百休庵便り

市井の民にて畏れ多くも百休と称せし者ここにありて稀に浮びくる些細浮薄なる思ひ浅学非才不届千万支離滅裂顧みず吐露するもの也

英語と心中 天の網島と 静(しずか)さん

2019-11-19 23:15:16 | 日記

 当庵 掃き出しサッシ越しに見える イチョウの黄葉です。(11.21 Pm2:45 撮影分に差替え)

 先頃、英語の大学入試方法の差し戻しというゴタゴタがあって、一方 スイスに本社がある『EFエデュケーション・ファースト』さんという 世界中で語学教育を展開してる会社の発表した 2019年 英語能力順位によりますと、日本人は非英語圏 100か国・地域の中で 53位(前年は49位)なのだと。ちなみに、1位はオランダ 2位 スウェーデン 3位 ノルウェー・・・韓国37位 台湾38位 中国40位・・・・

オイラは思うのです。それは日本国および日本語が飛び抜けて素晴らしいせいではないかと。だから外国語ができなくても日本で暮らす分には、ちっとも不自由 感じないからなのだと。その上に、めっちゃめちゃ悪い日本語と英語の相性なるものが横たわってるという構図。なので未来永劫 良くなることは望めないのではないかと。

だからここはもう、発想の転換を図ったらどうかと思うのです。そのエネルギーを、日本の得意分野に振り向けたらどうかということ。すなわち機械に任せるのです。最先端の技術・人材を結集、緊急国家プロジェクトとして、超高速超小型ウエラブルAI自動同時超絶翻訳機を作るのです。で 通訳はその機械に任せ、日本人は 本来の研究に、日本学の習得に、日本語による自在な表現手法を磨くことに集中するのです。テンポラリーなものへの対応ならば機械に任せるべきだと、それが知恵というものではないかと思うのです。

  * * * * * * * * * * * * * * * * * * * 



 ぜひとも見たかった『心中天網島(しんじゅうてんのあみじま)』。11.12(火)、朝1番の在来線で出立しました。窓の外、上の方は青空が広がってて、地表は一面 雫色した朝霧が、あっちこっちに立っている電信柱を浮かび出しています。

オイラは ふと思いました。電線の地中化が叫ばれて久しいですが、一向に普及が進まないのは、日本人は電信柱が立っている風景に、”美” を見出しているからではなかろうかと。さらに付け加えれば、”和” を尊ぶ日本人は 意識せずとも、電信柱によって導かれている電線が、あたかも家と家、ひいては人と人とを結び付けてる絆のように、中島みゆきさんの歌にある ”糸” のようにも感じられ、やすらぎを得ているのではなかろうかと。

 行きしなのこととは申せ、余分なことを申し上げてしまいました。

                       大阪日本橋の『国立文楽劇場』です

                        舞台です。休憩時間に撮りました

こういったシーン ↑ は無かったように思います。予備知識ゼロでの観劇です。オイラは、実生活では叶うべくもない、義理と人情の狭間にあって、心中せざるを得なくなってく男女の、甘くて切ない恋物語に どっぷり浸れることを期待していたのですが、物語は そういった過程があっただろう後の、紙屋治兵衛さんサイドの対応を中心に描いた人情劇。

山本周五郎さんなら、こういった心中物を書かれるかもしれないといった内容ですから、夢のような甘美な世界に身を委ねられるどころか、女房おさんの心尽くし、仕事もせず コタツにもぐり込み ふて寝する治兵衛さんの姿に、「こりゃ オイラのことじゃがん」と我が身が重なってきたりしますから、反対に 身につまされる まずい思いを 強くさせられたのでありましたが・・・

それでも最終段の『道行名残の橋ずくし』は、場面展開は見事なもので 魅せられましたし、最後の最期 心中場面は やはり最高のキレ味がございまして、特に 赤い布切れで治兵衛さんが首を吊る そのほんの一瞬というものは、最高の最高の見せ場でありました。

公演予定はないようですが、次はぜひ この口上の ↑『曽根崎心中』をと、思っています。

  * * * * * * * * * * * * * * * * * * * 


 今年が 67歳で亡くなられた レオナルド・ダヴィンチさんの没後500年ということで、氏の特集番組が何本も放映されておりますが、R1.11.9 NHK-Eテレ『ETV特集』『伊集院静 ダビンチをめぐる冒険』という番組の中で、モテ男 NO1とされる氏の面目躍如たるオコトバがありましたので、それを記しておきたく存じます。

何故なら、こういった本音のコメントは、美術評論家さんは決して口にされないだろうと思いますし、「よくぞ言って下さいました。終生 手許に置いて 手を加え続けられてたということは、きっとそういうことなんでしょうね」と、オイラも思うからであります。なお 氏は絵画に対する造詣が非常に深く、このように ↓ 多くの書籍を上梓されてられます。


..
「絵画が存在する証明に この作品(モナリザ)があるように思えた。さらに言えば画家は”美しい女性”こそが彼の探求する美そのものであったということである」・・・オイラが感心したのは、このような優等生的コメントではありませんで、それは次のようなオコトバであります。ただ それの字幕化、悲しいかな、NHKさんは ようしとりません。こっちのほうが、よほど真実だと思われますに・・・

「少年のとき恋もしてない、長じても 恋愛もしてない、妻も娶らない、女性の体に触れてもない、そういうダヴィンチさんにとって女性というものは、神秘な存在であり続けていたのではないか」。「ぶっちゃけ、女の人の本性が最後まで分からないから、あれだけ綺麗に描けたのではないだろうか。本性を知っていれば、女の人をあれだけ綺麗に描くことはあり得ない」・・・さ~すが~ 美女総なめのシズカさん、すごい ご見識です。

としますとです。ダヴィンチさんの対極におわされるのが、奥さんを 7人も入れ替えられてる ピカソさん?。道理で、めっちゃオキレイなお顔の奥さんなのに あれほどまで ブッ壊すことができるんですねえ・・・・ ますます納得です。(この段落 R1.11.26 追)


 < 追 伸 > R1.11.20 記
 文楽は、第2部の 3分割の最終編である『仮名手本忠臣蔵』まで見ています。第1部の席は 1等席6列10番、第2部は 2等席17列22番でして、今回 観劇席についての貴重な教訓を得てます。

それは、”語り”だけでは、よく聞きとれなく理解が届かないため、舞台上部に表示される字幕を読まなくてはならないですが、前の方の座席では 人形と字幕を視る角度が違い過ぎ、同時に見れない不都合が、これは舞台右袖で大熱演なさる太夫さんにも言えることでありますから、落ち着いて心ゆくまで堪能するには、後部座席の方が適しているのではないかということであります。ちなみに料金は 本公演の場合 税込6,300円と2,900円、と たいへんお得でもあります。

なお 終演時間は 20:25と かなり遅いため、当日は近くの安ホテルに泊りまして、翌日、奈良と京都の国立博物館に行き、それぞれの特別展を見ております。




オイラが特に感銘を受けましたは、『正倉院展』では図録の表紙になっている 唐伝来の『金銀平文琴(きんぎんひょうもんきん)』、『三十六歌仙絵展』では 小野道風さん筆の 国宝『古今和歌集』であります。薄暗さを かなり通り越した暗さと 大勢の人の中、めっちゃ小さな歌仙絵を 1メートル以上も離れたところから観賞するのは、ちと難かしゅうござりました。

 < 追 伸 > R1.11.24 記

 
 イチョウは ボケてしまってますが、当庵雪隠(せついん)に吊るしている ウチワには
     分け入っても分け入っても青い山
     さて、どちらへ行かう風が吹く
     この旅、果もない旅のつくつくぼうし
という、オイラの大好きな 山頭火さんの俳句 三っつ 貼り付けてます。

 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする