百休庵便り

市井の民にて畏れ多くも百休と称せし者ここにありて稀に浮びくる些細浮薄なる思ひ浅学非才不届千万支離滅裂顧みず吐露するもの也

ひと息いれる稿(30)【シャボン玉 (2)】

2010-11-20 15:33:40 | 日記
 前回ブログで申し上げましたように 通常の唱歌や童謡の場合ですと、
    唱歌:明治~大東亜戦争が終わるまで、文部省により学校教育用として
        作られ 取り揃えられた歌群のこと
    童謡:大正中期~昭和初期、上記に物足りなさや違和感を抱いた
        鈴木三重吉さんや北原白秋さんが中心となって作成・普及に
        努められた 子供向けの歌群のこと
という その用意せられた意図からしましても、聴く側の立場に立ちますと、
歌唱としての完成度よりか、子供の持つ 薄汚れていない真っ直ぐな淡色の感性が
ストレートに感じ取れる、すなわち声変わりしていない子供たち自身による
ソプラノの歌唱に 最も深く感じ入るのでありまして、

これは 幼いとき ボーイソプラノであり、新しい歌を習ったとき、いの一番に
先生から「ハイ ○○君、唄ってみて下さい」とご指名に預かった愚生だけでなく、
皆さんお持ちになっておられる感慨なのではないかと思えるのであります。

ところが 【シャボン玉】 は 例外であります。
子供の歌唱でありましたなら、それは単なる『お遊戯歌』の域を出ないのであり
ますが、
並外れて 全ての【スイ】 酸いも酔も粋も吸いも好いも炊も睡も・・と、甘いを
極められた 【小沢昭一】さんのような方が唄われてこそ、初めてその味わいの
真髄が露呈され 鑑賞できるようになるというものであります。

と 申しますのも、前々稿で掲げました【坂入姉妹】さんの書かれました
『童謡であの日にかえりたい』という本によりますと、この詞は、
作者:野口雨情さんの、幼くして亡くなった 二人の娘さんへの 切々たる想いが
描かれている との説が紹介されておりますし、

また、H22.5.26 付け 当ブログで掲示しました 岩波書店『唱歌・童謡ものがたり』
によりますと、フォーク歌手の【高石ともや】さんは、この歌は『間引き』で死んで
いった子供たちのことを語っているのではと解釈され、自身の代表曲のひとつとして
よく唄われたということも 書かれております。

でありますから、この【シャボン玉 】 は 単なる童謡ではありませんで、人の世の
やるせない出来事が潜められている歌でありまして、さらに、これは愚生が思うこと
でありますが、

シャボン玉のひとつひとつは 人生における様々な出来事に見立てられないだろうか、
年を重ねるということは、中には稀に花が咲き種(み)が実ることがあるかもしれないが、
通常は、すぐに消えたり しばらく飛んで消えたりの シャボン玉のような出来事の
連続ではないだろうか、それが人生というものではないだろうか と思えてくるので
ありまして、としますと、【小沢昭一】さんみたく いわば文化人類学の巨匠とでも
いえるような方でなくば、このような深い意味合いは 到底 表現し得ないのでは
ないだろうか と思えてくるのであります。

終稿にあたり 重ねて 申し上げます。
小沢昭一さんの【シャボン玉 】 は、ほんとうに絶品であります。
皆様方にも ぜひ一度 ご鑑賞いただきたく思っております。
涙なくしては聴けない名歌唱でありまして、それは紛れもなく
一幅の芸術作品である といえるシロモノであります。 
                 
   
   写真は 河出書房新社発行 KAWADE夢ムック 【総特集】小沢昭一
   という単行本の 表紙を撮影したものであります。





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ひと息いれる稿(29)【シャボン玉 (1)】【小沢昭一さん】【老謡】

2010-11-19 22:52:13 | 日記
      
     シャボン玉

             作詞 野口雨情
             作曲 中山晋平

    シャボン玉 飛んだ  屋根まで 飛んだ
    屋根まで 飛んで  こはれて 消えた
 
    シャボン玉 消えた  飛ばずに 消えた
    生まれて すぐに  こはれて 消えた
 
    風々 吹くな  シャボン玉 飛ばそ


小沢昭一さんの唄われる この歌が 無性に聴きたくなりました。
それで その歌が入っているCDを 取り寄せたのであります。

        

そしたら いきなり笑わされたのであります。小沢昭一さんの お話しに。
それは こういうことであります。

昔から唱歌や童謡が大好きで、数えで 80 になって さらに好きになって
よく口遊むのだけど、悲しいことに、最近の子供は ほとんど見向いちゃくれず、
今や 童謡は 老人の歌う唄と 化したのではないかと思えて・・・
ですから わたしゃ ドウヨウと言わず ロウヨウと 呼んでるんですよ

お話も 歌も ほんとに素晴らしいのでありますが、
特に この 【シャボン玉】 を聴くと、涙が出てまいります。
CDには 全部で40曲 収録されているのでありますが、オイラには
この 【シャボン玉】 の出来が 抜きん出ているように思えます。
小沢昭一さんの思い入れが いちばん注ぎ込まれているように
聴こえるのであります。


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ひと息いれる稿(28)【全国童謡フェスティバルinたかはし】

2010-11-18 21:09:25 | 日記


 ジャジャジャジャジャジャーン
うら若き美女を 二人もいただいて 当ブログ初登場 であります。

平成22年11月7日(日)、岡山県高梁市総合文化会館で開かれました
【全国童謡フェスティバル】のゲストとして、澄みきった素晴らしいお声で
ミニコンサートをなさいました【坂入姉妹】さんとの スナップであります。

ご出演された方は さぞかし歌いにくかったのではと 思われますが、
愚生は 最前列 中央 に陣取りまして、聴かせていただきました。

全国から 21グループの方々が、中には オイラが都合2年おりました
日立市からも来ておられましたので、気持ちばかりの差入れを お渡し
したのでありますが、それぞれのグループが 思い思いの童謡を
いろいろ味付けされ ご披露下さったのでありまして、

惜しむらくは、同じ歌が 目立ってダブらないよう 事前に調整して
下さっていたら もっとよかったかなぁ と思った次第であります。
季節柄、【もみじ】や【里の秋】なんて、そりゃぁ誰だって
歌いたいですよねぇ。気持ちは よく分かります。

まぁ いい歌は何度聴いても イイモンではありますが・・・
それに 聴く側に立ちましたら、童謡は やはり、子供の声が 何たって
イチバンでありますねぇ。子供たちの声であってこそ、より郷愁が呼び覚ま
されるというものであります。

ただ 童謡といいましても、深い深い意味を潜ませた歌がありまして、
例えば【しゃぼん玉】や【カナリア】のような歌の場合は また 違って
くるのではありますが、これは次回 述べさせていただく所存です。

<追伸>
主に九州で活躍されております【DOYO組】という美人童謡デュオは、
以前 NHK BShi で放送されたことがありますので 知っておりましたが、
今回【坂入姉妹】という やはり同じ 若くてきれいな女性童謡デュオが
おられること、今回初めて知ったのでありますが、
カブリツキで拝見したお姿は、それはそれは オキレイでありました。
もちろん 平生が平生ということはありましょうが、それにしましても
オキレイでウットリ……、とってもよかった であります。
      
なお トップに掲げさせていただきました レアアースにも似た同伴写真は、
種を明かせば、この本を購入したご褒美というコトでありまして……
モチ、握手もCDも付いておりましたぞな もし。
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愚息物語(23)【長男(6)】【元気です(2)】

2010-11-10 10:13:50 | 日記
 前回ブログの続きであります この項、既に 2,000字ぐらいの草稿を
書いているのでありますが、案の定、『山の大神様』から、
「アンタァ!何を考えとるんで!頼むから止めてちょうだい!」という、
閉め切ったアルミサッシを突き破り、裏山頂上まで届くが如くの、恐ろしい
「地の声」が轟いたのであります。

実は そうなるのではとの読みがありまして、本来なら分割しないで、
原稿用紙15枚ほど、字数なら6,000字程度を、一挙 投稿するつもりでありました
のですが、何分 文章を書く才能なんて、もともと あったものではないものです
から、実際問題としまして 遅々として一向に前に進みませんで、そこでまず、
経緯(いきさつ)を述べたウッタテが整った段階で投稿し、その後はコマギレ投稿で
進めるとするか と妥協したことが、命取りになった次第であります。 

負けてなるものか!と、強い決意で臨んだはずのオイラでありましたが、
約40年もの永きに亘り 聞かされ続けてきた キーの高い声には 
未だに馴染めず逆らえず、本日こうして お断りの文章に差し替えさせて
いただいた ということであります。

申し訳ないことでございますが この項、
2年半前までは、精神的にも肉体的にも 確かに病んでいたとしか
言いようのなかった長男でありましたが、お陰を持ちまして、
・20Kgほどのダイエット
・あれほどまで忌み嫌っていた運転免許を取得
・マイクロソフト社の各種IT資格を取得
も 一方では成し遂げておりまして、また 家に幾許かの生活費を入れるように
なったということも付け加えまして、〆とさせて頂きます。


 
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愚息物語(22)【長男(5)】【元気です(1)】

2010-11-06 14:22:05 | 日記
  昨年11月27日付けブログ【愚息物語(8)】以来、長男のことにつきましては
何も申し述べておりませんので、今回は 長男のその後につきまして、既ブログと
重複部分があるかと存じますが、以下、纏めて概略を記したいと存じます。

と申しますのも、先だって長男が、
「オトオ、東京に出張することになった。11月初めの月曜日だが、日曜から
行っても良いことになった。当然 宿泊費は付かないのだが…」と、
遅い晩飯を食べた後、歯ブラシを手に 傍に座り込みながら、確かな 明るい
口調で 話しかけてきたのであります。

派遣社員でありましたなら、通勤の電車賃すら出ないのですから、
出張なんぞ 望むべくもないことでありましょうが・・・・・そうなのです、
ありがたいことに、この 6月中旬からでありますが、契約社員としての扱いを
受けるようになっていたのであります。

初出張は、先般ありましたのですが、行き先は京都でした。
「経費を掛けて行くのだから、見合うだけの成果は必ず出さないとなぁ」
と言いながら、張り切って 出張って行きました。して、今度は東京です。
待ちに待った 念願の東京出張 です。それは 愚生にとりましても、長男に
とりましても、取り立てて格別な意味合いを持っている事柄なのであります

東京を引き上げて以来 長男は、従来から関与しておりますクイズ大会の用件で
3,4回は上京しているのでありますが、今般 初めて、自前で交通費を払うことなく
東京に行けるのであります。日曜早くに行くのですから、永年親しんできた友達に
会えます。それも、心身とも見違えるばかりに甦った、おそらく その友達にしても
見たことのない姿を、晴れがましくお披露目できるのでありますから、大袈裟かも
しれませんが、『錦を飾る』というレベルの感慨すら 湧き起こってくるのでは
ないかとも、あの東京での廃れ果てた状態を想い起こすにつき、思えてくるのです。

一方 愚生にとりましては、東京から引き上げるときでありましたが、
敗者となりて都落ちする我が身を嘆く気力すら失った さまよえる長男に対し、
「とりあえずは家に帰って、本来 お前が持っている元気な心と体を取り戻そう。
そうしたら、そのうちエネルギーも貯まってくるだろうから、そのときまた
東京に挑戦したらいいではないか。どこか 向こうの会社に勤めていても、
東京への出張だってあるだろうし、場合によっては、こっちに転勤できること
だってあるかもしれん」と、その場を取繕うこと第一の、極めて希望的なる
観測を口にした経緯があるのでございまして、

長男は覚えていないのではないかと思いますが、しゃべった本人としましたら、
果たしていつのことになるのか あやふやであるものの、言った このことを、
長男の回復度といいますか、挽回度といいますか、そのような指標の具体的な
目途として設定していたのでありまして、今回めでたく それに到達できたと
いうことであるのです。

こちらへ帰りまして 2年半、想った以上に速い達成であります。
途中 数ヶ月のブランクはありましたが、概ね、某大手教育関係企業系列に
属する派遣会社から、本体会社に派遣され、今まで培ってきた能力を、出し惜しみ
することなく、目一杯発揮していたようでありまして、その働き振りが評価された
のでありましょうか。「仕事には 自信がある」と常々申しておりましたが、
あながち 大言ではなかったようであります。

契約社員でありますから、不安定さが払拭された訳ではありません。先般行われま
した国勢調査・就業形態調査によりますと、契約社員は『パート・アルバイト』項
をマーキングせよ との留意書きがありまして、愕然とすると同時に、置かれた
厳しい現実を、悲しいまでに叩き付けられた次第でございますが、
 
派遣社員とは違い、仕事の枠が大幅に拡がるのであります。裁量範囲も桁違いに広く
なるでありましょう。仕事は やればやるほど 味が増してくるものであります。
本来の、仕事というものの 面白さ・醍醐味・真髄 といったものが 心ゆくまで
味わえるのであります。今まで出なかった交通費も貰えます。正社員としましたら、
至極当然なことでありましようが、今までが今まででしたから、今まさにバリアが
取り払われ、良いように好いように展開する、念願のプラス・スパイラルの世界に
入れたという現実は、まさにブレーク・スルーしたに等しい喜びを授けてくれて
いるのであります。

愚生としましても、ほっと一息つける 安息の日々を やっと過ごせるように
なったのであります。「束の間ことかなぁ」と一抹の不安はよぎるのでありますが、
心に余裕ができてきたのは事実でありまして、「ここまできたのだから、我が家の
恥さらしになったとしても、平成20年代初頭における、戦後生まれのごく普通の
家庭の、その子供の状況およびその子供との係わりの 一つの事例として、
凄まじかった東京の下宿の有様等も含めて、洗いざらい公開してもいいかなぁ」と、
ふと、そんな気が湧いてきたのでございます。

で 書き始めていたのでありますが、なかなか前に進まず、既に相当の日にちが
流れており、ついに、明日出発という日まで至っているのでありますが、当然、
事象は止まってはおりませんで、今月さらに岐阜、来月さらに東京と、次の展開を
見せているのでありまして、ほんとうにありがたく思っている次第でございます。
つきましては以降、記憶を振り返り振り返りしまして、どこまで曝け出せるか
分からないのでありますが、順次 記してゆきたいと存じております。
家族からストップが掛かりましても 書こうとは思っているのですが・・・ 

 
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