百休庵便り

市井の民にて畏れ多くも百休と称せし者ここにありて稀に浮びくる些細浮薄なる思ひ浅学非才不届千万支離滅裂顧みず吐露するもの也

愚息物語(14)【裏山の磐神様】

2009-12-31 22:21:23 | 日記


 我が家から望む裏山頂上には、霊験あらたかそうな、それはもう
大きな岩がでーんと、それも男岩・女岩とでも形容できるような
一対の岩が上下を成し 座っておられるのでありますが、もし、
この岩が転がり落ちでもしようものなら、我が家はひとたまりもなく
滅茶苦茶になってしまうこと必定でございますから、愚生はそれを
磐神様(いわがみさま) と名付け、我が家の守り神として崇め奉って
おり、毎年末には注連縄もどきの縄を張り、新年にはお参りいたして
いるところでございますが、
本日、その新しい注連縄を張ってきたのであります。
そうです。今年できた孫たちと一緒に登ってきたのでございます。

標高差220m道程475mでありますから、平均斜度30度弱の 急な、
愚生が 芝刈り 倒木などの障害物を除去しているとはいえ、獣道に
毛が生えた程度の 一年のうちこの時期しか通らない
荒れ道でありますゆえ、登れるだろうかと たいへん心配したのであり
ますが、なんのなんの、ひょいひょいひょいと、たいしてエラがるでもなく、
ほんとうに 子供たちの能力は たいしたもんだ・蛙のしょんべんで
ございます。

ところで、この子たちは、本日午後から、当方とは全然違った
美男美女の、じっちゃんばっちゃんという言葉が似つかない 若い
もう一方の祖父母に、引き取られていったのであります。
次 帰ってくるのは 3日となっておりまして、6日には
都会の父母のもとに 送り届ける予定でございます。

なお、3人目の予定日が 4日後に迫っておりますので、
この子のことも、磐神様には 深くお願いいたしました。
どうか母子ともに大事なきことを と 祈るばかりであります。

  

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愚息物語(13)【ぶらんこ】

2009-12-27 20:43:03 | 日記



 写真のように大喜びです。
作ってよかったです。
元気いっぱい遊んでいます。
取り急ぎ写真のみ掲載で、失礼いたします。
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愚息物語(12)【孫待ち爺】

2009-12-24 11:54:54 | 日記
 ブランコを作りました。
明日、子供たちを迎えに行きます。
今日は、持ってゆく荷物やら、寝床の準備やら、掃除やらで、
大忙しです。晴れてくれて好かったのですが、
てな具合でございますので、当ブログに向かう時間が取れません。

また 明日以降は、子供たちの相手、お飾り作り、年末の片付け、
掃除、裏山頂上の磐神様に参る道の整備・柴刈り…等々 びっしりと
あるものですから、夜 日記にメモる時間すら取れないような、
フル回転状況となるは必定で、当ブログ投稿は、ままならない状況に
陥ると存じます。

一行二行 書き込むという手法もあるかもしれませんが、
愚生の趣味ではありませんで、休ませていただく場合が多く
なるかと思っております。

いつもご覧いただいておりますのに、誠に勝手でございますが、
ご了承いただきますよう、何卒 よろしくお願い申し上げます。
お読みいただきまして、誠にありがとうございます。


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百休庵ご紹介(11)【水屋の中の絵筆入れ】

2009-12-23 12:41:47 | 日記
 入り口すぐ左、流し棚の上に小さな水屋を組み込んでおりまして、
その中には、ここ数年 入れっぱなしであるのですが、写真のように
絵筆をしまっております。

絵筆入れは、愚生お気に入りのミュージアムグッズのマグカップで、
プリントされている絵は、いまさらご説明するまでもない超有名な、
モネの「戸外人物習作右向き」と
ピカソの「アヴィニョンの娘たち」でございます。
それぞれ、広島と上野の美術館で見た記憶があります。

愚生は、モネの最初の奥さんであるカミーユがモデルで、顔の表情が
描き込まれている「パラソルを持つ夫人」の方が、明るいしエレガントで
好きなのでありますが、そのマグカップは、手に入れるまでに至っており
ませんで、2番目の奥さんアリス・オシュデの娘、シュザンヌがモデルの、
のっぺらぼう顔の、少し太めの女性のほうの絵がプリントされたカップで
あります。なお「戸外人物習作…」は、右向きと左向きがありますが、
モデルとなったシュザンヌの気持は如何許りであったでしょう。

もう一方は、ピカソの作品の中で 愚生が一番好きな絵でありまして、
見る度、溢れ出るエネルギーに圧倒され、元気も貰っておりますものの、
悲しいかな、愚生の向絵描き体内地下資源は、大方尽きてしまっている
ようでありまして、描こうという気分が、一向に湧いてこないのです。
待ち侘びているのでございますが。


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本あれこれ(8)【山口瞳さん続編】

2009-12-22 16:16:52 | 日記
 愚生は、約37年前、その一度きりの見合い相手と結婚式を
挙げたのでございますが、もちろん山口瞳さんの当該小説に倣いまして、
その案内状の文面は「私たちは結婚します」としたのでありました。

次に印象深いのは【けっぱり先生】であります。
モデルは桐朋学園の生江義男校長といわれておりますが、
小説では猪股校長となっておりまして、校長は 常日頃、
「卒業生を送り出すにあたり、ああしてやればよかった、こうして
やればよかったと、悔やまれることばかり思い起こされ、自分の力の
及ばなかったことを 申し訳なく思うばかりであるというのに、
生徒から"仰げば尊し"という感謝の念を示す歌を贈ってもらうわけには
ゆかない」と言われておりましたのですが、とにかく まごころ一筋の
素晴らしい熱血先生でありますゆえ、卒業式において、禁止されている
にも拘わらず、生徒のほうから 自然発生的に"仰げば尊し"の歌声が
聞こえてくる という、愚生には、涙無くして読めない感動の小説で
ありました。(なお、上記は 愚生の頭に残っている記憶を文字化した
ものでありますので、正確でない可能性が大いにあります。念の為。)

【江分利満氏の・・・】【まじめ人間】という小説は、とにかく
楽しかったです。たしか これらの小説からのではなかったかと
思います。次なる言葉を知ったのは。
  軽石……かかとばかりする
  ミシン
ふたつとも「一穴主義」を表した言葉であります。



<追伸>
 山口瞳さんは、ある時期から国立市に居を構えられました。
けっぱり先生も たしか国立が舞台でありますし、音楽大学や一橋も
あって、クニタチという名前も えらいいい響きでありますものですから、
愚生は ずぅっと一種の憧れめいた気持ちを持っていたのであります。
しかし、最近は全く違った感慨を有するようになっております。
どうやら愚生とは相容れない考えをお持ちの方が大勢住んでおられる
ようで、平成12年3月には 市立第二小学校での国旗国歌に係る校長
土下座事件というような、象徴的な信じられないような事態が起きたで、
愚生以上に、けっぱり先生も さぞかし落胆されておられるのでは
ないかと、また、この際、いっそのこと市名を 国裁市と改名されたが
如何か と思っているのでございます。

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本あれこれ(7)【山口瞳さん】

2009-12-21 15:08:02 | 日記
 独身時代、山本周五郎さんとともに愚生が大好きだった
作家さんは、山口瞳さんであります。

氏の表現方法は、文芸評論家の方々は、よく
「オブラートに包んだような…」と言っておられたのでありますが、
振り返りみますますれば、愚生は、庶民的ながら都会的、真面目で
正当で明るく、清潔感があって、ユーモアに溢れた 氏の作品の影響を
ずいぶん受けておりまして、違った意味であるものの、氏のオブラートに
包まれていたのではないか と思えるのでございます。

まず第一に挙げられますのは、【結婚します】という小説です。
主人公浩太郎は結婚を決意、見合いを10回重ね、結局のところ、
最初の見合い相手と結ばれるというものでありますが、その過程に
おきまして、主人公の、結婚に対する考え方 伴侶とする女性への視点、
ひいては 人生への取り組み姿勢が、この上なく真摯に述べられている
のでありまして、これらの全てが悉く、心から共感できるものであった
のでございます。

そうです。どう見ても この影響を受けたとしか思えないのです。
これはもう どうでもいいことなのでございますが……
相手は未だ 合計何回やったのか 白状していないのでありますが…
タイガースの選手を筆頭に、それは相当数あったようでありますが……
愚生は、正真正銘 一回きりの見合いで決めたのであります。

そこでです。いまだ独身の かっての愚生のような
イイ男たちに告ぐ or お伝え下さい であります。
山口瞳さんの【結婚します】を、今こそお読み下さいな。
本当に いい本であります。
(この稿つづく)

 <追伸>
 見合い場所は、当時、父が住み従事していた県北の温泉地の、
狭い、警察の派出所の2階でございました。そういえば縁起でもない
ことに、そこへ参じる途中、彼女の親は スピード違反で捕まったので
ございました。そして愚生の親は、結局この温泉地には1年勤務しただけ
で、この後 さらに数10キロ山奥の、県境に程近い 小さな小さな駐在所
へ転勤となったのであります。開けっ広げで人のいい 父のことであり
ますから、風俗営業の取締りを大目に見たとか、何かあったので
ございましょうか。
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百休世直し放言(3)【自民党】

2009-12-20 14:32:10 | 日記
 憲法につきましては、続編を何回か書くつもりでありますが、
現時点、自民党があまりにもだらしがないものですから、唐突ながら
ここで割り込まさせていただきまして、憤懣をぶちまけたく存じます。

衆議院選挙前でございましたが、宮崎県の東国原知事が、
「自分を総裁候補とするなら・・」と言われたのでありますが、
これは、知事が炯眼の士である証左と考えるべきでありましょう。

つまり、それぐらいの とてつもない変革、イメージチェンジを
行わない限り、生き残りなんて とても覚束ないですよ ということを、
まさに言われていたのでありますが、自民党のお歳を召された大多数の 
議員さんは、「生意気に、何をこしゃくなことを言いおって!」という
態度に終始されておりました。

各政党の若手の陣容を俯瞰した場合、誰が見ましても 民主党が抜き
ん出ていると判断されるでありましょう。自民党は、人材が枯渇して
しまっておりまして、甚だしく陳腐化しているのです。

実際には、自民党は 森さんの時代、とっくに死んでいたのです。
ところが、小泉さんという 目くらましの天才が現れ、野党以上の迫力で
改革改革という催眠術を使い訴えたものですから、その覚醒効果が聞いて
いる間、もったに過ぎないのであります。

さらに悲劇的というか喜劇的というか、あきれて物も言えないのは、
今に至りましても、危機感がほとんど感じられないことです。
およそ谷垣さんなんて、攻めてゆくタイプの人ではなく、
民主党のウイークポイントであります国家感・安全保障・外交・
経済に対しましての ご自身の明確な主張も、聞いた覚えもあり
ませんし、叱咤激励し、汗・髪振り乱し、ダイナミックに駆けずり回る、
そんなイメージからも遠い方、インパクトが全くない方 のようにも
思えるのであります。

少なくとも、70歳を超えた方は、引退されるべきであります。
真の保守政党を目指し、広く有為の人材を募り、人づくりから始める
べきです。愚生は、出所を失念したのでありますが、経済が経世済民で
あるように、保守とは保業守勢であると聞いたことがあります。
保守とは直感的に古くさいことのように捉えられがちでありますが、
そうではないということも、啓蒙してゆくべきでありましょう。

愚生は、自民党総裁には 桜井よし子さんを担ぐ以外 道はない
のではないかと思っております。そして、
福井1区選出の稲田朋美議員さんのような方に繫いでいただけたらと
思うのです。この方は、前回の逆風選挙にありましても ご自身の
国家感を前面に出され、堂々と勝ち抜かれました。
勝たせた富山1区の方々も、誠にご立派であります。
この日本、まだまだ捨てたものではないのです。
キチンとした主張を展開され実践される人には、必ず報いて
くれるはずであります。
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百休半ドンカラム(4)【私流【生と死】】

2009-12-19 15:40:19 | 日記
 写真は、日陰には千両がある裏山西側の山裾です。
愚生が、約一週間かけ 下笹刈りしたのでありますが、
それに、コナラの落ち葉が降り積もった景色です。

3年前、ここに 7本の栗の苗木を植えたのであります。
しかし イノシシが出没、まず真ん中へんをボキッと噛み折られ、
それでも葉っぱを出し頑張っていたのですが、ついに、
「これでもかっ」と引き抜かれ、全滅してしまいました。

本当に、憎っくき イノシシであります。
囲いをしなかったからではありますが、ほかの同じような背丈の、
自生している木には目もくれず、なんで わざわざ植えた木を狙い撃ち
し殺してしまうのか……ハラワタが煮えくり返る思いであります。
植え直す気力は、いまだ湧いて来ておりません。

ちょっと ハードボイルドチックな気分となりましたゆえ、今日は、
そのような詩を載っけまして、失礼させていただきます。




        私流【生と死】


       生という字
       土の上に人と書く
       まさに【生きる】

       死という字
       一の下にタヒとある
       【地の下、濁点なしの
       旅】、浄き心の地中旅   旅…タヒ 浄…きよ
       何も無さそな空よりか
       色んな物あり楽しそう
       
       だがどっこい、今は
       緑なす大地と抱かれ
       土と睦んで生きている
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ひと息いれる稿(4)【あじさい】

2009-12-18 11:14:40 | 日記
 前2回がシビアな内容となりましたので、今回、
当たり障りのない内容とさせていただきたく存じます。

この詩も、産経新聞「朝の詩」に投稿しておりましたものですが、
そのシーズンも過ぎてしまいましたゆえ、確実にボツと判断いたしまして、
公開させていただくものでございます。

愚生は、なかなか良くできた詩ではないかと思うのでありますが、
連れ合いに読んで聞かせますと、納得できないどころか、急に
機嫌が悪くなったのであります。
どうやら それは、「白雪姫」にでてくる"魔法の鏡"のせいで
あることが、しばらく経ちましてから分かったのでございます。




         あじさい


       初夏のアジサイ
       瑞々しさの代名詞
       何ともきれいで
       アイ・ウオッシュして
       くれますね
       でも
       晩秋の紫陽花
       見てみてください
       なかなかのものです
       葉っぱと花が同化して
       味があるのです
       一足はやく
       味妻になっている
       家内みたいです    
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百休世直し放言(2)【憲法】

2009-12-17 14:24:45 | 日記
 一体いつまで こんな憲法を据えているのでしょう。
愚生は、現日本の体たらくは、一重に現憲法にあると思っております。
人間というもの・世界というものの理解が まるで薄い 子供が作った
ような憲法だからです。かってマッカーサーは日本のことを、12歳の
子供のようだ と言われたのでありますが、そんな憲法を押し付けて
おいて、お前さん 何をか云わんや であります。しかしこんな憲法、
今まで無傷で残しているなんて、きっと 夢にも思っていなかったで
ありましょう。

憲法とは、その国での取り決め事の大本(たいほん) であります。
にも拘わらず、その大本なるものに、背骨がないものですから、
その通りの国、その通りの国民 となってしまったのであります。
そんな国になるよう、もっと言えば、自然消滅させてしまえとの
魂胆から宛がわれた憲法でありますからして、当然といえば当然の
ことであります。しかし、アングロサクソンの深謀遠慮・構想力・
構築力といったものは、本当に たいしたものであります。

一番の責任は、今までの政治家にあります。
最も糾弾されてしかるべきは自民党であります、がしかし、
そのようにさせなかった国民も同罪でありましょう。
その原因となったものは、言うまでもなく、左翼の隠れ蓑と
なっている マスコミと多くの大学教授・進歩的文化人にあります。

でも、そのマスコミや上記方々が、敗戦後の64年間、
よってたかって、賢そうな人が さも賢い振りをし、あれほどまで
煽動してきたに拘わらず、今日まで まだ何とか国体を保って
こられたのを、むしろ 良しとすべきなのかもしれません。

これは、世界一優秀な一般大衆の、今までの日本歴史と照らし合わせ
ても 何かおかしいぞ、という素朴な直感力と、真っ当な保守政治家、
中村天風さん安岡正篤さんらに代表される正統な指導者の方々、
および両先生の教えを受けておられる財界の方々、そして、
産経新聞ほかの一部良識あるマスコミのお陰ではないかと思って
いるのであります。

ところで、既に800字を超えておりますもので、
今日のところは、このへんで失礼させていただきたく存じます。
お読みいただきまして、誠にありがとうございます。

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百休世直し放言(1)【先憂後楽】

2009-12-16 13:53:51 | 日記
 「天下のことについて世の人に先んじて憂え、遅れて楽しむこと。
  常に天下の平安を心掛けていること。」
「後楽園」という名称の出所でもあります【先憂後楽】を
「大辞林」で引きますと、このように書かれております。

つまり【先憂後楽】とは、人民を治める お上 とは斯くある
べしということを述べているのでございますが、現状は、何とも、
皆様ご認識のとおり、まったく逆でございます。

どうして この尊き教えに戻り、自らを律することから始め
ないのでありましょうか。まず自らの人件費の数割カットという
議員報酬の大幅削減から、スタートすべきではないでしょうか。
衆議院議員は、半数でいいと思います。
そして 参議院なんて全く不要です。憲法改正しなくては、
参議院をなくすことができないのですから、それまでの間、
報酬を大幅カットし、やり過ごすべきでありましょう。
地方の議員さんも しかり、公務員さんも しかりです。
そして、もう済んでしまったことで誠に残念でありますが、
公務員のボーナスは、世間の最後の最後に渡すべきなのです。
しかしながら、民間人がこんなに苦しんでいるというのに、
どうして いの一番に受け取ることができるのか、不思議で
不思議でなりません。見識が疑われます。

次に行うべきは、年配者は若い人に仕事を譲るということです。
なんとか過ごしてゆけるのであれば、さっさと隠居すべきです。
少なくとも、税金を自身の報酬の原資としている人たちは、
63過ぎたら無条件に隠居すべきです。
貴重な税金を 独り占めしたらいけませんし、公務員で
余人をもって変え難い仕事なんぞあるわけがございません。
この大不況をこさえた張本人ともいえる グリーンスパンさんは、
かって その世界の神様とまで謳われていた人であります。

辞めて、鴨長明さんや吉田兼好さんのように、
方丈記や徒然草を書こうじゃありませんか。
伊能忠敬さんは、歴史に残る大仕事をやってのけました。
もし仕事を続けられるのなら、名誉だけはいただいて、
金銭的な報酬は、極めて慎ましやかなものとし、その浮いた分は、
若い人に回してやるべきなのです。

今こそ仕事と所得の、年寄り→若い人への再分配 が必要とされて
いる時代はないと思います。若い人は、やらせればきっとやります。
もしできないにしても、できるよう育てましょう。
若い人たちを元気にしないかぎり、この国の閉塞感・逼塞感は、
決して打破できません。若い人たちの元気さえ取り戻せれたら、
今ある問題の解決なんて 容易いものです。
将来のというより、現時点の問題解決のためです。
お年寄りたちよ、いまこそ席を譲りましょう!
えっ、電車の席を譲ってくれないから、譲れないだって?
お気持ちは分かりますが、何分これは うーんと大きな問題な
もんで、そこを何とか お頼み申します。

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木端絵ギャラリー(8)【侘助】

2009-12-15 14:35:59 | 日記



 土が悪いのに、肥料も施さないせいでしょうか、
10年以上経つのに、大きさは、変わらないというより、
小さくなってしまったかのような、庭先の 侘助 が咲いています。

写真は、まだ元気であったころの 侘助 を描いたものです。
愚生としましたら、トップ3に入る出来栄え と思っております。
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百休半ドンカラム(3)【ご挨拶だけです】

2009-12-14 15:29:14 | 日記
 写真でご覧いただきます通り、新田街道 今年最後の草刈を、
終えております。この場所までの道の路肩は、初めてのことですが、
イノシシが掘り起こし、ボコボコの状態となっております。
ムチャクソしやがる ほんとうに憎っくきヤツラです。

本日の日没時刻は 13時31分、それまでは非常にいい天気でござい
ましたが、にわかに荒れ模様、青空はまだ見えるのですが、風が
ひゅうひゅう 言っています。
これから、草刈りをしなくてはなりません。
せっかく覘いてくださいましたのに、何もなくって、ほんとうに
申し訳ございませんが、失礼させていただきます。




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百休半ドンカラム(2)【君にもできるという罪】

2009-12-13 11:51:52 | 日記
 昨日、【世界に一つだけの花】につきまして申し上げました
ことと同様な話は、ほかにもございます。まず思い当たるのは、
私にできたのだから、あなたにもできる といった類の話です。

極道世界に身を置いていたが、改心し弁護士になったとか、
ろくすっぽ学校に行かなかったが、公認会計士や弁護士や大きな
会社の経営者になったとか、私はこうやって大金持ちになったとか、
当座、成功したかに見える人が、自慢げに吹聴し、挙句の果て、
私のような落ちこぼれ人間にだってできたのだから、必ず、
あなたにもできるはずよ!、頑張んなさい! という話です。

一見、啓発的で とても良いお話のように見えるのですが、
愚生は、これはたいへん問題があるのではないかと思っております。
確かにそのような方はおられます。しかしながら、それは極めて
稀なことであるのです。であるからこそ、ニュース性があり、
マスコミに採り上げられるのです。

高い目標を掲げチャレンジするはいいことだとは思うのですが、
ただ、この世の中の現実を見据えた視点も伴っておりませんと、
むしろ、悪いことと言わざるを得ないと思うのです。

こんなこと、わざわざ申し上げなくとも、ほとんどの方は、分かって
らっしゃると思うのですが、実際の人間社会、その ほとんどは凡人で
あるのが現実なのです。皆が宮本武蔵ではありませんで、
大大大大大大・・・・大大多数は、本位田又八 なのです。

でもこれは、悲しいことでも何でもありません。
怠けるのが好き、安易に流れるが好き、刹那的なるが好き、
賭け事が好き、であるのは、人間の一方の本質なのですから、
仕方のないことなのであります。

でありますから、ほんの限られた人しかでき得ないのに、
「あなたにもできます」と言って、けしかけるのは、そう言っている
人の 隠された本音 を嗅ぎ取るべきであろうと思います。

2割の商品で8割の売り上げを稼ぐ という 28(ニッパチ)の法則
だってあるくらいです。
おっと、「こんなこと、とっくの昔、知ってらぁ」というお声が、
聞こえてまいりました。そこで、最後の二言三言です。

もし、人生に勝ち負けがあるとしましても、
それは、最後の最後 死ぬまで分からないことだということ、
たとい負けてると感じるとしましても、挽回のチャンスは
死ぬまであると考えるべきですし、お金や地位と 幸せ感とは、
何ら関係なく、むしろ、そういったことに拘泥する人ほど、哀れな
かわいそうな人であるということ、そして、
いま本当に議論し、対応すべき喫緊の最重要課題は、
脚光浴びるまでもない大多数の普通の方々、とりわけ 
若い人たちの生活が 立ち行かなくなっているということで
ありますが、これは、また 別途 述べさせていただきます。
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百休世去り詩(3)【いつの間に…補記【世界に一つだけの花】】

2009-12-12 12:47:09 | 日記
 この季節、山々からは 急速に鮮やかさが失われておりまして、
早晩 常緑樹の緑のみを ぽつんぽつん残した、モノクロームの
世界へと変わってしまうのでありますが、落葉樹は、単に 時節が
来たからといって、葉っぱを落としているのではありません。

人間は、基本的にズボラでありますゆえ、何でも放ったらかして
寝てしまうことが、しょっちゅうなのでございますが、その点、
植物は、たいした者であるのです。

葉っぱから、取り入れられるものは全て取り入れ、次なる春に向け
まして、花の芽 葉っぱの芽 枝の芽 すべての準備を整えました後、
初めて葉を落とし、究極のエコスタイルをとりましてから、冬の
眠りにつくのでございます。
 
と いたしますと、私たちが 四季のことを何気なく春夏秋冬
と言っておりますが、これは自然の理に適っておらず、これは、
語呂は損なわれるのでありますが、どう見ましても、秋が最後で、
冬が最初でなければおかしいと思うのであります。
最初に花が咲くなんて、虫がよすぎて 教育上も良くありませんし、
雌伏のときあってこそ 花開く でなくてはならないのであります。

ダラダラと しょうもないことを言っておりまして、誠に申し訳ない
のでありますが、今日のところはもう少し 花に関しまして思うことを
申し上げたく、お付き合いいただければと思います。

【世界に一つだけの花】という超有名な歌がございます。
何やら 200万枚以上売れて、日本PTA全国協議会の「親子で歌いつごう
日本の歌百選」に選ばれ、さらに「Mステーシュンあなたとアーチストが
選ぶ新・国民的名曲」で第1位というのであります。

愚生はこのことに、現日本が陥っている深刻な病をみるのであります。
この歌は、ガラスをダイヤモンドと教えているようなものではないか、
平和平和と唱えれば平和になるという発想と同じようなものではないか、
いい歌どころか、まだ幼い子供たちに歌わせる歌としましたら、
むしろ有害な歌ではないだろうか、とさえ思えるのです。

いったいこの世の中に「世界にひとつだけの花を咲かせたよ」と、
言える人が どれほどいるというのでしょうか。
愚生なんぞ、花が咲いたなんて何一つ自覚ないまま、今日にいたって
おります。花は咲いていないのに、子供は3人できております。
咲いたとしましても、それは 目に見えない花だったのです。

夢を見るのは とてもいいことです。しかしこれは前提があっての
話です。現実をリアルに捉えていてこその話です。
こんなこと、当たり前のことです。大人ですら キチンと捉え切れ
ない現実社会、少なくとも、奨んで子供たちに歌わせる歌とは、
とても思えないのです。

一般的に、花はきれいです。
しかし現実は、20万~30万種といわれている植物の中から、
人間の都合で、きれいと感じる花を、何千年もかけて厳選し、
品種改良し 鑑賞しているに過ぎないのであります。

また、人間が生きるうえで、それに最も貢献している植物は、
咲いたかどうかさえ分からないような花しか咲かせないのです。
稲、麦 がそうであります。

さらに、強烈な匂いを発し とても鑑賞に耐えられない花だって、
虫をおびき寄せ 溶かして食べてしまう花だって、あるのです。
そして、本当は、きれいな花を咲かせることは、宝くじを当てるより
難しいことなんだということ、および、これを言うは とても悲しく
忍びないことでございますが、咲いたとしましても ほんの一瞬
なんだよ ということも、併せて教えるべきなのであります。
 
こういった意味におきまして、日本には既に いい歌があるのです。
野口雨情作詞・中山晋平作曲 【しゃぼんだま】、
西條八十作詞・成田為三作曲 【かなりや】
が、そうであります。味わえば味わうほど、人生の真実・哀歓が
染み出でて、涙が滲んでくるのであります。

以上、特に「世界にひとつ…」の歌のファンの皆様、SMAPファンの皆様、
槇原敬之ファンの皆様には、誠に耐え難いようなことを言いまして、
ほんとうに申し訳ないことでございましたのですが、愚生は、
決して 軽い乗りで歌うにはそぐわない、非常に大きな大切なテーマを
取り扱っているのですよ ということを、訴えたかったのであります。
ご寛容のほど、切にお願い申し上げまして、
この稿を閉めさせていただきます。
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