門前の、左から 山茶花 南天 茶 杉 と繋がっている生垣、県道から見える所でもありますので 早めに剪定、スッキリさせました。
これは当庵に一歩 足を踏み入れたときの様子です。1ヶ月ほど前から白いポストをぶら下げ、中に、19年以上前、岡山最大手建設会社お勤めの、小林さんという非常によく出来たお方から このようにして
頂戴した、坂村真民さんの詩 で構成された カレンダーを入れてます。
31編、どれも好い詩ですが、オイラの特別お気に入りは この「二つのもの」という詩。
あの世を、これほどの説得力で肯定してる カキモノって無いです。反物質とかダークマターとかダークエネルギーとかが真実味を帯び語られだした昨今であれば、なおさらに。これはもう 参りました~! です。
ただ 老生は、このことを全面的には 正直 受け入れられずにいたところ、
H30.10.6『週間 学ぼう産経新聞』ページに出てた、この ↑ 村上春樹さんの「死は生の対局としてではなく、その一部として存在している」という言葉に接し、「オイラの気持ちは このほうが近いなぁ」と。しかし、この世が 生と死がある世界としたら、その対局となる あの世とは何だろう。対立する概念が見当たらないではないか という 新たな疑問も湧いてくるのです。(本段落は H30.10.21 追記です)
次は H30.9.14 産経新聞連載『モンティーニュとの対話(34)』より
・フランスには、モンテーニュさん モンテスキューさん モーリアックさん という
『ボルドーの 3M 』が存在する。
・そのうちの モンテスキューさんは『法の精神』第14編 の中で
「風土の暑さは、肉体が完全に無力となるほどに、はなはだしいものとなりうるだろう。
そのときには、衰弱は精神自体にも及ぶ。好奇心も、気高い行いも、寛大な感情もない。
精神の傾向はまったく受動的である。そこでは怠惰が幸福である。」
何という 見事な予言を為さっていることか。凄い!!! の一言。
・哲学者 ニーチェさんは、
「天才がほとんど必然的に住み着いていた パリ プロヴァンヌ フィレンツェ エルサレム
アテネ などの土地は、どれもみな空気が素晴らしく 乾燥した土地ばかりだ」と
・また オイラの私淑する 英語学者・評論家の 渡部昇一先生は、
「ヨーロッパの連中には、勉強してもかなわない。連中の1年は 日本人の1年より 3ヶ月長い」
と、このように我ら日本人は、湿気という めっちゃハンディのある土地に住んでるんだとの由。但し 残念ながら、そう言える季節は もう通り過ぎちまってて、あとは来年のお楽しみ?。
< 追 伸 >
大阪在 3男の4男の通う幼稚園の運動会開会式於いて、晴れがましくも孫が、園児代表で挨拶しました。事情あり行けてませんが、当園ホームページに写真が載ってまして拝借です。めっぽう嬉しいです。