をオフにしたら、アップデートが始まって。
なんと30分近くかかった。
あれー、と思ったね。

あの30分のアップデートがなかったら、私は空港でクリスチーナに会えなかった。
彼女は、インド人観光客のチェックイン終えたら、すぐ帰ったから。
私は、まさに!その場に居合わせたんである。


偶然はないね。
ということで、私のドバイ休暇も、きっと、ワンダフルでござんしょう。



暖冬(いまのとこ)に思う

2014-11-22 14:36:00 | 瞑想にまつわる能書き
今日は、雨。
去年の寒さだったら、間違いなく雪になっていた。暖冬である。
まあ、そのうち寒くなるだろうけど。

極端に気温が下がった頃、学習会の「今週のお祈り」で、私にとって切実な
問題、「寒さ」に関してのお祈りを依頼した。
「暖かい冬でありますように。」と。
まあ、こういったものは、こじ付けてその気になった方がお得なのです。
私は、祈り効果、と思ってるwwww


祈り。
かつては、人生を思い通りにしてみたいと、いろいろ画策して、その一環と
しての、祈り、をしていた。祈り、というか「潜在意識に届け!」という
意識操作みたいな感じ。
これはねえ~。効果あったか、なかったのか、わかんない。
思ったようにはならなかった。

その結果としての現在を、そんなもんか、と受け止めている自分がいる。
不満は、特に無いんである。
かといって、満足もしていない。

そういう満足とか、幸・不幸は、どうでも良くなってしまったのである。

エゴの囁きに反応して、ジタバタした人生を送ってきた。
幸・不幸は、どうでも良くなってしまったのは、初体験である。
結果、なんか、どうしていいのか、良く分からない現状(笑)


そういうココロの隙に、宗教が入り込むんであるね!(爆)



というような事を、以前の私なら考えただろうな。
今はねえ~。
ジーザス様が、どこで教義を仕入れてきたのか定かではないが、いわゆる
啓示ってのもあるかも知れないが、あたしゃ、やっぱ、インド、ヒマラヤ辺りに
出向いて、聖人に会って、手ほどきを受けた、って思うんだよね。

たぶん。
ジーザス様なりに、当時の中東のあの辺の人々の性質を鑑みて、あのような
説教に励んだのではないか、と思うのだ。
このような事は学習会では、言えない。
「キリストは神! 私たちの罪を許すために、自らを十字架に!ああ!ありがたい!」
と興奮気味に話す人には、そういう事は禁句であります。


聖書の勉強会で会った信者に、「キリスト教徒の定義って何?」と聞くと、不思議に
誰も明確な答えを持っていない。
誰かが私に「仏教徒の定義って何?」と聞いたら、間髪入れずに「知りまへんがな。」と
答えるけどな。
私は仏教徒がなんたるか、は知らないです。
仏教的思考が、生活文化として溶け込んだスープの中で育った感じです。
が、詳しいことは学校でも学ばないので存じ上げません。

信者は知っている。(私は米人に聞いた)
例えば、この国の人、幼児洗礼を受ける人も、受けない人もいる。
信者だ、と名乗る割には、聖書が家に無い人も多い。
なんでも、西暦301年に、当時のアルメニアの王様がキリスト教を国教として認めたそうで。
それが、キリスト教を国教にした人類最初の国である、が国民のプライドのひとつなんである。
でもさ。西暦301年、って。。。
だから、この21世紀に生きる自分がキリスト教徒、つうのも無理がないんかな。

たぶん、北米でもそうなのだろう。
名前がクリスチャンで、結婚式とか教会でするけど、無宗教というか関心無い人、多いのね。
信仰深い家庭で育って、お祈りが日常、という人は案外、少ないのかも知れない。
学習会の参加者は、それぞれ、10代、20代で、信仰に目覚めた、と言っている。

私のスタンスはね、聖書に書いてある真理とやらを学びたい、と。
学習の参考に、ネットで検索すると、聖書関連、情報量がスゴイ。
学習会においては、パウロが書いた書簡、テセロニアンへの手紙を学習してるけど、
DVDの講師の切り口は、全く、違う視点から、で非常に興味深い。
日本語のネットで調べると、パウロが信仰深いテセロニアンの人々を思い計って手紙を
出した、と、そのまんま、なのですが。
DVD講師は、テセロニアンへの手紙を入り口にしてはいるけど、全く、思いもよらぬ帰着を
するんで、信者でない私は、とくに、へぇー、と唸ってしまうです。


以前、人気のあったザ・シークレットとか、引き寄せ関連の元ネタは、福音書かな、と
思うし。


Matthew 21:22 And whatever you ask in prayer, you will receive, if you have faith.”

あなたがお祈りで願う事は、あなたに信仰(Faith)があれば、あなたは受け取るでしょう。

私はここで、Faithにひっかかるわけだ。 疑いを知らない信仰心。そういう感じなのだろうが。
疑わないわけには、いかない自分がいる(笑) エゴの仕業よね。


Matthew 7:7 “Ask, and it will be given、seek, and you will find; knock, and it will be opened to you.

求めなさい。そうすれば与えられるでしょう。探しなはれ、そうすれば見つかるでしょう。
ドアをノックしなはれ。そうすれば、ドアが開くでしょう。

有名なセンテンスであります。これは、あれだ。意図せよ、ってことかな。

しかし、アレだ。
各種、福音書(英語でGospel、ゴスペル、っていいます)が編纂されて1,500年以上も経過し、
信者は世界に何億と存在してると思うけど、祈りの効用や、意識のチカラが明確になってない
(ように思うのは、私だけか?)のはナゼなんだろうか。

仏教も。まあ、詳しい事は知りませんが、業から離れて、内在する静寂に帰せ、つうな事を
説いてると思うけど、しかも2,000年くらい前から。。。

人のエゴ、業、思い込みは、そんだけデカイ存在、つうことなんでしょうか。


私は「諦め」の境地が深くなり、「もう、どうでもいいや。」の先には、案外、安心感も存在
するような気がしないでもない、のだが、エゴが囁くのだ。


「収入の道、どーすんのよ?」






ヤル気が出るのを、待ってみる

2014-11-19 22:13:44 | 瞑想にまつわる能書き
しかし。
あっという間に、無職の1ヶ月は経過し、私はホントに何もしていない。
どうなるんでしょう。
慌ててもしょうがないんで、あわててはいないけど。


で、結構、マジメに祈ったりしている(爆)
聖書の学習もヒマに任せて、マジメに実施中。
祈りは、神との対話である、そうで。 私も対話してるけど、返事は無い(笑)
つうか、それは自分の思い込みかもな、と打ち消す自分がおりまして。
惑わされてはイカン!とか、ね。

神の声を聞きたい自分と、
神の声を聞いてはイケナイという自分と、
綱引きしてるのか(笑)


毎日、もぞもぞしているが、ちょーっとばかり進化があった。
どう考えても、私が引っ込む事はない、私の要求は正しい!と思う事がありまして。
話を作り替えやがって、この野郎! そんな話はおみゃーの妄想。私はそげな事はひっとことも
言ってないじゃん。
いっつも引っ込んじゃう私だけど、今回は、戦うぞ!
私は全身全霊をかけて、魔術使っちゃうぞ!(爆)と本気で思ったのだ。

が。


週末、聖書の勉強会の課外学習で、ものすごく面白く無い宿泊学習に参加して。
やっぱり思ったとおり、つまんなかったんですが。
自分自身のヤーなところを再確認できて、まあ、来た甲斐があったか、と思っていた。
祈り効果か何か、ヤーな気分からの回復が早くなったねぇ。

そして、思った。
魔術で対抗しよう(爆)と思ってたけど、やっぱ



じゃないか、って(爆)
許せねえ、って思ったけど。その思い、キャンセル。
許せなかった相手も許して、
許せなかった自分も許してみる。

宇宙の愛が、そのひとにたくさん降り注ぎますように、と。
そして、その愛によって、その人は態度を軟化して、私の要求を受け入れますように、と(笑)
要求、というか。
私の私物(パソコンとか、私の描いた絵(食堂に飾っていた)を返却して欲しい、という
至極全うな依頼なんだけどね~。返してくんないのよねえ。

愛が降り注ぐ事によって、相手の態度が軟化する、とか。考えちゃいかんね(笑)
単に、愛が降り注ぐのを祈るのみ、ですね、はい。


と思えるようになったって、私にしてみたら進化、ですなあ。


祈りの題目に、「神の愛ってなんですか? 分かりやすく教えてください」と入れた。
ほんと、実感できない。ホントのとこ。

祈り。項目を書き並べて祈る。叶ったらチェックしておく。聖書の勉強会で習った。
主(神様)は、何でも知ってるけど、お願い事は具体的に祈りましょう、って事でした。
幼子が、「あれ、ほしいーー!」って無邪気に欲しがる、そういう態度が良いそうで。
まあ、試してみましょう。


あれも、これも、欲しい~!






頭が真っ白!になったあの日、あの時

2014-11-07 01:27:24 | 瞑想にまつわる能書き
人は誰でも一度くらいは、「まっしろ!」の経験があるのでは?と思いますが。
緊急事態で、エゴの囁きも静止する瞬間。
私の場合、生命の危機?に遭遇した瞬間が「まっしろ!」モメントだったような。


古い順に。

1.場所は世田谷、用賀の首都高速下の一般道。
  友人宅へ欧州旅行の土産を持参した途中。
  友人は砧公園近くに住んでいた。

  信号が青になって、右折。場所は首都高真下で高架の柱梁などあって
  見通し悪い場所でした。
  右折開始直後、直進してきたパジェロと交差点中央で衝突。
  お互いノーブレーキだったなあ。
  突進してくるパジェロに気がついた時には、時既に遅し!
  うわあぁー!と思った瞬間にどっかーん!
  一体、何が起きたか理解できなかった。
  携帯電話も普及してない頃。警察来たけど。どうやって呼んだのかな。

  今でも突進してくるグレーのパジェロが目に浮かぶ。
  カーステの竹内まりあ(こんなん聞いてたのね)がずっと響いていた。
  なんつうか。
  友達に会いに行く!という浮かれた気分から一転。
  別の次元に突然放り出された感じ。文字通り、放心状態。
  幸い、怪我なかったけど。
  なーんにも考えられませんでした。
  不思議な気分、でした。


2.ドバイで。2000年頃。ランクルの2000年新モデル購入して3日め。
  前夫は出張で留守。金曜日、だったんだな。買い物に行ったから。
  近所のショッピングセンターで口紅とCD買った。ジプシーキングス。
  で家に帰る途中、ちょっち軽くアクセル踏んだつもりが、ランクル暴走!
  車が中央分離帯に勢い良く突っ込む!
  反対車線でカローラをなぎ倒し、車は道路脇の満車のパーキングに向けて
  疾走。
  私は満身の力でブレーキを踏んだ。
  ああ、駐車場の車に激突しちゃーーう!と。
  ランクルは反対車線の駐車場の直前で停止。

  車を停止した後は放心状態。
  クルマの中で、気を失いかけていた。
  突然、別世界に。
  自分の意識は全く働かず。
  周りの景色も見えてはいたけど、分析、というか理由ずけが
  できない状態。
  が、わたし、は存在していた。

  いつの間にか野次馬がいっぱい集まっていた。
  そりゃそーだろう。でっかいランクルが中央分離帯ぶっちぎって
  反対車線逆行したら、何事かと思うわな。

  で、私は短パンにTシャツ。メイド風(爆)
  誰かがクルマのドアを開ける。若い民族衣装来た地元民。
  身分証明書を提示しながら「大丈夫ですか?私はCID(私服の秘密警察)
  です。怪我はありませんか?警察と救急車は呼びましたが。誰か呼んで
  欲しい人はいますか?」と。非常に丁寧な対応であった。

  私が跳ね飛ばしたカローラには地元民の人妻とその若いツバメが乗っていた。
  二人の関係がばれたらまずい、とツバメは早口で説明し、カローラと
  人妻は事故現場からさっといなくなった。
  このツバメは親切にも、その後の警察の現場検証と事情聴取の通訳を
  してくれた。


  3.2年前のカジュアル登山で骨折したとき。
  山頂付近。足元は石。注意して歩いてたつもりでも、踏み出した左足が
  ゴロ石に。足の重心を乗せた途端、ゴロ石なので石が動く。
  瞬間、バランスを失い転倒。咄嗟に左手が地面に。カラダを支えようと。
  左手が着地したのもゴロ石。体重が全部乗った左手が、ゴロ石と共に動く。

  ぽきん。

  あっけなく骨折。
  その際、激痛が走り、痛みで呼吸もおぼつかない状態。
  激痛だけが、そこにあった。何も考えられなかった。


この「真っ白な瞬間」はいずれも鮮明に記憶している。
自分が認識していた世界が消滅した瞬間。
でも、「世界」は淡々と存在していたのだ。


思うに。
この、淡々と存在する世界、ニュートラルな世界に、私たちは
ああでもない、こうでもない、と定義ずけし、勝手にてんやわんや、
騒いでるだけじゃないか、と。

今いずこ、のカバラ学習で、認識可能な世界は1%、99%は
「みえないアッチ側」って力説してたもんなぁ。


だから何だ、っていうと、ま、何でもないんですけど(爆)
昨夜の聖書勉強会、毎回、DVD鑑賞するんだけど、スピーカーが
最高!英国人なの。クリスピーなブリティッシュ・イングリッシュと
英国流ユーモアがイイ!
んで、
「私たちは羊です。キリストは羊飼いです。羊は羊飼いのキリストの
声が聞こえるのです。」つうような事を言っていた。

ひつじ、ねぇ~。


確かに一理あるかもよ。
羊なのに、象やキリンになるべく頑張るのは、無駄、ってことか?
羊らしく、羊飼いキリストの指示通りにせよ、とな。

うむむ。

英国人宣教師は続ける。
「神にはあなたの、あなたのための偉大な計画があります。」と。
どんな計画?
計画に従うには、神の声を聞け、と。
神の声を聞くには、神と対話せよ、と。
神との対話は祈りによってもたらされる、と。

祈り、か。


そういや、ホームレス風富豪が淡々と語っていた。
米国からこの地にやってきて、いろんなビジネスを展開したのは、
「神の声に従っただけ。」と。
あなたの夢は?という私の質問に、「ないなあ~」と即答。
神の意思に沿って進むだけです、と優しく微笑みながら語ってたなぁ。


ひつじ。

私はひつじ、です。
今日は古くなってきたりんご消費で、りんごケーキ作ります。
神様に「りんごケーキ作らんかい!」と言われたわけでもないが。
ひつじは、コツコツ、今できる事を楽しみながら実施するのみ。


と、そういう感じです。はい。


  
  

そして、初雪が降る

2014-11-05 14:25:27 | 瞑想にまつわる能書き
朝晩は、マイナスの冷え込みとなる。
風邪が完治せず、ひきこもっていたので、コタツも未作成。
そして、初雪。


いやー。寒い。
何もせずにゴロゴロしていたら、風邪もほぼ完治。
ボチボチ、なんかしようかいねぇ。


「やる気」も凍結してしまったか。
今は経済活動一般に対して、その気になれない。


暇潰しに通ってる教会から、ケータリング依頼。
めんどくさいけど、なんかしないと冬眠しそうなので、引き受ける。
明日、カレー20人分作成。
奉仕の一環なので、材料費のみ徴収。
7週間、毎週木曜とのこと。

材料でも買いにいこう。
しかし。
この安堵感みたいなのは、なんだ?