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宇宙の秩序に調和しながらの煩悩達成日記

自己実現。そうです、願望実現を通して、自己をさらに深く知ってみようという実験の日記ざます!

南インドの朝ごはんで昇天!

2016-12-07 21:33:06 | 瞑想にまつわる能書き
今回の旅のハイライトは、なんといっても、「天国に行けちゃう美味しさのホテルの南インド朝食!」である。

ぜーんぜん期待していなかったけど、これがもう、びっくり仰天の美味しさ!ココナツチャツネが、信じられない美味しさであった。あと、セモリナを炊いた南インド代表的な朝食、ウプマ。んもー、声を出して「何これー?」と言ってしまった程の美味しさ。





昨日行った食堂は、トリップアドバイザーで堂々第二位の食堂なのだが、それを思い切り凌駕する美味しさ。南インド朝定食を食べるようになって、悠に20年は経過しているが、こんなに驚きの美味しさのココナツチャツネに出会った事は無い。

美味しさ、つうのは人それぞれですから、私基準の美味しさ、なんですけどね。トリップアドバイザーのレビューを良く読んでみると、確かにホテルの食事は評価が高かった。サービスも最高だった。環境も申し分なし。美味しい朝ごはんを、思い切りたくさん食べて、私の1日は、それで終わった気がした。もう、何もいりません(爆)というくらい、美味しかった。


手入れの行き届いた庭が、ホテルの売りのひとつ。



素晴らしかったっす。



その朝食と同じ場所でランチ、ディナーもあったのだが、私は大量の朝食を食べていたので、ランチは食べれず、ディナーの時間は既に飲酒してダラダラしていて、ディナーに関心なかったので、結局、朝食しかトライできなかった。でも、全く、後悔も無いのであった。
あの朝食を食べるためにだけ、チェンナイから4時間車を走らせて、もう一回行ってもいい、と思った。 イタリアで食したなんて事ないイタリアンに脳髄を揺さぶるような刺激を受けて以来の、食からのエクスタシー、でござんした。 まさか、南インド朝ごはんで昇天してしまうとは!(笑)


チャツネ、特にココナツチャツネは絶品!です。



毎朝、朝ごはんが、とーーーっても楽しみだった。アルチャナラ山に登山した際、行きは真っ暗だったので、往路でラマナ大師が瞑想していた洞窟(大変な名所)を見てみよう、とガイドと話していたが、山から下りてきて、私の心は朝ごはんでいっぱいで、ラマナ師の洞窟なんか、実は、どーでも良くって、パスしてしまいました(爆)結局、行ってないんですねえ。そのくらい、大好きになってしまった朝ごはん。ほんと、美味しかったわーー。

ホテルから眺めるアルナチャラ山。



街のどこからでも見える山です。





私は旅先を決めようと検索してた際、陰謀論でちょびっと有名な(笑)デビッド・アイクの書いたものを読んだのよね。それでアルチャナラ山を休暇先に決めたのだ。で、ついでにデビッドが「ホテルそのものがパワースポット」と書いていたホテルも探して予約し、彼が宿泊したという106号室を指定したんですな。




私はホテルの部屋より、ヨガ、瞑想用の場所の方がパワーがあったように思った。こういうのは、個人差ががあるし、説明も難しいし、私個人はそういうアンテナが発達してないと思ってるのだけど、そんな私でも 「あー。何か違うぞ。」というのは確かに感じた。その違いは説明不可能、だなあ。あれえ?なんか違う次元にいるのかな?という感じかな、あえて説明すれば。
土地のバイブレーション、つうのは確かに存在する。そして食べ物同様、好き嫌いも存在する。私は砂漠の土地は嫌いでは無い。が、特に好きだと思った事も無い。私にとってのインド人みたいwww嫌いでは無いけど、特に好きでも無い。
そう。嫌いでは無い、がとても大切なんですね。嫌いではないという時点で、もう、クラッシュするものが無いのである。自分と同一化したようなものだ。好き、というのは好きな要素があるから好きであって、その要素が消えれば、好き、も消えちゃう。でも、「嫌いでは無い」は、存在そのものを受け入れた、という事なんだと思う。
旅から中東に戻って、空港を出て砂漠の国の空気に触れて、「あ、全然違うわ。」と思った。全然、土地の波動は違うのである。




このホテルのパワーは、たぶん、アルチャナラ山から来ているのだろう。この山は凄い存在感があった。街のどこにいても、吹く風はアルチャナラ山から、だった。ヒンドゥー教徒は、山そのものがシヴァ神そのものなのだ、と言う。そういうのは、私はよくわかんないけどね。
確かに、パワースポットではある。これも、自分の持つ何かと共鳴するから、違いを感じるのかな。私はセドナでは、あまり何も感じなかったのよねえ。あんなに遠くまで行ったのに。


ヨガ道場?



最初の日の朝、早速、朝6時からのヨガに参加。3名だけのクラスだったけど、気持ち良かった。参加者のインド人のおじさんと雑談。
なぜ、ここに旅行に?という質問に、検索で調べていて興味を持ったからと答えると、インド人のおじさんは、後ろに聳えるアルナチャラ山を指さしながら、

それはね、アルナチャラに呼ばれたんだよ。ここは呼ばれた者しか来ないから。



ノー・プロブレム!!

2016-12-07 09:35:10 | 瞑想にまつわる能書き
私、南インド食事なら、毎日食えるかもだ。

友人から、ずっと以前に「既に日本人らしさは消え失せ、あーたはインド人になっている。」と言われて久しいこのワタクシ。ええ、和食など、とうの昔に諦め、無くても全く平気でございます。
仕事柄、時々、なんちゃって日本食を作ったりしてますが、余った日本食を食べる気もせず(まずいわけではないよwww。食指が動かないのです。)かといって廃棄しちゃうのは勿体ないので、他の従業員に差し上げております。


食べ物を仕事で作るようになってから、食べる事への興味が格段に減ったのだ。一方、「作る楽しみ」は拡大し続けている。自分で食べるために作るのではなく、他人を喜ばすために作るのが楽しいのである。
きっと、アルチャナラ山のラマナ大師あたりは「そりは、他人からの認証を求めている行為でござります。」なーんて言うかもだが(笑)

この「食事作りゲーム」の面白さは、「美味しい!」とジャッジする審査員はクライアントであってわたしではな、ってとこだ。
自分で思う美味しさと、人様が思うソレは微妙に違いますけん。食べる事は、個人的な嗜好が左右しますんで。ので、こんなもん作ったら美味しいって思うかな?と、日々、精進してるんでございます。
さて、そんな感じで食べる事への関心が、すんごく減少した私に、「南インドのベジタリアン食事」は、「うっまーーい!」という感動を、久々に与えてくれた。



ホテル到着の後、時間もあったので、市街地まで出かける事にした。街の中心は有名なヒンドゥー寺院。ホテルからオートリキシャに乗って寺院まで。しかし、私は寺院には全く興味がなく、寺院前にゴソッと店を出してる金物屋へ直行!
わー! 安っぽいもんがいっぱいあるー!






ペラペラのアルミ製の食器や鍋が主体。私は外出するプランはアルナチャラ山の山頂へ登る事以外、全然無かったので、ホテルの部屋での簡単な食事、と思って。ミューズリー持参してきあのよ(笑)
昔はインドの水事情も悪く、お腹を壊す人が多いので有名だったので、出発の免税店でミネラルウォーターをごっそり購入した私。


あんまり荷物も持たないので、スーツケースに余裕があった。で、ミューズリーやらビスケットやらをケースに入れて持参してきた。それと自分の誕生日を祝おうと、赤ワインを2本!とヨガマットも持参したのである。
機内持ち込みケースも空っぽだったけど、空港でウィスキーを2本買い、ミネラルウォーターを一杯買ったら、結構な重量に。機内に乗り込む前に手荷物の重量チェックがあって、私のケースは15キロあったので、超過料金を払え、とエアインディアの傲慢な係員に言われたので、あー、水なんで捨てますわ、とケースを開けた。


ところで私は空港でビールを2杯飲んで、出発を待ってたけど、深夜便だったんで、すっかりベンチで寝ていたのだね。はっと眼が覚めたら、ほとんどの乗客が搭乗済だったのだ。そんな押し詰まった時間に、のろのろとケースを開けた私。若い従業員が「水?」そう、水だよ、というと、「あー、水は持って行っていいから。」と言い出し、そのまま機内へ。
小汚いエアインディアで里帰り低所得労働者に交じった私は、座席についた途端、ぐっすり寝込んで、チェンナイに着陸するまで爆睡していたのである。



そうそう、寺院の周り。なんつうか、なんとも言えない風景。ちょっと別の世界みたいだ。ずっと昔にタイムスリップしたような、そんな感覚。事前に人気のレストランを何気にチェックしておいた。テキトーに寺院の近所を歩いてたら、ランキング上位のレストランがあった。迷わず入店。





わー。シンプル!寺院の近所のせいか何なのか、レストラン、というより食堂は全てベジタリアンでござんした。ちょっと清潔といえないこの環境で、普段から食しない肉食などめっそうもない!感じ。魚も、この辺は海から遠いし、冷蔵輸送技術があるようにも見えないのでパス。つうか、魚メニュがあるレストランなんてたぶん、無いんだと思う。
なかなかに美味しかったので満足。お値段も100ルピー。(60円)それなりに清潔ではあった。このあたりの街の「清潔さ」って、隅々までキレイに掃きこまれている、ということでございます。

これは私の大好物、ポンガルでございます。南インドおじや。毎日食えるライトさがいい。





私は荒物屋でプレッシャークッカーと壺を購入し、ドバイまで持ち帰り仕事で使おう、と思ったのであった。ちなみにプレッシャークッカーは、ドバイの⒑分の一価格。驚愕でござんした。購入した5リットルの圧力鍋は、600円くらい(爆)これが、私のインド人コックが好むシンプルなアルミ製。最近の機能が多少ついたやつは、インド人コックは取り扱いがわからないのであった(笑)



さて。
なかなかいい写真が取れなかったのだが。
私が一番印象に残ったインドは、その「混沌を飲み込む何か」が存在する、という事実。無法地帯(笑)かも知れない、ある意味。インド人の口癖に「ノー・プロブレム」つうのがあって、これを聞くたびに、非常に不愉快になるのだ(笑)だいたい、インド人がノー・プロブレム、つう状態は、既に問題が悪化していたり、私の意図に全く沿ってない場合が多いからだ。
「ちょっと、どーなってんのよ?注文通りになってないじゃないの?」と意気込んでたたみかけると、100%「ノー・プロブレム」という返答が返ってくる。
「おい!プロブレムがあるからコンプレしてんだ、ちゅうの!」なーんてインド人相手に怒鳴っても、何の解決にもならないのである。


アラブ人の「インシュ・アッラー(神のお導きがあれば)」とインド人の「ノー・プロブレム」日本人の「大変申し訳ございません。(だいたい、このフレーズから相手の懐柔戦術が始まるからだ。だいたい、申し訳無いって全然思ってないのが伝わってくるもんね。)が、聞くとイラっとする言葉である。



そんなノー・プロブレムの国は、ほんとにノー・プロブレムでござんしたwww まあ、ティルバナマライがヒンドゥーの聖地であるからなのかもだが(変な日本語...)サドウがいーっぱいいたのである。ネパールにもちょろっとは存在したが、サドウは、私の滞在した高級リゾートのそばの幹線道路わきに、いっぱい住んでいたのである。



サドウは、世捨て人なので、基本、托鉢の鉢とオレンジ色の布一枚しか持たないらしい。確かに、出で立ちはそんな感じ。物を持たないので、家に住んでいない。路上に住んでいるのだ。食事は日に1回、無料の施しがやってくるみたいだ。何してる風でもなく、たむろする大勢のサドウは、ちょっと接近したくない感じ。
私が徒歩でホテルから出なかった理由は、このサドウ・ストリートのため。ちょっと歩けないよ。サドウだらけの道。





幹線道路は結構広い。んで、この辺は貧乏なのか何か、あまり車が走ってない。庶民の足は徒歩かバイク。バイクがとても多かった。まだヘルメットなど着用してない。私がみた限り、この街の人の2割程度は、裸足、である。これには、さすがに驚きました。まあ、他の人も靴は履かず、「チャッパル」と呼ばれるゴム草履が一般的なので、裸足もゴム草履もインド的には大差ないのかもだ。




その結構広い幹線道路の脇にはサドウが住み着き、ゴロゴロ横たわっていたり、ぼーっと座り込んでいる。
その脇をぶっ飛ばして通り過ぎるバイクの群れ。
時折、のっしのっしと痩せた牛が道路を歩いている。
役用の牛の角は、なぜか青く塗られてるのがおおかった。
牛に荷車を引かせて運搬してるのも多かった。
そして、横たわるサドウの合間を、野生のおサルが走り周る。
乗用車はほとんど通らず、
時々見かける、長距離のトラックもすんごく古くて、なんかカラフルなペンキ装飾が施されてる。
西洋人のサドウもいた。「この人、ビザ、どうしてるんだろう?」なんて事を咄嗟に思う自分。どうしてもプラクティカルな発想が優先してしまうのう。
大木に囲まれ、とてもきれいな葉っぱのトンネルで囲まれた幹線道路。そこに、私は何でも飲み込むインドを見た気がした。



だいたい。
今時、幹線道路を牛が歩いてたり、
住所不定無職の人がいっぱいゴロゴロしていたり
そんな人に毎日、食事を提供する篤志家もちゃんといて、
裸足で普通に歩いてる人がいて
野猿がぴょんぴょん飛び跳ねてるとこなんて、
そうそう無いよ。
人里離れた場所ならともかく、これ、市内の話なんである。
いやー、すげーなー。。。
その懐の大きさ、というか、ほんとにノー・プロブレムなんだな、という現実に、思わず自分でも口走ってしまった。



ノー・プロブレム!