百休庵便り

市井の民にて畏れ多くも百休と称せし者ここにありて稀に浮びくる些細浮薄なる思ひ浅学非才不届千万支離滅裂顧みず吐露するもの也

【藤沢周平記念館】【福井県立美術館】【憧憬/南部・心追い/巡り旅 (完】H25.7/13

2013-08-27 16:03:41 | 旅行
 
   ↑ 入館パンフレットです          ↑ 購入した 図録冊子 です

      ↓↑  館内では撮影禁止につき 外から撮影させていただきました  

       是非とも写真に収めたかった ↑↓ 庄内美人の受付嬢さん   


   
↑ 大好きな【森敦】さんのコーナーもありました ↑ こちらにも行き ↓ この本を買いました 
【閑谷学校】と まったく同じ雰囲気です  

【福井県立美術館】さんで開催中の【ミケランジェロ展】も 見ました


         このキャッチコピー ↑ は ちょっと やり過ぎと思いました




老生のボンクラマナコで見た感想を一言で言うとなれば、スゴイなぁと思うところのほとんどない展覧会でして、同時代を比較すれば、わが国の 絵画・彫刻・建築芸術の 際立つ優秀さが再認識されまして、日本人は もっともっと自信と誇りを持つべきだと、自信を持って 感じたのであります。
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【山寺焼/長瀬実さん】【慈恩寺】【憧憬/南部・心追い/巡り旅 (10)】H25.7/12

2013-08-26 22:43:18 | 旅行
 朝 7時にならぬまに、宿泊した塩釜の船宿を出立、山形県鶴岡市の【藤沢周平記念館】目指し、一路 一般道を走らせたのですが、通り道沿いではないものの 近傍を通ることでありますから、一昨年 6月 訪問した【山寺焼】【長瀬 実】さんの処にまた 立ち寄らせていただくこととしました。

 ご長男 ↓ は長崎県波佐見町で やはり焼物を作っておいでです  ↑ 長瀬さんご夫妻です

購入した抹茶茶碗 ↓ です 土中のコバルトが文字通りコバルトブルーに発色した希少品とのことです
    

このあと、長瀬さんが「通り道だし、ここはびっくりするぐらい好いところですから、是非 寄ってみて下さい」と言われた 寒河江市【慈恩寺】さんに行ったのでして、それがです、これはブログをまとめる段になって確認し分かったことですが、前々回掲載の新聞記事 その初っ端に、特筆すべきお寺としてリストアップされていたのでして、実際 長瀬さんのおっしゃられた通り ほんとうにスゴイお寺さんで、さらに、文字通り 有難き 素晴らしいサプライズが 用意されていたのであります。

                  

                     ↑ 【慈恩寺】さん 山門です

                  ↑  本堂です

 ↑ この【秘仏展】をやっていたのです  素晴らしい出来栄えの写真です ↑↓


下は 当お寺のパンフレットの一部を撮影したものですが、5件の重文含む 30数体の仏像を擁しておられる 知る人ぞ知る 実にスゴイお寺さんであります。寄らせていただいて本当に良かった、長瀬さん ありがとう です。





あまりに素晴らしい仏像群でしたので、後日 じっくり鑑賞する目的で 下の写真集を購入したのですが、秘仏と銘打っている 2体は どのパージを捲っても出てまいりません。頗る残念なことでありますが、考えてみましたら、秘仏であるからこそ 掲載アタワズで、これぞ秘仏たる証左でしょう。致し方ないことです。
      



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【久慈市→三陸海岸/国道45号→塩釜】【憧憬/南部・心追い/巡り旅 (9)】H25.7/11

2013-08-23 16:48:19 | 旅行

                 ↓ 【三陸鉄道】さん 久慈駅 駅舎内の 売店です 



 久慈駅近くのホテルに泊まり、朝 名物の「うに弁当」を買い、そして 海沿いの道を 下ったのでありますが、まず ↓ この光景に 打ちひしがれました
    前方890メートル ↓ 後方2570メートル 津波に襲われたという標識です

            霧が掛かり 小雨が そぼ降り、視界は 絶不良 でした 

                     ↓ この先は 断崖絶壁 のはずですが・・・


             ↓ 橋の欄干は ひん曲がっております          

典型的な三陸の美しい漁村でしょうが・・・・↓     吉里吉里小学校近くです ↑



      ↑ 津波がここまできました という標識です

下は ぐるっと一回転して撮った【陸前高田市】の中心部?ですが、このような、360度 見渡す限り 失われ尽くした光景を目の当たりにしますと、呻き声とも泣き声ともつかぬものが ドドッと噴き上げ、かたかた鳩尾(みぞおち)あたりを震えさせ おいおい泣き泣き、呆然自失 立ち尽くさざるを得ないです。

     ↑ こちらが 北方向 です

                     
           
                      
  


         



                               


   その南の外れに 【奇跡の一本松】 は 寂しく立っておりました ↑






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【天台寺】&【渡岸寺観音堂】さん【憧憬/南部・心追い/巡り旅 (8)】H25.7/10および7/14

2013-08-22 16:43:46 | 旅行
 この、ほぼ一年前の「産経新聞」「土曜日に書く」【渡辺裕明】さんの記事が決定的でした。

で、やってきたのです。               

                   ↑ 参道入口です


   
          山門です ↑ 男性は右側の阿像だけですよと書かれていました

    ↑ 左奥の収蔵庫内におらせられます  ↑ 今年から修理にはいる本堂です




         ↑   衣の シースルー感 は驚異的 神業!、見事です!  

         ↑ 実に おおらか  南方系 でしょうか
     
        上の仏像写真は この本 ↑ の中の写真を撮影させていただきました
狭い収蔵庫の中、この写真のような 10体ほどの御仏像を御前に崇めますと、今まさに この上ない 慈愛の降り注ぐ空間に侍(はべ)らせていただいているのだ との実感が満ち満ちて参りまして、何か 泣けてきました 


 日を経た 旅の帰り道、こちらの観音様に もう一度 お会いしたくなって、寄らせていただきました



        【井上靖】さんの文学碑  ↑ 「慈眼 秋風 湖北の寺」 です

  ウ ッ ト リ す る の み    も う 声 が あ り ま せ ん
                  ( 絵葉書を撮影させていただきました )

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【新渡戸記念館・小岩井農場・啄木記念館】【憧憬/南部・心追い/巡り旅 (7)】H25.7/10

2013-08-21 12:34:22 | 旅行
 【新渡戸稲造】先生は 斯(かく)も ご立派な お方であられます
 
     


【小岩井農場】の【どんぐりコロコロ】さんです ↓ (パンフレットの一部分を撮影したものです)岩手山はもとより 山という山は悉く 霧やら雨雲に覆われ見えませんでした。致し方なし です

購入した 桑の木で作られたマグカップ と オノオレカンバで作られた孫の手 です


   【石川啄木記念館】さんです

                沙羅の花(夏椿)が ほぼ満開でした

       ↓ やはりこの歌がイチバンいいですねぇ

                         ↑ 啄木 二体 ↑  

             ↑ このように見えれば 言うことなしだったんですが・・・

素晴らしい解説をなさる この方 【山本玲子】 さんは現在 館長さんでらっしゃいます

               ↑ この番組は たいへん印象的でした

盛岡で ご講演なさった後 いらっしゃったそうです



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【花巻於いて】【憧憬/南部・心追い/巡り旅 (6)】H25.7/9

2013-08-18 14:53:01 | 旅行

      ↑ 【宮沢賢治童話村】さんに設置されている 銀河鉄道模型です



                       ↓ 【宮沢賢治記念館】さんの外観です

たいへんお詳しい才媛受付嬢兼学芸員さんと種々の記念グッズを購入した館内売店です
 
受付嬢さん↑が「【森荘己池】さんの娘さんは当館によくいらっしゃいます」とおっしゃられていました

 ↑【羅須地人協会跡】に建つ【雨ニモマケズ碑】ですが、碑文の判読は極めて難しいです
    ここにも 賢治先生のご遺骨が埋葬されている とのことです



                ↑ 【身照寺】さん内の墓所です

   ↑ 【台温泉】さんで 一風呂浴びました。たいへん好いお湯でした。500円です

【賢治】さんの弟さんの【清六】さんのお孫さんが経営されてらっしゃる【林風舎】さんです

店内で販売してらっしゃる【大菅真樹子】さん(左)と【川村優美】さん(右)です

【川村優美】さんは実は芸術家【菅原はじめ】さんでして、↑ は 彼女の素晴らしい作品のひとつです。     【よだかの星】の世界を 見事に具象化されていると思います 

店内に掲げられている【高村光太郎】さん筆【雨ニモマケズ碑】碑文の拓本 ↑ です


購入した これらの CD ↑ を 聴きながら 旅したは 申し上ぐるまでもないことです。賢治先生作曲の楽曲は水や大気のように体に溶け入り うっとりとした気分にさせてくれます。【長岡輝子】さん朗読【紫紺染について】は たいへん面白く 絶品であります 


当地で、またその後 購入したこれらの本 ↑ を まじまじ眺むるは、今後の大いなる楽しみであります
なお前ブログ掲載の【雨ニモマケズ】手帳の写真は、↑ この本「宮沢賢治記念会」さん発行「宮沢賢治」の P48,49 を 撮影させていただきました


【宮沢賢治】さんについて書かれた本を読むということは、老生にとりまして ほんとうに楽しいことであります。何冊読んでも いつも新鮮で 飽きることがないのです。「どうしてだろう?」、オイラは考えました。行き着いた考えは 次のようであります。

賢治さんの本を読むということは、それすなわち 仏教の教えに触れているということであるので、読めば読むほど 人間としての 真の高み に少しでも上ってゆけると 直感で感じ取っているからではないだろうかと。さらに言えば、【よく生きるには?】という人間の本能から発する問に対する答えが そこに見出せるのではと期待させる何かがある と確信を持って 感じ取れるからではないだろうかと。
 < 追伸 H25.8/20記 >          
 当地で購入した この本についての記述を遺漏しておりました。田畑のほとんど 他人任せとしている老生ですが、雑草刈りとか雑草取りとか野菜作りのマネゴトとか やっておりますので、一応 農の民。ですからこの【宮沢賢治農民芸術概論綱要】に記述されている 賢治先生の農民に向けての激文ともとれる呼びかけは、実に身近に感じられるのでありまして、中でも「風とゆききし 雲からエネルギーをとれ」なんてセンテンスは 最高だと思うのでありますが、下には他の数ページを撮影、掲載させていただいております。


 以下は ご参考までに であります。





  < 追伸 H25.9/8 記 >
 9月7日 NHK Eテレ Pm1:00~【こころの時代~宗教・人生~】にて、宮沢賢治さんに関する本を読むということは まさにこれと同じことなんだ と思ったコトバがありましたので追記いたします。それは【境野勝悟】さんの提示された【道元】さんの「仏道をならふといふは自己をならふなり」という箴言でして、この中の「仏道」という単語は、「賢治」に そっくりそのまま置き換えられると気付いたのです。











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【花巻於いて/序章】【憧憬/南部・心追い/巡り旅 (5)】

2013-08-17 15:55:21 | 旅行




 これは当庵の直近の写真であります。以前と違うところはといえば、【雨ニモマケズ】の暖簾 【雨ニモマケズ】の大皿 【宮沢賢治】さんの南部鉄の小さな置物 が追加されている点でありまして、実は このようにしたいから花巻へ行ったと言ってもいいぐらい、老生にとりまして【宮沢賢治】さんは、ついこの前まで この世に現れ出てておられた【観世音菩薩】様 或いは【常不軽菩薩】様の化身、言うならば【賢治菩薩】様と申し挙ぐる ご存在でありますれば、【雨ニモマケズ】は その象徴として いわば信仰対象の如きようなものとなっているのでありまして、

で、【宮沢賢治】さんと【吉田松蔭】さんは、37歳 29歳という たいへん短い生涯、「行動してこその学問」たる信条を 死を賭し貫かれ、そして共に、後世 日本および日本人への この上ない贈り物となっている、珠玉なる 掛け替えのないタカラモノ 【辞世の詩】を遺して下さっている点で、それと おふた方とも独身だった ということもありますが、たいへんよく似ておられるなぁ と思っておりまして、

もちろんそのタカラモノとは【雨ニモマケズ】および【身はたとひ武蔵の野辺に朽ちぬとも留め置かまし大和魂】という歌でありますが、それらが記されている【留魂録】と【雨ニモマケズ手帳】は、ともに【日本国国宝】として認定されて然るべき、唯一無二の 極めて貴重な 魂を揺さ振り続けずにはおかない、清純で 無垢で 高度に重層的な 傑出した 世界に誇るべき 日本の 精神文化遺産ではないだろうか と思っているのでありまして、当庵は 今回の旅行で一足速く、庵宝認定済み それらレプリカを備えることが叶った ということであります。    







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【バッタ三重奏】&【いざ!南部へ花巻へ】【憧憬/南部・心追い/巡り旅 (4)】

2013-08-05 11:30:05 | 旅行
 

 下の畑 草ぼうぼう。これ以上 ほっとくと 種子が成熟 処理するも より難儀に。で 生来のグズラー魂をリセットし、ポタポタ 汗を垂らしながら ミニトラを掛けてましたら、ひょいと横から 何かが飛び出てきました。「何だろう」と クラッチを切り 目を凝(こ)らしましたら、何と三段重ねのバッタ。「これは珍しい。しばらくじっとしとくんよ」と よく言い置きし、急いでカメラを取りに帰り、撮影させてもらったのであります。


 さて 今回 南部に向け旅するに当たり、特に オイラを惹きつけて止まない【宮沢賢治】さんにつきましては、そのヒトトナリを もっともっと知りたいと思い 事前勉強?を試みておりまして、数多ある賢治本のうちから まず、昭和3年のお生まれで 賢治さんと同学同科 盛岡農林専門学校農芸化学科卒、秋田県の元高校教諭【田口昭典】さんの著された本を取り寄せ 読みましたら、しっかりした論調で たいへん分かりやすい、さすが学校の先生!と唸らせる内容でありましたものですから 続けて 2冊 購読したのでありますが、
    

でです、ここからが、人間と本の持つネットワークの織り成す「綾」というか「機微」というか「縁」というか、不思議としか言いようのない成り行きであるのですが、この中に たった 1,2行だけ【直木賞】を取られたという【森荘己池(もりそういち)】さんについての記述があったのです。これにオイラは 直ぐ ピーンときたのです。「ひょっとして その方の著作は、ずぅーっと以前 買っておいた あの本の中にあるのではないか」と。
                                  
                             あったです。あったです。
  
で「この方こそが宮沢賢治さんの世界 研究の第一人者だ」と実感しまして、この方の著わされたご本を、 Amazonで、稀少本につき 12,000円とか 8,000円とか 4,000円もしたのですが、この際 勢いで 購入したのであります。
  

      最も高価だった本 → と その目次です ↓    
 
      嬉しいことに、このような、サイン入りの 実に極め細かい写真の 綴じ込みがありました

大正14年、17歳の盛岡中学校生の身でありながら、宮沢賢治さん 当時28歳 の訪問を受けられたという、また「自分の小説はどうでもいい。賢治先生の本と賢治先生のことを書いた新刊本を買って読んで欲しい」と言われた【森荘己池】さんの これらの本、出立日までは全部読み切れませんで、残りは「今後のお楽しみ」という括りに 留め置いております。

さらに 事前チェックは 本だけでなく、以下 テレビ番組も CD も 見聞いたしております。











                               

なお【石川啄木】さんにつきましても、事前に 以下の本とテレビ番組を眺めております。
       






 で、一路 【花巻】目指し、東北自動車道を北上したのであります。わが永遠の故郷・わが豊穣の大地 を目指すかの如き気分となって…。ココロはもう 18歳の昔のよう、何やかやで 膨らんでおりました。





















 













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【西沢渓谷】【憧憬/南部・心追い/巡り旅(2)(H25.7/7)】

2013-07-25 13:55:12 | 旅行
 今日は たいへん嬉しいニュースが飛び込んできました。ケネディさんの駐日大使就任決定。本当に嬉しいです。選挙といい ここんとこ 好いことが続いてます。想い返せば 高3の折、暗殺のショックと悲しさのあまり 地元新聞宛 投稿しましたら、稚拙な内容なるも掲載して下さったのであります。いろいろありました イロゴトも含め、ケネディ大統領は 未だに、オイラにとりましては ことさら敬愛・信奉できる 特別なお方であり続けておりますれば、ここにこうして まずもって記させていただいたということでありますが、以下 本筋に戻るとします。  

 7月7日は 甲府から秩父のホテルへの移動のみ ですが、通常通り 朝7時過ぎ、前夜【NAVITIME】自動車ルート検索にて「97.2Km 所要時間 3時間24分」と表示のあった、大体に於いて【笛吹川】沿いを上る【雁坂トンネル】というトンネルを通る道を ナビ設定し、楽勝気分で ゆるりと出立したのでありました。

山深くに その道を上った 車内表示外気温が 21度 を示す所に 綺麗なダム湖がありましたので 降りたのでありますが、プランクトンが異常発生でもしたのでしょうか、あたり一面 重たく充満する 異様に鼻をつく臭いに居たたまれず 直ぐに発車、少し走らせましたら【西沢渓谷入口】との道路標識が目に入ったのであります。  

秩父のホテルには 3時頃には着きたいものの、このまま行けば時間が余り過ぎるし暑いだろうし どうしたものか と思っていた矢先、自然とそちらの方へ吸い込まれていきまして、案内板を見ますに「西沢渓谷一周コース 約10km 約3時間半~4時間」とあり、「何とこりゃぁ 最高のサプライズじゃぞぉ!」と 直ぐ様 飛び上がり 喜び勇み 飛びついたのであります。

で 一周してみてほんとうに好かった のであります。思いもしてなかった渓谷歩き、それも 後で見た【山梨市さんホームページ】によりますと

西沢渓谷は、秩父多摩甲斐国立公園内に位置し国内屈指の渓谷美を誇る景勝地です。巨大な花崗岩を清流が浸食してできた天然の芸術のごとく、原生林を流れる渓流がいくつもの滝を作り、神秘的な魅力に満ちあふれています。三重の滝、魚止の滝、竜神の滝、恋糸の滝などの名をもつ滝が続き、圧巻は七ツ釜五段の滝です。渓谷内はハイキングコースが設けられ、渓谷ならではの四季の変化が楽しめ、特に初夏のシャクナゲや秋の紅葉がおすすめです。また、「森林セラピー基地」「21世紀に残したい日本の自然100選」「平成の名水百選」「森林浴の森100選」「水源の森100選」「新日本観光地100選」「日本の滝100選」などに選定されています。

とあるじゃありませんか。まさにこの通り、絶好の、本当に素晴らしい渓谷ハイクコース。例えば今回の旅行が これだけだったとしましても、オイラは大満足で帰路につくことでせうほどでありますが、何はともあれ その道すがらの 素晴らしい渓谷の写真を、以下 掲げさせていただくとします。


               

     ↑ 少しの間ご一緒した大宮からお越しのお医者様(うろ覚えで定かでありません)

                      ↑ 鶏冠山( 2115m )?

     ↓ 都会の方は違うなぁ、藤沢からお越しの、好感度・洗練度抜群の お二人様













 ↑ 帰りは このような旧トロッコ道を下りました。ところどころ 線路が残っています

 ↓ お賽銭を供え お参りした その道を だいぶ下ったところに設けられている神社
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【山梨県立美術館/同文学館】【憧憬/南部・心追い/巡り旅(1)(H25.7/6)】

2013-07-24 15:44:18 | 旅行


 百休庵入口前の 初めて咲いてくれた このアサガオに見送られ、結果的に 7/6~7/14 8泊9日 延移動距離 3,068Km の旅となったのでありますが、秩父のホテル於 実施の 横浜市内某工場 高卒S39年入社組の、もう誰も在籍している訳ではないだろうに計画された 入社50周年記念同期会出席をウッタテとして、予(かね)てより心酔している宮沢賢治さんの そのゆかりの地を訪ねてみたいと、また二戸市天台寺さんの かの有名な聖観音様にお会いしたいと、さらには 津波で甚大なる被害を被られた三陸地方の方々に ほんの少しでもお役に立ちたいとの想いから、車で、東へ そして 北へ向け、そうですね 【鳥羽一郎】さんの【夜風】という歌に乗った如き気分で とでもいいましょうか、旅立ったのでありまして、以後 この楽しかった旅を 何回かに分け 記してゆく所存であります。

初日は秩父に近い甲府泊まりを設定。でホテル到着が午後3時頃。チェックイン後 思い立ったは「まだ時間がある。美術館に行こう。慥かミレーで有名じゃったはず」でした。





   





立派な美術館と文学館が このように向き合って建っており、両館とも他県者であっても 65歳以上ですと タダで入れましたもので大層ありがたいことではあったのですが、オイラには思えるのです。トシヨリが一番 お金を持っており ワカモノの多勢は大層マズシイという昨今の情勢なら、先のあるワカモノタチにこそ無料という特権をあげるべきではないかと 心からそのように感じられるのであります。



この↑文学館さんの売店で たいへん嬉しいことがありました。オイラの大好きな【山本周五郎】さん および【山崎方代】さんの、それから 今回 行こうとする【石川啄木】さんの、過去 当館で実施された記念展の当該図録本が、ここでしか求められないレア本が 手に入ったということであります。

  


 < 追伸 >
 近頃、吾が大脳のレジスタ部分に当たる機能の低下が著しいのか、直近 為した行為が 何とはなしに飛んでっていってしまうことから 危惧してはおりましたものの、懸念通り しでかしてしまったのであります。近くの文字は 老眼鏡を掛けないと読めないものですから、メガネの掛け替えが その都度 発生するのですが、何時からか ケースに入れたままの【Basel】のメガネが 見当たらなくなってしまったのです。車の中 バッグの中、帰ってからも それはそれは念入りに 何回も探したのですが 一向に見つからないのです。で 文学館さん宛の電話に至った折、「届いておりますよ」との返事をいただいたのでありました。
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ふらりデッパリ備忘録(12)【但馬の国 【竹田城】】 【H24.4/8】

2012-04-09 15:21:21 | 旅行





日本100名城のひとつであり 【日本のマチュピチ】【天空の城】【日本一の山城】【虎臥(とらふす)城】 らの冠称を有する 但馬の国 和田山 【竹田城跡】に 行ってきました。金券ショップで残1回の青春18切符を2,700円で入手できました。

ほんの少しヒンヤリ 雲ひとつない天気、「お城まつり」初日という またとない絶好の日和。敢えて欠点をあげつらうとなれば 桜がまだツボミのこと。

この駅に 降り立ちまして、この山の テッペン、石垣が見えておりますが それを目指し

ここの↑登山口から 標高差約260m 距離約800m、平均斜度 18度の、自然石を施した石段が 半ば近く占める、山土の デコボコ道を歩きます。普通の人で 約40分、5歳ほどの子供も 頑張って歩いていますが、まずは 適度な 心地よい運動量 であるといえます。


これは天守閣跡からの 南方の眺望です。下の段に見える 太っとい赤松の切株の上に座り、駅前のテント店で求めた 800円の【釜飯】を食べたのですが、切株表面に 松脂(まつやに)が染み出ていたのに気付かず、お尻が エライことであります。
.
これは↑ウチワです。これだけ自然に囲まれておりますと、登山道および城跡の平地や石垣の維持管理は、それはそれはタイヘンなのでありますが、こちらでは入山料を取っておられません。山裾に住んでいるオイラは、そのへんの苦労は 分かり過ぎるほど分かりますので、できるだけこういったグッズを購入することで協力しようと大体は心掛けておりまして、気持ちだけではありますが、 2本(本当は柄(へい)と数えるらしいです) 〆て600円、購入しました。

なお一番上の写真は、駅舎内にあります観光案内所に置かれております「竹田城復元模型」を撮影したものでありまして、下の写真は そのプレートであります。
                  
上から 2番目の写真は、去る3月9日 放送されました 【NHK BSプレミアム 新日本風土記 「城 戦の跡 夢の跡」の録画場面を一時停止し撮影したもので、3番目の写真は、長野県松本市に住むイトコ夫婦が、昨年 わが家を初めて訪ねてくれたとき、ここを紹介しついでに 置いてってくれた【 JR西日本 】さんの広報誌 2011.3~2011.9 の表紙を 撮らせて いただいたものであります。

< 追伸 >
行きしなの播但線で、モノスゴク 活溌に動き回り 写真を撮っておられる スレンダーな女性と出会いました。ロングスカート、よく見ると 片方は義足であります。でも 動きは まったく それを感じさせません。「ブログを やっておられるのですか?」と訊ねましたら、「【まりあさーびすすてーしょん】というサイトを立ち上げています」とのこと。帰って見てみましたら、【乳がん】に罹った経緯もお持ちとのこと。なのに多趣味で 好奇心旺盛で、アクションスターが如きダイナミックな動きが 多々伺えるブログを展開されておられます。ぜひ 皆さんも 訪問してみていただきたく 思っております。

< 追伸 >

モノノツイデであります。15年ほどにもなりますが、同じ竹田でも大分県の【竹田市】、こっちは竹田城ではなく【岡城】、【滝廉太郎】さんが当地のご出身ということから、【荒城の月】のモデルともいわれておりますが、さすが 城跡の風格も 360度パノラマも、誠に素晴らしいものがありました。麓には日露戦争で お亡くなりになられた【広瀬中尉】さんをお祀りした【広瀬神社】もございます。オイラが 心から好きな歌は【赤い鳥】の【竹田の子守唄】、こっちは京都市の竹田でありますが、竹田という地名への わが好感度度は 最高レベルにあります。なお 上の写真は 竹田市さんのホームページからの転載です。

< 追伸 >
健さん主演の映画【あなたへ】でも、その中ほどに、たいへん美しい映像が織り込まれていました。
........


 < 追 伸 > R1.9.28 記
 以下は、R1.9.16 NHK-G『あなたも絶対行きたくなる!日本「最強の城」スペシャル「第4弾」』という番組での素晴らしい CG画面です。
...
 さらに番組では、めっちゃ嬉しいことに、オイラが高校時代を過ごした津山のお城も、その模型とともに 紹介されてます。



< 追 伸 > R4.3.6 記
 R4.3.4 NHK-BSP『絶対行きたくなる!ニッポン不滅の名城「竹田城」』という番組で、
城郭考古学者 千田嘉博先生 復元考証の CG画像が披露されました。なお 竹田城は、秀吉さんが 生田銀山の守護のため築いたお城との由。

            北東に広がる『花屋敷』には、↓ 茶室があったのでは と。
.

.

......





 

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ふらりデッパリ備忘録(11)【向源寺】【国宝十一面観音立像】【H24.3/15】

2012-03-18 13:34:51 | 旅行
 JRさんの各駅停車は前期高齢者で賑わっております。青春18切符シーズンの到来です。そんな恰好な時宜も得、心底 心酔できそうな仏様と 邂逅できたのでありまして、その観音様の御座(おわ)す場所も適当ときますれば、当然なる帰結、朝イチバンの上り電車に乗って 出掛けたのであります。

北陸本線高月(たかつき)駅から敦賀方面(北)を望む↑ 右手の↓高い木立の中に その御堂はあります。

駅前には↓当滋賀県長浜市高月町出身の石田三成さんと秀吉公の像が建っておりました
 
                     この秀吉像 ↑ は よくできていると思います
  
向源寺山門前です↑             ↑ 左の建物の中に 観音様は御座せられます
      
左上写真はネット画像のコピー、右上写真は当地で購入した写真集↓の写真を撮影・編集したものです
    
ほんとうに素晴らしい観音様であらせられます。オイラは この観音様の虜になってしまいました。この肉厚ある なんとも色っぽく優美な肢体、これが平安時代の作だなんて 到底 信じられません。間違いなく日本ナンバーワン 否 世界ナンバーワンの彫刻であり 仏様であると思います。
 
寄方(よるべ)とする当寺の 天台宗 → 一向宗 → 浄土真宗との宗旨替え、交通の要衝であるが故 繰り返される戦乱、明治の廃仏毀釈 等々 幾多の艱難辛苦を潜り抜けられ、今日ここに こうしておわされるということは まさに奇蹟であるといえましょうが、奇蹟たらしめたのは、現時点でも ボランティアとして お世話されてらっしゃいますが、一重に、代々 この土地にお住まいの方々が お護り下さったお蔭でありまして、ここに 深く感謝申し上げるところでございます。と ここまで書きまして気が付いたことですが、こうした 孤児(みなしご)的 悲劇性が、この観音様の魅力を より彩(いろどり)深くしているのかもしれません。そうですね、義経に対する想いみたいに、ある面・・・

< 追伸 >
この歳になりまして、やっと マイホトケサマ と出合うことができました。こんな具合でありますから【小学館イマージュ】さんから案内の 10分の一 のブロンズ像、手許にあるは当然の成行きといえます。

これまで揃えておりました 象の形のロウソク立て、および大小二体の天王様には、御守護奉る仏様ができたものですから、なにやら安心されたお顔となられたような気がいたしております。ガラスケースの中に入れております紙は、前回ブログでご紹介しました【十句観音経】のプリントでありまして、それに書かれております通り、朝夕 念じ 唱えるよう いたしております。但し【延命…】は オイラの信条とは相容れませんので、タイトルは【尽命十句観音経】と変更し プリントいたしております。

< 補足 >
この円空仏(模写品とのこと)は、渡岸寺観音堂(どうがんじ…)向源寺から歩いて 3分ほどのところにあります【歴史民俗資料館】に展示されておりまして、「何とか これだけは撮影させて下さいませんか」と お願いし撮らせていただいたものであります。
       
これはこれで なかなか好いです。オイラは こういった感じの【鳩摩羅什】さん像を彫りたいと思っておりまして、そのための ヒノキ材は 数年前から用意いたしているのですが・・・・ 
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ふらりデッパリ備忘録(10)【其中庵】【小郡文化資料館】【湯田温泉】【H24.2/5】

2012-02-21 13:42:52 | 旅行
 残る一つのターゲットは、【田川市石炭・歴史博物館】前の広場にも 句碑が建っておりましたが、

           「廃坑若葉してゐるはアカシヤ」の句碑です
そうなんです。「いつでも行けるから…」と先先延ばししておりました所、昭和7~13年(1932~1938)【山頭火】さんが 50~56歳まで住まれた【其中庵】を訪ねてみるということであります。なお【山頭火】さんは この後【湯田温泉】【風来居】に 1年弱居住、で昭和14年12月から 死に場所として住まわれた四国松山の【一草庵】にて、昭和15年(1940)10月11日、58歳にて亡くなられているのであります。関門トンネルを くぐって行きました。70Km ほどで 近かったです。
  
 ↑【山口市小郡文化資料館】の「山頭火の館」室   ↑展示品の「山頭火さんの訃音通知」
  
             ↑ 展示されている「一草庵の写真」と「山頭火さんの木彫像」
             

 
           この坂の上、右側手に【其中庵】はあります↑
 
  
↑左のお位牌は、山頭火さん10歳折 井戸へ投身自殺された母上フサ(32歳)さんのものと思います
 
↓↑これらは【其中庵】傍【其中庵休憩所】に掲示されている写真を撮影させていただいたものです
  
右上写真はオイラの憧れ、湯田温泉にある【ちんぽこもおそそも湧いてあふれる湯】の句碑であります
 
今回の旅のファイナルは、帰路の長距離運転に備え 体を解(ほぐ)し気分転換図るべく温泉につかることでありました。入りましたのは、2009.11.18付 当ブログに書いていますが、2年ちょっと前、萩へ行く途中、早朝にも拘わらず入浴させて下すった【喜良久】さんというホテルであります。入浴料は500円です。

受付の方は、「岡山には親友がいますのよ」と言われていた、たいへんオキレイなミセスでありました。


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ふらりデッパリ備忘録(9)【北九州市小倉北区古船場町【無法松之碑】 参拝】

2012-02-18 12:23:40 | 旅行
 今回の出張(デッパリ)のターゲットは あと ふたつありますが、その一つの行動に移るべく、まずは予約しておりました北九州市小倉北区紺屋町のホテルにチェックイン、駐車場に収めた車から折畳み自転車を取り出し、当該目的地へと向かったのであります。

もちろん ここに来るまでの道すがらにも、十分に気分を盛り上がらせていたことは言うまでもありません。この二枚のCDの中にある 半世紀近くも オイラを酔わせて已(や)まない その歌を、何回も何回も聞いているからであります。その歌とは かの名曲中の名曲【無法松の一生(度胸千両入り)】にござります。
    
今ある歌い手さんの中では、この歌の命ともいえる 気風(きっぷ)の好さ・粋っぽさ・キレの好さ・伊達っぽさ、また歌唱力において、【神野美伽】さんの右に出るお方は おられないのでは と思います。ある意味、ご本尊【村田英雄】さんを凌駕していると言っても過言ではないような気がいたしておりまして、なかでもご本人が乗ってらっしゃるときの唄というもの、ぞくっとして 身震いがして、涙が止めどなく滲んでくる、まさに 心打つ、超が幾つもつく超絶品の歌にございます。

【無法松之碑】。 迷いましたが、行き着きました。頭を垂れ、心から謝意を お伝えしました。


   
       ↑ 昭和34年 3月4日 と刻まれていますから、53年前の建立です。
  
             ↑ これは 翌早朝 小倉駅前 で撮影しました。
                (上部構造物は モノレールのレールです) 
             ↓ この文言は台座上部に刻まれている「但し書き」です。



< 追伸1 >
 毎年 3月4日には、【無法松之碑】供養祭が その碑前に於いて行われるそうでありまして、当日 供養の後 小倉祇園太鼓をたたき、無法松の好きだったお酒を注ぐとのことであります。で また 残念なことをいたしております。よく調べて行かないものですから【無法松の像】を 見落としてしまっておりました。まぁ これは【坂妻】さんか【三船敏郎】さんの無法松を イメージすることといたしましょう。

< 追伸2 >
【Yahoo!映画 Myムービー】というサイトの【Masagoyaネットシネマ】さんの記事によりますと、碑の下には 昭和33年【ベネチア映画祭】でグランプリを受賞した【稲垣浩】監督【無法松の一生】のシナリオが埋められているとのことで、また 4日が月命日とも記されてありますから、オイラは【岩下俊作】さんの【富島松五郎傳】という小説を読んでいないので確かなことは言えないのですが、どうやら 3月4日という日は 松五郎さんのご命日であるようで・・・・映画で記憶している松五郎さんの最後の姿は、確か雪が綿ぶとんのように、2メートル幅ほどの道の真ん中で俯(うっぷ)し倒れている松五郎さんを覆(おお)ってて、それが朝日に キラキラ煌めいていて・・・・といった映像でした。ということはです。オイラが何気なく訪れたその日は 偶然にも松五郎さんの月命日の日であった ということとなりまして 何か不思議な感じがいたしております。そういえば 撮影する 1,2分間だけ 陽が射してくれたということも・・・・

            


 
 
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ふらりデッパリ備忘録(8)【【山本作兵衛さん炭坑画】その2】

2012-02-16 14:42:23 | 旅行
 今回の【山本作兵衛コレクション展】は、作品のカテゴリー毎、シリーズに、各30枚の原画を展示するという催しでありますから、折角訪ねたとしましても あるカテゴリーの ほんの一部の絵しか見られないということでありまして、オイラが如き 430Km以上も離れた所にいる人間にとりましては、誠に辛い方式の展示会であります。

そこでオイラは その代替手段としまして思い切って、6,825円もする【海鳥社】さん発行の作兵衛さんの画集【筑豊炭坑絵巻】およびこちらは 2,000円でありましたが【 田川市石炭・歴史博物館/田川市美術館】さん発行【山本作兵衛の世界】を買って帰ったのでありますが、この場で これら画集の代表的?な作品を16点 撮影させていただき、無断転載をご寛容願うこととしまして、以下 並べさせていただこうと思うのであります。
              炭坑に入り手伝う 7歳の作兵衛さん↓








      ↓ ヤマを訪れた行商人         作兵衛さんの8歳時回想絵 ↓

   ↓ リンチ                       ↓ 見せしめ

     ↓ 喧嘩 2態                 ↓ 仲直り 2態 

              ↑ これなんぞ 我が家と まるで 同じでありますがな・・・

如何です?皆さん、すーっと引き込まれてしまうでしょう。もし これらのモチーフが写実的な油絵で描かれていたとするなら こうはいきません。暗さ・息苦しさ・深刻さのバリアーが高過ぎて、これを超えることは相当に 難しいのではないでしょうか。現在の視点からですと、とてつもなく過酷で悲惨な労働・生活実態が描かれているのでありますから、誰しも目を背けたくなるはずです。

ところが作兵衛さんの絵は、これぞ氏の人間性の成せる技でありましょうか、生来の明るさ・愛情の大きさ・使命感・大局観・サービス精神・遊び心等と、60年以上に亘り溜まりに溜まり熟成されていた絵を描きたいという情熱 および 美意識 とが程よくブレンドされることによって、このような 実に親近感溢れる極めて人間に優しい、言葉は過ぎますが、楽しい絵 とも感じられるほどの絵となって現出したのでありましょう。

錦絵のようだから好いのです。7歳から手伝いとしてヤマに入り、14歳で「後山」、16歳で「先山」として入坑、 63歳で閉山・解雇となるまでの、その約50年間の実労働体験に基づいた真実の絵だから良いのです。誰しも納得させられるのです。氏は 66歳になられたときから本格的に、当初 5年間ほどは墨絵でありますが、絵を描き始められ、昭和59年(1984) 92歳で逝去されるまで、実に1000枚以上 お描きになられたということであります。「後世に炭坑(ヤマ)の真実を伝えたい」、その一心で描かれたとの由。まさに ここに 厳然たる絵の原点がある と言えるのではないでしょうか。  

どの絵の顔もホレボレするほどの美男・美女。いいですねぇ。背筋がピンと伸び、役者が見得を切ったときが如くキリリと引き締まって、侠気といいましょうか、男っぷり・女っぷりの好さが滲み出ております。まさに 命を張った仕事をしているからでありましょう。気迫が漲(みなぎ)っております。

これらの絵は全て画用紙に描かれております。もしも これらを年代別・カテゴリー別に整理し、連続した用紙に編集したとするなら、それは モノスゴイ絵巻物 となるのでありまして、これは【源氏物語絵巻】【伊勢物語絵巻】【一遍上人絵伝】【法然上人絵伝】等の国宝の絵巻物に匹敵する、それぐらいのモノではないだろうかと オイラには そう思えるのであります。作兵衛さんは それぐらいスゴイお人であります。 
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