百休庵便り

市井の民にて畏れ多くも百休と称せし者ここにありて稀に浮びくる些細浮薄なる思ひ浅学非才不届千万支離滅裂顧みず吐露するもの也

今朝 素晴らしい詩に出合いました。その勢いでの投稿です        ~産経新聞「朝の詩」から~

2016-11-19 17:39:11 | 日記
 当記事は、H28.11.19 産経新聞『朝の詩』に載った 若い娘さんの詩に たいへん心 動かされ、かつ 感心させられ、これは直ぐブログ化し 皆さんにぜひお届けしなければ との思いから 作り上げたものであります。
(但し、本詩は 故(ゆえ)あって、取り下げて います。ご寛容の程、賜りたく)

老生はいつも思っておりました。この詩と同じことをです。本人は親に産んでもらって、育ててもらってるのにです、何で命の循環を途絶えさせてしまうのか、命を繋ぐことこそが、親の恩に報いる第一の道であり、生きとし生けるものとしての義務を果たすと言うことではないのか、厳しい世の中なのは充分理解できるのだけれど、たとえ経済的に恵まれないにせよ、めげるのが早過ぎやしないだろうか、努力が足りないと言われても 仕方ないのではないだろうかと。

ここで想い出されるのが、昔 森光子さんがお母さんで 松山英太郎さんらが子供役を務めた テレビ番組「天国の父ちゃんこんにちわ」で毎回、青空と雲の画面を背景に朗読され、オイラがうっとりと視聴していた 「五月の言葉」というタイトルの

        貧しいから
        あなたに差し上げられるものといったら
        やわらかな五月の若葉と
        せいいっぱい愛する心だけです。
        でも、結婚してくれますね。

という詩です。このココロモチを ぜひとも取り戻して下さりまして、結婚され、ぜひとも命を繋いでいただきたいと切に切に願っておりますが、、、、


で、ついでといっては失礼になるのですが、老生 気に入った詩がありますと 切り抜きしておくのですが、何分 整理がまずく 全部が全部 取り出せてないですが、とりあえず 見つかったものを並べてみることといたします。どうぞご鑑賞なすって下さい。 













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今年逝かれた田部井淳子さんチャスラフスカさんに関する記事2編

2016-11-18 13:50:05 | 日記

 平成28年11月14日夜のお月さんは、68年振りに、14パーセントも大きく 30パーセントも明るく、次に見えるのは18年後だという スーパームーンだったのですが、生憎雨模様で見ること叶わず でした。上の写真は、翌々日 16日 Am4時に顔を出していたお月さんを撮ったものです。


これは本日(11/18)午前中の我が家の山側を写したものですが、どうしてだか今年の紅葉は、気分の持ちようの違いだけでなく、実際に綺麗ではないのかなぁ と思います。右側の赤いイロハモミジ、視界を遮っていた前と両横の木の枝を落とし、見栄えを好くしました。

 さて本題に入ります。今年 惜しい女性 おふたかた、身罷られております。女性として世界で初めてエベレストおよび七大陸最高峰への登頂を成し遂げられた有名な登山家 田部井淳子さんが 10月24日 77歳で、と 8月30日 74歳で亡くなられた、東京オリンピック体操個人総合金メダリスト ベラ・チャスフスカさん のお二人。

これはH28.11.17付け産経新聞 野口健さんの連載コラムの切り抜きですが、この中に記述されてる田部井さんのおっしゃった内容が、実に素晴らしいものでありますれば、それらを抜き出し、ここに留めておきたいと思った次第であります。

・ヒマラヤの空気が好きなの。この年になってからもヒマラヤに挑戦できるのだから
 私は 幸せ。23歳のあなたはまだまだこれからね。あっ、そうそう、山は生きて下りて
 こなければダメだからね。それだけは守りなさいね。またどこかで会いましょう。
・野口さん、ちょっといい? あなた、隊長でしょ。隊長は感情を顔に出してはダメ。
 みんな あなたの顔を見てるのよ。大変な時こそ平然としていなさい
・私もね、頭にくることがあるのよ。そんな時はテントの中でお茶を点てるの。
 シャカシャカとやっていると心が穏やかになる。隊長は隊員の命を預かっているのよ。
 隊長がイライラすると隊全体に蔓延してしまう。隊長は孤独なもの、それがリーダー
 なのよ。はい、どうぞ。
・隊長さん、しっかり! 応援しているから

 次は チャスラフスカさん。オイラ世代なら知らぬ人はいないだろう、憧れの女性。このH28.10.18付け産経新聞の当該記事は 同じく東京オリンピック体操個人総合金メダリスト 遠藤幸雄さんとの、ほぼ地球4分の1周分(約10000Km)離れた地域間でありながらの、長きにわたる深い交流について、本当のことは二人の中に閉じられたままでありますから何も分からないのですが、深い余韻を伴ってそのサワリが述べられておりまして、72歳で亡くなられた その遠藤さんの年に あと1年と迫った老生めにとりましては、他人事ながら、ええなぁ と うっとりするような話にも 聞こえてくるのであります。



では、おふたりの間柄を偲ぶ縁(よすが)に、ここに書かれている当事者の談話を抜き出しまして、この稿を閉めるとします。

・(恋愛感情についての質問に対して遠藤さんの言)
     いや、ないですよ。あったのはライバル意識だけです
・(遠藤さんの葬儀に於けるチャスラフスカさんの弔電)
     私の人生の師であり、かけがえのない存在でした
・(震災後、プラハに岩手県の中学生26人を招き、その中で運動能力の一際目立った
  少年に話しかけた内容)
     あなたはエンドウユキオを知っていますか

最終行、オイラは 涙が流れて しかたありません。
この短い言葉の中に どれほど 深く切ない想いが込められていたかと思うと。
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