百休庵便り

市井の民にて畏れ多くも百休と称せし者ここにありて稀に浮びくる些細浮薄なる思ひ浅学非才不届千万支離滅裂顧みず吐露するもの也

直腸癌手術で入院してました。

2022-06-25 18:29:38 | 日記
 12日振りに通る 我が家の門の下に、やけに汚らしく 草わらと土くれが散らばってます。見上げますと、何と立派な巣が・・・そうか、ようやっと漕ぎ着けたんだ。よう頑張ったなぁ・・・感慨深いものがありました。と、申しますのも、このツバメ、

3月終わりには 戻ってたのです。但し一羽っきり。この門の下での一人寝が、2ヶ月も続きました。思えば 昨年、この家族は たいへんな不幸に見舞われたのです。一週間内で巣立てるかなぁという矢先の夜のこと、 突然 巣が崩壊し、4羽いた子ツバメは行方知れずに。

その年はもう 子育ては成りませんでした。それに 今年は パートナーも喪ったようで・・・それでも 6月に入りますと、壊れた巣の下の 2本の棒 それぞれに止まって、夜過ごしするようになりました。良かった 好かった、相手が見つかったんや・・・オイラは、この段階で 入院生活に入って行ったのです。

人懐っこい このツバメは、我が家育ち でしょう。巣の中で 温めているツバメは、こんな写真、撮らせてもらえないです。どっちが オスで、どっちが メスなんでしょう。容易に 判ればいいのですが・・・



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 録画していた R4.6.16 Eテレ「クラシックTV」を見てみますと、宮田大さんの『星めぐりの歌』が入ってました。この歌が大好きなオイラには、何よりのコンテンツ。おまけに、その 美しさ 情感の豊かさと言ったら、今までで NO1 の『星めぐりの歌』かと。でも、画面の「文豪・・」という冠称は いただけません。付けるなら「詩人/作家」か、科学者に自然科学者があるのなら、文学者に自然文学者があっていいのではないかという発想から、オイラは「常不軽菩薩代/ 自然文学者」が妥当ではないかと。賢治さんは、文字通り 死の直前まで 命を懸け、 "他利行" を実践なされたお方。お釈迦様がお姿をお替えになられた菩薩さまと伝わる常不軽菩薩様が、現世に生まれ変わったお方ではなかったか と、オイラには つくづく思えるのであります。
 
また、R4.6.6 NHK『名曲アルバム』では、新アレンジの坂本美雨さん歌で 放送されてます。賢治さんの大ファンで、『星めぐりの歌』コレクターの オイラには、何よりのプレゼント。それにしましても 岩手山の佇まいって、何ちゅう素晴らしさなんでしょう。羨ましい限り です。



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 R4.6.20 の 産経新聞『朝の詩』、長岡京市 沖中潮広さんの『戦争』、素晴らしい詩です。



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 いろいろ 前段がありましたが、本題に入ります。実は、直腸癌で入院してました。今日は、退院して 8日目(6月6日入院 8日摘出手術 17日退院)、現時点、人工肛門を付けてまして、数週間後、これを取り外す手術を受ける予定です。

春先ぐらいから 排便パターンの変化がありました。朝 いっぺんだけで良かったのが、ちょびっとづつ何度も に変わったのです。1か月ぐらいすると、夕焼け色した ちぎれ雲のような 少しのウンチも出るようになり、病院に伺った次第です。

通院 および 検査入院(5月5日~7日)で、CT MRI 内視鏡(大腸および胃)レントゲン 等の検査を受け、直腸に出来ている 長さ7cm ほどに成長した、もこもこした入道雲のような(ミシュランのキャラクターみたいにも見えました)デキモノが 癌であること、および どうやら他部位には転移してないだろうことが判明、摘出手術を受けたということです。

手術の印象ですが、まぁ 痛かった ということが、第一に挙げられます。腰椎骨折、靴の中に潜んでいた大ムカデに指を根限り噛まれたときが、従来の 我が生涯激痛ランク ツートップだったですが、これに 摘出手術と 術後 お尻に突っ込んでいた管(?)を引き抜いたときの痛みが加わりました。(もう思い出すだけでも、 イヤになります)

そして、長きにわたり苦痛だったこと・・・どうやら オイラの膀胱の尿圧は、他の方と比べて 低いようです。術中 術後数日間というもの、尿道に突っ込んだ管を介し、吊るしたポリ袋まで排尿しているのですが、その管内の抵抗のため、尿が溜っているのに排尿できないという感覚を膀胱に至らしめ、頻繁に、脂汗が滲んでくる苦痛に襲われることでして、本装具は、ぜひとも改善いただきたいものだと、切に願っております。

 次に、本件に関するトピックについて、三つばかり 記しておきたく存じます。
● まず、『耳栓』のことから始めます。

これは 以前 使ったことのある どこでも販売されている耳栓です。オイラの耳穴が特殊なのかどうか よく分からないですが、耳に収まらず 直ぐ外れてしまうこと、また ちっとも静音効果が得られないことは、とっくに よく認識している商品です。しかしながら、敢えてそれを1階のコンビニさんで、買ってきてもらったのです。

手術した日は、ICUで一夜を過ごし、翌日 夕方になって病室(4人部屋)に戻りました。ほどなく 窓側のベッドに、のべつ幕無しに あたり構わず 大きな声で咳払いしている患者が運び込まれました。

オイラは、こりゃ たまらん と、夜、少しでも寝れるように と、看護師さんにお願いしたのです。早速 付けてみました。装着しにくさは相変わらずだなぁと思った途端、目の前が 未だかって経験したことのない暗さ、これこそを究極の闇 or 根源的な黒 というのでしょう を感じると同時に、音が全く聞こえない これぞ 絶対的な静寂というのでしょう の世界に見舞われたのであります。

今は、”冥途” とは こんな世界なのかもしれないなぁ と推察したりしてますが、それは 数秒間の出来事だったように感じています。この世に出現したブラックホールのような現場に突入し、オイラは 今まで感じたことのない恐怖を覚えました。こんな世界は 絶対 嫌だ と思いました。騒がしかってもええ、ヤカマしかってもええ、この世がええ と つくづく思えました。

本当に不思議なことです。そう思った瞬間から、けたたましい咳払いの音が、絵空事のように まったく 気にならなくなったのです。嘘かと思われるでしょうが、少なくとも雑音とは思わなくなったのです。むしろ、生きてゆくために必要な音のように 感じれるようになったのです。

きっと 神様が 諭して下さったのだと思います。”大悟した” だなんて、そんな 大仰なことじゃないと思いますが、以後、遠慮会釈ない咳払いにも、同室患者さんの「うるせぇっ!」という叫びにも、同情以外 何ら感じることは無くなったのです。で、こんなふうに導いて下さった この『耳栓』、否、『耳栓さま』は、オイラ史に深くその名を刻む ご存在に、あいなられたというコトであります。
    
   当庵床柱に祀られた ↑『耳栓さま』

● 不思議なことに、あの頑固で強力な リウマチが襲ってこないのです。
手術に際し、6月1日から、最高度のリウマチ薬のひとつ ”オルミエント” を始めとする薬の服用を止めるように指示されていました。オイラは正直なところ、癌そのものよりか、この薬をストップすることのほうが心配でした。大腿部なんかを襲われると、もう寝た切り同然になってしますからです。

ところが何と、本当に不思議なことに、止めて3日目ぐらいにやってきやしないかと恐れ慄いていたリウマチ襲来が、からっきし無いのです。昨日あたりになって、ようやっと 手の指に、ボクシングで言えば 軽いジャブのようなものを放ってきてはいるのですが・・・

わが免疫細胞君、眼下 於いて、虎視眈々と侵食しつつある ロシアか中国が如き ならず者国家みたいなヤツこそが、本来 防禦すべき対象なんだちゅうこと、直腸を失う直前になって やっと 分かってくれたんか と思えたりしてるのですが・・・・ところで、R4.6.20 NHK-BS1『シリーズ人体・特別版(4)』で、免疫細胞の暴走について、たいへん興味深い話がありました。

腸は 人体の免疫細胞の大本営 と言える機関であり、免疫細胞は、腸に棲み付いている 1000種類 100兆個以上の腸内細菌と、メッセージをやり取りしながら、日夜 侵入してくる外敵と戦い、生命維持に励んでくれているのだと。

オイラが罹っている 関節リウマチ もそうですが、免疫細胞は 時に暴走し、特異なアレルギー反応を起こすことがあるが、その暴走を鎮める物質を放出する ”Tレグ” と名付けられた、
阪大免疫フロンティア研究センター、坂口志文特任教授さんが発見された免疫細胞があって、それには、クロストリジウム菌という腸内細菌の存在が、鍵を握っていて、

日本人は古来、繊維質の多い食品を摂ってきているので、そのクロストリジウム菌が多く棲んでいるため、他国人より暴走を抑えるパワーがあるのだと。


● そして『内田百閒』さんの『阿房列車』のこと。
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オイラは 今まで、百閒さんは 同県人の文学者であり、県内に『内田百閒文学賞』という賞が設けられている ぐらいの認識しか無く、もちろん 興味を惹かれることがもありませんで、『阿房列車』のみならず 氏の著作物は何ひとつ 手に取ることはございませんでした。

と しますと、『阿房列車』を始めとする 氏に関係する作品を読み、百閒さんのことを知る という まさに”大エンターテーメント” は、初めての手術でもある 今回の 大患 に備え、何か見えざるお方の手により 取って置かれた、珠玉のコンテンツだったのではないかと思えたりしてくるのです。

現時点、『阿房列車』ほか 少しの小説しか 目を通していませんが、特に『阿房列車』は、知的なバリューに裏打ちされた、クスクス笑える面白さが散りばめられた書き物 と申せまして、それに 何や、凡人では とても遇せられないだろう 百閒先生への オモテナシに、(見ることはないですが)黄門さんの TVドラマを見たときに得られるような 爽快感が得られたりと・・・・

ここでは『阿房列車』に記された、わが在所あたりの描写を抜き出すに留めたいと思いますが、どうぞ皆さま、漱石さんに較べますと、地味な感じは否めませんが、くすくす笑えること 請け合い、とても奥深い 興味深い 紀行文でありますれば、ぜひとも ご一読 下されんこと 希って止みません。






検査入院は 8階東、手術入院は 6階西 でした。当該デイルームから外を眺めますに、ベネッセさん岡山本社越し いちばん遠くに、わが熊山さんが見えることに気付きました。そして、新幹線・山陽本線ともに、百間川 旭川を過ぎた後、ここまで直角に曲がり 岡山駅に入っていたのかということ、思い知らされました。20年以上、「ベネッセビル、 えらい傾いとるなぁ」と思いながら 通勤していたオイラです。

なお、こうしてブログが書けるまで回復することができましたのは、取りも直さず、お医者さま 看護師の皆さま方 の お陰であります。衷心より 厚く 御礼申し上げます。本当にありがとうございます。そして、人工肛門を取り外す際も、どうか よろしくお願い申し上げます。

 < 追 伸 > R4.6.28 記
 本日の産経新聞に、オイラの受けた 『ロボット支援下手術』が記載されてました。
 

 < 追 伸 > R4.7.2 記
 R4.6.30 産経新聞『大腸がん WEBシンポ』『ロボット支援下手術の現状』記事です。

直腸がん手術が保険適用されたのは 4年前、オイラが入院した病院の『ダビンチXi』導入が 3年前。としますと、どうやら オイラは、絶妙な時期に入院したようでありまして、この天与の幸運には、ただただ 感謝申し上げるほか ございません。

< 追 伸 > R4.7.9 から書き始める
 超大訃報に接して以来、悲しくて悲しくて、心身とも ブログに手を入れられるような状態じゃないのですが、これだけは 整理し 書き留めておかねば との思いで、気力を振り絞り 記録し続けることとします。直腸癌手術を受けし 重度関節リウマチ患者の臨床記録として。

ついに リウマチの襲来を受けるハメになりました。我がリウマチ野郎は、ヤワじゃござんせんでした。「まさか、こんな手口で 攻めてくるとは・・・」と驚かざるを得ない 再攻勢を掛けてきたのです。時系列に記述します。

 6/ 1 リウマチ対症薬ストップ(以下 薬断と称す)
 6/ 6 入院
 6/ 8  直腸癌摘出 & 人口肛門取り付け 手術
 6/18 退院
 6/21 両手の指に強くはないが コワバリを認識    手術から13日目 薬断から 21日目
 6/24 稚拙に組み上げた ベッドで昼寝したためか、寝違えた時に起きるような       
    ①後首左右付け根部に筋肉痛のような痛み         16       24        
    ②右胸上部の奥深いところに筋肉痛のような強い痛み    16       24
    ③右臀部上部に腰痛のような痛み             16       24
    オイラは、これらの痛みは、筋肉痛に間違いないと信じていました。
    但し、10日過ぎても①③の痛みは解消せず。②は改善。
 6/30 右足指にやや強い痛みが発生に、リウマチ襲来?      22       30
 7/ 6 ①の痛みが増し、首が廻らなくなり、
    右肩および、④左大腿付け根に何とか歩ける、やや強い痛み  28       36
    リウマチ襲来、それもかなりひどいものだとの 確信に至る。
    勢いを止めるため オルミエント2錠と、ボルタレン2錠 を以後朝夕服用。
 7/ 8 投薬の結果、痛みは かなり軽減しているが・・・      30       38
 7/10 ④の痛みがぶり返したため、今朝は 3錠服用          32       40 
    Pm 2:00 入院までは、何とか動ける身体にしておかねば との判断で。
    ①と④の痛みがひどく、痛み止めを処方していただき、やり過ごす。
 7/11 ④の痛みは消失し安堵するも、①がひどいため        33       41
    モーラステープを首の付け根左右に貼ってもらい、痛み止めも服用。 
 7/12 早朝、②の かなりの痛み再発。当初、寝姿による筋肉痛とおもっていたが
    間違いなくリウマチだったと言える。①の痛みも かなりのものあり。
    8:40 から手術の予定
 
リウマチの主治医の先生は、オルミエントは1錠に止めておくようにとの ご指示ですが、オイラの経験上、戦力の逐次投入では勢いを止めきれないということを優先しています。先生にお叱りを受けるかもしれませんが、通常ですと毎日服用してましたから、薬効持続性は乏しいのではとの判断でして、入院するまでは、何とか動ける身体でいたいとの 強い思いでもあります。大腿部と首をこれ以上 攻められますと、本当に身動きできなくなってしまうという恐怖があります。

それにしても 我がリウマチ、筋肉痛を起こす寝かたをするという我が不手際に付け込み、それに見せ掛けることで、ステルスの如く侵攻してくるとは、何と 高度な戦術を持ってるんでしょう、驚くばかりです。

< 追 伸 > R4.7.16 Pm 02:05 から 書き始める 
 術後 4日目になって、やっとパソコンに向かう気力が湧いてきましたので、その状況につき 記します。7/12 8:40開始の人口肛門外し手術は、担当医の先生の「手術は無事に終わっています。ご家族にも ご連絡させていただきました」という呼び掛けで目を覚まし、終了を確認しています。当日 Pm3時頃、病室に戻ってきたのではと、認識しています。

手術於ける 特筆事項は、前回 あれほど苦しめられた排尿が 驚くほど楽だったこと。見ますと 真新しい管の太い排尿装具に改められてました。ところが全身麻酔が切れてから最悪、リウマチがぶり返し 翌々日の早朝までというもの、塗炭の苦しみを味あわされることになりました。

④の痛みは どういう訳か消失したものの、①が酷く、首の可動域は30度ほどで、すこし曲げるだけで堪らん痛さ。②の痛みも健在で、胸の奥の数10分も継続する疼痛に、左手で右胸を押さえながら、伸ばした右手を FMラジオのアンテナのように、あっちへ傾け こっちへ傾けし、痛みの最も少ない位置を探し求める始末。

③は ピクッーとする痛みが、線状降水帯の疾るが如く、いずれも体を動かせば襲ってくるのです。じっとしていれば痛みはないのですが、何しろ 寝てばかりなので、背中とか 頭の後ろとか 首とか 腰とか お尻とかの圧迫痛を逸らすべく、いろいろ姿勢を変えてゆかざる得ないのです。

14日 Am、先生から「(リウマチ)薬を飲んでいいですよ」との お話しがありました。ひょっとして効かなくなってるかも?、不安はありましたが、間違いなく それにより 痛みが相当量 消滅し、気分が大層 楽になりました。 肝心のお通じのほうですが、ガスは、術後 しばらくすると プリッとか プスッとか プリプリプリッとか 活動は活発でしたが、そうでないものも 突然 襲ってきました。

ドバっと 土石流のように。構える時間なんて ありゃぁしません。オムツ内に かろうじて留まっていたものの、何しろ 量が大量でして、予想外の位置まで飛び散らばっているのをキレイにするのが タイヘンでした。噴流の当たるマトを 動かかし動かししても、容易に流し落とすことができず、拭いた紙が、これでもかこれでもかというぐらい 色付きになります。どれほどペーパーを費やしたことか・・・で、何とか処理が終わっただろうと、新しいオムツを念入りに履きこみ、やれやれ してましたら、規模は小さいながら またもや襲来 !!! 。結局、これに 5回 集中して見舞われるという、まさに大災害の様相を呈しました。以後 常時 気を配りもって、時間を費やしている状況にあります。

17日(日)を迎えてます。久し振りに スッキリとした良い天気。オムツの中には 何としても したくないと、らしき気配を察しますと 直ぐ 行動を起こすよう努めています。が、14日の Pm だったと思うのですが、以来 度々ガス噴火はあるものの、マグマや砕石の噴火は てっきり 鳴りを潜めたまんまなのです。

本日のレントゲン撮影で 異常はなかったとのことですが、いったいどんな様相のものが出てくるんでしょう。楽しみなことではであります。出ないということは 固まってるということ、ならば ゆっくりとしか出ないのでは?、さらば仕留められるのではないか と、のそり のそり 供僧さまお出ましを、さらに最後に残った首の痛みの 一刻も早い霧散を、ひたすら待っている段階にあります。

18日 海の日です。Pm 2時前後に 2回、4時前に1回、小指の先 人差し指 ほんの千切れ雲程度の、黒緑のねっとり系を、トイレにキチンと排泄できたは 好いかも ですが、4日目にして出た排出物としては、えらい みみっち過ぎ。期待を大きく裏切るものにて 達成感 まるで無し。「オイッ ! コラッ ! チャンとした丸っこいの、はよっ出て来んかいっ!」と叫びたい気分。

19日 6:30 です。昨日は結果的に、姿かたちに不満が残るものの量的には “良し” と判じれるものとなりました。発生時刻を列記しますと、18:00 18:15 18:30 *18:50 *19:15 19:40 20:05 20:23 20:50 21:15 21:35 22:00 23:40 #01:45 02:25 02:45 #04:25 05:20 といった塩梅。 *は 5本の指を合わせたくらいの量が出たこと、#はパッドに漏らしてたこと、無印は 平均すれば指一本くらいの量が キチンと便器に排出できたことを示し ます。

本データは、トイレに 15,6 時間内に 21回(失敗2回)ということを示しています。ヒリヒリ感が、流石にキツイ です。連れ合いの持たせてくれた『サニーナ』(2本指で受け 患部に塗り込めます) に ずいぶん助けられています。なお どの回も、柔らかネチッコ黒茶緑色。残念なことは、この部屋のウオッシュレットが ちょっとのお尻の動きでも、また 洗浄ボタンを押すたんび チョロチョロチョロと水が流れてしまうもので、現場保存が出来ず 正しく観測できなかったことです。

人口肛門跡を被っているテープを、先生が剥がして下さいました。早速 シャワーエリア於、浴用タオルを使い入念に、40日振り 全身 全力 大洗浄。髪の毛と弱弱しい 皺皺ネットが張り巡らされ 薄くなってしまった あちこちの皮膚が、一週間振り サラサラに。気分 頗る爽快です。

もっと早く飾れば良かった『築地明石町』クリアファイル。癒されてます。(3Gガラケー撮影)

20日 5:45 です。前日とスケールを合わせた数字は、合計12回 うち失敗 3 。悪化原因は 緊張感を欠いたこと。洗浄し 水拭きし、サニーナを患部に付けるのですが、その付け方についての手順が確立しました。

オムツやパンツは下した状態で、①右の手のひらを上に向け ②人差し指と中指を密着させ ③その第1と第2関節の間に サニーナを2,3回プッシュ ④すぐさまお尻に運び液体を転写。開口部には、ペタペタペタと内部に潜り込ませるよう はたく ⑤指を洗う です。内部まで行きわたせることで、快適さが 数段 up します。

20日 14:20 から書き始めてます。何たって今日は、これに尽きるだろうと思っています。先程 終えた 1時間ほどの『洗濯ショー』。いや、未だ くすぶってますが・・・。昼食後の小休止 および 本日5,6回目のウンチも終えたもので、昨日に続いての 身体中の大洗いを始めました。温水をたっぷりかけ体を温め、一等好きで 持参した赤箱で まず顔をと 洗い始めたところ、つい先程 したばっかなのに 出たくなったのです。でも、

入口すぐ設置の サッシで閉じられた 開口1.6 × 奥行1.5 メートルほどの中、カーテンで仕切られたシャワーとトイレですから、ビショビショになっても ノープロブレム。一応 大部屋を希望するも 成り行き任せルールにて、今回は オイラ的には『特別室』の『個室 (上?)』。この部屋で良かった と思ったのは、まだまだ ほんの 序の口に 過ぎませんでした。

何と、身体を洗い終えるまでだけで 20数回 繰り返すことになったのです。それほどまでに出るのです。普通に固まりになった便、少しの回が半分くらいありますが、あとはしっかりとしたボリュームのある便。これほど短期間に これほど大量の便を排出したことはありません。少なくとも 3日分は出たのではないかと思います。座っただけで 水の動き出すトイレですから、実際はもっと大量だったかも知れません。

嬉しいのは、今回の超と付く排便ラッシュが 真昼間だったこと。昨日 一昨日と その主体が深夜だったのと大違い。これが リセットボタンとなり、排便のリズムが日中になればと 期待しています。それにしましても、もしこれが 共用シャワールームで生じた出来事だったとしたら・・・想像を絶しています。個室で、本当に良かった !!! 、つくづく思います。これも 天の指配 ? 、唯々 感謝です。

22日 Am4:15 です。21日 朝から今まで、まともなウンチは皆無です。そのくせ 3時間前 起きた時には、パッドの中に 15×40mmほどの範囲に出ていた ベトベトしたものを処理してます。モゾモゾ感は慥かにあったような気はするが、まさか出てるとは といった印象です。昨日の昼食以降 新たに、便の固まる薬の毎食後服用が処方されてますが、このせいなのか、それとも20日、あんなに出た反動なのか・・・。なお 180度曲がるものの、首の痛みは まだ残っています。

23日 Am4:50 です。昨日 日中から今まで、集中するでもなく、20回ほどトイレにしゃがんだような気がします。少しまとまった排便は 1回っきり、うとうとしていて起きた Pm3時頃には、迂闊にもパッドが汚れてました。20cmほども直腸を取り払った訳ですから、こんな事態も むしろ当然のことかと。そして、生き物が本来 有する 調整力や復元力 に期待、ちびりちびり、正常化されるを長い目で待ち続けるほかないだろうと思っています。

23日 Pm4:30 です。規模は少し小さいですが、状況は 20日と 瓜二つです。当分の間は、こういったことの繰り返しなのでしょう。明日 10時、退院となりました。当欄への記入は これで終了といたします。

我が人生の2番目に大きな厄災と言える、2度に亘る当直腸癌対応手術が、このように滞りなく終えられたということは、一重に お医者さま 看護師さまほか 関係各位のお陰であります。ここに、深甚なる 心からの謝意を捧げたく存じます。皆さま、ほんとうにありがとうございました。



 
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 < 追 記 > R4.6.25 記
 本件とは全く関係ない、『住友生命こども絵画コンクール』で孫の絵が銀賞に選ばれた件ですが、ルーヴル美術館で展示までの行事を終えたということで、それを記録したDVDのコピーが 大阪から届きまして、その中の 数カットを、ここに掲示させていただきたく存じます。
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    ルーヴル美術館の通路に展示されたボード ↑   ここに掲示されてます ↑ 







コメント (4)
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